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労働の解放をめざす労働者党機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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E-メールでのお申し込みもできます。
「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
  または各支部・会員まで。
  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1313号 2017年10月29日
【一面トップ】再開された労働者党の闘い――政治的詐欺師・安倍一派の虚妄の〝大勝利〟
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】共産党解党の危機に――スターリン主義と日和見主義
【二面トップ】庶民派「まじ太」(あくつ)を国会へ!――〝超エリート〟の「きざ夫」はもう沢山だ!/小泉氏への投票は安倍政権の延命だ(2次ビラ表面)
【二面サブ】小泉氏の「こども保険」論を問う―― 「全世代型社会保障」はエリートの絵空ごと(2次ビラ裏面)

※『海つばめ』PDF版見本

再開された労働者党の闘い
政治的詐欺師・安倍一派の虚妄の〝大勝利〟

 17総選挙は、安倍一派が公示前の議席を維持するという圧勝に終わった。しかしその「勝利」がいかに偽りのもの、不当なものであるかは、安倍一派の政治や政策を問う前に、朝日新聞のまとめた以下の記事からも明らかである。「投票しなかった人を含める全有権者に占める自民の絶対投票率は、小選挙区で25%、比例区で17%。自民に票を投じた人は選挙区で4人に1人、比例区で6人に1人であったが、結果として全465人議席の6割を占めたことになる」。

不正義の安倍の勝利

 つまり安倍政権の勝利とは国民のたった17%の支持によるものでしかない。安倍らは、それは決まっている制度によるものだから正当だと常に開き直るが、こんな制度が民主主義のどんな観念とも一致しない、不正、不公平なもの、直ちに変えられ、ただされなくはならない邪悪なものであるのは余りに明らかである。

 そもそもこんな政治も権力をも歪め、堕落腐敗されるような最低の制度は、自民党政権や支配政党が、自らの権力を維持するためにでっち上げ、作り出してきた利己主義の結果にすぎない。我々は安倍政権の勝利は国民の本当の支持を得ない、不正なもの、〝非合法な〟ものであって、労働者、勤労者は今こそ、選挙結果に関わらず、この政権を打倒するために直ちに総力を挙げた闘いの準備を始めるべきと呼びかける。

 我々は選挙後のマスコミの報道の中で、この選挙期間中――その後も――、全国で〝小泉フィーバー〟が吹き荒れ、安倍一派の勝利の最大の功労者は小泉だ、大したものだ、近未来の総理だ等々と大げさにいいはやされ、持ち上げられていたことを知った。

 しかし我々は、そんな情況など無頓着に、小泉のお膝元で、小泉批判を真摯に、そして執拗に繰り返し、彼の政治の空虚と幼児性、軽薄さと反動性を容赦なく暴露し、告発したのである。

 奇妙な、そして興味深い歴史の現実であり、一こまではあった。

我が党の歴史と17総選挙参加決定について

 我々の組織はある意味で、労働者の現在と未来のために闘うことを決意した労働者活動家の、余り大きくないサークルであって、当初はサークルとして出発し、国政選挙に参加するため、1980年代、党に移行した。

 しかし、国政選挙参入という最初の挑戦に挫折し、再びサークルに後退したが、さらに15年の沈潜の時期を経て、今年の4月、労働者の党を再建したばかりの組織である。

 党だ、サークルだ、また党だと一体何をオタオタしていたのかとおしかりを受けるかも知れないが、我々にも色々な事情もあり、多くの困難や苦悩もあった。

 しかし我々は、歴史によって課せられた自分たちの責務を一時といえど忘れたことはなく、常に「捲土重来」を誓ってサークルとして活動してきた。

 そして安倍政権が継続し、政治経済における危険なポピュリズムがわが物顔ではびこり、ファシズムの空気さえ空気中に漂い始めている、昨今の危惧すべき客観情勢も確認し、安倍政権の弊害が限界に達し、その破綻が近づいているいま、我々は労働者党の再建と選挙闘争への復帰を決意した。

 そして4月の結党大会では、5年以内に――つまり遅くとも5年のちの参院選において――、あるいはそれ以前にも、国政選挙あるいは地方選挙に参加しつつ、最初の労働者・働く者の国会議員を生み出す展望を明らかにし、まず皮切りに、次の総選挙に参加し、突破口を切り開くことを決定したのであった。

そして誰もいなかったら代表委員会が責任を負うことが大会で確認されていたこともあって、 代表委員の1人、圷が「誰もいなければ誰かが(自分が)やらなくてはならない」と決意し、ようやく選挙区と候補者が決まったのである。

 我々は候補者と選挙区を大会の確認を得ないとしても、いつ選挙があってもいいように、万全の準備をすることを確認、9月から事務所の設立、選挙カーや事務所用の電話、パソコン、テレビ等々の確保と設置などを備えることなど、最低の具体的な仕事を始めたのだが、まさにその直後、安倍の10月中旬の解散、総選挙という報道が飛び込み(9月17日)、約1ヶ月の嵐のような選挙闘争に突入していくことになったのである。

もう1週間つまり20日ほどの期間があれば┅┅┅

 得票率1・6%、3133票という結果については、有権者の反応や我々の手応えからいえば、もう少し票が伸びてもよかったという残念な気持もあるが、しかし12日の選挙期間は、我々の党のことや、我々の主張が浸透し、支持につながるには余りに短かった。

 我々の選挙にたいする姿勢というか、基本的な性格は、「まじめに」、「愚直に」やる――これは安倍の言葉だが、安倍はただ有権者を欺くためにのみ、まじめや愚直を語り、装ったにすぎず、彼の選挙は不真面目と愚劣そのものであった――、ということであった。

 我々の闘いは事前の23日からの活動も入れて、きっちり1ヶ月だったが、安倍政権と小泉の政治と政策を根底から、具体的に、しかも全体的に暴露するものであって――もちろん、選挙闘争という枠内のものではあったが――、それは『海つばめ』前号(建前は約18万戸の全戸に配布された選挙公報と、3・5万枚新聞折り込みで配布された個人ビラ1号)と今号(同じく配布された3・5万枚の個人ビラ2号)に詳しいので、是非読んでみて、我々の闘いの全容を確認し、知ってほしいと思う。

 我々の闘いは、労働者党の闘いとして、恥ずべきものの全くない、何ものにもひるみ、怖じけることのない、真剣で、一貫した、しかも堂々たるものであったと、我々は確信できる。

 我々は、安倍と小泉のまがまがしい政治に対する毅然とした批判を貫徹したが、小泉からは何の反論もなかったが、それは小泉の闘いの不真面目さといい加減を暴露したのである。

 選挙を終わって、小泉が安倍以上の安倍政権の広告塔として、マスコミの寵児として、全国で安倍政権の宣伝マンとして持てはやされ、将来の首相として騒がれ――本人もそれを自認し――、今回選挙の〝今をときめく〟花形だったことを確認したが、我々は興味深い候補者と愉快な闘いをしたものである。

 これもたまたま我々の候補者の圷が11区をふる里としていた偶然のたまものだが、記念すべき〝歴史的な〟経験であった。

 外から見れば、確かに得票率が80%前後である小泉に挑戦するのは、風車に突撃するサンチョパンザ(つまり無謀なピエロ)に見えたかも知れないが、我々はそんなことは何も気にせず、安倍政権と小泉との闘いを貫徹することだけを考えていた。

我々の闘いの意義

 考えてみれば、289の小選挙区の中で、我々のような選挙闘争を貫徹し、やり遂げようとした党派は我々を除いて皆無であり、幼児教育の無償化とか、こども保険などのインチキで、新手のバラまき政策と真剣に闘った政党や候補者も全くなかったろう。

 我々のみが、2年後だという、消費増税の使途変更といった、とんでもない道外れの邪道政治や、トンチンカンで、有害なバラまき政治に公然と反対して立ち上がった意義はいくら強調してもしすぎることはない。

 とりわけ表面だけはもっともらしいことを美辞麗句にくるんで振りまくだけの小泉の雑で、無内容な政治や政策――労働者の厚生年金などの保険料を引き上げて、労働者の余計な負担で、それを財源にして幼児教育無償化をやるといった「こども保険」構想とか、「全世代型の社会保障」といった愚劣なもの――を徹底的に暴露して闘った意義は大きい。

 我々は小泉と闘うことによって、同時に安倍政権ともとことん闘ったのであるが、そんな選挙区は全国どこを探してもなかったことだけは確かである。

 闘ってみて、神奈川11区ほどの特異で、奇妙な選挙区はなかったことに気が付き、今愕然としている。

この選挙区は始めから小泉の当選が確定しているとすべての政党が認識し、あきらめているからか、選挙期間中、まじめで、真剣な政治や政策について議論が事実上皆無だった。つまり選挙公報であれ、選挙ビラであれ、政治や政策に対する、まともで、内容のある議論も論争も相互批判も全く存在しなかった。

 ただ我々だけが、小泉と安倍政権に対する、あるいは他党に対する、それらの政治や政策に対する、実質的な、内容のある批判と議論をまともに展開したにすぎないのだが、そうした我々の主張や見解や政治や政策に対して、小泉も共産党も何一つ批判はおろか、どんな一言半句さえ口にしなかったのである。

 安倍は選挙の開始時に、選挙後直ちに憲法改定策動開始と共に、アベノミクスを「再起動」し、教育無償化を含めた「具体案」を年内に策定すると宣言した。

 しかしこの問題について、選挙区は289と多かったが、正面からその安倍宣言を受けとめて真剣に検討し、それが新手のばらまき政策だと徹底的な批判を開始し、深めたのは、神奈川11区で闘う我々のみであった。

 というのは、他のすべての党派は、事実上安倍政権の教育無償化という名のバラまき政策に大乗り気だったからである。

 小泉も自分の選挙区で、安倍政権の新政策を説明して支持をえる活動など放棄して全国を回るのに忙しかっただけであった、つまり11区の候補者としての、真摯な政治家としての責務を全く放棄した。そして我々の安倍政権や小泉に対する、全く正当な批判や異議申し立てを無視し、反論もしなかった、否、できなかった。

こうしたことは、客観的に評価すれば、議会政治家としての小泉の思い上がり、腐敗であり、責任の放棄でしかなかった。

 かくして神奈川11区で、まともに、政治と政策について真理を語って闘ったのは、我々のみであった。

 自民党の小泉も、共産党の瀬戸も、希望の党の真白も、我々と対決する勇気も、信念も、またいうべき言葉も持っていなかった。

 我々の選挙戦は労働者、勤労者の深部にまだ深く浸透することは、今回はかなわなかったが、しかしそうした闘いは開始されたのであり、そしてこの闘いは今後、真実の闘いであるがゆえに、自民党や小泉の権力を脅かし、堕落したえせ〝野党〟の影響を掘り崩す、労働者・働く者の力強い闘いとして発展して行くであろう。

 我々の闘いに対する労働者・働く者の支持は票数には必ずしも結びつかなかったが、我々は闘っていて、労働者、勤労者の暖かい雰囲気は常に感じることができたし、また候補者カーに対する〝熱烈な〟支持を表明する有権者に何人も出会うことができた。我々の選挙公報やビラを読んで、あるいは我々の演説を聞いて、強い感銘を受けた労働者・働く者が現れつつあることを実感することもできた。

 神奈川11区は日本で最も空洞化し、腐敗した選挙区であった――というのは、真剣で、本気の政治闘争が存在しない、死んだように眠り込んでいる、完璧な〝無風の〟選挙区だったからである――が、しかし今回は、日本で一番重要な意義を持った、特別の選挙区――というのは、労働者党の真剣で、本気の、そして実際的な政治闘争が出現したから、断固たる政治闘争が一条の閃光のようにきらめき、貫徹した選挙区だったから――となったのである。

ある意味で、労働者党の断固たる闘いは、よどみ、形骸化し、死につつあったブルジョア民主主義や議会制民主主義を活気づけ、生き返らせたと言って言えなくもない。

次の段階の闘いへ!

 我々は短い選挙戦を通して、労働者党の闘いとその意義についてさらに確信を強め、また大きな自信を持つこともできた。

 我々の挑戦は始まったばかりである。次は再来年の春の統一地方選であり、夏の参院選である。

 我々はこれらの闘いでさらなる大きな戦果を上げ――我々は、少なくとも得票率3~5%を勝ち取り、5年後の勝利、つまり労働者党の国会議員の誕生を、4月の大会で確認している――、労働者の政治闘争の未来を大きく切り開いて行かなくてはならない。

   

【飛耳長目】

★我々は今回の小選挙区制のもとでの闘いでも、多くの不当で不公正な差別に直面した★300万の供託金という選挙のショバ代といった、〝前近代的〟で、いわれもないカネを野蛮に収奪されたが、その他でも、例えば小泉ら3人の候補はテレビで公然と自らの政見や政策を訴えることができたが、我が圷候補は、チラリともその尊顔をテレビの画面にみせる機会もなかった★我々が〝公選法上の〟政党ではないという、おかしな理屈からであるが、我々はれっきとした政党であり、また政党として登録されている。圷は無所属でなく、我々は最初から明白に、我ら労働者党の〝公認候補〟であることを明らかにしている★政党の候補者ではないと勝手に差別して、世の中に通る話ではない。そんな横暴なことをするなら、そもそも政党の定義を明確に語ってからすべきだが、何と日本には「政党法」さえ存在しない。法治国家、憲法を有する民主主義国家が聞いて呆れる★その他にも、我々だけには候補者カーに加えて、政党カーは持てないとか、配布するビラ数も制限され、あまつさえ他の候補には大幅に認められている政党ビラも許されないとか、驚き呆れるような多くの差別がまかり通っている★すべての候補者に平等な条件で、自由に闘うことを不可能にしておいて、何が民主的選挙か。大政党や政権政党は、我々の闘いをよほど恐れているらしい。(鵬)

   

【主張】

共産党解党の危機に
スターリン主義と日和見主義

 我々は、安倍政権の存続を許した戦犯として、前原や小池だけでなく、志位もまた指名せざるを得ない。

 共産党は期間中、「共闘で勝利を、比例区は共産へ」と叫び続け、小選挙区で議席獲得、比例区得票を前回の660万から850万へ増やすと豪語してきた。

 しかし結果は、比例区で220万も票を減少させ、440万に留まり、議席も21から12にほぼ半減させたのである。

 まさに志位の野党共闘路線の完璧の敗北である。

 日和見主義とスターリン主義の挫折であり、今や共産党は志位権力の崩壊や、解党の危機にさえ直面しつつある。

 この結果が明らかにしたことは、民進党は最初から志位が期待した〝共闘〟に値するような政党では全くなかったということである。これはもちろん志位共産党がそんな〝野党野合〟に相応しい政党であるということの裏返しでもある。党内に、希望の党に雪崩をうつような、卑しい議員病患者が根を張っているような、堕落した党でしかなかったのである。

 そんな連中との野党共闘が〝野党野合〟でしかなかったこと、そんな連中を結集して自民党と闘い、安倍政権の終焉を願うのは「木によって魚を求める」たぐいの、無力な空想でしかなかったということである。

 観念的な思い付きか、巧みな〝戦術〟かは知らないが、そんな愚劣な日和見主義が、安倍一派や反動たちを利したことは一つの必然であった。

 こうした野党野合路線は安倍一派につけ込まれ、単なる権力亡者にすぎない小池に策動する余地を与え、民進党の解体と野党共闘の敗北、安倍一派の圧勝に行きついたのである。

 つまり志位は、前原や小池らとともに、否、それ以上に、安倍一派の快勝に責任を負っているのである。

 我々が2年前、志位が「自共対決」路線から「野党(+市民派)共闘」路線に転換したとき、この新路線は共産党解体の決定的契機、始まりになり得ると主張したことは現実のものとなりつつある。

 志位は立憲民主党に対する〝片想い〟路線を急いで採用することで、野党共闘路線の破綻を取り繕い、ごまかそうとしたが、それは志位がこだわってきた〝両思い〟路線とは別のものであって、立憲民主党と議論し、合意した結果でなく、また志位がこだわった〝フィフティ・フィフティ〟の関係でもなかった。

 また選挙直前に誕生したばかりの立憲民主党とそんな駆け引きや取り引きをする時間的、実際的余裕もなかったし、小選挙区で立憲民主党を一方的に共産党票を分け与えたからといって、共産党にはどんなメリットも利益もなかった(むしろ比例区での票が立憲民主党にさらに流れる結果にしかならなかった)。

志位はそんな一方的な譲歩によって、比例区の共産票の増大を夢見たのだが、自らの真剣な闘いを放棄して、有権者の〝善意〟に期待する「路線」が成功するはずもなかったのである。

 民進との野党共闘に失敗した志位は、今度は立憲民主との〝縮小版〟野党共闘に賭けるのだが、しかし立憲民主との野党共闘なら大丈夫で、成功するといった保障もほとんどない。

 何しろ志位が片恋する枝野は、〝保守〟リベラルとか、「右とか左とかいった無意味なことにこだわらない中道だ」とか、「中間層」の復権とかいった、わけのわからないことを口にする、単なるアホだからである。

 かくして共産党もようやく――社会党に20年ほど遅れて――死ぬべき時を迎えたのである。

   

庶民派「まじ太」(あくつ)を国会へ!
〝超エリート〟の「きざ夫」はもう沢山だ!/小泉氏への投票は安倍政権の延命だ

 安倍は「2年のちの消費増税の税収を幼児教育無償化に転用することの理解」を求めて総選挙をすると、第一声で述べました。しかしそんなことなら、来年12月の任期切れの総選挙でも十分に間に合う話です。いま総選挙をすることは、それが安倍の政権延命の野望や利己からのみ出たものであることを教えています。究極の国家の私物化、政治の私物化です。

小泉氏は「悪いところ」に無関係だったのか

 小泉氏は盛んに、「自分たち(安倍政権や自民党)にも悪いところがあった。反省している」など殊勝(しゅしょう)にも語ります、しかし口先だけの美辞麗句であって少しも心がこもっていません。

 安倍首相の森友学園、加計学園事件に代表される権力腐敗、政権の私物化という、国家ぐるみの犯罪については沈黙を守っています。

 またアベノミクスも5年もの長い間、カネをまさに湯水のようにばらまいたり、財政膨張をはかったりしてデフレ脱却を言ってきました。

 しかしそんな政策は邪道の政策であって、〝需要〟を人為的に作り出したり、円安を演出して大企業の輸出を助けたりして、何か景気回復に役だったかに見えましたが、結局は一時的、表面的なものであって、今ではデフレ脱却どころか、安倍政権さえデフレのままであると認めざるを得ない有様です。

 そしてそんな邪道の政策は、財政再建どころか財政危機をさらに深化し、国家の借金は今や1000兆円――国民1人当たり約1000万円――です。国民は巨額の税金を支払うか、戦後の時のような大インフレ(物価の急騰)で、近い将来、それを負担しなくてはならないのです。 財政だけでなく、金利ゼロが続き、金融の機能麻痺、崩壊も深化し、経済も寄生化して活気を失い、動かなくなってきています。

 しかし小泉氏は、そんなアベノミクスに対して、一言たりとも批判はおろか、警告さえ発しません。

 そればかりか、小泉氏は、安倍政権のもと、政権と自民党の要職に次々に抜擢(ばってき)され、先頭に立って安倍政権のために、まるで安倍の茶坊主の役割を果たしているかに見えます。安倍政権のために、選挙と言えば、自分の選挙区などそっちのけで全国を走り回っています。

 「自分たちにも悪いところがあった」どころか、先頭に立って「悪いところ」を支持している、否、自分もまたそれに関与し、行っているとしか見えません。

小泉氏を国会に送れない

 今回の総選挙は、安倍政権の信任を問う選挙だと言われています。

 いま全国289の小選挙区で、安倍政権を交代させるのかどうかの激しい選挙戦が行われています。

 一つ一つの選挙区の闘いが、したがってまた神奈川11区の闘いもその一環であり、重要な意味を持っています。

 11区でも自民党の候補を選ぶのか、他のより誠実で、信頼できる候補を選ぶのかということは決定的な課題です。イケメンだとか、弁舌さわやかだといった問題ではありません。

 小泉氏を国会に送ることは、安倍政権を擁護し、その延命に手を貸すことになります。もし安倍政権の交代を求めるなら、決して小泉氏に一票を投じることはできません。それは全国の安倍政権の退陣のために投票する人々を裏切ることにさえなり、11区の有権者として恥ずかしいことです。 今こそ、安倍政権の一掃のために、イケメンでなくても、本当の信頼できる、朴訥(ぼくとつ)な労働者・働く者の代表を国会に送るべきときです。あくつ孝行をこそよろしくお願いします。 (2次ビラ表面)

   

小泉氏の「こども保険」論を問う
「全世代型社会保障」はエリートの絵空ごと

 乳幼児教育〟が総選挙の一つの争点、重要政策の一つとして争われています。小泉氏は、今や「こども保険」制度の提唱者として、安倍政権のもとでもてはやされ、安倍政権の最近の経済財政運営の指針、「骨太方針」の中にも、その構想は取り込まれています。

労働者の負担でバラまき政策

 こども保険制度とは、簡単にいえば、労働者の厚生年金保険料を引き上げ、それを財源に幼児教育無償化を実現するということです。

 彼は、「シルバー民主主義」つまり高齢者ばかりが優遇される現在の体制を変えて、高齢者にももっと負担してもらい、社会保障の恩恵を高齢者だけでなく、すべての世代にも行き渡るようにすることだともいいます。安倍の言うところの、高齢者だけではない、「全世代向け社会保障」という、おかしな考えですが、この点では、安倍も小泉氏も一緒です。

 しかし財源問題一つとっても、彼らの論理はめちゃくちゃです。全世代負担、あるいはむしろ今優遇されている高齢者にも負担してもらうというのですが、こども保険制度自体が、現役世代の労働者の保険料をかさ上げし(労使共同で1%)、それを原資にするというのですから、高齢者にも負担してもらうということとの、つじつまが合いません。

 小泉氏はまた、財源を消費増税に頼るのには反対だとも主張しています。つまり安倍政権の今の選挙公約とは反対です。

 そしてこども保険は、将来の世代に負担を先送りするのを止めることだとも説明するのですが、現役世代の労働者だけに負担させるならいいとでもいうのでしょうか。

いいのか安倍政権の政策と全く別だが

 さらに彼は、幼児教育の財源として国債(借金)に頼る安倍政権のやり方にも反対して、それは将来世代に負担を先送りするからよくないといいますが、安倍政権の方は、消費増税を財源にするといいながら、実際には借金返済分をそれに回すことになっています。

 つまり安倍は2年のちの2%消費増税分5兆円の中の、借金の返済に充てることになっている4兆円の一部(2兆円)を教育無償化に転用すると言うのですから、これは借金によってやるということと同じです。

 ここでも借金に頼らないでやるという小泉氏の構想は、安倍政権の選挙公約と決定的に違っています。

 また彼は、幼児教育無償化論は戸別給付だと言いますが、安倍は違っています。安倍は9月25日、「2020年度までに、保育園・幼稚園の費用を無償化する」と強調しました。安倍のこの考えを批判する余裕はありませんが、小泉氏の理屈とは別です。

 また彼は、この問題は社会全体で子供を育てるという理念によるものでもあるとか、幼児教育の重要性を確認し、そのためのものであるとも強調しますが、労働者の保険料の引き上げは賃金労働者にだけかかることであって、「社会全体」の負担ということとは違います。

 要するに多くのメリットがある、最善最高の政策であると言いはやされるのですが、小泉氏の自画自賛にもかかわらず、こども保険の思いつきは、矛盾と無原則の空論でしかありません。

 彼の構想で残ることは、こども保険という名の、労働者の負担によって、幼児のいる家庭にバラまくということだけです。

高齢者に「失礼で」、ばかげている

 私は、全世帯に配布される選挙公報でも、「全世代型社会保障」という考えは、「品が無く、高齢者に失礼だし、現役世代にとっても不愉快」と書きましたが、余りにも粗野で、不真面目です。

 小泉氏のこども保険構想やその考え方も内容も、現在安倍政権が総選挙で中心政策の一つとして持ち出している乳幼児教育無償化政策とはこんなにも違い、対立しているのですから、容易に賛成できるはずもないのに、森友学園、加計学園の場合と同じく小泉氏は、それを無批判的に支持し、正当化しています。彼の誠実さと人間性を疑わざるを得ません。

女性差別して社会保障云々は侮辱

 小泉氏は現役世代に社会保障だといいます。しかし現役世代は、 本来は自ら働いて生活し、社会保障を担う人々です。彼らが社会保障を必要とするなら、資本の社会が働く現役世代を痛めつけ、ひどく搾取するからです。社会保障ではなく、賃金引き上げや差別の一掃が必要なだけです。女性労働者への差別は深刻ですが、それはとりわけ母子家庭に明らかです。

 年に百万や百五十万で母子は生きていくことができず、社会保障ということになりますが、女性差別を一掃し、男女平等の賃金にすれば、待遇も平等にすれば、貧しい家庭も救われます。

 安倍や小泉氏の「全世代型社会保障論」は、労働者も女性も高齢者も侮辱する、エリートたちの〝上から目線の〟卑しい観念でしかありません。(2次ビラ裏面)

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