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富塚『価値形態論』はいかに無意味か
問題は「貨幣」の必然性の理解
現実の関係を“当為”の関係にすりかえ
(林 紘義)


 『海つばめ』1016号に、田口(騏)氏の「富塚価値形態論」の批判が掲載された。もちろん、富塚のこの理論もまた俗流的であり、「間違っている」がゆえに、徹底的に、そして原則的に批判されなくてはならないことは言うまでもない。富塚のマルクス批判は全く根拠のないものであって、ただ彼の立場がナンセンスであるからこそ行われているにすぎない。しかしだからといって、田口氏の富塚批判が“正しい”、ということにはならない。私は田口氏の小論を読んで見て、これでは富塚の批判にはならない(そして田口氏の理論の中には、あれこれの混乱やあいまいさとともに、実際上、富塚と――そしてまた宇野学派とさえ――同じような理論的立場さえも存在する)と思った。富塚理論の「間違い」の根底はどこにあり、そして富塚理論はいかに批判されるべきかを考えて見る。

◆問題の所在

 問題は“貨幣”が何かということであり、また貨幣がいかにして形成されたかということであり、さらに商品価値がその貨幣によって「表現」され、かくして一般的に交換され得る、ということである。

 もちろん、ここでいう「貨幣」とは、実際的な価値を有する金銀とくに金であって、現在の「管理通貨制度」のもとでの中央銀行券すなわち事実上の紙幣、あるいはますます紙幣に転化しつつある中央銀行券のことではない。

 現在の通貨が、実際の貨幣でないからといって、貨幣について考えることが無駄であり、ナンセンスだということには決してならない、というのは、現在の通貨(中央銀行券)の理解もまた、実際の貨幣から出発するときにのみ、初めてそそれが何であり、またその特徴や性格を理解できるからであり、さらに貨幣について理解することは、この商品生産社会について、その本性について――商品を生産する労働とは何であり、どんな歴史的な性格、特徴を有しているか等々を――理解することでもあるからである。

 マルクスは商品社会にとっての貨幣の必然性を、商品の二面性から、すなわち、使用価値であるとともに価値であり、私的労働の結果であるとともに、社会的労働の結果でなくてはならない商品を生産する、労働の歴史的な特殊性から導きだすのである。

 貨幣は、商品価値とは別のものではなく、「外在化された価値」として、その本性をまさに「目に見える形」で示しているのである。それぞれの商品が抽象的人間的労働の結果であり、私的であるとともに社会的労働の生産物であるがゆえに、その労働の“実体化”としての商品価値は、貨幣として“外在化”し、自立した価値の形態として現れるのであり、まさにこの意味で、貨幣は商品生産社会にとって必然なのである。

 マルクスは貨幣の必然性について、基本的に二つの側面から接近し、説明している。一つは、商品相互の交換関係における、商品の相互関係もしくは相互作用からであり(『資本論』では、一篇一章三節、すなわち『価値形態』論)、もう一つは、交換関係そのものの媒介においてである(同一篇二章、すなわち『交換過程』の理論)。

 もちろん、出発点は前者であって、そこでマルクスは、二つの商品の交換関係の内部における相互関係から出発して、価値形態の発展として、つまり単純な価値形態が発展して一般的等価形態(すなわち貨幣形態)にまで至る、内的な過程と必然性を明らかにするのである。

 これに対して、後者は、実際の商品の交換過程における、商品の実現の矛盾、その「困難」から、貨幣を説明するのだが、もちろん、それはすでに商品の共同作業によって、一般的等価形態における商品が、つまり貨幣形態が与えられていることを理論的な前提にしているのである。

 そして富塚批判として、田口氏が問題にしたのは、価値形態の発展の最終段階――拡大された価値形態(いわゆる「第二形態」)から、一般的等価形態(「第三形態」)への移行――についての、「マルクスは間違っている」という富塚の理屈であった。

 富塚はマルクスが、第二形態の等式を「逆転」もしくは「転倒」させて、それまで相対的価値形態においていた亜麻布(リンネル)を、一転して、等価形態の地位(しかも一般的等価形態の地位)に置いたのは、正しくない理論展開だと、マルクスに「食って」かかったのであるが、もちろん、ここでも間違っているのはマルクスの方ではなくて、富塚の方である。

 富塚はマルクスの「逆転」の意味――というより、その論理的な必然性――が少しも理解できないのだが、それは彼が価値形態とその発展についても、貨幣(とその形成)についても、正しい観念を決して持ちえないことから、当然のこととして出てきているのである。

◆『価値形態論』における「逆転」

 富塚は、二商品の価値関係には「逆の関係は含まれない」と主張してやまないのだが(これは、単純な価値関係であろうと、発展した、もしくは一般的な価値関係であろうと同じことであるが)、しかしそんなことをまじめに主張するとするなら、彼は商品についても、その交換関係についても、何もわかっていないのである。

 問題になっていることは、以下のようなことである。

 マルクスは、二商品の「等置関係」を分析して価値の概念を確定した後、二商品の価値関係、交換関係を取り上げ、そこに含まれる「価値表現」とそのメカニズムを検討する。彼がそうするのは、商品価値の本性からして、「価値表現」が不可避であり、またそのことなくしては商品交換が不可能だからである。

 そしてその検討は簡単である。つまり、A商品はB商品の体を借りて、自分の価値を表現するのだが――ことの本質からして、この表現は「相対的」である――、その場合、ただ無媒介的に、このことをなすのではなく、B商品をまず自分との関係において「価値」(価値物)として措定し、その措定したB商品(「価値の形態」に純化した商品)によって、自らの価値を表現するのである。

 マルクスが分析の対象とするのは、発展した交換関係にある商品ではなく、まさに商品に転化しつつある商品、最も単純な形態にある商品であって、歴史的に言えば(エンゲルスの言い方をまねれば)、数千年も昔、人類がようやく生産物交換をやり始め、生産物が商品に転化し始めたころの商品、物々交換から一歩踏み出した段階の商品である。だから、発展した商品生産を前提にして、それを頭においてマルクスの分析に近づこうとするなら、問題の本質はたちまち見失われるのである。

 しかしもちろん、物々交換から一歩踏み出したような段階の商品交換は、決して数千年前のものであるだけではない、この現代の資本主義においても現実的であり、私自身も敗戦後の混乱した社会の中で、身をもって体験したことでもある。

 敗戦後の生活困難の中で、母はしばしば自分が結婚のときに実家から持ってきた晴れ着やたんすなどを、農家を相手に食料品と交換したが、まさにそれは物々交換以外のやり方によってではなかった。例えば、晴れ着一着はコメ二升と交換される、といった具合である(当時は実際に、こんな“等価関係”であった)。

 こうした物々交換もしくは初期商品交換においては、晴れ着はコメ二升と等置されるのだが、同時に、晴れ着の価値は、コメによって、コメとの関係において、相対的に「表現」されているのである、つまりそれはコメ二升に等しい、という形で示されているのである。この価値表現の関係の中では(つまり、『資本論』でいう、単純な価値形態、第一形態)、コメは晴れ着の価値を現わすという役割をになうのであるが、それはコメがこの関係の中で、ただ、自分の自然の姿で、使用価値のままで、価値の形態を、つまり等価形態を受け取ったからであり、またただその限りでのことである。

 しかし、この関係は、逆に、コメの方からも言えるのであって――そして、等置関係における二商品の関係は完全に平等なのだから、価値表現の関係を、晴れ着の方から言おうが、コメの方からも言おうが全く問題はない――、コメが価値を表現される側、つまり「相対的価値形態」に回り、晴れ着がそれを表現する側、つまり「等価形態」に回ろうと、ともに可能であるのは自明である。だから、晴れ着とコメの関係は、相互に規定し合い、したがって「逆の」関係を“最初から”――ということを、富塚はこだわるのだが――「含んでいる」のは、ごく当たり前のことであって、このことが理解できないとするなら、インテリ、学者といった人種の頭の構造は一体どうなっているのであろうか。

 そして晴れ着は、コメとだけではなく、イモ――さつまいもであれ、じゃがいもであれ――とも、あるいはマメとも、当然に交換されるのだから、晴れ着の相対的価値形態は、それだけ拡大するのである(すなわち単純な価値形態から、発展し、「拡大された」価値形態、第二形態へと移って行く)。

 そして晴れ着の相対的価値形態が発展し、拡大すればするほど、この「逆」の関係もまたそれだけ発展し、拡大し得るのであって、したがって、その発展した関係を「逆転」するなら、今度は晴れ着が、等価形態、つまり今度は発展した等価形態、一般的等価形態として現れるのである(一般的等価形態は、まだ直接に貨幣ではないが、しかしとりあえず、これは貨幣形態のことだと理解しておけば、議論されていることの内容が、いくらかでも現実的なものと考えられるかもしれない。つまりここで理論的に問題になっているのは、商品の価値関係の中から、「価値」の本性に従って、必然的に一般的等価形態が、つまり貨幣形態が形成され、生み出されて来る、ということなのである。『資本論』で言えば、価値形態の第三形態である)。

 富塚は、この「逆転」には「困難」があると騒ぎ立てているが、しかしどんな「困難」があるというのであろうか。実際には、第二形態と第三形態の間には(第一形態と第二形態の間でもそうだったように)、確かに区別があり、「本質的な変化」が生じているが、しかしそれは、第一から第二、第二から第三の形態的変化が「困難」だといったことでは全くない。

 そこに「困難」を見ているのは、富塚がブルジョア社会の最も表面的で直接的な現実(つまり現象そのもの)から出発して、「商品の実現困難」――恐慌の可能性――といった“色眼鏡”を通して(しかも、これを「商品が売れるか、売れないか」といった、もっとも卑俗な形で理解して)、そんな立場から価値形態論を見ようとしているからであるにすぎない。しかし価値形態論は、それ自体としては、そんな問題とは一切無関係なのである。

◆『交換過程論』と『価値形態論』

 さて問題は、富塚が(宇野学派らと歩調を合わせて、宇野学派の俗学者らにこびを売って)、このマルクスの「逆転」の論理はおかしい、間違っている、マルクスの理論とさえ整合性を欠く、などと言いはやし、異議を唱えていることである。

 しかし「逆転」は必然的である、というのは、そうする以外に、価値形態の発展は不可能な段階に達したからである。また実際に、晴れ着が多くの商品と交換されるなら、それは他方では(単に、晴れ着がコメなどでその価値を表現するだけでなく)、多くの商品が晴れ着で自らの価値を相対的に表現する関係を「含む」からである。だから、歴史的にも、交換においてもっとも重要であり、あるいはもっとも頻繁に現れる商品は、貨幣――まだ金銀という形態での貨幣ではなかったが――として現れたのである。

 しかしもちろん、第二形態の(つまり晴れ着とコメとの、価値表現における役割もしくは位置の)「逆転」を否定するなら、つまりマルクスの「価値形態」の展開の理論の意義を否定するなら、富塚は一体いかにして、一般的等価形態の、つまり貨幣形態の必然性を明らかにするのであろうか、なし得るのであろうか。

 彼は『交換過程論』がそれを明らかにする、それだけで十分だと事実上いうのである。もちろん、彼は「マルクス主義学者」であり、その名称を捨てることはできない、そこで形だけ、表面だけは、マルクスの『価値形態論』に敬意を表し、それについていくらでもおしゃべりをするのだが、ただその肝心要のところだけは、あるいはその中心観念だけ(例えば、一般的等価形態の形成の理論、商品の価値形態の発展として、それが必然である等々)は認めないで、それに“何クセ”つけるのであるが、そうすることで、彼は誰に――マルクス主義の批判をこととする反動やブルジョアたちに、でなければ幸いである――奉仕しているのか気がついていないのである。

 宇野学派もマルクスの『価値形態論』を、その意義を口先では決して否定しないのだが、それは彼らが、その本当の意義を理解せず、それを、彼らが勝手に思い込む内容として恣意的に解釈するからであるにすぎない、だから、彼らはマルクスの理論を認めるなどと言いながら、さんざんにそれをこきおろし、自分たちのドグマに一致していないとして告発するのであり、最後にはマルクスの理論そのものを否定し、放棄する、と宣言するのである。

 さて、富塚の理屈は次のようなものである(引用は断りなき場合は、いずれも「『増補恐慌論研究』)。

「われわれは、諸商品の価値とその大いさが、『価格』として、『貨幣形態』において、貨幣商品の『商品体』において、その物としての量において、表現されることを(事実として)知っているのだが、如何にして諸商品の価値の大いさが貨幣商品の『商品体』において、金の量として表現され得るかは、決して自明的ではない」。
 価値の表現の問題が主として、その「大いさ」の表現の問題にされているが、まあ、これくらいは大目に見るとしよう(だが、このことが決して偶然でないことに、注意をうながしておく)。

 問題なのは、彼の価値表現の理論が、最初から次のようなものとして登場することである。彼は「簡単な価値形態」の理論について言う。

「A商品がその価値をB商品の使用価値によって表現する場合、『自分は価値としてB商品に等しく、いつでもB商品と交換できるのだ』ということによって、その価値を表現するのではなく、その反対に、『B商品は価値としてA商品に等しく、いつでもA商品と交換できるのだ』ということによって、かくしてB商品に自分すなわちA商品に対する直接的な交換可能性の形態を与えることによって、価値を表現する」。

 慣れていない人には、いずれにせよ、こうした文章はチンプンカンプンのことを言っているようにしか見えない。そして“慣れている”人もまた、何か当り前のこと、マルクスと同じことを言っているのだろうと、読みとばしてしまうかもしれないが、しかし実際には、ここでは非常に“微妙な”表現が、重大な意味をもってくるのである。だから読者もしばらく理論的緊張感をしっかり働かしてほしいのである。

 そもそも、A商品が「B商品は価値としてA商品に等しく、いつでもA商品と交換できるのだという」、とはどういうことであろうか。

 A商品は、B商品を自らに価値として等しい物(価値物)として措定し、したがって「価値体」として措定するが、それは「いつでもA商品と交換できるのだという」こと――何という卑俗さか!――とは全く別のことであって、富塚は、問題がそんなA商品の主観ではなく、価値表現の“客観的な”メカニズムであることが少しも理解できていないのである。Aにしろ、Bにしろ、「商品が言う」とは一体どういうことか、富塚自身にも決してわかっていないのである。価値表現の問題は、A商品が一方的に「言う」とか、言わないとかいった問題では全くないのである。

 そもそも、A商品が、B商品はA商品と「いつでも交換できる」と宣言したところで、B商品に「A商品に対する直接的な交換可能性の形態を与える」ことはできない。富塚は「価値表現」のメカニズムを実際は理解していないのである。

 だから、富塚が「逆の関係を含んでいない」として、宇野学派と「口裏を合わせて」、次のように主張するのも決して偶然ではないのである。

「元来、20ヤールの亜麻布〔A商品〕=1着の上着〔B商品〕という等式関係は、亜麻布商品の所有者が『上着1着とならば亜麻布20ヤールを交換してもよい』といっていることを表現しているにすぎないのであって、それは全く亜麻布所有者にとっての私事にすぎず、亜麻布所有者がそういっているからといって、上着の所有者がそれに応じなければならないという理由は全くない。上着の所有者はその商品を亜麻布と交換することを望まないかもしれず、仮りに亜麻布と交換しようとする場合にも、20ヤールでは不足だとするかもしれない。要するに、20ヤールの亜麻布=1着の上着という亜麻布にとっての価値表現の関係は、20ヤールの亜麻布が必ず1着の上着と交換されるということを表現しておらず、1着の上着=20ヤールの亜麻布という逆の価値表現を予定していないのである」。

 こうした“宇野学派的な”たわ言に対して、我々は何と言うべきであろうか。

◆「逆転」の意義を全く理解せず

 富塚は、『価値形態論』では、一般的等価形態の、つまり貨幣形態の誕生を論じることはできない、論じてはならない、それは『交換過程論』においてこそ語られるべきである、『価値形態論』ではむしろ、一般的等価形態の形成の「困難」を、その不可能性を論じ、強調すべきである、と主張するのである。

 富塚が問題にするのは、『交換過程論』にある、マルクスの次のような文章である。

「もっと詳細に見るならば、すべての商品所有者にたいして、あらゆる他人の商品は、彼の商品の特別な等価になっている。したがって彼の商品は、また他のすべての商品の一般的な等価となる。しかしながら、すべての商品所有者が、同一のことをするのであるから、いずれの商品も一般的な等価ではなく、したがって、諸商品は、それが価値として等置され、また価値の大いさとして比較さるべき、なんらの一般的相対的価値形態をもっていない。したがって、諸商品は一般的に商品として対立するのではなくして、ただ生産物または使用価値として対立するのである」(『資本論』一巻二章、岩波文庫1分冊一五五頁)。

 富塚は、マルクスが、すべての商品所有者に対して、他のすべての商品が、「特別の等価」になり、「したがって」、彼の商品が他のすべての商品の「一般的等価」になると書いたのが気に入らないのであり、そんなことは同時的に起こり得ようがない、と叫ぶのである。

「『他人の商品はいずれも、自己の商品の特殊的等価たる意義をもつ』ということは、自己の商品が左辺に立つ〔相対的価値形態に立つ〕ところの・自己の商品についての『開展された価値形態』(第二形態)の展開を意味し、これに対して、『自己の商品が、他のすべての商品の一般的等価たる意義をもつ』ということは、右の『開展された価値形態』がひっくりかえって、自己の商品が右辺〔等価形態〕に立つところの・『一般的等価形態』(第三形態)の成立を意味する。
 この二つの命題は、全く正反対の・本質的に相異なった価値等式関係を、それぞれの内容とする。右のマルクスの論述を検討するにあたって、この点をまず明確にとらえておく必要がある。だが、この点を明確にすると、右の二つの、互いに正反対の価値等式関係を内容とする命題が、『それゆえに』〔我々の引用では『したがって』〕という言葉によって直接に結び合わされ、あたかもこの二つの命題が同時的であるかのような、あるいは後者の命題が前者の命題のおのずから導きだされてくるかのような、右の叙述が背理を意味することが明らかになる」。

 富塚のわめき声は全くナンセンスである、というのは、第二形態と第三形態の「価値等式関係」が別のものであるなどということは、マルクスは百も承知のことだからであり、だからこそ、別々の「等式関係」としてマルクスによって明瞭に示されているからである。

 だが、問題は二つの「等式関係」の関係であり、第二の形態から第三の形態への移行であり、それが意味することである。富塚はこの二つの「等式関係」の移行や、それが意味することを全く理解できないので、マルクスが二つを関連づけたことを非難するしかないのである。

 彼にあっては、くだんの文章は次のような意味をもつのだそうである。

「第二形態を構成する単純な価値諸表現の系列が『事実上すでに逆の関連を含』んでいるとすることはできないのである。『他人の商品はいずれも、自己の商品の特殊的等価たる意義をもつ』ということと、『自己の商品が、他のすべての商品の一般的等価たる意義をもつ』ということを、『それゆえに』として直接に結び付けてとらえるのは、個々の商品所有者の主観的な表象に即しての問題把握にすぎない。個々の商品所有者が、事態をそのように表象し、背理を欲求し、背理を行為しようとするところにこそ、交換過程の矛盾があるのである」。
「交換過程に登場するすべての商品所有者が、同時に、それぞれ自己の商品について展開しえ、また展開するところの・開展された価値等式関係において、『他人の商品はいずれも、自己の商品の特殊的等価たる意義をもつ』のであるが、それらの価値等式関係においては、自己の商品にとっての『特殊的等価』たる他人の諸商品は、自己の商品に対してそれぞれ直接に交換可能であるが、自己の商品は他人の諸商品に対して直接に交換可能ではない」。

 マルクスは「交換過程論」の例の個所(富塚が引用し、問題にしている文章)で、もう一度、簡潔に「価値形態論」の到達点を総括しているのだが、それは当然に、価値表現の、あるいは価値形態の発展の必然的な“論理”(メカニズム)の問題であって(それ以外であるはずもないのだが)、それを商品所有者の主観や欲望の問題(「背理を欲求し、背理を行為しよう」としている云々)であるから、解決不能の問題だなどと言うのは、思い違い、見当違いもはなはなだしいのである。

 そもそも「自己の商品は他人の諸商品に対して直接に交換可能ではない」とはどういう意味であろうか。相対的価値形態にある商品が「直接に交換可能な形態」にあるとか、ないとかいったことが、どうして問題になるのであろうか。それは「転倒」されて、すべての商品によって等価形態におかれるから、一般的等価、つまり貨幣に転化し得るのである。富塚の頭は全く逆立ちしているのである。彼は自分の頭を「逆転」させた、だからこそマルクスの「逆転」の意味も、その意義も全く理解できなかったのである。

 富塚がここでも、逆転の場合の「主体」をA商品の側に置いていて、諸商品の側に置いていないのである。次のような奇妙な理屈がある。

「商品は、それが商品であるかぎり、さきに見たように、『使用価値として実現される』と同時に『価値として実現』されなければならないのだが、『使用価値としての実現』と『価値としての実現』とが相互に他を前提するところの解きえぬ『悪循環』をなすことなく同時的に可能なためには、その商品の使用価値そのものが価値の一般的な体現物たる形態規定を、他のすべての諸商品によって付与されているのでなければならない。自己の商品が他のすべての商品によって『一般的等価』たらしめられた場合にのみ、その商品所有者は、それを『使用価値として実現』すると同時に『価値として実現』し、かくして同価値の・彼にとって使用価値たる彼の好むどの他商品とでも交換することが可能になるのである」。

 一体、こうした文章を我々はいかに理解したらいいのであろうか。富塚は、一般的等価形態の形成を、「自己の商品が他のすべての商品によって『一般的等価』たらしめられ」る関係として理解するのだが、この場合、「自己の商品」とは、相対的価値形態にある商品そのものと考えているのである、つまり「逆転」を認めていない、あるいはその意味を正しく理解していないのであり、だからこそこんな途方もない不合理を説いて平然としていられるのである。

 富塚によれば、相対的価値形態にある商品がそのまま貨幣に転化するのだから、つまりはA商品は貨幣になり、自らの価値を実現する側ではなく、その反対側にまわるのであるが、これでは相対的価値形態にあるという前提そのものが否定されているのである。

 しかし相対的価値形態にある商品が、そのまま等価形態に位置を占められるはずもないのであって、これはマルクスが「単純な価値形態は逆の関係を含んでいる」と言う以上のとんでもないことであろう、というのは、富塚は、相対的価値形態はそのまま、直接に等価形態である、と主張するも同然だからである。富塚は事実上、二商品の価値関係(相対的価値形態と等価形態)は、「反対の関係を含んでいる」と言うのは正しくないが、「直接に一致する」と言えば正しくなると妄想するのである。

 しかし相対的価値形態が直接に等価形態に一致するのが、『交換過程論』の、あるいは『貨幣論』の課題だというなら(『価値形態論』は、単にその「困難」を明らかにするものにすぎないから、除外されるとして)、それは相対的価値形態にある商品が貨幣である、あるいは直接に貨幣に転化するということであり、そうした不合理(ばか話)が『貨幣』形成の論理だということである。そして実際に、富塚はそのように考えており、またそのような理論展開をするのである。だから、正常な理論感覚をもっている人々には、富塚の理論はまさに呪術師の意味不明のご託宣、観念的なおしゃべりとしてのみ現れるのである。

 しかし、仮にA商品の所有者が自らの商品を貨幣として措定されるということを認めるとしても、その商品が(つまり貨幣が)「使用価値として実現されるとともに、価値として実現される」とは一体どういうことであろうか。すでにA商品の貨幣への転化を前提として、その貨幣が「使用価値として実現されるとともに、価値として実現される」などと言うことはナンセンスでしかない、というのは、こうしたことは商品の“論理”であって、貨幣の“論理”ではないからである。貨幣を「使用価値として、また価値として実現する」、などと言えばただ笑いものになるだけであろう、だが富塚はこんなわけのわからないことを“理論”の名で語るのである。

 そしてA商品は今や商品から貨幣になったのだから、何でも買えるのであり、かくして商品交換一般はとどこおりなく進行するようになる、と結論して得々としているのである。

 富塚は、商品所有者が、自らの商品(これはあくまで相対的価値形態にある商品であり、またそうでなくてはならない)を「一般的等価交換」として、つまり貨幣として措定されることを欲し、それが『交換過程』で(どんな形でなされるかは分からないが、とにかく商品の「共同作業」により)可能になれば、彼は一切の他の商品を購買することができる、と言いたいのである。しかし彼の特殊な商品(例えば、亜麻布等々)を、他の商品所有者がいかにして、交換過程における(あるいは他の場所でもいいのだが)「共同作業」によって貨幣に転化できるかは、世紀のなぞであり、なぞにとどまるであろう。彼は商品交換は、貨幣から出発するのであり、またしなくてはならないのであり、そのことを語るのが『価値形態論』の、あるいは『交換過程論』の役割であり、意義であるとでも思っているのだろうか。だから、彼が次のようなことを露骨に言い始めたとしても、我々はすでに、少しも驚かないのである。

◆“逆転”は「主体」の“逆転”も含まねば無概念に

 富塚は、マルクスの前記の文章を問題にして、『経済原論』では、自らの理論的立場をより“明確に”語っている。これは『増補・恐慌論研究』よりも“正直”であるというほめ言葉に値するであろう。彼は『交換過程論』における「全面的交換の矛盾」を、『価値形態論』の論理に言い直してみると、次のようになる、というのである。

「すべての商品所有者が自己の商品を左辺におくところの開展された貨幣表現関係を展開して他人の商品をすべて自己の商品の特殊的等価たらしめ、かつ同時に、それらの価値表現関係の左辺と右辺とを入れ替えて、自己の商品を他のすべての諸商品の一般的等価たらしめようとしていることにほかならない。
 しかるに、すべての商品所有者が同時に同じことをやろうとするのであるから、どの商品も一般的等価たりえず、したがってまた諸商品は、よってもってそれらが諸価値として等置され、かつもろもろの価値の大いさとして比較され合うところの一般的な相対的価値表現の形態をもちえないこととなり、それゆえにまた交換も行われえない」。

 見られるように、富塚は、価値形態の第二から第三への「逆転」の理論を、A商品(亜麻布)の所有者が、最初は自らの商品価値を表現するために価値形態を展開し、多くの商品を「特殊的等価」の形態に置くとともに、自らが一般的等価の形態を「欲する」関係として(つまりA商品の所有者が、「かつ同時に、それらの価値表現関係の左辺と右辺とを入れ替えて、自己の商品を他のすべての諸商品の一般的等価たらしめようとしている」)、すなわちA商品所有者の「主観的な」欲求、もしくは願望として、理解しているのである。

 しかし、「逆転」の関係とは、A商品が自らの価値を他の商品の「肉体」によって表現する関係から、他の商品が今度はA商品の「肉体」によって価値を表現する関係になるという意味での「逆転」、商品関係にもともと「含まれている」価値表現のメカニズムの「逆転」の関係であって、ここでは「主体」もまたA商品から、他の商品に「逆転」しなくては全くの論理的ナンセンスになるしかないのだが、富塚は何を考えたか、A商品を「主体」にしたままで「逆転」するというのである。

 しかしA商品が一般的等価の形態として現われるためには、他の商品によって「価値の形態」として措定されなくてはならないのであって、その場合には、「主体」になるのは他の諸商品でしかないのは余りに明らかであろう。そしてそれがまた、商品の「共同作業」によって(価値形態の発展として)、一般的等価形態が、したがってまた貨幣が結晶して来るということの意味でもある。そしてもちろん、ここでは、A商品所有者の「欲望」とか、「主観」とかいったものの入り込むすきまは一切ないのである(マルクスも当然、そんなものは問題にしていない)。

 富塚のいうような形では、本当の意味での「逆転」には全くならないのである、というのは、形だけの「逆転」であって、実は「逆転」でも何でもないからである。富塚によっては、諸商品の「共同作業」によって、A商品が一般的等価形態となるということではなく、A商品が、自ら一般的等価になることを主観的に「願望する」といった関係として、理解されているからである。

 拡大された価値形態(第二形態)においては、「主体」がA商品であるが、一般的な価値形態(第三形態)においては、今度は「主体」が諸商品の方に移り、諸商品が“共同して”A商品を「等価」として措定するのであり、それを「個別的に」ではなく、「一般的に」行うのであり、かくしてA商品を「一般的等価形態」として措定し、そこにまで“高める”のである。A商品は諸商品の共通の等価形態になるのであり、かくして「貨幣」となるのであり、なり得るのである(もちろん、商品の一般的等価形態と貨幣形態は、直接には同じではないが)。

 このメカニズムの理論こそ、マルクスが「貨幣とは何か」を明らかにする論理の核心の最も基礎的な一部をなすものであり、それを“誤解”する富塚は、「貨幣」についてさんざんに語りながら、それを本当には理解していないと言われても、どんな弁解もできないのである。

 富塚は、この「主体」の逆転ということが、「逆転」の最も根底的な契機であり、内容でもある、ということが分かっていないのであって、ただ等式を機械的に逆立ちさせただけだ、と考えるのである。彼のすべての空論とマルクス批判の根底には、この“誤解”が横たわっている。

 どうして富塚がそんなとんでもないことを思い付くのか、思い付くことができるのかは――そんなおかしな、一面的な思考の出てくる“階級的基礎”は――、さしあたり考慮外に置くとしても、我々は富塚の思考の全くのナンセンスと空っぽを確認することができるであろう。

 そもそも、A商品(商品所有者)が、自らを一般的等価「たらしめようとする」とは、どういうことであろうか。自分で自分を一般的等価にしようと願望するのに、一体どんな「諸商品の共同作業」が必要だと言うのか、これではまさにA商品がただ自分の主観として、一般的等価になる(なりたい)と主張し、宣言するということ、つまり「ひとりよがり」ではないのか。自分が一般的等価になれば、すべての商品との交換可能性を獲得することができる、つまり貨幣になれば、すべての商品を「購買する」ことができるということを、願望するというのであろうか。

 自分の商品が一般的等価つまり貨幣になれば、何でも買えるというなら、それも確かにある種の“真実”ではあるが、しかし科学的には何の意味もない、どうでもいい“真実”のたぐいでしかないであろう。こうしたナンセンスな頭脳の動きの支配的な契機もしくは動力は、宇野学派においてもそうだったように、富塚の暗愚な俗流意識である。

 それにしても、価値形態の第二形態(拡大された価値形態)から第三形態(一般的等価形態)への「逆転」の意味を、こんな内容で理解するとんでもない人間がいたとは、驚きを通り越してただあきれるしかない。

 だからこそ、富塚は、この「逆転」には「困難」があるとか、価値形態論ではその「困難」は解決できないとか、価値形態論ではただ「主観的な表象」があるだけだとか、商品の交換関係には、「“逆の関係”が最初から含まれている」のではない、あるいは逆の形態は「同時的に成立するのではない」とか(それは、ある意味ではその通りだが、しかし富塚の理解することとは違っている)、我々の理解を超えた、珍奇なことを並べ立てるのである。

◆「全面的外化の矛盾」の論理

 富塚は「価値形態論」における、価値形態の発展と一般的等価形態形成の概念的獲得を「困難である」として拒否し、それはただ「交換過程論」において、交換過程における「全面的交換の矛盾」を媒介にしてなされる(べき)と強調している。しかし果たして、彼は自らの課題を果たしているだろうか。彼は次のようにして、自らの課題を果たすのである。

 「すべての商品所有者が自己の商品を他のすべての諸商品に対する『一般的等価』たらしめようとすることによる『全面的外化の矛盾』〔彼の『経済原論』では、『全面的交換の矛盾』〕は、すべての商品所有者が自己の商品についていだく欲求と正反対の関係を成立せしめることによってのみ解決される。相互に他を否定する交換過程の矛盾に直面した諸商品は、その矛盾の極〔ハッハ!〕、どれか一つの商品を商品仲間から排除して、それに『一般的等価』たる形態規定を付与し、一般的等価たるその一商品との対立的な連関を通じて相互に諸価値として、したがってまた諸商品として関連し合うこととなる。いわば、すべての商品が潜在的にあるいは可能性としてもっている等価性を脱ぎ捨てて、それをすべて排除された一商品に付着せしめるという『共同作業』を行い、かくしてそれを『一般的等価』たらしめ、その『一般的等価』たる商品体の数量において、諸価値として相互に比較されることになるのである」。

 これはまさに驚くべき発言であり、文章であろう。富塚は、「交換過程」においては、すべての商品所有者が自己の商品を一般的等価に、つまり貨幣にしようとすると言うのであるが、しかし現実にも、理論的にもそんな奇妙なことがあり得るはずもないのである。これは全く非現実的な空論であって、一体、どこからこんなものが飛び出して来るのであろうか。

 そしてすべての商品所有者が、こんなことをするのだから、矛盾してしまい、現実としては不可能になるが、その矛盾は、「すべての商品所有者が自己の商品についていだく欲求と正反対の関係を成立せしめることによってのみ解決される」とのたまうのだが、この「正反対の関係」とは、誰か一人の持つ商品だけが一般的等価、つまり貨幣になるということだそうである。

 ある一人の商品所有者だけは、自らの商品を一般的等価にすることによって、自らの欲求を満たすのだが、それは同時に、他の商品所有者の欲求をも満足させるということになると主張するのだが、一体、何を言いたいのかチンプンカンプンでしかない。

 すべての商品所有者が、自分の商品を「一般的等価」つまり貨幣にしようと欲するのは自己矛盾だから、その「逆」もしくは「反対」のことが生じる、と主張するのは論証ではなく、論証を「当為」の関係につまり「そうあるべきこと」にすり替えるだけであり、主観論の迷路に入い込むことであろう。

 その商品の所有者はいかにして、自分の商品だけを一般的等価になしえるのか、富塚は決して説明してくれない。すべての人が、そのことができないのに、ある特定の人だけができるのはどうしてか、いかにしてか、という問いに、彼は決して答えない、否、答えることができないのである。彼はただ、「そうなるのだ」と言うだけである。「交換過程」における「全面的な交換の矛盾」が、それを必然にすると言うだけだが、しかし“事実”について声高に言いたて、現実にそうなっているではないかと相手を“きめつけて”みても、それは、論理的説明とは全く別のことであろう。

 価値形態論における、諸商品の「共同作業」――それこそが、なぜ一般的等価が可能であり、しかも必然であるかを教えるのだが――を拒否し、それをA商品の主観的願望による、A商品自らの一般的等価形態の獲得といった不合理に、一つのナンセンスにすり替えてしまった彼は、決して諸商品の「共同作業」による一般的等価の、つまり貨幣の形成について語ることはできないのである。

 結局富塚は、自らが「間違っている」と否定した、一般的等価の形成を説明するマルクスの理論(彼の言い方によれば、「正反対の関係」の形成)を“密輸入”して説明するか(もちろん、すでに見たように、少しも正しく“密輸入”していないのだが)、あるいは全然説明しないかどちらかである。そしてとにもかくにも、「正反対の関係」は富塚によって、「成立」が宣言されるのであるが、しかしそれが「成立すれば」という宣言は論証ではない。依然として、富塚にとっては(読者にとっても)、この「正反対の関係」はなぞに留まるのである。

 彼がそれを語り得るとするなら、それは、諸商品所有者のただの苦しまぎれであると主張するのか(つまり「矛盾の極み」だ!)、あるいは諸商品(諸商品所有者)の“共同主観”(故広松流の)――というのは、個々の主観では矛盾してしまう、それではダメだ、というのだから――によって、ある商品は(相対的価値形態のままで!)貨幣にされるのだと、徹頭徹尾、無概念的に説明されるしかないのである。

 しかしこれは事実上、ブルジョア経済学が貨幣を説明するときに持ち出す、卑俗な理屈にすぎない、つまり商品交換の「困難」を解決するために、便利な道具として、人間は貨幣を発見もしくは発明した、というのである。

 それにしても、彼は一体何を言いたいのだろうか、どんな経済現象を頭において、こんな奇妙な理屈をでっち上げるのであろうか。

 かつて宇野学派は、商品は“流通形態”つまり価格を持った存在として規定し、商品価値の「論証」は、貨幣による商品の購買を媒介にして、そこから出発してなされるべきだと強調したが、どうもそんな認識に近いのではないか、としか考えられない。だからこそ、彼は宇野学派に対する、自らの理論の親近性を得々と語ってやまないのであろう。つまり、富塚もまた、「価格」や「貨幣」を前提し、そこから(それらに規定された直接の現象から)出発するのであり、こうした徹底した俗流的な意識をマルクスの理論的立場に対置して(直接の現象はマルクスの理論と違うではないか、等々)、自らの優越性を誇るのであろうか。

 富塚の問題意識は、「『恐慌の原基形態』を把握するための理論的基礎を明確にすることを課題とする。交換過程における諸商品の『全面的な持手変換』において生ずる矛盾を、価値形態論における第二形態(『開展された価値形態』)から第三形態(『一般的等価形態』)への移行の困難の問題との関連において明らかにする」といったところである。

 だからこそ、富塚は、この自らの理論が、“需要供給”の問題に接近する出発点であり、あるいは「実現理論」の根底ともなり、ケインズ主義批判のカギにもなると、つまらないうぬぼれにひたることができるのである。富塚は自らのこのばかげたドグマを、「『有効需要』の問題の把握」のための「不可欠の理論的基礎」と呼んで恥じないのである。

 しかし奇怪なことに、われらの田口氏は富塚批判を銘打って、富塚とほとんど同じ文章を持ち出すのであるが、我々の全く首肯しえないところである。

「すべての商品所有者が自己の商品を他の商品に対して一般的等価としようすることによる矛盾は、すべての商品所有者が自分の商品について抱く願望とは反対の関係が成立することによって解決される」(『海つばめ』1016号、三面下から三段)。

 田口氏もまた、富塚と同様に、商品所有者の、自分の商品を「一般的等価としようする」願望とその「矛盾」について語るのだが、しかしそんな願望とはどんなものか、そして「願望とは反対の関係」がいかにして形成さるのか等々について、まともに語ることができないのである。富塚の珍妙な理屈を持ち出して、それに依拠して(つまり富塚と同じ「間違った」立場に立って)、富塚批判をすることは決してできないのである。

『海つばめ』第1018号(2006年6月4日)


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