【2009,11,27】
立ち往生する鳩山の「友愛外交」
【2009,11,17】
大義名分なき「必殺仕分け」作業——ますます血迷う民主党政権
【2009,11,6】
国家破綻の五十兆円赤字財政政策を糾弾する
【2009,10,23】
財源探しに四苦八苦
【2009,10,16】
「子育て支援」削って「子育て支援」——支離滅裂の鳩山政権
【2009,10,10】
邪道の政治、鳩山政権
【2009,10,2】
鳩山政権の錯誤
【2009,9,25】
ムダ支出のためにムダを探す民主党
【2009,9,19】
民主党権力はたちまち腐敗せざるを得ない——今こそ、それを乗り越えて前進すべきときだ
【2009,9,11】
政治的頽廃もたらす小選挙区制——“大愚”政党の“専制政治”を打倒せよ!
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立ち往生する鳩山の「友愛外交」
2009年11月27日
鳩山政権が沖縄米軍基地問題で立ち往生しています。民主党の根本的な立場がハッキリしていないからです。日本がどんな国家として存在していくのかで、民主党として一貫した、確固たる観念が無いのです。「友愛」を根底とした国家だと言ったところで(相手国の善意などに期待したところで)、現実の厳しい国際政治のなかでは単なる空語に終わるしかありません。日本のブルジョア階級は日本が軍事的強大国として生きるのか、「平和主義」国家として徹底して行くのかで態度を決めることができないのです。だから、アメリカに対しても「対等な関係」を結ぶといっても口先だけで腹が据わっておらず、断固たる、明白な立場を押し出すこともできず、結局はアメリカの言うがままに流されていくしかありません。
「友愛」云々の情緒主義では、「生き馬の目を抜く」ような、そしてパワーポリテクスの支配する、ブルジョア的、帝国主義的な世界政治の“荒波”を乗り切っていくことは決してできないでしょう。鳩山政権が「外交・安全保障」の問題でも決定的に挫折し、破綻して行かざるを得ない理由です。
大義名分なき「必殺仕分け」作業——ますます血迷う民主党政権
2009年11月17日
国家財政に内包される「ムダ」を摘発するという、鳩山政権の「事業仕分け作業」が頂点を迎えている。
しかし大義名分も戦略的な観点も理念もなく、その場かぎりの、個別的な「ムダ」の摘発や削減作業はまるで茶番であり、一種の空虚なショーもしくはパフォーマンスではあり得ても、実際的な“政治”では全くなく、したがって「政治主導」と呼ぶもおこがましいばかげたものである。
この派手な「ムダ」摘発ショーが不毛な茶番劇だというのは、民主党のマニフェスト自身が七兆円といった膨大なバラまきを謳い、それを来年度予算で実現しようとしながら、その実現のために、「ムダ」摘発に狂奔しているからである。予算のバラまきとは、自民党政権に典型的に見られたように、結局は予算のムダづかいであり、政党や政治家の国家財政への寄生であり、たかりである。自民党は国家財政を食いつぶすことによって、腐敗政権を維持してきたのだが、民主党もまた同じ道を歩もう──より厚顔無恥に、より徹底して?──というのである。
現在緊急に必要となっている財政再建を真剣に徹底的に追求するとか、税収が急減するなかで、福祉などどうしても必要な財源を見つけだすといった「大義名分」があってこそ、国家財政の中にあるムダを徹底的に摘発し、それを削るとことが正当化され、正義となり、官僚たちさえも「ムダ」削除に大動員し、駆り立て、実績をあげることができるのであって、そうした理念も全体的な戦略もないままに、その場かぎりの、個別的な、ちまちました「ムダ」摘発に内閣が総がかりで取り組んでいるとするなら、それは内閣の本来の責務を忘れた、余りに子供じみた“劇場型の”愚劣な政治にすぎない。
しかも民主党の連中が摘発し、削除する「ムダ」の中には、失業労働者やニートたちのための対策や事業なども含まれているし、科学技術のための予算も含まれているのだから、何をか言わんであろう。一体、失業労働者のための政策まで削って(それが費用の割には成果が出ていないとか、利用がなされていないなどと称して)、あるいは大した金額でもないような科学技術のための予算まで削って、子育て支援とか戸別所得補償などのバラまきに回すなどいうことが許されることであろうか。こんな悪政にうつつを抜かしていて、民主党の政権がいくらかでも長続きすることは決してないだろう。
そして彼らは、こうした派手なショーをしても、九五兆円の概算要求を三兆円くらいしか減らせないだろうというのである。とするなら、彼らの予算における国債発行(借金)の金額は麻生内閣の四四兆円の規模に納まらないだけでなく(鳩山は、それ以上は借金はしないと公言した)、五〇兆円を超えて行きかねないのである。国家財政は破綻し、国家は解体して行くしかない。
鳩山内閣が「ムダ」削減を言うなら、仕分け作業の三兆円に加えて、民主党が強行するという、子育て支援とか戸別所得補償など、バラまき政策のための五兆円なども断固として削減すべきであり、それこそがまずなされなくてはならないのである。さもなければ、鳩山内閣の「ムダ」作戦行動は大義名分のない、くだらない空騒ぎであり、またそうしたものとして終わるしかないであろう。鳩山内閣は自ら破綻に向かってまっしぐらに走って行くしかない。
国家破綻の五十兆円赤字財政政策を糾弾する
2009年11月6日
鳩山内閣の来年度予算の概算要求が出された。
ムダに満ち満ちた麻生内閣の予算の枠組みはそのままに、鳩山内閣の子育て支援策などの政策費用を盛り込んだため、金額を出さずに項目だけを並べた「事項要求」も含めると、ゆうに百兆円にもなんなんとする“超”膨張予算、借金は五十兆円で税収を上回る“超”赤字予算であり、確実に日本の国家財政と国家そのものを破綻に追い込みかねない破滅的状況をもたらしている。しかし、鳩山内閣はこうした危機的状況を全く無自
覚である。
借金五十兆円の予算を続けることが出来ないこと、そしてまたやがて千兆円にも達しようとする国家の累積債務を清算しなくてはならないことは自明であるが、鳩山内閣は麻生内閣と同様に、どんな展望も基本的な観点も実際的な政策も提起しないし、する必要もないと考えているからである。
現在の国家の財政規模を、例えば、収入は税金五十兆円、国債(借金)三十兆円としよう。支出は「政策支出」六十兆円、「国債費」(国債の償却十兆円、国債の利子支払い十兆円)としよう。
小泉内閣の「基礎的財政収支」の均衡(プライマリーバランス)を達成するという目標は、事実上国債発行を三十兆円から二十兆円にまで十兆円減額するということであり、その趣旨はとにかく新しい借金は増やさない、ということであった(国債の償却と国債の利子支払いが二十兆円だから)。しかしこの目標でさえ毎年国家の借金は十兆円増え続けるのであって(と云うのは、国家の借金の利子支払いが十兆円ほどあるので)、欺瞞そのものであった。本当の「バランス」を達成するには、つまり借金を増えないようにするには、国債発行を十兆円にまで減らさなくてはならなかった。そしてさらに借金を減らしていく為には、新しい借金をゼロにしなくてはならない。
麻生内閣までの内閣は、借金の返済を一方でやりながら、他方で、それを上回る借金をしてきたのだが、もし真面目に借金を増やさないでやるというなら、国債発行をゼロにするのはもちろん、これまで通り、二十兆円の国債の償却(借金の返済)と利子の支払いを続けていかなくてはならないのである。
三十兆円の借金をしてようやく六十兆円の「政策支出」(国債費以外の支出)を確保してきたのである。借金を増やさないで、これまで通りにやるには、三十兆円の増税をやるのか、それとも三十兆円だけ財政支出を絞り、減らさなくてはならない。それができないから、鳩山内閣は財政問題について何も語らず、財政の再建については沈黙を守りつつ、借金を無規律に、無責任に、無政府主義的に膨張させるのである。
もちろん借金の返済は一時凍結する、利子の支払いも停止する、というなら、二十兆円だけの余裕が生じ、十兆円だけの増税か、支出の縮減ですむことになる。
鳩山内閣はどういう財政政策を取るのか、「国債費」の支払いを中止しても、断固として財政再建の課題に向き合うのか、その決意と覚悟があるのか、それとも国民全体に対する大増税(消費税)を強行するのか、それとも特権と減税を享受してきた大資本や金持ちに負担を背負わせるのか。国民全体に明白な観点を明らかにすべきであろう。国家とその財政の破綻をいかにして回避するのか、その展望を明らかにすることもなく、選挙目当ての、政権維持の人気取りだけの新しいバラまき政策――子育て支援等々――に終始するなら、そんないいかげんで、無責任な政権がたちまち挫折し、崩壊していくしかないことは余りに明らかであろう。
財源探しに四苦八苦
2009年10月23日
鳩山政権は来年度予算の編成(概算要求)でたちまちそのいいかげんな本性を、政治的な破綻を暴露し始めています。
官僚主導ならぬ、政治主導で赤字借金の膨張予算を組もうというのですから、何をやっているのかさっぱり分かりません。財源など政権を握ればいくらでもあると豪語して、子育て支援などのバラまきの甘い空約束にふけってきたのですが、たちまち財源さがしに四苦八苦の有様ですから、情けないを通り越して、余りにばかげています。
昨年の当初予算の33兆円の借金どころか、麻生政権が補正予算で44兆円にまでふくれあがらされた借金の規模まで当然視し、あまつさえそれをさらに50兆円にも増やすというのですから、余りに無責任で、どうしようもない政権というしかありません。
現実は子育て支援などに浮かれているときではないということ、「ムダ」を削るというなら、まず財政の現状を考えて、そうすべきであることが明らかになったのです。恐慌が深化しているときには国家が需要を作り出さなくてはならない、借金財政をふくらませるのは常識だ、というのが予算膨張の理屈ですが、実際には、単に民主党とその政権のための、空っぽの人気取り政治のための国庫の悪用であり、自民党のやってきたことと何ら変わりません。
民主党政権の化けの皮は、彼らの政治が行われる、その一段階一段階において、一歩一歩において、これからもますます深刻に決定的に暴露されて行くでしょう。
「子育て支援」削って「子育て支援」——支離滅裂の鳩山政権
2009年10月16日
鳩山内閣は、麻生内閣が補正予算に盛り込んだ、「子育て支援特別手当」一千億円を削って、民主党が謳った来年度の「子育て支援」五兆円などに繰り込むと言うことです。何とみみっちく、浅ましいことでしょうか。すでにこの予算執行の準備に取りかかっていた、多くの自治体などはてんてこまいの状態です。麻生内閣の一千億は一度だけのものであり、そんなものをまで削り取って、同じような自分たちの「子育て支援」に回そうとする民主党は余りに根性がけちくさく、その良識を疑わざるを得ません。今年度は麻生内閣の一千億で「子育て支援」をやり、来年度から鳩山内閣のそれで継続し、充実させる、本格的に行う、と考えてもいいわけで、民主党のやつていることは結局、麻生内閣の得点にするな、自分たちの手柄にせよというだけのけちな了見でしかありません。まさに、鳩山政権の卑小な正体見たり、というところです。
麻生内閣が提案し、国会で承認された補正予算から、なりふり構わず、何が何でも三兆円を削らなくてはならないと血眼になっている姿は、労働者を白けさせるだけです。国家財政の「ムダ」を一掃するというなら、鳩山内閣が責任を負うべき、来年度予算の「ムダ」を徹底的にしぼり、年間四四兆円にも達した年間借金をけずることをこそ真剣に考えるべきなのに、それこそが鳩山内閣のなすべき本来の仕事なのに、そっちの方は知らんふりをして、予算(概算請求)の規模は昨年の八八・五兆円を軽く超えそうだ、三三兆円の借金に加えて、さらに赤字国債でも何でも増発しなくてはやれないといった、あきれた話が漏れてくるのですから、民主党政権はいったい何を考えているのか、いくらかでも首尾一貫しているのか、まじめさや誠実さがあるのか、と疑わざるを得ません。
「ムダ」をなくす、ダム建設もやめる、自衛隊も「とりあえず」海外から撤収する、景気対策も消費刺激でやると、いくらか“革新派”の政権らしさを装っていますが、経済財政政策を始め、至る所でボロを出し、すでに破綻をさらけ出しています。
民主党への、その政治への幻想は急速に冷め、後退して行かざるを得ないでしょう。民主党政権に対する原則的で、断固たる批判を貫徹し、先進的な労働者の結集を勝ち取って行かなくてはならないときです。
邪道の政治、鳩山政権
2009年10月10日
補正予算から三兆円を“ひねり出す”ための大奮闘が続いている。鳩山もすでに二・五兆円は確保した、あともう一歩だと大臣たちの尻をたたき、大臣たちは今度は官僚たちを駆り立てている。何か浅ましく、白けた風景ではある。
白けるというのは、「ムダの削減」はいいとしても、ただ民主党が約束した子供手当てなどのマニフェストのため、というのでは“邪道もいいところだ。もしマニフェストを実行するというのであれば、来年度の予算から正々堂々とやるべきであって、今執行中の今年度の予算、すでにいったん決った予算でやるのは、少なくとも“正道”ではない、余りにこせついていて情けなくなる。
いったん決っても、まだすべて実行に移されているわけではない、そこに「ムダ」があれば削るのは当然というなら、明確な基準をはっきりさせ、それに基づいてきちんとやることであり(その場合、その金額はあらかじめ三兆円と決っているわけではない、一兆円かもしれないし、五兆円であってもいいのである)、また削減されるカネは今執行中の予算規模の削減であって、それは例えば今年度予算(補正予算も加えた)のために発行される四四兆円の国債(借金)の縮小等々として処理されるのが筋というものであろう。他の「緊急に必要な」支出に振り向けられてもいいが、それはもちろん今年度の支出としてであって、来年度の民主党予算のためではない。
だが鳩山政権にとっては、自分たちが削るからには、浮いてくるカネは来年度の予算のためのものであり、民主党のマニフェスト実現のために活用されなくてはならないのである。だから、今予算が削られた事業が、来年度のものとして復活しても少しも問題ないということさえありえるのであり、事実民主党はあれこれの事業は中止するのではなく、一時繰り延べるにすぎないなどと公言さえしているのである。
だから、「ムダ」と言って削減する予算の基準さえもはっきりしておらず、自民党肝いりの団体や官僚の天下り先の組織などが絡んだ予算が目の敵にされている。それはそれとして意義があるにしても、しかし「中央職業能力開発協会」の「緊急人材育成・就職支援基金」の予算から三五三四億円が削られたり、「農地集積加速化事業」から三千億円があっさり削除される一方、自民党の族議員の策動で再開された「整備新幹線」の七三三億円がそっくり温存されたのはどういうことか。
削除された二つの事業のカネは確かに利用しにくいとかいうことがあり、充分に利用され、活用されていないというならその通りであるが、しかし労働者の失業が急速に増え続けている時、生活を保障しつつ「職業能力」をつけるための予算を削るとは一体民主党は何を考えているのか。労働者がその存在さえも知らず、十分に利用できていないとするなら、労働者が一層活用できるようにし、失業労働者を助けることが民主党の仕事であり、役割ではないのか(彼らは労働者のことなど二の次、三の次なのだ)。またコメなどの貿易自由化が避けられない時に、農業政策で最優先されなくてはならないことは、「戸別所得補償金」などのバラまきにふけることではなくて、大規模農業への、生産性の高い農業への移行を加速させることではないのか。
要するに、民主党の財政・経済政策はどんな原則も一貫性もないのであり、予算の「ムダ」削減に狂奔しているかに見えて、新しい「ムダ」をいくらでもはびこらせようとするものであり――例えば、子育て支援は「ムダ」そのものではないのか、高所得者や金持ち家庭にまでカネをバラまくというのに、「ムダ」がないとどうして言えるのか――、また予算を削るといいながら、収支均衡の、借金のない財政に接近するというのではなく、ますます財政を膨張させ、国家財政を破綻させようというのだから、まともな感覚などどこかに忘れてきているとしか思われない。
こんないい加減な民主党政権がどうして長続きすることがあり得ようか、また長続きすればするほど労働者人民の災厄や生活破壊が大きくなるということほど確かなことがあろうか。
鳩山政権の錯誤
2009年10月2日
鳩山政権は今や「子育て支援」など七兆円の“財源”発掘に全精力を集中し、そのことに政権の命運をかけているかである。
違うのではないか、鳩山政権よ。
そもそも七兆円もの子育て支援など、本当の意味での「緊急性」などないも同然であって、麻生内閣の一四兆円の補正予算と大同小異のものでしかない。
民主党政権がもし自民党政権と決定的に違ったものだというなら、その財政・経済政策は、国家破産という、決定的な危機をいかに解決し、克服するかという一点に集中され、真剣に取り組まれるべきであって、子育て支援といった、単なる人気取りのバラまきの愚策などに時間を費やしているいるときではない。
国家の合計債務が一千兆円に迫り、年々数十兆円もの(今年は補正を入れれば四四兆円)借金に苦しんでいる財政をどうするのか、それを「脇にのけて」おいて、なおもバラまき政治に没頭するしか能がないとするなら、鳩山内閣は麻生内閣と異なるところは全くない。
9年度の当初予算で見ると、総額八八兆円の予算規模の内、収入では、税収はどんどん減って四六兆円、その他九兆円(四兆円の「埋蔵金」など)、そして国債発行(借金)が三三兆円であり、支出で見ると、一般財政支出が五二兆円(ここでは、この詳細な内容に立ち入らない)、地方交付金が一七兆円、そして国債費(国債の償却と利子支払い)が二〇兆円となっている。
小泉内閣以来、「財政再建」の目標として言われてきた「プライマリーバランス(基礎財政収支の均衡)の回復」とは、国債発行の三三兆円と国債費二〇兆円の差である一三兆円を何とかする(支出の節減か、税収の増大か、あるいはこの二つの組み合せによって)、ということであった。だが、安倍内閣以来、こんなインチキ目標さえもあっさり投げ棄てられてしまっている。
なぜインチキ目標かと言えば、この「均衡」が仮に達成されたとしても、それは二〇兆円の借金は続くということでしかないからである。しかも借金が増えないのではない、確実に、利子分は新しい借金(今年度の財政について言えば、一〇兆円ほど)として増え続けるのである。
鳩山政権がなすべきことは、破綻している財政の明確な再建の展望を明らかにし、それに断固として取り組むことであり、それこそが最優先されるべき、最も「緊急性」のある財政経済政策であろう。
それに取り組む準備も決意も具体的な政策も何もないとするなら、鳩山政権とは一体何なのか、その存在意義はどこにあるのか、何のために自公政権に取って替わったのか。
もし「財政再建」を本気でやるなら、一三兆円ではなく、三三兆円を改善しなくてはならない。
まずなすべきことは、一〇兆円の利子支払いを停止すべきであろう。これを停止てしても、大部分の国民は(まして労働者)はほとんど損失はこうむらないだろう。銀行や金持ちや「ゆうちょ」が困るだけだが、これらの金融機関はろくに預金利子を払っていないのだから、国民が銀行やゆうちょにカネを仮に預けていてもどうということはない。金融機関や金持ちは、これまで国庫からすでに十分くすねて来たのだから、とやかく言うべきではない。
さらにもう一〇兆円の国債償却費を一時的に──すなわち、国の借金一掃の見通しがつくまで?──凍結すべきであろう。これもまた、国民一般にとって、それほど困惑することではないだろう。金融資本は大いに困惑するかも知れないが、そんなことは労働者にはどうでもいいことである。
そこで残るのは一三兆円ということになるが、これ位なら、大企業や金持ちへの増税によってでも、国家財政の中に伏在している膨大な「ムダ」を一掃することによってでも、おつりが来る位で調達することができるであろう。そして余剰が出れば、借金の返済に当てていけばいいのであって、おつりが出て出て困るということはないのだ。
さて、鳩山政権はこんな壮大な展望を語り、また実行する決意と勇気と実行力があるであろうか。そうしたものがもしあれば、労働者階級もまた鳩山政権を支持するにやぶさかではないだろう。
ムダ支出のためにムダを探す民主党
2009年9月25日
鳩山政権は今や、公約の「子育て支援」等々のための7兆円を作り出すために、なりふり構わない財源作りに走り、自民党が作った14兆円の補正予算の中の「ムダ」探しに夢中です。もちろん予算中の「ムダ」は徹底的に明らかにされ、削られなくてはなりません。しかし民主党がやっているのは、ただ7兆円の財源のために、それに合わせて「ムダ」を探すということでしかなく、邪道もいいところです。7兆円の財源が必要だが、そのためには14兆円の中から2兆円、あるいは3兆円が捻出されなくてはならないということに過ぎず、14兆円の中に、実際にどれくらいの「ムダ」があるかどうかを、事実に即して検討し、真実を明らかにするということではないのです。「ムダ」は1兆円かもしれないし、4兆円かも知れないのです。もし国家財政の中に膨大なムダがあるというなら、それは民主党のために、民主党の政策のために──それもまた、「子育て支援」を見てもわかるように、巨額の「ムダ」を含んでいるのですから、何をか言わんやです──そうさせられるのではなく、労働者人民の利益のために、そうされなくてはならないのです。あるいは、国家予算のムダを一掃するということは、何よりも、巨額の赤字を抱えた財政を健全化させるためにこそ、要請されているのです。民主党政権のやっていることは、本末転倒も甚だしい、愚劣な政治であって、いくらかでも健康な財政を取り戻すのではなく、まさにその反対に走るためにのみ、財政の「ムダ」を叫ぶに過ぎないのですから救いようもありません。こんなインチキ政権が長続きすることは決してないし、あり得ないのです。
民主党権力はたちまち腐敗せざるを得ない——今こそ、それを乗り越えて前進すべきときだ
2009年9月19日
「政治主導」をスローガンに、鳩山政権が出発し、矢継ぎ早に、ダム建設や郵政民営化の「見直し」や補正予算の「ムダ」の摘出などに乗り出した。国民の怒りや不満をひしひしと感じ、何らかの「改革」のそぶりを見せかけなければ、たちまち空人気もふっとんでしまうことを、彼らは恐れるのである。
しかし「政治主導」が不可避的に新しい形での、民主党と官僚とのいやらしい癒着に終らないと言う保障は何もない。現に、赤松と農水省の官僚とのおかしな癒着、慣れ合いの気配さえ、すでに見えている。
補正予算の「ムダ」を摘出するといっても、それはただ、民主党の17兆円(今年度7兆円)の新しい「ムダ」な支出の為なのだから、何をか云わんである。この膨大な新しい支出は、民主党が総選挙を勝つ為に持ち出した、国民総買収の壮大なムダ遣い──ふらちな利益誘導、バラまきの政治そのもの!──である。いまやこのばかげた公約を果たさなくてはならないから、民主党も必死である。
もちろん、補正予算のムダ──一切のムダだ!──を抉り出すことが悪いのではない、それがただ民主党のために、民主党の政権とその空約束のために行われ、新しいムダのためにのみ、つまりと党派エゴイズムの為にのみ、行われることが問題なのだ。国家財政が破綻している時に、真剣な反省もなく、新しく十七兆円もの無駄な支出をやり、
国家を破産と解体の淵に追いやってもいいと、無責任に考えていてることが問題であり、途方もないことなのである。
五、六兆円にもなろうかという「子育て支援」の膨大な金は、バラまきでも、無駄な支出でもない、というのか。しかしこれは自民党がやった、二万円のバラまきと、名前が違っているだけで、本質的に全く同じである。麻生が「景気対策だ」と強弁したと同様に、鳩山も、これは消費を拡大し、不況を克服するものだと叫ぶのである。
もちろん、国のカネを国民に無秩序に、いくらでもバラまけば不況が一掃されるなどというのは幻想であり──そんな簡単な話はないが、おとぎばなしでは政治はやれないのだ──、一時的な需要が生じるのを「景気回復」と勘違いしているだけのことである。自民党も民主党も、自分たちの利益誘導の、国民総買収の政治を、そんな風に呼んでごまかし、正当化しているだけで、その間に、国家の財政破綻は一層進み、国民の生活は根底からおびやかされ、破壊されかねないのである。
民主党の政治は自民党の政治のへたな焼き直しでり、急速にその頽廃ぶりをさらけ出して行くし、行かざるを得ないだろう。公共事業のバラまき(自民党)と、直接の消費のためのバラまき(民主党)と、一体どれだけの違いがあるというのか。基本的に、何もありはしない!
民主党の空虚なブルジョア的、プチブル的政治は、すぐに既成の支配勢力や利害関係と妥協し、たちまち行き詰まり、頽廃して行くであろうし、行かざるを得ないだろう。今こそ、民主党権力を乗り越え、資本の支配の根底をつく、断固たる闘いに進んで行かなくてはならないときである。あほな共産党のように、「建設的野党だ」などと、民主党政権──妥協し、混乱し、矛盾を深め、支離滅裂となり、急速に腐って行かざるを得ない民主党政権、否、現にすでに腐っている民主党政権!──などといちゃついているときではない。
政治的頽廃もたらす小選挙区制――“大愚”政党の“専制政治”を打倒せよ!
2009年9月11日
空虚で、非民主的で、茶番の総選挙が終わりました。内容のない「政権交代」の空騒ぎが、今回の選挙戦のナンセンスを暴露しています。小選挙区制は政権交代を容易にする、すばらしい制度だといった賛嘆の言葉が盛んに振りまかれています。
しかし、政権交代が頻繁なのは本当にいいことなのでしょうか。“国民”の──つまり、諸階級の──本当の意思を反映しない、したがってまた、それを尊重もしない政権がいくら生まれても、政治がよくなるはずもありません。小選挙区制では過半数の得票もない政党が七割以上もの議席を得て政権につき、少数政党の意思や、自民党でも民主党でもない、多くの国民の意思が無視される、最も非民主的な制度です。自民党と民主党を支持する国民は四割にも達しないのに、彼らの専制的な政治が横行します。
“無党派”が最大多数派ですが、彼らは、自民党や民主党を、また共産党や公明党を支持しない人々です。しかし、彼らの多くは、彼らの見解や利益を代表するあれこれの政党が登場し、国政選挙に参加するなら、無党派でなくなる人々です。そしてこの“無党派”には、どんなに多くの労働者が──しかも必ずしも階級意識を欠いてはいない──含まれていることでしょうか。
自民党か民主党かといった選択を事実上迫る、今回の総選挙ほど愚劣な茶番劇はありません。そして小選挙区制は、今回の選挙戦が証明したように、自民党や民主党をも、そして選挙戦そのものも堕落させ、ばかげた空騒ぎに、バラまき競争に、ポピュリズム騒動に変えるだけなのです。階級的な原則的な政治が一掃されるなら、残るのはつまらない“利益”をめぐる政治闘争、バラまきを競うだけの闘いにしかならないのはけだし必然です。
議会制民主主義は、すでに最も非民主的なものに劣化してしまいました。“民主主義”は死んだといって決して言い過ぎではありません。今後四年間、小選挙区制で絶対多数を獲得した、民主党の空っぽのナンセンス政治、腐敗政治、専制政治が続くのですが、それはまた、この間の四年間、自民党のひどい政治が続き、しかも“国民”はそれをどうすることができなかったのと同様です。
小選挙区制といった制度はただちに廃絶され、多くの政党が平等な形で、そして死票ができるだけ少なくなるように、選挙が実行されなくてはならないのです。そしてそうなって初めて、政治は活気づき、“国民”つまり諸階級は積極的、主体的に総選挙に参加し、“民主主義”はいくらかでも実質的な内容を獲得するのです。そうしてこそ、政治が実際的な意味を持つようになるのですが、それは資本の陣営にとっては必ずしも望ましいことではないでしょう。だからこそ、彼らは小選挙区制を、つまり最も非民主主義的な制度を好むのです。
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