皮相卑属なマルクス解釈
共産主義の淵源は旧約聖書?!――的場昭弘の『ネオ共産主義論』
(鈴木研一)
『ネオ共産主義論』(光文社新書)は最近“マルクス物”で何かと書店を賑わしている的場昭弘氏の新著である。的場氏は本書で何を課題とし、どう解決しているか――それが問題である。
◆五つの論点
的場氏は本書「はじめに」で、「なぜ人類は現在に至るまで共産主義に惹かれ続けたのか」と問いかけ、読者に「共産主義に対するアレルギーを解き、人類の窮地を救う解決法のひとつとして、こういう選択肢(?)もあるのだということを理解」していただくのが狙いだと語る。
「解決法のひとつ」とか「こういう選択肢もある」といった言い方自身が既に人類史における共産主義の必然性という基本的観点を一方的に消去してしまうペテン師的手口であることは、今は問わないでおこう。問題は的場氏がその“善意”をどのように具体化しているかである。
彼は本書のテーマを次の五つにまとめる。(一)社会主義と共産主義の違いは何か、(二)共産主義のルーツはどこにあり、マルクスの共産主義論はどう位置づけられるのか、(三)共産主義にはどんなものがあるのか、(四)共産党とは何か、(五)共産主義社会を実現するのは誰か。これらがそれぞれ本書の一章から五章の表題になっており、終章が「ネオ共産主義論」となっている。
この小論では、これらの五つを全部論じることはできないので、(一)から(三)までの中で特に特徴的な的場氏の主張に絞って検討することにする。
◆マルクス=ユダヤ人?論
的場氏の論述の組み立てにおける主要な特徴のひとつは、共産主義の「淵源」を「旧約聖書」に求め、そこから千年王国論のみならず、ユートピア思想も共産主義論も解き明かすという筋立てであろう。
的場氏は序章で、共産主義の起源を考えるには「現存する宗教の中でもっとも古い一神教であるユダヤ教について考えてみる」ことが必要だとして次のように言う。
「その理由は、ユダヤ教が千年王国論の淵源である『新約聖書』の「ヨハネ黙示録」の世界に大きな影響を与えた宗教であるということに加えて、ユダヤ教のモーセ五書(「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)が、神の世界を求める人間の運動を描いており、それはそのまま共産主義運動の根源的起源になっているからです。ユダヤ教とは何か、そしてその運動が共産主義とどう関係しているのか――この根源にさかのぼって考えることは、共産主義を知る上で欠かせないことです」(一八〜九頁)
しかし、的場氏は「共産主義運動の根源的起源」をユダヤ教あるいは『旧約聖書』に求めるだけにとどまらない。彼は、マルクスがユダヤ人であったことに何か重要な意味があったかに言うのだ。
「“共産主義のチャンピオン”ともいえるマルクスが、ユダヤ人であったことは偶然ではありません。カール・リープクネヒト(一八七一〜一九一九)、ローザ・ルクセンブルク(一八七一〜一九一九)、フランツ・メーリンク(一八四六〜一九一九)など、ユダヤ系は共産主義者を多く輩出しています。未来に対する絶望に苛まれながらも、それ以上に未来を楽観的に語る彼らの姿は、ユダヤ人の運命をそのまま背負っているともいえます」(一九頁)
初期マルクスの思想形成をたどった文献は枚挙に暇がないが、多少ともまじめな論者の中でマルクスがユダヤ人であったことにマルクスの共産主義思想の“根源”を求めるのは的場氏くらいのものであろう。
的場氏は“着眼点”の良さを誇っているつもりかもしれないが、まさにこうした外面的形式的な論じ方が彼の皮相浅薄さを暴露していると我々は言わざるを得ない。的場氏は「“共産主義のチャンピオン”(!?)ともいえるマルクスが、ユダヤ人であったことは偶然ではありません」と力んでいるが、マルクスの出自がその共産主義論と必然的な関わりを持っていることを何ら“論証”していない。
それらしいところといえば、マルクスの一八四四年の論文「ユダヤ人問題について」に言及したところであろう。的場氏はこの論文の中で、マルクスはユダヤ人をおよそ次のように批判したという。
「ユダヤ人は、キリスト教徒がもともと忌み嫌った高利貸的資本主義を、自らの宗教の中に組み込むことで、拝金主義的な宗教となった。折からキリスト教が、拝金主義的な資本主義から脱却しようとしたとき、ユダヤ教徒は拝金主義に凝り固まっていたばかりか、キリスト教徒と同じ政治的権利を要求した。しかし、それはおかしなことである。キリスト教徒が解放されるには、ユダヤ的拝金主義から解放されねばならないのに、ユダヤ教徒はその拝金主義をもってキリスト教徒と同じ政治的権利を要求するのだから、……」(一七三〜四頁)
「『ユダヤ人問題について』の中でマルクスは、ユダヤ人に拝金主義を捨てろ、自らの信仰を絶対視することやめろ、と説いています。彼によるユダヤ人批判は、一見反ユダヤ主義的に思えますが、それが自らがユダヤ人であるマルクスによってなされているという点で、そしてユダヤ教における柔軟な改革、すなわち拝金主義からの脱却、現実社会への適応を模索する点において、新しいタイプの急進的ユダヤ主義だったと言えます」(一七四頁)
一体、的場氏は「ユダヤ人問題によせて」をまともに読んだのだろうか。彼はマルクスがこの小論で論じたテーマもその主張も全く理解していない。
周知のとおり、この小論におけるマルクスの批判の矛先は青年ヘーゲル派の一人、ブルーノ・バウアーに向けられている。バウアーは、政治的解放を求めるドイツのユダヤ人に対して、ユダヤ教徒はキリスト教徒と同じく政治的解放を求めるならユダヤ教を捨てよと要求した。これに対して、マルクスはバウアーが政治的解放と人間的解放を混同していることを批判し、ユダヤ教徒のみならずキリスト教徒も政治的解放にとどまらず人間的解放へ進まなければならないことを強調しているのである。
マルクスは「どのような種類の解放」かを問うことが肝要だ、「政治的解放そのものの批判こそが、初めてユダヤ人問題の最終的批判となる」のだとして、次のように論じている。
「バウアーは問題をこの水準にまで高めないので、矛盾におちいることになる。彼は、政治的解放そのものの本質にもとづかないような諸条件を立てる。彼の提起する諸問題は彼の課題に含まれていないし、彼の解決する諸問題は彼の問題を未解決のままに残している。……われわれから見れば、バウアーの誤りは、彼がただ『キリスト教国家』だけに批判を加えて『国家それ自体』に批判を加えていないこと、政治的解放の人間的解放に対する関係を究明せず、そのために、政治的解放と普遍的な人間的解放との無批判な混同ということからしか説明できないような諸条件を立てていることにある。バウアーはユダヤ人に対して、君たちは君たちの立場からいって政治的解放を渇望する権利をもっているのか、と問うているが、そこでわれわれは逆にこう反問する。政治的解放の立場は、ユダヤ人にユダヤ教を揚棄するよう要求し、人間一般に宗教を揚棄するよう要求する権利をもっているのか?」(『ユダヤ人問題によせて』岩波文庫版一六頁)
マルクスの主張は明瞭であり、疑問の余地はない。マルクスは言う、例えば「立憲国家」であるフランスでユダヤ人が政治的に差別されているとすれば、それは「政治的解放の不徹底」の問題であり、現に「北アメリカの自由諸州」では国家は宗教に関知せず、信仰の自由は当然視されていると。だから、「ユダヤ人やキリスト教徒の政治的解放、一般に宗教的人間の政治的解放は、ユダヤ教やキリスト教からの国家の解放、一般に宗教からの国家の解放である」(同二〇頁)
マルクスはさらに、「政治的解放」は「確かにひとつの大きな進歩である」がまだ「人間的解放一般の最終的な形態ではない」として、「人間的解放」へ前進する必要を説いている。マルクスが私有財産制並びに搾取からの解放を「人間的解放」という範疇で捉えていた限りでは、彼はまだ急進的民主主義あるいは人間主義にとどまっていたということはできるだろう。だが、他にどんなことが言えるにしても、「新しいタイプのユダヤ主義だった」などと言えないことは確かである。的場氏はああも「言える」、こうも「言える」といった言い方で、人をペテンにかけるのだ。
結局のところ、的場氏はただマルクス=ユダヤ人というドグマにしがみつき、すべてをそこから“演繹”しようとするのだが、そのためには部分的な引用や的外れの要約でたぶらかすしかないのである。“的外れの的場氏”と言うべきか。
◆旧約聖書=共産主義の根源論
先にも見たように、的場氏は共産主義の「淵源」を旧約聖書に求めようとして、その冒頭の「創世記」を検討する。
彼は、「エデンの園」を初めとする「創世記のエピソード」を「解釈」し、神は人間が「神のように生きる」ために、自分の力でこの荒れ果てた地上に「エデンの園」をつくることを使命として与えたとして、その条件を列挙する。
「第一に、『欲望の制限』が挙げられます。アダムとイヴが欲望にかられて犯したタブーによって人間は堕落を始めたわけですから、欲望を制御しなければ『エデンの園』を築くことはできません」(七一頁)
「第二の条件は、多くの試練と困難に耐え、『我慢強く生きる』ことです。追放され悲惨な目に遭っても、それに耐え抜くこと、その向こうにしか『エデンの園』は存在しません」(七二頁)
「『エデンの園』に入る第三の条件」は、「獲得した財産を『独り占めにしない』ということです。蓄積したお金は神へ寄進することで、すべての人と分かち合わねばならないのです」「第四の条件は、知性を使って『世界の真理を知り、神の意図を知る』ということです」(七二〜三頁)
要するに、「地上に『エデンの園』をつくるには、欲望の制限によって独り占めにしないこと、忍耐によって苦難に立ち向かうこと、貨幣によって共同体のために償うこと、知性によって神の意図を実現すること、この四つが必要だということになります」(七三頁)
そこで的場氏は意気揚々と言う、「これらのエピソードが共産主義の考えと深く結びついている」ことは明らかだ、と(同)。
我々は、旧約聖書のエピソードに共産主義的観念がうかがえることを否定しないし、共産主義思想はマルクスの“発明”によるものだなどと主張する気もない。人類史の黎明期=原始共産主義の遠い“記憶”が旧約聖書に反映されていること、支配階級の圧迫や抑圧に抗して解放を求める民衆の願望が「エデンの園」を地上に実現するという形で表明されていることは、別に不思議でも的場氏の“世紀の大発見”というものでもない。この点については、既に、カール・カウツキーの詳細な研究がある(『キリスト教の起源』一九〇八年発行、法政大学出版局)。
問題は、的場氏が勝手にこの「四つの条件」を「共産主義社会を作るための条件」にまで高め、「逆にいえばこの四つのうちのどれかを問題にし、その実現を図ろうという思想こそ、共産主義思想というわけです」とすべてを旧約聖書に引きつけ、何が何でも関連づけようというところにある。的場氏には、生産力の発展、階級闘争の発展を背景とした共産主義思想の歴史的発展という唯物史観の観点が欠如しているのである。だから次のような主張が出てくることになる。
「以上挙げた四つの視点は、いずれもその後に現われた千年王国論、ユートピア思想、そして共産主義思想に含まれています。これら四つのうちのどれに力点を置くかによって、その思想は夢想的なものになるか、終末論的なものになるか、あるいは現実的なものになるかが決まってくるのです」(二二五頁)
的場氏に思想の発展という観点が欠けていることは、彼が「人間のもつ欲望を制限すること」がユートピア思想や共産主義の特徴だとしていることからも明らかであろう。「欲望」も生産力の発展や生産関係によって規定されているのであって、ユートピア思想や共産主義を「欲望の制限」といった一言でくくれるものではないことは言うまでもない。
例えば、トマス・モアの「ユートピア」(一五一六年)やカンパネラの「太陽の都」(一六二三年)は、非常に質実で禁欲的だが、一八世紀半ばのフランスのモレリーにおいては豊かな富と官能に彩られた――したがってまた欲望の自由な発露が可能な――パラダイスが出現するし、一八世紀初めのフーリエはまさに「情念」の解放をユートピアのテコとしているということを想起せよ。時代が違えば、生産力の発展段階が違えば、ユートピア思想も異なってくる。そこには歴史的発展が反映しているのだ。そして、マルクスの共産主義思想は人類のこうした思想的発展の成果をくみ取り、最良の部分を受け継いでいるのである(例えばマルクスはパリ時代=一八四四年四〜八月に執筆した『経済学・哲学草稿』の特に第三草稿ではサン・シモンやフーリエ、カベーらを批判的に検討している)。的場氏のような史的観念論、形而上学で共産主義思想の発展を総括できるわけがないことは明らかである。
◆曖昧なマルクスの共産主義論?
的場氏の知ったかぶり、底の浅さが最もはっきりと暴露されているのはマルクスの共産主義論を論じるくだりであろう。彼は、マルクスは共産主義についてほとんど何も明らかにしていない、曖昧だと盛んに言いはやす。
「『共産党宣言』はタイトルからして、『共産主義とは何か』について書かれたものだと思われがちですが、実はそれについての記述はほとんどありません」(四四頁)、「その共産主義とは、『階級的性格のない個人的所有の実現』といった表現を含む、いかようにも解釈可能な思想だったのです」(四五頁)
的場氏によれば、マルクス(とエンゲルス)は共産主義とは何かを語らずに(知らずに?)「共産党宣言」を書いたと言うことになる。
一体、的場氏は何を見ているのだろうか。「共産党宣言」の第二章「プロレタリアと共産主義者」の初めの方には、「共産主義者は、その理論を、私有財産の廃止というひとつの言葉に要約することができる」とあり、この章の最後では国家の死滅、階級一般の消滅が語られ、「階級と階級対立とをもつ旧ブルジョア社会の代りに、一つの協力体があらわれる。ここではひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展にとっての条件である」との有名な一句で締めくくられている(岩波文庫版五七〜六九頁)。
この短い一句が共産主義の本質を言い表していることを的場氏はどうしても理解できないようだ。
もちろん、マルクスもエンゲルスも生涯、労働者の階級闘争を発展させるために闘いぬいたのであり、共産主義についてあれこれ語ることを自制したのだが、それは彼らが革命家であって夢想家でも(的場氏のような)知ったかぶりのインテリでもなかったからである。にもかかわらず、マルクスは折に触れて――必要な限りは――共産主義の本質を端的に言い表していることは、マルクスの文献をまともに読んだことがある人なら誰でも知っていることであろう。
例えば、的場氏も取り上げている『ドイツ・イデオロギー』には、「朝は狩りをし、午後は漁をし、夕方には家畜を追い、そして食後には批判をする」という有名な一節がある(岩波文庫版六七頁)。分業の廃止により、「共産主義社会では、各人は排他的な活動領域というものをもたず、任意の諸部門で自分を磨くことができる」(同)こと、このようにして人間の能力の全面的発達が可能になることをマルクスは語っているのだが、的場氏はここにも共産主義の豊かなイメージを見出すことができないらしい(彼はこの部分については言及さえしていない)。
また、的場氏は『資本論』第三巻四八章「三位一体の定式」の「必然性の国」から「自由の国」への飛翔を説いている部分を、「それにしても、またなんと曖昧な表現でしょうか」の一言で切り捨てている(四七頁)。しかもその際、この部分を引用しながら、その締めくくりの重要な一文――具体的なイメージの手がかりとなる一文――、「労働日の短縮こそは根本条件である」を引用から外しているのである!
我々は、的場氏のごく一部の論点に絞って検討してきたが、彼の“思想”の貧弱さ、卑俗さ、底の浅さは明らかであろう。まさに、「地獄への道は善意で敷き詰められている」(ゲーテ)のだ――但し、本書が彼の“善意”の産物だと仮定しての話だが。
『海つばめ』第1022号(2006年7月30日)
|