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“働かせ改革”に断固反対する
高市の労働時間延長策動
2025年10月30日
上野厚労相は22日、就任会見で高市首相から労働時間の規制緩和を検討するよう指示を受けたことを明らかにした。指示書では「心身の健康維持と従業者の選択を前提にした労働時間制の規制緩和の検討」とされ、罰則付きの時間外労働の上限緩和のほか、規制の例外としての裁量労働制や高度の専門性を持つ専門職の拡大を意図したものだとされている。
なぜ、規制緩和なのか
現在の残業時間の規制は、2015年、当時電通の新入社員だった高橋まつりさんの「過労死(自殺)」事件など多発する「過労死」を背景に、「働き方改革」の一環として行われた。
2019年(中小企業は20年)に施行された「働き方改革関連法」は、長時間残業による過労死や健康被害を防ぐために、残業時間の上限は、原則として月45時間・年360時間とし、臨時的な事情がある場合に限って、労使の合意によって年720時間以内、2~6か月平均80時間以内(休日労働を含め月100時間未満など)とする罰則付きの上限規制が定められた。
また、原則である月45時間を超えることができるのは、年間6か月までとなっている。
政府は規制緩和=残業上限を“柔軟化”する理由について、裁量労働の制の拡大を通じて、テレワークや成果主義といった「多様な働き方」を促進するためであるとしている。
だが、これはまったくのごまかしである。
緩和は何よりも人手不足に悩む企業の要求に応じたものであり、一般労働者を対象としたものである。高市の指示に対して、経団連は早速「時宜に適したもの」として歓迎している。
もっと働きたいという労働者がいるといっても、「自分の能力を発揮したい」というより、むしろ低賃金のために日常的な生活もおぼつかないとか、住宅や自動車などのローン返済のために収入を増やさなくてはならないとしてもっと働きたい労働者もいる。高市の言うような規制緩和が労働者の「労働意欲」を反映したものだなどとはとても言えない。労働時間の延長よりも、物価上昇に追いつかない低賃金こそ解決しなくてはならない問題である。
また「労働者の自主的な選択」といっても、規制が緩和されることになれば、管理者の労働時間延長の“要請”を断ることも困難になり、それに従わざるを得なくなることは目に見えている。「自主的な選択」など空約束である。
結局、高市が言う労働時間の規制緩和策は、人手不足に悩む資本の立場を代弁したものにすぎず「働かせるための労働改革」なのである。
政府の「労働時間規制緩和」策を粉砕しよう
23日、立憲民主が国会内で開いた会合で、過労死で亡くなった高橋さんの母親の幸美さんは、「過労死ラインまで働かせるのはやめてください」と訴えた。これこそ労働者の真実の声である。
現在の労働時間規制法は、労働組合が認めれば「過労死ライン」である720時間までも働かせることができるものである。労働者にとって、労働時間の短縮こそ切実な要求であって、労働時間の規制緩和は労働者の要求に逆行するものである。実際厚労省の発表(6月)では、24年度の過労死等(死亡ばかりではなく、深刻な心身の疾患を含む)の賠償請求件数は23年度よりも212件増加し4810件と過去最高を更新した。支給決定件数も196件増加し、1304件と過去最多を記録した。これは、訴訟になったケースであり、実際の過労死等の発生件数はもっと多いだろう。
AIなどの活用、生産の自動化など生産力の発展にもかかわらず、労働時間の短縮が進まず、まだ「過労死ライン」といわれる過酷な長時間労働が存在するのは、労働の搾取を原理とする資本による生産だからである。賃金は労働者の労働量全体の対価ではなく、労働者の生活に必要な価値(労働量)であり、残りは利潤として資本の取り分となる。したがって、資本は規定外の労働(残業)に割り増し賃金を支払ったとしても、利潤を増やすことができるのであり、資本の下での生産では、労働者の生命を擦り減らす長時間労働は避けられない。
こうした資本の横暴を制限することのできるのは、国家による強制・規制である。そのためには労働者の闘いが必要である。8時間労働制も世界の労働者がストライキなど資本との激しい闘いを繰り返すことを通じて勝ち取った結果である。労働者は団結して高市の労働時間延長策動を粉砕しよう!
しかし、労働者は資本の下での労働時間の規制にとどまっていることはできない。労働が資本の利益のためではなく、直接社会のために行われるようになれば、現在の生産力水準の下でも現在の生活水準を維持するための労働時間は現在の2分1、3分の1とすることも可能である。労働時間を縮小し、各自が自由に自分の才能を発揮することのできる社会の実現を目指して闘おう。(T)
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