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労働の解放をめざす労働者党      

 「共産主義の旗」派――1961年の闘い
――小ブル革命家と観念論者に反対して――

  我々は今、60年安保の25周年を記念しているが、しかし安保闘争は同時に新しい前衛党の出発点でもあった。1958年12月に組織された「共産主義者同盟(ブント)」は社共にかわるプロレタリア前衛党として、まず多くの革命的学生の、次いで先進的労働者の大きな期待を集め、希望の星となった。だがブントは自らに課せられた歴史的な役割を果たすことなく、60年〜61年の分派闘争のなかで解体した。わが「社労党」も又、遠く、この分派闘争に淵源をもっている。我々の最も中心的な同志は、この分派闘争の中で、自らの“立脚点”を明らかにし、プチブル的な諸潮流と必死の闘いを展闘したのである。「変革」今号に、その闘いのほんの一部――残念ながらほんの一部でしかないが――を紹介しよう。実に、この分派闘争の中で本質的な問題はすべて提出された、といっても言いすぎではない。当時、我々はずい分バカげたことも沢山言っているが、それは我々の成長の過程で“自然に”ハゲおちて行ったのである。従って、我々はむしろ積極的な文章をもっぱら引用しよう。
 引用はすべて「共産主義者同盟共産主義の旗」派の機関紙「共産主義の旗」からである――林。

●『変革』第54号1985年6月16日/第55号1985年6月23日


1.プロ通派のプチブル政治主義

 プロ通派こそ同盟の中核となり、将来日本と世界の共産主義革命を導くべき部分となるであろうし、ならなくてはならないのは明らかである。そしてそのための条件、決定的に重要なことは今一度、プロ通派を点検してみることであり、その欠陥を明らかにし、克服する方向へ努力するということだろう。我々は同志岡田(清水丈夫)の出獄後の東大分派との癒着に対し、あるいは同志岡田の東大分派への評価に反対し、そうした行為は同盟の革命的結束と再生にとってきわめて危険である、と真剣な、心からの忠告をした。従って我々は東大分派、旧政治局(戦旗派)ではないところに新たな分派が誕生したのを歓迎し、「欣喜雀躍」としてそれに加わった。プロ通派の内部の論争、そ細は様々な形をとり、色あい、ニュアンスのちがいとして現われたがすぐ明確な形をとった。この論争は我々の思想を解明する上でまた、将来同盟が革命を遂行していく上で貴重なものであるので、若干明らかにしておく。

 ……また(清水は)ブランキー主義は「武器をもつものはパンを持つ」といっているからすばらしい、我々はみなブランキー主義にならなくてはならない、と云い、我々に対して「お前はブランキーを支持するのか、しないのか?」とつめよるような傾向も存在した。我々はブランキストと呼ばれるのを光栄に思う、それは過去の歴史においてあらゆる左翼が、特にボルシェヴィキがそうよばれてきたし、それは我々の左翼性を証明するものだからである。しかし、我々は我々がいかに本質的にプランキズムとちがうものであり、彼らの具体的科学的社会主義的綱領もない感性だけの革命家的本能、その政治主義的傾向、革命的大衆に依拠するのではなく、あるいは革命情勢と革命の条件を真剣に考慮に入れるのではなくて、組織された少数の革命家の数回の攻撃で権力を奪取できると考えるのはいかにバカげているか、そしてマルクス主義はこうした考えと縁もゆかりもなく我々は全プロレタリアートを獲得しなくてはならないことを革命的学生やプロレタリアートに語らなくてはならない。 プロ通派の不毛、動揺、それはどこに原因があるのだろうか? 今までのプロ通派内の主要な思想は次のようであった。「戦旗派は恐慌の時に革命だ、ととく。これはおかしい。そうでなくて、我々プロ通派は権力奪取によって革命だと云わなくてはならない」。こうした対置、こうした対立こそ的はずれで、マンガ的で、問題の所在や、右翼日和見主義者の本質をおおいかくし、彼らを増長させる理論である。我々は「戦旗派」に対するこうした批判を不適当なものとみなす。こうした対置をもしまじめに信じているとすればそれは子供っぽいマンガにすぎないし、こうした思想は唯物史観とも、マルクス主義とも緑もゆかりもない。なぜなら、前者は革命の条件、革命の経済的基礎の問題であるし、後者は革命そのもの、あるいはその性格、手段、道順に関することであり、両者はこのように主張した人々が理解するように対立して考えられるものではないのである。それは別の種類の問題であり、異なった部門での問題であり、しかも全体の中では統一でき、調和しうる思想である。

 確かに「経済決定論」はあやまりであるし、経済と政治は直接的、機械的に結びついてはいない。あるいは「政治は経済にじゅう順に追ずいする」(レーニン「何をなすべきか?」)というラボチエ・ジェーロ型の日和見主義や、大経済学者ポグロフスキーの経済決定論(彼は1917年の十月革命を、二月革命に比べての大衆の生活状態の悪化を草命の主要な原因にした。ところが事実は逆であった、すなわち生活はほんの少し向上した。しかし大衆は意識的に変化したのである。ということはその根底における経済的条件を忘れ去ることではない)とは縁がない。にもかかわらず、根底における経済的物質的条件の問題を権力獲得の問題と対置させたり、あるいはこうした問題を軽視したり、なおざりにしたりすることは問題を混乱させ、日和見主義者に道をひらくことになるのである!

 我々は「プロ通派」はどこかつまづくものがあるという直感があった。(しかしそれは、戦旗派、東大派がそれ以上に、どうしようもなくナンセンスであり、彼らを打倒することに全力をあげるのを妨げはしなかったが。)例えばプロ通四号では、現在の党内闘争の中心的な問題点は何か?という形で「権力奪取の精神の欠如の問題が出され、六・一八闘争の挫折も、その精神がなかったからだ、とされた。我々はそうした見解に対して断固として反対した。確かに(具体的、現実的にとりかかるべき問題としてではなく)一般的な問題としてはそれは重要な問題の一つであり、我々の宣伝、煽動の中心におかれるべき問題の一つである。しかしそれのみが重要であると強調され、それのみに問題が矮小化され、経済的条件を考慮にいれて革命をとく理論と対置されるとき、我々の理論的不毛ははなはだしくなるのである。即ち、具体的な総括、あるいは資本主義分析は軽視され、タブーになるか、あるいはなくなり、誠実なマルクス主義的同志を、戦旗派、東大派にはしらせ、右翼日和見主義者、修正主義者に道をひらくことになるであろう。

 東大派に対する批判はあたかも革命を経済的破綻から説くことがあやまりである、という具合に行われたがそれは適当ではない。革命は経済的、政治的危機と結びつき、それに伴っておこってくるのであり、資本主義はそうした経済的、政治的危機を必然化することをプロレタリアートに語り、宣伝煽動し、それに対して組織的に精神的に準備するということは極めて重要である。こうしたことを恐慌待望論だと急いできめつけるのは、革命を一生の仕事として想像もできない困難や抑圧にもめげず「革命のために働く」ことを決意していない人か、あるいは何か偶然に、また号令や「通達」(東大派を見るべし)のみで「革命をつくり出せる」と信じている小ブルジョアである。東大分派に対する批判は彼らが自由にブルジョアジーが資本主義を「救済しうる」と説いて社民的思想におちいったり、あるいはもし(?)プロレタリアートの攻撃があればいつでも資本主義を混乱と危機におとし入れることができると主張する小ブル革命的主観主義であるということに対して行われるべきである。

 我々がプロ通の中で「政治革命か、社会革命か?」「我々はブランキストか」その他等々で論争して来た意義はそれはプロ通派の動脈硬化に対し、あるいはマルクス主義の卑俗化、矮小化に対してさらにはプロ通派の狭隘化、首尾一貫性の欠如と闘ってきたということであり、プロ通を中心的核として同盟の革命的再結集をかちとる方向に進ませるに十分力を得るため闘ってきたということであった。プロ通派の同盟の中核への成長、同盟の再結集と再武装への道は、プロ通派のこうした欠点の克服、発展でなくてはならない。そしてこれがプロ通の全国の同志から信頼される強固な、首尾一貫した同盟主流への発展の条件であろう。

(一号、60.1. )

 同志姫岡(青木昌彦)の唯物史観に対する無理解を指摘しておくことが重要であろう。彼はマルクスが唯物史観を根底にもってはじめて資本論を書きえたのでなくて、資本論を書くことによってはじめて唯物史観の公式を明らかにしえた、従って唯物史観は「消極的なものである」とマルクス主義の本質を歪曲している。こうした唯物史観の無理解は現在の同盟の「党内闘争の核心」「解決されなくしてはならぬ中心的論争点」として国家権力一般を抽象的な問題として提起することしかできないことや、一見して唯物史観と縁もゆかりもない反マルクス主義的外大文書を「すばらしい」と評価したり革通派の「哲学」を正当としたりすることと決して無関係ではないだろう。マルクスの第一歩、その本質的精神、そのイロハにおける同志姫岡の無理解は、必然的に彼をして現在社会の把握とその中で我々の正確な任務を決定して行くのを不可能にしてしまうのだ! それ故に彼はあれこれの問題をあさりまわり「思いつき」をおいもとめ、何か「アラジンの魔法のランプ」のような「立脚点を求めてあちこちと徘徊する。ただし責任ある「党活動」はそっちのけである。たしかにマルクス主義の本質を理解しない人々は思想的立脚点がないと騒ぐのは無理はないであろう。小ブルの性格、それはつねに動揺し、首尾一貫性を欠き、あれこれの問題をとびうつるところにあるのである。

(二号、60.1.28)

 日本において真の共産主義が定着しょうとしている時、そして様々の潮流が固定化しようとしている時、こうした時期にあっては理論闘争は厳密に行われなくてはならない。そしてこうしたことこそ、決定的に重要なのである。日和見主義者とのみにくい同居を平気でし、革命家としての節操を完全に欠く同志岡田(清水丈夫)はこのことを理解しえないのであり、それ故に中間主義におちいるのである。プロ通右派や中間主義者(清水、北小路らのこと)が「君らがプロ通派を分裂させるのは、理論的なちがいによるのではなく、同志姫岡への肉体的な反撥によるのだろう」と云う。我々はこうしたたわごとに対して、プロ通一号から九号まで読んでみたまえ、そしてその中に真のマルクス主義が一言でも生き生きとした、血肉化されたものとして存在しているかどうかさがしてみたまえ、と忠告しよう。 一見奇妙に思われる同志岡田(清水〉と同志姫岡(青木)との「かたい」結びつきもその必然性を持っていたのである。すなわち本質において組合主義的学連主義者の大衆活動家であった同志岡田(しかし彼も様々の方面からの圧力により変質しつつあるのを正当に評価しなくてはならない、もっとも常に大きな限界を持ちつつだが)と、「その本質において組合主義的日和見主義的理論家で、当面どうするかということを「正しい政治方針」の名の下にやりくりして行くことのうまい「器用な」、しかも彼にとっては本質的に異質な、革命的なマルクス主義を血肉化しえないが故にあれこれの思想をあさりまわってつぎはぎ細工を行い、当分まにあわせる「頭のよい」同志姫岡とが結びつけばそれにふさわしい一つの分派を「でっちあげる」のに十分ではないだろうか?(少なくとも今までは)。

 プロ通編集局の、革命的集団として、いやしくも一つの分派の指導部としての腐敗、不統一性、混乱、日和見主義者や学連主義者、中間主義者のよせあつめという特徴はあらゆる問題で動揺し、破産するのである。一つのエピソードをとってみよう。我々が「マルクス主義と縁もゆかりもない」と明白に宣言した、「相互作用」のみを強調して、マルクス主義の本質からエンゲルス的日和見義〈――いやエンゲルス以上の日和見主義〉へ後退した外大文書「コムニスト」を同志姫岡および同志北小路は「すばらしい」と評価し、ことに同志北小路は我々が外大文書を攻撃するのは我々の精神が少々異常であり、偏狭であり、我々がことさらに対立を激化させ、分裂や不和の種をまきちらそうとわざと努めているかのように発言して、外大文書の本質的日和見主義をおおいかくし、「問題意識はいいのだが……」と中間主義的に弁護し、表面をとりつくろ、つことにのみ全力をあげ、弁証法の代りに折衷主義を持って来たのである!

 外大文書はまさにその「出発点」が「問題意識」が非マルクス主義的であり、そして一貫して、徹底してプロ通派的(すなわちプロ通四号のおとし子)であったが故に我々はあのように闘ったのである。外大文書の問題意識の根底は「いかにして現在学生運動を組織するか、たとい経済主義的日和見主義的アジテーションをしても……」という改良主義を一歩たりとも出ていない。同志北小路の「学連を維持するための革通派との協力」「当面の闘いを成功させる上での革通等との協力」という理由づけで行われる実質上の妥協をもっとも政治的にみにくい、嫌悪すべきものと見なす。こうした明らかな日和見主義的文書にすら正確な評価すら与えられない、小ブル政治屋的、日和見主義的プロ通編集局を打倒せよ! プロ通編集局の外面的虚飾と政治屋的強がりにもかかわらず、彼らの破産と分解、腐敗と堕落は必然であり、それはこれからもさらに進むだろう。

 我々がプロ通編集局の日和見主義者たちと断乎として闘えるのは、彼らと手を切る限りにおいてである! プロ通内部においてその方向を変えうると思うのは幻想であるし、たといそれが一時的に実現されたとしても彼らの本質的な小ブル性はあらゆる場所や、あらゆる彼の分派の評価等において様々な形であらわれてくるであろうし、プロ通の中において彼らと闘うことは全世界のプロレタリアートに真に問題の所在を示すことをおくらせ、プロ通編集局に幻想を与え、革命を裏切るものとなるであろう!

(「共旗派結成を宣言した五号、61.2.25)

 去る3月10日から11日にかけて、プロ通派の全面的自己否定という前提の上に立って、プロ通派編集局と共旗派編集局の合同会議が行われ、その席上同志岡田(清水)およびそれに完全に同調するとする同志北小路から、次のような提案がなされた。我々のメモからそれを再現してみるとおおよそ次の如くである。

 「我々の出発点とすべきは、総括において、黒寛一派に完敗したということである。我々は旧ブントを擁護しようとして保守的になった。旧ブントを言葉だけでなく、全面的に否定し、そしてプロ通派の立脚点を大胆に否定し、現在の状況の中でマルクス主義的立場にたってたちむかって行くことが必要であり、そのためには1958年12月の同盟をつくった時からの否定的総括が必嘗である。結論から言えば革共同全国委の方が質的に正しかった。単に学生運動に足をひっぱられていた、今度は労働運動をやればいい、と云っただけではダメ」だ。何故学生運動から脱出することができず、足をひっぱられ、党の立脚点すらあいまいで、泥沼へ引っぱり込まれて行ったか。それは理論の問題であり、革命と党の理論の問題で、具体的に言えば、今までの同盟は、社会を労働者と資本家との対立としてとらえ、労働者が闘えないのは日和見主義者のかたい皮によっておおわれている、それを外で学生運動を爆発させて、分離的な闘いをくみ、そしてそれをかためて行ったのが前衛党だという理論があった。これはレーニンの「何をなすべきか」から学び、うけついだもので、スターリン主義の本質である。正しくは戦旗51号のように「内と外」の関係を理解して組織的活動をしなくてはならない。

 このように総括すれば、総括の問題で完敗した、ということを絶対的に明らかにしなくてはならない。革共同全国委は我々よりも(たとい文書だけだったにしろ)共産主義的宣伝、煽動や党活動をやってきた。我々は基本的には戦旗51号は正しいと思うし、黒寛は不十分だが、本質的に正しいものをもっている。従って我々は革共同全国委に入り、その一員として活動しなくてはならない。そうでないと脱落してしまう、従って組織にしがみついて行くことが必要である」。

 プロ通派は自らの本質をおぼろげながら認識し、過去の同盟の本質的な欠陥に(おそまきながら)気がつき、一歩前進の方向をむくや否や、たちまちに崩壊し、泥沼の中へ転落して行ってしまった。我々はプロ通派、革通派の、戦旗派や革共同全国委(黒田派)との本質的同一性(小ブル性とその差異(小ブル自由主義と小ブル急進主義を指摘して来たのであるが、このプロ通派の予想すらしえなかったコペルニクス的大転回に幸運にもめぐりあうことによって、我々の把握の正しさを確認することができた。すなわち、ささいな「激動期」における小ブル急進主義は、「沈滞期」における小ブル自由主義的潮流となって現象しているのであり、またそこにこそ、現在革共同全国委が「日の出の勢い」(?)に見える(単に見えるだけ――すなわち仮象)物質的条件があるのである。

(七号、61.3.17)

 安保闘争とその後の分派闘争の中で純粋に小ブル急進主義者としてたちあらわれた革通、プロ通の一部について多く語る必要はない。ただ、姫岡氏(青木)の経済理論が、まさに資本主義の永久発展を証明しておいて、次いでそれを主観的に、意志の力で中断しようとする理論であったこと、それ故に本質において星野理論とあまり変化のないブルジョア経済学であったことをまず確認しよう。しかしここから黒寛一派と我々の批判の観点が異なる。彼らは姫岡氏の理論がスターリン主義的であったからブルジョア経済学になった、といい、そして自分たちが経済分析をすると姫岡氏とあまり変化のないブルジョア的分析を行う深奥なる秘密を少しも気がついていないのだ。姫岡氏の経済分析は安保闘争の中で役に立たなかったのでなく、まさに小ブル急進主義運動にふさわしい、それに完全に照応した、プラグマティックとつぎはぎ細工の経済分析であり、学生をかりたてるのに都合のいい理論であったのだ。現在のような小ブル安定期にはそれにふさわしい小ブル的俗物どもがはばをきかす、そして小ブル急進主義の時代にはそれにふさわしい小ブル的えせ革命家、政治屋的はったり屋、はなやかな、はなばなしい学連主義者がはばをきかす。それぞれの運動は、それぞれ、ふさわしい指導部分を見つけるというものだ。

 そして、革通、プロ通の多くは公然とブルジョア社会へ復帰しはじめた、あるいは、もともと彼らは本質的にブルジョアジーのわくの中にいたのであろうか? 少しの社会的高揚期に彼らが革命運動の方へ身を投じて来ても、この小ブルたちは革命組織の中でプロレタリアートの隊列の中でねばり強く、根気づよく、真剣に働くことはできないのである。そしてこうした「急進的」インテリとして人生を歩みはじめ、マルクス・レーニンに少しは共鳴し、岸信介をあれほど憎んだ、われらの学友諸君は、偉大なる大学数授か、あるいは大会社の高級なる地位を求めて、変節をとげつつあるのだ。

 しかし、安保闘争を歴史的に評価しえず、また小ブル急進主義運動の歴史性と意義を理解しえず、この輝かしい闘争に幻惑され、ふたたび、みたび、自分たちの恣意的努力でただちに革命的学生運動を展開しうると思ったり、あるいは小ブルの運動をそれ独自で自足的と思ったり(口では否定しても、実践ではそのように行動することによって)、彼らは急速に破産して行かざるをえなかった。そして又、自己の無内容、自己の小ブル的本質にようやく気づくや否や、それをおおいかくし、自己の政治的破産を隠蔽するためにのみ、「黒寛こそ全面的に正しい」としてなだれ込む無節操にして俗悪な人々を何と弾劾すればいいのであろうか? 電田氏(北小路)は、二・二六全国労細代の時(我々の少々のためらいを叱咤し)戦旗派をおい出すために先頭に立って英雄的に努力し、奮闘した。ところがその四、五日のちに大いそぎで転向し、コペルニクス的大転回をとげ、戦旗派へねがえった。しかしこうした転向の中にこそ、我々は彼らの骨のずいまでしみこんだ小ブル性や、小ブル的生き方、小ブル的思考様式を見ないであろうか! 我々は今まで以上にこの日和見主義的電田氏に対して嫌悪と軽蔑を感じたとしてもそれは我々の罪であろうか! 姫岡氏は、国家権力の打倒を直接よびかけるのではなく、まずその実体の暴露を、と云い、社会党青年部ばりの思想をかり入れた日和見主義を同盟の中に持ち込み、エンゲルスの「権力も又経済的潜勢力なのです」という言葉を「権力も又経済的力なのです」と改作し、修正し、マルクス主義を歪曲した「外大文書」をすばらしいとほめたたえ(次の瞬間「これほどナンセンスだとは思わなかった」と自己批判し)、電田氏は我々の外大文書への批判を「趣味」である、と発言した。常に中間主義的袋小路にまぎれこみ、折衷主義の雑炊の中を泳ぎまわり、どうしようもなくなると革共同全国委ヘピョイとにげ出す電田氏こそ、革命運動を「趣味」とこころえているのではないだろうか? 日和見主義者と闘うのが「趣味だとするならば、革命党の純粋性と革命的純血性をどうして守りうるであろうか? そして、学連主義者たちはいつまでも小ブルとたわむれることを好んだのである。彼らが小ブルの自己変革のことばかりがまず「頭に来て」勉強会だ、マルクスの古典だとあたかもそれが第一義的かのように大さわぎし、説教した革共同全国委と、根本的階級的立脚点が同一であったのは明らかである。そしてまた昂揚期における小ブル急進主義者たちが、この些細な沈滞期すら耐えられず、小ブル自由主義の下へ急ぐのも又必然であろう。

(八号、61.4.3)


2.革通派との闘い

 我々が現在この問題を完全に明らかに正確に評価しえないとしても、少なくとも次のことだけは明らかであろう。すなわち、世界資本主義は、一切のブルジョア経済学者や修正主義者の幻想にもかかわらず、自らの「破産」を証明し、自らの本質より生まれ出る、深刻な、調和しえない矛盾を示すことによって、彼らの横つらをはりとばしたのである。ブルジョア経済学者と、それに追ずいし、「見ほれる」東大分派(かつて上に見ほれたのはブランキーだったろうか?)の諸君は、「資本主義の現段階は、金本位制なんてなくなった。国家の自由な恣意的な経済政策(インフレとかデフレ、その他金融政策)が決定的役割を持つようになっている。だから内閣を打倒して、その経済政策の展開を不可能にして、資本主義を混乱させることによってはじめて、革命が可能になる。革命的大衆運動が(革命の経済的条件に依存するだって? そんなものは、くそくらえ、我々の情熱のみが……」と展開し、彼らの修正主義者としての本質を余すところなく示したのである。

(一号)

 次に「革通派」について一言のべておく。彼らは「この複雑な現代資本主義」を分析することが第一の課題であり、今すべての我々のエネルギーはそれのみに没入させるべきであり、それを明らかにしえなかったとしたらすべてがダメであると展開している。確かにその根本においては、その最も本質的な点においては経済的分析が中心であり、第一歩である。そして現在の資本主義の発展段階を明らかにしてその上で革命の性格、展望を今明らかになっている以上に追求することは重要である。さらに組織をつくりあげることも重要である。ところが「革通派」の諸君はそれを理由にして日和見主義者を日和見主義者とよび、彼らと系統的、非妥協的に闘い、彼らを粉砕し、前衛政党を日和見主義的思想から守り、強化するために何一つしないのである。かつて日和見主義者にあんなにかみついた諸君であったのに! 彼らの無政府的な突発的な日和見主義者への反発、次いで「科学」への引退と日和見主義者との実質上の妥協、こうした急速な転換、一貫性の欠如こそ、小ブル革命派の「革通派」にふさわしいものであろう。

 かつてレーニンは次のように書いた。「……。それは詭弁である。なぜなら帝国主義を全面的に科学的に研究するということ――そういう研究はいまはじまったばかりである。それは、一般的に科学がそうであるようにその本質から見て無限である。――と、数百万部の社会民主主義的新聞やインタナショナルの諸決定の中でのべられている、資本主義的帝国主義に対する社会主義的戦術の基礎とは別個の事がらである。社会主義的政党は討論クラブではなく、闘うプロレタリアートの組織である。幾多の大隊が敵の側にねがえった時にはそれを裏切り者と云ってののしるべきであって「誰もが同じように」帝国主義を理解するとは「限らない」とか、排外主義者カウツキーも排外主義者クノーもこの帝国主義について何巻もの書物を書こうと思えば書けるとか、この問題は「十分に討議されていない」とか、等々と云う偽善的な言葉に「ひっかかって」はならない。資本主義はその略奪性のあらゆる現われと、その歴史的発展や民族的特質のあらゆる微細な分化にわたってあますところなく研究しつくされることは決してないであろう。学者たち(とくに衒学者たち)は、細部をけっしてやめないであろう。「これを理由として」資本主義に対する社会主義の闘争を断念し、この闘争を裏切った者に反対することを断念するのは、こっけいであろう、――ところでカウツキー、クノー、アクセリロードなどはこれ以外のどんなことを我々に提案しているだろうか?」。革通派こそ、帝国主義の分析が不十分であるということを理由に、そしてプロ通右派こそ綱領の未確定を理由に、同盟を「闘うプロレタリアートの組織」として維持し、日和見主義者の攻撃に対して闘いぬいていくことをすて去っているのである!

 今まで同盟の経済理論が星野理論にしろ、姫岡理論にしろ、全くヒルファーディング的本質を持っていたことは明らかである。要するにこうした人々の云いたいことは次のようなのだ。。「ヒルファーディングに対してカウツキーは本質的な、資本主義の一般論からの批判をした。恐慌が来ない、というのに対して本質的に資本主義だからそれは来る、と対置したのみだった。だからドイツ社民党で日和見主義が優勢になったのだ。組織論が必要である」。

 この言葉の限りではこれは正しい、しかし多くの修正主義者たちはまさにこの言葉の下で資本主義の本質、その一般論からはなれたところで現段階の現象を追い求め、ブルジョア経済学者の「混沌たる諸表象」をえがきだすのである。特に東大分派のマルクス主義の修正ははなはだしいのであり、彼らは公然と資本主義の発展を語り、資本主義は崩壊するものとしてとらえられていないのである。必然性にみちびかれた歴史発展の内在論理を理解していたレーニンは「経済的必然性を認識することは意志の弱化を意味するものであるかのようにいう意見ほど誤まったものはない」と云った。これに対して、観念論者の革通派やヒルファーディングは次のように述べる。「わたくしは、これまでつねにあらゆる経済的崩壊理論を拒否して来た。……戦後においてはかかる理論はわれわれはいまや資本主義体制の直接的崩壊に直面していると考えたボルシェヴィキによって主張された。かかる崩壊は生じなかった。(生じたがヒルファーディングは公然と裏切ったのだ!)我々は何らそれをなげく必要はない。われわれは以前から、資本主義的体制の崩壊は宿命論的に待ちうけるべきものでもなければ、またこの体制の内在的法則から生ずるものでもなく、労働者階級の意志行動でなければならないという意見であった。」(ヒルファーディングが「組織された資本主義論」を展開した、1927年の社民党の年次大会での彼の報告より)。完全な改良主義者、100%の裏切り者となったヒルファーディングのこの「革命的」な言葉のうしろには資本主義の本質に対する完全なる無理解、その歴史的特殊性への認識の欠如、主観的観念論があるのである。我々の共産主義者としての活動はまさに資本主義社会崩壊の歴史的必然性を認識してはじめてなりたつものなのである。

 レーニンは「唯物論と経験批判論」でブルジョア経済学の本質を次のように特徴づけた。「特殊な事実研究の領域においてはきわめて貴重な労作を提供しうる経済学の教授でも、ひとたび経済学の一般理論に言及するや、その一語にさえ信をおくことのできるものはただ一人もいない。何故なら、この経済学は、近代社会においては認識論におとらず党派的なものだからである。一般に経済学の教授というものは、資本家階級の学識ある番頭に他ならない」。

 現在資本主義の複雑なる現象を博学ぶっておっかけまわすこれら「小」経済「学者」の諸君は「現代資本主義は不況とか恐慌は来なくなった」とか、「金本位制はなくなったからすでに純粋の資本主義社会ではない」「経済政策が決定的なものとなった」とかもっともらしいことを云うが、彼らはレーニンの云うようにこうした資本主義の「一般理論」でまず破産し、次に資本主義を助ける“経済政策”をつくりあげるのである。資本主義の本質から質的に異なった社会として現在の資本主義を描きだすこと、これほど反動的でブルジョアに奉仕する仕事はないのであるが、同盟内の主要理論家が「科学」の名の下に行うことはみなこれである。我々はこうしたことを断じて許してはならないのである。「俗流経済学は、ブルジョア的生産関係に囚われているこの生産の担当者の諸観念を教義的に通訳し、体系化し、弁護すること以外には、実際には何もしない。従って経済的諸関係の疎外された現象形態――そしてもし事物の現象形態と本質とが直接に一致するならば一切の科学は不要であろう――まさにこの現象形態においてこそ俗流経済学は全く我が家にある思いをなし、そして、この諸関係に、その内的関連が隠蔽されて日常の観念に入りやすくなっていればいるほど、俗流経済学にとってますます自明に見えるということは我々をおどろかすに足りない」(マルクス「資本論」)。星野理論に始まる革通派の経済分析および姫岡理論がブルジョア経済学の一切の特徴をもっていることを我々は知るであろう。

(二号)

 しかしこうした本質論を展開しただけでは不十分である。現在のいわゆる国家独占資本主義においては生産力の巨大な発展、独占の広汎な、非常な発展の結果、国家はますますプロレタリアートから疎外し、自立化する傾向が進む。資本主義の根本的矛盾に根ざすあらゆる矛盾が全面的に深化していく今日の資本主義では、国家がそれらの矛盾の中心点であるように見えてくる。すなわち深化し、いかんともしがたい長びく資本主義の矛盾の拡大に対して、ブルジョア国家が様々な形でその矛盾を克服しようとするのだが、その矛盾は結局、すべてのプロレタリアートに対するブルジョア国家の攻撃として現象的には明らかに、露骨に、誰の目にもはっきりするように出て来る。例えば、慢性的不況に突入した資本主義と、その巨大な遊休生産手段と巨大な失業者を救わんとして行うケインズばりの夢にもとづくインフレ等の国家の救済政策は、プロレタリアートの実質賃金を切り下げ、矛盾を単に失業者のみならず全プロレタリアートに耐えがたいまでおしつけ、さらに小ブル層にまでそれを拡大する。こうした攻撃は国家の攻撃として、さらに資本主義の破綻は国家の政策の破綻として現象的にプロレタリアートの目にうつる。ここから現段階における特有の日和見主義を生み出す。まずケインズの、そして革通派のブルジョア国家の政策の万能論が生まれ、あるいはトリアッチ主義の現在の資本主義的生産諸関係をそのままにしておいても国家権力に圧力をかけ、あるいは要求をつきつけて行くという方法で、「反帝、反独占の構造的改良的運動」「経済の平和的改造の問題」「戦争政策を平和政策に変化して行きうる」という幻想をうみだすのであろう、何故なら、ブルジョア社会が不況や戦争に突入するのはその生産関係にこそ根本的原因があるのではなくて、「ブルジョアジーの(日本では池田の)政策」が悪いからだというのだ。

(二号)

 そしてこれらの諸分派を支えた宇野氏、黒田氏は、前者は「労働力の商品化」の内容を歪曲し、その上に全体系をきずいた。また後者は「疎外された労働」を神秘化してその上に全体系をきずいた。我々は言おうではないか、「どっちもどっちだ! 二つながら小ブルの理論ではないか!」と。
   *  *  *
 まさに黒田氏は哲学界における宇野氏であろう。

(十一号61.6.15)


3.戦旗派=黒田派の観念論を暴露して

 「我々が何故に、左翼スターリニストをも敵として、革命的左翼の現在的任務を、『反帝・反スタ』と規定して闘うかは、こうしたプロ独を認めるだけの『暴力革命』からは、必ずしも、プロレタリアートの自己止揚の第一歩としての、共産主義革命は始まらないからに他ならない」(戦旗46号西原論文)と云って、現実社会の矛盾を解決しうるであろう革命運動、大衆の実践的な、激烈な行動の代りに、頭の排泄運動を、そして「闘うプロレタリアートの組織」としての前衛党の代りにサークル主義団体を、階級闘争とは全く別個のところで「前衛党不在の故に、その意識を定着させて、前衛を組織しようという思想を持って来ようとするマル学同や戦旗派――彼らは、安保改定闘争を闘ったということまで、否定しまじかねない勢いであった。あるいは、少くともブルジョア的闘争であるとして軽視し、軽蔑したことは明らかであろう――に対して、我々が彼らを「サークル主義者」と呼んで軽蔑し、正当にも反対したのは、その限り全く正当であり、今も正当であろう。

 そしてそれに対して、我々プロ通派は、「現実の階級闘争を闘うこと」を強調し、しかもそのことをぬきにして一切を語ることは、全く反動的であり、日和見主義的であること、その中でのみ、党は「つくられる」だろうこと、「我々の政治的任務を明らかにすることが重要であること」を強調したのであった。

 しかし、それ自体をとれば、全く正当であり、革命的、積極的であるこうした思想――それ故にプロ通派は全国の左翼的な、誠実な同盟員をより多くひきつけ得たのだが――プロ通派の小ブル的本質の故に完全に歪曲され、ゆがめられ、真の左翼を結集しえず、彼らを戦旗派に去らせるか、どれもナンセンスな三派から遊離した独立派にとどまらせるかになったのである。

(四号、61.2.10)

 従って全世界のプロレタリアートの解放のために闘っているマルクス主義者にとって第一義的な任務は、唯物史観を一般的に追求することでもないし、弁証法的唯物論を一般的に追求することでもない(それは元日社会をいかに把握するかの第一歩であり、方法にすぎない)。またそうした哲学から直接的に現在社会を把握することでもない(マル学同、青山一派はそうしているのだが)。弁証法的唯物論を、首尾一貫して理解するマルクス主義者なら、誰でも経済過程の分析こそ基礎であり、それの科学的な解明こそ中心的追求の対象であることを理解するであろう。まさにこの点において、我々は青山一派と相入れなくなるのである。

 現代社会の把握、その革命の展望、および共産主義社会を、経済過程の分析を通じて科学的に明らかにするのか、「哲学からの直接的なあてはめや、関連づけ」として明らかにするのか?

 前者のみが、真の首尾一貫した、厳密なマルクス主義であり、社会主義思想である。青山氏は、「本質論の把握が弱かったが故に、あまりに政治的にマルクス主義を捉えることしかなしえなかったレーニンの悲劇」をなげき、マルクス主義の本質を、この戦旗51号に書いているつもりらしい。しかしそれは全くそうではない! ここにあるのは物質的過程を哲学でもって分析しようという方法であり、――すなわち、経済的諸範噂が、哲学(疎外、自己否定、人間変革、自覚、プロレタリアートの苦悩、ヒューマニズム)を証明するために引用され、利用されているという逆転。哲学はたしかに大切である。しかしそれが現代社会をとらえるための手段として、根本的方法として理解されるのではなく、自己目的化され、我々の追求する唯一のものとされる時、それはあらためてふたたび観念論への傾斜をたどらざるをえなくなるのだ。ここにある資本主義の把握は、科学的に見たらあまりにおそまつであり、多くの人が云うように、「本質的に正しい」と云えるようなしろものでもなんでもない。首尾一貫した、科学的に明らかにされた資本主義の本質論(それは価値法則として展開されていくのだが)とは緑もゆかりもない、哲学と科学(経済運動の分析)の区別すらつかない混乱した混合物であり、哲学と科学の直接的な結合でしかない。すなわち経済的範疇を駆使しての哲学の開陳。

 真のマルクス主義はそういうものでないだろう。

(六号、61.3.9)

 第一として、青山一派は(黒寛すら云っているように)認識とはきわめて階級的であるということを理解しえないのである。だからその小ブル的本質故に破産した旧同盟の指導者やその他の小ブル学生たちにむかって、「マルクスの古典に帰れ」とよびかけ、「精神修養所」の古ドックにしばらく入ることを懸命にすすめるのだ。もし青山氏が自分がマルクス主義的であると思ったら、他人に自己変革を呼びかけるのではなく、あらゆる契機をとらえて、マルクス主義の宣伝をただちに開始した方がはるかに有効であり、革命のためになるだろうに。ところが彼はまだ自分をマルクス主義者でないと思っているらしい。……またそのようにしか「認識」しえない青山氏の認識の浅さもまた青山氏の階級的性格をつい自己暴露してしまっているのだが。プロレタリアートは、その存在条件からして、共産主義的宣伝、扇動が真にマルクス主義的につらぬかれて行くとき、たやすくそれを理解し、自らの歴史的役割を認識しうる、ということが彼には分からないのである。

 最後に我々は青山一派の階級的性格を明らかにしておく必要がある。青山一派(及びマル学同が安保闘争の中でブントより正しかったとするのは、まっかなウソであり、歴史の偽造である。旧ブントが本質的に小ブル急進主義であったということは、同盟よりも、彼らが革命的であったということにはならない、事実は全く逆であって、彼らは小ブル急進主義の対極として、その補完物として、小ブル自由主義的であり、またある時期には、革共同関西派と何ら異なることのない経済主義者であったのだ。

 大さわぎをして、大げさに「安保敗北をわめきたて(真の革命的プロレタリアートはまゆをひそめるぞ!)、さらには「苦悩するプロレタリアート」に同情するのではなく、その言葉を嘲笑したと云っていきりたち、「自己変革の苦闘」に岬吟し、ロシア革命を唯物論的に解明しえず、「こうあったら良かったのに」という願望でみちみち、現実とはなれたところで理想をあれこれと思いうれい空想し、階級闘争と現実の厳しさに、何か観念論的万能薬を見出そうとする努力――これらの一切の特徴は、青山一派が、最高度にマルクス主義的粉飾をほどこし、マルクス主義的用語でうずまっていても、本質的に小ブル自由主義であることを示しているのだ! 彼らには常に自由主義が感じられる。

(六号)

 「苦悩するプロレタリアート」という言葉を我々が嘲笑した、と云っ
て青山一派はふんがいしている。しかしかつて「言葉は、他人にとっても、私にとっても、現実的、実践的意識である」(マルクス、ドイツ・イデオロギー)という文章を引用したのは青山氏ではなかったか? そうだとするならば我々が、「苦悩するプロレタリアート」というもっとむらしい言葉の背後にひそむ現実的、実践的な、徹底して小ブル自由主義的な、青山氏の「意識」を感じて嘲笑したのは不当であろうか? 真の自覚した革命的プロレタリアートなら、このもったいぶった、同情心あふるる、小ブルの意識を正確に表現している「言葉」にひょいと肩をすくめて嘲笑するだろう、苦悩するプロレタリアートがどのように苦悩しているかを現実的に、物質的に語りたまえ、「苦悩するプロレタリアート」にむかって衒学ぶった社会学的(すなわち、社会一般の解説的)お説教は沢山だ!と。いや、それとも青山一派は現代資本主義社会においてはプロレタリアートの「苦悩」が少なくなったので(?)、お前は苦悩しているのだ、と一人一人説教して行くというのであろうか? いやはや、全く、一歩一歩に彼らが小ブル自由主義者であることを知らされ、そろそろうんざりしてくる。国鉄の労働者に、「苦悩している」ことに単に同情を表明するような小ブル自由主象的ビラを、共産主義者同盟の名でまくようなことは早急にやめたまえ、それは全く恥ずべき行為であろう!

(七号、61.3.17)

 マルクスを単に「知識としてしか学びえなかった黒田氏は、マルクスの初期の唯物史観や人間労働への把握を正しくくみとることができず、従って資本論への発展の必然性をも解明しえず、初期のマルクスを「主体性確立」の問題意識で読みかじって、それ故必然的に、人間労働を神秘化し、その上にえせマルクス主義哲学をでっちあげた。プロレタリア革命の本質とその意義を社会科学側に明らかにしえない小ブルにとって必然的な、不可避な道だったのである。彼らは必然的に、今後ますます小ブル的に、戦術左翼集団に(旧ブントの茶番!!)、すなわち、経済主義的に転落して行くであろうし、それ以外に彼らの行く道はない。日本の革命的プロレタリアートは、革命的マルクス主義を自分のものとすればするほど、ますます黒田氏一派からはなれるであろうし、すでにそれは開始されはじめている。我々はさらにそれを促進しつつ、プロレタリア党建設へ向って全力をあげなくてはならないであろう! 黒田氏が人間の労働を中心に持って来て全体系を展開したため、彼への批判は最も困難なものとなった。「疎外された労働」「生産と所有との機械的分裂」等々はその限りで正しい。が、これらのマルクスの初期の言葉を絶対化し、しかも唯物史観を歪曲した上に、マルクスと別の新たな全体系をきずこうとした黒田氏の破産は必至であり、まさに彼は哲学界における宇野氏であろう。彼ら――黒田氏とその亜流の草共同全国委の、すべてに対する神秘化――は偶然ではない。それは小ブルジョア、という階級的基礎の上にのみはじめてはなやかに花ひらくものなのである。が、我々はそれがまさにマルクスの現実社会への認識を歪曲した上に立ったものであることを明らかにしえたことにより、黒田氏の全体系の根底への批判を終るのである。

 プロレタリア的立脚点は、唯物史観という具体的な形でもって、革命的プロレタリアの世界観として与えられている。革共同全国委はこれを空想的に神秘化したのである。それ故に、あの戦旗派やプロ通派の多くの英雄諸君――すなわち、自己批判し、プロレタリア的立脚点を獲得した、と確信している人々が、その口の下から、プチブル性まる出しである理由も、またおのずから我々には明らかではないだろうか!

(十一号、61.6.15)

 革共同関西派と全国委員会は、自らの内的本質のなかにではなく、ただ安保闘争ののち、表面的に「解体しなかった」という理由でもって、自らの正当性が証明されたかのごとくに思っている。だが、ブント(共産同)の解体と彼らの表面的な存続は、まさに内的論理をもっている。ブントの解体は、徹底して小ブル革命的であり、またそれ故に、革命政党の母体であったブントの客観的存在の基礎そのものが、安保闘争ののち、失われたのであり、それ故に、ブントの解体が急速に進んだのである。一方、小ブル自由主義(同じことだがプロレタリアートの中での経済主義)の客観的存在の基礎はいまだ資本主義の繁栄と共に続いているのであり、社会党の一時的な安定した存在を見ればそれは明らかであろう。革共同両派の存続の原因は、社会党の存続の原因と何一つとして異ならないであろう。が、資本主義の矛盾の拡大、深化そのものが、彼らを破産させ、無力化させてしまうのである。

 旧ブントの小ブルたちをうけいれて、黒田氏の理論でもって学生運動をすれば、4・5月に革命的な学生運動がありうるかのように考えていた革共同全国委の展望は、今やその破産を明らかにしつつある。小ブルの運動としては、安保闘争が最大限の闘いであること、そして其の革命的共産主義者は、そうしたやり方では、いかに献身的であり、革命的であろうと、それはニセものであり、決して勝利しえないことを我々は理解して、我々の方針をたてた。

 革共同全国委は、プチブルの自己変革のための革命的学生運動」という方針を公然とかかげた。だがこうした方針は、小ブル活動家を少々うみ出しただけで終ったのは、4・5月闘争ののちの現在、全く明らかであろう。さらに賃金闘争に関しては、「賃金闘争は、つねに個々の労働者の賃上げ闘争の総括として闘われ、その結果として、賃金闘争の妥協は、個々の労働者の賃上げ分の決定となるように闘われなくてはならない」(前進22号)、そして、貸金闘争においてプロレタリアートの革命的統一戦線をつくり出すことが必要なのである」(同25号)とする。いかにも小ブルトロツキーの亜流であり、主体性論者の彼らにふさわしい方針である。が、こうした空文句でもってしては、何一つとして現実的成果をあげえないことは、同じくあきらかではないだろうか?

(十一号)

 トロツキーの弁証法の無理解――彼は歴史はら線状に進歩するということ、ソ連社会は決して「私的資本主義へ後退しないであろうということを理解しなかった。従って、ソ連の「国有財産制と計画経済」を擁護しなくてはならない、ソ連社会を暴露し、これと闘うよう呼びかけてはならない、「スターリニスト打倒、ソ連擁護」だという反動的なスローガンを生み出さざるをえなかった(現在第四インター=革共同がこのスローガンをうけついでおり、また、黒寛一派もこれを克服しえていない)。たしかに「国有化」と「計画経歴は10月革命の偉大な遺産であり、それは小商品生産が支配的であった後進国ロシアに先進資本主義国においつく一つの手段を与えた。しかし彼らはロシアは、「国有化と計画経済」のままで、しかも資本主義的発展をたどり、またそうした発展は私的資本主義へ後退する物質的根拠を失ってしまっていたし、またその必要もなかった、ということを理解して′いない(勿論、外国帝国主義に侵略され、ソ連が粉砕され、植民地的状態におとし入れられた場合は別だが……。しかし、その場合すら、決して本来の意味での私的資本主義を復活することはなかったであろう)。こうした「国有財産制」と「計画経済」の下での資本主義は、かつての封建的、小商品生産的な後進国ロシアに比べたら飛躍的な、質的にことなる、偉大な進歩であり、躍進であった、とはいっても、この社会を我々が支持したり、肯定したり、本質的矛盾のない「社会主義社会」である、ということには全然ならないのであるが。何故なら、真の共産主義者の任務は現実の、生きた矛盾を(黒寛一派よ、ここに注目せよ!)、暴露し、また暴露し、プロレタリアートにこれと闘うこと、これを打倒しない限り、資本主義もソ連の国家資本主義もプロレタリアートを抑庄し、搾取し、究極的には貧困と悲惨と死をもたちす以外ないことを暴露し、真理のため闘いつづけることであるから。

 ソ連国家資本主義の運動法則の解明は簡単なことではない。一つには、ソ連社会がたえず、戦時体制あるいは準戦時体制のままで国際情勢の中で存在せざるをえなかったこと(例えば、革命直後の戦時共産主義時代は内乱の時代であり、第一次五ケ年計画は大規模な国防強化体制の時期であり、さらに第二次大戦である)。さらには資料がスターリニストによって隠されてしまっていること、そしてそれがソ連の支配階級によって著しく歪曲されていること等々からして。

(八号、61.4.3)


4.旧ブントの第一次急進運動の総括をめぐって

 安保闘争の「敗北」が口やかましく論じられ、同盟の解体と危機があらゆるところでさけびたてられ、わめきたてられている。不用意な「決定的敗北」「挫折」「同盟の解体」と云う言葉が、あらゆる部分からはきだされ、最も革命的な、最も誠実な部分は、にがにがしく口びるをかみしめ具体的な教訓、具体的な総括を求めている。具体的事実と具体的な経験に即した総括――これは誰がどう云った、あるいはどうした、あるいは一つ一つ、の闘いがどうであった、こうであったと云う総括ではない。
   ……………………
 安保闘争の「敗北」――これを説明して「戦旗派の左派」、同志摘木(大瀬振)は次のように云った。「この意味はすべての大企業に細胞を組織しえなかった、ということにある」、「現在我々のなすべき極めて重要な課題は、基幹産業を中心として労働者階級の中に革命的中核を組織することに最大限の努力をすることである」(戦旗33号と云い、又一方では「安保闘争の中で前衛党建設の基盤(前衛党ではない、その基盤であることに注意!! 何と御苦労なまわり道であることよ!)を理論的にも組織的にも構築しえなかった」(戦旗30号)ことである、とする。

 だが、何と「戦旗派」はその結成当初から自己矛盾にみちみちていることよ! 「同盟結成に際してプランキスト集団、小ブル急進党たらんと決定したわけではあるまい。革命党を志向したはずの我々が、安保闘争の敗北後に自らを自らの鏡の前にうつし出した時、プランキストや小ブル急進主義者の集合体として見出さざるをえなかったところに悲劇的喜劇があるのだ」(論争資料2P)。戦旗派の諸君が自らをブランキストや小ブル急進主義者として見出したと云うプレハノフ的なきごと(プレハノフは1905年の革命のあと「武器はとるべきでなかった」と俗物的なきごとを云った)はさておき、そうしたままで自己変革(それが戦旗派には不可欠だ!!)を忘れ、労働者の中にどうして革命的中核を組織しうるのか? 誰にもまして緊急に、そして徹底的に戦旗派の自己変革が必要であるのに(諸君はこのように自分で云うのだ!)、その任務を具体的に出すのをやめて、あるいは出そうとする努力を放棄して「川崎へいこう」と呼びかけるのは自己矛盾ではないか?

それよりも具体的に、いかなる政治的任務を担う前衛党が必要なのかを明らかにすべきではないのか? 前衛党は政治的組織であってサークル組織や「疎外」からの逃避場所ではない)。彼らはそれをしないし、又なしえない。前衛党の不在や、自己の前衛としての主体性の未確立をなおすための特効薬として、「大企業への細胞づくり」を提案することほど」混乱した自己矛盾の理論はないのであり、これこそが「戦旗派」にとって全くふさわしい彼らの基本的立脚点なのである。

(一号、61.1)

 革共同全国委員会派は中央委員会〔一月の全学連第二六中委のこと〕の第二日目にすでに破産してまい、自らの方針を定めることがいつものように全然できなくなってしまったのだ! まず彼らは「安保闘争と三池闘争という階級闘争の焦点の敗北から」冷厳な教訓をくみ出す必要がある、として「安保闘争の敗北は、プロレタリアートの小ブル運動への屈服、それを生み出したのは革命的主体の欠如にあったわけである」と前衛が存在しなかったからこそ安保三池は敗北したのであり、それ故に、今こそ真の前衛をつくることが重要である、という。この分派はこうした無内容な、一般的な総括以外、あるいは一般的な方針以外に何か積極的な、何か有意義なことを一つでも展開したことがあったろうか? 先日の中央委員会で斉藤君は「今まで我々は戦術について論ずるのを全くさしひかえていた」と発言した。この言葉の背後にこそ、全国委員会派の無内容、我々の付属物、小ブル自由主義者、小ブル・ジャーナリストの本質がある。彼らは三年前には一定の先駆的な役割をになった「前衛の不在」ということを、すでに単にそれをくりかえすだけでは全くの反動であり、保守であり、逆もどりとなった時点においてそれしかくりかえしえないのである。

 安保闘争は前衛がいなかったから敗北した、もしかしたら安保闘争で勝利しえたろう、あるいはスターリニストの影響力を粉砕しえただろうと彼らは云い、結局それしか云わないのであるが、彼らにとって致命的なことは「経済運動」の、階級情勢の分析が全然ぬけおちているという一事なのである。階級情勢の分析なしに「前衛の不在」ということからのみ「安保の敗北」をとく反哲学的、反マルクス主義的黒寛一派が革命的労働者、学生を一時的に引きつけ得たとしても、それは日和見主義のばっこに原因がある。革命的労働者学生はこうした自由主義的空論や観念的おしゃベり屋をおそらく早急におっぽり出し、たたき出してしまうことだろう!

(二号、61.1.28)

 現在の日和見主義の特徴――それは革通、プロ通右派、マル学同等々が物質的条件を小ブルが広汎に革命的運動の中に流入して来たということからして必然化しているのであり、我々は、戦旗派の「組合主義、経済主義」(すなわち、資本主義の本質を単に、資本=賃労働の関係としかとらえられない、プロレタリアートの自然発生的意識に追随する)と闘うと共に、今、特殊にこれらの日和見主義と闘い、同盟の、革命的路線を守り抜くことが重要である。

(二号)

第2として、かつて革通派の展開した「合理化という池田の経済政策阻止から、資本主義社会を混乱させてプロレタリア革命。従って三池を決定的に重要視して、そこへ全力投入」という見解と、この会議〔ブント、労細代〕で一つのかなり大きな潮流であった経済主義とのかたい結びつきを指摘しなくてはならない。

 たしかに資本主義社会における合理化――資本の有機的構成の高度化は、プロレタリアートの労働時間の短縮、その消費生活の豊富さとなってあらわれないで、一部の労働者の必要労働に比して剰余労働の拡大(搾取の強化)、配置転換となり、一部の労働者の首切り等による生産からの遊離化、相対的過剰人口の造出、すなわちプロレタリアートの生存そのものをおびやかすもの等々になってあらわれ、不可避的にプロレタリアートの反抗をよびさますし、闘争を爆発させざるをえないし、我々はその闘いの先頭に立ち、組織しなくてはならない。しかし斜陽化しつつあるが、それを克服し、さらに利潤を得つつ生産を続けていこうとする三池の石炭資本の合理化を阻止することから池田を打倒しうると考えたり、資本の運動を混乱させてそこから革命の展望を切り開きうると考えたり、「合理化反対を今特殊に重要視して」マル学同のように「前衛党があれば三池で敗北しなかった」と幻想を持つことは、俗悪なる小ブル的思想である。「相異った産業諸部門における生産力の発展が、極めて相異った割合で進むこともあるという事実は(単に競争上の無政府とブルジョア的生産方法の特質とのみに起因するものではない。また……労働の生産力なるものは、社会的諸条件に依存する限りでの生産力の増進に比例してますます生産率を減じて行く自然諸条件にも結びつけられている。かくして、相異った生産諸部面には相反した運動が生じ、ここには進歩あそこには退歩を見るというありさまである。例えば大抵の原料の分量が単なる季節上の影響に依って左右されるという事実や、森林が伐採しつくされ、炭坑、鉄鉱山等が採掘しつくされるという事実やを考量せよ」(資本論第三巻十五章)。

 我々の中心的任務は一つ一つの合理化反対闘争の中で、単に、「合理化粉砕のため、徹底的に最後まで闘い抜け」というのみではない。我々は「労働者がより多く富を生産し、彼らの労働の生産力が増大するに従って、彼らにとっては資本の価値増殖手段としての彼らの機能すらもますます不安定となるのはどうしてであるか、という秘密」(資本論第一巻二十三章)、何故彼らが働けば働くほど教皇や不況とか戦争という窮乏と苦悩と破滅におびやかされ、破壊的な諸結果におそわれるかという根本的原因――資本主義的生産様式――を暴露しこれを打倒する以外一切の解決のないことを宣伝しつづけなくてはならない。資本主義を暴露することを何かつまらない、無益な、プロレタリアートに対して少しも訴えるところのないことである、と思うのは生産過程から遊離した小ブルジョア=学連主義者の非階級的な思考様式であろう。

 「党のことを考えるのも大切だが」「春闘にそれの二百倍、三百倍で没入すること」を考えたり、春闘を社民に対抗して全体としていつか我々のヘゲモニーでおしすすめることができると空想したりすることは完全な、典型的な、徹底した経済主義であろうし、旧同盟と密接にむすびつき、革通理論と実際上むすびついているこうした思想を我々は同盟内から追い出さなくてはならないであろう。

(六号)

 1958年12月に同盟が誕生し、革共同と分裂し、成長する過程は1ある理論によって偶然に生み出された、というようなものでは決してなかった。同盟の誕生自体、苦悩し、闘って来た世界プロレタリアートの闘いと、日本のプロレタリアートの戦前、戦後の革命的闘争と、日本資本主義の脆弱性に物質経験を持つ、日本労働運動の左翼的展開の中からこそ、世界共産主義革命をめざして生まれたものであり、それ故に、他の一切の政治的潮流と区別された真実の革命的な側面を持っていた。たとえば、我々が綱領草案をつくりあげ、それを「討論」にふすということをなしえ、革共同全国委が彼らの誕生から大体四ケ年もたつのにそれすら出来ず、戦旗51号のような小ブル的な俗悪な無内容な文書を美化し、ほめそやしていること自体偶然ではない、本質的な相連のあるものとしてうけとらなくてはならない。

 しかし同盟の――そして何よりも我々の――革命的側面、革命的情熱は、その様々な歴史的、社会的な制約によって小ブル急進主義として現象せざるを得なかったということなのである。またそれ故に、このきわめて革命的情熱と革命的努力にみちあふれた、偉大な小ブル急進主義運動は、歴史的社会的に見れば――すなわち、1959年から60年にかけての日本の階級闘争の発展段階において完全に正当であり、きわめて重要な、決定的な意義を持っており、かつ重要な役割をはたしたのであり、ある意味において日本プロレタリア革命の突破口を切り開いたのである。だからこそ、今ですら、日共の内部において分解が進んでおり、多くのプロレタリアートの左翼が漠然と同盟の再結集に期待しているのである。また、だからこそ我々は、戦旗の「ブントは小ブル急進主義である」というだけの右からの批判に対して正当にも反発したのであり、そして革通派、プロ通派が一定期間同盟の左翼を結集して存在しうる条件がここにあったのである。(しかし、じきに、必然的に破産し分解して行かざるを得なかったのであるが)。そしてこのように総括することは旧同盟を肯定することでもなく「真正ブント」の再現のために努力することでもなく、ましてや革共同全国委を肯定することでもない。逆に彼らを粉砕しつつ、同盟の革命的止揚をなしとげ、さらに我々共産主義者がプロレタリアートの革命的大衆行動と結びつき、勝利するために首尾一貫して努力する、という方向が不可避的に生まれてくるのである。……

 かくして我々は同盟の総括を「全面的否定」という戦旗派的、革共同全国委的空文句で清算主義的になしとげることがいかに反革命的な、反動的な階級的行為(裏切り的な、という意味だ!)であることを明らかにすることが出来る。革共同全国委は純粋理念にてらしあわせ、あてはめてのみ安保闘争や現実を稔括するので「前衛党不在の一般論の定着」や「敗北の意識の定着」という、全くの無意味、無内容の、言葉と観念のみの総括しか出来ず、混沌たる現象の中をうろつきまわることになるのである。

(七号)

 また「外からのショック論」、戦旗51号で青山氏が同盟の小ブルたちをもったいぶって、しかも残念ながらメンシェヴィズム的に右から批判したブントの歪曲された、「外部注入論」は、革共同や青山、唐牛一派、コペルニクス的大転回をとげた同志岡田・電田の諸君の云うように「スターリニズムをうけついでいたから」ではない。安保闘争をふりかえってみれば、そうした理論が革命的小ブル急進主義運動を強力に展開するためにのみ、その必要から不可避的に、必然的に生み出されて来たことが分かるのだ。また「安保か、合理化か?」と対置し、ブントが「安保だ!」と云ったマンガ的思考様式も、小ブル急進主義運動の忠実な、正確な反映なのであった。そして小ブルを相手にしたのでは、完全な、きりちぢめられないスローガン」、共産主義的宣伝煽動は不可能であり、真の革命情勢でない時期に学生を革命的闘いに組織するには、小ブルの意識に依拠し、その観念的本質にうったえ、非現実的であろうとなかろうと危機意識をあおりたて、さらにあおりたてて進まなくてはならなかったのであった。

(八号)

 へーゲルはマルクスによって本質面において否定され、のりこえられた。にもかかわらず、このことはヘーゲルの体系の「以前のどんな体系よりも比較にならないほど広大な領域を包括し、そしてこの広大な領域で、今日なお人を驚嘆させるほど豊かな思想」をマルクス、エンゲルスが評価するのを妨げなかった。

 共産主義者同盟とその指導した運動を本質面において否定し、のりこえることが今、我々の課題となってける。ということは、この革命的小ブル運動と旧同盟を革共同全国委的に、坊主ザンゲ的に、「全面的否定」の空文句でなしとげ、自からの小ブル的日和見主義をおおいかくすことではない。彼等は革命的小ブル急進主義運動が、歴史的社会的なものであることをマルクス主義的に把握できないが故に、旧ブントを頭の中で否定したと思った瞬間にまさに旧ブントそのままなのである。

 マルクスの初期から学びマルクス主義の本質を学びとって唯物論的主体性を確立したと称する革共同全国委の諸君は、また何とマルクス主義的でないことだろう! 偉大なマルクスと、安保闘争の総括一つとっても、その根本的方法でことなることだろう!

 こうした小ブルたちは、小ブルとプロレタリアートの本質的差異を言葉では認めつつも、実際にはそれをあいまいにするのである。現在において学生=小ブルと、プロレタリアートの階級的立場の相違をとくにくっきりと明らかにするのは重要である。学生=小ブルも、プロレタリアートも独占資本によって圧迫されていることを根拠にして、これらのちがった階級をいっしょにすることは全く反動的なことである。このことはまさに現代社会経済の社会的構造、そのブルジョア制度をおおいかくし、ぬりつぶすことを意味する。ところが、現在の革共同の唐牛一派のみにくい、俗悪なる学連主義者のやっていることはまさにこのことである。彼らは、革命的インテリゲンチャに、革命的学生運動を「再建」し、「展開」することしか訴えないのである。現在の特殊性、すなわち1958年〜60年の革命的小ブル急進主義連動を通じて生み出された、真のマルクス主義と真の前衛党を、組織されたプロレタリアートの中へ広汎に、深く持ちこみ、革命的プロレタリアートを組織することが緊急の問題となっていることをおおいかくすのである。

 彼らは革命的学生運動を展開することによってそれをなしうると云うのだろうか? いや、それはまさに、旧ブント路線そのものではないか! それとも革共同全国委の理論ですれば今すぐ革命的学生運動が展開しうるというのか? それなら、それは全くプロ通革通と同じく「理論」があれば、……と云ったのと本質的に同一ではないのか。彼らの旧同盟の批判の根底が、単に旧同盟への小ブル的反発でしかないし、真の批判とはほど遠く、従ってまた旧同盟と全く同じものを平気で持ちこみうるのである。

 旧プロ通派の英雄、学生運動から去って真の革命家としての実践をはじめようとした岡田氏の学生運動への復帰は何を意味するであろうか? さらに唐牛氏の復帰は? それは彼らが学生運動が重要だと思ってそうしたのでなく、真の革命家としての実践活動をなしえない小ブル的本質を持つが故に、自らの本質にふさわしい場所にもどったということ以上、何も意味しない。我々はこうした一切の腐敗し切った小ブル学連主義者たちとけつ別し、断乎として、真の革命党をめざす方向に進まなくてはならないであろう。

(61.4.6、全学連27中委にまかれた共旗派のビラより)

 しかし安保闘争をその運動において総括した学生運動内の真のマルクス主義者は旧ブントの路線=小ブル急進主義は永久にすぎ去った日本の革命運動の一発展段階であること、そうした闘争をいくつ積み重ねても革命がおこらないのみならず、そうした方向で闘争を組織しようとする今後の一切の試みは必然的に挫折せざるをえないこと、そうした試みは、現在においては反革命的なものとなっていることを認識しているからこそ、全学連が、直ちに革命的学生運動を展開し、4・5月闘争ののちに一挙に全自連を粉砕しうる、と考えるのは夢であり、小ブルの頭の中で考え出された、非現実的な幻想であろうというのだ。今後の真の革命党に指導される小ブルの運動は絶対に小ブル急進主義運動としては現象せず、それゆえに、今すぐそうした闘争が組織しうると考えるのは全くの反動的な幻想であり、旧ブントそのままである。今後の小ブルの闘いは独自的な意義をますます失い、プロレタリアートの闘いの単なる同盟軍(今までのように言葉の上のみの同盟でなく、実質の上での同盟軍)としてのみ現れるだろう。しかも完全にプロレタリア的内容と、プロレタリア的闘争形態をもって。全学連の再建と日和見主義者の粉砕は、こうした形では絶対になされないのみならず、逆に、学生運動内の真のマルクス主義者を混乱させ、消もうさせ、意気阻喪させる以外、何もしないであろう。全学連の再建――すなわち、小ブルジョアのプロレタリアート側への獲得は、今すぐ出来るなどというものでもなければ、学生運動を独自的に、自己完結的、自己目的的に追求して可能である、というものでも絶対ない。それはプロレタリアートの、断乎たる、非妥協的な革命的大衆運動の展開によってのみ、可能となるであろう。

 プロレタリアートとプチブルの関係における一切のあいまいさ、一切の逆転も、それは絶対的に反動的な、ブルジョア社会の本質を理解しない見解である。プロレタリアートのみが、唯一の革命的階級であり、小ブルはあくまでも小ブルであって、、小ブルを頭の排泄運動によってプロレタリアート的立場にかえうるというのは黒寛一派の小ブル的な、反動的な幻想である。せいぜいそれは口さきでは過去の自分のすべてを否定し、坊主ざんげし、革命的に闘ったことをくやみ、「踏絵」をしたとしても、自己の小ブル的信念は、いささかも変わつていない篠原、唐牛、北小路、清水、斉藤(清)氏等々の醜悪な、腐敗し切った政治屋的小ブルたちをあらためてつくり出すのみである。

 斉藤(清)氏は、「革命的プロレタリアートは、反スターリニズムの唯一の大衆組織としての全学連の再建を期待している」と安っぽいアジテーションを行った。革共同全国委の下に結集している小ブル的なプロレタリアートはさておいて、真の革命的プロレタリアートは、「全学連の革命的再建」という小ブル的幻想に期待してはいないし、又してはならない。そんなところにプロレタリアートの資本のくさりからの解放の萌芽はもはや存在してはいない。プロレタリアートの解放はプロレタリアートの独自の、自主的な革命的大衆行動によってなされるのであり、そのためには、まずプロレタリアートは革命党をこそつくり出さなくてはならないのであり、プロレタリアートの解放の火花をひめている組織こそ、我々「共産主義の旗」派であろう。

 またこの中央委員会の中で、我々が旧ブントと闘っていない、旧ブントを美化している、すなわち、「運動として総括する」という方法によって旧ブントの「理論」のうら切り性をおおいかくしている、といういわれのない中傷について答えておこう。これは全くのウソであり、事実は全くの反対である。我々は旧ブントの理論のみをとり出して、あるいは理論を中心に持って来て総括するのに反対したのであって、旧ブントの小ブル的理論を暴露して闘うのに反対したのではない。

 中央委員会で清水氏は次のように云った、「我々が同盟をつくって出発した時には、安保闘争=小ブルの運動の直接的な発展の上に革命があるなんて思わなかった。世界革命を行う、という理論をもって出発した。ところがそのようになったのは何故か? それは党と革命の論理がなかったからだ」とし、彼はここから黒寛がそれを解決している、とつっぱしるのである。理論は世界革命をめざしていた、ところがそうでなくなった、だから理論の問題である。あるいは、安保闘争の延長上に革命があると思ってしまった、これは革命の理論がなかったからだ、というのである。一体清水氏が正直ぶり、無邪気ぶって告白している真の内容は何であろうか? これは観念の永遠のへーゲル的な自己運動であり、どこまで行っても解決のない水車のような永久回転である。彼らはここから、泥沼の方へ行ってしまったのである。

(全学連27中委の総括、「プロレタリア革命」創刊号61.4.13)


・・・共旗派結成アピール・・・

 革通派が破産し、戦旗は分解をとげ――そしてそのことは彼らの根本的立脚点と理論から必然であったのだが――さらに本質的に革通派と同じ基盤の上に立ち、同じ傾向の理論を持つプロ通派も破産した。彼らは我々の圧力の下に現象的には変化したような顔をして過去をすべてぬぐいかくそうと反動的努力に懸命である。しかし彼らはマルクス主義の本質を、弁証法的唯物論を理解していないが故に、科学的に世界を経済分析する決定的な、必然的な重要さも理解しえないし、総括一つ出来ないのである。この小ブル革命家諸君は同盟の挫折――この原因を現在の資本主義の政治的経済的な問題として、物質的な諸階級間の問題として還元してマルクス主義的に総括することができないし、その上に立って首尾一貫して同盟の理論的な組職的、政治的歪曲を総括し明らかにし新たな方向をめざして行くことはできず、必然的にあれこれの思いつきを追求し、新たな理論を「発見する」ということになり、真の党活動をどうしても展開することができなくなる。

 我々の分派結成は思いつきや偶然でなされるものではない。三派の破産の明確な確認の上になされるのだ。それ故にこそ我々は固い決意で、革命の日まで先頭に立って闘おうと思う。

(五号、61.2.25)