コロナ蔓延の責任を棚上げ
安倍の「非常事態」改憲アピール
2020年5月4日
新型コロナウイルス感染が広がる中で迎えた「憲法記念日」、安倍は改憲派「国民会議」が主導する動画サイトにメッセージを配信、「憲法改正実現」への意欲を述べた。その中で、コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、政府が出した緊急事態宣言に言及したのち、「緊急事態において、国家や国民の役割をどのように果たし国難を乗り越えていくべきか、そのことを憲法にどのように位置づけるかは極めて重く、大切な課題だ」と訴えた。
安倍は自民党がまとめた改憲案の「緊急事態対応」についての必要性に触れて、「国会の憲法審査会の場でじっくり議論を進めていくべきだ」と述べている。
改憲案の「緊急事態」条項では「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」とされ、内閣は、「法律と同一の効力を有する政令を制定」でき、国会の議論を経ずに、国民の権利を制限したり、義務を設定したりすること、あるいは、統治に関わる法律内容を変更できるという内容である。
事前あるいは事後の国会の承認を必要とするという要件が入っているが、緊急事態宣言に反対する勢力の言論、行動を規制する内容を宣言に盛り込めば、国会の(事後)の承認要件などあってもないに等しい。ドイツワイマール憲法の下でナチスはこの「緊急事態(非常事態)条項」を利用して、「合法的に」権力を握ったのである。(非常事態宣言は後に国会で承認されたが、その時には共産党は非合法化されていた。)
安倍政権は、当初、オリンピックの「政権浮揚効果」に期待、7月のオリンピック実施に拘泥し、感染者の増加を事実上放置した。しかし、オリンピック実施延期が明らかになってから、政府は感染拡大防止に取り組み始めたが、クラスター中心の対応策は破綻、その後「緊急事態宣言」を出し、国民の「不要不急」の外出や集まり、飲食店などの営業の「自粛」を訴えた。しかし、5月連休明けまでという「自粛」でも、コロナ終息の道筋が見えず、安倍はさらに5月いっぱいに「自粛」期間を延長するという。こうした中、終息の見通しが見えないことにいらだった人たちの間からは、「自粛」という政府の政策は生ぬるいという批判や〝違反者〟への非難が沸き起こっている。彼らは、政府が強い規制策をとれとか、「自粛」に従わない勝手な行動が感染を拡大していると言っている。
安倍政権は、これまでの対応の遅れなどの自らの責任を棚に上げて(安倍は国会で政府の責任を問われて、「コロナが広がっても政府の責任とは思わない」と答弁し、恐るべき無責任ぶりを暴露した)、政府が断固たる政策をとれるような法的な整備がなされなかったために遅れをとったかのように言って、今回のコロナウイルス蔓延のような「国難」に際しては、強力な権力を行使することのできる法律=「非常事態条項」を盛り込んだ改憲が必要だ、と言うのだ。
しかし、コロナ対策を利用して安倍や反動派のいうような、政府が思いのままに勝手に法律と同じ効力を持つ政令制定権をもつ改憲を正当化することは出来ない。一定の外出の制限などの対応は現在の法律でもできるのであり、コロナ禍に便乗して「非常事態条項」を入れた改憲が必要という安倍の主張は、自らの責任、怠慢を棚に上げ、独裁体制をめざす改憲を正当化することである。
コロナ感染が蔓延したのは、政府が思いのままに国民の権利や行動を規制できるような〝非常大権〟を持っていず、効果的な政策をとれなかったことにあるのではなく、政府が、感染者の徹底的検査を行わず、感染状況に応じた対応を行ってこなかったこと、感染者を治療する医者、看護師の配置や病床、医療機器の準備などの医療体制の整備に真剣に取り組んでこなかったことにあるのである。コロナ禍が現れてから約4カ月、いまなお終息の見通しもたたない責任は、安倍政権にある。
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「核の傘」維持は日本の要求
破綻した共産党の米国による安保条約押し付け論
2020年5月2日
4月30日の朝日新聞は、「『核の傘』維持米に求める日本」という記事を掲載し、「核の傘」をめぐり、日米同盟の姿は「変貌している」と論じている。
日本は日米安保条約に見られるように、米国との軍事同盟を結んできた。強大な米国の軍事力に依存し、中・ソ(現在はロシア)、北朝鮮に対峙してきたが、核については対外的には「非核3原則」(持たず、使わず、持ち込ませず)に見られるように、消極的な態度を謳ってきた。
しかし、この政府の姿勢は、国内の反発や中国、ソ連をはじめ、かつて日本帝国主義の侵略を受けた東南アジア諸国などからの反発を回避するためのものであって、事実上は米国の「核の傘」に入ることを認めてきた。
実際、沖縄返還も「核抜き」であることが謳われたが、核兵器を搭載した艦船の寄港を認めるなど、「核付き」返還であることは公然の事実であった。日本が核を持たない代わりに、米国の核に依存してきたのである。
だが、それは米国の核軍事戦略に協力するということであった。しかし、日本が積極的に米国に「核の傘」を維持するように要求するようになってきた。そのことが明確に表れたのは、共和党のブッシュに代わって、民主党のオバマが大統領になった時であった。イラクが核を隠し持っているというデッチあげ情報を流し、イラクに軍事侵攻したブッシュに代わってオバマは「核なき世界」を掲げた。
オバマ政権の下、2009年2月、米議会で開かれた諮問会議に当時の秋葉駐米公使(現外務次官)らが呼ばれたが、秋葉は、米国の核政策に注文をつける文書を配布したという。それには「日本を取り巻く現在の安全保障は、米国の核抑止を含む抑止を必要としている」「米国が配備する戦略核弾頭の一方的な削減は、日本の安全保障に悪影響をもたらしうる」と書かれていた。会議は非公開で行われたが、米NGO「憂慮する科学者同盟」が入手した文書には、日本が米国に「核の傘」の重要性を説き、一方的に削減しないよう求める訴えが書かれていたという。それだけではなく、地中深く堅固な地下施設や移動式目標、サイバー攻撃や衛星攻撃などが列挙され、これらによる攻撃に米国が対応できる攻撃的能力を保持することを米国側に要求したとされている。
文書では「米国が展開する戦略核弾頭の大幅削減に関しては、事前の日本との密接な協議が絶対不可欠だ」と米側を牽制しているという。(以上、朝日新聞)
共産党や平和主義的市民主義派らは、「日米安保条約は米国の引き起こした戦争に巻き込まれるから危険」と叫んできた。そして共産党は最近では、日米安保や自衛隊を認める国民らの野党との共闘を意識して、日米安保は日本の「防衛」のためではなく、米国のためのものだから反対、自衛隊活動も米国の軍隊に従属しているから反対であって、日本の自衛のための存在となれば反対はしないと言いだすに至っている。
しかし、朝日が明から に した文書では、積極的に日本が米国に対して「核の傘」を維持するよう要請している。かつては米国の核の持ち込みに関しては日本との「事前の協議」が必要と言っていたが、今や言い分は様変わりして、米国の戦略核弾頭の大幅削減には日本との事前の協議が必要」という状況に変わった。さらに「米国の戦争に巻き込まれる 」から危険というこれまでの防衛省幹部は「いまや日本が米国をどう『巻き込むか』が重要」といってはばからない。
今や積極的に米国との軍事同盟を強化し、軍備を増強しているのは日本である。日米安保は今や積極的に米国との軍事同盟を強化し、軍備を増強しているのは日本である。日米安保は米国の強制であり、「米国の行う戦争に巻き込まれる」から危険等々の共産党、プチブル平和主米国の強制であり、「米国の行う戦争に巻き込まれる」から危険等々の共産党、プチブル平和主義派の主張は、世界の軍事的対立を煽り、緊張を高めている日本独占資本を免罪にする反動的義派の主張は、世界の軍事的対立を煽り、緊張を高めている日本独占資本を免罪にする反動的主張である。主張である。
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《労働者党メーデーアッピール》
末期症状の安倍政権を倒そう!
コロナ対策より「オリンピック開催」、 「経済不況対策」を優先させ、
コロナ蔓延を招いた責任を取れ!
2020年4月28日
今年のメーデーは、残念なことに労働者が参加できないWEBメーデーとなった。労働者党は、毎年全国各地のメーデー会場で宣伝を組織してきたが、今回は皆さんに直接訴えることができないためHPからアッピールをさせて頂きます。
オリンピック優先(経済優先)で感染対策を怠りコロナは蔓延
1月31日、WHO緊急委員会は声明を出し、中国(中国の感染者は9,692名、死亡者212名)をはじめ世界に感染しはじめたコロナに対して、コロナの基本的な特性を明らかにし「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」(PHEIC)を発表した。
この時、日本国内には既に12名(そのうち10名が武漢居住か滞在歴がある人)の感染者がいることが確認され、約100名の濃厚接触者と多くの経路不明者がいたことが分かっていた。しかし、政府や厚労省は、日本での感染はそれほど大きくならないと甘くみていた。これがクルーズ船(2月3日に横浜港に到着)の感染者を公的交通機関で帰宅させるという不手際となり、「外出自粛」(人々の責任に転嫁)と「感染経路追跡」で感染拡大を封じ込めるという不合理な政府・専門委員会の方針となり、徹底したPCR検査と感染判別を怠り、医療用マスクをはじめとする医療用器具や病床の確保などの緊急医療体制の大幅な遅れを招くことになった。
1月21日に(台湾初の)感染者が確認されるや、全力で武漢からの入境者への防疫に着手し、その後直ちにマスクや医療生産ラインを増設した台湾や、「ドライブスルー方式」などでウイルス検査を徹底した韓国などとは比較にならない程、対策が遅れに遅れ、合理的で効率的な対策を打てなかった。
その結果、今では医療現場の従事者からの報告(労働者党ブログやツイッターも参照)のように、事実上医療崩壊を招いており、感染終息がなかなか見通せない状況に至っている。
こうした状況を招いた最大の原因は、コロナ感染対策よりもオリンピック開催にこだわった安倍政権にあった。
なぜなら安倍政権は、オリンピック開催を「アベノミクス」の総仕上げと位置付け、オリンピックという「お祭り」が経済効果をもたらすと考え(こんな浪費=消費が経済発展に繋がらないのは明らかだ)、「アベノミクス」に対する不評(実質賃金は下がりっぱなしだぞ)を挽回しようと、成しえない空虚な幻想を抱き、国民もまたダマしてきたからである。さらに、オリンピック開催で安倍と日本を世界にアッピールし、国民の歓心を得てあわよくば「安倍4選」を勝ち得ようと、私的な下心も抱いていたからである。コロナ対策が遅れれば遅れる程、それだけ人命が奪われるにも拘わらず、オリンピックの今夏開催を何としてもやりたいと考え策動し、延期や中止を阻止しようとIOCに働きかけてきたのだ。
3月に入ると、東京や大阪などの都市部では、感染源が分からない感染者が増え、感染者集団(クラスター)が次々と報告され始め、3月中旬には海外から入国した後に感染が確認された人(入国時の感染判定が甘かったため)が急速に増えるなど、危機的状況になってきた。こんな状況になって、しかもしぶしぶ今夏の開催中止を決めたのは、何と24日になってからであった。
これだけ見ただけでも、安倍政権の犯罪的役割は明らかではないか。オリンピック(カジノ統合リゾートなども)は延期でなく直ちに中止を要求する。
「安倍政権を倒せ」の旗を降ろし、政権との共闘に転じた野党糾弾!
労働者・働く者は、仕事の確保や生活保障を要求して闘おう!
「労働の解放」目指して前進しよう!
こうした安倍政権の犯罪を追及し、安倍政権打倒の烽火を上げるのではなく、むしろ協力したのが、立憲や共産などの野党であった。安倍政権が4月7日に出した「緊急事態宣言」に全野党が賛成し、さらに、経済対策として打ち出してきた「一人10万円給付」を所得制限なしとすることにも賛成した。だが、これでは安倍政権と共闘する〝コロナ救国国会〟ではないか。
共産党の志位委員長は、この10万円給付について、「すべての人に10万円支給は、スピードの点、公平性の点でも合理的」(4月16日、国会内記者会見)と手放しで歓迎したことを明らかにした。
しかし、これはなんたる発言か! 昨年から過剰資本・過剰生産が顕在化し生産調整のもとで失業者が増え始め(総務省の「労働力調査」によれば、19年1月の完全失業者は前年同月比で7万人増加し、8年ぶりの増加となり、その後増加傾向)、さらにコロナ禍のもと、雇止めや解雇を喰らった労働者・働く者が何万人にも達しているのだ。何よりも困窮極める労働者・働く者を救済することが緊急の課題ではなかったのか。
それなのに、志位委員長らは、金持ちにも配ることに賛成したのである。所得については、国税庁が把握しているのであり、所得制限を付けることは一瞬で処理できることであって、「スピード」云々の問題ではない。何千万何億の所得ある大企業経営者や投資家にとっては、10万円は「はした金」であり、給付する必要のないカネではないのか。何が「公平性」か、極めて不公平な給付策ではないのか。
しかも、10万円給付は政府の借金(国債発行)でまかなうのである。政府の借金は、将来の労働者・働く者が増税などで負担を強いられる源泉となり、安易に金持ち層にバラ撒くことは出来ないものなのだ。分かっているのか!
労働者・働く者は、こんなことを平然と唱える志位委員長の発言をしっかり記憶しておくべきだ。今や、野党は「安倍政権を倒せ」の旗を降ろし、〝コロナ救国〟で安倍政権と共闘し、政権を救済する〝翼賛〟政党に成り下がっている、この反労働者的な姿を目に焼き付けておこう。
今回の経済危機は、単にコロナ禍が原因ではない。「アベノミクス」によって日本の経済は膨張し、空前の株価高や80年代後半のバブル期に匹敵するような地価高騰が続き、大企業は戦後最高の利潤を上げ、500兆円もの「内部留保」(自己資本、余剰資本)を貯め込んだ。バブル経済がそうであったように、「アベノミクス」による空景気演出によって、再び大企業の過剰資本・過剰生産が作られてきたのだ。
今回の経済危機はコロナ禍が原因であるとの報道(共産などの考えも)が大半であるが、それ以前に過剰資本・過剰生産が昨年初めには顕在化し、失業者の増大が既に生まれ始めていたことをしっかり確認する必要がある。
さらに問題なのは、今回の経済危機でさえ、大企業は、緊急を要する労働者救済のために、「内部留保」からその1割さえ出すわけでもなく、逆に賃上げも認めず、自己の利潤確保を優先させていることだ。コロナ禍に限らずどんな経済危機でも、真っ先に被害を受けるのは、賃金労働者(とりわけ非正規の労働者や女性)であったし、今回もそうである。
労働者・働く者は、犠牲に甘んずることなく、安倍政権と大企業に仕事の確保と生活保障を断固として突きつけ、闘って行く以外にない。同時に、共産や立憲などの「半分自民」の野党とはきっぱり手を切り、自らの未来(労働の解放)を掛けて闘って行く時だ。
自らの未来のため共に団結して闘おう!
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日本を覆うコロナ禍の下で
ファシストたちが躍動している!
コロナに恐怖する国民に寄り添いながら影響力を増殖
2020年4月24日
警戒せよ!ファシスト達は、新型コロナウイルス拡大に恐怖する国民に寄り添いながら影響力を増殖している。
あれほどに磐石な体制を築き上げてかに見えた安倍政権は、コロナ禍の中で坂道を転げ落ちるように支持率を下げている。オリンピック開催と習近平国賓来日を最優先し、新型コロナウイルス対策を先送りしてきた結果が今日の状況を引き起こした。安倍政権による民営化や規制緩和は結局は、旧態然たる自民党の支持基盤の化粧直しに終わり、効率化の推進によって医療体制は弱体化し非正規労働者は2千万人を超えた。コロナ禍は、医療体制の崩壊を現実のものとし、多くの労働者国民大衆が文字通り死と隣り合う状況を強制された。コロナ禍は、安倍政権が進めてきた政治の恐るべき実態を容赦なく暴き出した。
労働者国民大衆の反発や失望からの挽回を目論見矢継ぎ早に打ち出した政策、マスク2枚の配布(ゴミまみれの不衛生極まりないマスクに466億円も投入)や星野源の楽曲をバックにくつろぐ安倍の動画や、30万円を困窮世帯に対するバラ撒く政策がことごとく不評に終わり全国民に10万円をバラ撒く方針に切り替え、中途半端な緊急事態宣言で国民に自粛を呼びかけ、感染するかしないかは国民の行動次第であると責任を国民に押し付けている。
日本全国に不安と恐怖が広がる中で、ファシズム勢力が躍動している。大阪で最大の政治勢力として君臨している維新の会の松井大阪市長が医療現場で防護服が足りない、雨ガッパを送って欲しいと訴え、そして本命の橋下はテレビやネットでコロナ対策の情報を繰り返し発信している。彼らに共通するのは分かりやすいメッセージである。府知事の吉村は「休業要請に従わない事業所の名前を公表する」と言い、橋下は「まずは“解雇は禁止”、“所得は8割を保証する”。国が結論を保証した上で日銀がどんどんカネを刷って渡すしかありません」。
彼らの主張は、安倍の官僚らが書いた原稿を棒読みする会見と違い、論点が単純明確である。しかし、分かりやすく明確な主張の裏に隠されている腹黒き陰謀を見落としてはならない。彼らはコロナ禍を千載一遇の好機ととらえ、府民や国民の命と暮らしを守るヒーローとして登場することによって、自らの政治的影響力の拡大を目論んでいるのだ。
「元大阪府知事の橋下徹氏が21日、TBS系『あさチャン!』(月~金曜・前5時25分)に生出演した。新型コロナウイルスの感染拡大が続く現状に、橋下氏は『日本の政治家に言いたいのは、責任を持って覚悟を持って腹くくってくれ』と訴えた。そして『命を守るんだと言うんだったら、一部犠牲になる人に対しては日銀でお札を刷りまくって、財政破綻覚悟の上で命を守るんだと、その覚悟を示す。財政破綻が嫌だったら、命はちょっと犠牲になるかもわからないけれども、経済をある程度回していくんだと。どっちの道を行くにも、ものすごい責任を負う』と決断を求めた。」(4.21スポーツ報知)
安倍の中途半端な主張に対してなんと明確な主張か!感染の拡大を押さえ込むのであれば、輪転機をフル回転させて日銀券をバラ撒き、経済活動を中止せよ、できなければ数万、数十万の犠牲を恐れることなく経済活動を継続せよ、その覚悟が安倍にあるのか?なんとわかりやすい二者択一の問いかけか?安倍政権は経済もオリンピックもそしてコロナ封じ込めもどちらも夢見て全てを失い国民に犠牲を強要しようとしている。
世界の主要国の指導者で支持率を下げているのは唯一、安倍だけであると報じられている。このような政治的な混乱に乗じて橋下や吉村府知事ら維新の会は、自らをコロナ禍と戦い府民や国民を守る力強いリーダーを演じ、情報を発信している。ネット上では彼らを賞賛するツイートに溢れ、吉村の血走った形相の写真を掲載し、非常時のリーダーを印象づけている。最近の世論調査(4月18,19日毎日)では維新が6%(前回から2%プラス)に支持率を伸ばす一方で、立憲は4%ダウンの5%と野党第一党の座を維新に奪われた。政治的な混乱と経済的社会的な混乱、コロナ禍の中で国民の間で不安と恐怖が広まっている。このような状況はファシズム勢力が胎動し躍進する絶好の土壌である。ヒトラーのナチス党もイタリアのファシズム運動も、やはり第一次世界大戦後の混乱と世界恐慌の中で躍進した。そして日本でも天皇が軍部と結びつき天皇制軍部ファシズムが労働者国民を戦争と破滅の道に引きずり込んだ。
コロナ禍はこれまでの自民党政権、安倍政治の恐るべき無知蒙昧さと無能力さを完膚なきまでに暴露した。労働者党は全ての皆さんに呼びかけます!自らと家族、労働者国民の未来を暗黒のファシストに譲り渡してはならない、ファシストの策動を許すな!ファシストたちを警戒せよ!
(古川)
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支援が必要なのは労働者で、
金持ちへの支給は浪費
コロナ禍蔓延を招いた責任ごまかす10万円支給策
2020年4月17日
安倍は、コロナ対策として国民一人当たり一律10万円支給することを決定しました。
政府はすでにコロナウイルス感染災害に対する緊急経済対策として、所得が著しく減少した世帯向けに30万円給付を決め、補正予算案づくりに取り組んでいましたが、与党公明党や自民党内部からも「もらえる人が少ない」との不満が続出、これらの声を受け入れる形で、所得制限なしに、国民一人当たり10万円を支給することに方針を転換しました。
1人10万円支給案は、もともと立・民など野党統一会派の緊急対策の柱であり、国・民の玉木は「ようやく(政府が)我々に近づいてきた」と歓迎、共産党穀田国対委員長も「生活困難になった世帯に30万円を支給するよりも、一律10万円のほうがはるかに(支給が)早い」と賛同の意を表明しています。またテレビの報道番組でも「ようやく国民の声が届いた」と、いまや歓迎一色です。
しかし、こんな政策を手放しで歓迎できるでしょうか。
コロナウイルスで首を切られた挙句、住む場所もなくなったり、賃金カットで生活苦に陥った労働者・働く者に対する国家の支援は喫緊の課題だとしても、金持ち連中にまでカネを支給する必要があるでしょうか。金持ち連中にとっては、いずれ遊んだり贅沢したりするだけの、たまたま転げ込んできた余分なカネでしかありません。「所得制限を設けていては支給まで時間がかかりすぎ、支援を必要とする人が困る」といった理屈は言い訳にすぎません。
一律支給の総額は12兆円余、その財源は全額が国の借金です。これまで不況から脱出するために需要を喚起しなくてはならないなどと称して、資本家のために国家の借金でカネをバラまき、積もり積もった国家の借金は 約1100兆円、いまや国家の借金は国内総生産の2倍にもなって、日本は借金地獄に陥っています。大災害など緊急事態に対応すべきカネもなく、コロナウイルスのための緊急政策として借金を重ねるのです。
緊急政策だといってもカネを無駄遣いしていい訳はありません。借金はやがては返済しなくてはなりません。返済のカネは国民から搾り取ったカネであり、借金のツケは増税、ハイパーインフレ、財政破綻等々の矛盾として 労働者・働く者にしわ寄せされるのです。
借金による所得制限なしの1人10万円の支給は究極のバラマキです。こんなものを労働者・働く者のための政策とは呼べないし、安倍の無策を暴露する以外の何ものでもありません。ものごとの後先をかまわず、借金によってカネをばら撒くことなら誰だってできるでしょう。安倍が政策を転換したのは、自分の失政を覆い隠し、国民の歓心を買うことができるという卑しい下心からでしかありません。
安倍はコロナウイルス禍を「かつてない国難」と叫び、緊急対策を打ち出し、〝外出自粛〟を呼び掛けました。しかし、ここまで事態を悪化させたのは安倍の責任です。安倍は自己の政権欲と景気浮揚を期待して、オリンピックを実施することしか眼中になく、コロナ禍を軽視し、その対策に真剣に取り組んできませんでした。そのツケが、コロナウイルスの蔓延による労働者の失業・生活苦の増大、医療の崩壊危機等々の困難として現れているのです。
(T)
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安倍の「緊急事態宣言」
最初から失敗を運命付けられている
2020年4月8日
追い詰められた安倍の責任を明らかにせよ
安倍が伝家の宝刀ならぬ、なまくら刀の「緊急事態宣言」を発表した。
ようやくにして、事態が容易ならざるものであるのを確認したのだが、余りに遅すぎる。事態はすでに、「国民生活および国民経済に甚大な及ぼす恐れがある事態が発生した」といったところに留まらず、医療解体という最悪の事態の寸前にまで立ち至っているのだが、その責任は上げて安倍政権にある、というのは最初からオリンピックをやるために、その実現のために、コロナ禍とその危険性を決定的に過少評価し、日本の現状を楽観的に描き、幻想を広めて〝初期対応〟で致命的な過ちを犯し――その中でも最大の、致命的な誤りは、必要な広汎にわたる検査をサボり、コロナ禍の全体的な現実を早急に確認し、そうした事実に基づいて正しい対応ができなかったことである――、その過ちが今に至るまで修正されず、尾を引いているからである。
今に至っても、安倍はコロナ禍の現実を明らかにすることを恐れ、それが問題に対する対処とその解決の出発点であることを理解していないし、できないままである。
こうした安倍の致命的な間違いの根底に、コロナ禍があろうと何があろうと、オリンピックに固執し、その強行を何が何でも優先させた安倍の願望、というより野望や邪心や権力欲があったことは余りに明らかである。
安倍は今に至っても、日本の感染者は少ないと言い、それは今までの安倍政権の対応が正しかったかに言いつくろい、自らの悪政を隠そうとするのだが、しかし罹患者数が少なかったのは、最初から症状を示した人々だけに検査を絞り、広範な検査をサボり、実際に症状に出ない罹患者を、そしてコロナの感染率の高さを、そうした意味での危険性をできるだけ小さく見せかけてきた結果である。
安倍は事実と真実を客観的に明らかにし、本当の危険性と、それとの対応を冷静に、理性的に考える代わりに、現実の危険性の過小評価と、その場限りの安倍の願望や幻想に基づいて、場当たりのやり方に終始してきたのである。
今頃になって、コロナは危険だ、症状に出なくても感染している人が多い、若者たちは田舎に逃げていくというが、そんなことをしたら、田舎の抵抗力の弱い祖父、祖母に感染させるから都会に留まれなどと、いらぬお節介にふけるのだが、全ては感染状況の真実を最初からから今まで一貫して隠そうとしてきた、安倍が悪いのである(事実と真実を恐れ、それを国民から隠そうとし、嘘を言い続けたのは、大戦中の天皇制軍部ファシズム政府の特徴であった)。
かくして安倍政権の下、日本もまた医療崩壊と国民の健康と生命は重大な危険に、今やさらされている。日本もまた医療崩壊の瀬戸際に来ているのである、つまり今やイタリアやアメリカの後を追おうとしているのである、まさに安倍のために、我々はその〝恐怖〟にさらされることになっているのである。
とするなら、我々はオリンピックなどに浮かれている時ではなく、オリンピックは中止し、まさにコロナ禍との闘いに全力を注ぐべきときである。
国民の相互「接触」を80%断てばコロナ禍に勝つという
幻想もしくはたわ言
追い詰められた安倍は、先刻成立させた無力で無意味な作文、「特別措置法」に基づく「緊急事態宣言」なるものを〝発令〟したが――「宣言」に基づく「発令」とは日本語にさえなっていない、安倍政権のいい加減な本性を暴露する、無責任で意味不明の表現である――、しかしその内容は馬鹿げていて、相互に矛盾し、空虚なものであって、コロナ禍と闘う上で無力であるばかりではなく、日本国民の全体を混乱と無政府的恐怖に追いやり、日本の経済社会を解体と混乱の巷に導くものでしかないのである。
まずコロナ禍と闘い、感染拡大が収まったなら、その後に力強い、急速な経済成長に移るなどと、相変わらず景気のいい口ぶりで国民を扇動するのだが、しかし提案されている政策は、コロナ禍と闘うのか、経済崩壊と闘うのか、少しも明確ではなく、その二つの課題をバラバラに並行してやるのかさえはっきりしない、ごちゃ混ぜで、場当たりのやり方の羅列だけである。そしてそうした政治の辻褄合わせは、カネを無制限にバラまくことでつけようというのだが、そうすることができるのは、今の世の中では、政府は輪転機を回せば、残念ながら未来においては深刻な後遺症に悩むことになる〝偽ガネ〟だが、とにかくカネなるものを魔法のようにいくらでも作り出せるからである。
もちろん不況対策と、コロナ禍と闘うこととは別の問題、別の課題であって、いくらカネをバラまいても、それがコロナ禍と闘ったことにならないのは自明であろう。「収入の減った低所得者世帯」に30万円ばかりをバラまくというが、そんな政策がなぜ、いかにしてコロナ禍対策か、お釈迦様でも論理的に説明できないであろう。それだけありがたい〝消費〟や需要を拡大し、景気を浮揚させるというのか、それが真実かどうかはさておくとしても、バラまきによる幻想の景気浮揚がコロナウイルスに効くというのか。バカも休み休み言うべきであろう。
そもそも「収入の減った低所得者世帯」とはいかなる世帯か、なぜたった1回だけの30万円か、それで減った収入を保証できるのか、他の多くの低所得や無収入の世帯はどうなるのか(飢えて死ねというのか)。ただカネをバラまくという以外の、どんな意義も意味も見いだせない無意味な政策、4兆円――他のバラまきも入れると6兆円――ものムダ金である。
外出禁止は万能薬か
コロナ禍対策として言われている政策の根底は、国民の「外出」禁止であり、懇願である。安倍に言わせると、国民が「接近」するのを80%止めれば、コロナ禍が広がるのを阻止できるから、それを1ヵ月ほどやればコロナ禍の勢いはそがれ、収束に向かうというのである。バカげた観念、空しい空頼みであろう、というのは、そんなことは事実上不可能だからである。
実際、こうしたやり方はすでに破産し、失敗しているのである。安倍政権はオリンピック強行にこだわり、初期対応で間違った後、クラスターつぶしを一つずつ、丁寧にやれば、コロナ禍の蔓延は阻止できるといった幻想を抱いて来たが、今ではクラスターとは関係のない、感染源を特定できない感染者が激増し、大多数を占めるようになって、そんな安易な楽観主義は破綻してしまった。
それで安倍は行き詰まり、今度は、感染源を特定できない場合に対処するといって、「外出禁止」などを持ち出すのだが、今度は、それは国民の全体のやることだと、自らの失政を国民の責任に転嫁し、ごまかししつつ、感染が拡大したら、それは国民の〝自制〟のなさが悪いと言おうというのであろうか。
しかし国民が自宅にこもって大人しくしていれば、コロナ禍は静かに行き過ぎてくれると言っても、そんなことは幻想ではないのか。
医療関係者に典型的であるように、さらには必要な機械や、日常的な消費財の生産や流通・分配に関与する、「自宅で自粛すること」のできない何百万、何千万の国民は、つまり多くの労働者・働く者はどうすればいいのか。
そうした国民の多くが自宅にひきこもって、外界との関係を断つなら、安倍らが、ブルジョア諸君が何があっても守らなくてはならない経済活動が、利潤のための奮闘努力が、また国民全体の、労働者・働く者の日常活動も、つまり生活も一切麻痺し、機能しなくなる――労働者・働く者もみな死に絶える、もしくは蒸発しかねない――のだが、それでもいいのだろうか。
我々は、問題はコロナ禍の中でも重篤に陥る被災者であり、その中の多くが命を落とすことになりかねない医療崩壊をいかにして避けるかが重要であると訴えてきた。
そもそもコロナ禍の恐怖をいたずらに言いはやすのも問題である。罹患者の80%が〝軽症〟で終わるのである。14%が重症、その内の6%が重篤となり、死亡率は今の段階では平均して罹病者の3~4%位である。
今、日本も含めてすべての国家に対応を迫られている、重篤に陥り、死亡まで至る人々をいかにして最小にするかということ、こうした課題にいかに立ち向かい、いかに解決するか、有効に対応できるかということである。我々はその意味で、医療崩壊を回避することこそ、最も重視すべきであると最初から主張して来た。
そしてコロナ禍と合理的に闘うためには、まず何よりも、その実体を正しく把握すること、したがってまたできるできるだけ早く、そして確実に、徹底的に国民全体の検査を行うこと――日本の検査はドイツの20分の1に過ぎなかった――であると主張し、安倍の「症状が出た限り」で検査を行い、罹病者をそうしたものとしてだけ数え入れるやり方に反対してきた。安倍のこうしたいい加減なやり方は、事態を過小評価し、オリンピック実施に何としても道を切り開きたい安倍の邪念から出た、間違ったものであったことを厳しく反省すべきである。安倍の誤りは、クラスター中心の対策方針の破綻によって、今では全く明らかになっている。今や感染は一般的なものとなり、クラスター感染など中心に追求してもピント外れであって、大して意味がなかったのである。
だからと言って、クラスターではなく、隔離方針ならいいといったことには決してならない。むしろ今回の隔離万能の方針は、破綻したクラスター中心のやり方の直接の延長線上にあるのであって、その単なる拡張したやり方であり、クラスター中心のやり方と同様に破綻を運命づけられているのである。
そもそも安倍は感染回避のために、3つのことをちゃんとやれば、コロナ禍と闘い、それをやりすごことができるかに言うのだが、そんなものは安倍の空想であり、願望であって不可能である。その三つのこととは、「密閉、密集、密接」であり、それを1ヵ月ほど「国民の協力」と決意でやり遂げられればコロナ禍は収束するというのだが、感染症の本性も知らない、ナンセンスな妄言である。
「密閉、密集、密接」そのものは「言うは易く、行うは難し」で、実際に行われ得ないのだが、しかしその前に、そんなものを文字通り、徹底して――例えばロックダウン(締め出し=大都市閉鎖や〝鎖国〟)で――やろうとしても、それは経済や社会の全ての活動を止めることなくしては不可能であろう。
どんな時代の、どんな生産様式にせよ、およそ人類社会は、生産的活動や労働無くして、1日と言えども存在し得ないのは、人々が何も食べないでは1日と言えども、正常に、まともに生きられないのと同様である。
ブルジョアたちならデジタル活動で自分の仕事や経営はやれるかもしれないが、現場で働く労働者や農漁民は、協力して生産的労働を担う労働者・働く者は、自宅の、あるいは会社のデスク上のデジタル活動によっては生産財や原材料や、消費財や食料品を作り出すことはできないのである。
広汎な労働者・働く者たちは、コロナ禍などの〝感染症〟を自分が欲するままに、回避することは決してできないのである。例えば、現在コロナ禍と闘うために、徹夜を重ねながら病院等々で困難な医療活動に従事している医者や看護師らに、安倍のように口先だけの感謝の言葉を言うのは易しい、しかし彼ら、彼女らが感染を恐れてその仕事を放棄したら、どうなるか分かっていて安倍は口先だけのサービスをやっているのか知らないが、彼らに「密閉、密集、密接」をどうやって避けよというのか、いえるのか。
こうした問いを発するだけで、安倍の言っていることが、つまり「緊急事態宣言」がどんなにインチキな欺瞞であり、卑しい空論であるかがたちまち暴露されるのである。「外出自粛」を人々に強い、他人に接触するなということは、事実上、安倍の失政の責任を国民に転嫁することでなくて何であろうか。労働者はこうした安倍の卑しさを確認し、安倍政権打倒の闘いに今こそ決起すべき時である。
そしてまた安倍は飽きもせず、カネさえバラまけばコロナ禍や、ついでに経済危機――そりの責任はあげてアベノミクスの虚像を振りまき、国民の多くを躍らせてきた安倍政権にこそあるといえるが――の全ての困難がたちまち雲散霧消するかに、今回の「宣言」でも言いはやし、国費40兆円、事業費108兆円というような、かつてないようなバラまき政策に突撃しようとしている。最初は国費20兆円、事業規模60兆円だったのに、あっという間に2倍である。しかもオリンピックを止めて、費用を省き、そのカネをコロナ禍との闘いに向けるのならまだしも、オリンピックをやってまたカネをバラまくなら景気も回復する、コロナ禍も克服できる等々の妄想を振りまいて恥じないのである。
「恐れるべきは、恐れる心そのものである」といった、1930年代のルーズベルト流の観念を持って回っているが、そんな太平洋戦争中の軍部ファシストのような精神論を持ち出すことで、コロナ禍を撃退できると思う方がナンセンスである。
今こそ、コロナ禍と闘うためにも、安倍政権を倒すことが焦眉の課題になっているのである。7年間安倍のやってきた政治は最悪の政治であり、その結果今や日本の経済、財政、社会は解体しつつある。それが単にコロナ禍のためではなく、安倍政権のためであることをしっかり確認し、安倍政権の責任を明らかにし、安倍政権への非難と糾弾を強め。その打倒へと道を切り払いて行くべき時である。
安倍に全面降伏し、野党共闘などどこへやら、
与野党共闘(国民的共闘)に埋没する野党、
とりわけその先頭に立つ醜悪な共産党
全ての政党は、今や与野党の違いもなく、「財政規律」についていうべきではない、それは「脇に置くべきだ」と、鎖から放たれた犬のように、大張り切りでバラまき政策を競うのだが、その無原則と醜悪さと無責任は呆れるばかりである。
しかるに野党諸党は今や野党共闘どころか、国民的共闘でコロナ禍と闘うべきだと、完全に安倍の薬篭中に取り込まれ、安倍政権への奉仕と屈従を競い合う有様である。
そしてその先頭に立って、自分たちの政策には国債発行しなくても、いくらでも財源を見つけ出して来れるとあんなにも自慢してきた共産党も、財源問題などまるで棚上げし、忘れたかに、無制限ともいえる財政支出をわめきたてている。限りなく無節操で、無責任な政党というべきか。
志位は安倍に向って、盛んに、「自粛を要請するなら補償を完全に、〝満額〟行うべきである、さもなければ、自粛が完全に行われるはずもない、労働者・働く者は自粛政策を完璧に行ったら、生活するために働くことができなくなるからである」などと、途方もないことを言いはやし、労働者・働く者にブルジョア国家への全面的な依存をお説教し、安倍政権となれ合っている、否、安倍政権への幻想を広め、助けている。
志位の主張は、「自粛と一体で補償するという宣言だ」といったものである。自粛で働かないで引き篭るから、その生活をすべて、全額補償せよ、それが安倍の政策の欠陥を補う、志位の賢明な助言だというのである。
しかし資本主義の全体の延命のために働き、自ら招いたジレンマの中で悪戦苦闘する安倍が、志位の空論に耳を貸す余裕を持たなかったのは言うまでもない。
志位は、こんな珍奇な要求を掲げて安倍と〝闘って〟いる、否、いちゃついている。そうしないと、「自粛が〝実効あるもの〟にならない」から、国民が生活や企業活動のために活動し、動き回らなくてはならなくなるから、間違っており、良くないからというのである。
一言でいうなら、国民全体が政府によって養われるなら、〝自粛〟は完成するから、そうせよというのである。
完璧な〝自粛〟をすればコロナ禍から解放されるという、安倍と共通するナンセンスな認識や幻想はさておくとしても、共産主義者か何か知らないが、こんなバカげたことしか言わなかった〝共産主義者〟はかつてもいなかったし、今もいないし、未来永劫にいないことだけは確かである。
大した浅知恵というものである。こんな政策が行われるなら、それは、安倍と共に志位もまた破綻し、消えてなくなるときだけであろう。
(林紘義)
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全世帯に布製マスク配布
200億円で国民の歓心を買おうと画策
2020年4月3日
安倍が全世帯(5800万世帯)に布製マスクを2枚ずつ配布するという。
現国会で、安倍がつけている顔を覆うには小さすぎるあの珍奇なマスクが、感染者数の多い地方から順番に配布される。
製造から包装、郵送費、人件費も入れてその費用は200億円以上になるというが、そんなマスクをもらって喜ぶ国民などひとりもいないだろうが、こんなことを、さも重大なことだと言わんばかりに対策会議で決めて、国民の歓心を買おうというのだから、以後この政権の繰り出す対策などあてになるものではない。まさにこの政権と取り巻きブレーンの末路を象徴するものだ。
布マスクは、繊維の目が粗いのでウイルスを防げない。また、洗濯後に十分に 乾かさないとカビが生える。
この配布決定までに、安倍や厚労省が約1ヶ月の討議を重ねた(ご苦労なことだ)ということを付け加えておこう。
(是永 義行)
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経済不振にコロナ禍が加わり
安倍政権が奈落の底に
沈んでいく日も遠くはない
2020年3月29日
コロナ禍は依然として収束の気配を見せず、全世界に波及し、一部の地域ではパンデミックの兆候を示しつつ猛威を振るっています。日本もまた例外ではなく、まさにEUやアメリカ等々の後を追ってパンデミックの入り口に立っているかで、東京などの大都市では感染者が急増し始めました(27日現在)。
ブルジョア勢力はコロナ禍のために経済的な困難が、大不況ともいえる状況が生まれているかに騒ぎ立て、言いはやしていますが、経済の好況はすでに昨年後半に終り、実際には慢性的な経済不振に加えて、積もりに積もってきた――先延ばしされてきた――資本主義固有の矛盾が顕在化し、激化しつつある――ということです。
安倍政権もようやく一貫して使い続けていた、景気は「回復基調にある」とか、「穏やかに回復している」といった欺瞞的な文言をやめて、「厳しい状況にある」とか、後退局面に入っていると言い直すしかなくなっていますが、それはすでにずっと前から分かっていたことでした。安倍政権はただアベノミクスの破綻を認めることができないので、そんな誰にも感じられ、分かっていることを認めることができなかっただけです。
経済不振にコロナ禍が加わり、両者の複合の困難と矛盾の爆発が、彼らの体制的な危機として迫ってきていることを、彼らはひしひしと感じ、半ばパニックに陥りつつあります。せいぜい彼らのなし得ることは、金融のマヒや財政の破綻の中で、すでに無力化している金融緩和や財政膨張に依存し、頼るしかないのが、彼らの自業自得の不運であり、悲劇というわけです。
日本の安倍政権にとって、とりわけ危機は深刻です。今の状況はアベノミクスの失敗と挫折として現れる以外なく、安倍政権の存続は風前のともしびといったところです。やれることは、金融や財政を通してカネをバラまく以外の手段はもうないのですが、つい直前まで消費増税のカネまでバラまくしか能のなかった安倍政権は、ただこのやり方をさらにやけくそで手当たり次第、際限のない膨張政策に走り、まさにMМТの理論を地で行く以外ないというわけです。安倍政権が奈落の底に沈んでいく日も遠くはないのではないでしょうか。
安倍政権は27日に20年度の予算成立を受けて、コロナ禍による「株安をにらみ」、米国を始めとする多くの国家に追随して、GDPの1割ほどの56兆円もの「緊急経済対策」を計画し、実行するといいます。現金給付や企業支援や所得補償や減税や、外食や旅行に使える割引券や商品券等々、ありとあらゆる個人消費や需要喚起のありふれた小手先細工ですが、コロナ禍の蔓延を恐れて、家で静かにしておれと言いながら、外食や旅行を勧めるような政策を謳って何を考えているのでしょうか。
現金をそのままバラまくというのですが、何を考えてか、「所得減の世帯に対して」という但し書きがついています。全国で5・3千万世帯があるが適用されるのは1千万世帯だと言うのですが、何のためのバラまきであり、どんな効果があるのかさえはっきりしません。20万~30万の純粋の1回きりのバラまきだというのですから、見掛けだけの人気取り政策というところでしょうか。そんなカネを2兆円も、3兆円も浪費していいのでしょうか、コロナ禍への対策のカネはどこかに使い果たされて、いざとなった時に全く残されていないイタリアのようなことになってもいいのでしょうか(それにオリンピック延期で3兆円に加えて、さらに何千億円も無駄遣いしようとしています)。
こうしたこと一つとっても、安倍政権は予想もしなかった危機に直面し、何をしていいのか分からず、切羽詰まって日本を真実の破滅に追い込む、無政府的な政治、政策に突っ走り始めており、この打倒、粉砕は焦眉の課題となっています。
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なぜ五輪中止でなく延期か
安倍やバッハのための
中途半端な決定は有害無益
2020年3月26日
1
東京五輪は中止でなく、1年間の延期だという。
一体、何のための延期か。
コロナ肺炎の収束の目途がまだ立っておらず、今後も全世界的なパンデミックがまだ続き、拡大する展望下で、しかも無駄カネ食い虫の東京五輪――すでに当初予定のカネの数倍の3兆円にも膨れ上がった経費に加えて、1年後に開催され得る見通しもどんな確かな保障もなく、これから数千億円もの、つまりこれまでの経験から言えばさらに1兆円ものムダ金がさらに必要な五輪、そして最後に、安倍の日本の原発事故は「完全にアンダーコントロールの状態にある」という虚偽発言から始まったような、そして内外の五輪関係者の買収や供応等々の汚れ切り、腐敗まみれの五輪が、なぜ中止にならないで、延期なのか。
安倍は今になっても、「完全な状態」でオリンピックをやると豪語し、来年に延期のオリンピックはコロナ禍を退治した祝典にしようなどとはしゃぐが、そんなものは安倍の権力の維持の野望が抱かしめている空想や願望の類であって、コロナ肺炎の性格からいっても、その他の多くの「延期」にまつわる障害や不具合や困難から言っても、有り得ない幻想であろう。そもそもオリンピックには延期という選択も前例もないのであって、そんなお祭り行事を何が何でも強行しようとするなら、ありとあらゆる無理や困難や障害がぞろぞろと山と出てくるのであって、ただそれだけでも実際的にも不可能ではないのか。まさに半分狂っているというしかなく、健全な常識や理性の欠落以外ではない。
2
きっぱりと中止にした方がはるかにすっきりするし、妥当、適切な選択であり、全世界の労働者・働く者の利益であるのは一見して明らかである。
そもそも今は、コロナ禍の根絶と一掃に向けて、世界の諸国家が力を合わせて闘うべき時ではないのか。コロナ禍と闘うためには、医療体制の充実が重要なことは、それが崩壊して行った、中国やイタリアや、そして今後はアメリカ等々パンデミック状態の一番危険な地域になりつつあることからも確認されよう。そして医療体制の充実のためには、巨額なカネと医療体制の強化が必要なこともまた明らかである。オリンピックについて、その「完全な実行」についておしゃべりしている時ではないし、何兆円ものものムダ金を誰が負担するかで醜悪な争いにふけっている時でもない。コロナ禍の一掃の後に、「完全な形」でオリンピックをするなどという前に、何はさておいても、コロナ禍の一掃のために、全力をあげようと言わなければ、おかしくはないのか。
しかも他方では、経済危機の問題も顕在化して、ますます先鋭な形を取りつつあるが、その責任はカネをバラまくような政治にうつつを抜かしてきて、来たるべき経済危機などありないかのでたらめで、無責任な政治にうつつを抜かしてきた、安倍やトランプらの責任でなくて何であろうか。
安倍はコロナ禍を一掃して、経済回復に向かうなら、また経済繁栄も経済成長もまたやってくると言わなかったのか、それなのに、今、コロナ禍との闘いを疎かにしつつ、経済対策と言って、何と50兆円ものカネをバラまいて経済崩壊を、大恐慌の襲来を阻止するというが、そんな場当たりの、対症療法で大丈夫なのか。そして恐慌回避か、コロナ禍一掃か、オリンピック強行か、一体安倍は何をしたいのか、する気なのか、もはやてんやわんやで何をしたらいいのかさえ、自分でも定かでなくなり、混沌・朦朧としているかである。まず、不要、不急のオリンピックを中止すべきであろう。オリンピックと、労働者・働く者の健康や命、経済回復や生活とどちらが大事なのか。
大多数の労働者・働く者はもちろん後者だと即時に言うだろうが、安倍やバッハは即座にオリンピックだと、事実上言っているのである、そのような言動に走っているのである。
3
そもそも安倍やブルジョアや学者・インテリらは、オリンピックをやれば、何兆円という消費や需要や「市場」が新しく生まれ、膨張して、経済が成長し、繁栄するなどと考え、言いふらすのだが、そんな考えは根本から間違っており、幻想である。
オリンピックは村や町のお祭りと違って、世界的な規模で行われるが、オリンピックと言っても、しょせんは祭りの一種であり、その限り資源や財貨や富の蕩尽、浪費であって、その生産でも増加でもない。それは町や村のお祭りが単なる消費や楽しみであって、生産的な経済活動や労働でないのと同様である。
彼らはそれもまた需要や消費である限り、経済活動であって、経済成長や景気の活性化に役に立つと考えるのだが、単に個々の経済主体や個別資本の観点から発言しているのであって、全体の、国民経済の観点から考え、ものを見るのを止めているだけである。
確かにあれこれの個別資本の観点――とりわけオリンピック関連産業や企業(不動産とかホテル・宿泊・交通などのサービス産業とか、特殊なオリンピック産業や企業)――から見れば、オリンピックは大きな儲けをもたらす〝特需〟である。そして経済学者は、その〝波及効果〟は何倍もあり、大きいなどと言いふらし、景気上昇の大きな機関車であるかの幻想をふりまく、しかし例えば太平洋戦争がいかに巨大なフル生産や完全雇用の体制を整えて膨大な生産物や〝富〟を生み出したとしても、そんなものは労働者・働く者の生活を豊かにするどころか、反対に、貧困と飢餓さえもたらしただけであったのは、我々が1世紀ほど前に骨身にしみて経験したことではなかったか。
お祭りと戦争と一緒にするなといっても、資本主義の全体、社会的な経済関係の全体からみれば、同じ性格の消費――無駄な消費、浪費であることには変わりないのである。ローマは「パンとサーカス」――帝国の支配下の植民地、半植民地からの収奪に依拠した〝お祭り〟である――で滅びたとある意味で言っていいが、ローマの支配者はそんなものによってローマ市民、国民を支配し、篭絡し、長い時代の「パクス・ロマーナ」の時代を享受したかだが、結局はそんな頽廃を深めて行く社会は解体するしかなかったのである。
お祭りは個々の資本にとって、どんなに〝生産的に〟目に映ろうとも、全体の資本主義経済にとっては〝非生産的〟であり、そんなものに依存して経済成長や景気回復を期待するなら無駄であり、徒労に終るだけである。浪費は浪費であって、そんなものにカネを使うくらいなら、コロナ禍との闘いをにこそ専心し、そのためにカネや資源や人を集中すべきである。
4
安倍はオリンピックを自分の野心のためにどうしてもやりたいという邪心に生きているがゆえに、コロナ禍についても、経済危機についても、いつも正しい判断と対応を実行することかぎできず、ただうろうろと事態の後を追いかけ、希望的な観測を行い、間違った対応を繰り返してきたし、今もしている。
コロナ禍の重要性を見逃し、最初はそんなものは日本には影響を及ぼしていないと装うために、かつて原発被害について、「アンダーコントロールにある」といって世界を偽り、オリンピック招致を勝ち取ったと同様、コロナ禍は日本には関係ない、安全であるかに偽るために、事実を隠し、さらには今もコロナ禍は対応のワクチンが来年に4月くらいにはでき上がるから――そんな確かなことや可能性はほとんどないにも関わらず――、来年春にでも「完全な形」でオリンピックがやれるかに空想し、そんな空想に基づいて、来年春にでもやれるというのだが、単に国民がそんな幻想に付き合わされて大迷惑を被ることなどどうでもいいのである。
そんな安倍の野望のために、カネが浪費され、引き回され、他の大事なことが、何よりもコロナ禍との闘いが疎かにされ、後回しにされて、労働者・働く者がさらに甚大な被害と迷惑を被るというなら、生活だけに留まらず、命さえ脅かされるというなら、オリンピックの中止どころか、まさに安倍政権を打倒し、一掃するしかないではないのか。
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歴史的な危機の時代を迎えた資本主義
人類史的意味で総括し、確認する必要がある
2020年3月21日
私たちはここ何号かの『海つばめ』紙上で、世界資本主義の歴史的な危機の時代が訪れたことを明白に語り、世界と日本の労働者・働く者に、そして若者たちに今こそ真実の闘いに備え、結集し、団結するように呼びかけてきた。1929年の大恐慌以来、そしてとりわけ第二次大戦以来、資本主義は大恐慌など決定的な経済崩壊をもたらす要因はなくなったし、また人類は賢くなって、そんな危機を克服する〝経済的な〟手段や方法を手にした――ケインズ主義経済理論を見よ――と主張し、また信じ込んできた。ただ我々のみはそんな主張を信じず、資本主義の根本的な矛盾や困難は解消されず、ただ内向しつつ深化し、拡大し、ただその矛盾の爆発は一時的に引き延ばされて来たにすぎないという立場を堅持し、したがってまたマルクス主義と労働者の階級的な立場に立って闘いを継続してきた。
そして1929年代恐慌以来、ほぼ100年たって、再び、三たび資本主義の決定的な、歴史的な危機の時代を迎えるに至ったのである。
その現実は今、我々の面前で日々展開されている。パニックは現実のものであって、平均株価はものすごい勢いで崩落しつつ、その程度は大恐慌の時代の到来を明らかにした192⒐年の秋をすでに超えつつあり、さらに深化しようとしている(今朝のテレビ報道によれば、アメリカの株価はさらに1000ドル近くも崩落し、ついに1万8000ドルほどにまで低落したが、まだ〝底値〟の感覚はないという。もちろん日本も、他の世界中のブルジョア国家も同様である)。
ブルジョア世界の恐慌の歴史についていえば、ほぼ10年の決まった期間を置いて、イギリス資本主義主導の世界恐慌が――と言っても、基本的に西ヨーロッパ中心とアメリカの資本主義の先進国中心であったが――勃発した19世紀初頭から半ば過ぎまで生じたが、すでに19世紀末ごろから資本主義も恐慌の形も変わった、もう激しいパニックという形を取った恐慌はなくなり、代わりに慢性的にだらだら続く不況や停滞の時代に入ったということがやかましく言われるようになり、事実1914年から続いた第一次世界戦争――しかしこの戦争にアメリカや日本も参加したが、基本的にロシアも含めたヨーロッパの何ヶ国かの帝国主義国家間の戦争であったのだか――を挟んで、1929年の世界恐慌までの数十年間は、資本主義の根底までも脅かす激烈な経済的な破綻という意味での恐慌はなかったといっていい。
そして嵐のような階級闘争、政治闘争の30年代と第二次大戦を経て、70余年の2020年、再び資本主義の矛盾の固有な現れである、激烈な恐慌が再び人類を襲おうとしているのである。資本主義に固有の矛盾――周期的な過剰生産の累積と、その矛盾の集中的な爆発――がかなりの長期間存在せず、消えたたかに見えた理由の一つは、二つの世界戦争が資本主義世界の恐ろしい過剰生産の矛盾をある程度、解消し、緩和し得たということもあったかもしれない。
とするなら、我々は今回の新たな世界的な規模での大恐慌の始まりの意義を、人類史的意味で総括し、確認する必要があるだろう。1930年時代の階級闘争と政治闘争の総括が、さらにはそこにおけるスターリン主義共産党――〝社会党〟や〝社会民主主義者〟やいわゆる〝トロツキスト=第4インター〟らは言うまでもないが――の犯罪的で、裏切り的な日和見主義や、反動的な役割や歴史の真実の検討が、特別に重視され、反省されなくてはならない理由である(差し当たり、この時代の闘いを総括し、詳しく明らかにした、我々の『国際共産主義労働運動史――その苦悩と闘いの歴史(万国の労働者団結せよ!)』等々を参照されたい、1971年刊行、在庫なし)。
(労働の解放をめざす労働者党代表 林 紘義)
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