危機管理のしわよせ
排外主義を助長する入国規制
2020年3月8日
安倍は新型肺炎拡大に対する危機管理として、今さらながら、水際対策の強化として、中国と韓国からの入国者全員を指定の場所に2週間待機させ、外出できなくするという。そして中国・韓国向けに発行したビザの停止や韓国・香港・マカオのビザ免除措置の停止なども行う。中国と韓国からの事実上の「入国拒否」である。
韓国側は強く反発し、「韓国が再三、慎重な検討を呼び掛けてきたにもかかわらず、日本側は事前に十分な協議をすることなく不合理で過度な措置を取った。極めて遺憾で、日本側に再考を強く促す」との立場を示し、報復的な措置を検討、韓国側も日本からの入国規制を強めている。
こうした動きに、排外主義者どもは嬉々として、中国、韓国への差別を煽っており、安倍の稚拙な外交が排外主義を助長している状況である。
韓国国内での感染者急増を受け、7日時点で103カ国・地域が韓国からの渡航者の入国を制限し、韓国全土からの入国禁止は36カ国でされているのだから、日本の対策も当然だというのか。
中国外交部の報道官は定例会見で、日本の措置に関して問われ、「中国でも日本でも、自国民の健康と安全を保護し、地域と世界の公共衛生安全を守るための一連の科学的、専門的な適当な措置ならば理解される」という考えを示したというが、はたして今の時点で「入国拒否」が賢明な策なのであろうか。
中国と韓国に限らず、入国者全てに(今や国内にも多数の感染者がいるのだから全員が対象ではないのか?)感染の疑いがあり、拡大抑制のために一切外出させないというのであれば一貫しているだろうが、そんなことができるはずがないことは知っていて、こうした政策を押し出すのは、安倍が立ち遅れた感染対策への批判をごまかし、政権の安泰を最優先にしているからであって、国民の生命や安全のためではない。
ダイヤモンド・プリンセス乗客が退船して自宅へ戻る際に公共交通機関利用を制限せず問題になったことを反省したのか、今回の入国制限では公共交通機関を利用するなと注意しているが、厚労省の「水際対策の抜本的強化に関するQ&A」では、待機する人は、「空港等からの移動も含め公共交通機関を使用しないことをお願いする」、「空港からその滞在先まで移動する手段(公共交通機関以外)を確保していただく」と、尻抜けな「お願い」で済ましている。防疫対策として実際的な効果を考えていないと言わざるを得ない。
安倍の政治が続くことは、実効性よりも虚勢が横行する社会へと退廃が進むことである。(岩瀬)
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身の丈に合わない野望
野党共闘派都知事候補への山本の野心
2020年1月31日
山本太郎が都知事選に野党共闘派の候補者として立候補するという話がある。山本本人もまた野心満々、立候補に色気を出している。野党共闘派諸党は、衆院選に向けて、野党共闘の意義と効果を宣伝するために当然大いに乗り気である。
山本は野党共闘というおみこしに乗り、それを牛耳りながら、首相になる野心を燃やしたが、衆院選に向けて野党共闘戦線は怪しく、当てにならず、自民党に勝てそうにない。
とするなら、石原や橋下の例に倣って、まずマンモス自治体の東京などのトップに立ち、大きな権力をほしいままにし、令名をはせてから、首相の座を狙っても遅くないという算段か。
それが凶と出るか、吉と出るかはさておくとして、山本の身の丈に合わない野望はとめどなく膨れ上がるばかりである。
しかし、 そんな空っぽの野心家が卑しい本性をさらけ出して、 信長 同様 「高転びに転ぶ」のは遠い先の話しではない。
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愚鈍な安倍の「全世代型社会保障」のたわ言
腐った野党もみな嬉々として協力
2019年12月20日
安倍は17衆院選以来、社会保障制度の「改革」を謳い、全世代型社会保障といった、怪しげなものを持ち出し、労働者・働く者を幻惑し、消費増税をそんなもののために転用するなどと言ってブルジョアやプチブルの支持をかすめ取ってきました。そしてさらに今年の参院選だけでなく、その後もそんなものに固執し、政権延命の役に立つと思い込んでいます。愚鈍につける薬はないと俗にいうように、そんなつまらない、姑息な話がいつまでも通用すると思い込んでいるのです。
9月には「全世代型社会保障検討会議」なるものをでっち上げ、メンバーは財務相、厚生労働大臣や〝専門家〟(いわゆる〝専門バカ〟)など16人をそろえ、自らが「議長」に収まり、4回の会議を開き、もっともらしい「改革」や「政策」をならべ、三度、四度、労働者・働く者を、国民全体を煙に巻き、ペテンにかけようと企んでいます。
我々は安倍が全世代型社会保障といったたわ言を口にし始めた16衆院選の時から、そんなものは、「小泉氏は幼児教育無償化は、社会保障を高齢者中心から乳幼児にまで及ぶ 『全世代型の』ものに変えていくことだといいますが、社会保障の比重が高齢者に傾くのは 当然です。必要なことは、この困難な社会保障問題を真剣に、合理的な観点で考え、解決することで、『全世代型の』社会保障について語るなど品が無く、高齢者には失礼だし、現役 世代にも不愉快な発言です。」(圷選挙公報)と、安倍の与太話に対する、我々の基本的態度を明らかにして来ました。安倍の全世代型社会保障云々は、安倍がこの問題に無為無策であり、本気で取り組み、解決する意思も展望も何も持っておらず、それから逃げており、その陰で選挙向けに、政権の延命のためにバラまき政策に精を出すことを隠し、ごまかすための単なる目くらましであることは最初から明々白々でした。
「高齢化で年々社会保障のためのカネの必要性が増大している、大変だ」と言いながら、高齢者のためのカネが偏って大きい、それをまともなものにして社会保障を全世代型の制度にしなくてはならないなどというのは、論理にもなっていないし、道理にも適っていないたわ言であるのは一見して明らかです。
安倍らは乳幼児教育無償化によって子供が増え、少子高齢化の社会が克服され、社会保障の担い手が増え、もってして社会保障の危機が克服されるなどと詭弁や空文句を弄しますが、乳幼児教育無償化で子どもが増え、そんな子供たちが立派に成長して社会保障の担い手になるのは、少なくともこれから20年、30年後の話です。しかし社会保障制度の危機が最も先鋭で、社会保障制度と財政の破綻に行きつきかねない危機は、いわゆる〝団塊の世代〟が続々と後期高齢者になり、ピークに達するのは数年後のことであって、安部の話で間に合うはずもありません。社会保障の費用は、18年度に121兆円でしたが、25年には141兆円に、そしてピークの40年には190兆円にも膨張する――担い手が急速に縮小する中で――のです。社会保障制度も財政も持つはずがありません。
だからこそ全世代型社会保障制度が必要だというのですが、高齢者のための費用が足りないなどと言いながら、高齢者の負担を大きくするのだとか、消費増税で全世代型の増税をするのだとか、安倍政権の言動は不真面目と無責任と前後撞着そのもの、矛盾そのもので、破綻に瀕しています。
しかもこうした政策は乳幼児教育無償化のように消費や〝需要〟を増やし、景気を回復し、労働者・働く者の雇用も増やすのだから万々歳で、完全無欠の政策だと言いはやし、この点で共産党を始めとする腐った野党もみな嬉々として協力するのですから、安倍政権がいつまでたっても〝我が世の春〟を謳歌し続けるのも――続けることができるのも――当然の話です。
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真実語ることを恐れるローマ教皇
トランプや習やプーチンや安倍らと教皇はみな親友
2019年11月26日
ローマ教皇が来訪し、マスコミは大騒ぎである。マスコミの悪しき性癖である。しかし労働者・働く者にとっては、天皇制の大騒ぎやラクビーの次はこれかとうっとおしい限りである。
彼は偉そうに、「核の威嚇に頼り、平和提案ができるか」とか、「核廃絶は世界中の数えきれない人々の望んでいることだ」とか、天皇ら高尚清廉な宗教家らと同様なことを口になされる。しかしなぜそんな世界中の大多数の人々が望んでいることが少しも実現に向かわないばかりか、それに逆行することばかりが、その反対のこと――核兵器の大増強ばかりか、その大量生産や、物騒な無人人殺し兵器の大流行――だけが現実なのかについては一言も語ってくれない。
それは彼らが真実を語ることを恐れているから、語ることができないからである。真実は何か。核兵器や核軍拡競争をなくすのは実はそんなに難しいことではない。資本主義を世界的な規模で一掃すること、トランプや習均平やプーチンや安倍といった連中をお払い箱にすることである。
トランプや習均平やプーチンらや教皇らはじつはみな親友であり、階級的立場で一致する連中であって――何が〝庶民的〟か、聖職者による性被害もまた、彼らの腐敗ぶりを暴露する、彼らの仕業ではないのか――、核廃絶や平和を安売りし、東京ドームで五万人を集めてミサを行い、人類のために祈る――祈り、願望するだけなら、誰にでもできる――教皇もまた、国民のために祈り、あるいは「寄り添う」という、天皇や安倍らと同様であり、したがってまたいくらでも親しく会見して意気投合することのできる権力者、特権者である、つまりそれぞれ自分たちの仲間と分かっているのである。
13億の信者の頂点に立つような権力者、特権者のいう偽りの空文句に、労働者・働く者はどんな信もおいてはならいないのであり、反対にその偽善、虚偽、幻想、そして完璧な無力さを暴露しなくてはならないのである。
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バラまき政治愛好者たちの狂騒曲
「桜を見る会」を告発する野党の欺瞞
2019年11月24日
安倍政権の「桜を見る会」の犯罪――公金私消(横領)や政治資金規正法や公職選挙法その他で、犯罪性が容易に問われるような犯罪――を巡って世論が沸騰、国民の怒りが爆発する中で、安倍政権の腐敗ぶりがまたまた暴露されている。安倍は、腐敗を隠そうと、「私は参加者を取りまとめはしていない、ただ指示しただけだ」などと言い逃れようとしてといるが、まさにこうした発言自体が安倍のしたことの犯罪性を教えている。森友・加計事件で取り巻きや官僚に直接伝えていない(彼らが忖度して、取りまとめたり、取り繕ったのであって、私の知ったことではない、私の責任でない)と強弁したのと同じ図式であり、森友・加計事件のデジャブ、そのままである。問題の本質は、「桜を見る会」の〝私物化〟に留まらず、政治、政策の〝私物化〟であり、権力の、そしてまた国家そのものの〝私物化〟である。政権維持のために公金をバラまいたのである。バラまき政治は、国家財政の、税金の〝私物化〟であり、我々が選挙の中でも大いに問題にし、告発してきたところでもある。
そして問題は安倍政権だけではない、野党でもある。
野党は、今「桜を見る会」を巡る腐敗やバラまき買収政治を告発している、しかしそれなら、なぜ選挙闘争において、全世代型社会保障等々に見られたバラまき買収政治に反対し、反対キャンペーンを展開し、安倍政権の打倒をめざさないで、そんな政策自体は良い政策であるかに、労働者・働く者のための政治あるかに無批判を装い、安倍政権が全世代型社会保障といったようナンセンスな、おためごかしな政治を容認させ、大手を振ってまかり通るのを許し、認めたのか。安倍の看板政策を暴露し、その反動性や卑しさをとことん暴露できなくて、安倍政権を打倒できなかったとしても何も不思議ではない。
共産党を始め野党は、安倍政権のバラまき政策に必ずしも反対ではないのである、彼ら自身、政権を握った途端、他の政策はさておくとして、まず第一に「子育て支援」という、安倍の全世代型社会保障と同様な、それをはるかに上回るような、バラまき政治をやろうとしたのである、やったのである。
彼らはそれらが国民のための政策であるとともに、それ以上に〝経済〟や〝景気〟や〝成長〟のために、つまりブルジョアのために有益であり、必要であると信じたのである、マルサス=ケインズのように、ブルジョア的、寄生者的政策を愛好したのであり、そんなバラまき政治で労働者・働く者に媚び、その支持をかすめとろうと卑しい根性に取りつかれたのである。
安倍政権が長期に続いてきた理由の一つは、野党の政策――社会保障政策や安倍主導の賃上げ政策や景気政策等々――を〝盗み〟、したがってまた野党の存在意義を奪い、野党を無力化したからだといったことではない。真実は、野党が――こともあろうに共産党が先頭に立って――、ブルジョアたちの愚昧な政策を学び、追従しようとしたということに過ぎない。ブルジョアに理論的、実践的に拝跪し、闘うすべも知らない、野党や共産党といった連中に期待すべきものは何もない。ただ打倒し、労働者階級の自立した政策を打ち出し、ブルジョアに屈服する彼らの日和見主義を圧倒し、労働者の未来に向けての道を切り開いて行くべき時である。
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日韓両政府の〝方針転換〟
安倍政権の歪んだ歴史認識(〝歴史修正主義〟)
2019年11月9日
日韓の間で、15年戦争中の韓国人徴用工問題で数カ月も対立している。直接的には文政権と安倍政権の対立であって、両国の労働者・働く者の間のいざこざであり、対立ではないのだが、しかし安倍政権は1965年の日韓条約と請求権の問題であり、韓国が法律を守るか 、守らないかの関係だと言いはやしているが――安倍は〝国際的な〟法律違反だとかいうが、もちろんそんなものはなく、単に日韓だけの問題であり、しかも3分の2世紀も昔の、朴軍事政権との古証文に過ぎないし、また韓国の言い分によれば、徴用工の問題は日韓条約とは関係のない、日本の大企業が〝責任〟をとって徴用工問題について謝罪し、応分の償いをせよということであって、それ以上ではない。
問題は根本的に、安倍政権の側にあるのであって、かつて韓国を植民地に貶め、韓国国民を30年にも40年にもわたって奴隷化し、辱め、搾取してきた、日本の天皇制軍国主義、帝国主義者よろしく(同様な意識感覚で)、安倍政権が、そんな事実はなかった、むしろ日本が韓国民を奴隷化したのではなく、開化・文明化に手を貸したのだ、経済の離陸や発展に貢献してきたのだ云々と、韓国民の奴隷化という、余りに明白な歴史的事実を否定するような、品格も品性もない、傲慢不遜で、思い上がった態度を、一貫して取り続けているところにある。
しかし米中の対立が米中の、世界の経済的、政治的関係を震撼、激動させ、その負の作用がそれぞれの国内からさえどんどん出て来て反発が強まるにつれて、両国の支配層自体が〝方針転換〟を余儀なくされているのと同様に、日韓の両政府も国民の反発が強まり――さらには日韓の対立がトランプの戦略に不都合となるにつれ、トランプの〝介入もあって――、安倍政権さえ文政権との妥協を模索せざるを得なくなっている。
しかし安倍政権の本質は変わることはないし、ありそうもないので――、変えたら安倍政権の政治的基盤である、反動派、国家主義派から猛反発を食い、政権が持たなくなる恐れさえ出てくる――、今後日韓の関係はそうそう簡単にはいかないだろうが、それは安倍政権が続く限り、日本の国際世界における、孤立化と嫌われっ子への転落、かつて国際的に孤立した日独伊のような立場への転落が避けられないということである。
安倍政権の一掃なくして、日本が再び国際世界の孤児となり、 世界の帝国主義的な対立と国際政治の荒波の中を漂流し 、破滅した時代が訪れないという保証は何もない。
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子供に激烈に非難される地球温暖化(環境)問題
資本主義の誕生、生成、行き詰まりと不可分であり、それと共に危機を深めて来た問題
2019年10月1日
スウェーデンの16才の少女の環境問題(地球温暖化)についての激烈な言動に、世界が引き回され、てんやわんやを演じている。まるで新興宗教の出現を見るかの危うさだが、地球温暖化による地球と人類(動植物)の存続の危機は現実であり、事実である。
しかし子供らの反応は資本主義に対する批判ではなく、その結果の一つに対する直接的、無媒介的な反応であって、それはいかに感覚的であり、鋭くはあっても、皮相であり、幼稚である。地球温暖化の問題が資本主義の誕生や発生と不可分であるのは、ブルジョア自身が、そしてグレタ自身が「経済成長」や「利潤最優先」の資本主義社会をやり玉に挙げ、激しく攻撃していることからも明らかである。
「環境問題」はすでに資本主義の初期の時代から、資本主義の、利潤目当ての競争社会の不可分の矛盾として、害悪の一つとして問題にされ、批判されてきているのであって、別に目新しいものではない。
目新しいのは資本主義の爛熟期、頽廃期、死滅すべき時代になって、世界の子どもたちにとっても切実な問題として、自分たちの未来や命さえも脅かす危機として、現実として立ち現れ、迫ってきて、世界中の何百万、何千万の子どもや若者たちさえも発言し、行動に出るまでになっていることである。
これは確かに、人類史上初めての、稀有なことだと言えるかもしれない。しかし地球温暖化等々の「環境問題」は、資本主義の矛盾や困難や危機や有害性の一つであって、その他にも資本主義のもたらす危機は、経済や財政の破綻(「アベノミクス」や消費増税、ますます働く者を苦しめる重税、財政膨張のバラまき政治)、ブルジョア諸国家の対立の激化(自国第一主義、軍国主義や帝国主義の横行、貿易・経済戦争やブロック化等々)や戦争(核戦争も含む)、専制主義(習近平やトランプやプーチンや金王朝や、安倍もまた含む)や無慈悲な狂信的独裁(多くの政治的経済的〝後進国〟、可能性としてはナチスドイツや天皇制軍国主義の日本がそうだったような、先進国における危険なファシズムの勝利)、ブルジョア支配体制と政治的破綻(議会制度、民主主義と自由主義やその制度の形骸化や破綻や反対物への転化、社会保障の思想とその体制の瓦解、イデオロギー的反動化やファシズムへの衝動)、等々枚挙にいとまがない。
理性的であり、労働者であり、そして立派な?「大人」である我々は、まだ乳離れしきっていない「子供」らとは違って、しかし「子供」らに劣らない決意と行動力をもって、この矛盾を深める、腐れ切った資本や安倍らの支配する社会の実践的、現実的な変革のために闘い抜かなくてはならないのである、そうでなかったら、後世の世代である「子供」ら――我々の孫子――からさえ「許さない」とまで非難され、叱咤されることになりかねないのである。
安倍とか志位とか、その他もろもろの恥ずべき大人たち――そんな連中はこの世には、掃いて捨てるほど、いたるところに転がっている――と、我々は違うことを、実際の言動で示し、証明しなくてはならないのである。
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東電旧経営陣3被告に対する無罪判決を糾弾する
原発事故は人災ではないのか
2019年9月20日
2011年3月の東電福島第一原発事故をめぐり、事故責任を問われた東電・勝俣恒久ら元経営陣3被告に対して、東京地裁は19日、無罪判決を言い渡した。
判決は「事故を予見できず、回避もできなかった」と旧経営陣の主張を認めている。しかし、08年3月には、政府の地震調査研究推進本部から「最大15・7メートルの津波が原発に襲来する可能性がある」との報告を受けているにも関わらず、「安全神話」を信じ、またカネがかかるとして安全対策を怠ってきた。
原発事故となったのは、津波のために核物資を冷却するための電源が失われたためであったが、電源確保のための対策が講じられていたなら、大事故は回避できた可能性があっただろう。しかし勝俣ら経営者は、原発は「安全」という「安全神話」におぼれ、津波対策を放置してきた。またカネがかかるといっても、電源確保のための対策はさほどのカネもかからなかったはずだ。
空前の大事故を引き起こした東電福島の原発事故は、経営陣が「安全神話」におぼれ対策を怠ってきた人災である。
地裁の「無罪判決」は、事実から目を背け、原発推進を謳う東電や安倍政権の意向を忖度した不当な判決である。
また判決は、原発は「危険だから反対」という共産党や市民主義者の観念的立場の反動性を改めて明らかにしている。彼らは、多くの犠牲者を出した原発事故を「原発の危険性」=「核エネルギーの利用の危険性」を立証したものと主張している。しかし、彼らの主張は、原発事故が人災であり、経営者の安全対策を放棄してきた経営者の責任から目をそらさせることである。「危険」なのは核エネルギーの利用そのものではなく、資本の利益のために原発が利用されていることである。
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第4次安倍改造内閣の面々
ヤクザまがいの腐敗した内閣の誕生
2019年9月19日
第4次安倍改造内閣が発足した。憲法改定を謳いつつも、それ一本だけでなく、社会保障問題の〝解決〟も派手に売り出して、その目的をぼかしているが、安倍の本心は権力の維持であり、〝永遠化〟である。
権力亡者の本性にたがわず、そんなことは不可能であるのは百も承知のはずだが、4回目の自民党総裁や、さらには4期目の首相さえも目指しているのかもしれない。とするなら、何が何でも憲法改定に突進する必要はなく、むしろ憲法改定など急がず、憲法改定を口実にさらに政権を延長させるという可能性さえあり得る。
新内閣は、次の首相候補などはっきりさせず、小泉まで入れて数人に競わせることが安倍にとって一番の利益ということになる。実際にはあまり安倍の地位を脅かす危険のない、オッチョコチョイの〝若造〟の小泉もまた〝人寄せパンダ〟――政権の浮揚策、支持率アップの道具としてだけではなく、安倍の本心を隠す格好の道具というわけである。
政権は陰険な権力をふるう菅を中心に、党には二階や岸田や下村を配し、麻生や、萩生田のようなヤクザの安倍親分格の汚れ役を務める腹心の子分を何人も身近に配してドスを利かせ、権力をふるうような、まさにヤクザまがいの組織(反社会的勢力)を思わせるような腐敗と反動の政権である。
しかし他方では、今や安倍政権は言ってみれば、四面楚歌政権ともいえる。アベノミクスは7年も続いて、今ではそんな目くらましだけの〝経済政策〟もすっかり神通力を失い、却ってそのマイナス面が、反作用だけが強く現れる時期に来ている。
本物の不況や経済の後退期でもないのに――むしろ経済膨張によるバブル後遺症としての停滞期、衰退期であった時期――、むやみやたらと金融緩和や財政膨張でやってきたために、かえって経済と国家の寄生化や衰退を加速してしまい、今やそうしたアベノミクスの負の面をすべて抱え込んでしまっていて、二度目のアベノミクスはないし、あり得ないだけではなく、経済政策なるものも無力をかこつだけでなく、防衛・外交政策でもどう動いていいのかも分からず、まして近隣諸国とさえ――本来なら最もよく協調し、共に繁栄を目指していい隣国の韓国とさえ――対立し、孤立している。
米中対立は、隠蔽されてきた世界経済と政治の矛盾、対立を顕在化させつつあり、そんな疾風怒濤の嵐の到来を予感させる世界の政治経済の中に、いわば安倍政権はまっ裸で放り出されようとしているかである。
安倍は国政選挙で6連勝だなどと浮かれているが、実力や、国民の本当の支持によるものではなく、単に共産党を始めとする野党が意気地ないだけである。資本の支配に挑戦する労働者党が小さく、安倍政権に根底的に反対する、闘う労働者の党、社会主義の党の果敢な闘いがないだけである。
こうした21世紀初頭における日本と世界の状況は、再び人類史の20世紀における、とりわけその前半の政治経済状況を再現するだけのように思われる、経済的大不況と破綻と混沌であり――そしてもし多くの重要な諸国家で、一連の革命や大変革の時代が訪れないなら――、ファシズムや専制政治、全体主義の勝利であり、そんな国家の世界的横行と、世界各国による対立と分裂・ブロック化と戦争の時代の再来である。
すでにその兆候は地球上のいたるところに十分すぎるほどに現れており、日本もまたその例外ではない。
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安倍政権の経済制裁は、歴史問題に対する韓国民の怒りや批判に対する〝意趣返し〟
安倍の危険な排外主義の扇動に反撃を
2019年8月4日
安倍政権の新しい策動が始まっている。韓国との――北朝鮮ではなく――紛争を利用した危険な排外主義の扇動であり、民族主義や国家主義を称揚して安倍政権の求心力を高め、政権の基盤を万全にするための汚いたくらみである。
もちろん安倍の経済制裁は本質的に、歴史問題――朝鮮人女性の性奴隷化や朝鮮人民徴用工問題――に対して朝鮮人民が安倍政権の嘘や偽りの観念や姿勢や態度に対して怒りを燃やし、今なお批判的な立場を少しも変えないどころか、いささかも弱めようとしないことに対する意趣返しであり、暴力的手段による〝報復〟であって、安倍の茶坊主にすぎない厚顔無恥な悪党の世耕や、安倍の使い走り小僧の河野らのいうような、「韓国をアジアの他の諸国と同じ扱いに戻すだけの」、「安保保障上の」問題等々の、純粋に技術的で、「あくまでも韓国の輸出管理や運用が不十分」といった問題では全くない。
問題の根源は、安倍一派の「歴史修正主義」、つまりかつて日本が天皇制軍国主義のファシズム国家であり、その時代に日本が行った、専制主義やアジアへの侵略やアジア諸国の植民地化や米英仏などとの帝国主義戦争を事実ではないと否定するにとどまらず、反対に、そんな歴史的な真実と事実を正当化し、美化しているところにこそあるのであって、こうした歴史的真実を否定し――せざるを得ない――、安倍一派の国家主義的、帝国主義的立場にこそあるのである。
こうした安倍一派の傲慢不遜な立場に対して、日本の天皇制ファシズム国家の被害者である朝鮮国民が怒るのは当然であって、こうした怒りは日本の国家が安倍一派の国家であり、権力であるかぎり、無くなることも、また弱まることも決してないし、あり得ないのである。それは日本国民と朝鮮国民の立場が全く逆であったら、我々が安倍政権と同様に振る舞う朝鮮国民と国家を決して許すことができないのと同様である。
安倍政権は半世紀以上も前の1965年に調印された日韓基本条約など――どさくさに紛れて記されたような、半ばカビの生えた古証文――を後生大事に持って回り、国家間の約束を守れ、などと偉そうに叫んでいるが、見当違いも甚だしい。
日本の佐藤政権と韓国の朴政権の間で結ばれた、1965年の「日韓基本条約」は、日本が植民地支配などの日本の歴史的な犯罪と罪に対して、無償3億ドル、有償2億ドルのはしたガネと引き換えに、30数年にわたる韓国支配や植民地化の大きな罪をすべて水に流そうという、日本にとってまことに都合のいい条約であって、佐藤政権は韓国経済を日本経済圏内に取り込むという野望もあって、朴のカネ欲しさと権力欲に付け込んだのである。
安倍政権や河野や世耕がこんな古証文を持ちだして、もう日本と韓国のことはすべて解決済みだといっても無駄である。朴が当時、どれだけ韓国と韓国民を代表していたかは知らないが、朴政権といえども戦後の韓国の歴史のせいぜい1段階、1時期の政権にすぎず、絶対的なものではないからである。それに日韓条約は韓国と日本だけの条約であって、韓国民の半分しか代表しておらず、北朝鮮は全く除外されていることからも明らかである。ただこのことだけとっても、1965年の日韓条約を錦の御旗のように担ぎ回る安倍政権は、厚かましく独りよがり、愚昧であり、ナンセンスだというしかない。
安倍政権は日韓の労働者・働く者を対立させ、相手に対する不信感や憎しみを煽り立て、もってして自らの政権基盤を固めようと策動をたくましくているが、それは韓国の文政権も同様である。ブルジョア支配階級とその政府はみな口をそろえて、相手国が不当であり、傲慢であり、自分たちを侮辱しているとわめきたて、自国ファーストや排外主義や、他国民への敵意や憎しみや軽蔑を煽り立てている。
危険な安倍一派のような徒輩がはびこる今こそ、国際主義に固く立脚する我々は、そして日本の労働者・働く者もみな足並みをそろえて、ブルジョアや反動の国家主義や排外主義や、プチブル党(共産党など)の民族主義に反対して立ち、万国の労働者・働く者はみな兄弟姉妹であり、同胞であって、相互に憎しみ合い、対立しあう、どんな理由もないと主張し、決起すべき時である。
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