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伊藤誠の“中国社会主義”論
“市場経済”への過大な幻想――矛盾、困難を願望でごまかす
(山田明人)


 宇野派の経済学者として知られる伊藤誠が『幻滅の資本主義』(大月書店)という本を出している。彼は、新自由主義に代表される現代資本主義を「幻滅の資本主義」と批判し、社会主義の展望について語るのであるが、そこで中国の「社会主義的市場経済」に大きな期待を寄せている。彼は中国の「新たな実験」について語り、「社会主義的市場経済の理論的可能性」について論じたてている。彼の「理論的可能性」なるものについて検討してみよう。

◆広い歴史性と狭い歴史性

 彼は中国の社会主義について次のように言う。

 「中国の実験を通じ、市場経済を生かした社会主義の道が、どのような意味で理論的に可能と言えるのか、そこにまたどのような問題点や懸念が生じているのか、繰り返し思索や検討が加えられてよい課題をなしている」

 では、彼はどんな「理論的可能性」を問題にするのか。

 彼はまず、市場経済の「広い歴史性」と「狭い歴史性」を問題にする(彼は市場経済と商品経済を同じ意味で使用している)。市場経済は資本主義以前の社会にも存在したのであって、市場経済が「人間生活の一般的基盤に拡大深化した近代資本主義」での市場経済とは区別されなければならないと言う。

 「いずれにせよ、市場経済の古代以来の広い歴史性と、近代以降の資本主義市場経済の特殊な歴史性とを同一視してはならない。市場経済の広い歴史性から見れば、生産手段の私的所有は、市場経済の発生、発達の不可欠の前提であったとはいえない」

 しかし、市場経済の「広い歴史性」から見るなら、「生産手段の私的所有」は市場経済の不可欠の前提ではないというのは奇妙な議論である。というのは、市場経済すなわち商品経済にとって私的所有は、“不可欠の前提”であるからだ。資本主義以前の市場経済つまり古代奴隷制や封建制においても、市場経済が社会全体をとらえていなかったとしても私的所有は存在していたのであり、私的所有が資本主義にのみ特有の所有形態であったわけではないからである。

 なぜ彼がこんな議論を持ち出しているかというと、市場経済と資本主義を区別し、市場経済の“超歴史性”を言うことによって社会主義と市場経済を両立させるためである。

 彼は『資本論』の冒頭の商品について宇野派が「流通形態論」(価値の実体抜きの価値論だ)を持ち出したのも、この両者の区別についての「理論的認識の含意」があったからだと自慢にもならない自慢をした後、次のように主張する。

 「その認識は、社会主義市場経済が主要生産手段の公有制を前提とし、市場経済の調整作用や刺激を組み込んで構築されうると見なす理論と実践に、重要な一基盤を提供するものと言えよう。非歴史的で自然主義的な古典経済学や新古典派経済学では、侘美光彦も批判しているように、資本主義経済を市場経済一般と同一視し、両者の歴史的差異と関連を理論的に明確にしえないのであって、そのような狭い市場経済理論にたっていることから、また中国における社会主義的市場経済の実験の意義と可能性を硬直的に否定し、市場経済化は公的所有との不整合であり社会主義の自己崩壊に至るほかないとの論題が示されることにもなっているのである」

 古典派経済学などが、「非歴史的で自然主義的」であり、市場経済と資本主義経済を同一視し、両者の歴史的差異と関連を明確にできなかったというのはいいとして、だから社会主義と市場経済が両立できるということにはならないのだ。

 そもそも社会主義社会は、資本主義の豊かな生産力を物質的な基礎として誕生するが、それは利潤のための生産を目的とした資本主義的生産を否定して、生産を人間による意識的な統制のもとにおくことである。資本主義を歴史的に止揚するとは、市場経済=商品経済をも止揚することであり、社会主義に市場経済が残るなどということは論理矛盾である。

 かつてスターリニストは社会主義にも商品経済がある、価値法則も存在すると叫びたてたが、宇野派の伊藤も事実上それと同じ立場に立っている。彼は社会主義と市場経済を両立させるために「広い市場経済」と「狭い市場経済」の区別を言い立てたにすぎない。

◆生産手段の公有制と経営管理の多様化

 次に彼は、生産手段の公有制を問題にする。中国では生産手段について、「公有制を主としつつ、その経営管理の様式を多様化し、実践的に豊かな可能性を生み出してきた」というのである。そして生産手段の公有制の意義や内容も「豊富な多様性」を示すようになってきているというのである。

 「そのような可能性は、具体的には、土地の全人民所有を前提としつつ、導入された農家への耕地の責任請負制、国有企業の経営者への責任請負制と企業税制の整備、地方政府もしばしば積極的に関与して推進された協同組合的郷鎮企業の群生、さらには一九九〇年代における国有企業改革の過程における株式会社への改組、さらには郷鎮企業の株式協同組合企業への改組など多様な試みをもたらしてきている」

 しかし、こうした現実は中国が「社会主義」ではなく、ただ国家資本主義の体制であること、国家権力をテコに急速な資本主義の発展を成し遂げようとしていることを教えるにすぎない。

 実際、一九七八年の「改革開放」以来、責任請負制、郷鎮企業、株式会社への改組など多くの試みがなされてきたが、それは共産党の国家支配のもとで農民が大多数を占める中国の資本主義的な発展を勝ち取るための試みであった。農村における責任請負制は事実上の土地の私有制の導入であったし、郷鎮企業の導入や国有企業の株式会社への改組は資本の育成政策に他ならなかった。これらの政策は、中国の国民経済(資本主義的発展)にとっては歴史的に必然的(進歩的)なものであったが、「社会主義のもとでの所有制度の多様化」と評価するようなものではなかったのである。

 彼は、国有企業の比重の低下や私的所有企業の急増について「公有制度の解体」の“不安”も抱きつつ、次のように述べている。

 「こうした企業の所有形態の多様化への改革を通じ、中国の工業生産に占める国有企業の比率は一九七八年から、九〇年を経て九七年にかけて、七七・六%から五四・六%、二六・五%へ顕著に低下している。しかしその間、集団所有の企業の比率が同じ各年に二二・四%、三五・六%を経て、四〇・五%に増大し、その両者を併せると九七年になお六七%を占めている。集団所有の企業について、資本主義的株式会社と異なる、生産手段の公的所有の基本性格をどのような基準で確保してゆけるかが、重要な問題をなしているといえよう。他方、個人所有の企業の比率が一九九〇年の五・四%から九七年の一五・九%へかなり目立った増大を見せている。この個人所有企業の比率がさらに増大してゆき、過半をこえれば、企業形態においては公有制主体の原則は危うくされ、これを基本とする社会主義は自己崩壊に向かうことにもなりうる」

 この間の「改革」によって国有企業の比率が八割近くから二六%(四分の一)に激減したこと、個人所有企業が十年弱で十ポイント以上拡大し、二割に近づいていることは、「改革」と資本主義的な経済発展が一体のものとして展開してきたことを教えている。

 「中国社会主義」の幻想に固執する彼はそれでも、株式協同組合企業について、出資金に応ずる利益配当の分配は容認しつつ、総会に際しては資本主義的株式会社と異なり一株一票の出資に応じた投票権は認めず、協同組合原則の組合員一人一票制をとっているとか、国有企業の株式会社化も、その過半の株式を国有のもとに確保していることを「見逃されてはならない」と強調するのであるが、それによって中国の「社会主義」が担保される保障はない。いつまで「一人一票制」が維持されるのか、いつまで国有企業の株の過半を国家が保持するのかは、はっきりしないし、むしろ全体的な流れは、経済への国家的な統制は維持しつつも経済の民営化・私有化がどんどん進められているということである。

 中国の資本主義的な現実に若干の“不安”を感じざるえない伊藤は、次のような注文を付ける。

 「それとともに、生産手段の公有制を主体とし、労働者を主人公とする社会主義経済のもとでの企業の経営組織には、責任請負制による経営責任者の選任や、経営方針、労働条件や労働者の処遇などへの社会的な監視や労働者の相違の集約の仕組みが必要となるはずである。各企業における労働組合は、こうした方向での機能や責任を分担する方向にあると言えるかどうか、各企業内の共産党員や組合活動家は、社会主義的理念と理論によって働く人々を組織する積極的役割を果たしえているのかどうか、企業の経営責任者の汚職も続発しているだけに、中国の企業改革は、こうした側面も重視しつつ特色ある社会主義の内実を実現してゆかなければならないであろう」

 彼には中国共産党への幻想が今もってあるようだ。共産党が企業内で行っているのは企業が資本としてどう利潤をあげるかに腐心することである。彼らは事実上の資本家、企業経営者であり、だからこそ責任者の汚職も頻発するのである。そして企業の中で労働者は、経営方針などからは排除されており、その地位は日本などの資本主義国のそれと異なるところはない。こうした状況の中で「特色ある社会主義の内実を実現しろ」などといっても全くの空文句である。

 彼は「公的所有の原則」を振り回すが、すでに企業を支配しているのは共産党官僚や経営者であり、彼らの経営がやりやすいように民営化、私有化が進められてきたのであって、「公有制度の多様化」などといって美化することはできない。

◆労働市場の形成

 社会主義には失業者は存在しないと考えられてきたが、改革開放後、中国においても労働市場の形成が見られるという。

 郷鎮企業の拡大、国有企業の「改革」、非国有企業の急速な拡大の中で「雇用の弾力化」が進み、また「盲流」といわれる六千万人を越す農民工が都市部に流入している。このため失業問題も公然化し、都市部では五百七十八万人、一時帰休者九百三十七万人を合わせると計一千五百万人を数える。彼はこれを発展する中国資本主義にとって「逆説的数値」というが、中国資本主義の発展における当然の数値でしかない。

 そして彼は従来、社会主義における失業問題は「理論上、問われない傾向」があり、「無視されがち」であったが、中国の現実を前にして「予備軍のプール」は欠かせないと言い始める。ロシア的な計画経済であろうと、中国的な社会主義的市場経済であろうと、新たな産業や企業の発展に動員可能な「就業者予備軍のプール」がなくてはならないというのである。

 「その意味では、社会主義経済が計画経済によろうが、市場社会主義のモデルによろうが、その柔軟な需給の調整と新たな産業や企業の発展性を保証する基盤に、ある程度の規模での社会主義的産業予備軍のプールの存在が欠かせないところではないかと思われる」

 だが、商品生産や労働力の商品化を止揚したはずの社会主義社会で、労働市場の形成とか失業者の存在は、論理矛盾である。彼は懸命に理論的な整合性をはかろうとするのであるが、もちろんそんなことは不可能である。

 彼は一般的な資本主義での失業と社会主義的市場経済における失業を比べる。前者ではその責任は労働者個人にゆだねられる。国家や地方行政が社会保障的にこれに介入するとしても、それは補足的役割とされる。しかし、後者ではそうであってはならないというのである。

 「生産手段の公的所有を主体とし、労働者を社会の主人公とする社会主義社会であれば、市場社会主義であっても、労働市場やそこでの失業が基本的に労働者個人の危険や責任のみに帰せられてよいはずはない。そこでは、労働者は、基本的には生産手段を社会的に共同所有している主体であって、労働力の商品化に生活の全基礎をおく無産の労働者と見なされてはならない。職業選択の自由や市場の需給にしたがった労働者の移動は、社会主義的産業予備軍のプールをときに膨張・収縮させながら労働市場を介して行われるにせよ、それは社会の主人公たる労働者の職場移動の媒介機関であって、資本主義経済におけるように失業によりその生活の基盤がすべて破壊されるような事態を生じてはならないはずである」

 彼がここで力説するのは、失業を労働者個人の責任に「帰せられてよいはずはない」、資本主義一般の無産の労働者と「見なされてはならない」、失業で生活が破壊されるような「事態を生じてはならないはずである」といった主観的な期待と願望のみである。

 しかし、中国労働者の現実は、資本主義社会の労働者のそれと全く同じである。グローバリゼーションのなかで中国企業(国有、集団、私的企業)も日本や欧米の資本と熾烈な競争を繰り広げ、そのもとで働く労働者の地位は日本や欧米と基本的に同じである。貧富の格差は拡大し、失業も常態化している。現実を直視すれば、労働者が「社会の主人公」であるはずだとか、普通の資本主義国の賃金労働者の地位とは本質的に違うはずだなどということはできない。

 「具体的には中国国有企業が過剰人員の整理に際して採用している三年にわたる基本的生活給の支給、職業訓練の保証などを伴う一時帰休制度や、解雇された労働者にも住宅をそのまま使用させるような配慮は、こうした文脈で理解されなければならない。現代資本主義も、とくに社会民主主義的諸政党のもとでは、失業保険制度や年金制度、医療、教育、あるいは成人の再教育などに社会保障を充実させてきている。社会主義市場経済が、こうした側面で後れをとるようでは、労働者を社会の主人公として扱っていることにはならない」

 中国ではかつては国有企業が医療や年金、住宅などの社会保障分野もまとめて面倒を見ていた。一時期旧制度や住宅の問題はそうした時代の“名残”であろうが、こうした仕組みが将来も確実に続く保障はないであろう。激しい資本の競争の中で、かつての国有企業の社会保障的な部分は削減されていく以外にないであろう。

 伊藤は「こうした側面で後れをとるようでは」と憤慨しているが、もともと中国社会を「労働者が主人公」などということ自体が幻想であり、共産党官僚や資本が支配するある種の資本主義、国家資本主義の体制であったにすぎないのである。

 伊藤のように中国労働者の絶望的な地位を主観的な願望でごまかすべきではない。労働者は中国資本主義の現実を直視することを恐れない。この間の急速な経済発展は、同時に様々な矛盾の蓄積過程でもあった――過剰生産、貧富の格差の拡大、腐敗や汚職、環境問題、等々。こうした矛盾は早晩何らかの形で爆発せざるえないのであり、その時こそ中国の労働者階級が歴史の表舞台に躍り出るときであろう。

 現在でこそ、“順調な”経済発展が続いているかであるが、その矛盾は急速に拡大しているのであり、その矛盾を「社会主義ではあってはならないこと」などとごまかすのは、許されないことである。

◆終わりに

 彼は本書の中で、新自由主義や小泉「改革」を激しく批判している。最近のグローバル化の中で、競争的市場原理の再強化を通じて、経済格差の拡大、経済生活の不安定性、失業や貧困問題、環境問題などの解決の困難を深化してきたと暴露する。

 「したがって、二十一世紀には、新自由主義の問題とともに、資本主義経済そのものの根本的な歴史的限界性が改めて問い直され、それを乗り越える社会主義の思想、理論、実践の可能性に世界的な関心が再燃される公算が大きい」

 だが、資本主義を乗り越えるべき社会主義の「思想、理論、実践」の中心に中国の社会主義的市場経済をおくようでは、何の魅力もないといわざるえない。

 彼は次のように中国の社会主義的市場経済の未来を持ち上げる。

 「企業内部の秩序についても、資本主義的市場経済における企業経営のしばしば非人間的で過酷な労務管理に対し、いかにより人間的で協力的な職場をつくりだしていけるか、協同組合企業の要素を大切にするなど、特色ある社会主義の道の重要な一面としてさらに創意工夫が求められるに違いない」

 「土地の全人民的所有と企業の公有制を基本とする利点を生かして、農村部と都市部にわたり、自然環境破壊の防止、緑の保全や回復、水資源巡回体系の意識的整備、大気汚染の克服など、中国は資本主義の限界を超える社会的解決を示すことができる可能性を含んでいる」

 「違いない」「はずがない」「可能性を含んでいる」等々、彼は願望を現実に置き換えるばかりである。ここにあるのはただ、中国資本主義に対する途方もない幻想である。

 そして、こうした中国社会主義への幻想は、実は日本共産党のものでもある。二年前の党大会で共産党は大幅な綱領改定を行ったが、そこで中国やベトナムなどを「社会主義の道を歩む」国と位置づけ、その「社会主義的市場経済」を美化したが、基本的な枠組みは伊藤の主張と全く同じである。

 かつては共産党と激しく対立してきたかに見えた宇野学派であるが、「中国社会主義」の評価については完全に同一歩調をとっている。彼らはともに市場経済つまり商品経済を社会主義でも存在するとすることで、市場経済を“超歴史的”なものと位置づけるのであるが、そこには彼らの市場経済(結局のところ資本主義)に対する途方もない幻想が暴露されているのである。

『海つばめ』第1017号(2006年5月21日)


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