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 来年の参院選で100万票を獲得し、
   労働者の代表を国会へ!

 (このページは、労働者党の選挙・議会闘争をまとめて紹介します)



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参院選を闘う10名の面々⑦
長野選挙区は斎藤よしあきさん


 斎藤さんは、1970年代の「マル労同」の時代から今日まで、四十数年間にわたって、我々の同志として活動してきた筋金入りの党員である。だが、その風貌には「闘士」のイメージはない、極めて控えめで生真面目な人柄がにじみ出ている。彼は、入党の動機として、当時の機関誌『火花』の理論と「真摯な姿勢」とに感銘を受けたからと言っているが、彼自身が正にその「真摯な姿勢」を貫いてきた人である。
 政治闘争と党建設闘争を中心課題にしていた「同志会」の時代には、斎藤さんは長野県の支部長として我々をリードしてくれた。会議の度に、県北部から100キロを超える道のりを、当たり前のように通ってくる。 来年の参院選を闘うことが決まってからは、自ら主宰している読書会のメンバーには勿論、県内の労組や市民団体等の状況を率先して調べ、働きかけを強めている。
 それだけではない。母親の介護や農作業など手を抜けない諸事情を抱えながらも、自ら候補者となって闘う決意を固めたのだ。これは、労働者の闘いと我々の組織活動とに対する強い信念と責任感とがなければ出来ないことである。(O)

  【斎藤よしあき 略歴】

 1950年、長野県栄村で生まれる。
 東京教育大文学部在学中に友人たちとマルクス主義の学習を始め、学生運動・〝新左翼〟運動が四分五裂し頽廃していく中で、当時の機関紙『火花』に出会い、その真摯な姿勢と理論的卓越性に感銘、長野県で職を得て入会する。
 1975年~2013年、長野県立高等学校の社会科教諭として勤務。80年代後半の「日の丸・君が代」闘争では分会役員等として先頭になって闘う。バブル崩壊後は生徒たちの生活環境も一層厳しくなり、不登校などさまざまな問題を抱える生徒に寄り添って取り組む。
 2007~17年、党(同志会)支部長。2016年より仲間と共に「信州・働く者のセミナー」を立ち上げ、セミナー・シンポジウム等を実施。現在、実家で母親の介護を兼ねて農業を営む傍ら、長野市内で『資本論』読書会を主催。





参院選を闘う10名の面々⑥
大阪選挙区は佐々木一郎さん

 「佐々木さんは事前ビラ配布計画の中心を担い、綿密な配布計画を提供してくれた。夜遅くまで明日のビラ配布計画を練り、配布者に手渡す住宅地図をコピーする姿に頭が下がった。現地でも宅配を指導し、的確な指示のもとに配布が行われた。感心したのは短期間に横須賀、三浦市の地理に精通したことだ。車の助手席に座り的確に道案内をしてくれたが、それは車のナビより的確で、失礼ながらSナビと呼ばせて頂いた」(『我々はいかに闘ったか――神奈川11区の闘い』99頁より。この本は我々の闘いを生き生きと紹介しています、是非ご購読を。)
 佐々木さんは40年以上前から当時の「マルクス主義労働者同盟」の一人でした。いろんな疑問に対し、きわめて率直に「労働者階級の解放のために加盟して活動する」ように誘われたことを今も覚えています。
 佐々木さんは同志会が党への復帰を決め、選挙闘争への再挑戦を始めた時、その荷の重さを知りながら組織の責任者を引き受けました。さらには大阪選挙区の候補者も引き受けるなど、その心意気には頭が下がります。
 佐々木さんが労働の解放をめざす闘いの先頭に立つことを願います。(N)

  【佐々木一郎 略歴】
 51年、大阪府大東市に生まれる。73年、北海道大学農学部林学科を卒業、大阪の建設会社で土木地質技術者として働く。
 卒業間際にマルクスの『経済学・哲学草稿』の「労賃は資本家と労働者との敵対的な闘争を通じて決定される」を読み、階級闘争の現実の端緒を認識するが、社会に出て資本主義社会の実際を目の当たりにし、社会主義運動に携わるべくその接点を模索する。
 74年、党の前身であるマル労同の参議院選挙運動と出会い、76年同盟に加入、以降、仕事と家庭と並立させながら、主に駅頭や団地、集会でのビラ配布による宣伝活動に携わる。後、設計会社に転職し、定年後は嘱託。
 2017年4月から大阪北支部支部長。定期的に駅頭で街頭宣伝を行っている。






参院選を闘う10名の面々⑤
愛知選挙区は古川ひとしさん

  乾坤一擲、現在の閉塞状況を打ち破ろう!
 もつれた束になった糸の絡みを断ち切る鉄槌を持つ男、我々を圧殺しつつある虚偽の政治的空洞に勇気を持って立ち向かう勇者、サイクロンのように行く手にあるものすべてをなぎ倒す勢いを持つ人物、そして今一人、巨人に立ち向かう。
 過去をすて勝利の領域への前進的跳躍を目指す者、それが愛知に燦然として輝く古川均さん。
 彼が一度口を開けば、汲めど尽きない泉の如く、扇動の嵐が吹きすさぶ。この扇動の波長に、生気を失った人々のまどろみを覚ます震駭的な打撃力が存在するなら、不毛な時代の中で虚飾を吹き飛ばす一陣の風を送り届けるであろう。
 時代がかった紹介はここまでにして、古川さんが名古屋に移住してきたころ印象に残っているのは、金がなくて事務所にあったコーヒーの粉をなめて空腹をしのいでいた事を今でも強烈に印象に残っています。あれから40年。愛知の先頭で闘い続けてきました。
 参院選を闘う事を素早く決断したことに驚きましたが、今ここで闘わなければいつ闘うのか! という叫びに勇気づけられました。
 病魔に襲われ降板した参院選から32年、再び参院選を闘う事になり、秘めたる決意は固そうです。(古川さんが赤面してしまう文章を書いたのは、名古屋で一緒に40年以上闘ってきたTさん)

 【古川ひとし 略歴】

 1954年、北海道上川町に生まれる。
 68年テト攻勢、69年東大安田講堂の攻防戦に衝撃を受けて、69年旭川龍谷高校入学後デモ等に参加し、活動を開始する。新左翼運動が下火になる中で全国社研の「国際共産主義労働運動史」に旭川の書店で奇跡的に遭遇し、革命運動への参加を決意。卒業後、旭川、札幌で活動し、76年衆院選で名古屋に応援に入りその後、78年名古屋に移住。
 87年社労党から名古屋市議選に立候補。399票。
 旭川、札幌、名古屋で20近い会社を転職し、現在コンピューター関係の仕事に従事。
現在、党愛知支部支部長泉さんは、この酷暑の中で文字通り〝額に汗して〟働く、現場の建設労働者です。
 若い頃はNHKの技術屋さんだったそうです。辞めた理由は、科学や技術の進歩は人間を富ませるものだと信じて疑わなかったのに、当時興隆してきたコンピュータ技術が、働く者の仕事を奪ったり、労働を無内容化してしまうことに非常にショックを受けたからだと言います。






参院選を闘う10名の面々④
広島選挙区は泉安政さん

  泉さんは、この酷暑の中で文字通り〝額に汗して〟働く、現場の建設労働者です。
 若い頃はNHKの技術屋さんだったそうです。辞めた理由は、科学や技術の進歩は人間を富ませるものだと信じて疑わなかったのに、当時興隆してきたコンピュータ技術が、働く者の仕事を奪ったり、労働を無内容化してしまうことに非常にショックを受けたからだと言います。
 泉さんは、「学生時代に『共産党宣言』を読みかけたが、その第一行、すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である、がまったく分からなかった」と、よく学習会などで自己紹介をします。社会変革をめざす時に、はじめてマルクスの言葉が分かったのでしょう。「資本論を読む会」では、それこそいろいろな質問に丁寧に答えています。
 泉さんは、安倍自民党がのさばり続ける、今の閉塞状況を打ち破ることは、労働者党にしかできないといって、立候補を決意しました。
 いろいろなアルバイトも経験してきたそうです。資本の搾取に喘ぐ底辺の労働者への熱い連帯の気持ちは、誰にも負けないものがあることを私は知っています。その熱い思いが労働者・働く者の心をつかみ取ってくれると信じて、共に闘います。(S)

 【泉 安政 略歴】
 1953年、大分県別府市生まれ。3歳の時に鳥取県米子市に転居。
 73年、米子工専卒業。同年、日本放送協会(NHK)に技術職として入局。73年から4年間広島放送局に在籍。77年、山口放送局に転出。労組分会の情宣部長などを担う。80年、NHKを退職。労働者党の前身、マルクス主義労働者同盟の選挙闘争に協力。同年、新たな労働者党建設をめざし広島に戻る。86年以降、零細企業で型枠大工として働く。
 90年代、地域で「日の丸・君が代」の強制に反対する運動や資本論の学習会などに取り組む。
 現在は、党広島支部長のかたわら、「広島・資本論を読む会」のチューターを務める。





参院選を闘う10名の面々③
神奈川選挙区はあくつ孝行さん

 圷さんと付き合いだしてもう50年近くになる。圷さんは、三崎高校に赴任した当初から、分会役員として組合活動の先頭に立って活躍してきた。学生時代からマルクス主義の文献に親しみ、組合活動の経験は、圷さんを必然的にマルクス主義者としての自覚に導き、70年代に当時のマル労同へ加入した。県高教組では我われ左派グループの一員として定期大会や分会代表者会議などで執行部への活発な批判を展開した。
 圷さんは生徒に対して面倒見の良いことでも知られる。卒業も危ぶまれていた生徒を車で送り迎えし、ついには大学入学までこぎ着けた。定時制高校へ移ってからは、生徒の教育環境の改善に打ち込み、県教委との交渉の先頭に立った。その面倒見の良さは、教え子の結婚相手に自分がなってしまったほどだ(笑)。
昨年の衆院選でわが党は、参加を決定したものの、候補者が決まらず窮地に陥ったが、圷さんはそのとき、〝自分でよければ〟と手を挙げてくれた男気のある人物である。豊富な組合活動の経験とマルクス主義で培われた強固な意志は、国会でも働く者の代表として必ずや活躍してくれるものと期待している。(K)

 【あくつ孝行 略歴】
 1950年、神奈川県横須賀市佐野町に生まれる。 中央大学経済学部国際経済学科を卒業し、1975年神奈川県立高等学校の社会科教諭として就職し、2年目から組合の分会役員となる。
 80年代後半から激しくなった「日の丸・君が代」闘争では分会役員として先頭に立って闘った。96年4月から2016年3月に退職するまで定時制高校で教鞭をとり、生徒たちの置かれている劣悪な生活環境など身をもって知る。定時制の教育環境整備に関して分会代表として対県教委交渉を行ってきた。
 2017年4月、「労働の解放をめざす労働者党」の結党大会を経て党代表委となり、その年の10月の衆議院議員選挙で神奈川11区から出馬。



参院選を闘う10名の面々②
比例区2位は林紘義さん

 林さんの自慢は〝若さ〟。身体的機能を測定すると実年齢よりも4、50年も下の数字が出るとか。今でも家の近くで、2日に一度の割りで、約5キロのランニングを欠かさない。タイムは22分位だと周りの者に吹聴している。
 林さんの身体的若さは、強靭な精神に裏打ちされているのかもしれない。経歴からも明らかなように、学生時代、19歳の時に労働者解放運動に目覚めて以来、約60年、一途にその理想実現に向って闘ってきた。
 林さんは、不正や理不尽なことが何よりも嫌いで、頑固なまでにそれを追及する。今の国会を見れば、共産や立憲民主など働く者の党などと見せ掛けながら、実際には腐敗した安倍自民など資本の勢力に屈従し、なれ合っている。林さんの憤怒と闘いへの意思は強烈である。(T)

  【私の決意】
 昨年九月大会の後、左脚に違和感を感じ、近くの大病院で検査を受けた結果、「血栓性脳梗塞」の診断で即入院。最初の入院は1週間くらいですみ、しばらくして定期検査に行くと、何の症状も兆候もなかったのに、新しい脳梗塞があり、二度目の即入院、ようやく年末退院。しかし党代表として大きな責任も負っています。比例区候補として最後まで闘い抜くつもりですが、実際的に闘いを担うのは難しく、選挙闘争の頭脳としての役割りに徹し、得票率のアップに努めます。
(2019年1月27日)


  【林 紘義 略歴】
 1938年、長野県上田市に生まれる。同県伊那谷出身。教師の父の異動に伴い、伊那谷の各地に転校、転居を繰り返す。
 小学校は下伊那の市田小(現高森小)、下条小、会地小〔現、阿智小〕、中学校は会地中、上伊那美篶中(現、伊那市)、高校は珍しく転校なく3年間、伊那北高(当時、男子高)。3000メートルの雄大壮麗な西駒ヶ岳山麓にその性格を養う。
 1958~60年 自治会役員及び東京都学連執行委員として「勤評反対闘争」、「60年安保闘争」を闘う。2回拘留され、起訴、有罪判決を受ける。
 以降、一貫して『社共』にも『新左翼』諸派にも批判的な、独自の社会主義路線を歩む。
 1984年 社労党結成に参加。労働者の階級的立場と政治を訴えて国政選挙に組織候補として数回立候補するも、力足らずしていずれも落選。
 2002年 社労党の解散とマルクス主義同志会への移行とともにその会員。
 2017年春 マルクス主義同志会の「労働の解放をめざす労働者党」(略称、労働者党)への発展的解消に伴い、同党代表委員会議長。




参院選を闘う10名の面々①
比例区(特定枠)は吉邨ふみおさん

 私たちたち労働の解放をめざす労働者党(略称「労働者党」)は、昨年10月の総選挙において、神奈川11区で議員獲得を目指す闘いの第一歩を踏み出しました。そして今年の3月の大会で、さらにその闘いを発展させ、国会に労働者・働く者の立場と利益を代表し、そのために闘う労働者党の議員を送り込むことを確認、来年の参院選に「確認団体」として参加することを決定しました。
 「確認団体」とは、公職選挙法上、政党と認められ、参院選比例区から立候補できる政党で、現在国会議員のいない政党は、10人の候補者を擁立し、供託金数千万、最低でも3300万円も国家に事実上献上する決まりになっています。
 私たちたちは10人の候補者を比例区2名(選挙地盤は全国、吉邨さんと林さん)、選挙区8名(地盤は都道府県)と割り振り、まず最低、比例当選を勝ち取ることを決意しました、というのは比例区なら得票率2%、約100万票で議席が獲得できるからです。
 いま延長国会で、野党は安倍政権の腐敗と権力犯罪を暴露した森友・加計学園スキャンダルを中心に、安倍政権を懸命に暴露して闘っていますが、昨年の総選挙でなぜ惨敗したか、そして瀕死の安倍に完勝を許したかの厳しい反省もなく、森友・加計学園などいくら暴いても〝蛙のツラにションベン〟です。
 安倍の大勝を許した犯人は、志位や枝野や前原らであって、彼らが真剣に反省し、総括できないなら、何回選挙をやっても安倍政権を、自民党政権を一掃することはできないでしょう。
 野党総崩れの中で、労働者党が議席獲得をめざして闘う意義は計りしれません。

 闘う労働者党の候補を10回にわたって紹介します。第1回は、比例区名簿第一位の吉邨さんで、2%を得た時国会へ殴り込みをかける我らの切り込み隊長です。
 吉邨さんは経歴からも明らかですが、長らく労働者として、また労働運動の活動家として生きてきた、信頼できる労働者の仲間であって、労働者代表の候補者として最も相応しい人です。

 【私の決意】
 安倍政権は張り子のトラです。小選挙区制中心という不正、不公平、きわめて非民主主義的な選挙制度によって、2017総選挙では有権者の25%の票で議席は75%を占めました。民意を反映していない虚構の政権は、巨額の国家財政赤字対策には真剣に取り組まず、資本家の利益代弁者として、搾取強化の労働政策、国家主義者、軍国主義者として憲法改定策動や年5兆円もの軍備増強にふけり他国と緊張関係を煽っています。私は、張り子の胴体に鋭く突き刺さり全身を瓦解させる突破口を切り開くべく、当選をめざします。    (1919年1月27日)

 【吉邨ふみお 略歴】
 1953年、愛媛県松前町生まれ。愛媛大学工学部土木工学科卒業。地元建設会社就職、現場技術員。月200時間を超える残業を経験。81年、新居浜市の医療生協運営の診療所に事務として就職。86年、労組結成、執行委員長となる。
 88年、社労党から、市議補選に立候補。3771票獲得(市議三人を擁する共産党5686票)。
 91年、社労党から、市議選に立候補。360票獲得、88年同様に供託金返還。05年、職場の労組再結成にかかわり、06年からは書記長。07年、労組は産別の自治労愛媛に加盟。自治労愛媛県本部書記次長、自治労四国地連公共民間評議会事務局長歴任。仲間や労組県中央の信認も厚い。




東京都後援会が結成される

後援会員の獲得に全力!

 労働者党の国会議員誕生めざして立ち上がれ!

 7月8日、労働の解放をめざす労働者党(略称・労働者党)の後援会結成集会が開かれました。急な呼びかけにもかかわらず、10数人が参加し、来年の参議院選挙で労働者党の新たな国会議員を誕生させるために立ち上がること、参加者で都の後援会(当初の計画の首都圏でなく、とりあえず東京都)を作ることを確認しました。

 会議は、呼びかけ人の山田さんの司会のもとに、参加者の自己紹介の後、労働者党代表委員会の林さんから報告を受けました。林さんは、現在の情勢や労働者党の選挙闘争の意義などに触れた後、具体的な闘いについて次のように問題提起しました。

 具体的取り組みとして、今日の結成式を首都圏後援会として提起してきたが、急な取り組みであったことや参加状況を見ても「首都圏」でなく「都後援会」としてやっていったらどうか。2週間後、4週間後に会議を開いて、3,40人を集め、都内で5支部(東西南北、三多摩など)ほどの後援会をつくり、そこで正式な後援会の発足ということにしたい。それまではとにかく後援会員の獲得に集中したい。

 報告を受けて、参加者からいろんな意見が出されました。世田谷で「資本論」研をやっているMさんは、党員のKさんから紹介された、皆さんと協力し頑張っていきたい。池袋で20年近く「資本論」学習会をやってきたSさんは、現在は脳溢血のリハビリ中だが、労働者の代表を国会に送るために活動したい、学習会には若い人も何人か来ており、働きかけていきたい、等々。労働者党の選挙闘争に期待し、後援会員として支援していきたいとの発言が相次ぎました。他に出た意見・要望としては、リーフ、パンフを出してほしい、報告で比例区で2%獲得して当選といわれたがなぜ2%なのか、それをとれる可能性はどれくらいあるか、野党共闘について、などの発言がありました。

 今回の参加者は今ひとつでしたが、昨年の総選挙の結果を見ても最近の野党政治の無力さを見ても、新しい労働者党の国会議員が進出する絶好のチャンス です。すでに労働者の党を公然と名乗る政党は存在しません。社会党はもはやなくなり、社民党も市民主義そのもの、共産党も「国民政党」を標榜しており、数千万の労働者の真の代表として国会に出ていく条件は整っています。
 労働者党は、極小政党ですが、これまで数十年にわたり、サークルや政党として社共に代わる労働者の政治、政党をめざして闘ってきた歴史があります。詳しくは、最近出版された「我々はいかに闘ったか――神奈川11区の闘い」をご覧ください。本当の労働者を代表する国会議員を誕生させるために、労働者党の周りに大きな後援会組織をつくり、奮闘する以外にありません。
 後援会としての活動は単純です。労働者党の国会議員を誕生させるために活動すること、自分のできる範囲で労働者党を支援し協力するということです。地域で、職場で、友人・知人を、家族親族などを後援会員に獲得し、支持を広げていくことです。

 この日集まった10数人がまず、労働者党の都後援会を名乗り、これから2週間、4週間全力を挙げて後援会員獲得に取り組みたいと思います。
 共に頑張りましょう!

 次の会合を2週間後に開くということでしたが、準備をきちんとするということで1週間延ばし、7月29日(日)に開きます。友人、知人、ご家族などを誘って、ぜひご参加ください。
 場所は、雑司が谷文化創造館(地下鉄副都心線・雑司が谷駅、JR目白駅徒歩10分)です(地図参照)。


 ★日時  7月29日
(日)午後2時より

 ★場所  雑司が谷文化創造館
        (地下鉄副都心線・雑司が谷駅、JR目白駅徒歩10分)

      (全国社研社の名前で借りています)
   
地図はこちら

 連絡先 〒179-0074 東京都練馬区春日町1-11-12-409  全国社研社

電話 03-6795-2822 メール・webmaster@wpll-j.org





首都圏後援会結成会のご案内

「労働者派の代表を国会へ」

 労働者党・首都圏後援会の結成会 にご参加を!


 労働者、勤労者の皆さん。

 労働の解放をめざす労働者党(労働者党)は、今年3月の臨時大会で来年の参議院選挙に全国で10人の候補者を立てて確認団体として闘い、比例区で2%、100万票を獲得して国会議員を誕生させることを決定しました。現在その準備を進めていますが、すでに比例区(全国区)では二人の候補者を内定しています。

 二人とは、愛媛県で活動している吉邨ふみおさん(65歳)と代表委員の林紘義さん 79歳です。吉邨さん(名簿1位内定)は、長年愛媛県を中心に労組役員を担うなどしてきた活発な労働者活動家で、1988年、1992年には新居浜市議会選挙にも立候補しています。林さんは、勤評反対闘争や60年安保闘争以来の闘士・理論家であり、70年代、80年代には参院全国区(当時)など4回立候補しています。現在は労働者党代表委員会の議長です。

 二人とも、労働者、勤労者が真に信頼できる活動家・闘士であり、国会に出て行って堕落してしまうような今の野党の政治家とは、モノがちがいます。

 我が党はご承知のことと思いますが、超ミニ政党であり、全国に組織があるわけではありません。そこで党外の多くの労働者、勤労者の皆さんのご支援が是非とも必要であり、選挙に向けて後援会を組織することにしました。

 二人の候補者ということで全国を東西に分け、中部、関東、東北地域を対象にした労働者党後援会・「労働者派の代表を国会へ」(仮称)をつくります。

 そこでまず、首都圏を中心にした労働者党後援会、「労働者派の代表を国会へ」(労働者党首都圏後援会)を結成したいと考え、その結成会への参加を呼び掛けます(当日、後援会の規約や具体的活動についても議論します)。

 来年の参議院選挙まで、ちょうど後1年です。もう安倍政権と断固として闘えないような野党議員はごめんです。今こそ、労働者、働く者の本当の代表を国会に送るために立ち上がりましょう。

後援会結成会にぜひご参加ください。

★日時  7月8日 (日) 午後2時より

★場所  南大塚地域文化創造館(南大塚ホール併設)

         JR山手線大塚駅南口下車 徒歩約5

      (全国社研社の名前で借りています)

   
地図はこちら

 連絡先 〒179-0074 東京都練馬区春日町1-11-12-409  全国社研社

電話 03-6795-2822 メール・webmaster@wpll-j.org




   来年の参議院選挙を
  確認団体として闘います

 絶大なるご支援、ご協力をお願いします

 3月24、5日、労働の解放をめざす労働者党は臨時大会を開催し、来年の参院選を、国会での議席獲得を目ざす当面の重要な〝決戦〟と位置づけ、確認団体として闘い抜く方針を採択しました。
 昨年の春、労働者党を再建し、新しい党の建設とともに、重大で、厳しい、そして決定的な、我々の挑戦を開始しました。それは国政選挙に参加し、労働者派の議員を生み出すために、ここ数年間の闘いを闘い抜き、労働者解放の道を切り開いていくということでした。その始まりとして昨年10月の総選挙を神奈川11区において闘い、ようやく決戦の闘いを準備し、ただ一直線に闘い抜く段階に来ました。
 

 17年春の結党大会では、ホップ、ステップ、ジャンプ(決戦)の闘いの展望を示したのですが、安倍が政権維持と延命の野望と意思で“仕掛けた”総選挙により、当初我々が予想していたような形ではなく、17年秋(10月10日告示、22日投票)の闘いになりました。17年春の大会では、「今年中に衆院選があればパスする」と確認していましたが、安倍政権打倒にむけて、候補者を正式に決定する10月22日に開催予定だった大会を延期し、直ちに総選挙に参加することを確認して、2週間の準備期間を経て、12日間の濃密な選挙期間を闘い抜きました。
 

 衆院選後の17年12月の第2回大会では、ステップの闘いと位置付けていた19年参院選までの期間が当初想定より長期になる中で、スムーズにステップの闘いに移行することになりませんでした。そして、第2回大会後に、17衆院選と19参院選が二年近くも開いたのは「天の配剤(天は物事を適切に配するという意味)」である、ホップの闘い(神奈川11区での闘い)を国会進出本番の闘いへの総稽古と位置づけ、19参院選を3年早めた決戦として、党の総力を挙げた全国的闘争として闘う方がベターだという提案がなされ、今回の臨時大会で、19参院選を確認団体として闘うことが決議されました。
 

 国会進出の厚い壁を突破し、また腐敗した与野党の議会独占に風穴を開けて議員を送りだすには、参院全国比例制を利用するのが有利ですので、比例区を含め10人の候補者を立て確認団体として闘います。およそ500日後の参院選を、国会に議席を確保し、増やしていく闘いの出発点として闘い抜くこと、そのために〝物心〟両面から、あらゆる面で可能な限りの実際的準備を進めて行きます。年末に予定している第3回党大会で最終的に候補者、選挙区の決定を行います。皆さんの絶大なる、ご支援、ご協力をお願いいたします。