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労働の解放をめざす労働者党
代表委員会メッセージ



【2019.4.21】

日米同盟は盤石という安倍政権の大甘
 ――一日米貿易交渉の行方、初めはソロリと次第に自国ファーストを剥き出して


【2019.4.2】

元号「令和」に不吉な予感
 ――一致しすぎる歴史的経験との符合


【2019.3.31】
莫大な浪費と、何の社会的な益もない迷惑な空騒ぎ
 ――労働者・働く者は、安倍政権と天皇家の陰湿な合作と共演と茶番である「代替わり」に抗議する

【2019.3.26】
日本誘致をだましとった「復興五輪」の面影はいずこに
 ――安倍政権延命のための饗宴と化している


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日米同盟は盤石という安倍政権の大甘
日米貿易交渉の行方、初めはソロリと次第に自国ファーストを剥き出して
 2019年4月21日

 日米貿易交渉がソロリと始まりました。お互いに最初から激突するということでなく、相手の出方を見つつ、トランプは来年の大統領選勝利を何が何でも達成するために、徐々に日本に対しても大幅な譲歩を要求して牙をむいてくるでしょう。安倍政権が個人的にトランプと友人関係を築いてきたから、あるいは日米同盟は盤石だから大丈夫だなどと考えているなら、苦い失望や幻滅を余儀なくされる可能性も十分にあります。安倍が得意とうぬぼれている外交でも、失敗し、挫折し、行き詰まるしかない時が訪れつつあるのです。
  日本は為替操作はしてない、ドル買い・円売りなどやったことはないと開き直ってみても、安倍政権は成立して以来、一貫して金融大緩和政策で円安を実現してデフレ脱却を可能にしてきたと散々に自慢してきたのですから、トランプから見れば、十分に円安のために故意に努力してきたと思われ、突っ込まれても仕方なく――「身から出ましたサビゆえに~」という、「ネリカンブルース」の歌にあるやつです――、弁解してトランプを納得させ得るなど不可能でしょう。大丈夫だなどと楽観しているとするなら、甘い判断というしかありません。 そもそもトランプはさておくとしても、安倍や習近平が「貿易自由主義者」を気取ること自体、ナンセンスで茶番です。

元号「令和」に不吉な予感
一致しすぎる歴史的経験との符合
 2019年4月2日

 天皇の代替わりの空騒ぎもしくは、茶番は元号「令和」の決定と発表により一つの頂点に達し、さらに5月1日の新天皇の即位によって完成しようとしている。この危険な空騒ぎの意味することは、天皇が再び1945年以来、完全に危険な〝政治的〟存在と化したこと、安倍政権と癒着し、融合することによって安倍の企む日本国民の国家主義への――したがってまた軍国主義への――統合の恰好な道具として現れたということであろう。  いうまでもなくこれは、昭和の前半、天皇一家がファシズム化した軍部の国家主義、軍国主義と結びつき、その道具に転化し、国民の全体を侵略戦争と帝国主義戦争に動員し、駆り立てる上で決定的な役割を果たしたのと同様であり、その始まりであろう。
 そうした現状を踏まえて「令和」という元号を冷静に見直し、評価すると、安倍がペラペラと得意そうに説明した牧歌的な、偽善的な説明――「令は吉と通じ、めでたい意味がある」、「花を大きく咲かせたい」等々のきれいごとや美辞麗句――と全く違った、不吉な予言じみたものをそこに見出さざるを得ない。
 我々(とりわけ林)が令和の「令」を見て感じたことは、それがまず「命令」の令であり、すぐに「勅令」の令であり、最後に「奉勅命令」の令であるということであった。それが、昭和の戦争の15年戦争の後半の時代の空気を吸い、7歳で敗戦を経験した林が、安倍政治の6年余の時代を経験した今、「令和」という二字熟語から受けた最初の精神反応であり、脳の反作用であった。我々の世代にとっては、それは自然の反応であった。
 2015年の秋、安倍政権は憲法9条など何のその、その解釈を「閣議決定」でいくらでも捻じ曲げ、まさにかつての天皇の「勅令」よろしく超法規的な〝大権〟ふるって、国家主義に道を開く諸法律――集団自衛権の行使つまり海外で自由で大規模な武力行使、軍事行動を可能とする諸法規(俗称では〝戦争法〟)を可能とする諸法規――成立させた。
 まさに「令和」そのものであり、その先取りではなかったか。
 つまり安倍は4年ほど前の秋に、そんな諸法律を成立させながら平和のためであるとか、さんざんにきれいごとを並べたのだが、それもまたまさに今、元号として「令和」を掲げながら、平和についていくらでも麗しい、偽善的なおしゃべりをするし、できるのと同様である。
 もちろん安倍一派の国家主義が軍国主義と同意語であり、容易に軍国主義に転化していくのは、このブルジョア社会では、個人主義とは利己主義であり、またそれに容易に転化していくのと同様である。
 ついでに言えば、「令」は専制政府、独裁政権が得意とする、「戒厳令」の〝令〟でもある。自民党も安倍政権も12年の憲法改正草案でも、今回の憲法改定案でも「緊急事態条項」を是が非でも盛り込めと大騒ぎしている。つまり「令」とは、労働者・働く者の大規模な大衆行動などが勃発し、発展した時には、国会や法治主義を飛び越えて、内閣の「閣議決定」だけで緊急政令などを制定し、ことに当たり、労働者・働く者やその闘いを容赦なく弾圧できるようにせよと大騒ぎしている安倍政権にとって、きわめて特徴的で、示唆的な漢字というしかないのである。
 かつて15年の不幸な戦争の時代であった「昭和」が昭和恐慌と共にスタートし、15年の無意味で不幸な15年戦争の時代となったように、今日本が、そして世界もまた再び深刻な恐慌の時代を迎えようとしている時――今夜の日経新聞夕刊は1面で新元号「令和」を大々的に扱うと共に、それと並んで、「景況感大幅に悪化」という記事を掲載している――、「令和」の元号は不吉な予感として我々に迫って来ないだろうか。
 とするなら、我々が「令和」とは安倍の天皇制と結びつき、一体化しつつますます専制化しつつ、口先では平和について美辞麗句を弄している時、そこに歴史との余りに不吉な付合を見出すのは果たして不当であろうか。
 安倍政権はほとんど意識することなしに、「令和」という元号を押し出すことによって、自分の目指している社会と時代――〝勅令主義〟=天皇制専制主義もしくはファシズム体制下の〝平和〟――について語り、あるいはひょっとして今後20年、30年の日本の暗い未来への不吉な予言をしてしまったのではないだろうか。
 今後の歴史のみが、その真実を明らかにしていくだろう。
          2019年4月1日   労働者党代表委員会

莫大な浪費と、何の社会的な益もない迷惑な空騒ぎ
労働者・働く者は、安倍政権と天皇家の陰湿な合作と共演と茶番である「代替わり」に抗議する
 2019年3月31日

 天皇の生前退位とそれに伴う天皇制護持の大キャンペーンもしくは世紀の茶番劇がピークを迎え、その一つの契機としての元号決定のため、安倍は現天皇と次期天皇の皇太子に今日(3月29日)会って、元号について「報告」もしくは「説明」を行い、曲がりなりにも天皇が元号を決めたという形式らしきものを見せかけようとしている。
  しかし実際には安倍政権が、今を時めく権力者である安倍が、昨近の天皇制大キャンペーンを、自らの政権の浮揚と参院選のために仕切っているのは誰もが知っていることである。天皇(もしくは天皇家)が新元号も決めなくては全く「元号」の主旨に合わないのだが、そんなことは天皇家も安倍も実はどうでもいいのである。天皇家も安倍政権も国民を、とりわけ労働者・働く者をあざむき、自らの権力や特権や利益を守り、できればその永続化を狙い、追求しているだけだからである。
  天皇家の利害にとっては安倍の専横な権力が必要であり、反動派、国家主義派としての安倍政権ほどの保護者、後援者を見出すことができず、また安倍も自己の権力を飾り立て、正当化し、利用できる天皇制ほどの好都合な制度を見出すことができないというわけである。今では、天皇家と安倍政権ほどに親密で、阿吽(あうん)の呼吸で気心を合わせ、連合する二つの権力機構はないというわけである。
  安倍はせっせと天皇制の神性や至高性や不可侵性をはやし立て、国民を超越する、国民の上に立つ、その制度の虚妄性を振りまきながら、しかしそれも、今は自分の思うがままのものであることをも印象付けるという、矛盾した、バカげたことに励めば、天皇一家も空っぽの神性を、つまり安倍を超える〝聖なる〟存在であることに満足し、居心地のいい、そんな地位のために、表面は安倍を立てるのである。
  というのは、自らは聖なる存在であって、「政治」といった、〝俗事〟にかかずりあうことはないからであり、具合よくかかずりあってはならないことになっているからである。
  彼らは共に徹底的に自己本位であり、エゴイズムの塊である、だから彼らはお互いに相手を本心から尊敬し、信じているわけでもないのである。
  本心では自分の方が相手よりはるかに上等だと思っているのである。安倍は自らの権力保持や権力意識に生き、そんなものを最優先する嫌らしい自己本位のエリートであり、権力主義者でしかない。他方、天皇一家は、ありとあらゆる不自由や〝人権〟の放棄と引き換えに、優雅で、寄生的な生活や居心地よい地位を保障された〝貴族的〟特権に安住し、自らの幻想の血筋へのプライドや高慢、思い上がりのみに生きる、時代錯誤の愚者たちであり、天下の俗物たちである(皇太子の「雅子の人格が否定されたことがあった」というかつての発言や、秋篠宮一家の最近の低次元のドタバタ騒ぎ等々を想起せよ)。
 労働者・働く者は、安倍政権と天皇家の陰湿な合作と共演と茶番である代替わりの大騒ぎに抗議し、単に莫大な浪費と、うっとうしく、何の社会的な益もない迷惑な空騒ぎであると断罪し、さらに、安倍政権やブルジョアたちやスポーツエリートたちだけのための、結局は徹底的に政治的意図で強行されるオリンピック騒ぎと共に、直ちに止めるべきだと強調する。

日本誘致をだましとった「復興五輪」の
面影はいずこに
安倍政権延命のための饗宴と化している
 2019年3月26日

  国民をたぶらかす「復興五輪」なる名称と、安倍の誘致合戦における、福島の原発事故の処理は完全で福島は安全だ、「アンダーコントロール」だという安倍の虚偽発言によって日本誘致をだまし取った日本五輪は、竹田会長の賄賂疑惑と彼の辞任――罪を認めたことだ――に帰着し、その汚れ切った腐敗と莫大な浪費と、結局は安倍政権延命のための饗宴にすぎないという本性を暴露した。
 「復興五輪」などの面影はどこにもなく、被災地復興や被災者救済は後回し、カネも資材も五輪優先で、現地では、「復興五輪?異国の出来事のようだ」、「(突貫工事で建設が進む)新国立競技場は間に合わせるけど、被災地(復興)は遅れたってかまわないといわれているようだ」という恨み言が公然と語られている。
 五輪や万博をやれば経済発展が加速する云々は幻想で、古代ローマは「パンとサーカス」(バラまきと五輪と読め)によって頽廃し、寄生国家に堕することで滅んだ。ローマを持ち出すまでもなく、日本でも64年五輪の後、深刻な経済不況や財政悪化に苦しみ、国債発行が始まり、借金地獄国家に転落していくきっかけとなった。ギリシャは04年のアテネ五輪に浮かれ、借金による浪費やバブルや、財政や国家破産の末、困窮と緊縮生活の10年を余儀なくされた。
 五輪に浮かれると碌なことにならないという経験はいくらでもある。他山の石とすべきだ。(鵬)