労働の解放をめざす労働者党トップヘージ E-メール
労働者党理論誌

『プロメテウス』第59号
特集・MMT派経済学批判

(2020年12月25日発行


MMT派経済学を斬る
―無概念で品性欠如の大衆扇動の経済学―

 MMT(現代貨幣理論)とは、貨幣概念の欠如したケインズ理論である。MMT派は、貨幣とは債務証書であり、主権国家の貨幣は無制限に発行可能である、つまり国家は無制限に債務を負うことができ、そのことによって、経済を活性化させ、資本も労働者も万々歳になるというものである。

 『プロメテウス』59号の特集は、4つの論文で構成されている。最初に林紘義氏の2つの論文(「悪質で品性欠如のヤクザ経済学」と「MMT理論と労働者・働く者の闘い」)があり、次いで、渡辺宜信氏による「概念無きMMT派の貨幣論」が続き、最後に、鈴木研一氏による「ファシズムに誘う松尾匡理論批判」が登場する。

◇国家を万能の神に祭り上げるMMT

 林氏は、MMTの大御所とされるL・ランダル・レイの著書『MMT 現代貨幣論入門』を取り上げ論じている。林氏は、レイの理屈を「苦痛に耐えつつ、一応目を通したが、若い時、宇野弘藏の本を無理して読まなくてはならなかった時と同様」の気持ちになったと述懐している。なぜなら、MMTとは、ケインズ理論から出発して、さらに空虚なリフレ派理論の上を行く、新しい装いをこらした一層空虚な労働者・働く者に対する目つぶしであるからだ。

 MMT派は「貨幣は商品である」という19世紀の古典派経済の認識を認めるが、そこから発展して「貨幣とは債務証書」だとする。林氏は「貨幣は商品であるという前に、商品こそが貨幣である」と論じ、全ての商品は内在的に貨幣であり、その中から一つの商品が貨幣として押し出されてくるし、こうした前提があるからこそ、貨幣は価値尺度や交換手段として、また蓄蔵貨幣や世界貨幣として機能することができると言う。こうした認識の無いMMT派は貨幣の概念にたどり着けないと喝破する。

 「政府の債務の計算尺度として通貨である」というMMT派の貨幣=債務証書論については、貨幣についての概念を正しく認識して初めて、貨幣の一機能である「計算貨幣」についても理解しうるのだが、MMT派は反対に、貨幣の「計算貨幣」としての機能から貨幣そのものを説く、または「計算貨幣」が貨幣の唯一の機能であるかに思い込んでいると批判している。

 MMT派は、国内経済の生産や流通とは無関係に、この経済の外部にある政府部門が発行した国家の債務が貨幣だと位置付ける。さらに国家の債務は、国内経済部門では債権となり貯蓄となると言いふらし、かくして国家=万能の神だとMMT派は夢想するのだから、彼らにつける薬は無いと言うべきだ。このように林氏はMMTの本質を突き批判しているが、詳細は本誌を熟読されることをお勧めする。

 もう一つの林論文では、安倍政権の量的緩和策の行き詰まりの中で出て来た財政膨張策はMMTに称賛されるまでになっていることを明らかにし、国家の財政支出がゆくゆくは1930年代の財政膨張と同じく、軍備拡張や戦争に結びつく可能性があることも示唆している。

◇概念無き貨幣論とマクロ会計恒等式を具体的に批判

 渡辺論文では、レイの『MMT』と、この本を監訳した島倉原の『MMTとは何か』を関連して取り上げている。レイの貨幣論については、林論文と重ならないように展開し、「貨幣は権力の債務証書、債務の記号や証拠にすぎない」というMMTの命題を具体的にまた歴史的に検証し、彼らの無概念を逐次暴露している。

 レイは古代メソポタミアの部族ないし村落共同体の内部においてさえ、国家権力者が債務証書を発行していたと主張し、まるで、共同体の中に私的所有に基づく生産物の交換(商品交換)と掛け売買があったかに論じる。さらにレイは、その後にオリエントに広がった貴金属貨幣もまた、権力者が発行した債務証書だったと言い、この債務証書は租税を媒介にして国家に還流していたと言うに至る。

 こうしたMMT派の「貨幣=国家の債務証書=債務の記号」論は、歴史的事実に反していること、貨幣と債務証書を混同していること、従って、理論とは言えない空念仏に過ぎないことを具体的に論証している。

 本論文の後半は、レイの「マクロ会計恒等式」についてである。レイは、国内経済内部では、儲けた企業や人がいれば、他方は損をしているのであるから、国内経済全体を見るなら、常にプラスマイナスゼロであり、いくら頑張っても民間部門の黒字は生まれない、だから民間部門が黒字になるためには政府部門の負債(赤字)が必要だと言うのである。これを恒等式にすれば、「政府の赤字=民間の黒字」である。

 国内経済部門の外から、つまり政府が債務証書を発行しなければ、国内経済は黒字にならないと言い、それは「マクロ会計」にて実際に証明できると言うのだ。筆者は、この「マクロ会計」を実際に検討し、その矛盾と破綻を明らかにしている。

◇ファシズムに誘う松尾匡の「反緊縮」政策

 特集の最後は、鈴木氏による松尾匡の「反緊縮」政策批判である。

 日本では、マルクス経済学者を自認する松尾匡(ソ連崩壊後に「ソ連は国家資本主義」だと、我々から20数年も遅れて大谷禎之介らと共著を出した)が「反緊縮」の先頭に立ち、山本太郎などに大きな影響を与えてきた。今では松尾は、「薔薇マーク運動」と称して、共産や立憲の議員だけでなく、労働者や学生や保守系議員らも巻き込んで「反緊縮」運動を展開し、さらに新左翼系雑誌と言われる『情況』にも論文を載せている。

 松尾は、レイの『MMT』の解説を中野剛志と共に執筆するなど、今や日本のMMT第一人者である(本人はMMTではないと言うが)。そうした背景もあり、筆者が批判した松尾の著作は実に5つにのぼる。

 松尾は財政のバラ撒き論者であるから、当然にして「アベノミクス」の賛美やケインズ経済に追随するハメになる。実際、松尾は安倍政権が景気を回復させ、労働者の生活改善をもたらしたかに吹聴し、景気が悪いのは総需要不足だからと、ケインズの有効需要説を蒸し返している。こうした松尾の理論や政策の根底には、シスモンディの過少消費説やこれを引き継いだマルサスやケインズの理論が混在していると筆者は指摘する。さらに筆者は、政府による無制限なバラ撒き政策が永久に可能であるかに語る松尾に対して、日銀が政府発行の国債を買い取ったとしても、国家の借金は借金であり、消えて無くなるものではないこと、別の形に姿を変えて矛盾を深化させていくことを具体的に明らかにする。

 昨年松尾は、バラ撒き論を基にした「反緊縮経済政策モデルマニュフェスト2019」を発表した。このマニュフェストには、「ベーシックインカム」を目玉にした社会保障政策や国債の無制限な日銀引受や財政再建不要論などが盛り込まれているが、松尾はこれらを「安倍のリフレを超克して福祉国家思想と新しいケインズ主義と融合させた経済政策」だと自慢していると言う。

 しかし、松尾理論、つまりMMTとは、行き詰った資本主義を救済しようとする国家による究極のバラ撒き政策に他ならず、これを実行して行くなら戦前のような経済の国家主義化に繋がると筆者は警告する。そして筆者は、観念的で無責任で、山師のようなMMTや松尾理論なるものに対する闘いは、労働の解放を目指す理論と結び付くことによって、真に闘っていくことができると力説している。

 以上、特集のさわりについて紹介したが、本誌は非常に興味深いものになっている。『海つばめ』読者の皆さんをはじめ、多くの労働者、学生が本誌を研究されるよう呼び掛ける。 (W)

 定価800円(+送料) 申し込み先:全国社研社でも労働者党でも結構です。

(『海つばめ』1392号(2020年12月13日)掲載)