繰り返される茶番劇
6月半ばに米朝会談
2018年5月28日
いったん白紙に戻った感のあった米朝首脳会談が前に予定されていた通り、6月12日に行われそうな雰囲気になっていますが、茶番の上に茶番を重ねる茶番劇のオンパレードというしかありません。
要するにトランプも金正恩もともに茶番を演じつつ、自らの王朝もしくは政権を維持することだけが目的で動いているだけですが――金正恩はトランプに、そして今では「世界に体制保障」を求め、哀願しています、他方、トランプの頭にあるのは秋の中間選挙に勝って、トランプの二期政権につなげることだけです――、それは安倍や習近平やプーチンらがそうであるのと同様です。金正恩は3代続いた簒奪王朝の存続と自分の命をまもるために、そしてトランプはたまたま手にした政権を守り、延命させるために、それぞれ取り引き(ディール)と権謀術策と妥協にふけるのです。
北朝鮮の「完全で不可逆的な非核化」にせよ、「朝鮮半島(全体)の非核化」(これはアメリカが南朝鮮の核を撤去するという交換条件ですが、トランプが呑む保障はほとんどありません)にせよ、国際政治の全体にとってはイスラエルやインドの「非核化」等々に比べてさえ――まして米中露等々の非核化に比べて――ほとんどゼロに近い意味しか持っていません。それが世界的な非核化の出発点になるなど、幻想の中でもとびきりの幻想でしかありません。
そもそも「完全で不可逆的な核兵器」で満身武装のトランプやその茶坊主の安倍が言っても何の説得力もありません。単なる弱い者もいじめによって自己満足し、強者としての自らを正当化する悪たれ小僧や教室のいじめっ子といったところです。
金正恩は最後になって自らの権威を守るために、トランプに対して強がり、高姿勢を演出しようとしましたが、一枚上手の――そして強者である――トランプに強硬に出られるや否や、大あわてに動揺しわずか半日で、「いつでも、いかなる方式であっても対面して問題を解決する用意がある」と、世界の、そして北鮮国民の前で全面屈服し、自らの卑屈で、いくじのない本性をさらけ出してしまいました。
そして仮にアメリカが、あるいは金正恩が望むように「世界」が金王朝の専制体制を認めようと、北朝鮮の労働者、勤労者が決起して――かつて1990年当時、東ヨーロッパのいくつものスターリン主義者の権力が労働者、勤労者の闘いの前に崩壊したように――、金正恩の専制体制を一掃してしまうのを誰も阻止することはできないのです。
金正恩がトランプの前で、無様で、卑屈で、無力な本性――単なる裸の王様であり、またそうでしかなかったこと――を、北朝鮮の国民に、労働者、勤労者にあからさまにさらけだしてしまった現在、それが現実のものとならないと誰も言うことはできません。
金正恩は中国やベトナムのように、自らの専制王朝を維持したまま、市場経済の導入や国家による資本主義経済の展開や発展によって生き延びようと――それが可能であると――夢想するかですが、金正恩に都合のいい、そんな道が保証されているわけではありませんが、それは「朝鮮の非核化」によってトランプ政権の延命――ノーベル平和賞のおまけ付きで――や、安倍政権の継続が保証されていないのと同様です。
そもそも金王朝はすでに専制君主体制にまで、〝絶対王政〟にまで転化しているのですから、鄧小平といった人物が登場し、〝改革〟を断行する条件はありません、あるいは鄧小平が登場するには、まず金正恩体制が一掃されなくてはならないのです。
我々はトランプや金正恩や安倍らの茶番劇がどんな形で繰り広げられようと、そんな者に対するどんな幻想も抱くことなく、世界の、そして日本の下劣な専制的権力者――今では、そんな連中が世界中で、アフリカやアジアや中南米等々の発展途上国だけでなく、先進国といわれている諸国家でも増殖しているのですが――に対する断固たる闘いを、世界の闘う労働者、勤労者に連帯し、歩調を合わせつつ貫徹するのみです。(林)
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激動の時代の開始
世界資本主義の矛盾の激化と行き詰まり
2018年5月25日
トランプが自動車の輸入に25%の関税を課すと宣言しました。こうした政策が実現するかどうかはまだ分かりませんが、3月の鉄鋼などの関税引き上げは実行に移されました。鉄鋼と自動車では、その重要性において異なります――とりわけ日本やドイツ等々にとっては――が、しかしトランプの保護政策はアメリカにとってさえナンセンスで、アメリカ資本主義の停滞や衰退の深化を促進こそすれ、アメリカの労働者・働く者にとつてさえ利益ではありません。それはアメリカの自動車の、否、生産手段や消費手段全体の価格上昇と国際市場における競争力の減退を意味し、いくらかでも長期的に見れば、アメリカ経済社会の寄生化と後退につながるだけです。
またトランプは米朝首脳会談を「今は不適切」と中止――延期でさえなく、直接に中止です――に踏み切って、北朝鮮の非核化は棚上げされましたが、この中止が一時的な駆け引きの範囲内のものなのか、大きな国際政治の動揺と対立激化を意味するのかは、今のところ断言できません。
いずれにせよ、世界中の国家の自国第一主義と、指導者たちの専制政治への傾斜や権力への妄執等々が強まる中――背景には、世界資本主義の矛盾の激化と行き詰まりがあります――、世界の、そして日本の政治経済の激動の時代が開始されつつあるという予感があります。
日本においても、安倍政権の権威と信頼はまさに地に落ちていますが、連日の国会での涙ぐましい野党(半ブルジョア党、プチブル党)の奮闘にもかかわらず、野党の支持率は相変わらず低迷したままであり、彼らに対する、労働者・働く者の期待はまるで高まらないままです(彼らの空っぽと無節操と醜悪さと反動性からして、当然ですが)。
労働者・働く者の支持と信頼を集め、たくましく前進していく新しい党派の登場と出現は客観的な社会的、時代的要請であるが、そんな党派が反動的な、ファシズム的軍国主義的勢力であるのか、反資本主義的、労働者的勢力であるのか、どちらに揺れ、傾くのか、今は微妙な段階にあるのかも知れません。
我々が、時代と社会の要請に応えうる、そんな実力と内容を、そして断固たる決意とグリット(どんな苦難にも耐える根性)を持った労働者・働く者の党派であるかが問われています。参院選の勝利に向けて、党の団結を固め、活動を強め、影響力を広げ、前進すべきときです。(林)
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共産主義の定義
共産党のプチブル的解釈
2018年5月20日
10年ぶりに「広辞苑」が改定された話。我々の会議でも、「耳ざわりが良い」と書いたことで「間違っている、広辞苑も誤用としている」と批判し、大論争?があったが、これは新版広辞苑がどちらも誤用とはいえないという新見解を示して、我々の中では〝解決〟した。
解決しないのは、共産党が広辞苑の解釈に抗議して、新しい共産党の解釈を採用すべきと迫っている問題である。共産党は広辞苑の「共産主義」の叙述が間違っている、共産党は今では、共産主義の2段階説――初期の社会主義段階と、高度の共産主義の段階があるという説――を放棄する綱領改訂を行ったから、その新しい〝科学的〟見解に従えというのだ。
共産党が不満なのは、共産主義とは「生産手段の共有に立脚する社会」と書いている広辞苑の第2項でなく、「私有財産制の否定と共有財産制の実現によって貧富の差をなくそうという思想」とまとめられている第1項。
彼らによると、共産主義は生産手段の共有と小財産の私有のいわば混合社会だそうで、共産主義の初期の段階と高度段階を区別したレーニンはおかしいという。
マルクスの見解も知らない無知蒙昧ぶりはさておえて、ここでも間違っているのは共産党である。
共産党は一体「私有財産」という言葉で、何さしているのか。彼らは土地や家屋・住宅や、乗用車や冷蔵庫などの耐久消費財などを取り上げてこうした俗説を展開し、客観的にプチブル階級の党としての本性を暴露するのだ。
多くの思想家は古代から土地私有を否定してきたが、それは原初的な生産手段として、その私有が直接生産者(農民等々)への搾取社会を形成し、規定してきたからである。近代の社会主義が私有財産の否定をいうとき、それは生産手段についてのことだけであって、消費財の私有は最初から問題にされていない。消費手段は労働者の労働時間に比例して労働者に分配されるだけだ。
冷蔵庫などの耐久製品もまた消費財であって、穀物や生鮮食品との違いは、単に消費手段の利用の仕方だけである。生活の根底とする住居さえ基本的に耐久消費財の一つであり、それを私的所有だなどとわめくのは自己のプチブル的本性を暴露する。 (林)
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統一朝鮮国家の可能性
それは民主的なものとしてのみ可能
2018年4月27日
今日、南北朝鮮の首脳会議が行われ、70年を越える、朝鮮国民の南北分裂の、朝鮮戦争等々に始まる、悲劇の歴史──それはさらに遠く、朝鮮の日本による植民地国家への転落に端を発するのだが──が終わる展望が開けてきた。我々は朝鮮国民のために、とりわけ労働者・働く者のために、こうした現実を歓迎し、評価する。朝鮮の2つの国家の接近や融和の動きに対して、「北に惑わされるな」等々叫び、誹(そし)り、けなしてきた日本のブルジョアや反動たちは、安倍政権は、その卑しい心根を、矮小偏狭な利己主義を、ここでもあからさまに暴露したのであり、他方、我々は終始、労働者の国際主義に忠実に、立派に振る舞ってきたのである(例えば、南北融和さえまだ怪しかった段階で発行された、2月の『海つばめ』1321号等参照。当時、今日のようなことが現実になると、誰が想像し得たであろうか)。
北朝鮮が〝完全に〟核放棄を実行するかどうかより、南北の融合の方がはるかに重要であり、大きな意味を歴史的に持つだろう、というのは、南北の融合は統一朝鮮国家の出現につながる可能性であり、そしてそうなれば、北朝鮮の専制国家の深刻な変質は不可避であるからである、さもなければ、1990年前後、東ヨーロッパで生じたような、スターリン主義の専制国家の一掃に、金王朝の終焉に行きつくしかないからである。朝鮮の両国家の統一は、ただ民主的な朝鮮国家としてのみ可能であり、必然であって、それは、朝鮮と日本の労働者や労働者党、否、東アジアやアジア全体──世界全体でさえあり得る──の労働者や労働者党にとって歓迎すべきことであり、その接近や交流や共同闘争への大きな衝撃にも、前進にもなり得るからであろう。(注記。この原稿は、27日朝のテレビ報道を見た段階に書かれていて、会談の結果を知る前のものです)。
ついでに個人的なことを言わせてもらえば、戦後の朝鮮戦争は、林の中学の3年間とほぼ重なる時代の〝事件〟であり、同じ時代に戦われていて、その意味では、全くよそ事というものではありませんでした。朝鮮戦争の2年ほど前にも、4・3事件という、民衆蜂起とその大弾圧悲劇も、済州島で起こりました。それだけに、南北朝鮮の融合への動きは感慨深いものがあり、日本の国民以上に、多くのつらく残酷で、困難な歴史を、不幸で、悲劇的な歴史を経てきた朝鮮の国民、とりわけ労働者・働く者のよき未来を願わざるを得ません。(もっとも、長野県の山奥の村--かつての会地村(おうち村)、現在の阿智村──では、朝鮮戦争は感覚的には、全く別世界の出来事でしかなかったのですが、それでも現実世界の一部でもあり、一進一退の実際の戦況などはラジオニュースがしょっちゅう報道していましたし、新聞記事としても大きな活字と共に紙面を賑わせていました)。
(林)
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イラク派遣軍の日報隠し
「文民統制が危うい」などは見当違い
2018年4月10日
昨年2月、南スーダンPKOの日報隠し問題に続いて、イラク派遣軍の日報隠しも問題になる等々、自衛隊──というより、安倍政権と防衛省──の文書隠し、真実隠蔽がまたまた明らかになりました。防衛省だけでなく、文科省、財務省、厚労省、内閣府等々、政府と国家機構全体の腐敗と頽廃、劣化と解体を暴露して余りあります。もっぱら陸自などに非難が集中され、安倍政権は自衛隊の問題であって、自分は関係ないかに装い、いつものように責任転嫁を図っています。森友学園や加計学園などと同じ構図ですが、もちろん官僚──防衛官僚、さらには自衛隊制服組まで含めて──真実隠しに狂奔するのは安倍政権やその意図や発言があってのことであって、安倍政権に政治と政策──というより、安倍の頽廃的なブルジョア的、階級的な政治、安倍一派の国家主義的で、〝閥族的な〟な、〝間違った〟政治自体に、さらには汚いごまかしや卑しいご都合主義、非倫理性等々に原因があるのは明らかです。
自民党まで含めた〝世論〟なるものは、「文民統制が危うい」とか、「揺らぐ文民統制」など叫びますが、見当違いもはなはだしい発言です。今回の防衛省の真実隠し、日報隠しは、防衛省や制服組が政府の意思や意図に背いて暴走した、1930年代の軍部=関東軍の〝満州〟への侵攻とか、日中戦争の挑発とは全く別の、政府と軍部との関係であって、むしろ防衛省・軍部──自衛隊=〝制服組〟は、政府や防衛省官僚=背広組〟らの意を受けて、あるいは〝志〟を共にして、安倍政権のために文書隠しに走ったのであって、責任は安倍政権にあるのは自明です。こんなところで的外れの「文民統制」を持ち出すのは、事実上、自らの責任を防衛省の官僚や制服組にまで転嫁しようと策動する安倍政権に加担し、その真実隠しに手を貸す以外の何ものでもありません。安倍政権こそが〝諸悪の根源〟であり、元凶です。
安倍政権の、つまり政治の究極の腐敗は、それこそかつての時代と同じく、ブルジョアやプチブルをファシズムに動員する格好の条件を生みだすのですが──もちろんそれは、他方では広汎な労働者、勤労者の怒りや反発を呼び覚まし、階級意識、政治意識を目覚めさせ、階級的、政治的闘いに対する広汎な活性化や参加等々をもたらすのですが──、さらに国家の〝最後の支柱〟としての軍隊=〝現場の〟、あるいは現役の自衛隊員の危機意識の発酵につながり、反動化、フッァショ化の芽を生み、育てる契機になりかねない、危険極まりない現実です。
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安倍政権に今こそとどめを!
森友事件の真実が暴露されました
2018年3月13日
※2017年4月16日発行『海つばめ』1299号『主張』で事件の本質を論及。
『海つばめ』1299号『主張』「森友を巡る巨悪を許してはならない」参照。
全国の労働者、勤労者の皆さん
ついに森友学園事件で、安倍と安倍政権がこれまで言ってきたすべてが虚偽であり、その虚偽を正当化するために財務省の官僚たちが多くの公文書を書き換え、偽造していたことが明らかになりました。
安倍政権が権力の陰に隠れ、事実を必死で隠したため遅れに遅れましたが、真実は結局は勝利したのです。麻生や安倍政権は一部の官僚や佐川に責任があるかに言いはやし、責任転嫁を図っていますが、醜い限りです。
安倍が国会で安倍と昭恵について、「私と妻が何らかの関係があるなら、総理も議員も辞めます」といった虚偽発言を行い、麻生などの政治家か、あるいは佐川が下級官僚に命じてか、〝忖度〟してか知りませんが──そのことの真実はまだ
不明ですが、やがて明らかになるでしょう──、公文書の書き換えまで行い──れっきとした犯罪行為だ──、そんな安倍の発言を糊塗し、ごまかし、安倍らの国家や政権を私しする行為を隠そうとしたとするなら、罪の根源が下っ端の
「一部官僚」や佐川に無いこと──麻生にさえないこと──は自明であって、安倍とその妻にこそあるという以外ありません。安倍政権は今や累卵の危うきにあり、崩壊の危機に直面していますが、自らの招いたこと、
汚濁と腐敗にまみれた〝ヤクザ〟政権として、一つの必然でしかありません。
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我が党が昨年の総選挙で、神奈川11区で安倍政権の打倒を徹底的に訴え、小泉の欺瞞を明らかにして闘った意義はますます明らかです。
小泉は今頃になって、安倍政権に問題があるかに言いだし、「自民党は官僚だけに責任を押し付けるようなことをする政党ではないという姿を見せないといけない」などときれい事を口にしています。
しかし我々はすでに、昨年の総選挙のとき、安倍政権のために、自分の選挙区を留守にしてまでして、安倍政権のために全力を上げて〝闘って〟いた小泉の偽善を暴露し、小泉は事実上、「安倍の茶坊主の役割を果たしている」と糺弾、小泉は「『自分たち(自民党や安倍政権)にも悪いところがあった』
──小泉の選挙中の発言──どころか、先頭に立って『悪いところ』つまり安倍政権を支持している、否、自分もまたそれに関与し、手を染めているとしか思われない」(選挙公認ビラ第2号、『我々はいかに闘ったか──神奈川11区の闘い』31頁参照)
と批判し、安倍政権を倒すためには、小泉ではなく、あくつ候補に投票するように呼びかけました。
我々は来るべき来年の参院選には総力を挙げて参加し、自民党政権の打倒を目ざして、また『労働の解放をめざす労働者党』(略称『労働者党』)の初議員誕生を目ざして闘い抜くつもりです。
全国の労働者、勤労者のみなさんの大きな、大きなご支援をお願いします。
共に闘いましょう。
※『海つばめ』2017/4/16号『主張』「森友を巡る巨悪を許してはならない」参照。
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第二次黒田日銀は何をしようとするのか
2018年2月24日
〝市場〟関係者が、第二次黒田体制に安堵の胸をなで下ろし、〝大規模の〟金融緩和政策の継続にホッとしたとしても、客観的には、すでに黒田の〝異次元の〟金融緩和政策が行き詰まり、破綻に瀕していること、そしてそれが破綻しないのは、正常ならざる、破滅的な金融緩和を継続しているから、している限りであることは明らかである。
マグロが泳ぐことを中断したら死んでしまうと同様に、黒田日銀も──したがってまた安倍政権も──金融緩和路線を疾走するのを止めたら、死んでしまうのである。
5年間も、臨時の、一時の政策だと偽って始めた、〝非常時の〟政策を無理押しで続けてきたのである。破綻しない方が奇跡である。
安倍が黒田を再び任命すると決めたのは、黒田が日銀総裁として、まさに訪れようとしている世界的な経済の激動期に、危機の時代に、賢明に日本経済を導く実力や才能があると信じたからではない。
黒田が、現在の緩和路線を継続しても、反対に財政金融の縮小路線に転じても、それを〝巧みに〟やってくれると期待したからでもない。ただ安倍は黒田なら、今後の安倍政権のために、安倍の望むがままの政策──たとえそれがどんなものであっても──をやってくれると信じているだけである。
しかしこの5年間、黒田の金融政策はすでに完全に行き詰まっており、その継続などあり得ないことも安倍にはよく分かっている。
黒田は〝異次元の〟金融緩和──年々80兆円にも達する国債を買い続ける等々──を強行することで、2年で2%のインフレを達成し、まさにそのことによって日本の経済も国も救う、できなかったら辞任するとまで豪語したのである。 しかし黒田は5年たっても、その公約を実現できなかっただけではない、追い詰められて、量的緩和に加えて、株やその他の有価証券も買い漁り、あげくの果てには、銀行や企業の手元に滞留したカネを何とか使わせようとしてゼロ金利、マイナス金利など非常識の政策に行きついたのである。
それを非常識と呼ぶのは、マイナス金利ほど資本主義的〝法則〟に反したものはないから、そんな政策を強行し続けるなら、信用も経済も、財政さえもめちゃくちゃになり、資本主義自体が解体して行きかねないから、まさに資本主義の自己否定を意味する〝政策〟だからである。
安倍や黒田は、現行の〝大規模の〟金融緩和を継続すると称して、〝市場〟を安心させているが、しかしすでにそんな政策は行き詰まり、破綻しつつあり、あるいは実行不可能であり、それは安倍も黒田も意識せざるを得ない。
量的緩和も、国債を買う余地はますます狭まっているし、マイナス金利をさらに「深堀りする」などといっても、マイナス金利に「深掘り」が不可能なのは誰だって知っていることである。
そして2%のインフレだなどといっている間に、今や消費者物価の急速な上昇がやってくる気配すらある。
黒田がスイスのダボスで、2%の物価上昇目標に「ようやく近づいている」などと浮かれている間に、日本では生鮮野菜やガソリンや灯油等々の急速な値上げが続き、労働者・働く者の生活を圧迫し始めている。
こうした物価上昇が「季節要因」や原油の値上げによる一時的なものか、あるいは不気味に接近するインフレの予兆かどうかの詮索はさておくにしても、物価上昇が──そして来年には2%の消費増税も迫っている──、労働者・働く者にとって身に染みて感じられる、実際的な災厄や災難であっても、黒田や安倍やブルジョアたちのように、喜んで歓迎すべきものでないことだけは確かである。
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『我々はいかに闘ったか
神奈川11区の闘い
安倍と小泉の政治に反対して』刊行
ぜひご購読を!
2018年2月4日
我が労働者党の17総選挙の闘い、神奈川11区での選挙闘争の報告をまとめた新刊本が発行されました。これからの闘いに向けての激励と結集への呼びかけ、合図になることを期待します。ぜひご購読ください。1部1,300円(税別)です。
序 章 我々の神奈川11区の闘いの報告
第一章 選挙闘争の公的手段
第二章 我々の選挙闘争の位置づけとその意義
第三章 選挙を闘った仲間たちからの報告
第四章 我々の訴え
お申し込みは、もよりの党員、支部組織、または全国社研社にして下さい。
書店を経由して申し込むこともできます。全国社研社の連絡先をお伝え下さい。
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矛と盾(軍事力と専守防衛)
万国の労働者の国際主義と反戦闘争の意義を確認せよ!
2018年1月30日
矛盾という言葉がある。物事や言動の辻褄が合わないという意味だ。血なまぐさい中国の戦国時代、ちまたで物売りが、矛(ほこ)と楯(たて)を並べて、両方とも無敵であると語って売ろうとした時、傍らの老人が、では人がそれぞれを手にして戦ったらどちらが勝つかと問うと、商人は逃げ出したという寓話が韓非子にある。
今日本では矛と盾という言葉を使って、防衛論議が盛んだ。これまでは米軍が矛の役割を、自衛隊は楯の任務を分担する、日本の専守防衛の観念からすればそうなるしかないと言われてきたが、最近はいや日本も矛の役割を担うべきだ、日米の対等の軍事協力が必要だという考えが政権側から強調される。
つい最近も、海上自衛隊「いずも」の空母化を言いだし物議を醸した。戦闘機に搭載する長距離巡航ミサイルを高値で米国から買うという。敵基地に対する先制攻撃が必要だと反動派はわめく。
これらは「専守防衛」のためだという虚偽のオブラートに包まれているが、専守防衛の限度をたちまち飛び越えていく。最良の防衛とは攻撃(先制攻撃)であるというのは戦略の初歩であり、旧帝国軍隊の鉄則だった。
強大な軍事力で国を守るという立場に立つなら、結局日本もまた軍事強国、帝国主義国家になるしかないという真実は、明治以降の日本の歴史も教えている。万国の労働者の国際主義と、その反戦闘争の意義を確認せよ。
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「反原発」は政争の具
小泉純一郎らの策動
2018年1月12日
小泉純一郎、細川護熙が顧問を務める原自連(「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」会長は吉原毅城南信用金庫元理事長)が「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」の骨子案を発表した。
「基本理念」で、「原子力発電は、極めて危険かつ高コストで、国民に過大な負担を負わせることが明らかとなり、使用済み核燃料の最終処分も全く見通しが立たない。また、原子力発電による発電量は全体のわずか1%(2015年段階)にすぎず、重要性を失っている。したがって全ての原子力発電は即時廃止する」と謳い、稼働中の原発の即時停止や再稼働禁止、原発の輸出中止などを盛り込み、自民党を含めた全政党に賛同を呼びかけ、通常国会で超党派での提出を目指す、としている。はたして、反原発の国民運動は発展するか、しないか。
全政党に呼びかけるという原自連の「反原発」は、反自民の「反原発」とどう違うのか、違わないのか。安倍政権は原発再稼働も原発輸出も推進しているのだから、「反原発」が反安倍の立場で結集することになるが、小泉らは自民内の反安倍も取り込めるというのであろう。
小泉らが存在感を示すことができるのは「反原発」が階級的なものとして鮮明になっていないからであり、既成野党の「反原発」がプチブル的なものだからである。小泉らの策動は安倍政権との闘いをプチブル的なものに堕落させるものでしかない。
いまや「反原発」は政争の具に成り果て、福島第1原発での過酷事故の責任追及はあいまいにされ、資本の支配こそが安全軽視の原因であることはすっかり忘れ去られたのか。
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