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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1351号 2019年5月5日
【一面トップ】安倍の消費増税転用を許すな――「全世代型社会保障」は〝中産階級〟向けのバラまき
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】政治的存在と化す皇室――安倍政治といかがわしい融合
【二面トップ】大阪衆院選12区の補欠選挙――野党共闘の破綻と崩壊の始まり明らかに
【二面囲み】メーデー闘争報告

※『海つばめ』PDF版見本

【1面トップ】

安倍の消費増税転用を許すな
「全世代型社会保障」は〝中産階級〟向けのバラまき

 安倍政権は参院選で2兆円の消費増税とその「全世代型社会保障」のための転用を謳い、そんな体のいいバラまき政策を約束することによって、参院選を勝ち抜こうと策動を強めている。我々はこうした安倍の低俗で、日本の財政や金融や経済だけでなく、社会や政治や文化の根底さえ破壊し、解体していく策動と対決し、打ち破っていかなくてはならない。我々の闘いと任務の重要性と意義はますます大きくなっている。

ああ、消費増税よ!

 実に平成の30年間は消費増税の時代と成り果てた(それ以前に「物品税」が年々、1、2兆円徴収されていたが、それは除外する)。

 3%という税率で最初の(一般)消費税が導入されたのは、まさに平成元年(1989年)、成立したばかりの竹下内閣によってであった。その2年ほど前の中曽根内閣による「売上税法案」が野党や労働者・働く者の激しい反対にあって挫折したのに対する、ブルジョア陣営の反撃であり、彼らの執念がついに実ったということである。

 消費税は1%当たり、2兆円から2・5兆円の増収となる。したがって消費税が3%であった、1989年から97年までは消費税総額は5兆円から多くて6兆円の間に収まっていたが、それが5%に引き上げられた98年から、安倍が2014年に、12年の民主党野田政権末期の自公民による三党合意を受けて3%の消費増税をするまでの10数年間ほどは、年々の消費税による労働者・働く者への収奪は10兆円から11兆円ほどの安定した金額を保って推移した。

 そして安倍の8%への引き上げ以降は、消費税総額は一挙に年々16、7兆円に跳ね上がって現在に至っている。今秋、消費税がさらに2%引き上げて10%になれば、全国の労働者・働く者の消費税負担の総額は、平成の30年かけてゼロからついに20兆円を軽く超える巨額に達し(国民一人当り年々約17万円、4人家族なら68万円の負担となる)、重い負担として伸し掛かってくることになったというわけである。

 こうした消費税総額の増大は労働者・働く者にとって、重大な意味を持ってくる。というのは今や、所得税、法人税、消費税の3大税源の中で、とうとう〝大衆収奪税〟、〝逆累進税〟と呼ばれて悪名高い消費税が、所得税や法人税を抑えて最大の税源となろうとしていることだからである。労働者・働く者がますます重税に苦しむようになったということだからである。

 消費税が導入された1989年(平成元年)の頃には、大きな税源は所得税と法人税があっただけであった(前者が21・4兆円、後者は19兆円)。そしてこの格差は2年後の91年には、前者の負担が急増し、それに反して法人税の負担は減り始め、両者はそれぞれ26・7兆円と16・6兆円と格差はひろがったが、以降、両者とも漸減過程に入り、それを補うかに消費増税が3%から5%へ、さらに5%から8%と繰り返され、さらに今年10%に引き上げられようとしている。

 ちなみに2014年の数字で見ると、ついに消費税がトップで17・1兆円、ついで所得税が2位で16・4兆円、ラストは減税、減税が続いた法人税の11兆円となっている。

 所得税は高所得者に有利に緩和されて来たとはいえ、一応は累進課税の建前になっている。

 法人税は儲けすぎた企業、とりわけ大企業に対する税金である。近年は儲けに儲けても投資先(投資需要)がないということで、大企業の手持ち資金(いわゆる〝内部留保〟)は膨れ上がる一方だが、安倍政権は国際競争などを口実に――どんな、何のための〝国際競争〟やら――、そんなムダ金に課税することに消極的である。

 かくして労働者・働く者への税負担のみ膨張し続けたことになる。わずかな賃上げなど、税負担の増大や(さらには急増する社会保障負担の引き上げも加わってくる)、急速に進み始めた物価上昇(インフレ)のためにたちまち帳消しになり、マイナス収入に転落しつつある。

安倍の消費増税「転用」の犯罪

 そして安倍政権は消費増税数兆円ものカネを私物化し、それを悪用して参院選の完勝と、政権の強化安定と延命――自民党の総裁4選と12年間の政権維持――に向けて狂奔している。

 そもそも12年に三党合意でようやく可能となった消費増税5%、10何兆かの消費増税は厳密に、そして厳かにその使途はきめられている。つまりその5分の4は財政再建のために、5分の1は年々数千億から1兆円の規模で自然に膨れ上がっていく社会保障問題の危機の解決のために支出されなくはならないということになっている。

財政再建はすでに知らん顔

 安倍は政権を再度握った時も、金融緩和政策等々の〝成長政策〟で財政再建を実現すると公約したし、最近でも17年までに、財政の基礎的収支黒字化を達成すると大ボラを吹いてきた。

 財政の基礎的収支の均衡とは、借金関係を除いた財政収支の均衡化のことであり、平たく言えば、新しい借金なしでも財政はちゃんとやる、税金だけで通常の支出を補うということである。少なくとも、もうこれ以上は借金を増やさないということで、本当の、財政再建の展望とは全く別であって、とりあえずは1千兆円にも達する国の借金は棚上げして、それには目を閉じた、形だけの財政再建でしかないのである。

 しかし今抱え込んでいる1千兆円の国家の借金をそのままにしておくなら、現在ゼロに近い国債の利子率が数%ほどに上昇しただけで、年々の国家が払わなくてはならない利子はたちまち数十兆円にも膨れ上がるのであって、100兆円についに越えた膨張財政――その3分の1を借金で調達している――が崩壊し、したがってまた社会保障の全体が、そして労働者・働く者の生活も音を立てて崩壊して行くのである。

 安倍はそんな財政危機を横目で見て知らんふりをし、バラまき政治を続けるために、財政再建のための消費増税を乳幼児の教育無償化等々のバラまきに転用しながら、さらに2%数兆円の消費増税は深刻な需要不足を意味し、せっかく克服しようとしていたデフレ経済を逆戻りさせる危険性がある、消費増税不況を回避しなくてはと――共産党など野党と歩調を合わせて――叫びたて、数兆円をオーバーするほどの経済対策を実行するのだが、それは一言で言って、事実上、増税で困難に陥るかもしれない自動車や電機や建設大資本への補助金の給付であり、別の形をとった大企業への大規模なバラまきである。

 しかし消費増税不況とは、駆け込み需要で大もうけした自動車や電機の大資本が、水膨れした駆け込み需要の反作用で、一時的な需要不足に陥り、いくらかの困難に直面するということに過ぎない。駆け込み需要で大儲けした資本が、今度はその反作用で儲けが少なくなったというのだが、資本は駆け込み需要を当て込んで儲けた分だけ、消費増税による買い控えや消費増税による市場縮小によって損するだけであって、そんな連中に大慌てで何兆円といった補助金を出して、またまた大儲けさせてやる必要は全くないのである。

消費増税転用の悪事

 しかも安倍政権は消費増税のカネを転用して、それを乳幼児の教育無償化(保育料の無償化)に支出して、「全世代型社会保障への社会保障政策の大転換」を推し進めるとともに、需要のさらなる拡大に努めるというのだが、前者は単に自民党と安倍政権が参院選のために恥も外聞もなく、露骨で、壮大なバラまきに走るということであり、後者は目先の利益をちらつかせ、社会保障問題の深刻な危機から国民の目をそらせ、社会保障が崩壊しつつあるという困難な状況を直視し、それを解決するための真剣な努力と試みを開始するのを遅らせる以外のどんな意味も持っていない。

 そもそも乳幼児教育とは何か、その無償化とは何か、「全世代型社会保障」への転用とは何かについて、安倍自身明確な概念も自覚も持っておらず、参院選をいかに勝ち抜くかという意識だけで政治と政策を考えているなら、消費増税転用による1兆、2兆の膨大な財政支出も、結局は安倍政権と自民党のためのバラまきに帰着するし、せざるを得ないのは一つの必然である。

 現役の若い夫婦や女性労働者にとって緊急に、どうしても必要なものは、乳幼児教育無償化といったバラまきではなく、何よりも安心して働くことのできる職場や賃金や保育所等々である。

 彼らの求めているのは、安倍政権によるバラまきのおめぐみやありがたい御下賜金ではなく、彼らが自分の生活と社会のために働くことのできる条件の確保であり、政府がそれを助け、保障することである。

 それに、乳幼児に何よりも必要なものは〝教育〟――安倍政権が乳幼児教育の無償化という言葉で何を意味するかは知らないが――といったものではなく、まず暖かい、丁寧な保育であり、年齢に応じた、自然なしつけで十分だからである。安倍政権は乳幼児の保育のための費用の無償化で同じ目的を追求しているのだと強弁するかもしれないが、しかし両者が決して同じではないのは、保育と「教育」は別物であることからも明らかである。保育所がないか、利用できないなら、若い労働者・働く者の家族や女性労働者はそもそもまともに働くことができず、自分と社会のために何事もなしえなくなるのである。

 そもそも保育料を無料にして、「全世代型社会保障」だなどという理屈はナンセンスである。

 例えば保育所の完備は社会保障の問題ではなく、若い夫婦の労働者や女性労働者が社会の立派な、責任ある一員として生き、生活していくための必須の条件であり、前提であって、社会保障ではなくてむしろその反対の社会保障を支える人々を増やし、助けるための重要な契機である。

 そうした根本的なことが分かっておらず、選挙で当選することしか頭にない、堕落したブルジョアやプチブルの浅薄な政治家たちは、子育て中の若い夫婦や女性の子育てや養育について語りながら、その支援を口にしながら、社会保障の問題だ、「乳幼児教育」の無償化だ、バラまけば票が増えるとピント外れの観念に取りつかれ、バラまきの政策しか思いつかないのである(むしろポピュリズム政治に走って、バラまきこそ政治だと思い込み、勘違いするからこそ、乳幼児の教育無償化について駄弁を弄するのである)。

   

【飛耳長目】

★安倍の「同時選挙」という発言に驚愕して、野党は野党共闘に熱を上げ始めた。今まで独立路線で行くと虚勢を張っていた枝野も自信を無くし、共産の票を期待してたちまち転向してしまった★志位も自分が唱える野党共闘や〝政府構想〟に向かって風が吹き始めたと勘違いして生気を取り戻したが、しかし野党共闘はもちろん国民連合政府といった古証文など持ち出せば、ますます野党共闘の実現などは夢の夢に終わることに気が付かない。志位がとことん無知で愚昧な男である所以だ★野党協調などといっても、憲法改定問題や〝防衛外交〟政策では、今なお〝スターリン主義〟のドグマを引きずる共産と国・民などとの溝は大きく、簡単に折れ合うことはできない。共産が〝戦争法〟の廃棄を謳うのに、国・民は決して賛同しない。そもそも国・民は国会の言動に明らかだが、安倍政権との全面対決や正面衝突など望んでおらず、むしろ安倍追随迎合によるケチな改良にこそ党の存在理由を見出している★結局共産や立・民だって国・民と同じだから、何とか野党共闘も可能かもしれない、しかし仮にそれが一時的にできても、17総選挙の時のように大事な瞬間に誰かが裏切り、たちまち共同が瓦解してしまうだろう★結論は、本当に闘う意思も信念も展望もない、ゼロや停滞する党がいくつ集まっても、ゼロや停滞する勢力以上にはならないということ。(鵬)

   

【主張】

政治的存在と化す皇室
安倍政治といかがわしい融合

 共産党系のメーデーの行われた1日、我々は代々木公園のいつもの場所で集会に急ぐ参加者に、代替わりの狂騒はまるで昭和の大戦争の時代そっくりで、再びそんな天皇制軍国主義と専制主義の危険で、不幸な時代の再来を思わせると訴えていると、初老の婦人が弁士のもとに近づいて、「この2、3日何か本当に恐ろしくて、一体どういう時代になっていくか怖い」と真剣な顔で話しかけてきた。

 安倍政権や裕福な金持ちたちや権力者たちや、知識人や文化人やマスコミ等々のありとあらゆる分野のエリートたち、それにマスコミ・エリートらも加わって、天皇を自らの〝象徴〟とみなし、代替わりのお祭り騒ぎに浮かれているが、代替わりの空騒ぎとは、安倍政権と皇室つまり天皇一家がそれぞれの地位の安定と延命を狙って企んだ、国民全体をペテンにかけるための悪だくみの一種に過ぎない。

 そのことを何よりもはっきり暴露しているのは、平成天皇が30年前に「憲法を守って」象徴天皇として努めていくと語ったのに対し、新天皇の最初の挨拶で「憲法にのっとり」努力すると言い換えたことである。

 しかしその意味はすぐに明らかになる。新天皇の次にしゃべった安倍は、即位した「英邁なる天皇陛下は憲法にのっとり」任務を果たされるというお言葉を賜った、といけしゃあしゃあと語ったからである。

 新天皇の言葉と安倍の言葉がぴたりと一致したのは偶然ではない。何と天皇の言葉は1日の午前の閣議決定を経てなされたものである、つまり「憲法にのっとり」と天皇に言わせたのが安倍だとするなら、安倍が天皇の言葉を受けて、天皇が恐れ多くも、有難くも「憲法にのっとり」と言ったからと偉そうにいって何の不思議もない、天皇の言葉はもともと安倍が「閣議決定」ということで新天皇に言わせた言葉だからである。

 憲法改定を策動する安倍の任務は、新天皇が「憲法を守って」天皇が任務を果たされたら困る十分な理由があるのであって、それはどうしても変えなくてはならなかったのであり、また自分の発言でも強調して念を押す必要があったというわけである。

 安倍が安倍なら、天皇も天皇である。今や天皇は安倍に媚び、安倍のいいなりになって、つまり「安倍に寄り添い」ながらも、平然として国民に「寄り添う」などと欺瞞的な言葉をはくのである。いいコンビの誕生である。

 元号を決めたのも安倍であって、新天皇でないのは誰でも知っていることである、というのは、新天皇は5月1日に誕生したのに、元号はそれから10日ほども早く決定され、発表されているからである。天皇が決めることはもちろん、どんな意見も言えたはずもないのである。

 しかし皇室はそれでもいいのである、安倍や反動派と手を組んでいれば天皇家の存続と延命――君が代が歌うように、未来永劫に続く――は間違いなく保証されるからである。

 今や天皇と天皇制は安倍政治に接近し、そのまま反動政治と融合し、安倍政権を支え、その延命を助ける、徹底的に政治的存在になってしまった。

 森友・加計事件や3年前の〝戦争法〟の強行採決等々を見ても分かるように、安倍政権はいまや完璧な〝超法規的な〟存在、憲法違反の常習犯であり、皇室もまた憲法で謳われている「国事行為」以外の行動は固く憲法によって禁じられているのに、憲法違反の〝公的任務〟なるいかがわしい活動をいくらでも広げながら、それこそが象徴天皇制の理想的な在り方だなどと開き直る始末である。

 両者とも「恥を知らない、全くお似合いの」悪党だと結論するしかないではないか。


【2面トップ】

大阪衆院選12区の補欠選挙
   

野党共闘の破綻と崩壊の始まり明らかに

 統一地方選と時を同じくして行われた衆院大阪12区の補欠選挙は、自民党(北川)、維新(藤田)、元民進(樽床)、共産党(宮本)の〝4党の揃い踏み〟となり、いずれが勝利するかと注目を浴びたが、自民党との積年の対決を制した維新が勝利し、自民党は涙を飲んだ。共産党は独自候補を立て、この争いに割り込み、〝共産党主導の〟野党共闘の実績を上げ、参院選につなげようとしたが惨敗した。

共産党主導の野党共闘は拒否された

 志位は補欠選挙に宮本を候補者に立てることによって、野党共闘の主導性を発揮することを狙ったのだが、完全に失敗に終わった。立・民の支援があり、市民派との共闘もあってなお、4人の候補のうちのラストで、わずか1・4万票(8・9%)、前回17総選挙のときの2・3万票(14・4%)からも大きく票を減らし、これまでの6回の選挙でもワーストの得票という致命的な惨敗をこうむったのである(ベストの得票は00年の3万で、今回の2倍以上の票)。

 しかも過去6回の12区の選挙の多くは野党共闘ではなく、共産党独自で闘って獲得した票だとするなら、野党共闘でやった方が票がかえって減るという、極めて志位にとっては具合の悪い、不名誉な結果となっているのである。

 市民派も結集し、事実上の野党共闘が生まれたというのに、得票数を大きく減らしたというのは、共産党を野党共闘の候補者として擁立した時には決して勝てないことを証明したようなものであって、宮本であわよくば勝利して、今後野党共闘の主導権を手にしようとした志位の目論見と思惑は完全に裏目に出たということである。

 志位が初めて3年前の野党共闘を唱えた16参院選の時も、32の一人区のうち、四国の香川県だけが共産党の候補者の擁立する選挙区に割り振られ、他の一人区では共産党は候補者を下ろし、野党共闘の候補者――事実上、その大部分が後に「裏切った」と志位や小池が言いはやした、桜井充を先頭にした民進党右派の候補者――を応援することになったが、香川では野党共闘は全く機能せず、共産党候補はひどい負け方をするしかなかった。というのは、野党共闘の勢力の一部(民進党系の労働組合など)が、共産党候補になったことに反発し選挙運動を完全にサボタージュしたからである。

 選挙の後には、香川ではもし共産党ではなく、民進党員の候補者だったら十分勝てたかもしれないという話がまことしやかに流れた。

野党共闘路線と逆行したのではないのか

 志位の大阪補選にかけた思惑は完璧に的外れのトンチンカンで、その愚昧さをさらけ出しただけだった。

 宮本は衆議院比例で当選しているから、宮本が辞めても次点の清水が繰り上げになるだけで、衆議院の共産党議員は減らないということを打算してのことでもあったろうか。

 共産党の〝基礎票〟に、無党派=市民派の有権者や、候補者を立てない立・民や国・民の票を集めればどうして当選しないことがあろうかと、自党の本当の力を過信し、また客観的な情勢にも盲目で、完全に読み違えたのである。

 しかし立・民の支持層などといっても労働者・働く者のなかに浸透した分厚く、確かなものではなく、無党派や市民派と似たようなものでしかないとするなら、そんな〝浮動票〟に依存した選挙闘争で勝利を得るなどと安易に言うことができるはずもなかったのである。

 選挙後明らかになったが、無党派の投票対象は維新や自民党であり、そして樽床であって、情けないことに、「市民との共闘」を謳い、大切にした宮本は、その〝市民たち〟つまり無党派の1割ほどの支持しか集め得たにすぎず、他の3候補の20%、30%に大きく水をあけられたのである。

 共産党は野党共闘路線の建前に逆行する党独自の候補者にこだわり、その立候補を強行したのである。党名を隠して「無所属」を名乗ったとしても、そんなものは姑息なごまかしであって、有権者も他党も宮本が共産党の独自候補であり、志位が独自候補にこだわり、自党ファーストの独断専行の試みに走ったということは余りに明らかだったのだから、実際には何の意味もなかったのである。

 元民進で無所属の樽床がすでに立候補を決めており、しかも野党共闘でやれば、それぞれ公明党との関係など問題や弱点を抱え、しかも事実上保守陣営の分裂選挙になった維新や自民を共に圧倒し、勝利し得る可能性があったところに、志位は一体何のために、何を考え、何を目的にして独自候補の宮本を押し立てたのか。

 宮本陣営は選挙中、「安倍政権を倒すために、宮本さんを国会に戻そう」などと呼びかけたが、自民党を落としても維新が通ったのでは、かえって余計に労働者・働く者にとって害があるとも思わなかったのか。共産党は維新の会にも自民にも反対していなかったのか。大阪では、安倍政権を追い詰め、倒すためには、大阪の自民に反対するより、維新に反対する方が重要であるということを自覚しているべきではなかったのか、というのは、安倍や菅は実際には、大阪の自民より維新の方が頼りがいのある盟友と信じ、重視していたからである。安倍が大阪の自民党の応援に入ったのが、選挙の前日であり、しかも形だけの応援で済ませたのは決して偶然ではない。

 国会議員を辞めて衆院補選に立候補しておいて、「安倍政権を倒すために、宮本さんを国会に戻そう」もクソもない、「国会に戻そう」など訴えるくらいなら、そもそも最初から議員を辞職しなければいいだけのことである。

原則をたちまち放棄して、本性さらけ出した立・民の枝野

 大阪補選において、立・民のやったことも理解不可能であった。彼らもまた最近は野党共闘に対する否定的態度を修正して、野党共闘を謳っていたのではなかったのか。元民進党の仲間内の候補を差し置いて、共産党候補を応援することが、どうして野党共闘なのか、それとイコールなのか。

 両者を一本化して、維新や自民党に対抗し、維新や自民党の候補を共に打倒することが、立憲民主党の、枝野のなすべきことではなかったのか。

 宮本の事務所に枝野や初鹿らが行って、宮本の勝利を祈る等々ポスターを送ったり、今回の市民と野党(共産党)との共闘は、「これまでにない形の共闘。初めてのケースだ」と意味不明の誉め言葉をもてあそび、宮本の勝利が、「日本の歴史や未来を変える第一歩になる」と歯の浮くようなお世辞を振りまいたが、一体何のためだったのか。

 宮本が勝つかもしれないと予想して、先行投資でもしたかったのか知らないが、そうだとしたら、枝野らは共産党といった、ろくでもない政党の本当の姿も何も分かっていないのである。枝野は選挙において共産党系のいくばくかの〝ケチな〟票の欲しさに、それによって数議席を増やすために、原則も何もない政治にすでにどっぷり浸り始め、手を染めているということか。枝野はせいぜいそれくらいの政治家にすぎないのだ。

 宮本が「党首が来たのは大きい」、「百人力だ。無所属で立った甲斐があった」、「野党共闘が組みあがった」と狂喜乱舞したのも当然であった。

野党共闘がマイナスの効果しかないことを暴露

 共産党は大阪補選で決定的に敗北することによって、野党共闘で主導権を握ることを諦めざるを得なくなった、というのは、有利な客観的な条件があり、野党や市民派の総力を挙げての応援にも関わらず、元来の共産党の票さえ結集することができなかったからである、野党共闘がマイナス効果しか持たないことを暴露してしまったからである。

 志位は参院選の32の一人区で、野党各党がどんな割り振りで立候補するかの問題で、直近の国政選挙における各党の得票数に比例してやるべきだと主張した。つまり立・民と国・民と共産と社民の4野党の得票数の比が15対10対6対1だとしたら、立・民が15の一人区から、国・民が10の一人区から、共産が6の一人区から、社民が1の一人区から立候補するように調整するというような提案である。

 しかし立・民や国・民は共産に野党が勝ちそうな選挙区の6つを配分するのを躊躇し、避けようとするだろう――国・民や立・民がやれば負けないかもしれないのに、共産党がやれば惨敗するだろうから――、そして立・民や国・民は自党が立候補するなら確実に勝利し得る、有利な選挙区を取ろうとするだろう。

 しかも各党の自党ファースト主義と勝手な思惑が幅を利かし、まかり通り、衝突するなら、4党が32の一人区のどこを、いくつずつ担当するかをめぐる協議はたちまち行き詰まり、簡単に決まることは決してないだろうし、決まったとしてもすべての野党が固く一致して他党の候補のために全力を挙げるということにもならないだろう。

 そんな無意味で無駄なことに労力や時間を費やすより、今こそ各党はそれぞれのやり方や内容で、またそれぞれ安倍政権との独自の闘いを、全力を挙げて開始し、貫徹することこそが必要であり、重要ではないのか。共産党らは「本気」についておしゃべりするのが趣味のようだが、必要なものは「本気の野党共闘」ではなく、各党の真剣で、「本気の闘い」だけである。

   

【2面サブ】

メーデー闘争報告

 我が労働者党は5月1日とその前の数日間、全国各地で行われた連合系、共産系、全労協系の労働者に、およそ30箇所で約6万枚の海つばめ号外を配布、わが党の参院選参加を明らかにし、支持と応援を訴えました。中央では野党政党の挨拶もなく、気勢も上がらない連合メーデーや元気の全くない共産党系のメーデーで、林代表を中心に参加者に天皇代替わりの茶番の大騒ぎや、安倍の消費増税とその転用のバラまき、ポピュリズム政治を力強く暴露し、強い印象と感銘を与え得たと思います。

   

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