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【2015,12.25】
ケインズ主義、リフレ派の安倍政治にますます接近――「反緊縮」を掲げるポルトガル共産党を賛美する日本共産党
【2015,12.18】
ブルジョア経済の不安定と激動の時代の幕開け――米国の金融緩和政策中止がもたらすもの
【2015,12.16】
石油価格の下落は「善」か「悪」か――安倍、黒田のインフレ政策の破綻は明らか
【2015,12.11】
傲慢な安倍政権にブルジョアからも不満高まる――しかし彼らも“後は野となれ山となれ”の同じ穴のむじな
【2015,12.5】
自らの公約の総括すら出来ず――次から次へとデマ公約を振りまくだけの安倍政権
【2015,11.28】
テロをいかに克服するか――ブルジョア帝国主義に排跪する共産党
【2015,11.21】
実質ではなく名目のGDP600兆円に何の意味がある――統計操作とインフレ期待で数字を膨らませるペテン政治
【2015,11.14】
コメの生産体制の維持を掲げて自由化と言えるのか――参院選挙目当ての安倍の農業保護政策
【2015,11.7】
帝国主義国家どおしのキナ臭い動き――米国が南沙諸島への軍事的示威行動を開始
【2015,11.4】
日中韓首脳会議――単なる呉越同舟――隠されているものと彼らの思惑
【2015,10.30】
自公の議席は減らず、何の打撃にもなっていない――宮城県議選での共産党の“躍進”は民主・社民からの共食い
【2015,10.24】
一方で物価引上げ、他方で引下げを要求――その場限りのご都合主義=安倍の経済政策
【2015,10.19】
マスコミ・リベラルと共産党の醜悪な接近と協調――「一点突破(安保法廃棄)」の野党連合政権という迷妄と愚策
【2015,10.15】
世界への恥さらし――安倍一派のユネスコへの“抗議”
【2015,10.9】
言葉だけが踊る「1億総活躍」内閣――デマゴギーと空文句の第三次安倍内閣発足
【2015,10.4】
「安保法廃止」だけが現在の政治課題か――労働者の階級的な闘いを歪め、敵対する共産党
【2015,9.26】
アベノミクスの破綻を隠すための更なる大法螺――2匹目のドジョウを狙うが、安倍政治の瓦解進行
【2015,9.19】
安保法成立、日本はますます軍国主義の国家へ――無力さ暴露された共産党や民主党、そして市民主義者(9条の会)らプチブル派の闘い
【2015,9.13】
語るに落ちた、おめでたい「保守反動」――学生だけでなく労働者の闘いも必然であることを知らしめよう
【2015,9.4】
軍事大国を誇示する中国・習政権――対抗のため日米同盟にすがる安倍政権ーー日本の労働者は世界の社会主義運動の先頭に立って闘おう!
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ケインズ主義、リフレ派の安倍政治にますます接近
「反緊縮」を掲げるポルトガル共産党を賛美する日本共産党

2015年12月25日

志位はますます国民連合政府といった、観念的ドグマに執着し、自ら墓穴を掘り、広げている感じですが、赤旗は、ポルトガルに「左派政権」が誕生し、「反緊縮政策」に走る、その「左派政権」の一翼をポルトガル共産党が担い、「閣外協力」で支えると報道しています。
 ポルトガル共産党は、「この間の緊縮政策は数百万のポルトガル人の生活を破壊した」と主張していますが、財政金融の膨張政策もまた、物価上昇やバブルや、それに続く経済の停滞や衰退によって何百万の労働者、勤労者の生活を追い詰め、破壊するのです。
 我々はポルトガルの政治的経験を、国民連合政府の提案との関係において、今後注意深く見守っていく必要があります。
 まず言えることは、「閣外協力」の共産党は自らの役割が、反緊縮政策に舵を切ったという社会党内閣に対して、「反緊縮政策が生ぬるい」といった立場から批判し、圧力をかけることにあると考えていることです。そのことは、社会党内閣が「反緊縮」を謳いながらも、EUが課している、単年度財政赤字をGDPの3%以内にするという「財政ルール」を曲がりなりにも順守しようとしているのに対し、ポルトガル共産党はそれに反対し、異議を唱えたことからもうかがい知ることができます。そしてもちろん日本の共産党も、ポルトガル共産党のこうした政治的立場に満腔の賛意を表明しています。
 社会党中心の内閣に事実上参加すること自体問題ですが、その立場は「反緊縮」であり、しかも社会党の「反緊縮」が中途半端で、徹底していないという立場から批判するということは、さらに問題です。共産党の政治が、ケインズ主義やリフレ派経済学を信奉するブルジョア派、とりわけ反動的な安倍一派の政治や政策に接近し、一致していくことを意味します。
 現代資本主義の深化していく矛盾や大きな困難に対して、「反緊縮」の立場から闘うことができると考え、そんな路線――財政、信用の拡大主義、膨張主義――に走るとするなら、頽廃して、ケインズ主義に逃れるしかない現代ブルジョアたちと、共産党の間にはどんな実践的、イデオロギー的な違いも存在しないし、しなくなって、闘争どころか、ずぶずぶの同盟、融合関係に移行し、転落して行くのは一つの必然です。“スターリン主義共産党”の堕落頽廃は、今も世界中において容赦なく「進行中」であり、とどまるところを知りません。


ブルジョア経済の不安定と激動の時代の幕開け
米国の金融緩和政策中止がもたらすもの

2015年12月18日

米国がようやくゼロ金利政策を止めました。量的緩和はすでに止めているので、「異例の」金融緩和の時代が終わったということです。
 10年ほど前には数%であった“政策”金利は、金融恐慌の勃発に驚きあわてて、量的緩和と共に、金利もゼロにまで引き下げて7年半、ようやく引き上げに転換したというのですが、「おっかなびっくり」のへっぴり腰で、今後引き続いて引き上げていくのか、行くことが出来るのかは確かではありません。
 ヨーロッパも日本もいまだ“異次元の”金融緩和にどっぷりひたっている現状のなかで、米国だけが逆方向に走り始めたということは、ブルジョア世界の全体に大きな“不安定状況“をもたらす可能性があり、世界的な経済的な激動の扉を開いたのかもしれません。
 日本について言えば、米国にならって金融緩和からの転換を進めるのか、それとも今の政策を続けるのか、“難しい”選択を迫られることになります。
 そして世界の中心的なブルジョア国家がそろって金融緊縮に移っていくなら、そして膨張しきった信用関係を縮小しようとするなら、新しい金融恐慌をもたらさないという保障は何もありません、というのは、世界は今ではカネをばらまくことによってのみ辛うじて内在的な矛盾を糊塗し、その爆発を抑え、先送りしてきたといえるからです。
 これまでの金融恐慌の勃発に対して、経済学者たちは、間違った緊縮政策のためだ、金融政策を誤ったからだ、早まったのだ、むしろ金融緩和こそが経済的好転や繁栄のための最良の政策であり、万能薬であるかに言いはやしてきました。いずれにせよ、米国の金融緩和政策の中止は、ブルジョア経済の安定ではなく、不安定と激動の時代の幕を開けたものであるということを、我々は確認しなくてはならないのではないでしょうか。


石油価格の下落は「善」か「悪」か
安倍、黒田のインフレ政策の破綻は明らか

2015年12月16日

安倍政権とブルジョアたちは、石油価格の下落を喜んでいいのか、ガッカリしたらいいのかで困惑し、その評価を定めることができないでいます。
 今また原油価格が下げ幅を速めているのに対しても、貿易収支の黒字化をもたらしている、企業のコスト減となり、企業経営にプラスだと“素直に”評価するブルジョアや、もったいぶってGDPをいくらか押し上げていると語るインテリや「エコノミスト」――日経新聞(12月9日)で、牧野潤一は、「昨年9月から今夏までの資源安は、世界のGDPを0・13%押し上げる」と語っています――がいる一方、黒田はこの2年半の間に、公約した2%のインフレが達成されなかった口実として石油価格が暴落したことを持ち出しました。
 彼にとっては、石油価格は物価引き上げの努力を無にし、したがってデフレ脱却を失敗させ、あるいは遅延させた張本人であり、悪者ということになりますが、それが正当な観念であると誰か思うでしょうか。
 黒田自身も原油価格下落が日本経済にとって「干天の慈雨」であることを一概に否定できるはずもないのですから、はからずも原油価格の動きは、安倍や黒田の、ケインズ派やリフレ派のごくつぶし学者らの、「物価下落は『悪』であり、デフレである」といった、えせ“経済学”の破産を暴露してしまったといえます。
 労働者にとって、インフレなどいいことはほとんどありません。労働者の一般的な利益は物価が低落して行くことであり、そしてそのために生活水準が向上していくことであって、人為的に物価を引き上げるなど何の意味も――もちろん利益も――ありません。
 つまり現実の経済過程そのものが、安倍や黒田の“経済政策”の虚偽と空虚とナンセンスを明らかにしてきたし、これからもさらに一層、さらに決定的に明らかにしていくでしょう。


傲慢な安倍政権にブルジョアからも不満高まる
しかし彼らも“後は野となれ山となれ”の同じ穴のむじな

2015年12月11日

ブルジョアの中で、日本は中国と大差のない、「国家資本主義」ではないかという声が上がっています。
 「官民協調といえば聞こえは良いが、これでは日本は『国家資本主義』である。賃上げだけかと思えば、設備投資の積み上げまで求められる。なかには値下げを要求されたところもある。企業経営の根幹を政府に握られたようなものだ、経団連の榊原会長は設備投資を3年間で10兆円増やし、来年は今年を上回る賃上げを期待すると表明した。安倍政権の強い要求に抗しきれなかった。これを受けて、政府は法人減税を打ち出した。政府の『強制』による官民協調は、戦前の大政翼賛会や産業報国会を思わせる」(日経新聞、7日、大機小機)。
 「大機小機」欄の“無垢”氏はこんなふうに憤慨し、安倍政権を「筋違い」と批判し、安倍に企業の具体的なことが分かるのか、経営の責任を取れるのかとくってかかり、経団連も石坂や土光ならむしろ「政府の要請を断り、政府のやるべきことは何かを諭しただろう」と嘆いています。
 余りに傲慢で、独りよがりで、調子に乗りすぎている安倍政権に対する、ブルジョアたちの不満や危惧や批判的意識は高まっており、アベノミクスが空っぽで実際何もないことも分かってきています。アベノミクスが馬脚をあらわし、日本資本主義にバブルやインフレや金融や財政の破綻をもたらすなら、かえって“体制的な”危機や政治的危機をもたらし、激化することが明らかになってくるなら、安倍政権は頼みの綱のブルジョアたちからも見捨てられる運命にあります。
 しかしこの賢そうなブルジョア氏の結論は、彼等が安倍政権をとやかく言えたものではないこと、安倍らと同類であり、同レベルであることを暴露するだけですが。
 「まずは抜本的な税制改革だ。高すぎる法人税と低すぎる消費税といういびつな税制が、失われた時代を長引かせた」。
 彼はこんな風に安倍が何をやるべきかを「諭す」のですが、それはまず「低すぎる」消費税と「高すぎる」法人税のアンバランスの是正だというのですから、安倍らと同じ穴のむじな以外ではありません。
 ブルジョアは巨額の利潤をためこんで、その使い道も見つけられないというのに減税し、他方、ますます追い詰められ、窮乏化する労働者、勤労者からは、現行の何倍もの消費税で収奪しつくさなくては、デフレも財政崩壊も脱却できないなどと言っているのですから、そんな処方箋では、日本経済はますます沈没し、階級的な矛盾は拡大し、激化し、安倍政権だけでなく自民党の政権もふっとぶ事態が再び訪れてくるしかありません。
 そして今度こそ、細川連合政権とか、民主党政権とか、志位の「国民連合政権」とか言った、まがい物ではない、労働者の階級的な政権を目指す、本当の闘いが力強く発展して来るでしょうし、そうして行かなくてはなりません。


自らの公約の総括すら出来ず
次から次へとデマ公約を振りまくだけの安倍政権

2015年12月5日

安倍政権はいま、名目国内総生産600兆円達成という「目標」を中心としたアベノミクス第二弾を掲げ、国民の幻想を掻き立てています。これは安倍政権の常套手段であって、第一弾でも物価上昇率2%をうたって幻想をまき散らしたのと同様です。
 12年の選挙では、自民党は「女性登用30%」を麗々しくかかげてきたのですが、それから3年たった今では、それは不可能であるとして、その「目標」を何分の1かに縮小するということを、安倍政権は「了承した」などと関係機関に「発表」させています。
 2%の物価上昇の公約など、労働者にとっては喜ぶことなど何もないのですが、安倍らはそれを公約し、その絶大の意義や効果を言いふらしてきたのですから、そうした公約はどうなったのかを点検し、きちんと総括するのは当然のことです。
 ただ公約を派手に言い放すだけで、総括もなく、またまた次の数字を持ち出して新しい幻想を次々とあおり、結果は問わない、そんなことを繰り返しつつ政権の維持を図ることはデマゴーグの政治であって、まともな政治家のあえてすることではありません。こんなやり方で一時的に国民の幻想や「期待」をあおり、生み出すことはできても、それが決して長続きしえないのはあまりに明らかです。
 これはまさに、カネをばらまくことで矛盾や困難を一時的にごまかし、解消しつつ、ますます矛盾や困難を複雑怪奇なものにし、深化させ、究極的な破綻に向かって進んでいる、現代の資本の支配の姿そのものでもあります。
 安倍政権に対する、その半デマゴギー政治に対する幻想はますますはげ落ち、彼らがあおっている「期待」に代わって失望や憤懣や怒りがあふれ、横溢し、奔流となるのはさけられません。


テロをいかに克服するか
ブルジョア帝国主義に排跪する共産党

2015年11月28日

共産党は、イスラム原理派によるパリ・テロに対し、中東の悪党グループによる「卑劣な犯罪」であり、どんな意味でも正当化され得ないと叫んでいます。
 「罪のない市民を無差別で殺害した大量テロを厳しく糾弾する。それは、国際社会にとって重大問題であり、いかなる口実や背景があろうとも許されません」「フランスの軍事行動を批判することで、無差別テロは正当化できません」(赤旗、11月15日)。
 しかし欧米のブルジョア社会と帝国主義社会はアラブとイスラムの世界に対して、すでに百年、二百年にもわたって、「無差別」の組織的な暴力を行使し、攻撃し、支配し、収奪し、従属させてきたのであって、今さら大資本や帝国主義の側に身を置きつつ、こんな理屈を持ちだし、憤慨してみても、世界の労働者、勤労者に訴えるものはほとんどありません。
 労働者はイスラム原理派のテロもまた、歴史と社会関係の中で位置づけ、評価されるべきであって、単に善悪とか、「凶暴であるかないか」といった基準で論じることに反対します。そんなもっともらしい、観念的な評価は、結局はブルジョアとそれが支配する現存の帝国主義世界のものであって、それに迎合し、追随するなら、結局はブルジョア体制に絡め取られ、堕落していくだけです。
 共産党がいい例です。彼らはブルジョア世界に融合し、その世界の善良な市民、常識人になればなるほど、不可避的に、抑圧されてきた、そして今も抑圧されている、世界中の労働者、勤労者に敵対するようになって行くのであり、行くしかないのです。
 もし志位が「どんな理由があってもテロや暴力は許されない」というなら、まずブルジョアや帝国主義者に対して言わなければ、志位はブルジョアや帝国主義者の立場に立っていると、労働者から非難されるしかありません。そしてブルジョア帝国主義者とアラブの労働者、勤労者と、どちらが歴史的、現実的に抑圧されてきたか、どちらに「罪」があるかというなら答えは余りに明白です。
 また赤旗は、世界では「戦争とテロの悪循環が続いている」として、プチブルにふさわしい、もっともらしいが徹底的に空虚な解決策についておしゃべりしています。そして志位の持ち出す「解決策」とは、「テロ根絶で国際社会の一致団結を」といった空文句です。「テロ対策――「対策」だって?(引用者)――では、根源にある地域紛争、貧困や人種・民族・宗教差別の根絶、人権や法の支配の尊重など包括的協力が必要である」(赤旗、11月16日)。
 しかしこんなものはブルジョアや自由主義派が言いはやし、持ち出しているもの、問題の根源をつかない、枝葉のことばかりです。 問題の根源はブルジョア帝国主義の世界支配であり、世界中の多くの諸国民、諸民族に対するその暴力的抑圧と収奪の体制です。
 世界中の目覚めた労働者は、このブルジョア帝国主義に対する断固たる闘いを貫徹することによってのみ、それを地球上から一掃することによってのみ、抑圧されている世界中の人民の絶望の表現であるテロをも止揚し得るのです。


実質ではなく名目のGDP600兆円に何の意味がある
統計操作とインフレ期待で数字を膨らませるペテン政治

2015年11月21日

GDP600兆円について、ブルジョア世論は「誤解」があると騒ぎ立てています。というのは、安倍が問題にしているのは「名目的な」GDPだというのに、あたかも「実質的な」GDPが重要だとか、安倍はそれを持ちだしている(あるいはそれを論じるべきだ)とかにいいはやす人たちがいるから、というのです。
 「実質的なら、それは実現困難だし、空想的かもしれないが、名目的なのだから、実現可能であり、しかも大きな意義がある」、というのです。ブルジョアたちはいまでは自分たちの破廉恥さを破廉恥とおもうどころか、むしろ賢さの証拠として持ち出すほどに頽廃しています。
 労働者ならまず当然に、実質的なGDPの達成と、その意義について問題にし、語るのですが、彼らは安倍が名目的なGDPの達成を、つまり詐欺のようなことをいいはやすのを持ち上げ、賛嘆し、その絶大の意義を説くのですからあまりに愚劣です。
 リフレ派学者や安倍らがインフレ目標を掲げるのは、「適切なインフレ(2%等々?なぜ5%や10%でなくて2%か?)は最大の雇用に対応する」という立派な理論があるからだとか―そんな奇妙な理論は、仮にどこかにあるとしても、つまらないドグマとして存在しているにすぎません――、「財政健全化」の課題も結局は実質のGDPというより、名目のGDPの増大によって左右されるのであって、名目が低迷していたのでは財政健全化は不可能であると言います。
 さらに、100兆円もかさ上げして600兆円を達成するのに3%の成長率が必要であり、それはむずかしいというが、しかしGDP統計方法の修正で20兆円はすぐ可能だ、3%といっても物価上昇が2%ならあとわずか1%の成長があればいいのだから少しも難しいことはない、アメリカにさえ3%といった高い成長率はないというが、1990年から12年間の経済成長率は平均4・6%で、その半分以上は物価上昇に依存していた(10年以上も前の時代、バブルさえも含む時代だ)、日本の80年代のバブルの頃の平均GDPの成長率は6%だった、3%の成長率や600兆円なんてチョロいものだ、などと息巻いています。
 統計の数字を勝手に操作したり、インフレを煽ったりして、名目のGDPを500兆円から600兆円に水ぶくれさせるなら、雇用も財政再建もデフレや経済停滞の克服もすべて可能だといった、デマゴギーのような政治や政策しか知らないというなら、現代のブルジョアや安倍一派は頽廃と腐敗の深さはどんなに深いものかはかりしれません。
 こんな連中やその政治が破綻し、一時代を覆うような経済的、政治的混沌と動乱と闘争に帰着するのは時間の問題でしかありません。
 もし安倍政権のようなやり方で、財政破綻や雇用やデフレがいくらかでも解消できたというなら、それはインフレを通して、経済や財政の破綻を通して、労働者、勤労者をさらにきつく搾取し、窮乏化させた結果ということになるだけです。


コメの生産体制の維持を掲げて自由化と言えるのか
参院選挙目当ての安倍の農業保護政策

2015年11月14日

TPPを受けて、政府と自民党は参議院選も近いとあって、にわかに農業政策にのめり込み始めました。しかしその立場は、依然として、今までの矮小な土地所有と小経営・家族経営を「防衛」するという水準を越えるものではありません。
 コメの生産は縮小しているように見えますが、実際にはコメ生産は年々10万トン、20万トンと増えつつあります。というのは、政府は飼料用のコメの増産を勧めており、そんな減反に入らないコメ生産がむやみと増えているからです。
 10アールあたり5万円、10万円もの補助金をばらまき、事実上の所得補償を行っているからですが、そんなカネが年々何千億も財政から出て行くのですから呆れたものです。結局は財政赤字をふくらませ、また高いコメばかりではなく、高い畜産物も労働者、勤労者に押しつけるということですから、悪政の最たるものと言わざるを得ません。
 彼らはTPPでもコメ農家の防衛を第一義的に重視しましたが、それはまた矮小な土地所有と小経営・家族経営のためでした。コメ生産体制の維持が、現在の日本では、即、そういうことなのです。経済全体におけるコメ生産の比重は相対的にどんどん小さくなっていますが、しかしそれは小土地所有と「家族経営」と「農山村」―「地方」の防衛の要石として重要であり、今もって、日本の農業問題の中心問題なのです。
 だからこそ、安い外国のコメを締め出し、何が何でも国内の小経営によるコメ生産と高価格の体制を維持することが彼らの目的であり、課題なのです。
 しかしコメの生産と消費の自由経済体制を否定し、国家管理を行い、高価格体制を維持することは、労働者、勤労者の不利益であるばかりでなく、ブルジョアにとっても労働力の価値の高騰として跳ね返ってきて、彼らの国際的な競争力を阻害します。しかし自民党はあえてブルジョアの不利益があっても、政権の「安定性」や強大さを優先させるのであり、させざるを得ないのです、彼らの政治家としての地位や権力がかかっているからです。
 安倍らは幻想を振りまき、自分たちの保護主義の反動性を隠すために、海外の需要を開拓せよ、日本の農業は十分海外の農業を圧倒さえできるかにはやしたてますが、それならなぜ農業の、コメの関税撤廃を恐れるのでしょうか。彼らは何も本質問題を理解しないで、空文句でもって必要な改革から逃げているにすぎません。
 農業もまた、農産物の特殊化、高付加価値化、ブランド化を図ることによって十分に海外に撃って出て発展できるかにいうのですが、しかし価値が高くて太刀打ちできないのに、その根本問題をおざなりにして大騒ぎしても、海外でコメなどを売れるはずもありません。
 外国の金持ち層を、アジアに形成され始めた、そんな階級をターゲットにすればいいのだというのですが、今までさんざん失敗してきた、“ガラパゴス化”の迷路に迷い込むだけだということがまだ分かっていないのです。
 一時的にはともかく、外国のコメが日本にも負けず劣らず「おいしく」なっていくなら――日本のコメが「おいしい」というなら、そんな技術や生産力はすぐに世界に波及するのですから――、価格の安い方が勝つに決まっているのです。小手先の便宜的なやり方で勝てるはずもありません。
 安倍は農産物の輸出は伸びたと宣伝していますが、これまで大した輸出がなかったのですから、そんな段階でいえば急速に増えたともいえるのですが、増えたところでやっと7000億円、総輸出の1%ほどですから大騒ぎできるようなものではありません。安倍の得意とする、見かけ倒しの、詐術のための数字です。


帝国主義国家どおしのキナ臭い動き
米国が南沙諸島への軍事的示威行動を開始

2015年11月7日

オバマはようやく南沙諸島の防衛のための軍事的示威行動に踏み切りましたが、安倍一派や国家主義の反動たちは、オバマは遅すぎた、彼の「軍事的なものを嫌う」臆病な不決断が、中国(やロシア)の増長や力に頼るやり方の跳梁跋扈を招き、許した、そして世界の不安定や混乱や無秩序が広がり、深まった、オバマの罪は大きいなどと言いはやしています。
 尖閣諸島についても、あるいは世界中の他の地域での中国やロシアの勝手な振る舞いに対しても、この教訓はしっかり学ばれなくてはならないというのです。
 しかしそんな連中は、かつてはナチスのドイツや天皇制軍国主義の日本が、現在の中国やロシアと同じようなことを、ヨーロッパで、アジアで、世界中でやったことを、そして弱腰だったヨーロッパやアメリカや国際連盟をいいことに――ミュンヘン会議や、中国東北部への日本の武力侵攻に対する国際連盟の優柔不断を想起すべきです――、そんなやり方を拡大したことを忘れたかに振る舞うのです。日本やドイツのやり方は結局、米英を中心とした、既存の帝国主義勢力の反撃と決起を招き寄せ、世界的な帝国主義戦争をもたらしたのであり、そこに行き着いたのです。
 今また、世界史の滔々たる流れが、再び同じような方向に不気味に動き始めています。中国やロシアの、そしてまたアメリカや日本のブルジョア帝国主義に対する、世界の労働者、勤労者の反撃が、断固たる闘いが闘い抜かれないなら、人類は第三次の帝国主義戦争さえあり得る人類史の深刻な危機の時代を迎えている現実を、我々は直視する必要があるのです。
 安倍政権もまた、こうした世界的な新しい帝国主義の台頭の風潮の一環を担い、衰退する――と安倍一派や反動が思いあがって評価する――アメリカをさしおいて、その一方の旗頭に、先頭にさえ立とうという野望まで示し始めています。安倍政権に対する、その反動と国家主義、帝国主義の政治に対する、労働者、勤労者の、我々の断固たる闘いが必要とされています。


日中韓首脳会議――単なる呉越同舟
隠されているものと彼らの思惑

2015年11月4日

2日、ソウルで3年半ぶりに日韓首脳会談が開かれ、従軍慰安婦問題で「早期妥結をめざす」という点で合意したといいます。しかしその内容さえも曖昧で、具体的な「解決」に踏み込めば踏み込むほど、両者の立場の違いや根本的な対立が明らかになるしかなく、「解決」などあり得ないことが暴露されるしかありません。
 というのは、安倍はせいぜい、15年戦争中、植民地下にあった韓国の若い女性の性奴隷化に対して、国家や政府や軍部の責任を認めないばかりか、それらをある意味で正当化する立場に立ちながら、しかし人権問題として、補償金を増額することで「解決」し、ケリをつけると考えているのに対し、韓国は、問題は国や軍部の公的な責任を明らかにし、そのことを謝罪すべきで、それがまず根本であり、出発点だと考えるからです。
 つまり、安倍も朴も呉越同船よろしく、まるで反対のことを考えつつ、当面いくらか「歩み寄り」、協調するという茶番を演じることに利益を見いだしているだけのことです。
 安倍が従軍慰安婦の「早期妥結」を謳って、「早期解決」という表現を避けたのは、安倍の本心が従軍慰安婦問題つまり若い韓国人女性の性奴隷化という事実を事実として認め、また不可避的な結果としてとして、日本の国家や軍部の責任を認めることは何が何でも避けようとしたからです。そして、いくらかの補償金の増額といった矮小な問題にすり替えて「妥結」し、それを持って、この問題の「最終解決」だ――今後、韓国がまたまたこの問題を持ち出すなら、それは韓国が悪いのだ――と言いはやそうという魂胆からであるのは明らかです。
 こんな不誠実で、おごり高ぶる政権を中国や韓国――否、世界中の国家もまた――軽蔑し、愛想を尽かすとしても、それはまさに安倍政権にこそ原因があるのであって、中国や韓国のせいにすることは決してできないのです。
 日中の関係は、日韓の関係以上に、はるかに矛盾に満ちたものです。相互に経済的な関係と結びつきを深めてきましたが、しかし他方では、ブルジョア大国同士として、経済的、政治的な対立と闘争の契機も発展させてきています。アジアにおける、また世界における覇権をめぐって争い、政治的にも直接的に尖閣諸島や南沙諸島の問題で深刻な対立関係にあるのです。そんな両国が、今後何事もないかに相互協調の道を歩み、依存関係を深め、固めて行くと考えることはできません。
 日中韓の権力者たちは自らの政権の安定や長期化のために、打算と取引とだまし合いのために集まり、その不可避的な結果として、「臭い物には蓋をし」、あるいは「腫れ物に触らない」ような会議と合意に終始したのですが、こんな会議や合意には何の意味もありません。労働者、勤労者はむしろその裏にあるものにこそ考えを巡らせ、それを見抜くべきです。そうすれば三国の今後の国家主義的動きや対立やあるいは明確な立場が見えてくるのです。


自公の議席は減らず、何の打撃にもなっていない
宮城県議選での共産党の“躍進”は民主・社民からの共食い

2015年10月30日

安保法後の初の「大型地方選」の宮城県議選で共産党が躍進、民主党などにショックを与え、共産が提起している「国民連合政府」構想にも影響無きにしもあらずの雰囲気です。
 選挙の結果は、自公が30余議席で横ばいの中(うち公明は4)、共産は議席を4から8へ倍増、他方民主は7から5へ、社民は3から1へと減らしました。民主と社民の犠牲によって共産がのし上がったという共食いの図式であり、自公政権には何の打撃にもなっていません。
 このままでは参議院選も闘えないとあって、民主党内の危機意識も高まっています。岡田は共産との何らかの選挙協定に必ずしも否定的ではありませんが、しかし志位の観念論や独りよがりにはどんな幻想も持たず、1人区で共産に1、2議席を投げ与え、他の選挙区で共産の票をあてにできれば共産と選挙協定を結んでもいいと打算しています。
 他方、志位は共産だけが安保法の廃棄や立憲主義の防衛のために誠実に、真剣に、そして“現実的に”闘っている唯一の党であるといった虚名によって、プチブル大衆の支持をかき集めて参院選を有利に闘おうと権謀術数にふけるのですが、まるでキツネとタヌキの化し合いでしか有りません。
 志位は、安倍政権との真剣で、原則的な闘いをやり抜く思いも決意も何もなく、そんな闘いから自らを召喚しつつ、半ブルジョア政党のレベルに降りて行っていちゃつくだけだとするなら、革新も野党も何もあったものではないのです。
 労働者はこんなおためごかしの政党など、まとめてゴミ箱に投げ捨てるしかありません。


一方で物価引上げ、他方で引下げを要求
その場限りのご都合主義=安倍の経済政策

2015年10月24日

安倍がブルジョア「経済」を政権(政治)の力で思うがままに動かそうとして――そんな幻想に駆られて――、財界(大企業)に対して、もうけているのだからもっと「踏み込んだ」設備投資をせよ、と圧力を掛けています。
 甘利は、「高収益で原資がありながら、投資をしないのは重大な経営判断の誤りだ」と叫び、麻生もまた、「内部留保が増えているのに、投資が伸びていない。大切なことは経営者のマインドが変わることだ」と主観論を振りまいています。
 しかし生産力を拡大しても需要も無いとするなら、あるいはまた、国内にますます安価で、“良質な”搾取材料(労働者)を見いだし得ないとするなら、資本はますます海外進出を急ぐだけであって、安倍の号令があれば資本の投資が増えるというものではありません。
 また、安倍は携帯料金にまで介入し、それが高すぎて家計を圧迫しているから引き下げを検討すべきだといった発言をして、個々の資本の経営にまで容喙しようとしています。他方では、賃金を引き上げよとブルジョアに圧力を掛けるなど、やっていることがますます一貫性を欠いた、支離滅裂なものになっています。
 物価が下がれば企業は売りにくくなり、経済は沈滞する、反対に物価があがれば売りやすくなり、企業活動は活性化し、景気も回復し、賃金も上昇、需要も拡大し、それはまた企業活動の上昇に繋がり、経済の「好循環」となる、といった一面的で、手前味噌なドグマに基づいて、カネをばらまく政治を続けて来たのですが、今では石油価格が半分ほどに暴落したのは日本経済にとっての干天の慈雨であるといつた評価をしてみたり、携帯料金を引き下げよと経済過程に介入してみたり、「一体どっちなんだ」といわざるを得ない混乱ぶりです。
 物価の低落が経済にマイナスだといいますが、生産力が発展し、安価な商品が街にあふれたり、商品の価値が劇的に低下していくときは、まさに新需要の誕生や需要拡大や好景気や経済繁栄のときであって、必ずしも悪いことではありません。確かに不況になれば物価は一時的に低落しますが、それもまた新しい経済発展の契機ともなるのであって、物価低落を恐れるのは現代ブルジョアの特徴であって、彼らの退廃や衰退や寄生性の深化を暴露しているだけです。
 安倍は一方では“買い手”の立場に立って、物価下落を求め、他方では“売り手”の立場に立って物価引き上げを叫ぶだけであって――しかしブルジョアも労働者も、一方では売り手であり、他方では買い手ですから、安倍の立場は矛盾してしまい、扇動家、デマゴーグとして現れるしかありません――、どんな一貫性もなく、ただその場その場でご都合主義的に、ありとあらゆる階級の利益を擁護しようとしてますます“ボナパルト的”、ヒトラー的な立場、泥沼的で出口のない立場に落ち込んで行きつつあります。その破綻はますます明らかです。


マスコミ・リベラルと共産党の醜悪な接近と協調
「一点突破(安保法廃棄)」の野党連合政権という迷妄と愚策

2015年10月19日

共産党とマスコミ・リベラルの接近や事実上の協調が目立っている。
 安保法案反対で全面的に相互依存しつつ共同して闘った両者は、いまや接近と協調にむかってさらに前進しようというのだが、労働者からみれば場当たりで、何の展望もない、醜悪で、空虚な野合の一種にすぎない。
 朝日新聞は、共産党の「成立した安全保障法廃棄の一点で一致した野党勢力による連合政府」という提案に大乗り気で、「今回の提案の特徴は、暫定的な『特命政権』――『政治改革』で一致した野党連合の細川政権と同様な意味での――である」などと持ち上げ、「暫定だから、日米安保の廃棄や自衛隊解消といった党の根幹の政策は凍結する。閣内協力か閣外協力かという条件も付けないという。党としての『欲』は極力抑えたということか。……いまの『1強多弱』状況は少なくとも野党間の選挙協力なしには覆るまい。それぞれの『欲』の抑えどころと思うのだが」と、らちもないことを書いている(19日、「天声人語)。
 朝日新聞は09年総選挙で、朝日新聞の支持と応援もあって、民主党が野党連合どころか、たった1党でもって多数派を制し、政権交代を実現したことを忘れている。それなのに、なぜ野党連合なくして、自公政権は「覆るまい」などと知ったかぶりをしていうのか、敗北主義そのものでないのか。
 そして仮にそんなものが成立したとしても、民主党政権や細川政権のようなものとなったのでは――「政治改革」の名のもとに小選挙区制などをもたらして、安倍専制に道を開いてやった原因をなした政権ということだ――、何の意味もないし、仮に選挙で多数を獲得したとしても、その途端に、安保法廃棄に賛成しない党や議員たちが続出して、共産党やマスコミ・リベラルの夢があえなく挫折するのが関の山であろう(09年の民主党政権も自分たちが野党時代に反対した改悪教育基本法廃棄のために、何一つしなかったばかりか、むしろそれを美化し、擁護さえしたことを思い出せ)。
 あるいはそれ以前に、総選挙で、そんな「一点突破の」政権が誕生するとは限らないし、むしろそうならない場合の方が多いとしたら、そんな場合、「一点突破」を公約して選ばれた野党の議員たちは、ただちに潔く議員辞職でもするのだろうか、それとも議員として居座るつもりであろうか。もし居座るとするなら最悪であって、結果として、「一点突破」を掲げて当選した議員や議席を増やした野党は、そんな偽りの政治で、労働者、勤労者をペテンにかける様な主張によって議席をかすめとり、増やしたというだけ、ということになる。
 ただこれだけとっても、共産党や朝日新聞が持ち上げているような政治は頭の中だけで考えられた最低の愚策であり、ばかげた政治ということになるのである。
 そしてその上、共産党は自らの目標であり、“信念”である自衛隊の解消や日米安保条約廃棄も要求せず、それらを認めると言うのだから、そう公約して当選したからには、安倍政権の安保法の推進でも集団的自衛権の「行使」でも何でも認め、あるいは他の野党の日和見主義的、妥協的な最低のレベルの政治や政策以上に出ないというのだから、極端に物わかりの良い――良すぎる――野党として議席を占めるということになり、自民党や安倍政権に取っては「いいことずくめ」で笑いが止まらないということになるし、なるしかないのである。


世界への恥さらし
安倍一派のユネスコへの“抗議”

2015年10月15日

ユネスコは、世界記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺の記録」を登録しましたが、安倍政権がこれに猛反発し、菅はユネスコに分担金の支払いを停止するぞと子供じみた与太者流の態度に出ています。
 日本が世界の笑いものになって、労働者、勤労者にとっては恥ずかしい限りですが、「あれは安倍一派という愚か者たちのやっていることで、我々は無関係」と弁解して寛恕を請うしかなさそうです。
 菅らは、「中国が『南京事件』を政治利用している」と言いますが、南京事件を「政治利用」して、国家主義を煽り、政権の求心力を高めようとしてきたのは安倍一派です。安倍一派の歪んだ歴史認識が、中国の共産党政権が安倍一派の言動をことさら利用して大騒ぎし、愛国主義や国家主義を煽り、政権への帰属意識を強めようとするのですから、彼らはお互いに助け合い、協力し合って、汚い策動にふけっているというしか有りません。
 安倍一派が南京事件で言えたことは、犠牲者は30万人もいなかったといったことだけで、虐殺の事実は否定すべくもなかったのですから、そんな数字で偉そうなことを言うのは品のないことです。数字の誇張など、仮にあったとしても、ほっておけばやがて正され、落ち着くところに落ち着くのです。
 まるで、戦前の軍部やその政権さながらです。彼らも大国意識そのものの上から目線で“強気の”発言を繰り返し、世界から軽蔑され、孤立し、最後には破滅したのですが、安倍一派も、彼らとそっくり同じ道を歩もうとしているように見えます。


言葉だけが踊る「1億総活躍」内閣
デマゴギーと空文句の第三次安倍内閣発足

2015年10月9日

安倍は第三次内閣を発足させ、「未来へ挑む内閣」とか、「1億総活躍内閣」とか空疎な言葉を連ね、ブルジョアやプチブルの幻想をつなぎ止めようと躍起になっています。
 しかし、「1億総特攻」とか、「1億総懺悔」とかまで、今後言い出すかどうか知りませんが、「1億総活躍内閣」といった言葉遣いは、まさに安倍政権のデマゴギー的な本性を暴露するような言葉です。
 アベノミクスが破綻したとしても、それは1億の国民全体の責任ではなくて、安倍の責任であって、国民全体が「懺悔」するといったことは何もありません。
 第二弾のアベノミクスでは、現在500兆円のGDPを600兆円にすると無責任なほらをふいていますが、実質的ならともかく、名目だというのです、つまり実際に少しも増えなくても、物価が2割上昇しただけでも達成されるのですから、こんな目標を掲げるのはそもそもインチキです。
 あまつさえ、安倍や黒田は物価上昇こそ経済再建の鍵だとばかりカネのばらまき、インフレ促進策に狂奔するのです。物価はまだまだあがっていないと大騒ぎですが、生鮮食料品をはじめ、労働者の生活用品でみれば、すでに2割くらいの値上げ商品は目白押しです。
 さらに、TPPが合意した、これで日本経済の浮揚に弾みがつくとはしゃいでいますが、しかしTPPは自由貿易主義を貫徹するためのものであり、国際的な競争を激化し、労働者にとっては搾取の強化として現れるしかありませんし、また国際的な経済対立とともに、他方では、囲い込みやブロック化を進め、世界の帝国主義を発展させる契機さえ含んでいます。
 安い食料品が入ってくるとかいって、労働者の歓心を得ようと策動していますが、そんなことを言うなら、自由化を半世紀も前に断固としやるべきであって、自民党はブルジョアの利益でさえある食料品の自由化を半世紀も遅らせ、日本経済の停滞と寄生化と衰退さえも準備してきたのではなかったでしょうか。
 そして農業の自由化はするから、救済策も野放図にやり、参院選を前に農業にカネをばらまくというのですから、言っていること、やっていることが余りにいやらしく、下劣です。


「安保法廃止」だけが現在の政治課題か
労働者の階級的な闘いを歪め、敵対する共産党

2015年10月4日

共産党は、現在のもっとも重要な政治課題は安保法を廃止することだとし、来るべき国政選挙で野党共闘を組み、国民連合政府を樹立して、それを成し遂げることこそが必要だと訴えています。しかしこれは、全くのピント外れで、政治闘争についても、階級闘争についても、何も知らない愚昧な考えでしかありません。
 安保法案に反対する闘いは、一旦は敗北として終ったのであり、いま必要なのは、安倍政権に対する労働者の階級的な闘いを発展させて行くことであって、安保法だけをどうかすればよいといった課題ではないのです。安保法廃止の一点で一致できるなら保守であろうと何であろうと手を結べるし、結ぶことこそが必要だなどと言っていて、どうして安倍政権と徹底して闘うことができるのでしょうか。
 共産党はこの間の安保法案反対闘争においても、まず改憲をしてから安保法を制定すべきであり、安倍はその逆のことをやろうとしているから間違っていると主張した保守の連中(例えば小林節)を持ちあげ、共闘を繰り広げてきました。こうした運動だからこそ無力で、安倍と徹底して闘うことができなかったのですが、この党にはそのことが理解できないのです。
 安保法反対のデモを過大評価し、その“波”に乗れば与野党逆転も可能だと共産党は夢想するのですが、彼らの掲げる「国民連合政府」は安保法廃止と集団的自衛権行使を認めた閣議決定を撤回するためだけのものであって、これをやり遂げたら、再び衆議院解散・総選挙をしてその先のことを決めて行くとしています。与野党逆転させても、すぐにまた選挙をしてその後のことは決めるというのですから、選挙をまるで国民投票であるかのように考え、一つの政治課題ごとに選挙をやって行くという非現実的なことを言っているのと同じです。
 志位は昨日(10月3日)の『日経新聞』でのインタビューで、国民連合政府について問われ、日米安保条約は「留保・凍結」し、「政権として解消に向けた手続きは取らない」、そして自衛隊の活動は「自衛隊法の枠内での対応は許容する」とし、「天皇制度とは共存していく」といったことまで答えています。そして「経済も根本を大転換する政権にはならない」と約束しているのです。
 つまりこれは、安保法を廃止することだけが現在の最も重要な政治課題だから、それ以外のどんな課題も出してはいけない、そんなことをすれば野党共闘ができなくなり、「国民連合政権」構想が壊れる、ということに他なりません。それは労働者の階級闘争の否定でしかありません。
 労働者が安保法だけでなく、安倍の政治全てに反対し、また同時に、民主党などのブルジョア政党の政治にも反対して、労働者階級の要求を掲げて闘うことは当然のことであるのですが、共産党はこうした闘いについて、それは統一戦線(ここでは野党共闘)を妨害するものだとして、敵対するのです。
 労働者は自分たちを代表する真の労働者政党を作り上げ、共産党の日和見主義政治をも一掃していかなければなりません。


アベノミクスの破綻を隠すための更なる大法螺
2匹目のドジョウを狙うが、安倍政治の瓦解進行

2015年9月26日

安倍は1960年の池田の経験にならってか、安保法の後は「経済」で人心を収攬(しゅうらん)しようとして、「経済」について大声で叫び始めました。まるで自分の政治課題が、「経済再生」であり、「デフレ克服」であるとばかりに、です。それを叫んでいれば(「期待」をあおっていれば)、来年の参議院選挙も、それ以降の3年間も何とか乗り切ることができる、自分の権力は揺るがないと思っているのでしょう。
 しかしその「経済」こそが鬼門であって、GDP600兆円といった大ボラや「新三本の矢であるとか――全く実際的な内容のないようなものです――、「子育て支援」で少子化を逆転させ、「1億人総活躍社会」を実現するとか、空疎なスローガンを、空文句を並べるだけですから、たちまちぼろが出ていくこと必至です。
 「リーマンショックのようなことが起こらない限り」、消費税10%への増税を実現するとあらかじめ予防線を張っているような政治にろくな結果しか出て来ないのは明らかです。
 人々の、そしてブルジョアの「期待」に訴え、賭けたような、この3年の安倍や黒田の「経済政策」が、現在どんなものであるかを確認するなら、きちんと総括するなら、「新3本の矢」といったものが、これまでの経済政策の綻びや破綻や有害性を隠すためにのみ持ち出されたものであることは明らかです。
 安倍政治の破綻は今後、ピッチを速めて進行し、ますます全国民的な規模で暴露され、確認されていくでしょう。
 安保法の闘争では、不可避的に、共産党などのプチブル党派や無力なリベラルや市民派や“個人主義者”たちが浮かれ、前面に出て来ましたが、今後の安倍一派と安倍政権に対する闘いは労働者階級がますます前面に出る闘いに転化していくでしょうし、またそうして行かなくてはなりません。


安保法成立、日本はますます軍国主義の国家へ
無力さ暴露された共産党や民主党、そして市民主義者(9条の会)らプチブル派の闘い

2015年9月19日

安保法案が成立し、プチブル世論は、「憲法が有名無実になり、集団的自衛権が行使できるようになり、自衛隊が海外に出て行くことができるようになり、危機的だ、敗戦後70年近く続いてきた国家の形が変わる」、「戦後政策の大転換」等々、まるですぐにでも「戦争」――どんな原因による、いかなる階級や勢力による、いかなる性格の戦争か――が起こるかに言いはやしています。安保法案の成立はある意味で大きな画期ではあるとしても、大げさな過大評価であり、プチブル的危機意識、一種の被害妄想でしかありません。
 「戦後政策の大転換」といいますが、自衛隊(軍隊)を持つと決めた、1953年の決定こそ、一番の大転換であり、憲法違反ではなかったのか、その後の憲法違反はその延長であり、深化でしかなかったのではないかと、どうしていえないのか。プチブルたちの言うことはいつも的外れであり、一人よがりでしかありません。
 憲法違反などといっても、労働者の立場からすれば、すでに数十年にもわたって行われてきたことであって、驚くようなことは何もありません。集団的自衛権といっても、安保条約体制も敗戦後一貫して継続しているのです。今さら集団的自衛権の容認もありません。自衛隊はすでに20年ほど、海外にいくらでも出て行っており、今では“常駐”さえしています。しかし現時点では、いくらかでも本格的な、日本の「安全」や「死活」に関わるような戦争は起こってはいないのです。
 安保法案があるなしにかかわらず起こってくるだろう、そんな戦争――“満州事件”とか、日中戦争とか、太平洋戦争のような戦争、或いは尖閣を巡る日中の戦争等々――が起こったとき、労働者階級がいかなる立場に立ち、いかに闘うかが重要であって、観念的なおしゃべりなど、そうした危機の瞬間には大して役に立ちません。
 そして我々の任務は、そうしたときに備えて、実際的に、思想的に、一貫して、準備することであって、空虚な「戦争反対」を叫ぶことではありません。「国家の形が変わる」というなら、それは軍国主義国家の建設を企む安倍政権のような政府が生まれ、のさばっていること自体が問題なのであって、抽象的なおしゃべりの代わりに、安倍政権に反対して決起し、その権力を一掃し、粉砕する、労働者の真剣な闘いが必要なのです。
 今さら、軍隊(自衛隊)が海外に出て行くことや、それが武器を使用するかしないかによって、ただそれだけで、「国家の形が変わる」といったことはありません(この意味さえも明らかではありません。「平和国家」から「戦争ができる国家になる」、「戦争国家」になる、というのでしょうか。余りに無概念の言葉がむやみに氾濫しています)。
 歌や踊り(1950年代と違って、最近ではダンスのようですが)や単なる「戦争反対」のシュプレヒコールでは、安保法案や安倍政権を、帝国主義的な戦争や戦闘を粉砕し、一掃することはできません。街頭行動についていうなら、リベラルやプチブル派のような、単なる彼らの危機意識や意思表示や自己満足のための示威行動と、労働者の革命的な闘いは明確に区別されるべきです。
 “市民派”が、インテリ階級や学者やプチブル個人主義者達が、自ら政党として組織することもできず、国政選挙に参加しないで、“街頭行動”にこだわるのは、そんな“闘い”しかできないのは、彼らの無力さと無責任の現れであって、彼らの闘いの真剣さや有効性などの証拠にはなりません。
 個別の政策の問題だからとか弁解するのでしょうが、重大な政治闘争の課題は、単に個別の政策や政治の問題に限られるのではなく、それ自体、国民的な課題でもあり、また他の重要な国民的課題と結びついているのであって、単に個別の、孤立した問題ではないし、そうしたものとしては現れません、政党を組織して、選挙闘争、議会闘争に参加する闘いを、決定的に重要な、正々堂々の闘いを回避し、サボタージュする口実にも理由にもなりません。そうしたことは、今回の安保法案の問題でもはっきりしていました、つまり安保法案の問題は例えば憲法問題と直接に密接不可分の関係として現れた、等々。


語るに落ちた、おめでたい「保守反動」
学生だけでなく労働者の闘いも必然であることを知らしめよう

2015年9月13日

産経新聞は、学生がとにもかくにも政治に関心を持ち、デモにも立ち上がり始めたことに神経質になり、中宮崇につまらない雑文を書かせています。
 中宮は、シールズのデモに対し、「若者が今時それだけのこと――どれほどのことでしょうか?――を成し遂げるとは、それだけでも賞賛に値する」と見え透いたお世辞を振りまく一方で、「サヨクな大人どもは、学生たちの行き過ぎや悪事を咎めるどころか、テロや差別をそそのかし、『革命』等の自らの歪んだ目的のために若い芽をスポイルすることに余念がない」と毒づいています。
 そして学生たちがデモを行うのは安保法案が悪いからではなく「保守勢力が学生に対して、魅力的な活動の場を提示していないからだ」と次のように書いています。
 「ブラックバイトやうなぎ上りの学費、生活費、卒業後重くのしかかる『奨学金』という名の借金等、我々大人たちは彼ら学生たちを余りにも蔑ろにし続けてきたのではなかろうか。国会前デモは、『戦争法案』に反対する行動と見るべきではない。将来を担う学生たちに注意を払って来なかった我々大人たちに対する異議申し立てとして捉えるべき事件なのだ」。
 語るに落ちたとは、このことです。学生達の立ち上がりが、単に「戦争反対」といった、観念的な問題からではなく、彼らを囲む経済的、あるいは生活上の危機からであるとするなら、ことはより深刻であって、中宮やら「保守反動」にとって、何もいいことはない、ということを彼らは知らないのです。おめでたいというしかありません。
 学生ですら生活上の危機から抗議の行動を起こしているというのなら、より深刻な生活の危機を抱えている労働者が闘いに立ち上がるのは必然的です。
 学生や知識層、“文化人”、プチブル層の政治的な活性化に止まらず、労働者大衆の政治的活性化や、労働者の階級意識の深化や闘いを発展させるため、共に闘いましょう。


軍事大国を誇示する中国・習政権
対抗のため日米同盟にすがる安倍政権
日本の労働者は世界の社会主義運動の先頭に立って闘おう!

2015年9月4日

習近平政権は、抗日戦70周年を記念して、核弾道ミサイルを中心とする、大軍事パレードを行い、中国の軍事力を誇示しました。世界に対する、とりわけ日米に対する示威行動であって、今後ますます強大な軍国主義国家として、帝国主義国家としてさえ登場し、覇を唱え行く意思を鮮明にしました。
 日本の国家主義者たちは中国に対抗するなら、アメリカと同盟し、ますますアメリカの袖の下に逃げ込む以外ない立場に追い込まれています。
 安倍一派は必死になって、日米の「価値観の一致」を言いはやしていますが、彼らの「価値観」が民族主義や国家主義、国粋主義や排外主義にあるのは誰でも知っていることであって、彼らの民主主義や自由主義や平和主義への帰依は、ご都合主義者の付け焼き刃であり、大急ぎで着換えた仮の衣装でしかありません。そんなものはまさに、その反対の立場を覆い隠すペテンであって、情勢が転換していくなら、たちまち脱ぎ捨てられて、彼らの地が露出してくるようなもの、労働者がほんの一瞬でも信じていいものではありません。
 安倍も習近平もプーチンも、お互いに、「歴史を修正するな」、「歴史を歪めたり、否定するのにあくまでも反対する」などと言いながら、自らは自分に都合のいいように歴史を勝手に「解釈」し、平気で事実を修正したり、否定したりしていますし、またお互いに軍備増強に走り、軍拡競争に熱中しながら、「平和を愛する」とか、「永遠に覇を唱えず、領土を拡張もしない」とか誓い合っています。
 まさに茶番であって、世界の労働者はみな安倍とか習近平とかプーチンといった連中を全く信用しないで、その真逆こそが彼らの本音であることを確認しなくてはなりません。
 安倍一派がアメリカへの屈従的な同盟関係に走るのは、彼らにどんな信念も自立心も展望も誇りも自信も何もないからであって、安倍はそうする以外に、自らの権力さえ維持できないことを感じているのです、つまり虎(アメリカ)の威を借りることで空威張りすることしかできない、小心者の狐、というわけです。
 しかし日本が人類の歴史の中で偉大な任務をはたし得るとするなら、世界の労働運動と社会主義運動の先頭に立ち、また世界的な労働者階級の解放を目指す闘いの先鋒の役割を引き受け、完遂することであって、ただこのことによってのみ日本の労働者階級は偉大な労働者階級となることができるのです。
 日本のブルジョアがますます矮小な存在に転落するのに反比例して、日本の労働者階級はますます偉大な階級として登場するし、しなくてはなりません。我々に歴史によって自らに課せられた重大な任務や課題を自覚し、ブルジョアや安倍一派とは違った、本当の意味での信念と自信と勇気をもって前進していくべき時です。



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