政権の存続自体が災いの元
“内外における”孤立深める安倍政権
2014年2月28日
安倍政権の“内外における”孤立が深まってきました。
国内では、NHK会長が相次ぐ失言、暴言によって、会長としての地位さえも揺らぎ、安倍は個人の責任だ、などと知らぬ顔を装っていますが、会長辞任にでも追い込まれれば安倍政権の動揺も広がりかねません。アベノミクスの“魔法”も解けていけば、安倍の権力もまた混乱と矛盾を深めざるを得ません。口先だけでやってきた政治はまさに悪循環に陥るでしょう。
外交・防衛でも、民主党政権が日米関係を壊したといいながら、今では安倍政権ほどに日米関係を、そして韓国や中国との「関係」を悪化させ、ますます韓国や中国の民族主義、国家主義をあおり、発展させている政権はありません。すべては安倍政権とその「歴史認識」や厚顔無恥にあるのであって、安倍政権ほどに労働者にとって、国民全体にとってさえ災いの元である政権は存在しいないと言っていいほどです。
アメリカでは、安倍政権とその「歴史認識」に対する不信はますます高まっており、またTPP交渉でも「国と国家の利益は断固守る」としか言わない安倍政権の立場は、ただひんしゅくを買い、多くの国をしらけさせるだけです。
国内と海外で考えや言葉を違えて、ご都合主義に走る安倍の〝誠実さ〟が疑われているのです。安倍政権が存続することは日本の恥とみられる時となりつつあります、そんな安倍政権にどんなまともな「外交・防衛」政策が可能だというのでしょうか。せいぜい、1930年代の、ますます帝国主義と天皇制軍国主義の泥沼にはまり込んで行き詰まり、結局は国民全体を不幸と惨禍の地獄に導いた、あの歴史的経験の二の舞を演じかねないのです。
法人税減税で税収が増える?
リフレ派のドグマに“飛びつこう”とする安倍
2014年2月21日
例によって、反動派の経済学者たち──安倍を扇動したリフレ派経済学者たち──が、「法人税の逆説」といった、ひとりよがりの俗説――法人税減税をすれば、かえって税収が増える――を持ち出し、安倍もまたそれに“飛びつき”、法人減税に走り出そうとしています。「成長政策」にうってつけの名案に見え、いいことだらけで、みなが喜び、悪いことなど何も無いと言うわけです。
この俗説によれば、法人減税をすれば企業の設備投資などが活発になり、したがって景気もよくなる、そして景気がよくなるなら企業の利潤もうなぎのぼりに増大し、かくして法人税率の低下からくる法人税の縮小を補って余りにある税収が確保される、というのです。減税した結果、かえって税収が増えるというのですから、そんなうまい話はなく、そんなすてきな名案に乗らないアホはいない、と言わんばかりです。
こんな一面的で好都合な俗説こそ安倍の好みとするところであってひどく乗り気になり、さっそく得意げに口にし、振りまく安倍の常套句になりつつあります。
この名案──もちろん本当の名で呼べば「迷案」──もまた、アベノミクスの重要な一部を占めることになりそうですが、すべてのアベノミクスの命題と同様に、その本性において奇弁やひとりよがりを基礎においています。
まず法人減税をして設備投資が増えるのは、設備投資をして生産した商品を販売できる市場が存在しなくてはなりません。需要の拡大という条件が無いなら、そんな設備投資は企業にとって非常に危険であり、マイナスの意義しかありません、つまり法人減税が企業の投資に結び付くのは一定の条件があってこそ、なのです。
リフレ派学者たちは、外国の例をとくとくして持ち出しますが、しかしそれは法人減税とともに、法人課税の範囲を広げるとか、他の様々のこれまで優遇してきた減税をやめるとかを組み合わせるなどして、法人増税を実行したからであって──財務省は、法人減税をするなら数兆円の財源が必要だと言っています、つまり無条件で法人減税などしたら、税収に大きな穴があくことを、当然にも心配するのです──、法人減税自体の結果などと言えないのです。
リフレ派はそんな汚い、恣意的で奇弁的な議論に走っているのですが、そんなばかげたドグマに安倍は魅力を感じるのです、というのは、それがアベノミクス詐欺にとって一つの手品のタネを提供してくれるように思えるからです。
自民党とその政府の歴史は、こうした詐欺的インチキを繰り返しつつ、借金財政を積み重ね、ついに財政崩壊を不可避とする国家を準備してきまたしが、そんな例は、1960年代、国債(借金)依存財政に転換したとき以来、無数に転がっています。この時、福田蔵相は、この借金は一時的であって、この借金による刺激政策によって景気が回復し、税収が増えたら、借金は一掃し、健全財政に戻るし、戻ることができると約束しました。しかし実際にはそんな約束は守られることはありませんでした。
いくらかでも景気がよくなった、法人税が増えたからといって、借金返済にまわされることはなく、自民党やその政府はさらに財政を膨張させ、カネをばらまくだけでした。要するに、彼らは不況の時はカネをばらまかなくては景気が回復しないといってバラまき、景気が回復するなら、カネがあるからといってバラまき、かくして財政は借金付けになり、借金は増え続けただけで、”財政健全化”など全くの空語に終わってきたのです。
今また安倍は、そんな過去がなかったかに、法人減税でも何でもやればいい、それは結局税収の増大に帰着するからだ、と言うのです。もちろん法人減税をやってもむしろ税収が増えるというなら、法人税などゼロにすればいいのです、そうすれば企業の儲けもいくらでも増え、税金もまた無制限にいくらでも増えることになるはすだからです。リフレ派や安倍がそうした主張をしないし、決してできないことが、彼らのいう理屈が不合理であり、奇弁のたぐいにすぎないことを暴露しているのです。
そんな下品な理屈がもてはやされるのは、安倍一派がそんな理論を必要としているから、彼らは自分たちに都合のいい理論や事実ばかりに関心をもち、それに飛びつき、そんなものばかり採用するから、つまり戦中の天皇制軍部の連中と同じ偏った独りよがりの人種にすぎないからです。
彼らは労働者の賃上げでも同じような奇弁的、詐欺師的理屈を持ち出しました。もし賃上げで景気回復が可能になるというなら、安倍はなぜ労働者の賃金を10%、20%、あるいは50%にさっさと引き上げないのでしょうか。安倍もブルジョアたちも決してそんなことはしないし、できないという現実こそ、安倍一派の“迷論”に対する、決定的な反論です。
共産党の戦術を糾弾する
セクト主義が舛添=安倍に名をなさしめた
2014年2月10日
都知事選挙の結果は、私たちが正確に予想したとおりの結果に終わりました。つまり“反原発”、反舛添の勢力が完璧に二等分されたため、勝てた絶好のチャンスを逃してしまった、ということです。
反安倍政権の勢力は2分され、安倍政権に大きな打撃を与え、敵勢力のなかに動揺や分裂を促進する機会をなくし、安倍政権の没落の開始を遅らせる結果を招いたのです。共産党こそがその責任を負わなくてはなりません。
共産党は「争点は原発だけではない」とか、「福祉や保育やその他、多々ある」とか、「細川=小泉連合」は“保守”であり、反動的だとか言いはやしましたが、しかし反原発は現在の政治情勢の一つの重要な対決点であり、都知事選挙がその決定的な戦場だというなら、勝つための具体的な戦術なり、立場なりを考えるべきであって、自党のセクト的な利益を追求するなら、それは全体の闘いを前進させるものではないのは明らかです。
共産党が、なぜ自分たちが遠慮して引っ込まなくてはならないのか、細川都政など自民党と一緒ではないか、細川こそ遠慮し、引っ込め、と自己の立場の正当性を主張してもむだです、というのは、細川都政が安倍政権の政策にとって一つの障害として表れることは明らかだからです(20年ほど前には、曲がりなりにも“反自民党”政権の首相として登場したのですから)。
そして共産党にとっても、都政の段階であれ、反自民と反原発の立場で都民の支持を得た都知事が誕生することは利益であり、今後の闘いのための手がかりであり、有利な出発点でもあったはずです。
だが、狭い共産党はセクト的な利益に目がくらんで、全体の闘いの前進や、安倍政権を一歩でも追いつめていくという戦略的な観点がなく、つまらない“反対のための反対党”という立場に後退するのです。
結果を見ても分かるように、候補者が統一されれば完全に舛添=安倍政権の勢力を粉砕できたのであって、それを妨げたのは共産党でした。その責任を細川=小泉勢力こそ後から出てきたのだ、不真面目で思い付き的だなどと転嫁することはできない、ということです。
というのは、分裂したら勝てないことは最初から明白でしたし、また宇都宮と細川とは反原発以外の政策が違うというが、そんなものは大した違いでなく、似たようなものであり、また福祉や介護問題など都政としては大筋はすでに決まっていることであり、決定的に違うといった問題ではなかったからであり──細川でも、舛添=安倍のよりはいくらかでも増しだったかもしれません──、さらに共産党もまた原発廃止ということでは細川らよりも強調していたから、「ワンイッシュー」(ただ一つの争点)の選挙になったからといって、失うものはほとんどなかったはずだからです。
原発廃止を本当に重大なものであり、本気で望んでいたとするなら、反原発勢力が勝つための戦術を冷静に、全体の利益のために考えるのは、細川陣営ではなく──彼らがそんなことを考えるはずもありません──、共産党の義務でさえあったはずです。
共産党は都知事選挙でも、労働者、勤労者の、そして反原発勢力の全体の利益や、その闘いの前進を考えるよりも、自分たちの、けちで矮小なセクト的利益やメンツや珍奇な“建前”だけを考え、追求するような、視野の狭い、ちっぽけな党派──単に組織としてちっぽけだという意味ではなく──でしかないことを、“前衛”云々が聞いてあきれるような“後衛”でしないことを暴露したのです。
労資協調の賃上げ茶番劇
労働者階級の反発と闘いは必至
2014年2月8日
労使協調の賃上げ茶番劇が盛んです。
安倍がいくらか業績のいい大企業を相手に、口先だけの賃上げサービスを叫べば、連合の古賀も波長を合わせて、「今年はデフレ脱却の大きなチャンス。労使が協力して広く国民に豊かさをもたらすことが求められている」と、安倍にエールを送っています。
しかし安倍らの云うことも、一部企業の業績がいいから賃上げがあるのか、賃上げをすれば景気がよくなるのか、そんな肝心要な所については曖昧で、どっちつかずのことを云うだけです。
いずれにせよ、偽りの賃上げキャンペーンは行われ、わずかな、そして一部の労働者の賃上げは過大に宣伝されるが、結果としては賃上げなどゼロ、雀の涙ほどの一時金でお茶を濁され、広汎な、そして大多数の中小企業の労働者、非正規の労働者は依然としてひどい低賃金できつい労働をしいられ続けるのは目に見えています。
しかも物価上昇は激しくなると云うのですから、労働者の生活は確実に悪化するのです。そしてアベノミクスの破綻がハッキリしてくれば来るほど、安倍は国家主義政治に、強権主義に走るのであり、走らざるを得ず、かくして労働者階級の激しい反発と闘いを呼び起こすしかないのです。
すべて外国が悪い?!
危険な兆候、安倍の独善的価値観
2014年1月30日
安倍は24日の「施政方針」で、国際関係問題について次のように語りました。
「私は自由や民主主義、人権、法の支配の原則こそが、世界に繁栄をもたらす基盤であると信じます。日本が、そして世界が、これからも成長していくために、こうした基本的な価値を共有する国々と、連携を深めていきます。その基軸が日米同盟であることは、言うまでもありません」。「中国とは残念ながら、いまだに首脳会談が実現していません。しかし私の対話のドアは、常にオープンであります。課題が解決されない限り対話をしないという姿勢ではなく、課題があるからこそ対話をすべきです」。「韓国は、基本的な価値観や利益を共有する、最も重要な隣国です。日韓の良好な関係は、両国のみならず、東アジアの平和と繁栄にとって不可欠であり、大局的な観点から協力関係の構築に努めてまいります」。
安倍はこのように、日本と米国、中国、韓国との関係を描くのですが、もちろん言っていることは矛盾だらけ、ご都合主義そのものであって、どんな一貫性もまじめさもありません。
アメリカや韓国と「価値観を一致する」と言いますが、安倍はそもそも「自由や民主主義、人権、法の支配」などという、人類の“普遍的な”価値などは重視しないで、むしろそれらとは別の“日本的価値”――天皇制、“大和民族”主義、偏狭な愛国主義(ナルシシズム)等々――をこそ重視してきたのです。アメリカと価値観を一致するというなら、アメリカが「日本に押しつけた」という、「自由や民主主義、人権、法の支配」等々の人類の“普遍的な”価値や戦後憲法をなぜ、何のために一掃し、「戦後体制の総決算」とか「戦後体制からの脱却」などを謳わなくてはならないのでしょうか。
安倍がアメリカや韓国と――中国とはもちろん――「価値観」が一致していないのは、例えば「歴史問題」一つ取っても明らかであって、こんな基本的な問題で「価値観」が一致せず、自らの「価値観」で世界中に恥をさらけだし、そのことによってますます日本を孤立させながら、アメリカとの「価値観の一致」も何もあったものではありません。 だから安倍は、アメリカや中国や韓国が安倍政権の「歴史認識」や「価値観」に反発するのは、安倍政権が悪いのではなく、反対にこれらの外国が悪いと思い込むことができるのであり、自分は最初から「オープン」であり、仲良くしたいのに、手を差し伸べているのに、中国や韓国が難癖をつけて友好関係を壊したり、拒否していると半ば本気で思い込むことができるのであり、またそう言いはやし、国内の民族派や反動の「同情」や「共感」をえようと策動するのです。
セクト的利益を優先
共産党の都知事選挙“戦術”
2014年1月21日
都知事選で“脱原発”候補の一本化が失敗しました。共産党が意地になって反対したからです。問題は共産党が反対するのは一貫しているのか、ということであって、正しいかどうかではありません。正しいかどうかなら、共産党としても正しくないと言えるだけです。
共産党の、あるいは宇都宮の理屈は、「原発だけが争点ではない」といったものですが、しかし細川も政策をまとめて発表すると言っているのですから――もっとも、この政策は寄せ集め集団の陣営の内部で一致が得られず、発表が先送りされていますが――、原発最優先ということで一致できない、などというのは共産党のごまかしで、党派(セクト)利益を優先させる、プチブル日和見主義党の本性暴露でしかありません。
共産党は常日頃から、幅の広い統一戦線だ、「民主」統一戦線だ、一点でも共闘して闘うなどと言って、反原発では無原則にプチプル市民主義者たちといちゃついて来ました。それなのにここでその“原則”に背くのはまるで無原則主義そのものです。
もし桝添が当選するようなことになるなら、その責任はあげて共産党にある、ということになりますが、それでもいいのでしょうか。彼らは「それでもいい、我々の勢力が伸びるなら」と思っているのでしょう。
彼らの闘いは、労働者階級全体の利益よりも、自らのセクト的な、当面の狭い利益を最優先に考えるのですが、そんなものは党権力を握る志位ら党官僚の利害に関することであって、労働者階級の利益――当面の利益もそうですが、それ以上にその根本的で一般的な利益――には何の関係もないのです。
安倍一派や公明党などと同様に、仲間内のことしか考えない、こんなちんけな党が、どうして労働者や勤労者の広い、普遍的な支持を得て行けるというのでしょうか。そんなことは不可能なのです。
舛添・安倍自民党に対抗する細川・小泉連合
しかし彼らにどんな幻想も持つことはできない
2014年1月17日
都知事選挙に細川が立候補し、にわかに自民党の推す桝添に対抗する、最有力の候補者として浮上しました。そしてその結果、東国原とか田母神とかいった、権力亡者や反動派の候補を実際の闘いからはじき飛ばしてしまいましたし、また共産党がかつぎあげた宇都宮さえ影の薄い存在におとしめてしまいました。さっそく社民党は、共産党などに宇都宮をひっこめて、「反原発候補」は細川一人にせよ、と主張し始めました。
その限り細川ー小泉連合戦線は強力に見え、また反動派や安倍自民党にとって大きな障害に、憎むべき障害になっています。首都における敗北は安倍政権にとっても重大な、最初の危機を招きかねず、その政権の没落の現実的契機になりかねないのです。
しかしもちろん労働者は細川ー小泉戦線に、どんな幻想を持つこともできません。仮に彼らが勝ったからといって、都知事として何をするのか、できるのかさえも明らかでなく、4年の任期を全うできる保証は何もありません。そもそも細川は自民党に代わった政権を握りながら、自民党や反動政党を助けるような、そして民主党政権や安倍政権をもたらすような「政治改革」をやったような悪党とも言うべき人間ですし(かつて首相時代、佐川急便から1億円もの説明不能のカネを受け取って首相の座を投げ出した、猪瀬と同様な人間なのですから、そのことだけでも、猪瀬の後釜に座る資格を欠いています)、小泉にいたっては、安倍を権力に押し上げるために一番の“貢献”をしてきたような人間です、そんな連中が自民党や桝添に反対して立つというのですからお笑いです。
そもそも「反原発」で政治闘争をやるなど無責任で、ばかげていて、本当に重要な闘いをどこかに追いやる、もっとも許しがたいものです。汚れたオリンピックなど止めるとか──大震災が予想されるから、東京を「防災都市」にすると云うなら、そんな“危険”があり得るという東京で、何でオリンピックをするのか、しなくてはならないのか、もし大震災とかちあったら大変だ、オリンピックどころではなくなる、と反省することもできないのか──、また石原が14年間もやってきた、反動的な教育行政を根本から改めるとか、都政において決定的に重要な、やるべき課題が山積しているというのに、です(青島でさえ、かつて世界都市博覧会を中止したが、ましてオリンピックならさらに中止すべきであろう)。
小泉は、「今回の都知事選ほど国政に影響を与える選挙はない。『原発ゼロでも日本は発展できる』というグループと、『原発なくして日本は発展できない』というグループの争いだ」などと低次元のデマゴギー政治にふけろうとしています。そもそも小泉の言っていることはただ感情的な扇動であって、闘いの道をそらすものでしかありません。日本の「経済成長」の問題は決して、原発があれば可能であるか、なくても可能であるかのつまらない対立ではないことを、ただ自分のめだちがり根性やうぬぼれや虚栄心、権力願望などから政治にでしゃばる、内容空疎な政治家たちは知らないのです。ブルジョア的経済発展は、例えば恐ろしい公害と共にいくらでもあり得たのであって、公害がなければ発展せず、なければ発展するといった見解がまじめに検討する余地もないほどのたわ言であることは労働者ならみな知っていることです。
そして「国政に影響を与える」闘いだというなら、単に反原発ではなく、牙を剥き始めた“アベノミリタリズム”に対する、全面的な闘いを呼び掛けることなくしては、何の意味もありません。こんな細川ー小泉の共同闘争は、仮に勝利したとしても、大都市のプチブル層、自由主義層の(つまり気楽な都市“中間層”の)自己満足以上に出ることは決してないでしょう。そしてかつての“革新自治体”がその無力さを暴露して軒並みに敗北し、くだらない“文化人”や芸能人の、さらには反動の自治体権力に行き着き、堕落した経験を繰り返すだけでしょう(革新自治体の無力な経験が石原や橋下等の反動自治体を準備し、呼び寄せたと言って、少しも言いすぎではありません)。
我々は断固として自民党勢力、保守反動勢力(桝添、田母神ら)だけでなく、細川ー小泉の政治や、同じことですが共産党ー宇都宮の勢力に対しても明白かつ深刻な批判を貫徹して行くべきです。
靖国神社参拝、国内外で猛反発
安倍政権2度目の瓦解が始まった
2013年12月29日
安倍は何を思ったか、26日突然、靖国神社の公式参拝に踏み切りました。アベノミクスの「成功」によって国内で磐石の安定を確立した、国際的にも安倍政権に反発しているのは中国や韓国などほんの2、3の国家にすぎない、アメリカもロシアもアジア諸国もみなアベノミクスを歓迎し、安倍政権にシンパシイを寄せ、世はすべて順調であり、孤立しているのは中国や韓国だ、とするなら靖国神社参拝など大問題になることはない、そろそろアベノミクスに代わる“アベノミリタリズム”を押し出し、“保守派”の集団自衛権も固めて長期政権の展望を打ち立てる絶好のチャンスだ、とでも考えたのでしょうか。しかし安倍はいつものように思い上がり、独善に陥って、完全に状況を、世界の情勢を見間違えたのです。
実際には、秘密保護法の強行に加えての、安倍の“地”を剥き出しにした靖国神社参拝に、国内はもちろんのこと、アメリカやロシアまでもが反発し、強い言葉で非難したことは、安倍の思ってもいなかったことで、たちまち安倍政権は重大な危機に陥ってしまいました。これでアベノミクスの「成果」など株価の上昇以外は大したものはない──そればかりか、むしろマイナスばかりが目立ち始めている──ということにでもなれば──すでにそうなり始めているのですが──、安倍政権が第一次安倍政権と同様の、惨めな野垂れ死にの道をたどるのも時間の問題ということになりかねません、否、それは一つの必然でもあるのです。
このナルシシスト(自己愛病患者)は今の今まで、世界中から支持され、外交や国際関係でも順風満帆だとうぬぼれきっていました。愚かな安倍政権はアベノミクスを世界の諸国が歓迎したのは、日本の金融・財政の超緩和政策が、つまりカネのばらまき政策が、日本の犠牲による世界的な市場の拡大──といっても、見せ掛けの、一時的の──であることを喜んだというだけのこと、大した根拠のあることではないということを知らないのです、本当に歓迎されているのだと勘違いし、うかれるのです。そしてその結果、たちまち愚行に走り──といっても、安倍にとっては一つの必然の政策ですが──、自ら危機を招き寄せてしまったのです。ごく最近までは、世界の寵児であるとうぬぼれていた安倍政権は、自らどんなに世界で孤立した政権であるかということを知らざるをえなくなったのです、ちょうど1930年代、安倍の“先輩株”の天皇制軍部や政府がドイツ、イタリア以外、どんな支持国も持たなくて孤立したのと同様に、です。
安倍政権は「何で同盟国のアメリカまでが批判するのか」と憤まんを吐露していますが、アメリカやロシアがどう反応するかも分かっておらず、現実を直視できないほどにのぼせ上っていて、靖国神社参拝などがアメリカやロシアの利害や立場を侵害し、彼らをいらだたせ、憤激させるということが分かっていなかったのです。いつものように、自分の思い込みに支配され、実際の現実も真実も理解できない、安倍の本質暴露というところです。
アメリカやロシアが反発するのは当然です、というのは、彼らはポツダム体制──第二次世界戦争後の帝国主義的世界秩序──の構築者であり、その体制の受益者であるからで、その「秩序」を事実上否定し、それに挑戦するかの安倍政権を仲間と認めることはできないからです。安倍がいくらアメリカとは「価値観が一致する」と言っても、世界の、日本の戦後の体制を攻撃し、その止揚(「戦後体制からの脱却」云々)を叫び、民主主義、自由主義から国家主義、専制主義に走ろうとする安倍と、オバマらが「価値観が一致している」などいうことはあり得ないのです(ブルジョア立場は一緒だろうといっても、その立場にも色々あろうというものです)。
安倍の一人よがりと独善的思考は、自分は靖国神社を参拝するが、それは中国や韓国の人々を「傷つけるつもりはない」などと言って通用すると思っていることにもはっきりしています。こんな理屈が通用すると、本気で思い込んでいるところにこの男の甘さというか、お坊ちゃん育ちの愚劣さが現われています。この愚鈍な男は、自分が「傷つけるつもりはない」と言うことと、実際に「傷つける」かどうかということは別のことである、という簡単なことさえ分からないのです。安倍に「そのつもり」がなくても、アジア・太平洋戦争で日本によって侵略され、支配され、収奪と奴隷化を強要された人々が、日本国や軍部のやったことはどうでもいいのだ、正義であったなどと言われて「傷つかない」はずがない、ということが分からないのですから、政治家として失格である以前に、人間として失格しているのです。
安倍に少しも劣らない愚かで反動の桜井よし子は、6年余前に崩壊した安倍第一次政権は、安倍の本来の政治、国家主義の政治をはっきり出さなかったから、中途はんぱに留まり、優柔不断だったから崩壊したのだ、と総括して来ました。しかし今回は、“安倍カラー”なるものを出した途端に、安倍に対する国内外の批判と非難の嵐がまき起こり、安倍政権はまたまたピンチに陥りつつあるのです。桜井や安倍本人の「反省」などが単なる一人よがりであり、間違っていたことが明らかになったのです。実際、第一次の時にも、慰安婦問題でアメリカから猛反発を受けたことも、第一次政権の没落の一つのきっかけでした。アメリカは理解してくれ、大目に見てくれる──評価さえもしてくれる──と思い込んでいる独善や愚昧さや甘さや思い込みは少しも「反省」されておらず、かつての第一次政権時代と全く同じなのです、とするなら、この政権の6年余前と同様な崩壊もまた必然だ、と結論するしかありません。
国政選挙が近い将来予想されないのですから、安倍政権は07年の8月のようなみじめな挫折はあり得ない、というのでしょうか。
そうかもしれません、しかしその場合には、国民の支持をたちまち失い、支持率が20%、10%台に転落していくとき、安倍政権が居座り続けるためには、ますます国家主義、愛国主義、排外主義をわめきたて、愛国秘密保護法や愛国教育基本法を盾に、さらにひどい悪政に、強権政治に、憲法を初めとする法律無視の“独裁”政治に走り、国民全体との、労働者や勤労者階級との対立を深めて行くしかありません。今やこうした“危機”が現実のものとして出現しようとしているのです。
安倍政権は秘密保護法の強行や靖国神社参拝などで、その本性をあらわにし、羊の皮を脱ぎ捨てた狼として、労働者、勤労者に襲いかかってきました、そしてアベノミクスという「経済政策」が一つのぺてん、詐欺であり、幻想であることがますます明らかになって来るなら、この政権がますます凶暴で、“危険な”強権政権として立ち現われて来かねないのです。まさに安倍政権に対する、労働者全体の闘いが準備されるべきときがやってきています。戦線を整えて、断固たる反撃に移って行きましょう。
牙を剥きだした“アベノミリタリズム”
労働者の闘いで粉砕しよう!
2013年12月20日
安倍が軍国主義国家建設に向かって突っ走りはじめました。アベノミクスによって経済状況が改善し政権が安定したとうぬぼれ、慢心した結果であり、自分の理想とする国家建設という野心を実現する、千載一遇のチャンス到来というわけです。
当面は、憲法改悪は無理で、時間もかかるとみて、それを先取りした実質上の憲法改悪、つまり現憲法を徹底的に骨抜きにする政策を次々と実行し始めています。議会も民主主義も国民の意思も無視して、強引に秘密保護法を成立させ、さらに矢継ぎ早に安全保障政策も180度転換させる、新しい「防衛政策」を閣議決定するなど、「戦後体制の総決算」に実際的に乗り出してきました。
国防の基本方針に、改悪教育基本法にはあって憲法にはない「愛国心を高揚」すると書かれていることこそ、安倍政治の本質を語って余りあります。つまり彼は第一次安倍政権のときに成立した愛国教育基本法こそが国家の憲法にならなくてはならないと思い、あるいはすでにそうなっていると考えるのです。今後の日本は憲法によってではなく、憲法など歯牙にもかけず成立した、愛国教育基本法や秘密保護法などによって、さらには安倍政権がいくらでも勝手に持ち出す「教育改革」や「憲法解釈」(自衛隊の軍隊としての公認、集団的自衛権の「行使」容認や武器輸出三原則の廃棄等々)や、今回の愛国「防衛大綱」などによって動かそうというのです。そして、国民は憲法など忘れ、棚上げして、安倍政権の勝手に決める法律や「閣議決定」に従え、というのです。まさにすでに“安倍専制”は現実であり、安倍政権は今や国民総奴隷化を実現したヒトラーらナチスや天皇制軍部らのファシズム権力として登場する、というわけです。
安倍は自らの軍国主義国家建設路線を、「国際協調主義」などちらつかせ、「積極的平和主義」などの名で国民をごまかし、偽ろうとしていますが、実際にやっていることは、平和主義、自由主義、民主主義等々の戦後日本の「体制」の根底からの転換であって、その継続ではありません。朝鮮の若い女性を性奴隷におとしめたり、中国の民衆をひどい惨禍に巻き込んだりした、かつての日本の帝国主義蛮行を否定して、いたずらに対立と憎悪をあおり、挑発しておいて、どこに「国際協調」があるというのでしょうか。
愛国主義を国家によって強要すること自体、安倍政権の国民総奴隷化という隠された意図を、専制政治やファシズム体制への志向と野望を、暴露しています。牙を剥きだした“アベノミリタリズム”を粉砕しましょう。
安倍の秘密法案強行のテロを許すな!
今こそ安倍政権打倒のスローガンを高く掲げよ
2013年12月8日
鬼が住むか蛇が住むかの扉を開けた安倍
「成長戦略実行国会」は、安倍の暴政でもって、つまり特定秘密法案の強行採決でもって“有終の美”を飾りました。ファシズム志向の安倍政権の本質暴露以外の何ものでもありません。安倍政権はアベノミクスと名付けた、借金バラまき政策で景気回復を演出し──カネをいくらでもバラまき、公共事業もバンバンやれば、一時の景気上昇を装うのは容易です──、そしてそんなやり方で政権基盤が固まったとばかり、ファシズム的体制実現という野望を剥き出しにしたのです。羊の皮をかぶってソロリと出発したのですが、ころあいはよしとばかり、狼の本性を剥き出しにしたのです。
安倍のやったことはまさにクーデタであり、テロそのものである、と言うしかあません、というのは、不公正、不平等の選挙制度を悪用し、有権者のわずか18%を得ただけの“少数派”政権が、たまたま手にした権力を悪用し、多数の暴力で、国民総奴隷化につながるような悪法を、国民の議論も納得も賛成もないままに強行したらからです。
国会デモのシュプレヒコールが「テロ」だというなら、むしろ国会での安倍政権の暴挙こそ、その百倍、千倍ものテロと言うしかありません。
クーデタ的に、テロ行為として行われ、「悔いを千歳に残す」ような悪法は断じて認めることができませんが、それは前回の安倍政権のときに成立した、「愛国」教育基本法を決して認めることができないのと同様です。まさに特定秘密法案は敗戦の時まで猛威を振るって国民を不幸で無益な戦争に駆り立てた治安維持法に匹敵するような“危険な”法律です。
安倍は狼の本性をあらわにし、民主主義体制を転覆し、専制体制、国民の総奴隷化のファシズム体制を目指す策動を次々と実行に移し始めましたが、しかしそんな政治に移ったことはすでにアベノミクスの“成功”に暗い陰を投げかけてしまいました。安倍はアベノミクスの成功を確かなものにしてから、秘密保護法や「教育改革」や憲法改悪の策動に走るもくろみでした、しかし今やたちまち驕りたかぶり、焦ってか、秘密保護法の強行突破に出てきました。まさに鬼が住むか、蛇が住むかの扉を自ら開いたのです。アベノミクスに対する不信に連動し、たちまちそのマジックも色あせるきっかけになりかねません。まずアベノミクスの成功からという思惑さえ怪しくなり、反対に、秘密保護法の強行により、アベノミクスの神話の崩壊、そして憲法改悪どころか安倍政権の解体につながりかねない危険な扉を、安倍は自ら開いてしまったかもしれないのです。安倍政権の危険で、下品な本性が暴露されてきたこの時こそ、安倍政権粉砕の声を高く上げるべき時です。
本当の「テロ」に走っているのは安倍や石破だ!
秘密保護法を国民の過半の反対も無視し議論もなく強行採決して
2013年12月3日
石破が特別秘密保護法に反対するデモを、スローガンを高らかに高唱するから「テロ行為と変わらない」と断じたことが、現在の政治情勢とも絡んで大きな問題となっています。
スローガンを高唱することが、他人に恐怖を与えるからテロだというなら、秘密保護法反対のデモ以前に、反動的ごくつぶしらの「朝鮮人は殺せ」などと叫び散らす「ヘイトデモ」についてこそ、あるいは薄汚い右翼の騒々しいだけのデモについてこそまず問題にされ、言われるべきなのは余りに明らかなのに、それらは野放しにしておいて、自分達の都合の悪いデモについてだけ言うのですから、要するに、自分たちに都合の悪い叫びは「恐怖」だからテロだ、止めさせよ、と言うだけのことに過ぎません。
特定秘密法案に反対するスローガンは、それを許してはならないと決意している人々には少しも「恐怖」でないばかりか、力強い励ましであることを石破は知らないのです。
そもそも安倍や石破といった、勝手に、自分の利益や権力のために何がテロであり、秘密であるかを決めるような連中が、危険な法案を強行しようとすることこそ「恐怖」そのものであり、たまたま政権を手にしたのをいいことに驕り高ぶって悪法を次々と成立させようとすることこそ、恐るべき「テロ」と言って言い過ぎではありません。
石破は「本来のあるべき民主主義の手法」などについておしゃべりし、民主主義なら大声で叫ぶことではなく、他の人々を説得することだと言いますが、国民がますます反対を強めている時に、「国民の支援の輪を広げる」ことなどどこへやら、ただ成立だけを自己目的にしているのを見れば、民主主義について何も分かっておらず、真剣に考えたこともないのは明らかです。
石破は「一部撤回した」などとうそぶいていますが、あれは「撤回」ではなく、厚顔無恥の「開き直り」でしかありません。
秘密法案を、たまたま獲得された多数による暴力によって、まさにクーデター式に大急ぎで成立させることをこそテロと呼ぶべきなのです。国民の過半が反対しており、賛成者は圧倒的に少ない法案を強権で成立させるのが「テロ」でないとするなら、一体どこに「テロ」があるというのでしょうか。
そして特徴的な事実ですが、秘密法案は12条でテロについて規定し、「政治上その他の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要する」こともテロだといった文章をこっそりと忍び込ませているのです、ただこのことだけでも、秘密法案はファッショ法案であり、断固として粉砕されなくてはならないのです。石破の発言は、安倍政権のファシズム志向の政治的本性を暴露したものであって、決して偶然のものではありません。
今こそ安倍政権打倒の旗を高く掲げましょう!
首相が『第三者』だって?
秘密保護法成立を急ぐ安倍政権
2013年11月24日
秘密保護法案なるものが大急ぎで成立させられようとしています。アベノミクスの陰に隠れながら、安倍が虎視眈々と進めている「戦後政治の総決算」に向けての取り組みのひとつであり、教育の権力支配と共に、労働者の重大な政治課題として登場してきました。
彼らは、国家にはその存立維持のために守らなければならない秘密があるというのですが、それはその国家が階級社会であり、抑圧と支配の国家であるということを物語っています。しかもその「秘密」をより強固に「保護」しなければならないということは、自分たちの支配がこれまでのようなやり方では誤魔化せなくなってきているということの現われでもあります。“平和主義”や“民主主義”といった戦後日本の清算を企てる安倍は「秘密」を愛好し、自らの政治を少しでも労働者・国民の目から隠そうとたくらむのです。
法案では、秘密の範囲は外交や防衛などの4分野に限るというのですが、この4分野に「その他の重要な情報」というものを盛り込み、しかも秘密の指定はすべての行政機関の長が行なうというのですから、制限などあってないも同然です。政府の都合の良いように秘密事項を決めようというのです。しかし悪法は、いったん成立すれば、権力が好き勝手に拡大解釈して悪用するのは、日の丸・君が代法や改悪教育基本法を見れば明らかです。
しかも、こうした安倍政権の策動に対して、みんなの党や維新の会は修正協議に名を借りた茶番劇を繰り広げています。秘密の範囲で謳われている「その他」を「国民の生命及び身体の保護に関する」という言葉に修正させたと自慢げに言うのですが、こんなものはどのようにも解釈が可能なのであり、「秘密」についてのなんの限定にもならないことは明らかです。また、指定の期間を原則30年としていたものを、60年に引き延ばすなど、原案よりもいっそう悪いものに修正しているのです。
更に悪質なのは、「第三者」機関による検証を求めるとしながら、その第三者が首相だというのですから、労働者、国民をばかにするにも程があるというものです。これでは泥棒の取り締まりを泥棒の親方に任せるのと同じで、首相の権限ばかり強くなり、安倍の専制がまかり通ることになるだけです。安倍政権の大臣たちがいくらかでも恣意的に、政権の都合や利益やメンツ等々のために「秘密」事項をでっち上げるのを、その大臣を指名した首相がどうしてチェックできるなどと言えるのでしょうか。より一層厚いヴェールで覆い隠すことになるだけです。
安倍は反動的な本性を表面化させてきています。労働者は断固として反撃して行かなければなりません。
いま教科書検定基準問題でなすべきこと
安倍の偽りの“歴史認識”を許さない確認をせよ
2013年11月16日
文科省が教科書検定基準の「見直し」をすると言い始めました。まず政府見解に反するような記述は認めず、さらに「通説的な見解」がない場合は、「特定の見解」だけを強調せず、「バランスのある記述」をさせる、と言うものだそうです。
まさに事実と歴史を歪曲し、偽造した最悪の“歴史認識”──1945年の敗戦まで、天皇制軍部がもってまわり、無益で反動的な戦争に国民を動員したような、いつわりの“歴史認識”──を押しつけようとする“ファシズム的”試みであって、労働者は権力を悪用した、そんな策動を決して許してはなりません。
これまで安倍等は、さんざん自分たちの“歴史認識”をふりまき、政府の“歴史認識”も憲法も歯牙にもかけず、横暴に、勝手気ままに反対して来たというのに、今や権力を握ったのをいいことに、自分たちの見解にこそ従え、反対は許さない、というのです。まるで専制君主であり、ヒトラーです。
「通説的な見解」がないとは、例えば南京事件や朝鮮人女性を日本軍の“性的奴隷”として動員したことが事実でないと、安倍の仲間のやくざインテリたちが言いはやしていることですが、そんなまじめに取り上げる価値もないたわ言を尊重せよ、配慮せよなどと言うなら、言う安倍の方がアホだということです。
日本が朝鮮を植民地化し、あるいは中国をも支配下に置こうと帝国主義的な侵略を拡大したことはすでに「確定された」歴史的真実であって、それが「確定されていない」などというばかげた、ひとりよがりの見解が、世界中で受け入れられるはずもありません。
「バランスよく記述」するなどと言いますが、まさにその反対に徹底して「バランス」も良識もない教科書にしようというのです。自分たちの“歴史認識”が虚偽の認識であって、少しも「バランス」が取れていないのを知らないだけのことです。
「自虐史観」を許さない、日本の歴史は正義と道徳の見本のような歴史ばかりだなどと言った、事実と反する教育などやるなら、まちがいなく日本はろくでもない国家になるしかありません、というのは、そんなことは、日本ばかりでなく、世界中のどんな国をとっても真実ではないし、あり得ないからです。安倍政権はまるで愚劣最悪であって、再び日本を暗黒国家に導こうとしていると言うしかありません。まさに自ら「偏向教科書」を国民に押しつけながら、「偏向教科書」を許さないなどと言う安倍政権は、本当にろくでなし政権であり、カス政権です。
もし検定基準を見直すというなら、安倍のような虚偽の“歴史認識”は決して許さないという基準にすべきであって、真実と事実に基づく“歴史認識”を抑圧する検定にしていいはずもありません。そんな途方もないことが続けば、日本は間違いなく世界中からの嫌われものの国家になるしかないのです、ちょうど1930年代の日本がそうであったように、です。実際最近、中国はもちろん、朴の韓国でもオバマのアメリカでも、そしてまさに世界中で、品のない安倍政権への嫌悪や反感や憎しみの感情さえますます大きくなっています。
安倍一派の下品で恥ずべき“歴史認識”を教科書に載せるようにするといった、教科書検定基準見直しの策動を粉砕し、さらに進んで、国民を間違った道に迷い込ませ、災厄と禍のもととなる安倍政権打倒の声を、今こそ高く高くあげましょう
安倍政権の本性が街頭に出たもの
ヘイトスピーチと安倍政権
2013年11月11日
全国でヘイトスピーチなる、“反社会的”で醜悪な運動が荒れ狂い、公然と巷を闊歩していますが、こうした“運動”なるものが、安倍政権が成立した昨年の暮れから今年にかけて一番激しかったのは決して偶然ではありません。
在日朝鮮人を、あるいは特定の民族を敵視し、「殺せ」などと絶叫する“運動”はまさに資本主義のありとあらゆる腐敗と汚物とカスから必然的に生まれてくるのですが、それはまた、安倍政権の本性が、もっとも醜悪な形で街頭に飛び出してきたものでもあるのです。
彼らが、在日朝鮮人の「特権を許さない」などとわめいているのは特徴的です。外国や特定の民族、とりわけ帝国主義的蛮行に明け暮れていた日本の過去の歴史とその責任を追及する韓国を激しく憎み、攻撃するのですが、それはまさに自分たちのコンプレックスや疎外やみじめな日々や空虚な現実に対する、ブルジョアやプチブルの一部の、そしてその若者たちの、絶望と憤怒の表現であり、また的外れなうっぷん晴らしなのです。そしてこんなものがはびこり、まかり通る条件を作り出し、煽っているのが安倍政権です。
安倍は口先では「日本がかつてアジア諸国に対して侵略と植民地支配を行った歴史を内閣が否認したことはない」(10月22日参院での答弁)と言いますが、これは橋下の従軍慰安婦をめぐる発言に対する国内外からの強い批判を見て、表面上の軌道修正を図ってきたものにほかなりません。実際には、韓国が安倍政権をはじめとする日本の権力者たちの歴史認識を問題にしていること(特に米国などで韓国支持を求めていること)を苦々しく思っているのです。
最近でも、朴大統領が4日の英BBC放送のインタビューに「日本の一部の指導者は謝罪する気もなく、元(従軍)慰安婦を侮辱し続けている。(安倍首相と)会談しない方がましだ」と答えたのに対し、「政府内では、東アジア外交の立て直しに当たり、『日韓関係を棚上げして、日中関係を優先すべきだ』(首相周辺)との声も上がり始めた」と6日付の読売新聞は伝えています。
安倍政権は日本帝国主義を否定し、植民地支配の歴史的責任を追及する韓国の要求を拒み、韓国民に対する偏見と憎悪の種をまき、愛国心と“大和民族”主義を鼓吹し、煽りたてることで、ヘイトスピーチを鼓舞しているのです。もし本当に、植民地支配について反省をしているというのなら、ヘイトスピーチを行うような悪質な「反社会的勢力」をなぜ、のうのうとのさばらしておくのでしょうか。彼らを野放しにしていること自体、安倍政権の本質を暴露しているのです
またもやインチキ政治
温暖化ガス削減、基準を勝手に変更
2013年11月2日
安倍政権は何にでも幻想を振りまけば振りまくだけ、支持率が上がると勘違いしているらしく、今度は、地球温暖化阻止のための「現実路線」を明らかにするとして、2020年までの温暖化ガスの05年比の削減率を3・8%にすると謳い始めました。
3・8%減らすというのですが、しかしこれまでのような90年比の基準だと3%増になるというのですから、まるで詐欺のような話です。
これまでの基準では達成できないから、基準を変えて、何か温暖化ガス削減の国際的な義務を果たしたかに装うというのです。基準を勝手に変えれば、温暖化ガスの増大も減少にみせかけられると言うも同然です。
そして新しい基準だと、日本は1億トンの温暖化ガス排出量を増やせる、と悦に入っているのですから、日本のブルジョアたち、安倍政権といった連中は本当にはれんちで、救いようがありません。
安倍政権はこんな温暖化防止への見せかけの取り組みを、「経済成長と両立」させる、画期的で、“現実的な”やり方だと自画自賛しています。日本の京都で議論され、約束された温暖化ガスの達成の義務を日本はすでに拒否し、捨て去っています。そしてそんな立場にありながら、今度は京都議定書とは別個の基準についておしゃべりを始めるのです、まるでそんな厚かましいことを堂々と言える資格があるかに、です。
まさに典型的な安倍政治と言うしかありません。何か調子はよく、行け行けドンドンといった感じですが、派手に次々と景気のいい話が続くが、言うことが軽薄で、内容はインチキなことばかりです。
原発も原則としてできるだけ動かし、外国への原発の輸出もどんどんする方向に舵を切りましたが、原発事故の後始末もできず、またその真剣な総括も反省も、また原発の廃棄まで含めた今後の展望も費用も、何もかもあいまいで、未解決のまま、原発など動かしていいはずもありません。少なくとも、安倍政権も、また東電なども、その資格を持っていないことだけは確かです。
破廉恥政権の打倒を断固訴えましょう。
怪しげな法案 目白押し
臨時国会始まる
2013年10月18日
安倍政権はアベノミクスの陰に隠れて、自ら執心する課題――「戦後体制の総決算」、つまり戦後の“平和主義的、民主主義的”日本の清算――に向けて着々と、一歩一歩、慎重に――つまり陰険に――前進し、またそれをこそこそと準備しつつあります。
開催された臨時国会においても、秘密保護法案や国家安全保障会議の創設や自衛隊法改正等々、怪しげな雰囲気の法案が目白押しで、たまたま手中にした絶対多数を悪用して、そんなものを強行しようと虎視眈々と狙っています。
天皇制の悪質でいやらしい政治利用も、ますますこれ見よがしの、露骨なものとなっています。
あたかも、あれこれの外堀を埋めて、気がついたら労働者が身動きできなくされていたという状況を、またまた作り上げようと策動しているかです。
国会内の議論にも注目し、安倍政権の反動的で下劣な本性を、そしてまた諸政党や政治家どもの腐敗ぶり、頽廃ぶりも徹底的に暴露して闘っていく必要があります。
現代ブルジョア社会の矛盾と危機を暴露
アメリカ国家の債務上限問題
2013年10月13日
アメリカ国家の債務上限問題がまたまた現実的な問題として浮上しました。アメリカでは、国の債務上限と言うものが決まっており、それ以上は借金が出来ないようになっているのです。そして今や、政府の債務はすでにその上限に達しており、国家の必要な支出さえ怪しくなり、リーマンショック後の財政膨張の結果いわば破産状態に陥ってしまっているのです。
緊急に債務上限を引き上げる必要が――あるいは日本のように、債務の制約を一掃する必要が――あるのですが、もちろん問題は上限を引き上げれば済む、といった問題ではありません。
また日本が債務に制限がないなどということはなく、日本の財政法は「健全財政」の遵守を義務づけているのですから、政府や自民党のやっていることは根底的には法律違反であることは明白です。
ブルジョア国家が債務に上限を付けるなど、国家の債務を抑制し、規制しようとするのは、ブルジョア国家においてさえ、とめどもない国家債務の膨張が、国家や、さらには経済社会全体の破綻や解体の契機になりかねず、極めて危険であることを自覚するからですが、しかし政府や議員たちは財政膨張への誘惑から自由であることが出来ないのです。
アメリカ国家のこの危機は、日本の、そして世界中の国家にとっても重大な問題です。というのは、今や世界中の多くの国家が国家債務の重圧にあえいでおり、いつ破産してもおかしくないような国家が――その先頭に日本が立っているといって、決して言いすぎではありませんが――いくらでもあり、またアメリカ国家の破産――アメリカ国家のデフォルト!――はギリシャなどの破産とは全く違った意味と影響力を世界に対して持っているからです。
アメリカ国家の危機は、債務上限の存在のために、他の諸国に先んじて顕在化したからですが、この危機そのものは、アメリカ国家の債務上限規制があろうとなかろうと現実的であり、実在的です。もしアメリカの国家破産が現実のものとなるなら、アベノミクス幻想などたちまちふっ飛んでしまうでしょう。
アメリカ国家の危機は、隠され、引き延ばされてきた、現代ブルジョア社会と経済の深い、調和し得ない矛盾と危機を暴露しています。世界的な規模での、労働者の闘いの時代が開けようとしています。
お主も悪よなぁ。安倍晋三よ
消費増税検討を装い、大企業減税を強行
2013年10月7日
安倍が3%、8兆円もの消費増税を、つまり追加の国民大収奪を「決断」しました。
自分の手柄であるかに演出しましたが、しかし、そもそも消費増税など国民の新しい大負担なのですから、自分の「決断」や「熟慮の結果」──どんな熟慮やら──だなどと誇れることではないし、また、消費増税は昨年の三党合意の結果、まさに「法律的には」すでに決まっていたことであって、安倍の「決断」によるものではありません。
安倍が「決断」したのは、まず三党合意にあった、「消費増税を実際にするかどうかは『景気回復が本物』であることが確認されるなら」という保留条項を簡単に踏みにじったことであり、さらに消費増税は「全額社会保障に用いる」という大前提までも、事実上ほごにしてしまったことです。
そしてさらに安倍の「決断」したことは、消費増税が消費需要を萎縮させ、「景気の腰折れ」をもたらすかも知れないというへりくつをこねて、何と5兆円ものバラまき──法人減税を柱とするような──や、復興支援の特別増税の内、法人が負担する事になっていた分を9000億円まけてやって、終わりにしてしまったことです。復興支援の特別税は、国民全体が負担するという謳文句で導入され、所得税などの負担は今後も20年以上もまだ続くというのに、です。
安倍は3%の消費増税は社会保障に「全額回す」し、また景気のために新しく支出する5兆円は借金に依存しないのだから、何のおかしなところ、批判され、非難されるところはない、すべて完璧で合理的な政策だと言わんばかりですが、その根底においてつじつまが合っておらず、品のない、悪辣無比の政治でしかありません。
まず5兆円の使い方自身が許されるものではありません。
5兆円は前年度の財政の余剰や、租税が予想以上に増える分や、国債費の不用分だとか言っています、要するにたまたま財政に余裕ができたからバラまくというのです。
しかしそうだとするなら、消費増税をする代わりに、その剰余金を社会保障にまわせば、少なくとも来年の消費増税は再来年まで延期することはできるはずです。
とするなら、安倍は8兆円は全額社会保障のために使いますと言いながら、実際には、バラまきや法人減税のために使っていると同然です、というのは、消費増税がなければ、安倍がバラまきに使った5兆円を、社会保障のために回すことになっただろうからです、あるいは当然、それを回すべきものだからです(もちろん、そうした余裕がでるなら、財政再建のために利用してもいいのですが)。
まるで安倍のやっていることは本末転倒です。消費増税によって5兆円をバラまきに気楽に使う余裕ができたから、それをバラまけばいいということであって、しかもこの余裕は結局は自分が黒田らとともに「異次元の」金融緩和策をやった結果なのだから、「どう使おうと自分の勝手だ」(朝日新聞10月2日)とうそぶいているというのですから、この男のばかさかげんや思い上がりには限度がないと言うしかありません。
そんな5兆円があるなら、一体何のための消費増税でしょうか。それを社会保障に回すなり、また安倍政権もかかげている、財政再建のために、つまり借金返済のために使えばいいのであって、消費増税は――少なくとも来年の3%増税は必要ないし、なしで済ませることができるのは明らかです――再来年に5%いっぺんにやってもどうということはないのです。
しかも景気回復が少しも「本物」と言えない、この時に──彼ら自身が本気かどうかわかりませんが、とにかく「景気の腰折れ」の心配があると大騒ぎしている時に──、です。
そもそも、まるで戦時中の「大本営発表」と同じような、数字のごまかしや勝手な言い回しや、事実をいつわったりした――敗けいくさや撤退を「転戦」と言い変えて見たり、敗北を大勝利とごまかしたりした――のと似たりよったりで、政府の統計によってさえ、製造業の設備投資は10%近くもマイナスのままですし、労働者の賃金は少しも増えていないばかりか、個々の労働者の平均の賃金は──したがって支出も──どんどん減っているのです(正規の労働者はもちろんですが、低賃金の非正規労働者が増え続けているために)。 安倍政権自身が、賃金が上昇しなければ本物の景気回復とは言えない、経済の好ましい循環が回復し、デフレを克服したとはいえない、今の物価上昇は「良い物価上昇ではなく」──もちろん労働者は「良い物価上昇」などというものを知らないのですが──、「悪い物価上昇」だと言う始末です。
こんな状態で、どうして「本物の景気回復」と言えるでしょうか。株価ばかりが上昇し、また金持ちたちの消費が増え、高級品が売れ始めたからといって、そんなものは「本物の景気回復」とは別です。むしろカネをばらまいた結果のバブルであり、その危険な兆候だと言った方がはるかに正しいかもしれないのです。
安倍が本気で消費増税の影響を心配して、「熟慮」し、その結果、消費増税を「決断」したと言いますが、いやらしい計算づくの小賢(こざか)しさというところです。彼は消費増税などなくても、金融緩和やバラまきで景気回復がやってきて「成長路線」に経済が乗ればすべてうまくいくといった、いわゆる浅薄軽薄な「上げ潮路線」に近い考えの持ち主です、しかし自民党を見れば、消費増税をしたくてたまらない連中ばかりがいることをよく知っています。だから安倍が消費増税の実行で動揺することは最初からなかったのです、しかし彼はぬけぬけと自分がいかにも消費増税で迷っているかを演出しながら、結局は自らの一番やりたかったこと、つまり大企業のための減税路線──これも上げ潮路線の考えの重要な一環なのですが──を「どさくさに紛れて」強行したのです。安倍政権の基盤を固めるため、ブルジョア陣営の支持を強固にして長期政権につなげるために、です。
その結果、当面は安倍の思惑通りにうまく行ったというわけです。
転んでも(?)ただで起きんとは、安倍晋三よ、お前もけっこう悪(わる)よの~。
しかし安倍は、そんな小手先の悪知恵は労働者、勤労者には決して通用しないで、その怒りをますます増幅するだけだということを、とくと心得ておくべきです。
「先送り」政治は一掃されず
ブルジョアには負担減、労働者には重い税負担
2013年10月4日
安倍は消費増税を自分が「決断」したかに演出しましたが、「法律通り」というなら、すでに昨年の三党合意、野田政権のヘゲモニーで決まっていたことに過ぎません。それはともかく、ブルジョア世論、反動世論は勝ち誇って、消費増税の決定的で重要な政治の実現であると褒め称え、持ち上げています。代表的なものを一つ紹介しておきます。
産経新聞は安倍の「決断」の翌日の2日、「痛み後回しからの決別へ一歩」と題して次のように論じました。
「17年続いた『先送り』にようやく終止符が打たれることになった。安倍首相による消費税増税の決断は、痛みの伴う改革を絶えず後回しにしてきた従来の政治や経済と決別する第一歩である。
増税前にやるべきことはたくさんあるという声は多かった。歳出削減は不十分で、社会保障制度改革も踏み込めていない。何よりも、増税で景気が大幅に悪化すれば、緒に就いたデフレからの脱却も頓挫する。
それでも増税を決断したのである。これは、日本の将来を考える上で前進だと私は考える」。
消費税増税こそが日本を救うものだが、それが17年も先送りされてきたのが問題だというのだが、冗談もほどほどにして欲しい。「痛みを感じる改革」が必要だと言うが、労働者たちには「痛みを感じる」ものだが、資本の勢力に少しも「痛みを感じる」改革ではないのだから――むしろその反対のものだ――、彼らの言っていることは本当に厚かましい、卑しいものでしかありません。
消費税増税を8兆円もして、そのうちの5兆円にもあたるカネをバラまくなら、「先送り」の一掃どころか、露骨に、これまでのブルジョアや自民党の政治そのものであって、この課題は何も解決されていないと言うことです。
ブルジョアには負担減、労働者には重い税負担ということが実行に移されたということ以外ではありません。ブルジョアや反動は、安倍政権の下、ますます公然と労働者に敵対し、労働者をますます収奪し、苦しめる政治に邁進しています。広汎な労働者に、断固たる反撃を呼びかけていくべきときです。
国民教育の否定
地方首長に教育委員会の権限を移行
2013年9月27日
安倍政権の意を受けて、中央教育審議会が、教育委員会の権限を、地方首長に移行する案を、「国民の期待に応える最も抜本的な改革案」だなどと手前味噌の評価をしながらまとめています。
そんなものを出発点に安倍政権の「教育改革」をやって行こうということですが、その「心」は石原とか橋下とかの反動首長がすでに実行してきたこと、今もしていること、つまり反動派による教育支配をさらに“合法化”させ(合法の衣をかぶせ)、徹底させ、全国的なものとして行こうという策動でしかありません。
石原や橋下らは、学校現場での日の丸・君が代の強制を自らの独断と権限でやってきましたが、しかしたかが地方自治体の首長が──しかも国家主義や権力主義にこり固まった、偏頗な人間が──、そんなことをしていいはずもないのです。教育を俗物の地方自治体の首長が勝手に牛耳り、左右するなどということになれば、国民教育(我々はこれを取りあえず、ブルジョア民主教育と規定し、理解しますが)が混乱し、その基本的な性格や内容も失われ、事実上解体して行きかねないのです。東京だけの教育、大阪だけの教育、などというものを、石原や猪瀬や橋下らに許してはならないのです。
国民教育はそれを国民教育たらしめる、最低の原則や内容などがあるのであって、地方自治体の首長がそんなものを否定して、自らの勝手にするということは、まさに国民教育を否定し、反動的で偏狭な国家主義的、“愛国主義的な”教育や宗教的な(観念的、精神主義的な)教育に移っていくことです。
最近も、静岡県の川勝知事は、全国学力テストで小学生の国語Aの点数が全国で最低だったことに「ショックを受けた」と、下位校100(507校のうち)の校長名を「教員の責任の所在を明確にするため」に公表しようとしましたが、批判が強いとみるや、平均以上の86校の校長の名前を公表しました。教育に対する教委の権限が首長に移り、集中されれば、川勝のやったようなことは、今後大手を振ってまかり通り、全国で流行するというわけです。
というのは、地方首長は自らの責任を校長や教員に転嫁するために、こんなことをしたくて常にうずうずしているからです。実際、もし静岡の教育のレベルが低いというなら、それにまず責任を負うのは川勝であって、現場の教員らでないのは余りに明らかです。というのは県の教育行政や教育環境の全体に――教育の基本的な内容や性格についてではありません――最も配慮し、責任を負うべきは──負うことのできるのは──知事であって、知事をおいて他に誰がいるというのでしょうか。川勝はもし静岡の教育がうまく行っていないというなら、現場の教員や校長の責任を云々する以前に、自分自身の責任を自覚すべきなのですが、こうした下劣な首長たちは、自らの責務を自覚し、反省するどころか、校長や教師が悪い、努力が足りないといった発想法しか知らないのです。
そして中教審の──安倍政権の──目指すものは、こうしたえげつない知事らが自らの権力のために教育を支配し、好き勝手に引き回し、ごちゃごちゃにするのを助長するだけ、石原とか猪瀬とか橋下とか川勝といったろくでもない首長たちがでしゃばり、いばりくさって教育内容や基本的な性格にまで権力主義的に介入することに大きく道を開くだけなのです。
安倍政権の反動政治がくだらなく、ナンセンスであるだけでなく、どんなに反動的で有害であるかが、教育政策においても、つまり安倍の言う「教育改革」においても余りにはっきりしてきています
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