新刊案内

林紘義著『「アベノミクス」を撃つ――カネをバラまくことで国も経済も救えない』

「アベノミクス」を徹底批判

 安倍は、来年春からの消費税増税を決めた。3%、8兆円を労働者大衆から大収奪しようというのであるが、その一方で「景気の腰折れ」を防ぐとして大企業法人税引き下げなど5兆円規模の景気対策を施すという。安倍政権が大企業のための政権であることは余りに明らかであり、労働者、勤労者の大きな怒りが広がろうとしている。
 安倍は昨年末以来、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略からなる三本の矢をアベノミクスとして押し出し、デフレ脱却、景気回復、労働者国民の所得増など、ありとあらゆる政策を振りかざし、二つの国政選挙で"圧勝"したが、その本当の姿がいよいよ現実のものとなろうとしている。
 こうした中で、『アベノミクスを撃つ――カネをばらまくことで国も経済も救えない』(林紘義著)が出版された。
 本書は、アベノミクスの理論と実践について全面的で根底的な批判を加え、労働者の課題に応えている。ここでは、第一部の注目すべき内容を中心に紹介し、この本の意義を明らかにする。
◆インフレ、デフレの概念
 全体は、第一部が理論編、第二部が実践・政策編となっており、第一部は『「インフレ」、「円安」とは何か/「国民経済」、「成長」とは何か』ということで、インフレやデフレとはそもそも何か、という基礎的な概念の検討から始めている。
 こうした原則的・基本的な概念からアベノミクス批判が始まるのは、安倍やそれを支持するリフレ派の主張が、インフレやデフレといった基礎的概念からして混乱し、矛盾に満ち、全くの非科学的な観念を振りまいているからである。
 本書の特徴は、インフレやデフレの概念規定に必要な限りで価値論にも言及しつつ、インフレ概念の解明に取り組んでいることだ。つまり、一般読者を念頭に置いて、専門用語をできるだけ回避しつつ、わかりやすい形で、かつ卑俗化しないで、この課題に立ち向かっている。
 著者は、インフレ、デフレについて次のように書く。
 「つまりそれが商品の価値の変動とは一切関係なく、その意味では商品にとってただの価格の名目的、形式的な変動であり、変化にすぎないという根本的な反省が(リフレ派には)ないのである。もしこのことが分かっているなら、リフレ派のインフレ、デフレの空騒ぎが、言っていることの99・9%が、つまらない空疎なおしゃべりを出ないということが、容易に確認されるのである」。
 そして、「デフレ(インフレも)とは貨幣現象である」というリフレ派の主張を念頭に置きつつ、商品の価値について、また商品と貨幣との関係について明らかにした上で、「貨幣とはブルジョアたちがいうような、単なる商品交換の都合ために人為的に発見された、便利な手段といったものではなく、商品生産とその交換にとって、商品社会(市場社会)にとって本質的であり、内在的であることを確認すべきということである」と喝破している。
 こうした認識・評価に規定に基づいて、本書はインフレやデフレの概念に迫り、アベノミクスへの根底的批判を展開している。
◆国民経済、経済成長と再生産表式
 この著書で特に注目すべきものは、安倍らの「国内総生産(GDP)」や「経済成長」の観念の批判とともに展開されている、"国民経済"の本当の概念についての理論である。
 GDPは官庁統計として一般に利用され、それに基づいて様々な政策が打ち立てられるが、その概念は基本的に「年々新しく生産された」価値であり、使用価値の側面から見れば生産手段ではなく消費手段である、「収入」もしくは「所得」であり、年々個人的に消費されるものである、と規定されているかである。
 「いるかである」というのは、実際にはそんな風に明瞭な規定は存在しておらず、ありとあらゆる混同、支離滅裂、錯誤や偏見がゴチャゴチャと入り混じっており、全体として混沌とした無概念が横行しているからである。本書はそれらを具体的に批判している。
 ここで注目すべきは、国民経済や経済成長の概念を明らかにするために、マルクスの再生産表式と関連させて論じていることである。
 再生産表式については、かつて我々の中でも議論になり、この表式そのものから恐慌の必然性や需給の不一致を説くのではなく、拡大再生産を含めて「均衡式」として理解し、分析すべきという結論になったと記憶している。
 本書では、越村信三郎の拡大再生産の表式を引いて、例えば年々10%の経済成長が調和的に行われ得ることを示している。
 「実際我々の拡大再生産表式を見ても分かるように、国民経済(ブルジョア経済)の生産と消費、需要と供給、価値生産と素材生産、等々の資本主義的生産の"対立的な"諸契機――搾取、非搾取の関係、つまり階級関係までも含めて――の"均衡"関係の中で、『経済成長』の正しい、明確な概念を明らかにしているのであって、こうした科学的な概念を前にして、ブルジョア俗流主義的で、混沌としたものはたちまち光を失うのであり、その全き空虚さと無意味さを暴露するしかないのである」。
 もちろん、このことは資本主義において生産と消費、需要と供給の矛盾がないとか、恐慌や不況がないといったことを、意味するものではない。無政府主義的競争と労働の搾取を出発点とも根底ともする、現実の資本の蓄積と拡大再生産の過程が(その「成長」が)、少しも"均衡的"でも調和的でもなく、いかに矛盾と困難に満ちたものであり、従ってそれが恐慌とか不況とか、労働者の失業とか生活の困難とか地位の不安定とかとどんなに不可分であるかということは、自明である。
 第二部は「実践・政策篇」であり、昨年末の第二次安倍政権誕生前後からの安倍の"経済政策"への具体的な批判を展開したもので、『海つばめ』に掲載された原稿によって編集されている。各章の表題だけを紹介しておくと、第一章・安倍の再登場とアベノミクス、第二章・「成長戦略」なき「成長戦略」、第三章・安倍は日銀も占領する、第四章・「良いインフレ」など決して存在しない、第五章・ファシズム志向の安倍"独裁"政権である。
 安倍やリフレ派は、カネさえバラまけば、不況も労働者大衆の生活苦もすべてがうまく解決するとばかりに、金融・財政の野放図な拡大政策を推し進めてきたが、それは労働者大衆の生活、日本経済をメチャクチャにしかねない暴挙である。アベノミクスと闘う上で、本書は闘いの方向や確信を明らかにしてくれるに違いない。
 本書が、多くの若者、労働者に読まれることを期待する。また、『資本論』読書会などでも十分に利用可能であろう。(『海つばめ』1210号から)
《定価2000円+税・注文は書店又は全国社研社まで》