闘いのスローガンは実践的に
「正常な経済」、「健全な財政」を謳うことへの疑問に答える
2018年9月4日
我々は予定候補者パンフなどで、スローガンもしくは我々の主張の一項目として、「★バラまき《成長》やバラまき《福祉》は幻想であり、空手形だ!★バブルなき正常な経済と借金なき健全な財政を!」を、ペアとして掲げました。
これに対して、「正常な経済」とか、「健全な財政」を謳うのは、「健全な資本主義を要求する」共産党の〝民主的改良路線〟と同じで、違和感がある、間違っている、共産党と同じにとられるといった疑問もしくは批判が寄せられました。
しかしこれら2行のスローガンは、その前の2行のスローガンを受け、それと対になっているのであって、切り離して字面だけで「共産党と同じだ」といった、否定的な評価をする仕方は機械的であり、現実の闘いを推し進める上でむしろ有害だと思います。
共産党が経済の「民主的改良」を謳うのは、我々のスローガンと似て非なるものであり、何の共通点もないことを理解してください。彼らは決して財政・金融の膨張政策、安倍的な〝上げ潮路線〟に反対していません──消費手段をテコにしてやるならいいといっています──、彼らの反対するものはむしろ〝緊縮路線〟であって、我々のスローガンが、そうした観念に対置して提出されているのは一目瞭然です。
我々は資本主義が、そしてまた安倍政権がバブル経済に進む、その内在的で、不可避の矛盾を暴露するために、こうしたスローガンを掲げるのであって、その位置づけや意義は共産党とは全く別です。
例えば、我々は安倍政権がプライマリーバランスを謳いながら、それを実現できず、財政施策でも破綻していく現実を告発し、安倍政権を追い詰めるために、こうしたスローガンを掲げ、訴え、彼らを暴露するのであって、ブルジョア社会を美化する共産党の主張やスローガンとはその反対物です。
また資本主義を止揚した社会が、その本性からしても、「バブルなき健全な経済」「借金なき健全財政」であることは余りに明らかであって──もちろん、こうしたブルジョア的に限定された表現とは無関係で、その実質的内容において、ですが──、そうした意味からも、こうしたスローガンを謳って悪いとか、間違っているということはありません、むしろ実践的に重大な意味を持っています。
我々の路線や政策は、実践的、革命的な立場から提出されるべきであって、そうではなく、評論家的、抽象的、傍観者的なものになっていったら、具体的、実践的にブルジョアや国家権力と闘い、労働者・働く者を結集し、闘いに向けて組織していくことは決してできないことを理解すべきです。
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コップの中の闘いと我々の可能性
国民民主党の代表選
2018年8月25日
国民民主党が党代表を決める選挙を行い、22日から玉木と津村の2人が立候補して、今選挙戦がたけなわである。9月4日、投開票日で新代表が決まる。野党第二党とはいえ、参議院では野党第一党を誇り(衆院38、参院24、しかし1人離党の意思表示をする議員がいて、参院でも23名の立憲民主党と同勢力となるが、さらなる離党予備軍がいるというから、参院でも第一党の地位を失うのは時間の問題)、国会内の戦術的な議会闘争では、立憲民主党などと区別される立場をことさら取り──厚生委員長の解任決議案に同調しない──、立憲民主党を屈辱的な立場にさえ──〝高プロ〟法案で、「監督指導の徹底」などを求める、47項目もの付帯決議を立憲民主党をのけ者にして、他の野党4会派で提案するなどの〝意地悪〟までして──追い込んできた。支持率が1%を切るという情況で、内部で対立していたらたちまち解党の危機に直面しかねないのに、2人は真顔で争うのだが、その内容はまたわけの分からない、怪奇なものである。
玉木は野党内で独自路線にこだわり、立憲民主党などと区別される、与党との妥協路線(対決ではなく、解決だ云々)、津村は、「この1年の国民民主党代表の最大の役割は安倍政権の打倒だ」と威勢のいいことをいい、何を目的としてか分からないが、共産党まで含めた野党共闘を唱えるのである。
津村は親共産党的な路線を謳い、その点で玉木と対立し、また立憲民主党の枝野とも違うから、立憲民主党になだれ込むというわけでもないだろうが、その立場は不明瞭である。
玉木は〝日本版ベーシックインカム〟政策や、第三子には1千万円を給付するといった、〝耳目衝動的な〟バラまきで勝負しようという腹づもりかもしれないが、そんな政策で支持率を劇的に上げられる保証は何もない。
国民民主党には連合の右派組合というスポンサーがついており、それを頼みの綱として参院選に臨むということだろうが、第一、連合傘下の労働者たちが国民民主党の選挙闘争にどんな熱意も、わずかな興味さえ示さないとするなら、玉木と津村の代表争いはつまらない、狭いコップの中の争いとして終わり、それでもって労働者の関心や共鳴を呼び覚まし、国民民主党の起死回生につながるなどという思惑?は吹っ飛び、参院選の結果を待つまでもなく、この哀れな党が解体に向かうきっかけになり得るのである。
たちまちお粗末なボロや地金をさらけ出しつつある、立憲民主党や国民民主党の現状は、唯一の労働者党として、単純で、力強いアッピールを発し、闘いを開始し、広げつつある我々の可能性を示唆していないであろうか。(林)
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世界経済は対立と抗争の時代に移行
日米通商協議と二国間交渉
2018年8月14日
9日から始まった日米政権の通商協議(以下、FFR)は、アメリカが二国間交渉を強く押し出さなかったため、今後の交渉で問題を深めるということで終わったが、しかしそれは秋の中間選挙を意識してトランプが強く出てくることを否定するものではなく、したがってまた今後、日本とアメリカとの経済的矛盾と対立が激化することを否定するものではない。円安・ドル高といい、旧TPPの解体といい、アメリカにだけ問題があった以上に、安倍政権に大きな〝責任〟があったとするなら、今回のFFRの結果によって安倍政権が「お互いに理解が深まった」などと楽観できるものでなく、近い将来、再び自ら苦い汁を飲むことになりかねない。
安倍は7月末、「農業では絶対に譲れない。(しかし)自動車関税は回避してほしい」などと虫のいいことばかり言っているが、そんなままでいたらトランプから激しい一撃を受けることもまたあり得るだろう。アメリカの物価上昇のテンポが日本の1・5倍ほどだとするなら、円安が経済的に道理に合うのだが、安倍政権は大規模な金融緩和によってさらに円安誘導にうつつを抜かして来たのだから、トランプが日本の農業保護主義の非を鳴らし、日米の貿易不均衡是正──もちろん、これについてトランプのいっていることの多くはばかげているが──やドル安を要求して居丈高になったからといって、安倍政権は自らを正当化することなどできはしないのである。軽率な〝国粋主義者〟は外国旅行者が急増しているのは、日本の「すばらしさ」の証拠だと悦に入っているが、その「すばらしさ」が円安によって、単に安上がりで観光や楽しい旅行ができることから来ていることを知らないのである。日本は自由貿易主義のチャンピオンだなどとばかげたことをいって自己満足にふけり、人々を欺くのだが、旧TPPも新TPPも一つの経済ブロックであり、その外部に対しては、むしろ保護主義的に行動し、対抗するのであって、それは中国の新シルクロードがそうであるのと同様である。
世界経済は愚かな共産党が期待するような、平和で、協調的な方向に向かっているのではなく、資本主義の矛盾と困難の深化と共に、ますます自国ファーストが横行する対立と抗争の時代に、新しい帝国主義がはびこる激動と混沌の時代に移行し、転化しつつあることを我々は確認し、それに理論的、実践的に備えなくてはならないのである。(林)
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今や2%ほどの物価上昇は実現していると言いたげなブルジョアたち?
一体何を言いたいのか、何のためのへ理屈か?
2018年7月31日
安倍政権や黒田日銀、そしてその政策を〝理論的に支える〟リフレ派学者たちは、5年余にもわたる異常な金融緩和政策にもかかわらずいまだに2%の物価上昇を勝ち取ることさえできず、いつまでたってもデフレ克服の公約は未達で、アベノミクスは行き詰まった、やはり財政膨張策が必要だと、今や借金拡大バラまきの肥大化予算に逃げ込もうとしている。そして今や、物価上昇が進まない犯人捜しにふけって、途方もないことをいい振らしているが、理性も健全な常識を無くしてトチ狂っているとしか思われない。
最近もブルジョア世論は、6月までの物価上昇が年初より鈍ったが、それは「家計の節約」だけでは説明できないとして、「消費の現場ではネットビジネスが価格競争を強め、増える外国人や省力化投資が賃金の伸びを抑える。物価統計が主に大衆品を対象にする問題もある」などと書き立てている(日経新聞、7月24日)。
何のためにインフレが起こらないことを嘆き、またこんなわけの分からないことをいいはやすのか、そんな必要があるのか、労働者・働く者にとっては、物価上昇がやってくることの方がはるかに災いであるというのに。ネットビジネスによって流通が合理化され、それで価格の低落が起こることを、なぜ悪いことのように言わなくてはならないのか。企業の省力化投資によって生産費が、つまり一定の商品の価格が低落して行くとするなら、それはその商品を生産する社会的労働の量が減少したからであって、労働者・働く者にとって利益そのものであり、ブルジョア的形式による、社会の発展進化の歴史的表現でさえある。彼らは商品の価格(正確には〝価値〟)が労働生産性の上昇とともに低下していくことも知らず、またそうした歴史的傾向の意義も理解しないなら、ブルジョアであることも止めたらどうだろう。
また、安い賃金の非正規労働者の大軍や外国人労働者の低賃金のために、物価上昇が鈍く、デフレ克服もままならないというなら、彼らの賃金をさっさと大幅に上げればいいだけであって、そんなことなどする気もさらさらないのに、彼らの低賃金がデフレの足かせであるかに主張するとは、何という愚劣で、無神経で、彼らの立場からしたら矛盾そのもののばか話であろうか。
そして最後に、物価上昇を測る物差しが、「大衆品」を対象にして計算されるから、物価上昇が低く表されるのだ、今や価格が急上昇している高級品をもって基準にすれば、実際にはデフレ脱却していると言えるのではないかなどといった理屈──虚偽か真実かさえも定かならぬ世迷い言──を持ち出すにいたっては、ブルジョアたちの〝知性〟──ただでさえ鈍くなっている──は今や喪失してしまったと結論するしかない。
「大衆品」を基準とする現行の物価指標がおかしく、それでは「平均的な国民の物価事情」は分かるが、「『プチ贅沢』の消費や富裕層の購買行動」は消されてしまう、そんな統計でデフレだといっても仕方ないといった理屈がどういう意味を持ち、こんなことをブルジョアたちが言いはやす動機も意味も怪しげであるが、なぜ社会の物価上昇を測る指標にするに、競争の圧力がむしろ鈍くなる、富裕層の消費財(奢侈財)の物価が適切だなどと言えるのか。普通の常識では、むしろ反対であるが、安倍一派やリフレ派学者たちは、そんな途方もない、空疎な理屈に溺れ、つまらないおしゃべりにふけっているだけである。そんな連中の実行する経済政策が、金融崩壊にたどり着きかねない〝異次元の〟金融緩和であれ、財政破綻に行きつくしかない財政膨張であれ、彼らにとっては一時的に好都合ではあっても、労働者、勤労者や経済社会にとって大なる罪過、災いのタネであり、またそうした結果に行きつくことは確かであり、むしろ一つの必然であろう。(林)
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騒々しい変調曲
選挙法改正と野党
2018年7月15日
野党の騒々しい、偽りの反対、反対という叫び声の中で、自民党の公職選挙法改正案が採択、成立した。しかし野党は何故、何のために反対を叫んだのか。
そもそも参院選比例区は本来的に政党間の政治的闘いをこそ、その本質的な契機として位置づけられ、運営されてきたのであって、そのことは、候補者名簿の全体が、基本的に、政党の候補者として提出されていることからも明らかである。
衆院比例区との違いは、党候補者の名簿の一部に、名簿第1位あるいは2位として、優先的に当選が確定していく候補者が登載されていることである、すなわち「拘束的比例名簿式」であることである。
今回の選挙法の修正は、実質的に、参院選においても衆院選と同様に、「拘束的」比例選挙にするということであって、政党選挙であるという参院選の性格からすれば別に問題にするようなことは何もなく、それに野党が反対するなどまるで筋道が立たない。
参院選が「非拘束的」となり、投票が政党名か、個人名か、どちらでもよくなり、個人名の投票数の多い候補者から当選が決まるということになったのは、自民党なら業界の、かつての社会党や現在の立憲民主党、国民民主党の候補者の多くが労働組合の代表として立候補しいるからであって、そうした企業や業界や組合主義者の〝お抱えの〟候補者たちにとっては「非拘束式」でないと具合が悪いのである。
社民党は16年の参院選比例区で吉田と福島を擁立し、2議席の確保を狙ったが、名簿一位の吉田が落選し、福島1人が当選し、愕然とした、というのは2人が当選するか、1人としても党首の吉田の方が福島の票を上回ると漠然と考えていたからである。
かくして吉田は党の代表を降りるとか、降りないとかのすったもんだ騒ぎになったが、参院選も「拘束式」であったら、社民党も安んじて2人どころか3人でも立候補させ得たのである。
共産党もまた「拘束制」に反対する理由など何もないのに、他の野党の尻馬に乗って、自民党の党利党略の改正だ、改正案の「特定区は、合区で立候補できなかった県の候補者を救済するためで、参院の私物化だ」ともっともらしく大騒ぎしている。
どうせ改正案が成立すると読んで、自民党は選挙制度を私物化していると今さらのように騒ぎ立てる共産党もまた、自民党と同様に醜悪な党ではないのか。
参院選比例区が原則として政党選挙だというなら、政党が議員になってほしい人から当選できる制度の方が、共産党にとっても利益ではないのか、それとも名簿の中の、本当に当選してほしい人でなく、役にも立ちそうもない候補者が当選した方が、共産党の利益だとでもいうのか。
我々は得票数とは無関係に、党が優先当選者を決定できる、今回の改正に反対するどんな理由も持たない。
別に改正によって、総数としての自民党の当選者が増えるわけでもなく、むしろ改正案は、相対的には減らしかねない契機を持っている(例えば埼玉選挙区で定員を1名増やすという改正案は、大いに野党に得であって、自民当選者が2に増える可能性は低い)。
そして我が労働者党の最初の当選者は、『海つばめ』先号で紹介した吉村氏と自動的に決まるのであり、我々の闘い方も明確となり、比例区で2%、100万票獲得という勝利の数字に向けてスタートを切ることができるのである。
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自由貿易主義のチャンピオンという虚構
TPP11の経済ブロックは世界経済の分裂と闘争を表現
2018年7月2日
TPP11が日本国会で承認され、あとは他の諸国の批准を待つまでになったと、日本のブルジョアや安倍政権は安堵し、これで保護貿易の立派な〝防波堤〟が築かれたと手前味噌の賞賛の言葉に酔っています。
しかし農業保護主義をひっさげて旧TPPに遅れて参加し、「聖域無き自由貿易」に「例外」や厚かましくも特別扱いを要求したのは日本でした。一貫して農業保護主義に固執して、世界的な規模での自由貿易の徹底化の足かせの一つになり、WTOの骨抜きに〝貢献〟してきた日本や安倍政権が、中国などと共に、自由貿易主義の旗手として登場するなど興ざめの喜劇そのものであって、安倍はトランプが日本の保護主義を厳しく攻撃して旧TPPを脱退したことをもう忘れたのでしょうか。旧TPPと同様、新TPPの11ヶ国もまた、一つの経済ブロックとして、他のブロックや諸国と利害を異にし、対立するのであって、今や世界経済の流れとなりつつある、深化する世界経済の分裂と闘争を表現するものでしかありません。トランプの保護主義は露骨であり、えげつないのは一見して明らかですが、他のブルジョア諸国の保護主義は上手にヴェールが掛けられ、ぼかされているだけであって、米国の保護主義、つまり自国本位、自国ファーストと同様である点では、トランプも習近平も安倍もEUも、みな本質的に同じです。
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「生産性革命」の安倍政権の幻想
働き方改革法はブルジョアにとってさえピント外れ
2018年6月29日
「働き方改革法」が成立し、安倍政権は、これで日本の「生産性革命」が進み、米中などに後れをとる、日本資本主義の優位がまた取り戻せるかの幻想に酔いしれています。安倍は26日、国会で「〝高プロ〟は時間ではなく成果で評価される働き方を自ら選択できるようにするための制度だ。時間や場所にとらわれない、自律的で、創造的な、自由な働き方の選択が可能になる」などと喝破しましたが、資本の下での〝高プロ〟法案とは、単に高収入をエサに、〝特別職の〟雇用者、資本の立場に近い〝高級労働者〟に闇雲な労働強化を押し付けるということであって、資本にとってさえ危険な〝両刃の剣〟でしかありません。従業員数万人規模の大企業の経営者は、「対象になり得るのは数人」(日経新聞30日号)というような代物で、そんなもので世界に冠する「生産性革命」など望んでもピント外れの、ナンセンスな野暮道というしかありません。まして裁量労働制法も流産してしまいました。他の残業や差別労働を規制する法案と組み合わせという、矛盾した「働き方改革」法など、成立しても一体どんな意味で、ブルジョアにとっての「生産性革命」に貢献できるというのでしょうか。残業規制では、無駄な残業をなくすというのか、そんな形で「生産性革命」を成し遂げ得るということか、そんな目的の残業規制なのでしょうか。どこかばかげていて、空論的にしか見えません。こんなやり方による「生産性革命」などブルジョアにとってさえピント外れで、期待はずれに終わるしかなく、日本のブルジョア階級の没落と、国際的な地位低下や存在感の希薄化に一層拍車を掛けることにしかならないと、親心の心配さえ起こりそうです。
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「両刃のやいば」
〝高プロ〟法案の矛盾を理解しない野党
2018年6月22日
今朝の新聞に、〝高プロ〟法案について、主要100社に行ったアンケートの結果が掲載されています。野党は大騒ぎしていますが、百社のうち、わずか6社が積極的に評価し、採用するというのみで、採用しないと明言した企業は31社、過半数は「わからない」という回答でした。つまり〝高プロ〟法案は資本にとっても「両刃のやいば」であって、反作用が怖くて簡単に採用できないということです。そんなやり方を採用したら、本来は資本の陣営に属するような社員にかえって反発され、ブラック企業と敬遠され、効率を求めてかえって資本に利益にならないということで、〝高プロ〟法案のそんな矛盾と言うか、「両刃のやいば」という側面さえ理解せず、野党は客観的に空騒ぎのような〝闘い〟に、形だけの「労働者のための」闘いに、実質上ではたった6%の企業が、しかも〝高プロ〟層のためにやろうとしている法案に反対していただけ、ということです。共産党や立憲民主党、国民民主党の階級的な立場を暴露しています。
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米朝〝和解〟は世界を偽る
世界的核廃絶は空語、覇権主義は益々はびこる
2018年6月16日
米朝首脳会談が終わりました。朝鮮戦争の終息という課題さえ明確にしない、その意味では期待はずれの会談であり、トランプと金正恩の保身と権力の維持という動機によって領導された、矮小なものでしたが、そうした動機とは別に、この会議の持つ歴史的意義は小さくなく、ある意味で時代を画する(エポック・メイキングな)ものであったといえます。
アメリカはトランプの口を借りて、北朝鮮の核を廃棄させるには、対決や脅しや制裁や「完全で検証可能で不可逆的な」、そして即時の核廃棄でなくてはダメだといったスローガンを叫ぶことによってではなく、「相互信頼」や「対話」や「協調」等々で可能なら実現すべきだと、曲がりなりにも、たどたどしくも語り、実行したのです。もちろん、〝極東の〟片隅で実行に移されたこの試みを絶対化することも、またその内包する大きな矛盾や虚偽に目を閉ざすこともナンセンスではありますが、にもかかわらず、この会談が歴史の一つの新しい局面を開いたこともまた明らかです。北朝鮮の振りまいてきた〝危機〟といったものが、北朝鮮の核兵器といったものがほとんど虚構のものであったという事実が暴露されただけでも、その意義を確認することができます。アメリカや北朝鮮は当然としても、中国もロシアも、そしてまた日本も(安倍政権も)、全く新しい政治的な──そして経済的な──対応や立場を余儀なくされ、突如出現した新しい情況に適応することを迫られるし、すでにあたふたとそうしつつあります(その典型的なものは、日本の安倍政権です)。金正恩自身、安閑としていることはできないし、その地位はすでに安定性を失い、反対に、自らの王朝の運命──動揺し、解体して行きかねない──さえ心配せざるを得ない新情況が生まれたのです。
核兵器によってではなく、〝経済政策〟によって、国民と国家を〝安定〟させ、富ますことで手なずけ、統合を図ろうとすることは、ある意味では国民の自覚と自主性を促すことであり、したがってまた金王朝を解体する契機を自ら導入することであることを、そうした危険と共にであることを、彼は自覚しているのでしょうか、そしてそれを自覚して、ますます北朝鮮の労働者、勤労者への攻撃と抑圧を強めようとするなら、それはかえって自らの没落を早めるかも知れないということを分かっているのでしょうか。そしてまた、そもそも金正恩はすでに本気で自ら核廃棄を実行する決意を固めたのでしょうか。しかし彼がどう思っていようといまいと、今や彼は遅かれ、早かれ核廃棄を実行せざるをえない立場に立たされたのであり、それを回避できないのです。というのは、金正恩の新しい立場は矛盾だらけ、困難だらけで、トランプとの「相互信頼」といった美しい友情などたちまち消え失せることのできる、当てにならないものであるからです、何しろ2人とも自国ファーストの信奉者、否むしろ、自分の権力とその防衛、永続化しか考えないエゴイストでしかないからです、しかもブルジョア間の、そしてブルジョア国家間の「相互信頼」といったものは、たちまちその反対物に転化するのであり、せざるを得ないような代物だからです。
とはいえ、いくつかの大国が争う帝国主義的世界という現今の世界情勢の基本的な性格は何も変わっていません。国際的な核廃棄もまた、米国自身が先頭に立って反対しているのが現実です。米朝の〝和解〟といった、下手なサル芝居に幻惑されて、資本主義の世界の深刻な矛盾や対立や帝国主義的な性格から目を閉ざすことはできません。
北朝鮮を〝敵視して〟、国民の民族主義や愛国主義、排外主義等々を挑発し、そんないやしいやり方で、自らの権力の強大化と私物化を図り、権力主義的野望を満足させてきたやり方が蹉跌した安倍もまた、一つの困難や危機に直面するしかありません、というのは、安倍政権の取り柄は今や〝外交、防衛〟政策にあり、それしか残っていないような状況に追い詰められていたからであり、今やその頼みの綱さえまた危うくなってきたからです。
安倍はトランプに筆頭の忠臣として仕え、ひたすら忠勤に励み、トランプは自分の忠告によってこそ真のトランプであると勘違いしたのですが、トランプはまさに安倍の〝頭越しに〟、安倍の意思に背いて、簡単に金正恩との和解を演出して、いい気になっていた安倍の鼻をへし折り、ハシゴを外してしまったのです、安倍はトランプにとって、ヒットラーに対するムッソリーニと同様であって、アメリカの役に立たないなら歯牙にもかけない存在だと、事実上知らしめられたのです。安倍は今やトランプから独り立ちして立つというのか、らち問題の解決は、安倍政権の問題としてやるというしかないのですが、彼のこれまでの反北朝鮮、反金正恩の立場や、彼の歴史修正主義や、朝鮮国民の奴隷化──とりわけ若い朝鮮女性への性奴隷化の問題つまり〝慰安婦〟問題──の事実の承認拒否や、天皇制軍国主義国家のかつての朝鮮とアジアの諸国民に対して行った巨大な犯罪の否定等々、余りにも破廉恥な立場のままで、本当に金正恩と「相互信頼」の関係を築けるのでしょうか、狐と狸の、あるいは狸同士のだまし合いにならないで済むのでしょうか。
そしてまた、肝心の南北に分断された両朝鮮国民の融和とその究極の目標であり、悲願である国民的統合という課題は、いかにして、いつ勝ち取られ得るのでしょうか──そしてそれはまた、南北朝鮮の国民全体が、より豊かで、より民主的で、より自由な生活や政治活動を行い、享受し得るということでもあり、またそうでなくてはなりません──、北が金王朝というゆがんだ、悪魔的な専制体制のままで、それが果たして可能でしょうか、南北朝鮮の労働者、勤労者は、諸政党はこの複雑で、困難な課題をいかに解決して行くのでしょうか、行き得るのでしょうか。(林)
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労働者党だけが安倍政権と真に闘い得る
昨年の総選挙は野党の裏切りで安倍自民党が大勝
2018年6月6日
安倍政権はすでにファシズム政権と同等なほどに腐っている
国会内では野党による、森友・加計問題についての安倍政権追及は続いていています。安倍政権は、何をいわれようと、またどんな明白な「証拠」や証言があろうと、また次々と新しく出てこようと、知らぬ存ぜぬで押し通し、あるいは官僚をして証拠の隠蔽や改ざんに走らせてきました。そして証拠が真実であることが次々と明らかになったり、大量の改ざんの事実が暴露されても、そんなものは官僚がやったことだと開き直り、官僚に罪をかぶせて白を切っています。
さらにはつい最近も加計学園事件では、安倍が2015年にすでに加計理事長と会っていたという加計学園側から県への報告などまで出てきて、加計学園のことは正式決定まで何も知らなかった、だから何か政治介入したなどということがあるはずもないという、安倍のこれまで積み重ねてきたウソが一挙に明らかにされてしまいました。もうどんな弁解も、事実の否定もできなくなって進退窮まった安倍は、今度は、当事者の学園側に、安倍が早い段階から加計理事長に出会って、加計学園の悪巧みを共謀していた事実を、その証拠を「間違って県に報告してしまった」などと見え透いた、途方もない虚偽発言をさせ、そんな姑息なやり方で、絶体絶命の危機からの脱出を図るなどの挙に出てきました。驚くべき破廉恥で、悪知恵だけには長けた、最低最悪の人非人、人でなしであるというしかありません。
国会では野党による森友・加計問題に対する追及が続いていますが、安倍政権の犯罪を明らかにするどんな事実が明らかになり、どんな真実を語る「証拠」が山ほど出てこようと、安倍は、自分や妻は一切関係ないと開き直り、あるいは官僚に責任転嫁し、そんな「ウソが通れば道理引っ込む」の態度を貫き、また権力の陰に隠れ、あるいは権力を悪用して、貫き通そうとしています。日本の国家の腐敗、政府の腐敗は専制政府やファシズム政府並みの最悪、最低のレベルまでに達しています。まさに国家の解体です。
しかしそんな状態にありながら、野党を自称するガラクタ政党は、国会の中で威勢のいい言葉を発するだけで、安倍政権を追い詰めることも、一掃することもできず、いたずらに時を空費しているだけです。
何故でしょうか。
野党は無力なおしゃべり政党、裏切り政党ばかり
野党の一部――旧民進党の残党などが野合して集まった国民民主党――が、まるで安倍与党のように振る舞い始めたことです。最近国会でも、その問いに答える、一つの事実がありました。
5月30日、1年半ぶりに開かれた与野党党首討論会で、森友・加計問題で激しく追及する立憲民主党や共産党を尻目に、国民民主党の玉木は「日ソ交渉について伺う」などと称しつつ、「党首討論」の意味など知らぬ顔で、安倍のご高説拝聴の翼賛演説を行い、終了後には安倍と笑顔で握手をかわしたのです。まさに公明党以上の与党ぶりで、〝限りなく〟安倍政権を助ける立場と態度を露骨にし、その半ブルジョア的本性をさらけだしました。
昨年の総選挙直前、民進党を解体し、分裂させて、このときも〝限りなく〟安倍政権を助け、大勝させたあの歴史的経験を思い出さざるを得ません。
つまり彼らは口では野党といい、野党らしく振る舞おうとするのですが、本気で安倍政権と闘い、それを一掃しようなどとは全く考えていないということ、そして彼らが反安倍政権を謳うときがあっても、それは労働者、勤労者の支持をかすめ取りたいからであって、安倍政権に、つまり腐敗していく資本の政党とその政権に反対し、それを一掃しようなどとは全く考えていないということです。
我々はすでに共産党の志位が、こうした連中に期待し、野党共闘を謳ったときから、そんな連中を信頼し、野党共闘の名のもとに国会に送り込んでもろくな結果にならない、重要な、決定的なときに裏切られるのが落ちだと警告してきましたが、まさに昨年の総選挙で、我々のいったとおりになり、野党共闘は崩壊して敗北、安倍の大勝に帰着しました。私たちの批判が100%正しかったことが、事実によって明らかになりました。
しかし、仮に国民民主党は「裏切った」としても、立憲民主党や共産党は違うだろうというのでしょうか。
そんなことはありません。立憲民主党は玉木等の国民民主党の面々と5年、10年と同じ党に所属し、仲良くやってきました。09年から3ヵ年続いた、民主党政権の失敗と挫折も共にしてきたのです。現在においても、枝野らは共産党とより、実際的には、国民民主党との連合に期待しています。そもそも国民民主党のスポンサーの「連合」会長の神津は、立憲民主党に国民民主党との連合でやれと圧力をかけています。
そして共産党もまた立憲民主党と同じであって、国民民主党が組織されたときも、その外交・防衛政策に批判する身振りをしつつも、そんな半ブルジョア政党とも野党共闘だ――そうでなければ、安倍自民党を越える多数派を形成することはできない――と媚を売り、昨年の総選挙の時には「裏切った」と叫んだような国民民主党の連中と、「のど元過ぎれば熱さを忘れた」のかどうかは知りませんが、またまた手を結んで安倍政権と闘い、勝てるかの幻想をふりまくのです。
昨年の総選挙の時、そんな幻想で闘おうとしたからこそ、前原に「裏切られて」民進党の解体や野党共闘の破綻や消滅という危機を招来し、なすところなく安倍政権に大勝を許したという総括――否、真剣な反省――がなく、性懲りも無く再び、破綻した野党共闘路線――ひと言でいって、「他人のふんどしで相撲を取る」といった、品のない横着な路線、日和見主義そのものの小手先細工の策動にしがみつくのです。
闘う労働者の党だけが安倍政権打倒の道を切り開く
こうした「野党」を自称する――いったいどんな「野党」なのでしょうか――プチブル政党、半ブルジョア政党の、どんな原則もなくうごめくだけの混沌とした状況を見るなら、ただ労働者・働く者の立場に揺るぎなく立つ労働者の政党だけが、安倍政権と断固として、最後まで闘って行き得ることを確認できると思います。
というのは、何百万、何千万の労働者・働く者だけが、この資本の支配する社会で、心身をすり減らす、困難で、苦しい労働に日々従事しつつ、自分の生活と社会の全体を支えながら、大規模に搾取され、侮辱され、非人間的に扱われ、総体として疎外されている階級だからです。資本の階級を政治的に代表し、権力を握り、労働者・働く者を永久に、そんな立場に縛り付け、ありとあらゆる困難と被搾取労働――当然、空疎で、機械的な労働にしかなりません――と貧困さえも強要するテコの役割を果たしている安倍政権――働く者の真実の敵――が存在し、威張りくさっているからです。
我々がなぜに国政選挙に参加し、国会に進出しなくてはならないのか。
それは労働者・働く者を代表する、労働者の党だけが、安倍政権と最後まで闘い、一掃して、労働者・働く者と国民全体の未来を切り開いて行くことがてきるからです。
参院選闘争に勝利し、働く者の政治闘争を拡大、深化させるために団結し、共に立ち上がりましょう。(林)
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