2018年新年アッピール
総選挙1・6%の得票率
テストに合格した希望の数字
2018年1月3日
全国の労働者・働く者の皆さん
新年おめでとうございます。
私たちは昨年、ほとんど半ファッショ政権ともいえるような安倍政権が5年も続き、日本が再び暗黒と戦争の時代に落ち込んでもおかしくないような情勢の中、サークル的闘いを止揚して労働者党を15年ぶりに再建し、26年ぶりに国政選挙闘争に復帰、公然たる政治的闘いを再開しました。
そして神奈川11区の小選挙区で原則的で、断固たる闘いを展開しました。私たちがいかなる選挙戦を展開したかは、今月中に出版される本に詳しいので、それに譲るとして――この本はとても興味深く、私たちの闘いの真実を語っているのでぜひとも読んでみてください――、ここでは、私たちが獲得した1・6%の得票について語らせてもらいたいと思います。
総選挙の前日、ニュースは台風の接近を報道し、明日は1日しっかり雨で、しかも本州の太平洋側は荒れた気候になるという予想でした。私は非常にいやな予感がし、とにかく雨が弱まることを期待したのですが、投票日は最悪の気象条件になりました。1日、降りも止まず、弱まりもしない風雨にガッカリしました。
どんな選挙でも悪天候は与党――自民党や公明党――に有利で、社会党(かつての)、民主党(民進党)などの野党に不利というのは、ほとんど〝法則的な〟ものでした。
悪天候の影響は、参加政党が前回の自共だけの2党から、今回の4党――新しくわが党の圷候補と、希望の党の女性候補が加わった――に増えたにもかかわらず、投票率が2ポイント低下したことにも現れていました。
そして後で知りましたが、何と神奈川11区の期日前投票の比率は50%に近い、異常に高いものでした(例えば、11区の有権者の大部分を占める横須賀市の期日前投票の比率は47%もありました)。
これらの数字は、組織政党が期日前投票を徹底する一方、いわゆる〝浮動票〟は悪天候で出足が悪かったことを示唆しています。私たちは安倍や小泉の「全世代型社会保障」の観念に反対して訴えた結果、高齢者の反応がとても良かったのですから、この悪天候は一層打撃でした
そんなこともあって、選挙中の感触からすれば、私たちの票は伸び悩んだなあと感じました。
しかし、11区の有権者には全く無縁だったわが党が突然選挙戦に参加し、たった12日間の期間で――しかも私たちは、「確認団体」として闘う他の3党と違って、テレビで政策や主張などを訴えることもできない、政党カーも運行できない(つまり候補者カーしか運行できないということです)、ビラの数も不当に制限される等々といった、決定的な差別を受けながらも――、1・6%の得票を得たのは立派な成果だったと思います。私たちは天候等々の悪条件を考慮すれば、この数字は2%あるいはそれをはるかに越えていく得票率の価値があると総括しました。
なぜ私たちが2%にこだわるかといえば、今の全く不正・不正義で、非民主的な選挙制度のもとで、国政選挙を勝ち抜き、議員を獲得する最短の道は、参院選比例区で2%の得票を得ることだからです。その意味では、今回の神奈川11区での闘いは、私たちにとっては、参院選比例区の闘いのテストの意味も持っていたといえます。私たちは準備さえほとんど整えられないままに総選挙闘争に突入し、わずか12日の闘いを堂々といわば〝正攻法で〟、安倍の言うように「真摯に、愚直に」訴えて――もちろん、安倍のやり方は「真摯に、愚直に」とは正反対でした――2%の支持を得たのです。私達の選挙闘争のやり方や、訴えた政策や主張の内容や性格からして、この2%の価値を私達は確信します。つまり私達はテストに立派に合格したといえないでしょうか。テストの結果は、わが党はその実力からして、来るべき参院比例区で議席を獲得できるという大きな自信を与えてくれました。
参院選比例区に参加するためには、「政党要件」――10人の候補者が必要――を満たす必要があります。そうなると、供託金だけで4千万円ほど必要とするなど、多くの困難がありますが、私たちは断固として挑戦、わが党の初議員を誕生させ、長時間労働に代表される搾取労働、非正規労働者の急増に象徴される差別労働を一掃し、労働者の生活を抜本的に改善し、さらに働く者の未来のために道を切り開きたいと思います。
どうかわが党に、物心両面における、大きなご支援をお願いします。
そして決して変節することのない、堕落を知らない、労働者・働く者のために闘う労働者党の議員を何人も何人も生み出し、国会の中でも、国政のレベルでも断固として闘って行く、労働者たちの大きな政治勢力を形成していきましょう。共に闘いましょう。
(労働者党代表委員会議長 林 紘義)
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バラまきのための呪文か
無意味な目的2%物価上昇
2017年11月23日
安倍政権は依然として、十年一日のごとく、「デフレ脱却」を謳っている。消費者物価指数が2%に達しないからだという。デフレ脱却で何をいいたいのか曖昧だが、経済不況や停滞の克服と、2%との物価上昇は別のことである。
〝評論家〟なる無責任な連中は、他方、景気が回復しつつあるから物価も上昇する、デフレ脱却は近いと気楽に論じている。
安倍らは、2%の物価上昇こそ景気回復だと叫んで「異次元の」金融緩和といった〝うさん臭い〟、怪しげな政策、まさに邪道の政策を5年も続けてきたのだが、今や景気回復が進むから2%物価上昇が進むだろうと論じるのである。
我々は2%の物価上昇といった現象と、景気との間にはどんな内的な因果関係もない、したがって、2%の物価上昇を目的とし、そんなものを経済政策の根底に据えるようなアベノミクスはそもそも出発点から間違った、いかがわしいポピュリズムだと批判してきた。
物価上昇がなくても経済の活気や好調や成長がある時期や情況はいくらでもあると同様、2%あるいは数%の物価上昇と、経済不況が同居した時期さえあった。一般に好況の時期には物価は上昇するのだが、それは経済不況や恐慌の時期に、激烈な物価下落によって相殺される〝法則的な〟現象である。
しかし安倍政権は2%の継続的な物価上昇が「確かな」ものになるまで、〝異次元の〟金融緩和や財政膨張の政策を続けるという。
まずいったんインフレに火がつくなら、それは決して2%といったものに止まらず、簡単に数%あるいは10%等々のインフレに転化していくのである。安倍政権はそんなとき、いかにして責任を取ってくれるのか。そもそも年率2%の物価上昇が5年も続けば、実際には10%ほどのインフレ――安倍政権と国家による、国民への追加的大収奪――として現れることを知ってのことか。
さらに安倍政権が矛盾しているのは――危険極まりないことは――、自ら景気は回復した、それどころか株価の上昇や雇用状態の改善を見ても、企業利益の増大を見ても、絶好調に向かっていると叫び、それはアベノミクスのたまものだといいながら――これは眉唾物である、というのは、膨張経済の矛盾は限界に来つつあり、好況は不況に移行し、転化するのは資本主義の常だからである――、なおもデフレ脱却はまだ果たされていない、金融緩和も継続する――そのためには黒田総裁も留任だ――、財政膨張も拍車をかけるとしていることである。
一体何のための2%の物価上昇か、単なる呪文だったのか。2%のデフレ脱却がいまだしというなら、現在の経済の好況はアベノミクスと無関係だったこと、そしてアベノミクスは経済を寄生化し、金融を麻痺させ、財政膨張に拍車をかけて、国家破産を避けられないものにした以外、どんな役割を果たさなかったということである。
デフレ脱却の呪文はただ安倍政権が無節操で無責任なバラまき政治、ポピュリズム政治で労働者、勤労者をペテンにかけ、籠絡するためにのみ持ち出されてきたと結論するしかない。
安倍政権もアベノミクスも破綻しつつある。それが継続しているのは、17総選挙が明らかにしたように、〝野党〟――今では、共産党や立憲民主党――が、事実上、闘う〝野党〟つまり労働者・働く者の党として存在していないからである。
ここにこそ労働者階級が、そしてその先進部隊が、実践的にいま何をなすべきかが明らかにされている。
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ミュンヘン会談のデジャブ
帝国主義勢力の「話し合い」と平和幻想
2017年11月14日
習近平の「熱烈歓迎」ぶりや、トランプと習近平の協調゛や〝仲良しムード〟――表面だけの?――を見て、79年前の1938年のミュンヘン会談を思い出した。何やらデジャブを見るような感じである。
もちろんヒトラーやムッソリーニやチェンバレンやダラディレが、現代の大国の指導者の誰々に当たるという話ではないし、歴史的情況も大きく違っている。しかしお互いに本心――帝国主義的野望――を隠しながら、世界の大国のリーダーたちが――そしてその背後にある大国の国民たちが――、目先の「平和」の確保や〝ビジネス〟――あの時は、〝ビジネス〟といえば、ズデーテン地方のドイツ帰属問題であろうか――に「成果があった」とか浮かれ、時代の内包する深い矛盾と危機に無頓着に安堵している様は、第二次世界大戦直前のミュンヘン会談前後の雰囲気と同様である。
翌年、ヒトラーのポーランド侵攻が始まり、第二次世界大戦が始まったことを思えば、この符合は何か不気味でさえある。帝国主義国家としてのアメリカが問題にするのは、もちろん北朝鮮ではなくて中国である。
そしてトランプや安倍と、習近平の「宥和」はもちろんヒトラーやムッソリーニと、チェンバレンやダラディエの「宥和」と同じく、うたかたの夢ではないという保障は何もないのに、アホな共産党は、トランプ訪日の前後、〝安倍政権のもとでの〟憲法改悪に反対する大規模な集会やデモを組織しはしたが、トランプ訪日や安倍との会談に反対するデモや闘いを組織するのはもちろん、反対の明瞭な意思さえ示さなかった。
志位らは――市民派も同様だが――「戦争反対」と絶叫しながら、一体何を考えているのだろうか。彼らはトランプと安倍の「北朝鮮問題は、圧力を強めて話し合い」という路線に、ほぼ賛成している――あるいは、やむを得ないと考えている--としか取れないのである。
帝国主義的勢力との「話し合い」で、あるいは帝国主義者同士の「話し合い」で、世界がうまく収まっていくといった、愚にもつかない幻想に溺れ切っているのである。この党の「平和」の観念とは、日本の自衛隊が国内に留まるといった、極端に矮小な内容でしかないことが暴露されたのである。
共産党も市民派も、「自国だけ、自分だけ安全で平和ならいい、他のことはどうでもいい」といった、プチブルの偏狭な利己主義と民族主義で完全に汚染されているのである。
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人類史前進の一大画期
ロシア革命、そして中国革命
2017年11月9日
ロシア革命100年にあたり、その評価があれこれ論じられている。
ブルジョア的世論が、この課題に応えられないのは当然としても、共産党(不破や志位らの、スターリン主義の末裔たち)もまた、この問題についてまともなことを何一つ言えず、いまだに中国を「社会主義」国家と評価して平然としている。
プーチンもまた、10月革命を肯定することも否定することもできず、曖昧に、「革命ではなく、段階的な進化を通じて発展することは不可能ではなかったのか」とつぶやき、また「この史実(10月革命)には奧深く、客観的で、専門的な評価が必要である」と逃げている。
もちろん10月革命には多くの側面があり、また客観的な評価こそ必要だが――もちろん「専門的評価」云々はたわ言である――、ブルジョアやインテリはただ道徳的で、空虚な批判――「悪」か「善」か、そのどちらかだ、しかし革命は野蛮で暴力的であるが故に、歴史の「飛躍」を試みるが故に、「悪」以外の何ものでもない等々の皮相浅薄な評価――に留まるのである。
しかし17、8世紀のイギリス革命やフランス革命やアメリカ(独立) 革命があり得たからこそ、輝かしい資本の時代が訪れたと同様に、1917年のロシア革命や48年の中国革命が一つの歴史的必然として登場したからこそ、現在ロシアや中国のブルジョア大国としての、また帝国主義国家としての存在があり得るとするなら、これらの革命の歴史的意義と重要性は余りに明らかである。
ソ連も中国も多くの動揺や混乱、〝回り道〟や〝間違い〟さえ仮にあったとしても、他の多くの諸国民と同様に、ブルジョア的国家として――大国としてさえ――登場し得たのは、封建的、あるいは〝前近代的な〟旧体制や生産様式や古くさい宗教的〝狭窄衣〟を粉砕し、かなぐり捨てたからこそ、その後の広大な歴史的展開が可能になったのであって、それもまた、人類史の偉大な進化と発展の一つの契機であり、いくらかでも長期的に見るなら、人類の究極的解放に向けての、不可避的で、偉大な歴史的前進の一部、一契機である。
我々は早くから、〝スターリン主義〟のソ連や毛沢東の〝農民的共産主義〟(文化大革命等々 )の時代においてさえ、ソ連や中国の生産様式の、根底における資本主義的性格を明瞭に確認して、それを「国家資本主義」の概念として、歴史的、客観的に規定して来たが(我が党の綱領、2章4項~7項参照)、その正しさは今や事実によって証明されている。
人類はいまだ資本の支配する時代のまっただ中にあり、資本の支配する社会と時代の矛盾、労働者・働く者への搾取や抑圧の強化、非人間性や野蛮、帝国主義の発展、資本や権力者たちのための反動的な戦争、そしていまや社会の頽廃や衰退までもの〝負の〟遺産に苦しみ、資本の体制と時代の悲劇的結果に恐怖するような時代となっている。
世界の労働者・働く者にとって、現今の米中関係が、資本主義のアメリカか〝共産主義〟の中国かの対立でないのは、大戦後の数十年間の〝冷戦時代〟、問題が、資本主義(米国)と〝共産主義〟(ソ連)の対立といった虚構ではなく、大国の帝国主義的対立であったのと同様であり、いまや巨大な怪物として登場した諸大国の軍国主義や帝国主義を克服し、一掃する以外に――それがどんな形で為されるかは、歴史の現段階では明らかにされていない――、世界の労働者・働く者は、自らの未来を切り開いてくことはできないのである。
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共産党解党の危機に
スターリン主義と日和見主義
2017年10月27日
我々は、安倍政権の存続を許した戦犯として、前原や小池だけでなく、志位もまた指名せざるを得ない。
共産党は期間中、「共闘で勝利を、比例区は共産へ」と叫び続け、小選挙区で議席獲得、比例区得票を前回の660万から850万へ増やすと豪語してきた。
しかし結果は、比例区で220万も票を減少させ、440万に留まり、議席も21から12にほぼ半減させたのである。
まさに志位の野党共闘路線の完璧の敗北である。
日和見主義とスターリン主義の挫折であり、今や共産党は志位権力の崩壊や、解党の危機にさえ直面しつつある。
この結果が明らかにしたことは、民進党は最初から志位が期待した〝共闘〟に値するような政党では全くなかったということである。これはもちろん志位共産党がそんな〝野党野合〟に相応しい政党であるということの裏返しでもある。党内に、希望の党に雪崩をうつような、卑しい議員病患者が根を張っているような、堕落した党でしかなかったのである。
そんな連中との野党共闘が〝野党野合〟でしかなかったこと、そんな連中を結集して自民党と闘い、安倍政権の終焉を願うのは「木によって魚を求める」たぐいの、無力な空想でしかなかったということである。
観念的な思い付きか、巧みな〝戦術〟かは知らないが、そんな愚劣な日和見主義が、安倍一派や反動たちを利したことは一つの必然であった。
こうした野党野合路線は安倍一派につけ込まれ、単なる権力亡者にすぎない小池に策動する余地を与え、民進党の解体と野党共闘の敗北、安倍一派の圧勝に行きついたのである。
つまり志位は、前原や小池らとともに、否、それ以上に、安倍一派の快勝に責任を負っているのである。
我々が2年前、志位が「自共対決」路線から「野党(+市民派)共闘」路線に転換したとき、この新路線は共産党解体の決定的契機、始まりになり得ると主張したことは現実のものとなりつつある。
志位は立憲民主党に対する〝片想い〟路線を急いで採用することで、野党共闘路線の破綻を取り繕い、ごまかそうとしたが、それは志位がこだわってきた〝両思い〟路線とは別のものであって、立憲民主党と議論し、合意した結果でなく、また志位がこだわった〝フィフティ・フィフティ〟の関係でもなかった。
また選挙直前に誕生したばかりの立憲民主党とそんな駆け引きや取り引きをする時間的、実際的余裕もなかったし、小選挙区で立憲民主党を一方的に共産党票を分け与えたからといって、共産党にはどんなメリットも利益もなかった(むしろ比例区での票が立憲民主党にさらに流れる結果にしかならなかった)。
志位はそんな一方的な譲歩によって、比例区の共産票の増大を夢見たのだが、自らの真剣な闘いを放棄して、有権者の〝善意〟に期待する「路線」が成功するはずもなかったのである。
民進との野党共闘に失敗した志位は、今度は立憲民主との〝縮小版〟野党共闘に賭けるのだが、しかし立憲民主との野党共闘なら大丈夫で、成功するといった保障もほとんどない。
何しろ志位が片恋する枝野は、〝保守〟リベラルとか、「右とか左とかいった無意味なことにこだわらない中道だ」とか、「中間層」の復権とかいった、わけのわからないことを口にする、単なるアホだからである。
かくして共産党もようやく――社会党に20年ほど遅れて――死ぬべき時を迎えたのである。
(元になった2倍ほどある原稿はこちらから)
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庶民派「まじ太」(あくつ)を国会へ!
〝超エリート〟の「きざ夫」はもう沢山だ!
小泉氏への投票は安倍政権の延命だ!
2017年10月20日
安倍は「2年のちの消費増税の税収を幼児教育無償化に転用することの理解」を求めて総選挙をすると、第一声で述べました。しかしそんなことなら、来年12月の任期切れの総選挙でも十分に間に合う話です。いま総選挙をすることは、それが安倍の政権延命の野望や利己からのみ出たものであることを教えています。究極の国家の私物化、政治の私物化です。
小泉氏は「悪いところ」に無関係だったのか
小泉氏は盛んに、「自分たち(安倍政権や自民党)にも悪いところがあった。反省している」など殊勝(しゅしょう)にも語ります、しかし口先だけの美辞麗句であって少しも心がこもっていません。
安倍首相の森友学園、加計学園事件に代表される権力腐敗、政権の私物化という、国家ぐるみの犯罪については沈黙を守っています。
またアベノミクスも5年もの長い間、カネをまさに湯水のようにばらまいたり、財政膨張をはかったりしてデフレ脱却を言ってきました。 しかしそんな政策は邪道の政策であって、〝需要〟を人為的に作り出したり、円安を演出して大企業の輸出を助けたりして、何か景気回復に役だったかに見えましたが、結局は一時的、表面的なものであって、今ではデフレ脱却どころか、安倍政権さえデフレのままであると認めざるを得ない有様です。
そしてそんな邪道の政策は、財政再建どころか財政危機をさらに深化し、国家の借金は今や1000兆円――国民1人当たり約1000万円――です。国民は巨額の税金を支払うか、戦後の時のような大インフレ(物価の急騰)で、近い将来、それを負担しなくてはならないのです。 財政だけでなく、金利ゼロが続き、金融の機能麻痺、崩壊も深化し、経済も寄生化して活気を失い、動かなくなってきています。
しかし小泉氏は、そんなアベノミクスに対して、一言たりとも批判はおろか、警告さえ発しません。
そればかりか、小泉氏は、安倍政権のもと、政権と自民党の要職に次々に抜擢(ばってき)され、先頭に立って安倍政権のために、まるで安倍の茶坊主の役割を果たしているかに見えます。安倍政権のために、選挙と言えば、自分の選挙区などそっちのけで全国を走り回っています。
「自分たちにも悪いところがあった」どころか、先頭に立って「悪いところ」を支持している、否、自分もまたそれに関与し、行っているとしか見えません。
小泉氏を国会に送れない
今回の総選挙は、安倍政権の信任を問う選挙だと言われています。
いま全国289の小選挙区で、安倍政権を交代させるのかどうかの激しい選挙戦が行われています。
一つ一つの選挙区の闘いが、したがってまた神奈川11区の闘いもその一環であり、重要な意味を持っています。
11区でも自民党の候補を選ぶのか、他のより誠実で、信頼できる候補を選ぶのかということは決定的な課題です。イケメンだとか、弁舌さわやかだといった問題ではありません。
小泉氏を国会に送ることは、安倍政権を擁護し、その延命に手を貸すことになります。もし安倍政権の交代を求めるなら、決して小泉氏に一票を投じることはできません。それは全国の安倍政権の退陣のために投票する人々を裏切ることにさえなり、11区の有権者として恥ずかしいことです。
今こそ、安倍政権の一掃のために、イケメンでなくても、本当の信頼できる、朴訥(ぼくとつ)な労働者・働く者の代表を国会に送るべきときです。あくつ孝行をこそよろしくお願いします。
(あくつ孝行 選挙ビラ第2号から)
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小泉氏の「こども保険」論を問う
「全世代型社会保障」はエリートの絵空ごと
2017年10月17日
〝乳幼児教育〟が総選挙の一つの争点、重要政策の一つとして争われています。小泉氏は、今や「こども保険」制度の提唱者として、安倍政権のもとでもてはやされ、安倍政権の最近の経済財政運営の指針、「骨太方針」の中にも、その構想は取り込まれています。
労働者の負担でバラまき政策
こども保険制度とは、簡単にいえば、労働者の厚生年金保険料を引き上げ、それを財源に幼児教育無償化を実現するということです。
彼は、「シルバー民主主義」つまり高齢者ばかりが優遇される現在の体制を変えて、高齢者にももっと負担してもらい、社会保障の恩恵を高齢者だけでなく、すべての世代にも行き渡るようにすることだともいいます。安倍の言うところの、高齢者だけではない、「全世代向け社会保障」という、おかしな考えですが、この点では、安倍も小泉氏も一緒です。
しかし財源問題一つとっても、彼らの論理はめちゃくちゃです。全世代負担、あるいはむしろ今優遇されている高齢者にも負担してもらうというのですが、こども保険制度自体が、現役世代の労働者の保険料をかさ上げし(労使共同で1%)、それを原資にするというのですから、高齢者にも負担してもらうということとの、つじつまが合いません。
小泉氏はまた、財源を消費増税に頼るのには反対だとも主張しています。つまり安倍政権の今の選挙公約とは反対です。
そしてこども保険は、将来の世代に負担を先送りするのを止めることだとも説明するのですが、現役世代の労働者だけに負担させるならいいとでもいうのでしょうか。
いいのか安倍政権の政策と全く別だが
さらに彼は、幼児教育の財源として国債(借金)に頼る安倍政権のやり方にも反対して、それは将来世代に負担を先送りするからよくないといいますが、安倍政権の方は、消費増税を財源にするといいながら、実際には借金返済分をそれに回すことになっています。
つまり安倍は2年のちの2%消費増税分5兆円の中の、借金の返済に充てることになっている4兆円の一部(2兆円)を教育無償化に転用すると言うのですから、これは借金によってやるということと同じです。
ここでも借金に頼らないでやるという小泉氏の構想は、安倍政権の選挙公約と決定的に違っています。
また彼は、幼児教育無償化論は戸別給付だと言いますが、安倍は違っています。安倍は9月25日、「2020年度までに、保育園・幼稚園の費用を無償化する」と強調しました。安倍のこの考えを批判する余裕はありませんが、小泉氏の理屈とは別です。
また彼は、この問題は社会全体で子供を育てるという理念によるものでもあるとか、幼児教育の重要性を確認し、そのためのものであるとも強調しますが、労働者の保険料の引き上げは賃金労働者にだけかかることであって、「社会全体」の負担ということとは違います。
要するに、多くのメリットがある、最善最高の政策であると言いはやされるのですが、小泉氏の自画自賛にもかかわらず、こども保険の思いつきは、矛盾と無原則の空論でしかありません。
彼の構想で残ることは、こども保険という名の、労働者の負担によって、幼児のいる家庭にバラまくということだけです。
高齢者に「失礼で」、ばかげている
私は、全世帯に配布される選挙公報でも、「全世代型社会保障」という考えは、「品が無く、高齢者に失礼だし、現役世代にとっても不愉快」と書きましたが、余りにも粗野で、不真面目です。
小泉氏のこども保険構想やその考え方も内容も、現在安倍政権が総選挙で中心政策の一つとして持ち出している乳幼児教育無償化政策とはこんなにも違い、対立しているのですから、容易に賛成できるはずもないのに、森友学園、加計学園の場合と同じく小泉氏は、それを無批判的に支持し、正当化しています。彼の誠実さと人間性を疑わざるを得ません。
女性差別して社会保障云々は侮辱
小泉氏は現役世代に社会保障だといいます。しかし現役世代は、 本来は自ら働いて生活し、社会保障を担う人々です。彼らが社会保障を必要とするなら、資本の社会が働く現役世代を痛めつけ、ひどく搾取するからです。社会保障ではなく、賃金引き上げや差別の一掃が必要なだけです。女性労働者への差別は深刻ですが、それはとりわけ母子家庭に明らかです。
年に百万や百五十万で母子は生きていくことができず、社会保障ということになりますが、女性差別を一掃し、男女平等の賃金にすれば、待遇も平等にすれば、貧しい家庭も救われます。
安倍や小泉氏の「全世代型社会保障論」は、労働者も女性も高齢者も侮辱する、エリートたちの〝上から目線の〟卑しい観念でしかありません。
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11区の働く者の力で小泉粉砕、安倍政権打倒を
あくつ孝行を国会へ
2017年10月11日
私こと、あくつ孝行は、地元の横須賀市で育ち、小中高で学び、また地元の三崎高校を皮切りに、県内で、高校の社会科教師として41年間を務めさせていただいた者です。また20代の時から、社会運動にも加わってきましたが、今回、労働者・働く者の代表として、この地元から立候補しました。私の基本的な考えや政策については、すでに「選挙公報」に述べさせていただいていますので、ここでは、それを踏まえて、また少し違った私の考えや政策を語りたいと思います。
アベノミクス、森友学園・加計学園事件
安倍は「アベノミクス」という経済政策を掲げて権力を握り、またそれを実行することで5年にもなろうとする長い間、権力をにぎり、安保法や共謀罪法などを成立させてきました。
アベノミクスとは、日銀を通してお金を金融・信用の領域に、経済や流通にザブザブと流し込み、そんな形で「需要」や「消費」を人為的に、政策的に脹れ上がらせ、そんな邪道の政策によって、景気を一時的に煽る政策です。一時的には経済を活気づかせることはできますが、しかしそれは結局は経済の破壊や長い停滞や衰退にさえつながるのです。邪道なやり方はすぐ止めるべきです。
「忖度」でなく「以心伝心」だ――森友学園などの事件の本質
安倍一強の政治経済は政権や国家の深刻な腐敗、頽廃に行きつきました。安倍の政権私物化と専制と頽廃を象徴したものこそ、森友学園、加計学園事件でした。安倍は国会の審査では、「私はすべてを語ったが、私が悪いと言った人は1人もいなかった」などと開き直っていますが、国民の大半は「安倍こそが悪い」と信じています。
そして政権は、罪は安倍にあるのではなく、安倍の心を勝手に、間違って「忖度」した連中こそが悪いかに言いはやしました。
しかし本当に悪いのは安倍であり、取り巻きや官僚は、仮に安倍が明瞭な形で、「森友学園や加計学園に便宜を図れ」と言わなかったにしても、それを「以心伝心」で理解したということです。
だから安倍に罪がないのではなく、安倍を先頭に卑しいとりまきや悪徳官僚たちが結束して、「以心伝心」で犯した国家ぐるみの権力犯罪が、森友学園等の事件なのです。安倍には罪がないのではなく、安倍こそがまず責任をとるべきで、部下や籠池が悪いといって済む問題ではありません、みんな仲間だっただけです。
まさに森友学園、加計学園事件こそ、安倍政権が退陣するしかない、政権と国家ぐるみの究極の腐敗、頽廃を暴露したのです。
小泉氏の「幼児教育無償化」政策は人気取りのバラまき
私は、小泉氏の労働者の厚生年金等の保険料を引き上げて、それを財源に幼児教育の無償化を計るというのは、労働者の負担で人気取りのためにバラマキをする、卑しい政策であり、止めるべきだと主張します。
この問題は、そもそも乳幼児教育とは何か、から考えるべきです。今の日本では、学齢年齢(乳幼児が学び、「教育」を受ける年齢)、つまり社会が組織的、意識的な形で「教育」を始めるのは6才を越えてからとなっているのです。これは豊かな階層がピアノだ、水泳だ、英語塾だ等々といった「教育」を児童にやらせるということとは別です。「幼児教育」や教育の無償化といった〝政策〟は、金持ちや私的資本(この場合、教育資本家の典型が、森友学園や加計学園というわけですが、広く高等教育までに及ぶ、教育における私的資本の全体)の利害と結びついている利権の一つとさえいえるのです。
また安倍や小泉の「全世代型社会保障」の考え方こそ、彼らの心のいやらしさや無神経や野蛮さえ暴露するものです。私はこれは、選挙公報でも書きましたように「品が無く、高齢者には失礼だし、現役世代にとってさえ不愉快」なものだと思います。社会保障が高齢者に「傾く」のは当然であって、誰でも年齢を重ねれば、自分で働いて生活し、生きることはできなくなりますし、まして病気になって動けなくなってくれば、当然、世話や介護も必要です。首相や小泉氏は、世代間がいがみ合い、憎しみ合うような、索漠とした社会でも作りたいのでしょうか。
それにそもそも、現役世代は自ら労働し、生活する人々、むしろ社会保障を支える人々であって、社会保障の対象であるはずもありません。彼らがもし社会保障の対象になっているとするなら、彼らの賃金が低く、生活できないからで、彼らに必要なものは社会保障ではなく、賃金や労働条件の改善です、つまり我々が強調しているように、えげつない搾取労働、差別労働の一掃です。
それに、今働く女性や労働者にとっての第一義的課題は、待機児童を早急に一掃することであって、非現実的な教育無償化についておしゃべりすることではありません。
野党共闘は破綻したのにまた同じこと?
共産党についていえば、民進党の解体と半数もの議員たちが「幸福の党」ならぬ、似たような名の「希望の党」に雪崩をうった事実からも、野党共闘の破産、したがってまた志位路線の破綻は明らかです。野党共闘の一部が小池新党の主力に走ったということ自体が、そんな連中を信用し、当てにして野党共闘を謳ったことの見事な破綻であり、小池新党の登場こそ、ある意味で志位路線の責任であることを教えています。志位とその路線こそが、小池が策動し、でしゃばり、下劣な政治策動にふける条件を提供し、準備してきたのです。
私たちが、昨年の参院選小選挙区における、共産党の野党共闘戦術の実際を明らかにした『海つばめ』の記事を紹介しますが、我々の批判が、今では、どんなに正しく、正当であったかが明らかになりました。
しかし共産党は野党共闘の縮小版をまたやるといいます。何の反省もないのです。
11区に大阪からちん入した希望の党員――意味不明で重症の議員病患者?
またもと小沢の自由党員で、大阪で立候補を予定していた女性が、11区へと落下傘候補として降り立ちましたが、野党共闘の陣営から大急ぎで小池新党支持に転向し、神奈川に下って来るまでしても、議員になりたいという〝議員病〟に取りつかれているような候補者のようです。
「ベーシック・インカム」(万民への所得保障)なる愚昧な政策を掲げていますが、しかしベーシックインカムとは、万人に無償の最低所得(例えば、月に10万、20万とか)を給付すれば、人々は生活が保障され、幸せに生きられるのだから経済も活況を呈し、しかも消費や需要が膨れあがるのだから、経済も成長し、繁栄して、いいことづくめだというよた話です。
働かないでもカネを国家がくださるというのですが、何兆円、何十兆円もの財源はどうするのかという問いを発するだけで、そんな愚論の無意味さは明らかです。
選挙戦で私の一番訴えたいこと
公報で詳しく展開しましたので、それを見ていただけるといいのですが、労働者の代表として、私が最も訴えたい政策は次の二点です。
一つは、長時間労働、ブラック企業や過労死に象徴される、搾取労働の即時廃止の要求、もう一つは二千万人にも急増した非正規労働者や、低賃金や身分的差別などに苦しむ女性労働者の間に、広くはびこっている、差別労働の即時一掃の要求です。
こうした私の要求は、何か非現実的で、途方もないものに思われるかも知れませんが、事実上、安倍首相自身が、昨年の秋、「働き方改革」を謳い、同一労働同一賃金の実現を実行すると宣言したときに声を大にして主張し、公約したことにすぎません。
当時、安倍首相は、差別労働の廃止は「待ったなしの重要課題」と言い、また、「この日本から非正規労働という言葉を一掃する」と大言壮語しました。長時間の殺人的労働の一掃は、「躊躇(ちゅうちょ)なしに行う」と、公約しました。
この11区から労働者・働く者の代表が国会に出て行くなら、安倍政権に深刻な打撃となり、安倍政権打倒の契機の一つとなり得ます。働く者のすべての票を、そしてまともな精神を保持する全ての人々の力を集中し、私たちの勝利を勝ち取りましょう。
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あくつ孝行は、かく闘う
選挙にのぞむ私の基本的立場と政策
2017年10月8日
●労働者の代表として闘う私の基本的な政策
私はまず二つの点について、基本的な2つの政策的立場を明らかにしたいと思います。
一つは、長時間労働、ブラック企業などに象徴される、搾取労働の即時廃止の要求です。
二つは、2千万人にも急増してきた非正規労働者や、低賃金や身分的不公平などに苦しむ女性労働者の間に広くはびこっている、差別労働の即時一掃の要求です。
こうした私の要求は、何か非現実的で、途方もないものに思われるかも知れませんが、事実上、安倍首相自身が、昨年の秋、「働き方改革」を謳い、同一労働同一賃金の実現を実行すると宣言したときに声を大にして主張し、公約したことにすぎません。
当時、安倍首相は、差別労働の廃止は「待ったなしの重要課題」と言い、また、「この日本から非正規労働という言葉を一掃する」と大言壮語しました。
長時間の殺人的労働の一掃は、「躊躇(ちゅうちょ)なしに行う」といわば公約しました。
これらの言葉は、長時間に及ぶ搾取労働や不当な差別労働を、最優先の課題とし、即時に、「躊躇なしに」行うという、首相の労働者、勤労者への公約ではなかったでしょうか。
しかし首相は言うだけで、まじめに実現しようという意思はありませんでした。同一労働同一賃金といっても、「会社への貢献度」なども評価すべき等々を持ち出して、差別労働の一掃に具体的に取り組む気配は全くありません、ただ一時のリップサービスです。
私たちは安倍政権に対し、我々の要求を断固として、迅速に実行し、実現するように要求します(もちろんその実現の仕方は、新しい法律を作るとか、首相の自由ですが)。
●小泉氏のこども保険による幼児教育無償化政策に反対します
小泉氏の主張は一言でいって、労働者の厚生年金などの保険料を引き上げて(労使共に0・5%ずつ、計1%)、それを財源に幼児の教育無償化を実現するというものです。
つまり労働者の負担で、政治家たちの人気取りのためにバラまきをするということです。
小泉氏は教育無償化の内容について、こども保険とは0歳児から5歳児のいる家庭に、労働者の保険料の引き上げを財源に、特別な給付をすることだと言います。しかし各家庭にカネをバラまくことは、教育無償化とは違います、と言うのは、バラまかれたカネが乳幼児のために、とりわけ「教育」のために支出されるといったこととは違うからです。
そもそも、乳幼児の保育といい、その「教育」といい、幼稚園と保育園が違った「理念」に基づいて共存し、しかもその両方とも公立、私立がそれぞれ無秩序に混在し、さらには保育所や幼稚園にも通わない乳幼児が4割もいるという現状を見るなら、こんな混沌を整理することなく、乳幼児の保育や「教育」の無償化と言っても空文句にしかなりません。
乳幼児「教育」と騒がれますが、日本は(世界でも)学齢年齢が決められ、規定されており、基本的に6才以上になっています。
小泉氏は幼児教育無償化は、社会保障を高齢者中心から乳幼児にまで及ぶ「全世代型の」ものに変えていくことだと言いますが、社会保障の比重が高齢者に傾くのは当然です。
必要なことは、この困難な社会保障問題を真剣に、合理的な観点で考え、解決することで、「全世代型の」社会保障について語るなど品が無く、高齢者には失礼だし、現役世代にも不愉快な発言です。そんなことをいって「全世代型の」バラまき政策を正当化しようとするなら、首相も小泉氏も「全世代型の」(つまり“国民的な”)非難の嵐に直面するだけです。
今働く女性や労働者にとっての、乳幼児に関する緊急課題は、待機児童を早急に一掃することであって、非現実的な教育無償化について空論をもてあそぶことではありません。
こうした無責任で、軽はずみな政策や発言を見ると、小泉氏はまさに、親父譲りか、安倍仕込みかは知りませんが、無原則のポピュリズム政治家の1人でしかありません。
この問題に限らず、結局は安倍政権や自民党の責任のある要職に次々とつき、しかも森友学園、加計学園等々、首相を中心とした国家ぐるみの権力犯罪については何一つ発言していません、つまりそれを擁護しているとしか取れません。
●瀬戸氏よ、野党共闘は野党野合ではないですか
旧野党共闘は、共産党と市民派と民進党の共同でしたが、三者三様、根本的な思想や政治路線や政策さえ異なるのですから、それぞれ独自の政党や政治勢力として、自分の考えに従い、自分の独自の闘い方で、自分の最大限の力を出して闘い、全体としての闘いの力を高め、安倍政権を倒せばいいのであって、またあれこれの闘いの具体的場面や段階で事情が許し、客観的に意義があり、また両者が納得するなら協力すればいいのであって、最初から原則的な立場で異なる政党が協力しなくてはならないなどといって、お互いの原則を棚上げし、妥協して闘って、いい結果が出るはずもありません。
民進党の内部には自民党や保守陣営と同じ立場の人がゾロゾロいたのですから、重要なときに、そんな人たちが裏切る可能性はいくらでもあったのであって、そんな連中を信用し、仲間として統一戦線を組んだ志位氏が暗愚だっただけです。
●私の経歴、考え、決意
国会を見るに、700余人もの議員はみな腐敗し、権力闘争にふける権力亡者となり、政治的詐欺師や、私利や特権を追い求めるだけの議員病患者のような連中ばかりです。
私は、この横須賀、三浦の地で育ち、小中高も学び、大学では教職の資格を得て、このふる里の地の県立三崎高校をスタートに県内の多くの高校で生徒たちとともに、生徒たちを愛し、教えるというより共に学びながら、教職の41年間を生きてきました。
私は20代の若い頃から、社会運動に生涯を奉げることを決意し、それ以来、一貫して働く者のために生きていこうと考えてきました。
今、都知事の小池や、民進党の解散にともなう政治家の出処進退や、彼らの腐敗や議員病、自分の利得やエゴや権力欲だけで右往左往するありさまを見ても、私の人生や生き方からすれば、あり得ない醜悪なさまに見えます。私は仮に国会に出て行っても、あんな議員には決してならない、ああした腐敗議員になるくらいなら死んだ方がましだと思います。
生まれも育ちも人生も、親譲りのエリート政治家とは共通点の何もない私ですが、働く人たちの声の代弁者、代表として、国会という闘いの場に送ってください。
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自公、希望、野党共闘派の〝三極構造〟に
空虚でナンセンスな政治闘争
2017年10月3日
枝野が「立憲民主党」を立ち上げ、ようやく今日(10月3日、公示の丁度1週間前)にして、17年衆院選の闘いの形(構図)が明らかになってきました。自公政権に対する勢力は、もう一つのブルジョア反動派勢力としての小池新党――保守ポピュリズム的、デマゴギー的勢力(維新派も含む)、そして新装の「野党共闘」派勢力の政治闘争という、三つどもえですが、一見してそれ自体は、空虚でナンセンスな政治闘争、反動と国家主義に向かっての流れを一層強める結果にしか行きつかない政治闘争――偽りの、隠蔽され、仮装された階級的政治闘争――というしかありません
。
民進党を――その過半を――〝取り込む〟という小池の策動は半ばしか成功せず、小池の強引で、権力主義的やり方は反発を呼び、小池新党から切られる議員たちは新しい政党に結集するしかなく、かくして大急ぎの立憲民主党の誕生となったのですが、これは小池にとっても大きな打撃で、彼女の政権取りに大きな影響を及ぼすでしょう。
立憲民主党は志位の野党共闘の〝深情け〟に対していかなる立場に立つのか、〝ずぶずぶの〟野党共闘にのめり込むのか、それとも共産党と〝一線を画しての〟共闘にするのか(それはどんな形のものになるのか)、民進党内の保守派がいなくなったとしても、この〝難題〟は依然として残ります。それくらいなら、3党は――市民派も含めて――党を一つにしたらどうかという問題さえ出てきてもおかしくありません(それも不可能でしょう、というのは、セクト主義とドグマに凝り固まった、しかも傲慢な官僚主義的〝体質〟の共産党と合同できる勢力は皆無だろうからです)。
志位は立憲民主党が組織され、何とか野党共闘路線が継続され、自らの路線は破綻しなかったと安堵の吐息を漏らすかも知れませんが、しかし彼が目指したのは、小池新党に走ったような連中も含めての野党共闘路線だったのですから、そしてそうした形で安倍政権を倒して政権を奪取すると主張したのですから、そんな主張自体の許し難い、裏切り的な本性がむしろ暴露されたのであって、小池のもとにいそいそと走る連中――憲法(9条)の改悪を認めるかどうか、戦争法(安保法)を容認するかどうかという踏み絵に喜々として応じるような連中――を信頼し、その裏切りを許した罪は大きく、その責任は重大です。
我々は簡単に崩壊していくような、ガラス細工のような、実現しても無力な野党共闘に、安倍政権との闘いを矮小化した志位と共産党の責任を徹底的に追及し、今こそこのスターリン主義の醜悪な党の民進党に次ぐ解散を、つまり共産党〝打倒〟の闘いを勝ち取っていく必要があります。
そもそも野党共闘が崩れて、小池新党が登場し、保守勢力が全体として肥大化し、野党共闘政権などが夢のまた夢と化したのですから、志位路線が破綻したことは余りに明らかです。3つの野党共闘の茶番、そのミニチュア版など仮に出現しても、労働者の力強い政治的な闘いが登場していけば、たちまち吹き飛んでしまうようなものにすぎません。
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