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養老孟司批判

養老孟司の『唯脳論』(小幡芳久)
はじめに/1、「脳は『物質的存在』である」/2、「心」(意識)は脳(身体)と不可分離/3、脳(神経細胞)のはたらき/4、脳の中の「地図」?/5、「脳は脳のことしか知らない」?/6、言語・数学は「脳の産物」?/7、意識の発生は「内的必然」?/8、聴覚(音)と視覚(光)の「結合」は「脳の都合」?/9、弁証法(矛盾)の否定@「ツェノンの逆理」A「粒子と波動」/10、「普遍とは、ヒトの脳である」?=経験論的不可知論/11、「脳において思考するという形式」と抽象的概念とへの収斂/12、諸矛盾の原因は「脳化」にあり?/13、「脳の身体性」

養老孟司『死の壁』を読む(菊池里志)
変化する自分、不変の情報?/ヘレニズム時代に似ている現代/人間は蝿の仲間かロケットの仲間か/死んだらみな平等/幸徳秋水の死生観



「脳に起こることだけが存在する」?!――観念論に迷い込む科学者

養老孟司の『唯脳論』
――科学の否定と現状擁護に帰着

 かつてエンゲルスは、近代の「沢山の自然科学者たち」が、「自分たちの学問の内部にあっては峻厳な唯物論者でありながら、その学問の外部にあっては観念論」者であったと語った(『自然の弁証法』)。同様のことが現代の「沢山の自然科学者たち」にも言える。養老孟司氏はその中の一人である。氏は、脳の「解剖学者」としては「唯物論者」なのだが、哲学や社会問題など「外部」のことに口を挟むと、途端につまらない観念論者になっている。氏の著書『唯脳論』(ちくま学芸文庫)を取りあげてみよう。

◆はじめに

 ここ20年ほどの間に「脳」に関する研究が急速に進歩し、人間の「精神」活動の多くが「脳の機能」として詳細に説明できるようになってきた。このことは、「精神」(「心」「心理」)というものに長い間付き纏ってきた神秘のヴェールを剥ぎとることであり、唯物論を補強しその正当性を示すことのように思われる。ところが実際には逆に、「脳科学者」たち自身によって彼らの研究対象である「脳」が絶対化され、「世界は脳の産物である」という珍奇な観念論的見解が生み出されているのである。

 養老氏は言う、「脳に起こることだけが存在する」とか「脳は脳のことしか知らない」など、と。これは明らかに観念論であり不可知論である。また、「最後の普遍とは、ヒトの脳である」とか「すべてを脳全体の機能へ……戻し」「実証主義(唯物論?)と観念論を結合する」のが「唯脳論」だとかと言って「脳」を絶対化する。さらに、「現代とは、要するに脳の時代である」とか「現代人はいわば脳の中に住む」などとも言ってカリカチュアの世界に入り込む。だが、他方で養老氏は次のようにも言う。「唯脳論は、世界を脳の産物だとするものではない。……意識的活動が脳の産物だという、当たり前のことを述べているだけである」、「どう考えたって、素直に言えば、脳は世界の産物であり、哲学は脳の産物である。脳は哲学よりも広く、世界は脳より広い」と。著書『唯脳論』の解説を担当している「脳科学者」の澤口俊之氏は、こうした常識的・唯物論的な側面を捨てきれない養老氏の立場に「歯切れの悪さ」を感じ、「むしろ『世界は脳の産物だ!』と言い切ってほしかった」、「このことは、脳科学ではほとんど『常識』の範疇に属することなのだ」と言っている。

 「脳」を「普遍」として絶対化することは、単に観念論・不可知論に陥るということだけではすまない。それは「脳において思考するという形式」を理由に、思考「内容」の真偽を不問にすることであり、結局、諸々の反動的な思想を正当化することにつながる。事実、養老氏はそうしている。

 養老氏が「脳」と「脳の機能」をいかにして絶対化しているか、著書『唯脳論』の検討を通して見てみよう。

◆1、「脳は『物質的存在』である」

 自然科学者・解剖学者として養老氏は、さし当たって唯物論者である。だから、氏は「脳」が物質的存在であることを認める。「脳はたしかに『物質的存在』である。それは『物』として取り出すことができ、したがって、その重量を測ることができる」と、いかにも解剖学者らしい指摘をする。そして次のようにも言う。「進化の過程で、脊椎動物は『脳化』と呼ばれる方向に進んできた。より新しい型の動物は、より大きな脳を持つ。現生哺乳類は、多くの絶滅した哺乳類に比較すれば、はるかに大きな脳を持つ。これが脳化である。しかも、脳の中では、大脳化が進む。ヒトでは、それがさらに新皮質の増大として、きわめて顕著となる」と。「脳化」という概念の適否は別にして、ヒトの脳が進化の結果生まれてきたものであることを、当然だが氏も認めている。さらに「脳」を説明して氏は、次のように言う。「脳は、構造上も機能的にも、それだけで存在する器官ではない。……脳は、神経系の一部をなす中枢神経系の、そのまた一部」であり、「頭蓋の中にある部分」である、それは「大脳、間脳、中脳、小脳、延髄などに区分される」云々。そしてこの「脳は、血液から絶えずグルコースと酸素の供給を受ける必要がある」、そうでなければ「脳は回復不能の障害を受ける」。「脳は紛れもなく、……人体の一部である」、と。

 以上、養老氏の唯物論者としての側面を確認しておこう。

◆2、「心」(意識)は脳(身体)と不可分離

 「心」や「精神」を神秘化しないという点でも、養老氏は唯物論的である。氏は、「心つまり精神」を神学的に「特別扱い」したり、「身体と魂の分離」を素朴に信じたり、「脳という物質から心が出てくる」というふうに機械的に考えたりすることを否定する。そして両者の関係を次のように説明する。「脳と心の関係」の問題は「構造と機能の問題に帰着する」、そして「心」は「脳という構造」の「機能」である、「構造と機能とは、われわれの『脳において』分離する(が)、『対象において』分離するのではない」と。さらに次のように言っている。

 「死体があるからこそ、ヒトは素朴に、身体と魂の分離を信じたのであろう。これを生物学の文脈で言えば、構造と機能の分離ということになる。死体では肝・腎・脳といった構造は残存しているが、もはや機能はない」。だが、実際には「機能の部分的広範な喪失にともなった、構造変化が生じている」。例えば「電子顕微鏡を用いて、細胞を検査すれば、経過した死後時間によって、さらに細胞の種類によって、さまざまな変化(細胞の死には、「自己融解、すなわち自分の持っている加水分解酵素で自分自身を溶かすという典型的な死後変化」がつきものであるという……O)が生じていることが確認される」。「われわれの目が、それを『肉眼的に』、必ずしも見分けられないだけである。ゆえに死体は残存しているが、それは、完全な構造の残存ではない。それと同時に、それは完全な機能の喪失でもない。構造と機能が分離したかに見える……だけのことである」。「死においては、対象側に、構造と機能の分離が生じるのではない。構造、機能ともに、順次失われる。……脳もまた、同じである。脳が壊れていけば、それにともなって心が壊れていく」。

 「脳と心」の関係を「構造と機能」の関係としてとらえることの適否は保留にしよう。ただ、「心」は「脳」と不可分であり、物質的な「脳」の存在を前提とした二次的なものであるという養老氏の見解は、もちろん唯物論的である。

◆3、脳(神経細胞)のはたらき

 脳と脳の働きについて、脳科学者(養老氏)の説明をもう少し聞いておこう。

 先に述べたように、脳は「神経系の一部」である。「神経系は、中枢神経系と末梢神経系で構成される。中枢神経系は脳と脊髄とで構成され、末梢神経系は、脳神経と脊髄神経とで構成される」。「脳とは、脊髄の頭方の先端部分が膨らんだものとも言える」。「脳神経は主として顔面と、そこに位置する器官、すなわち口、目、耳、鼻などに分布するが、脊髄神経は、それ以外の身体のほとんどの部分を支配する」。

 「脳は、顕微鏡的に見れば、神経細胞とグリア細胞、これに外からやむを得ず入り込んできた血管という、三要素から成る」。「神経細胞は軸策と呼ばれる突起を出し、その先端が次の神経細胞に付着する。この付着部は特殊な構造をつくり、これをシナプスと呼ぶ」。グリアは神経細胞の表面を覆っている。「血管とグリアとは、脳の働きに不可欠だが、この働きに直接関与するわけではない。神経細胞がもっぱら脳の機能を担う」。

 「個々の神経細胞は、興奮するかしないか、そのいずれかの状態にある。……神経細胞の興奮とは、……細胞の膜を通してイオンが流れ、幕内外での電位差が、短い時間だけ平常とは逆転することである。これを脱分極という」。「なぜ、神経細胞は興奮するのか。一つ手前の神経細胞からの興奮が伝わるからである。……一番おおもとは、感覚器ないし知覚器でおこった興奮ということになる」。

 養老氏は「神経系の定義」を金光教授から引用している。「『神経系は受容器と効果器のあいだに介在する器官として定義される。動物の諸器官は神経系にとっては受容器か効果器であり、神経系の末梢器官と総称される。そして神経系は、受容器から情報を得て効果器を駆動し、動物が外部環境に合目的的に適応し、内部環境を恒常的に維持することを可能にしている』」と。これを受けて養老氏は、「受容器と効果器の間に挟まった部分が膨らんだものが、つまりは脳」、であり、「脳とは順次連結していく神経細胞の連結体」、いわば『身体の電話交換局』(夢野久作の言葉)である、と言っている。要するに、「脳」は外界からの情報を「受容器」を介して受け取り、それを処理し、「効果器」に繋げるはたらきをしているということ、このことをしっかり抑えておこう。

 養老氏の唯物論はここまでである。氏は、これと矛盾したことを以下で次々と言い出す。

◆4、脳の中の「地図」?

 さて、養老氏は、網膜における視覚情報や皮膚感覚における触覚情報などの「位置の情報」を、われわれは「どうやって知るのか」という問題を立てる。そして次のように答える。「脳の中に地図があって、そのどこかの部分に反応が起こる。その地図から判断して、どこだ、ときめる……」と。氏によれば、「脳の中」には、「世の中での自分の位置」を示す「『世界』地図」と「背中のどのあたりがカユイか」を示す「身体地図」の「両方の地図がきちんとしまってある。そう思わざるを得ない。それを必要に応じて取り出し、適宜参照する」ということだ。氏は、脳の中の「地図」がどのようにしてできるのかを語らない。「位置の情報」を「知る」ための“道具”として、アプリオリなものとして「しまってある」と「思わざるを得ない」と言っているだけである。ただ、他方で「末梢器官の二次元配列は、大脳皮質でも、神経細胞集塊の二次元配列として認められる」とも言っている。これは、「脳の中の地図」が決して初めからそこに「しまって」あったようなものではなく、「末梢器官の二次元配列」に基づいて、いわばそれを“反映”する形で形成されているということではないのか。

 養老氏は、体の各部からの触覚刺激が、大脳の「一次体性感覚野」という領域に再現されることを見出したといわれるペンフィールドの「ホルムンクス」を念頭においているようだ。今ではこの理論は止揚され、「一次体性感覚野」のニューロン(電気信号を伝える機能に特化した細胞で、脳内に1000億以上もあるといわれる)の配置(「地図」? )は、「体表面の単なるコピーではなく、むしろ生活上行うさまざまな行動ごとにまとまっている『機能集団』である」(『ニュートン』2004年12月号)と言われている。そして、「触覚刺激と視覚刺激が出会う『体性感覚野』では、経験に応じてニューロンの性質を柔軟に変化させることができる」という。また「私たちの経験は、シナプスが持つ可塑性によって記憶として脳内に刻み込まれる。その記憶は大小さまざまなスパイン(棘突起)をもつシナプスの組み合わせとして、目に見える形で脳内に固定されている」(『同』)。

 いずれにせよ、「世界」や「身体」について「知る」ための「地図」は、養老氏が言うようにアプリオリなものとして脳内にあるものではなく、「経験」や感覚刺激を通じて、いわば後天的に「記憶」として脳内に刻み込まれたものなのだ。しかも「世界」や「身体」に無関係なものとしてではなく、それらに対応し、それらを“反映”する形で「刻み込まれて」いるのである。

◆5、「脳は脳のことしか知らない」?

 養老氏にとっての「地図」は、「世界」や「身体」つまり外界を反映した、外界に関する「地図」ではなく、それと“対応”はしているが脳内にアプリオリなものとして「しまわれて」いるものである。だから次のようなおかしなことを言う。「背中がカユイ時」に、「われわれが知っているのは、じつは背中のことではない。脳の中にある、身体地図の背中の部分についてだけである」と。ここで氏は、カユイ「背中」の例で、「脳は脳のことしか知らない」、つまり脳は外界のことについては知ることができないと、不可知論を語っているのである。ところがおかしなことに、上の文に続けて、「だから、背中に行く神経を切れば、背中のことはわからなくなる」と氏は言うのだ。氏は、脳解剖学者としての自分が思わず口を滑らせて、「脳は脳のことしか知らない」という自身の主張をこれによって否定していることに気づかない。「背中に行く神経を切れば、背中のことはわからなくなる」ということは、「背中に行く神経」は「背中のことがわかる」ためのものだということではないのか。つまり、われわれは「身体地図の背中の部分についてだけ」を知る(「脳のことしか知らない」)のではなく、「身体地図」と「背中に行く神経」とを“媒介”にして「背中のこと」を知るということであろう。

 養老氏が混乱するのは、「幻」が現れる脳内のメカニズムについて同時に語ろうとするからである。氏が語るメカニズムに耳を傾けてみよう。それは「脳内の地図」がどのように作られていくかを知る上でも重要なことだ。氏は、機能的には感覚器である「ネズミのヒゲ」を例に挙げて、「ヒゲから脳へいたる、神経の経路」を次のように説明している。

 「一般に知覚系の末梢神経は、一方の端を末梢に、他方の端を中枢に送るという突起の送り方をする。……この神経は延髄に入ると、三叉神経知覚核と呼ばれる神経細胞の集団に終わる。……一つのヒゲと、核内に見られる神経細胞の塊とは、一対一対応になっている。したがって、この塊はヒゲと同数あり、しかもこの塊はヒゲと同じ並び方をしているのである」。同様の「神経細胞の集塊」は「視床」でも「大脳皮質」でも作られる。つまり、「三叉神経の核内では、三つの異なった場所に、ヒゲと一対一対応をする集塊が認められる」、と。さらに、「この集塊はいずれも、マウスでは生後五日までに完成する」と言っている。つまり、「ヒゲ地図」は脳内にアプリオリなものとして「しまわれて」いたのではなく、「ヒゲと一対一対応をする神経細胞の集塊」として、後から形成されたものなのだ。ここでも養老氏の観念論は自らの唯物論で否定されている。

 「ヒゲ地図」である「神経細胞の集塊」が完成する前に「ヒゲを破壊すると、……当該のヒゲに相当する神経細胞集塊は形成されない。……(この場合は)『幻ヒゲ』はおそらく生じない。……それ以降の時期にヒゲを焼くと、……ヒゲはなくなるが、そのヒゲに対応する脳の神経細胞集塊はなくならない。……この場合は、マウスに『幻ヒゲ』が生じても不思議はない」、という。

 つまり、「背中に行く神経」を切ったり「ヒゲを破壊」したりした後に、「脳の中に生き残っている身体地図」だけによって生じるのが「幻背中」であり「幻ヒゲ」だということである。逆に言うと、神経がつながっていたりヒゲが破壊されたりしていなくて「一対一対応」があるとすれば、脳は脳のことだけ(「幻」)を知るのではなく、脳の“外”の「背中」や「ヒゲからの情報」自身のことを知るということである。

 ちなみに、『ニュートン』は「幻肢」について次のように言っている、「事故などで手足を失った人の9割以上が『幻肢』を体験する。失ったはずの手足を触られたように感じたり、痛みを訴えたりする現象だ。ニューロン回路が変化して、失った手足からの入力を担当していたニューロン回路に、他からの刺激が侵入して刺激を起こすために生じると考えられている」と。

◆6、言語・数学は「脳の産物」?

 養老氏は言う。「われわれがなぜか、背中そのもののことを知っているように思うのは、言語のおかげである。いわば言語の構造にダマされた結果に過ぎない。繰り返すが、われわれは、背中がカユイ時に、背中のことについてなにかを知っているのではない。脳について何かを知っているのである。あるいは『脳のことしか知らない』。言語こそ典型的な脳の産物に他ならない。言語は脳の、それもおそらく連合野の機能の、運動系による表出である」と。

 確かに「知る」ということは、対象の言語化と不可分である。だが、「背中そのもののことを知っているように思うのは、……(「背中」という)言語の構造にダマされた結果に過ぎない」というのは、どういうことか? 氏にとって「言語」は「地図」と同様に、対象を“反映”したものではなく、単なる「脳の産物」だから、それによって「知る」ものは対象そのものではない、ということだろう。しかしこれは、何という、馬鹿げた「理論」だろう!

 養老氏は、一方では「言語の発生は、主に脳の発達の問題だ」という。つまり、脳の発達に伴って「発生」したものだという。そして「言語は脳の、それもおそらく連合野の機能の運動系による表出である」という。ここまではよい。だが他方で、「言語こそ、典型的な脳の産物に他ならない」というのだ。つまり養老氏によれば、言語は“外界”とは無関係に、脳の中で「発生」し、産み出されたものということである。だが、本当にそうか? 養老氏自身があげている二、三の例で考えてみよう。

 氏は、「解剖学の用語」である「口」や「肛門」について語っている。これらは「機能を示す用語」であり、「外界から『実体』として、必ずしも明確に取り出せるわけではない」と。そして「ある『ことば』とその『ことば』に対応する『存在』を考えたとき、……『対応するもの』が、外界から『実体』として……取り出せ……ない……(の)なら、その『対応するもの』はいったいどこにあるのか。それは、われわれの脳内にある」と。解剖学者の目には、「外界から『実体』として……明確に取り出せ」ないようなものは、ただ「脳の中」にだけあるもののように見える。しかし、「口」や「肛門」という「用語」に対応するものが「外界から『実体』として」取り出せないからといって、それらの「用語」(概念)に「対応するもの」(対応する「機能」)が外界に“ない”ということにはならないだろう。「口」や「肛門」は、はじめから「実体」として「取り出せる」ようなものとしてあるのではないのだから、それらが「実体」として外界に“ない”のは当然のことではないか。「実体」としてでなくても、「口」は「消化管の入り口」としての「機能」をもった部位として、また「肛門」は「消化管の出口」としての「機能」をもった部位として、明らかに外界に“ある”のではないか。つまり、「口」や「肛門」という「用語」の源泉は外界にあるのだ。

 「あらゆる存在は、外界にあるか、あるいは脳内にある」とする「唯脳論」を掲げる解剖学者=養老氏にとっては、「実体」として存在しないものは外界にはない。ただ「脳の中」に、外界とは無関係に、アプリオリなものとしてのみ「存在」するのである。だから、「言語」も「哲学」も「数学」も、要するに抽象的な概念はみな、氏にとってはアプリオリなものでなければならない。だが、概念は「脳」によって“抽象されて”あるのだから、それ自体として、「実体」をもったものとして外界にないというのは当たり前のことである。抽象的な諸概念が「実体」として外界にないということは、それらが外界を源泉にして抽象されたものであることを示しこそすれ、アプリオリなものとして「脳内にある」ということを少しも意味しない。

 さらに養老氏は言う。「哲学のほかに典型的な脳の学といえば、数学であろう」。「数学の規則は頭の中にある規則である。すなわち、神経系がおのずから持つ規則に他ならない」。「数学者は、直線などというものは、現実には存在しないという。……自然に存在する線といえば、フラクタルだからである」と。「では、直線はどこにあるのか。脳の中である。どこにもそんなものがないとすれば、人が直線を考えつくはずがない。どこかに直線がなければならない。だから脳の中に存在する他はない」と。

 養老氏は「ヒトが直線を考えつく」ためには、それが「脳の中に存在」しなければならないという。これは同義反復にすぎない。「考えつく」ということは「脳の中に存在する」ということ、あるいは「脳の中に存在する」もの(記憶?)が表出するということだからだ。氏は、「考えつく」、つまり「脳の中に存在する」のは「脳の中に存在する」からだといっているにすぎない。問題は、「直線」が「脳の中」に先天的に備わっているのか、あるいは外界からの情報や刺激が関与して生じたものか、ということである。養老氏は、一般に「数学の規則は頭の中にある規則である。すなわち、神経系がおのずから持つ規則に他ならない」という。つまり「直線」をふくめて「公理」などの「数学の規則」はアプリオリなものだ、というのである。だが、果たしてそうか?

 この問題でも養老氏は、自らのアプリオリ説を無意識のうちに否定する唯物論者としての顔を少しだけ覗かせる。「線」や「図形」の「形成」は、網膜に敷きつめられた「視細胞とよばれる光受容細胞」が光によって「興奮」することから始まるとか、「ユークリッドは、……視覚系で生じる出来事を、公理という形に整理して述べた」とかと言っているのだから。光による視細胞の興奮や「視覚系で生じる出来事」は、決して「脳内」でのみ起こる現象ではなく、外界からの刺激によって生じるのである。大きさを持たず単に「位置」だけを持つ「点」が一つの抽象であるのと同様、終始同一方向をもつ線としての「直線」も抽象であって、それ自体として外界に存在するわけではないのは当然である。だが、「視細胞」を「直線」的に刺激するもの、例えば真っ直ぐに伸びた木や雲間から差し込む一筋の光、あるいは水平線など、「直線」として抽象される前提となるものが外界にはあるのだ。

 「数学の規則」は確かに抽象的であり、それ自身が外界に「実体」として存在するのではない。また、外界は確かに「フラクタル」なものとしてあるだろう。しかし、その「フラクタル」なものの中に隠れて「規則性」は“ある”のだ。無規則に見える外界の諸現象が情報源となり刺激となって受容器に取り入れられ、「脳」に送られて、その結果、そこに隠れている「規則性」が見えてくるということだ。『ニュートン』はこの過程を次のように説明している。視細胞が受けた刺激は大脳後頭葉の「一次視覚野」に届き、「情報はその後、側頭葉に向かって進む」。「図形に対応するコラム(大脳皮質にある円柱状の微細構造)が反応」し、「物体の輪郭や模様が再現されるようになる」。「似ているものに共通して反応するコラムのセットが、学習によって側頭葉につくられていくことが、物体の概念をつくるメカニズムかもしれない」と。要するに、「規則」や「概念」や「言語」などは、それ自体として外界に“存在する”のではないが、個別・具体的なものに内在する“類似性”や“共通性”“反復性”などとして、外界に存在するのだ。それらが「脳の中」にあるのは、アプリオリにではなく、外界にあるものを前提とし情報源としているからであり、いわば脳がそれらを“抽象”するからである。

 「時間」の観念についての養老氏の次の指摘は興味深い。氏は「時の観念は、いかにして発生したか」を問題にして、「自然界」における「変化と繰り返し」を前提として「発生」したと言っているからである。「時間を基礎的に特徴づけるものは二つある。一つは変化であり、もう一つは繰り返しである。……生物にとって、変化と繰り返しは、事実具体的に存在した。自然界では、変化は絶えず生じ続けたであろう。同時に地球の自転すなわち太陽の運行は、日々繰り返される。こうした外界の変化と繰り返しは、日周運動としてわれわれの体に記録され、例えば睡眠の周期を引き起こす。……もっと短い時間は、……たとえば脈拍すなわち心臓の鼓動として現れる。前頭葉には時計細胞と呼ばれるものが存在するらしい。一定の時間間隔で放電するからである」と。「時間」は、単に「観念」としてだけでなく、「言語」として、あるいは「概念」としてある。養老氏は、先には「言語」や「概念」はアプリオリなものだと言った。しかし、ここでは「時間」を「自然界」における「変化と繰り返し」の“反映”だと、事実上、説明しているのである。いったいどちらが本当なのか?

 かつて、カントは「時間」や「空間」をアプリオリに存在する「直感の形式」と呼び、「時間は外的現象のいかなる性質でもありえない」とか「幾何学は空間の諸性質を……先天的に規定する学である」とかと言った。養老氏は、カントと同様の自らの観念論を自身の手で批判しているのである。

◆7、意識の発生は「内的必然」?

 養老氏によれば、「意識」とは「知る」ということであり、それは「脳の機能」である。とはいえ氏にとってそれは、「脳が脳のことを知る」という「アナロジー」なのだが。氏は言う、「意識が脳の機能だとすれば、その発生には、なにか生物学的な必然性がなければおかしい」。「そうした必然性は、ふつう考えられているような、外界への適応という『外的必然性』だけではない。……生体内における『内的必然性』もまた、きわめて重要である」と。氏はここで、「意識」すなわち「脳の機能」の「発生」には「外界への適応という『外的必然性』」があったかのような表現をしている。だが、実際には「生体内における『内的必然性』」こそ「重要である」と言って、次のような説明をする。

 一般に「末梢を十分支配しない神経細胞は死ぬ」という「法則」がある(“使われない頭や筋肉は衰える”と似た意味で理解すればよいか……O)。「末梢、つまり知覚系で言えば、目や耳や鼻、あるいは皮膚の面積が大きくなる(?……O)なら、神経細胞はむろん増加してよい。支配域が増えるからである。しかし、ヒトの場合には、そういうことが起こったわけではない(?……二足歩行による手の解放といった「外的必然性」はどうなのか?……O)。とすれば、脳はある意味では、自前で大きくなったわけで、それが可能であるためには、そこになにかのトリックがなければならない」と。「そこでどうしても考えたくなるのが、『意識』の存在である」と氏は言う。養老氏が言っていることはこういうことだ。「脳」、つまり脳の神経細胞は……「自前で大きくなった」が、それは「意識」が存在したからである。だがこの「意識」は、神経細胞の維持が「脳の自前の、あるいは自慰的な活動」すなわち「意識」に「依存するようになった時」に「発生した」と。氏は、「意識の発生」を「意識の存在」によって説明しているのである。「要するに、脳にとってみれば、自分自身が成立していくために必要なことを自分がやっているだけのことだ」と。何と「自慰的な」「解剖学者」であることか!

 「末梢を十分支配しない神経細胞は死ぬ」という「法則」がわれわれに教えていることは次のことであろう。「脳の機能」や「意識」は外界からの入力によって刺激される「末梢」と不可分だということ、「末梢」と結びつかない神経細胞すなわち「脳」は衰えると言うこと、したがって脳は決して「自前で大きくなった」わけではないということである。もちろん「神経細胞が脳の中で……おたがいどうしつながり合う」ということ自身が一定の「末梢」または「刺激」として働くという「内的必然性」もあるかもしれないが。

◆8、聴覚(音)と視覚(光)の「結合」は「脳の都合」?

 養老氏は、「ヒトを特徴付けるのは、言語である」と言う。そして、氏によれば、言語は脳が「自前で」アプリオリに作り出したものであった。だが他方で氏は、「言語が発生にいたる生物学的・機構的な必然性」を問題にし、それは「脳の発達の問題」であると言う。なお、「言語には視覚の言語と聴覚の言語とがある(さらに言うなら、点字は触覚の言語と言ってもいい)」、「生物学的な能力から言えば、視覚言語は聴覚言語と同時に用意されていた」。氏はこのように言い、さらに次のような説明をしてくれる。

 「外界の事物は、ただなにげなくそこに存在している。(「物自体」として? 空間的・時間的に多様な属性を持った“統一体”つまり“運動体”として存在しているのではないか?……O)。しかしわれわれの脳はそれを、聴覚や運動系に依存して、時を含めて取り込む。あるいは視覚系に依存して、時を外して取り込む。この二つが脳の中で『連合』するのは、そう簡単ではなかろう」。「自然界で、音と光が「連合」することはあまりない(そうかなあ? 雷は「音と光が『連合』」した自然現象ではないのか?……O)。雷は生きるためには不要だし……(?……O)……生物が生きている自然の環境で、音と光は必然的に結びつくものではない。両者が異質であったからこそ、光と音に対する受容器、すなわち目と耳とは独立に発生し、進化した。両者の連合に関して、強い外的な必然性がなかったとすれば、あとは内的な必然性である。聴覚と視覚とは、いわば脳の都合で結合したのであり、その結合の延長上にヒトの言語が成立しているはずである」云々。

 氏にとって、「外界の事物は、ただなにげなくそこに存在している」。つまり不可知なあるものとして、「物自体」として存在している。「光と音に対する受容器、すなわち目と耳」は、外界における両者の「異質」性を反映して「独立に発生し、進化した」が、両者の「結合」は「脳の都合」によってである。つまり、外界の現象である「雷」は音と光がもともと「連合」したものとしてあるのではなく、「ただなにげなくそこに存在している」だけである。音と光の「結合」や、両者が結合した「雷」という言語は「脳の都合」で成立したものであって、外界自身の現象を反映しているのではない。これは紛れもなく、「恥ずかしがり屋の唯物論者」=カントのものである。

◆9、弁証法(矛盾)の否定

@「ツェノンの逆理」

 聴覚と視覚の「結合」ということに関連して、養老氏は「ツェノンの逆理」を問題にしている。これは、運動や弁証法を考える上で参考になる。

 「『飛んでいる矢は止まっている』というツェノンの逆理」は、「まさしく視覚における考察を、聴覚−運動系に対して提示して見せたものである。空間に矢が位置しているということは、ある特定の座標を占めているということである。ある特定の座標を占めているものを、いくらつないで見ても『運動』は生じないではないか。運動は時間性を内在しているからである。これは、視覚が発する聴覚−運動系への問い掛けと言ってもよい」。「ひょっとすると、ヒトの脳は、視覚と聴覚という本来つなぎにくいものを、いわば『無理に』つないだのではないか」と。

 氏は、さらに次のように言う。「視覚は時間を阻害あるいは客観化し、聴覚は時間を前提あるいは内在化する」。視覚と聴覚の関係は、「構造と機能の関係に……似ている。構造では時間が量子化され、機能では流れる。構造と機能という、この二つの観念がそもそもヒトの頭の中に生じるのは、いわば脳の視覚的要素と聴覚的要素の分離ではないのか。構造と機能とは、どう考えても、同じ要素の異なる面だと思われるからである。同じ要素をヒトの都合で二つに割っている」。

 つまり、こういうことだろう。ヒトは、外界で運動しているもの(「飛んでいる矢」)を認識する場合、それを、時間的属性を捨象した「視覚的要素」と空間的属性を捨象した「聴覚的要素」とに「分離」してとらえる(これは“認識”にとっては避けられないことだ)。「ツェノンの逆理」は、養老氏が言うように「視覚と聴覚という本来つなぎにくいものを、いわば『無理に』つないだ」というより、本来“つないで”とらえるべきものを「分離」したままとらえようとしたからこそ生じたと言えよう。あるいは、時間的・空間的な属性の“統一体”すなわち“運動体”である「矢」を「視覚的要素」だけで語ろうとしている「無理」が「逆理」の表現にはあるということだろう。「逆理」の表現は、パルメニデスの不変不滅の「存在」説を擁護し「運動」を否定するために語られたことを表している。とはいえ、“空間の一点に存在しかつ存在しない”という「矛盾」は運動体としての「飛ぶ矢」の本質であって、「ヒトの脳」が聴覚と視覚とを勝手に「結合」したものでも、在ってはならないこととして排除すべきものでもない。

A「粒子と波動」

 養老氏は言う。「ツェノンの逆理」のような「『無理』が、意識的な考察の中では年中顔を出す。われわれは聴覚言語と視覚言語の統一を当然だと考えている。当然だと思っているからこそ、そこに心身論、構造と機能、粒子と波動といった逆理が顔を出す。その意味では、この二つの統一は、……むしろ『当然ではない』と思うべきなのである」と。

 養老氏によれば、「光は粒子でもあり波動でもある。……視覚系の脳の方から話を詰めれば粒子だが、聴覚系の脳の方から話を詰めれば波動になる」。これは「ツェノンの逆理」と同様に「無理」な「統一」であって、「『当然ではない』と思うべき」だ、と。しかし、「「粒子でもあり波動でもある」というのは、単に「脳の都合」で「無理に」両者を結合したというものではない。「光」そのものがもつ性質を反映して脳が表現したものだ。つまり「粒子でもあり波動でもある」という「逆理」は「光」自体の客観的な性質であり、「当然」と「思うべきなのである」。養老氏はここで「逆理」の客観性を、つまり弁証法を否定しているのだ。「逆理」はあってはならないもの、「二つ(対立物……O)の統一」は「当然ではない」と。

 事実は、次のように言えるのではないか? まず、外界に運動する物質がある。それをヒトは、視覚系や聴覚系の感覚を通して取り込んで認識する。本来「運動体」として「統一」されているものを脳に取り込む際には、対象としての運動体がもつ属性を「二つ」に分離・固定する。外界の運動体を改めて「意識的」・言語的に“再生産”すると、両者は「逆理」として「統一」されるのである。ここには一定の「無理」(矛盾……O)があるが、この「無理」すなわち“矛盾”は外界の世界の、客観的でより本質的な姿を反映しているのであり、いわば「当然」のことなのだ、と。

◆10、「普遍とは、ヒトの脳である」?=経験論的不可知論

 「私がすべてを脳に戻そうとするのは、そして『内容』ではなく『形式』を説くのは、そこに『普遍』を追求するからである。最後の普遍とは、ヒトの脳である。なにをその中に詰め込もうと、所詮われわれは『脳において思考するという形式』から逃れることはできない。……ヒトは意識『内容』の正否をめぐって、戦いを繰り返した。それは無意味であり、不幸である。……問題は思想の正否ではない」。

 養老氏は、「ヒトのあらゆる活動は、脳の刻印を帯びる」という「形式」を理由に、「脳の刻印」を受けた「意識」や「科学」や「思想」といった「内容」の「正否」について語ることは「無意味」であると言う。ガリレオやニュートンの力学は「客観的な世界における真理」だと言われるが、そんな証拠はない、「すべては、われわれの脳が説明すること」だからである、と。また、「あらゆる科学は脳の法則性の支配下にある」とも言う。確かに、「科学」あるいは一般に「認識」は、「脳」の働きと不可分(「脳が説明すると」)であり、したがって「脳」の影響を排除できないということは事実だ。だが、だからと言って「脳が説明した」科学や認識の「内容」の正否(客観的真理か否か)を問えないと言うことにはならない。天動説も地動説も、共に「脳が説明した」ものという理由で、その正否を問えないとすれば、科学はいったい何のためにあるのか。

 「脳」を「普遍」と呼んで絶対化する養老氏は、経験論者としての自分を暴露する。「私は、ヒトが経験から学ぶことを認める。その点では、進化論的認識論の主張者たちと同じ意見である。しかし、四十億年は、私の経験にはない。私がこうした長年月を考えることができるのは、アナロジーによる」。「ヒトが四十億年の経過について、『経験的に正しい』結論を出せるはずがない。それは全く『経験外』だからである」。「私はヒトだから、等身大しか信じない。それ以上も以下も、たぶん誇張である」。「ダーウィンと教会の衝突の深層は何か。それは、古き『等身大以上』の思想、すなわち神と、新しい『等身大以上』すなわち『ヒトを含む生物全体の歴史を説明する原理』との衝突だったのである」。養老氏は、「等身大以上」の思想、つまり「経験外」のことに言及しているという理由で、キリスト教(宗教)もダーウィンの進化論も、そして力学の「客観的真理」も皆“同じ”ものととみなし、これらを「信じない」と言うのである。「私の経験」外のことを「等身大以上」のこととして否定する氏は、明らかに経験論的不可知論者である。

 経験論は、キリスト教的神秘主義を否定して出てきた当初は進歩的な思想であった。それは、天井の世界に向けられていた人々の意識を地上の、現実の世界に向けるものであった。だが、進化論も宗教も同一視する養老氏のそれは、認識内容を「経験」だけに限定するものであり、マルクス主義的唯物論と敵対するようになった後の経験論と同じものであり、きわめて反動的なものと言わざるを得ない。

 整理しよう。「唯脳論では、あらゆる存在は、外界にあるか、あるいは脳内にあるとする」――このように養老氏が言うとき、氏は二元論者である。「脳内にある存在」と「外界にある存在」とを同じ次元でみる。また、両者を絶対的に分離し、前者を後者の「反映」とはみない。このことの不可避的な結果なのだが、「脳内にある存在」である諸々の「形式」は、「外界にある存在」である「内容」を知ること(認識すること)ができないと言う。――だから氏は不可知論者である。外界を知るための“媒介器官”であるはずの脳は、その媒介性ゆえに(「脳の刻印」を受けているということゆえに)、外界との“壁”になってしまうのである。また、「脳に起こることだけが存在する」と言うとき、――氏は一元論的な観念論者である。ここでは、すべての思想は(唯物論も観念論も宗教も)「脳」を媒介にしているという「形式」の共通性を理由に、脳の中で“融解”され、区別が解消されてしまうのである。

◆11、「脳において思考するという形式」と抽象的概念とへの収斂

 すべての思想内容の区別が解消されるということは、実際にはどういうことか。第一にそれは唯物論が否定されるということである。意識や経験から独立した客観的な世界の存在とそれの認識可能性を主張する(従って客観的な世界の姿=「真理」を基準にして思想内容の正否を問えるとする)唯物論は、明らかに「等身大以上」の思想であり、「唯脳論」とは相容れないからである。第二にそれは逆に、観念論や宗教が容認されるということである。「経験外」のことに言及する宗教などはやはり「等身大以上の思想」ではあるのだが、「普遍」的な「脳」の中で生み出されるもの(実際にはこれらも外界の状況を反映しているのだが)であり、唯物論(科学)によって否定され得ない“不可侵”のものだからである。だから、養老氏は宗教を容認して言う。―「ヒトは、実証不能な観念にすら頼りたくなるほどに、弱いものである……。だから、ヒトから、シンボルの一つである宗教を切り離すことはできない」と。すべてのヒトが宗教に頼りたくなるほど「弱いもの」であるわけではない。「弱い」のは氏自身の“理論”であり、氏自身であろう。

 ところで、認識内容の区別や正否を「無意味」とし、すべてを「脳」(形式)に収斂するということは、区別(デジタル化)を不可欠の契機としている科学的な思考を否定するということを意味する。そして、すべてを空虚な、あるいはアナログ的な、抽象の世界へ戻してしまうことを意味する。養老氏が、「成る」という抽象的な概念に魅力を感じるのはそのためである。氏は、「成る」という概念を押し出したと言う理由で、「今西進化論」や丸山真男の『歴史意識の古層』に親近感を覚えて次のように言う。

 「今西氏によれば、生物は変わるべくして変わる。……新しい種は『なるべくしてなる』のである」と。また、「古代日本人の原イメージ」に関する丸山説の中には「今西説の系統発生」がある、と。そして次のような丸山の解説を引用している。「『生・成・変・化・為・産・実などがいずれも昔から“なる”と訓ぜられ、それらの意味をすべて包含してきたということは必ずしもたんに日本語の未分化とか、漢字本来の意味への無関心というだけでは片付けられない。古代日本人にとって、これらの意味すべてを包含する“なる”のいわば原イメージがあったのではないか』」と。要するに、今西も丸山も「成る」という抽象的な概念にすべてを収斂しているというわけだ。

 世界は永遠不変なものが「在る」のでも「無」に帰するのでもなく、「成る」のだという、一見、弁証法的な概念が持ち出される。だが、それは生物の進化や歴史的運動等々の具体性を包含した概念ではなく、具体的な進化や歴史の区別を解消した抽象的な概念である。「古代日本人」が「成る」という運動の相において世界をとらえたというのは事実だろう。同様に古代ギリシャの自然哲学者たちも「万物は流転する」などと唱えたし、インドや中国においても「空」とか「気」といった概念を用いて運動の契機を表現した。だから、世界を運動の相において見たのは何も「日本人」だけではない。これらの概念には確かに弁証法的な面が反映している。だが、いずれも素朴な直感を基にしたものであり、一切の区別や対立を解消した“抽象的な普遍”の概念でしかない。だから、これらの概念は容易に宗教的な観念と結びついていったし、または宗教的観念の契機として用いられたのである。科学の未発展な段階ではそれはやむをえなかったことであろう。しかし、科学が進歩した現代において、わざわざ「成る」といった“抽象的な普遍”の概念を持ち出して、そこに「すべてを収斂する」とは! このことの背後には、時代の反動化とこれを反映した養老氏の反動的な意図が隠されている。

 「成る」という概念は今、反動的な現実の世界を「成るべくして成った」と正当化するための擬似弁証法的概念に転化する。実際、養老氏は、「今西進化論」は戦前の京都学派(「世界は種社会からなる」と言って『国体の本義』と説いた田辺元)の影響を受けているとの「岸由二氏の指摘」を挙げている。また、「成っていく過程の結果として両性の違いが出来た」という発想についての丸山の指摘を挙げている。要するに、日本帝国主義の「国体」も男女の役割分担も、「成るべくして成った」というわけである。すべてを「成る」に収斂する思想の反動性は明らかであろう。

 また、養老氏は言う。「今西進化論こそ、まさしくわれわれの『歴史意識の古層』である。岸氏の言うように、それが『敗戦後』の経済成長による『日本の復権』とともに、一種の反アングロサクソン感情と結託して、『突然』あるいはひょっとすると『半意図的に』、流行することになったのも不思議ではない。われわれの認識が伝統に影響される(? 認識は「自前」だったのでは?……O)のは当然のことである」。と。養老氏は、一方で「アングロサクソンが正しいか、日本が正しいかではない。普遍とはなにか、なのである」などといっている。しかし、すべてを抽象的な「普遍」に収斂し、科学的な思考を否定する氏の立場が、デジタル的・自然科学的な「西洋の思想」より、アナログ的で“あいまい”な “日本的なもの”の方に接近するのは避けられない。ここには、反動的なエスノセントリズム=日本民族主義が顔を出している。また、「現代社会」が抱える諸矛盾の根源を科学の発展自体に求めて資本主義社会の反動化を免罪にしたり、非弁証法的(機械的)な思考方法の限界を科学自体の限界として宗教を弁護したりする、プチブル的な風潮と通底するものがある。

◆12、諸矛盾の原因は「脳化」にあり?

 「脳に起こることだけが存在する」とか「最後の普遍とは、ヒトの脳である」などと言って、「脳」を絶対化してきた養老氏は、最後に来て「脳」を貶める。「現代社会」が抱える諸矛盾の原因を「脳化」に求めるからである。科学を否定する養老氏が、科学を担ってきた「脳」に諸矛盾の責任を転嫁し、これを貶めるのは、けだし当然ではある。

 氏は言う。「進化の過程で、脊椎動物は『脳化』と呼ばれる方向に進んできた。より新しい型の動物は、より大きな脳を持つ。……これが脳化である」、「現代とは、要するに脳の時代である。情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。脳は、典型的な情報機関だからである。都会とは、要するに脳の産物である。あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり脳の産物に他ならない。……われわれの遠い祖先は、……『自然の中に』住んでいたわけだが、現代人はいわば脳の中に住む」と。「人工物」は「脳機能」を媒介にしている、都会には人工物が多い、だから都市化が進んだ今、われわれは「脳の中に住んでいる」というのは、カリカチュアとしてはいい。だが、「産物」、つまり生まれ出た子(「都会」)は、すでに子宮(「脳」)の外にいる(ある)のであって、したがって「現代人」も「脳の中に住んでいる」はずがない。もちろん氏はここで、「都市」または「現代社会」が抱える諸矛盾について言いたいのである。

 「現代の社会は、徹底的にヒトを管理する。なぜなら、われわれは脳化を善とするからである。脳化を進歩とするからである」。「ヒトの社会は、その成立の最初から脳化を目指していた。社会が支配と統御に尽きる(?……O)のは、そのためである。……。資本家対労働者では……ありえない。そうした思想は、すべてピントはずれである……」云々。

 これはいったい、どういうことだ! 「脳化」が「進化の過程」で必然的に現れたものであり、「社会」が「その成立の最初から脳化を目指していた」というのであれば、そして「そのため」に「支配と統御」があるのだとすれば、「脳化」を「善とする」か「進歩とする」かに関係なく、「ヒトを管理する」状態や「支配と統御」は避けられないということではないか。とにかく養老氏は、「管理」や「支配」は「脳化」のためであって、「資本家対労働者」の関係の問題、つまり階級対立の問題では「ありえない」というのである。こうして氏は、階級対立がもたらす諸問題を「脳化」という“避けられない”問題に解消してしまうのだ。

 次に養老氏は言う。「脳化=社会」は「身体性」(性と暴力)を「抑圧」し、「死」を「隠し」、「禁忌」する、と。これはどういうことか? 確かに階級社会においては「性と暴力」への「抑圧」がある。だがそれは、例えば家制度の存続とか階級社会の維持とかといった問題と関係しているのであって、単に「脳」や「社会」一般が、あるいは「脳化」が「性と暴力」を抑圧する訳ではない。また、現代社会は確かに「死を隠す」あるいは「禁忌」するといえるかもしれない。人は多くの場合、家族から離れて病院で死を迎え、「直ちに焼か」れる。かつての共同体社会でのように死を社会の成員みなで受容するようなことはしなくなった。そういう意味で現代社会は「死」を「隠し」、「禁忌」する。だがこれは、医療の進歩や人の個人化、核家族化、あるいは不生産的なものの排除といった、ブルジョア社会のあり方と不可分の問題であって、「脳化」といったことのためではない。養老氏は、現代ブルジョア社会が抱える諸矛盾の原因や背景を具体的・社会的に分析するのではなく、すべてを“避けられない”「脳化」のせいにするのである。こうして氏は事実上、諸矛盾の温存に加担するのだ。

◆13、「脳の身体性」

 養老氏にとって、「意識」はもちろん人間の社会も「脳の産物」であった。「脳」は外界からの侵入(反映)を許さぬものであり、その子(地図・言語・数学・意識あるいは都会など)を「自前で」、つまり受精することなく懐妊し、産み出した。しかも、産み出してからもなお自分(「脳」)の「中に」その子を住まわせるほどに絶対的な存在であった。だが、氏は言う。「ヒトがその環境をいかに脳の産物で置き換えていったとしても、最後に残る『非―人工物』が一つだけある。……。それは人体そのもの(死体)である。そして、脳は紛れもなく、その人体の一部である」と。解剖学者である養老氏は、「脳の身体性」つまり「脳」は「人体の一部」であることを認めざるを得ない。「脳はその発生母体である身体によって、最後に必ず滅ぼされる(抑圧された身体の脳への「反逆」だ、と氏は言う……O)。それが死である」と。養老氏は、ようやく目が覚めたらしく、最後に再び、常識的な唯物論者に戻ったのである。

 だが、「脳に起こることだけが存在する」と言ってきた養老氏は、「脳は身体の一部である」というここでの唯物論的な自分の言明を「正しい」と主張するのであろうか、それともやはり「不可知」だと言うのであろうか……?

(小幡芳久)●『海つばめ』第1020号2006年7月2日、第1021号2006年7月16日


伝統文化への復帰を説く――
養老孟司『死の壁』を読む

 出す本、出す本がヒットし、今や出版社から引っ張りだこになっている養老孟司の『死の壁』(新潮新書)を読んだ。本書もすでにこの二年間で二十六刷だというが、『バカの壁』など養老の数あるベストセラーの中から本書を選んだのも筆者が六〇代半ばになったせいか。

◆変化する自分、不変の情報?

 養老の主張したいことは、最初の二、三章と終章でほとんど言い尽くされていると思う。彼はおおよそ次のように言うのだ。

 人が死ぬということは、自然の摂理である。それをどうこう考えてじたばたしても仕様がない。昔はそのことが分かっており、また人の死には共同体のルールがあった。ところが近代化や都市化は人の死を他人の目から隠し、個人的なものに変えてしまうと同時に、人は「自分は自分」であり「何で死ななきゃならねえんだ」と考えるようになった。人が死ぬということを想定していない証拠に、たとえば団地などでは棺桶を下まで降ろすのに非常に苦労する。だから現代人は自分が死ぬことを自覚するとうろたえて、死の恐怖をいかにして克服するかとか、死後の魂はどうなるのかなどと大騒ぎをすることになる。しかし自分にとって自分の死は絶対に経験できないことなので、私は自分の死について考えないし、死の恐怖も感じない。考えても無駄なのだから。

 これが養老の主張の要約だ。養老の主張は案外常識的であって、「逃げず、怖れず、考えた」とある宣伝文句のわりには、期待外れといった感じである。しかし養老が主張するように、現代人は自分は死なないものだと考えたりしているだろうか。養老によると、人間の脳や身体も日々変化するのに、情報というものは、たとえばテープで録音したお喋りは何年たっても変化しないように、不変である。ところが近代以降は、逆に私は変わらないのに世の中の情報は変わっていくと考えるようになった。言ってみれば脳中心の社会になったのであり、これが養老のいう「情報化社会」であり「西洋近代的自我」なのである。ここから“妙な勘違い”が生まれたという。

 つまり「情報はローマ時代から残っているのに自分は死ななくてはならないということが納得できないのではないか。『変わらない自分』が存在しているのに、どうしてそれが死ななくてはならないのか、ということです。昔の人もこの矛盾もしくは理不尽に気づいていました。だから魂という概念をつくり出した。……しかし近代に入ると、科学はその『魂』という考え方を否定してしまった。……さあこうなると答がなくなってしまいます。『魂は無い。でも俺の意識は不死身なはずだ』では矛盾してしまいます。そこでどうなったかといえば、『何が何でも死なない』という常識が出てきたのです」

 しかし養老のこの主張は正しいだろうか。情報は不変だと養老はいうが、情報こそ変化するものではないか。現代は新しい情報がどんどん入ってくることによって最新の情報もたちまち古くなる。同一の事象に対しても数多くの情報が氾濫し一体どれを信じていいのか分からないといった具合である。変化し多様なのは情報の方なのである。

 それに「意識が不死身」とは、魂の不死ということではないか。昔の人が「魂という概念をつくり出した」のは「変わらない自分」に執着したからではない。古代人は人間の死を、他の生物の死と同様に自然なことと考えた。人の死は共同体の存続との関わりの中で共同体の重要な任務とされていた。エンゲルスは『フォイエルバッハ論』の中で次のように述べている、「はるか大昔の時代には、人間は自分の身体の構造について全く無知であり、かつ夢に現れるいろいろなことに刺激されて、思惟と感覚とは自分の身体の活動ではなく、或る特別な身体の中に宿っていて死んだときに身体から離れていく霊魂というものの活動であるという考えに達した」。現代人とは違って死を自然の摂理と考えていた大昔の人々にとって、魂の扱いは「やっかい」な問題であり、その解法として「霊魂不滅の観念が生まれたのである」(青木文庫二七頁)

 「どうして自分が死ななくてはならないのか」というような、自分の死に対する強烈な意識は、人間が共同体から切り離され、孤立した存在になった近代の産物だ。現在の宗教の繁栄ぶりや霊界論の流行をみると、現代人が自分の死にこだわっているのがよくわかる。“死の壁”の向こうが、底無しの虚無であっては、孤独な現代人の意識は耐えられないのだ。“死の壁”の向こうに生の延長を見たいという衝動が現代のいかがわしい“精神世界”論や臨死体験等の流行の一つの理由であろう。

 養老は、自分の死は経験できないのだからそんな実体のないものを怖がるのはナンセンスだという。これは古代ギリシャのエピクロスが、人間が生きている間はいまだ死はなく死が来たときには人はすでにない、だから死は自分にとって何ものでもない、と述べて以来有名になった理屈である。エピクロスはこの理論でもって、人間にとって心の平静を乱す最大の要因である死の恐怖を取り除こうとしたのである。

◆ヘレニズム時代に似ている現代

 エピクロスの理論がヘレニズム時代のギリシャで流行したのは、アレキサンダーの征服によってギリシャの諸ポリスが政治的自由を失うと同時にその後の後継者戦争によってギリシャ世界が戦乱の巷と化したからである。ポリスの市民たちはこれまでのような政治や社会に対する関心を失い、ひたすら自己の心の平安を求める、救いの哲学へ引きつけられていった(日本の『方丈記』や『平家物語』の仏教的な諦念の世界観も同じ状況から生まれた)。こうした状況の延長の中から、やがて救いの哲学の完成としてキリスト教が出現するのである。現代の日本は当時のポリス社会のような戦乱があるわけではないが、社会の行き詰まりや政治の退廃に直面している点は同じである。

 人間は“社会的動物”であると喝破したのはアリストテレスであるが、彼は本来“ポリス的動物”といったのである。この言葉でアリストテレスは、アテネの市民はポリスなくしては生きていけない存在だと言おうとしたのだ。アリストテレスにとって人間とはギリシャ人であり、特にアテネの市民であった。アテネ市民にとってはポリスが全てであり、アリストテレスの政治論も倫理説もアテネ市民のポリス共同体の枠を超えるものではなかった。そのためアレキサンダーによってギリシャの諸ポリスが征服されコスモポリス(世界国家)が成立したとき、アリストテレスの政治学や倫理説もその存在根拠を失い、エピクロス派やストア派の個人主義的倫理や世界市民の哲学が興ったのである。

 ここでは養老の、共同体についての考えを詳しく紹介できなかったが、社会は人の生死に関わることは伝統的な共同体の仕事であったとして、共同体のルールを強調している。ところが本書の読者がもっとも関心を寄せる生死の問題に関しては「正解はない」とか「答えを求める行為それ自体に意味がある」などと読者を煙に巻くのだ。

 しかし社会的存在である人間は、社会(広い意味での共同体)なしには“人間”になりえない。人間は自己の属する階級や身分、集団といった社会のなかで人生の意味や生きがい、理想等を学び身につけていくのである。現代人がことさら生きる意味を求め生きがいに迷っているのは、この資本主義社会が人生の意味づけや理想を与えられないからだ。養老のように、「わからないから面白い」などと言って済ましていられるのは人生を真剣に考えることを放棄したインテリの言うことである。

◆人間は蝿の仲間かロケットの仲間か

 養老は「なぜ人や生き物を殺してはいけないのか」と問う。彼はここで二〇〇三年に成功した中国の有人宇宙船の発射を例に出し、それと蝿や蚊の飛行とを比較する。「飛ぶだけなら蝿でも飛ぶ。あんなでっかいものが飛んだというが、ロケットは計算された通りにしか飛ばない。しかし蝿や蚊は自分たちの思った通りのところに着地する。計算通りにしか飛ばないロケットとどちらが凄いのか。そう言われて悔しかったら実際に蝿や蚊を作ってみろ、と言いたくなる。人間はロケットを作ったが、蝿や蚊は作れない、お手上げです。ロケットを飛ばすには非常に複雑な計算をしなければならないが、人間は『自分の告別式の日』さえ計算できない。自分の告別式の日さえ分からない人間が平気で蝿や蚊を叩き潰している。殺された生き物は元に戻らない」。これが人や生き物を殺してはならない理由である、と養老はいう。

 ここに養老の議論の特徴がよく現れている。人工物のロケットと自然に棲息する蝿や蚊とを比較するなとは言わないが、比較するとすればどんな基準でやるかだ。一般的に「どちらがすごいか」といっても答えようがない。飛ぶ距離をいえばロケットの方が遥かに上だし、蝿叩きで蝿は殺せるが、そんなものではロケットを破壊することはできない。着地にしたって蝿の本能と人間が操作するロケットでは内容が異なる。もちろん人間は「自分の告別式」を予想できないが、しかしそれは有人宇宙船を作った人類の科学的能力とは次元の違う問題だ。

 彼は直接には比較の対象にならない範疇の概念を並べて強引にそれらを関連づける、そしてそうゆう比較に何か深い意味があるかのようにもったい振るのだ。そうやって読者をびっくりさせたところで自分の勝手な論理を読者に押し付ける、これが養老のやり方である。

 さて彼の結論であるが、彼は次のように述べる。

 「人間は蝿や蚊の仲間か、それともロケットの仲間か。考えてみればすぐわかる。ところが、これをロケットのほうだと勘違いしている人がいるのではないか」「生きているものは殺したら二度と作れない。だからこそ仏教では無闇な殺生を戒めてきた。人間は何らかの形で生き物の犠牲のうえで生活しているのだから、私たちの誰もがそうゆう罪深い存在であることを自覚すべきである。生命という高度なシステムを生み出した自然に対して畏敬の念を持つべきなのだ」

 養老はヒマラヤの仏教国ブータンの例まで出してしきりに不殺生の教えを実践している人々を称賛するが、しかし現実に仏教徒も殺し合っていることは語らない(タイ南部ではイスラム教徒とスリランカではヒンズー教徒と)。歴史的にも仏教徒も、他の宗教や仏教徒団どうし、政治権力とさえ争闘を繰り返してきたのである。無闇な殺生を戒めることぐらい、どの宗教も説いていることだ。問題は、それにもかかわらず宗教の名において殺戮が行われるということである。

 彼はこの問題に答えるに、一転して今度はその理由をルネッサンス以来の「人間中心主義」に求める。彼は次のように説明する。中世のカトリックの場合まだ仏教のような土俗的なところが残っていて自然と人間とのつながりがあったが、ルネッサンスで人間中心になって西洋文明は「自分の思い通りになることが、一番価値あることだという思想を押し通してきた」。罪は人間中心の西洋文明にあるのであり、全ての生命に対する畏敬の念を説く仏教の教えに帰らねばならない、というのだ。

 何のことはない、冒頭で「死にまつわる問題をさまざまな形で取り上げています。それは生きていくうえで決して避けられない問題なのです」などと大上段に構えて読者に期待を抱かせながら大山鳴動ネズミ一匹、出てきた結論は、西洋文明と決別して仏教や日本のよき伝統に帰れ、という相も変わらぬ伝統文化の尊重なのである。

◆死んだらみな平等

 本書ではさまざまなテーマが生死の問題に関連して取り上げられているが、養老のこの保守性はいたるところに現れている。たとえば靖国問題については次のように述べている。「靖国神社についても色々いわれていますが、私たちの文化では死んだら平等、戦犯も何もないということは不思議なことではないのです。それが証拠にお墓はほとんど同じようなものです」

 しかし墓が同じだということは少しも戦犯の罪を免責することにはならない。死んだら平等などということは権力者や反動派に都合のいい理屈であり、こんなことを日本の文化だなどと言われては庶民はいい迷惑である。養老は、日本人は「戦犯も死んだらホトケさま」ぐらいにしか思っていないから「乃木神社、東郷神社のように、軍人も死んだら神様としておまいりすることができる」のに、中国人は「墓を暴いて死者に鞭打つ」という人間観を持っているから、両国に対立や行き違いが起こるなどと勝手な理屈をこねる。

 養老は靖国神社や乃木神社、東郷神社などが天皇や国家権力のために進んで死地に赴く国民を作るために建てられたことには全く言及せずに(本人はこの位のことは知っているはずだ)、靖国問題やA級戦犯問題を死生観、人間観の「文化の違い」にすり替えてしまうのである。養老ほど小泉や反動派にとって都合のいい(何しろ人気ものだ)インテリはいないのである。

 さらに養老は戦争の原因について次のように述べる。

 「第一次大戦には、ヨーロッパが二十世紀になって最初に都市化したときに発生した余剰人口を片付けるという意味があったのではないでしょうか。年寄りが社会の体制をガッチリと抑えてしまって、そこに若い人が増えても仕事がない。そうゆうときに一番簡単な方法は、戦争を起こして一定の人数を殺してしまうことなのです。……それでもまだ片付け切れないから、またやった。それが第二次大戦だったのではないでしょうか」

 戦争が結果として人減らしになることは事実だが、人減らしが戦争の原因とは、これまたおそろしく転倒した論理だ。養老は一方で「日本は本当の意味で太平洋戦争の総括」つまり損得計算、戦争の収支決算をいまだにしていない、と憤っているが、単なる人減らしで国土や国家を目茶目茶にされたら損得計算上は全く割に合わないではないか。養老の、こうゆう皮相な議論を聞くとつくづく学者は自分の専門を守るに越したことはないと思わずにはいられない。そうすれば、養老のように恥の上塗りをせずにすむのだから。

◆幸徳秋水の死生観

 さてそろそろ結論としよう。

 養老は終章で次のように述べている。

 「生きがいとは何かというような問いは、極端に言えば暇の産物なのだ、本当に大変なとき、食うに困っているときには考えないことです。……人生論が求められるという状況は現代人が感じている閉塞感が関係しているのでしょう」。この言葉自体は、いくら養老がいいかげんなことを言ってきたからといって、真実である。『死の壁』のような著作がベストセラーになるのも同じ閉塞状況を現しているのだ。しかしブルジョアやプチブルにとってこそ「生きがい」云々は「暇の産物」だが、労働者階級にとってはこの閉塞状況の打破こそ生きがいなのである。

 死自体は人間にとって単なる生物学的事件にすぎないだろう。問題はこの死にまつわる観念であり、その観念に由来する人間の態度である。そして基本的にはそれらはその個人が属する時代や社会、そして階級や身分、階層に規定されるのである。「人間の本質は個々の個人に内在する抽象的なものではない。現実には、人間の本質は社会的関係の総和である」(『フォイエルバッハに関するテーゼ』)「人間の意識は人間の社会的存在が規定する」(『経済学批判』序文)

 死についてのイメージもまた、社会的関係の現れである階級や身分によって基本的には与えられるものだ。明治期の社会主義運動の指導者、幸徳秋水は処刑される直前まで『死刑の前』という遺書を書き続けた。そこには彼の死生観が凝縮されている。最後に少し長くなるが、そこから引用してみる。

 「ああ、死刑!世にある人々にとっては、これほどいまわしく、おそろしい言葉はあるまい……されど、今のわたし自身にとっては、死刑はなんでもないのである。……人間の死は、実に平凡なる事実、時々刻々の眼前の事実、なんびともあらそうべからざる事実ではないか。……問題は、実に、その死にいたるまでに、いかなる生をうけ、かつ送ったかにあらねばならない。……もし人生に、社会的価値とも名付けるものがあるとすれば、それは、長寿にあるのではなくて、その人格と事業とが、四囲および後代におよぼす感化、影響のいかんにあると信じている。ただわれらは、いかなるとき、いかなる死でもあれ、自己が満足を感じ、幸福を感じて死にたいと思う。そしてその生においても、死においても、自己の分相応の善良な感化、影響を社会に与えておきたいものだと思う。……病死と横死と刑死とを問わず、死すべきのときがひとたびきたなら、十分の安心と満足とをもって、これにつきたいと思う。いまやすなわち、そのときである」(『日本の名著』)

 秋水の言っていることは明瞭である。死自体は平凡な事実にすぎないが、満足をもって生を生きたいと思うなら、社会的価値の実現のために生きよ、ということだ。我々労働者階級にとっての社会的価値とは、自らの解放を通して地球上に共産主義社会を実現し、全人類を解放することである。この社会的価値の実現は労働者階級以外のどんな階級にも与えられていない独自の歴史的使命である。この歴史的使命を担っていくことこそ働く者の生きる意義であり、“死の壁”を突破し自己の生に満足と幸福を与えるのである。

(菊池里志)●『海つばめ』第1018号2006年6月4日


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