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中道改革連合、解体へ
〝ご都合主義〟的結党の末路
2026年9月3日
8月末、中道、立憲、公明の3者による合流に向けた協議は、合流断念を確認した。中道の存在は1月結党から僅か7か月余だった。中道の破綻は、衆院選を控え立憲、公明が合流すれば自民に勝てる展望が開かれるという、単なる員数合わせのご都合主義的合同の当然の結果である。
衆院選惨敗の原因は政策無視の合流に
中道は高市首相の突然の衆院解散を受けて、立憲と公明の衆院議員によって結成された。参議院と地方議員は後から合流することが予定されていた。しかし、2月の衆院選惨敗によって、合同の機運は急速にしぼみ、秋の臨時国会に新しい体制で臨めるよう、8月末までに合流についての結論を出すとしていた。
立憲は、8月から地方組織のヒアリングを始めたが、合流への慎重、反対論が続出した。その最大の理由は衆院選での壊滅的ともいえる敗北である。
中道結成にあたって、つくられた「綱領」「選挙政策」はほとんど公明の提示したものの“丸呑み”であった。「左でも右でもなく、その真ん中」=「中道」を党名につけたのも公明の政治的立場を表すものであったし、「自主防衛の強化」や「改憲」を謳った「現実的な外交・防衛政策と憲法改正論議の深化」、食料品消費税ゼロを謳った「生活者ファースト」など政策も、公明の政策であった。
当時の自民は「裏金づくり」問題などで社会的に批判を浴びでおり、立憲幹部にとっては、自民の金権腐敗を理由に自民との連合を離脱したばかりの公明と合同すれば選挙で勝てるという思惑であった。彼らにとって、新たな党の綱領や政策は2の次で、合同すれば選挙に勝利できるという楽観的な考えで、綱領も政策も公明のものを取り入れたのである。こうした無原則で、ご都合主義的な姿勢は、選挙区は立憲に、比例代表は公明にという立候補の配分の仕方にも表れていた。
しかし、選挙結果は立憲幹部の予想に反して、公示前の167議席から49議席へと歴史的ともいえる惨敗であった。小選挙区の立憲系議員の当選者は、僅か21にすぎない。(公明系議員が立候補した比例代では28人が当選と議席数を増やした)。
公明は「平和の党」「生活者の党」を看板にしながらも、4半世紀もの長期間にわたり自民党と政権をともにし、「集団自衛権」の容認、軍備増強政策に賛成するなど自民の政策に同調してきた。公明とも見まがうばかりの中道新党が有権者を引き付けることができなかったとしても当然である。
臨時国会においても、中道は公明系議員に引きずられ、インテリジェンス機能の司令塔を担う国家情報会議創設法案や男子系男子を天皇とする皇室典範改定法案に賛成した。こうした態度は、来年春の統一地方選、28年の参院選を控える中で、立憲議員の中道への合流に不信や反発をさらに増加させた。
3党の合流に向けた会議で、立憲の水岡代表は、「組織的合流はしない。国会議員と地方議員を分断しない基本方針を重視しない」、「その上で3党協力は国会、政策、選挙でさらに進めてもらいたい」として、「参院での統一会派を含めて最も効果的な連携の形を協議したい」と主張した。
これに対して公明の西田幹事長は、「参院での統一会派結成は考えていない」と発言。集団自衛権を容認する安全保障政策を上げ、「根本的な政策が一致していない現状で統一会派を組織することは困難」としている。公明の中では参議院議員の中道との合流は見送るが、統一会派を持つと言う意見もある。しかし、公明の中では、「高市政権とは組めないが、つぎの政権になれば、自民との復活もありうる」(朝日新聞、9・1)との声も出ている。公明は、破綻した中道に未練はなく、中道の公明系議員の復帰を期待しているようである。今のところ、今後の立憲、公明がどのような関係になるかは明らかではないが、中道が破綻したことは明らかである。
「護憲リベラル共生」(「ゴリラ」)は立憲の復活?
衆院選の中道惨敗を受けて、8月16日、川内博、阿部知子、平岡秀夫ら落選議員を中心に参院立憲議員も含めた16人による「護憲リベラル共生」が発足した。略称は「ゴリラ」、力強く、地に足をつけて平和を守るという意思を込めたという。
「設立宣言」によると、憲法を尊重し、立憲主義に則って自由、平等、寛容の恵沢を広げ、格差を是正し、差別や排除をなくし、恒久平和を実現するという内容である。
その基本的な政策の内容の項目を挙げると、憲法9条の堅持、長子による皇位継承を可能にする皇室典範の再改定、アベノミクスの克服、人間らしい労働の確立、ジェンダー平等と多文化共生、ベーシックサービスの保障、環境、中小企業支援、食料とエネルギーの地産地消、在日米軍の縮小と地位協定改正、地方自治の確立の11項目が上がっている。
ゴリラは、公明と合同したことを批判し、リベラル勢力の受け皿を目指し、政党化も視野に入れるという。
これから見ると中道以前の立憲の立場とさほど変わっているようには思われない。彼らが目指しているのは、自由主義的な立場からの自民党政治及び現在の資本主義の批判であり、資本主義の体制の下でリベラルな政治的、経済的改良行うということでしかない。
たとえ「ゴリラ」のような政治組織ができたとしても、国家主義、愛国主義を謳い、軍備増強を目指す高市政権と徹底して闘い抜くことは出来ない。なぜなら、反動的な高市政権を生み出したのは、帝国主義化し、退廃を深めている日本の資本主義だからである。
労働者の階級的革命政党の伸長こそ必要だ
労働者、働く者に求められているのは、立憲の復活、あるいはゴリラの唱える「護憲リベラル」の政党ではない。中道の解体は立憲の破綻として総括されるべきである。公明との合同を止めて、元の立憲に戻ったところでなんの解決、政治的前進にもならない。単にブルジョア議会で多数になることによって国民生活が改善され、豊かになるかの立憲のブルジョア改良主義政治が公明との野合による中道をもたらしたのであり、中道の破綻は立憲そのものの破綻であることは明らかである。
求められているのは、労働者の階級的団結であり、退廃を深め反動化した資本の支配の根本からの変革を目指す、労働者の革命的政党の伸長である。こうした革命的政党の闘いとその発展こそが、高市反動政権と徹底的に闘い抜き、労働者の闘いを前進させ,未来に向けた展望を切り開いていく道である。 (T)
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トランプのICC制裁
追随する高市首相糾弾
2026年8月27日
トランプ政権は18日、国際刑事裁判所(ICC)の赤根所長を制裁対象にすると発表した。これはイスラエルの関係者をICCが捜査対象にしてきたことに対して、イスラエルを擁護する米国が反発してきた結果だ。しかし高市首相はこれに対し「残念に思う」と言うだけで、トランプによるICC制裁の暴挙に非難の言葉を発することはなく、トランプに追随するのだ。
トランプ、イスラエルのガザ虐殺を非難するICCを敵視し制裁
パレスチナ・ガザでのイスラエルによる住民虐殺は現在も続いているが、ICCは24年11月、ネタニヤフ首相らを戦争犯罪などで逮捕状を発行した。イスラエル友好国の米国はこれに反発し、25年2月にトランプはICCの関係者に制裁をかける大統領令に署名した。
赤根は、この大統領令に対して「法の支配に基づく国際秩序に対する深刻な攻撃だ」と非難、ICCに加盟する79カ国・地域も、これを非難する共同声明を発表、ICCへの「揺るぎない継続的な支援を再確認する」とした。しかし日本はそこに名を連ねなかった。「法の支配」が〝国是〟のはずであったが、当時の石破首相はトランプとの首脳会談を行なっており、トランプの対日圧力を恐れたのだ。この時の日米共同声明でも「法の支配」が消えていた。
その後もトランプ政権は7月、イスラエルによるガザでの「ジェノサイド」を強く非難している国連人権理事会のアルバネーゼ特別報告者に制裁を科すとし、12月には、これまでの制裁対象9人のICC職員に加え、さらに2人の裁判官を制裁対象にした。
トランプは、イスラエルのガザ住民虐殺を非難するICCを敵視し制裁対象とした。それはイスラエルのガザ住民虐殺を支持し、パレスチナ人の民族独立の要求の抹殺に加担するものだ。
トランプ、ICC赤根所長を制裁対象
米政権のICCへの敵視はエスカレートし、7月13日にはICCが「米国の主権に対する許容できない脅威」になっていると、「すべての手段を用いて、ICCを解体する」と主張、ICC加盟国に対し脱退していくように働きかけていく方針を示した。
これに対し、赤根は17日「使命を確固として果たし続ける」と表明、16日には欧州連合(EU)もすべての国にICCへの「全面的な協力の確保」を求めた。
そしてトランプ政権は8月18日、ICCの赤根所長を制裁対象にするとした。
ICCへの執拗な制裁は、イスラエル擁護のためであるとともに、トランプ政権が今年に入って行なった1月のベネズエラへの軍事攻撃や2月のイランへの先制攻撃などの軍事行動に対する批判をかわそうとするものだ。
このような帝国主義者の自国の利益中心の行動は、労働者は断じて認めることができない。
トランプに追随する高市を許すな!
ICC本部があるオランダは「ICCとその職員を全面的に支持する」と表明、EUも「ICCを断固支持」するとした。
しかし高市は19日、「大変残念に思っている。これからも米国を含む関係国と意思疎通を継続しながら対応していく」との述べるだけで、「法の支配」に言及することはなく、米国のICC制裁に対する非難や制裁の撤回を求めることはなかった。帝国主義者トランプ、ネタニヤフに追随するのだ。
赤根は「ICCの存続と世界の法の支配を守り抜いてほしい」(19日)と訴えるが、1月に赤根と面接した高市の「日本は法の支配を重視しており、政府としてICC及び赤根所長を力強く支援していく」と言う言葉は、またもや口先だけ過ぎないことを現わした。
高市は24年の高市内閣発足時に「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」と豪語したが、今では世界の中で、労働者の中で高市はますます信用をなくしている。
労働者はこんな高市政権を一刻も早く打倒し、労働者の団結した力で、労働者が主体の新しい社会を作っていく階級的闘いを推し進めていこう。 (佐)
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小泉防衛相の「核武装議論」に抗議する!
核武装で「強い帝国主義国家」を夢想
2026年8月13日
核武装を議論せよと
小泉進次郎防衛相が「核武装」や「核共有」を念頭に置いた発言を続けている。
7月17 日には、右翼評論家・桜井よし子の「櫻LIVE(さくらライブ)」というインターネット番組に出演し、桜井とのやりとりで次の様に述べた。
「日本にとっては議論するのが難しい課題だが、触れざるを得ない一つは核だ」「あらゆる政策をタブーなく議論し、進めなければならない」と。
さらに同月22日には、訪問先のベルギーで、欧州が核戦力を増強する動きに賛意を示しながら、日本でも「タブーなく議論を」と再び述べ、さらに、8月4日の記者会見でも同様の発言を行い、今年末に閣議決定を予定する「安保3文書」(改定版)の中で、「非核三原則」の見直しに触れることを予感させた。
昨年12月に防衛相を任ぜられた時、既に小泉は、民主党政権の岡田外相の発言を引用しながら、「『万が一、もしも核の一時寄港ということを認めなければ日本の安全が守れないというような事態が発生したら、それはその時の政権が政権の命運を懸けた決断をし、国民の皆さんに説明をする』との考えと同じで引き継いでいきたい」と強調していた。単純な小泉は、高市の指示に従いながら、昔からの核武装論者であるかに振る舞っているのだ。
要するに小泉は、安保3文書の中で、何らかの形で現在の非核三原則の見直しについて触れることを端なくも語っている。
核には核で対抗
このように非核三原則を見直そうという発言は、中国や北朝鮮が核武装を強化しているから、これに対抗するために、日本も核武装すべきだという論理によってである。つまり、核兵器を保有することで、相手国に攻撃を思いとどまらせる「核抑止」の機能が高まると、言いたいのである。
しかし、中国や北朝鮮が核武装しているから、「思いとどまらせる」ために、日本も核武装すべきだという論理には、何の合理的な説得力もなく、現実的な抑止力にもならならず、むしろ、国家間の対立を激化させ、核軍拡への競争の狭間に押しやるだけだ。そして、「軍拡競争の終着点は、国家間の激烈な対立と帝国主義戦争であり、戦争抑止ではない」(『プロメテウス』第61号22年刊「資本輸出を急増させる日本資本主義」参照)。
高市や小泉らは、中国がアジアや太平洋に展開している軍事的行動に神経を尖らせ、常に、これに対抗できる軍事力を保持したいと考えている。核保有や核共有もまた、軍事力の強化の一環なのだ。
彼らは、高市政権が現在進めている「強い経済と強い軍事力を持った日本」への〝橋頭堡〟として核武装をも考えているのであり、帝国主義日本に相応しい軍事力を持つのが当然だという認識に立っている。決して、「米国の犬」とか「米国の従属国」になり、米国のいいなりになっているわけではない。
自民党・維新政権を打倒 核の脅威から逃れる道は資本主義の克服によってのみ
日中間の帝国主義的な対立は、中国の国家資本主義と日本の国家独占資本主義の経済的発展と共に、海外への対外直接投資(企業買収を含む)を強め、今や、双方が資本輸出大国として登場していることに根源がある。
現代の日本は、貿易収支は赤字に転落したが、海外子会社などからの「営業外収益」(受取配当金など)が莫大な金額に上り、海外の労働者から剰余価値を取得(労働の搾取)している。
中国もまた、世界の先端企業を買収し、東南アジアへの資本進出も活発に行い、日本同様に、帝国主義国家に成っている。この限りでは、経済的な意味であるが、そこに留まらず、経済的権益を軍事力で守る思考を強めてきた。
中国はフィリピンやベトナムとの海洋支配を巡って軍事的衝突を繰り返してきたが、それは、南沙諸島海域には豊富な地下資源があり、また豊かな漁場があり、これらを狙った国境線の再構築(再分割)なのだ。中国の軍事的行動と岩礁の基地化は帝国主義的軍事行動そのものである。
日本はこのような中国の帝国主義化に対抗するために、軍事費をGDP比2%から3%以上へと増やし、さらに強力な自衛隊に仕立て上げようと策動している。〝経済と軍拡による好循環〟を夢想する高市政権の「成長戦略」の中にも、その狙いがはっきりと表われている。
従って、日中間の対立激化の真の原因を把握することなくして、「戦争」や「核武装」を解決することはできない。資本主義をそのままに「戦争反対」や「核保有反対」の平和運動では限界があるのだ。
まして、共産党のように「自衛隊活用」を認めた上で「戦争反対」を叫ぶことは欺まんである。中国を国家資本主義と理解できず、未だに「スターリン主義」(堕落した社会主義)と規定する新左翼諸派の運動もまた、明らかに矛盾し限界を持つ。
各国の軍拡を進める政府を打倒し、さらには資本主義を克服した「共同労働社会」の実現に向かって闘うことが帝国主義を一層する唯一の道、平和を勝ち取る唯一の道なのである。共に闘うことを呼びかける。 (W)
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国家、愛国心、人権とは何か?
今国会で問題となった人権について
2026年7月27日
今の国会で人権との関りで問題になったのは、「皇位継承」と「国旗損壊罪」だろう。この二つを考えると我われはどうしても天皇制を始め国家や象徴、愛国心、国旗、人権とは何かといった問題を考えざるを得なくなる。これらの問題は各々孤立したものではなく相互に関係しているが、天皇制について、天皇制についてはすでに『海つばめ』1526号1面で述べられており、ここではそれ以外の問題を考えてみたい。
「通常人」、「社会通念」とはなにか?
国旗損壊罪の規定は、「人に著しく不快または嫌悪の情を模様させるような方法」で「公然と国旗を損壊」した場合、「2年以下の拘禁または20万円以下の罰金を課する」というものであるが、そこで問題になるのは、「不快」とか「嫌悪」といった、拡大解釈が可能となる主観的な観念で人を罰してもいいのか、ということであった。自民・維新の与党は、「一般的な通常人」の感情や「社会通念」を基準にして判断すると説明しているが、しかし問題は、この「通常人」とか「社会通念」とは何か、ということである。
「通常」とか「通念」の観念は、時々の社会や時代によって変わるものであり、相対化して考えねばならない。マルクスは、「支配階級の思想は、支配的な思想である。」と述べているが、通念とか常識といったものは、支配階級の思想を土台にしているものだ。封建社会には封建社会の「通常人」や「社会通念」があり、古代社会にも古代社会の通念があった(階級による違いを前提にして)。ブルジョア社会においては国家とはブルジョア国家であり、資本主義的生産関係の中で人々はそれぞれの階級的立場で生活している。
本来異なった階級の人々を一般的に「通常人」にまとめることは不可能なことなのに、階級的見方を無視しているブルジョアは、強引にブルジョアの立場から階級社会の人間を抽象的に「利益を追求する個人」とか「自由で平等な個人」などと規定するのである。また「社会通念」にしても、競争社会で生きる人々の思考を「通念」「常識」として描くのだ。
ブルジョア国家は、封建制度の下で様々な拘束に苦しんだ市民(ブルジョアの前身)が、多くの革命を経て作り上げた国家である。だから、ブルジョアジーがブルジョア国家を愛するのは当然であるが、労働者人民は、この資本主義社会に生まれこの社会で生きていかねばならない以上、この社会を“愛さねばならない”のは自然である。ブルジョアジーはこの感情を利用して愛国心を強要するのである。ブルジョアジーの「愛国心」は一般化され、労働者人民にも当然なものとされ、「愛国心」を持たない者を、“非国民”と言って非難するのである。
このブルジョア国家の象徴が国旗である。象徴(シンボル)とは、抽象的な観念を表す具体的な物である。ここでは、ブルジョア国家イコール国旗ということになり、国旗を損壊したり侮辱したりすることは、ブルジョア国家そのものに対する反抗、反逆と同じことになる。自・維政府は、衆院での圧倒的多数を得たことを千載一遇の機会とし、立法事実(国旗損壊という事実)もないままに、何が何でも国旗損壊罪を成立させようとしたのは、日本国家に対する反抗を抑圧したいがためである。
表現の自由や思想・内心の自由の歴史性
国旗損壊罪では、マスコミにおいては表現の自由や思想・内心の自由などが問題になった。人権もまた、その成立を歴史的に考えてみれば、人権もまた中世の市民(ブルジョアの前身)が封建制度の束縛に反抗して、営業の自由や所有の自由を主張したことから始まる。人権の成長も議会制度の成長などと同様に、ブルジョア階級の発展とともに基本的人権のイデオロギーとして完成されていくが、人権や民主主義も、あくまでブルジョアジーにとっての権利であり、はじめから被抑圧階級である労働者人民のものではなかったのである。
所有権も営業の自由も、表現、思想・内心の自由も、失うべきものを待たず、その日暮らしに明け暮れている労働者人民には無縁のものであった。とはいえブルジョア社会はその建前としては“人間はみな平等”であるから、労働者人民もまたブルジョアと同様に人権を享受することができる。ブルジョア革命によって形式的にではあるが獲得された基本的人権や民主主義を手段にして労働者人民は、革命闘争を発展させていくことができるのである。
以上のように、人権の成立の経緯からして人権は本来ブルジョアジーのものであるから、被抑圧階級の人権は、ブルジョア階級が消極的に労働者人民に認めたものに過ぎない。したがってブルジョアジーは、いやいやながら認めた労働者人民の人権を、絶えず必要最低限に抑えようとするのは当然である。
労働者階級はブルジョア階級と“平等に”与えられた人権の抑圧や剝奪に抗議し闘わなければならないが、人権を過大に評価したりする幻想をもってはならないのである。人権というイデオロギーだけではなく、議会や裁判所などの政治制度や法律制度などは、資本主義的経済の土台の上に成立した上部構造であり、ブルジョア階級が作り出したものである。
ブルジョア民主主義の幻想を一掃し、労働者民主主義を実現しよう!
レーニンは『背教者カウツキー』で次のように述べている。「搾取者は、被搾取者と平等ではありえない。」(レーニン10巻選集9巻p40)、「近代国家の基本法を取り上げてみたまえ。集会または出版の自由を取り上げてみたまえ。―そうすれば、諸君は、誠実で自覚した労働者ならだれでもよく知っているブルジョア民主主義の偽善を、一歩ごとにどの国家にも見出すであろう。どんなに民主主義国家であろうと、『秩序が破壊された場合に』―実際には、被搾取階級が自分の奴隷的地位を『破壊し』、非奴隷的にふるまおうと企てた場合に、労働者に軍隊を差し向けたり、戒厳を宣告したり、等々する可能性をブルジョアジーに保障している抜け道または但し書きが憲法の中に設けられていないような国家は、一つもない」(同p33)。
労働者人民は憲法に保障されているからといって表現の自由等の基本的人権や議会制度、裁判制度等の政治制度に幻想をもってはならない。これらは本来ブルジョアジーのための制度であり、労働者人民を抑圧しその地位に永遠に押し留めておくための手段である。労働者階級は、資本の支配を打倒し、労働者の権力を打ち立て、労働者階級独自の政治制度や民主主義を実現せねばならないのだ。(K)
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