「GoToトラベル」の愚策を糾す
1.4兆円もの借金でムダづかい
2020年10月3日
新型コロナ禍で冷え込んだ観光業界を支援する「GoToトラベル」は、菅新政権の目玉の政策の一つだ。その内容は観光客のために旅費や宿泊費の一部を国が支援して観光業の需要を取り戻そうという内容であるが、そのために約1.35兆円もの巨額の予算が計上されている。
政府がなぜそんなに観光業の支援に力をいれているのかといえば、国内外の観光客の増加による観光産業の拡大を経済成長戦略(=「観光立国」)としてきたからである。政府の説明によれば観光は、ホテルや旅館、旅行代理店、航空、鉄道、バス、飲食店、土産物などの幅広い裾野をもつ。
18年の旅行消費額は27.4兆円で、国内総生産の約5%を占めた。19年に外国からの訪問客は3188万人と12年の3.8倍に増加。訪問客の日本での消費額も約1兆円から4.8兆円に増えた。20年にはオリンピックが予定され政府の計画では4000万人の訪問客を目標としていた。観光客の増加を当て込んで、東京や大阪ではホテルの建設ラッシュが続いた。
しかし、新型コロナ禍によって状況は一変。4月以降は外国からの訪問客は外国からの入国規制によってほぼゼロに等しくなった。それだけでなく国内観光やビジネス出張も激減、宿泊者は5月が前年同期比81%減、6月は同61%減となった。
そこで採用されたのが「GoToトラベル」である。当面は国内の観光客を対象として観光需要を復活させようというのである。これは一人1泊2万円(何度でも利用可能)を限度として旅行代金の35%相当と旅行先での飲食、土産物などを対象とした地域共通クーポン割引配布との組み合わせとなっている。8月までに利用した宿泊者は延べ1330万人に上っている。
マスコミは、「お得なGoToトラベル」などと、菅の善政であるかに言って、旅行熱を煽っている。だが、宿泊や交通費、飲食代が割引されると言ってもその財源は国の借金であり、いずれそのツケは税負担として自らに降りかかってくるものである。
8月までの利用宿泊者は延べ1330万人、昨年の5000万人に遠く及ばない。宿泊客を取り戻しているのは、価格の高い高級旅館・ホテルで低価格の旅館・ホテルの利用客はわずか。価格の高い高級旅館・ホテルの方が割引額が大きくなるからである。「GoToトラベル」などと言っても、利用できるのは金持ちか比較的生活に余裕のある人に限られており、生活困難な人々にはほとんど無縁な代物でしかない。
さらに政府は、コロナ対策だけでなく「経済も大切」といって、コロナ収束の確かな見通しもないにもかかわらず、これまでコロナ感染者が多いとして対象から除外してきた東京発着を10月から対象とすることを決めた。政府は感染者が多くなったら対象からはずせばいいというが、まず、コロナ感染収束のために全力を尽くすべきであり、その確たる見通しのないままに、「GoToトラベル」の東京適用を決定するのは無責任極まりない。
政府が焦って、「GoToトラベル」実施に前がかりになっているのは、新型コロナ禍によって観光事業拡大による経済発展という「観光立国」戦略の破綻が明らかになったからである。
そもそも「観光業の発展」に依存した「観光立国」戦略は豊かな生活をもたらすのではなく、反対に経済の衰退、寄生化の深化を意味する。というのは観光労働は価値を生み出さない不生産的労働であり、観光産業は社会を支える生産的労働が生み出した価値に依存しているからである。ギリシャが世界的な不況を契機に慢性的な経済危機に陥り、EUのお荷物的存在に陥ったのは、さしたる産業もなく外国からの観光に依存していたからである。
菅政権は「GoToトラベル」政策を地域振興策などといって美化しているが、新型コロナ禍で破綻した「観光立国」戦略を取り繕うとする愚策でしかない。 (T)
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日本の将来への展望もなく
菅「安倍政治継承」内閣が発足
2020年9月18日
「思い切って」派閥を配慮した「継承」人事
菅政権がスタートした。新政権の主な顔ぶれは、〝政権の要〟と言われる官房長官には加藤が抜擢された。加藤と言えば安倍首相の側近の一人で、菅官房長官の下で副官房長官を2年10カ月務めたほか働き方改革担当大臣や厚労大臣を務めた。
加藤は一億総活躍担当大臣の時には、裁量労働制について法案に都合のいいような恣意的データーに基づいたものであることが発覚し、法案から削除することになった。また厚労大臣の時には自らの責任で策定した新型コロナウイルスの検査基準にしたがって多くの死者がでたことについて、「相談する側の目安で4日以上、平熱以上が続く場合は必ず相談するようにと申し上げたが、相談や診療を受ける側の基準のように思われてきた。我々から見れば誤解だ」と責任を医療関係者に押し付けた人物である。
閣僚としては、新たに設けられた万博担当を含め20人のうち、麻生・財務、茂木・外務、萩生田・文科、梶山・経済産業など8人が再任であり、河野が防衛から行革にいったなど所轄が変わったのは3人、初入閣は5人。初入閣の5人を除けば、第二次安倍政権を担ってきた閣僚経験者を集めた政権だ。まさに「安倍政治継承」内閣である。
自民党の役員の顔ぶれをみると、菅を事実上の次期首相を決める自民党総裁選に担ぎあげた各派閥に対する論功行賞人事である。これは国会での首相決定にさきだって行われた自民党の3役など主要役員決定においてすでに予想されたことだ。
新総裁に選ばれた菅は、人事の基本方針として「思い切って私の政策に合う人を登用する。改革意欲があって仕事のできる人をしつかり結集して、国民のために働く内閣を作っていく」と公言していた。しかし、新内閣を支える党主要役員は、幹事長に二階(再選)、総務会長は佐藤(麻生派)、政調会長は下村(細田派)、選対委員長は山口(竹下)、国対委員長は森山(石原派、再選)と管を総裁候補として担ぎ出した5派閥にもれなく配慮した結果となった。
まず二階派が無派閥の菅を候補として推すことを決めると、後の4派閥もそれに遅れまいと次々とまだ候補としての自分の政策も明らかにしていない菅支持を決めたのである。総裁選は安倍に批判的だった石破を排除するために、党友・党員の投票を省き、両院議員・都道府代表による選挙とする「簡略方式」で行われた。
この時点で菅の圧勝は確定、総裁選は茶番だった。菅はコロナ感染に便乗した「GoToトラベル」推進など利権まみれの二階をはじめ派閥に配慮した閣僚、党役員決定は国民の窮状などそっちのけで、地位や利権に走るこれまでの自民党の悪しき政治に従っているのであり、菅の言う「既得権益、悪しき前例主義を打ち破っていくのが私の仕事」は口先だけの空文句でしかない。
「安倍政治」の総括もなく「継承」謳う菅の「自助、共助、公助」
菅は12日の記者会見で、めざす社会について、「自助、共助、公助」をスローガンとしてかかげ、「まずは、自分でやってみる。そして地域や家族が、お互いに助け合う。そのうえで、政府がセーフティネットを守る」と述べた。
社会というものは労働者の労働によって成り立っているのであり、労働者は社会的労働の一旦を担うことで自分の生活と社会を支えているのであって、まじめに働いている労働者なら自分の努力が必要なことは他人に言われなくても知っている。
しかし、問題はまじめに働いても、賃金が低かったり、働き先の企業の業績悪化で首切られたりして、日々の生活にさえ困難な労働者が多くいるということである。また、高齢化社会と言われるように、介護の必要な高齢の肉親を抱え介護のために働くことができず、生活に困っている労働者家族も数多くいる。
その一方では、資産家や企業の大企業の経営者とその家族のように生まれながらにして裕福で、贅沢な暮らしをしている者も存在している。
まじめに働いていても生活が困難である労働者とその家族と、裕福な生活を送っている資産家、大企業経営者とその家族の違いは、個人的な努力の差ではなく、労働の搾取を原理として利潤獲得を追求する資本主義的生産によるものである。
戦後の〝経済の高度成長〟と言われた時代には、生産の拡大・発展にともなって、労働者の生活も一定の向上もあった。しかし、〝経済の高度成長〟の時代が終わり、1990年代の初めのバブルがはじけ、低迷の時代に入ると、まじめに働けば生活はよくなるという幻想は吹き飛んだ。富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなるという貧富の格差は拡大した。
人気取りの無責任なバラまき政治だったアベノミクス
7年8カ月続いた安倍政権は、「成長戦略」として「1億総活躍の社会」などを謳い、毎年3%の賃上げ、女性の活躍(保育園待機児童、)介護離職者ゼロ、幼児保育・高等教育の無料化、働き方改革など次々とスローガンを掲げたが、そのほとんどは実質の伴わない結果に終わった。
13年に始まった政府・労組・経済界による「官製春闘」は、19年までに7回続いたが、全期間を通しでは実質賃金はマイナスとなっている。政府は400万の雇用増を実現したと自慢しているが、その65%は不安定で低賃金の非正規労働者である。介護離職者ゼロや保育園待機児童ゼロは目標に遠く及ばない。
しかも、人気取りの財政バラマキによって国家財政をさらに悪化させた。例えば、安倍は景気への懸念を理由に増税を2度延期したが、19参院選では、消費税10%への増税に踏み切るに際して、財政赤字削減に充てるはずであった増収分の一部を、保育園児の保育費や高等教育の無償化のために勝手に転用した。選挙を有利に導くためのバラまきだったのである。
安倍は若い世代のための子育てを支援すると言ったが、低所得者については既にほとんど無償化されており、バラまきの恩恵を受けたのはもっぱらカネに心配のない階層の人々である。
年金、医療、介護などの社会保障給付金は膨らむ一方であり、18年度に121・3兆円であったが、団塊の世代が75歳以上になる25年度には140兆円を超え、40年には190兆円となる見通しである。年金や医療は現役世代の支払う保険料で賄う方式であるが、このままでは破綻は避けられない。労働者の生活不安は一層深まっているのである。
一方、政府は企業に対しては国内外の投資を活発化させるという名目のもとに大幅な減税をおこなったり、「異次元の金融緩和」でマイナスの超低金利を実施し、また日銀が国債や株を買い取ったりして、高価格の株価を維持する政策で、大企業や資産家は大きな利益を得ている。
労働者と資本家・資産家の所得格差の広がりは、個人の努力の問題ではなく社会制度の問題であり、「自助」が肝心という菅の主張は、生活の困難を労働者個人の責任=自己責任に帰し、労働者を搾取している資本の支配から目を背けて、弱肉強食の自由競争を賛美するブルジョア思想である。自助が大切というなら、自ら労働せず、労働者の労働に依存し、贅沢な生活をしている資本家や資産家に言うべきことである。
安倍政権の下で貧富の格差は一段と拡大してきたが、低賃金にあえぐ非正規などの労働者や職を失って生活苦に陥っている人たちに菅のように「自助」や「自己責任」を迫ることは政治の責任を放棄することである。
菅新政権の一時的な人気に浮足立つ自民
第二次安倍内閣は、財政、経済、外交どれをとっても行き詰まり、破綻した。しかし、その後を継いだ菅政権は、それを打開していくどんな展望もなく、「安倍政治の継承」を謳うだけである。
また、森友・加計・桜を見る会に象徴される一連の政治の私物化、公文書隠匿・書き換え問題も未解決のままに残されている。だが、菅は、森友については「財務省関係の処分や検察の捜査で既に結論がでている」、加計については「法令に沿ったオープンなプロセスで検討された」、桜を見る会についても「今年は中止、以降行わない」など反省の言葉もなく開き直っている。
安倍政権の下で、これまで歴代の政府が否定してきた集団自衛権、自衛隊の海外派兵は合法化され、軍備増強は一段と進んだ。菅政権のもとで、安倍の軍国主義路線についてもまたなんの総括もなく「継承」されていくのである。
自民党内では、世論調査で自民党・菅の支持率が上昇したのを見て、解散・総選挙の絶好の機会と浮足立っているが、人気上昇が一時的でしかないことはすぐに暴露されるであろう。
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八方塞がりの末に首相を辞任
安倍政治の〝成果〟と罪歴
2020年8月29日
昨日の28日、記者会見で安倍は首相辞任を表明しました。「持病再発で首相の任に応えられない」というのがその理由です。しかし、持病の再発は辞任の一つの契機であったとしても、単にそれだけではなく、安倍政治がコロナ禍や経済不況のもとで深刻化している生活困難の打開など現在の日本が陥っている諸問題に応えることが出来ず、行き詰まった末の辞任であることを見る必要があります。
記者会見で安倍は、「20年間続いたデフレに『3本の矢』で挑み、雇用を作り出した」と「アベノミクス」の成果を強調しました。「経済再生」と言っても、円安誘導によって「輸出」促進を図ったり、金融緩和や財政のバラまきによって株価上昇を図るといった政策で、A
I など新技術開発、導入による生産力の発展は停滞し、経済の寄生化が一層進みました。東京オリンピック決定後、安倍はオリンピックに関連して外国人観光客増加による経済振興を掲げましたが、それは不生産的部門頼りの安倍の経済「再生」の本質を明らかにしています。
金融緩和や財政のバラ撒きによって、製造業は「営業外利益」を手にし、それにいくらでも依存し、むしろ基礎研究費を削減するなどによって新技術開発は遅々として進まず、海外勢に後れをとってきました。観光立国日本の旗を高く掲げるようになったのは、製造業の衰退や技術開発での立ち遅れを象徴しています。今や日本の製造業の労働生産性はOECDでも下位に位置するまでに後退しています。
こうして日銀による大規模な金融緩和と巨額な財政出動、成長戦略を「3本の矢」とする「経済再生」のための「アベノミクス」の実績は、経済成長は年平均1・1%程度、実質賃金はマイナス0・5%といった結果に終わりました。景気浮揚を狙った金融緩和と財政出動によって、国家の借金は膨張し続けました。それにコロナ対策も加わって国家の借金は約1100兆円、国内総生産の約2倍にも達しています。今年4~6月期の実質国内総生産は、年率換算で27・8%減と戦後最大の落ち込みを記録、「アベノミクス」の成果と自画自賛してきた雇用状況も急激に悪化しています。
そのほか、安倍の肝いりの「一億総活躍社会」の柱であった「女性の活躍」や「同一労働同一賃金」等々も一時的な人気とりの実質の伴わない空約束でしかありませんでした。
そしてコロナ対策にしても、初期の「コロナはインフルエンザと同じようなもの」といった新型コロナを軽視する姿勢で対策が後手後手になり、その挙句には経済優先の「GoToキャンペーン」のバラマキを行うなど、収束に向かっての確かな見通しもつかない有様です。まさに安倍政権は直面する困難を打開する展望を見いだすことができず、八方塞がりで行き詰まりの状態に陥っていたのです。
首相在任2799日、歴代第1位を誇る安倍政権の残したものは、まず第1に、米国との軍事同盟を一層強化し、軍事費を増強、兵器を強化したのをはじめ、戦後歴代政府が否定してきた集団自衛権の行使容認の閣議決定、自衛隊の海外派兵に道を開く「安保法制」の制定、国民の知る権利を制限する「特定秘密保護法」の制定、実際の犯罪行為ではなく、相談・計画をしたものを処罰する「共謀罪法」の制定など、軍国主義化を強めたことです。
第2は、安倍1強の専制的体制のもとに、森友・加計学園、桜を見る会等に見られるように政治を私物化してきたことです。事件が明るみに出るや、安倍政権は与党に集結する議員の多数を頼みに、証拠資料隠しや速記録の改竄などを行うなど政治を壟断してきました。
安倍政権の下で軍国主義化など政治反動が進み、政権政党の汚職が広まるなど政治的な退廃は一層広がりました。反動的な安倍政権が誕生したのは、日本を支配している独占・大資本の退廃と腐敗の一層の深化の反映です。長期の経済停滞に象徴されるように資本の支配は行き詰まり、社会的な矛盾はますます深まりつつあります。こうした資本の退廃こそが、軍国主義や国家主義政治を生み出す土壌となっています。
反動安倍の長期政権を許したのは、立民、国民や共産党など野党の責任です。例えば2017年の衆院選では「幼児保育の無料化」などというバラマキ政治と彼らは闘うことは出来なかったし、安保法制をはじめとする安倍の一連の反動法案に対して、ブルジョア「平和憲法」を絶対化し、それを対置して抗うだけのプチブル的平和主義に終始してきました。
自民党は9月には新たな首相を国会で選ぶという計画です。安倍の後に誰が首相になるかはまだ定かではありません。しかし、誰が首相になろうと自民党は安倍政権を支えてきた共犯者であり、新政権は労働者・働く者にとって打倒の対象です。労働者・働く者は自らの階級的闘いとその発展を意識的に追求することが求められています。労働者党に結集して共に前進しましょう。
※労働者党ブログに「茶番の自民党新総裁選び──災厄継続の菅〝新総裁〟」掲載。
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立憲民主と国民民主らの危うい合流
労働者性皆無の新党に希望無し
2020年8月22日
両院議員総会を19日に開いた国・民は、「新党をつくることを承認」し、「全員での新党への参加の努力を続け、全員参加が叶わない場合には、さらなる『大きな塊』に向け、円満かつ友好的に諸手続が進むよう、代表・幹事長に一任する」と結論しました。玉木代表が言っていた「分党」は議題にされず、立・民への合流が主流です。「新党に加速」とか言っても、国・民議員の大多数と野田や岡田らのグループと立・民による「新党結成」に労働者は冷ややかです。
今回の新党は元民進党(元民主党)議員たちの再結集でしかなく、どんな新鮮味もなく(新党名すら、「民主党」や「立・民」が候補?)、政策的にもたいした新機軸を打ち出しているわけでもなく、「野合」(情勢次第で離合集散の〝前科〟の面々を見よ)に辟易して、冷淡なのは当然です。
今回の合同は、秋に国会解散が想定される中で、政権交代の闘いを前進させたい立・民の多数派工作として進められてきました。国・民は安倍政権に「是々非々」の立場であり、民進党分裂の経緯もあって、立・民との合同に乗り気ではありませんでした。
しかし、コロナ禍対応の酷さや野党要求の臨時国会を開くことすらできない醜態の安倍政権への批判が高まり、自民との対決姿勢を押し出すことが野党に求められる状況の中で、国・民の与党寄りの立場では選挙に勝てないのではないか、立・民と合流すれば「反安倍」の恰好がつくという思惑が国・民議員や連合幹部らに強く働いたのでしょう。一方の立・民も支持率低迷から抜け出すには野党第1党の存在感を増すためにも、選挙で勝ち抜くためにも党勢拡大を求めていたので、敷居はあまり高くせず(新党綱領案に「原発ゼロ社会を一日も早く実現」という言葉は入れましたが、原発事故での資本の責任を追及する姿勢はありません)、元々の「同志」の再結集を〝歓迎〟したのです。
今回の野党再編を、立・民が増えるから反自民=左翼が増加すると歓迎する人がいるとしたら、その人は全くの政治音痴でしょう。国・民も「野党共闘」の一角を占めていたのです。空疎非力な「野党共闘」の実態を見誤っているとしか思えません(「野党共闘」についての、これまでの『海つばめ』記事を参照してください)。
新党の綱領案を検討して、その性格を考えてみよう。そこでは、「国民が主役の党」ということを「基本理念」とし、民主党以来の「『生活者』『納税者』『消費者』『働く者』の立場」は消え、資本追随の階級協調の立場を明確にしています。かつて社会党が労働者性を希薄にして市民主義を強め社民党に移行したことを繰り返していて、その〝失敗〟からなにも学んでいません。今回の「再結集」は元民進(元民主)議員たちの自己保身のためのものでしかなく、労働者の闘いを一歩も前進させるものではありません。
ベラルーシの労働者たちはルカシェンコ不正政権に対してストライキで果敢に闘っていますが、安倍政権を追い詰めるために労働者の自主的・大衆的な闘いこそ重要です。そうした闘いを意識的・階級的な闘いとして発展させる労働者党の強化・拡大は急務です。(岩)
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香港、中国政府の完全支配下に
中国、「香港国家安全法」を制定
2020年7月3日
中国の全国人民代表大会常務委員会は、6月30日、香港での反体制的な言動を抑圧する「香港国家安全法」(以下国家安全法)を採択、即日施行した。
国家安全法は、国家分裂や政権転覆、テロ活動、外国勢力との結託・海外勢力による国家安全への危害などについて、最高無期懲役の罰則を科す。中国政府は香港に「国家安全維持公署」を新設し、外国勢力が関与する事件などに対しては直接管轄する、香港政府が設ける「国家安全維持公署」に、中国政府が任命した顧問を派遣し指導を強める、などがその内容である。
1997年7月1日、中・英両国政府は、香港の返還について、2047年まで外交と国防を除く「高度な自治を堅持する」との「一国二制度」で合意した。しかし、今回の中国政府の「国家安全法」の成立によって約束は反故にされ、実際的に香港の「高度の自治」は有名無実となった。これまで、中国共産党独裁政治への批判は、香港ではある程度可能であった。しかし、6年前の香港行政官選挙をめぐって、候補者は「愛国者」に限定するという方針に対して、「民主派」の立候補を要求して闘われた「雨傘運動」のような運動は、今後「国家分裂、政府転覆」の運動として弾圧されることになる。中国の出先機関である「国家安全維持公署」が逮捕した容疑者は中国本土に送致され、そこで国家転覆を企てた「反革命」として断罪されることになる。中国政府のむき出しの弾圧法規によって、民主派は〝愛国教育〟導入反対を契機に組織された学生組織「学民思潮」のリーダー・黄之鋒や周庭らは自らの組織「デモシスト」を解散し、運動から離脱を表明したほか、一部は地下活動に追い込まれている。
中国が「一国二制度」解消を急いだのは、先に行われた区議会選挙で民主派が中国政府派を圧倒したように、民主派の運動の抵抗を抑えきれなくなったからである。支配階級にとって香港はのどに刺さった棘であって、香港の〝民主化〟運動が、本土に飛び火することを恐れている。多民族国家中国は少数民族を抱え、とりわけ新疆ウィグル自治区では分離・独立への志向が高い。
そして何よりも、恐れているのは労働者への影響である。中国は「社会主義」と自称していながら、実態は資本主義(国家資本主義)である。共産党は特権階級として権力と富を握り、大資本家階級は労働者の搾取によって巨万の富を得ている。一方、共産党独裁のもとで労働者は労働者としての「権利」もなく、抑圧され搾取されており、階級矛盾はますます深まっている。香港の民主化運動は自由主義的な市民運動であるが、習近平ら共産党は民主化運動が本土の労働者に労働者としての階級意識をめざめさせ、闘いを呼び覚ますきっかけになるのを恐れているのである。
志位ら日本の共産党は、「国家安全法」は、自ら約束した「一国二制度」の約束に反するものであり、国際社会が認めた市民的、政治的自由の「人権」に対する「侵害」であると批判、国連の人権声明を守れなどと叫んでいる。しかし、こうした批判は自由主義的なお説教を超えるものではない。共産党には、ブルジョア自由主義・民主主義的批判はあっても、労働者の階級的な立場からの批判はない。
香港に対する中国共産党の強権的な措置は、今や経済的にも軍事的にも米国と覇権を争う帝国主義的大国になった、中国の反動化を暴露している。中国はアジア、アフリカなどを中心に世界中に巨額の資本を輸出し、世界の労働者を搾取、収奪するとともに、アジアでは西沙諸島周域に続いて南沙諸島周域を自国の領域として囲い込もうとしたり、借款をテコに、軍港として港を99年間も「租借」(スリランカ)するなど領土拡張や資源、権益の獲得を目論んでいる。香港に対する強権的政策も帝国主義国家の表れである。
安倍政権は、中国に対抗して帝国主義国家として、米国との軍事同盟を強化し、軍備増強するなど反動化を進めている。日本の労働者にとって、自国の資本の支配に反対し、労働の解放をめざして闘いを発展させていくことが、中国・香港の労働者との国際的連帯の道である。(T)
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ブルジョア政治の虜
連合の小池支持
2020年7月3日
都知事選で立・民が宇都宮を支援、国・民が自主投票を決めていたが、「立・民、国・民を支持政党とする連合東京が小池支持を表明した」と注目された。連合東京は今月18日に、斉藤事務局長名で、以下の談話を発表した。
「連合東京と東京都知事との関わりについては、前回の舛添都知事辞任に伴う選挙において、いずれの候補者についても関係性が無かったことから、自主投票とした。
その後就任した小池都知事との関係においては、中小企業・小規模企業振興条例やソーシャル・ファームの創設促進に関する条例制定への尽力、都民の就労支援施策の推進等の実現があり、また、新型コロナウイルス感染症対策の要請においても、各構成組織からの要望を積極的に反映された対応となっており、一定の評価をしている。加えて、男女平等参画社会を目指す連合の運動において、東京都初の女性知事として、ダイバシティを推進してきたことも評価することができる。
小池都知事が特別顧問となっている都民ファーストの会東京都議団は、都議会第一会派として議会運営の中心的役割を担っており、そこに議席を置く連合組織内議員4名は、会派内の重職を任され、現在まで連合東京の政策要請を数多く都政に盛り込むための汗をかき、実現に向けて取り組んでいただいている。
今後も私たちの求める政策を実現していくためには、今次東京都知事選挙を勝利しなければならない。
連合東京は、東京で暮らす者・働く者の立場で『小池百合子』候補予定者を『支持』し、東京都に対する更なる政策実現に向けて取り組みを進めていくこととする。」
前回都知事選で鳥越候補に距離を置いたのは、共産の入った野党共闘候補だったことを斉藤は隠しているが、鳥越を支持しなかったのは、鳥越に対して労働者からの支持がなかったことの反映でもあるだろう。
当時神津連合会長は、記者からの「民進党の支持基盤である連合が、自主投票という対応を取ると、野党共闘に水を差すのではないか」という質問に対して、「野党共闘だから鳥越さんという方が分かりにくい」と喝破した。
神津が労働者のことをどれほど分かっているのかはともかく、野党共闘に対して労働者からの信頼がなかったことを言い得ている。ただ、神津の労使協調が分かりやすいからといって、信頼する労働者はどれほどいるのでしょうか。
談話での小池都政の評価に見られるように、連合は困窮する労働者の立場ではなく、ブルジョア政治に追随するしか能がないのである。前回17年の都議選において、連合は都民ファースト候補の応援に回り、安倍の汚い政治への批判で都民ファーストが圧勝する中で、連合推薦候補17名を都議会に送り出し(連合推薦は都民ファーストが17名、立・民1名、国・民1名。無所属1名)、すっかり小池与党に与しているのだ。
連合東京は地方自治体の「二元主義」(首長と議会をそれぞれ直接選挙で選ぶこと)を理想のように言っているのだが、ブルジョア制度を美化し、小池支持を正当化しているだけだ。連合傘下の電力総連と日立製作所、三菱重工といった原発関連企業の労組は、原発ゼロを掲げる野党や宇都宮を天敵のように嫌っており、政治闘争でも労使協調路線の連合が資本による犯罪(フクシマは災害というより犯罪である)を告発することなど期待できない。議会の監視機能などお題目でしかないのだ。
連合の小池支持は、連合のブルジョア政治に拝跪する奴隷根性を表すものであり、労働運動をますます腐らせていくものである。 (岩)
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労働の国際化は歴史的必然
「ブロック経済」は害悪そのもの
2020年5月29日
コロナ世界流行によって、世界中の生産と流通がストップし、どの国でも真っ先に労働者とりわけ非正規労働者が解雇され大量の失業者があふれ出している。この現実を見て、「グローバル資本主義は終焉する」とか、「グローバル化では生活は守れない」との声が高まってきた。はたして、グローバル化(国際化)が諸悪の根源なのか、さらに、グローバル化に反対して「ブロック化」していくことが歴史的に進歩的なのか、労働者・働く者にとって展望が開けるものになるのか、それが問題である。
1、貧困や格差を生み出すのは「グローバル」経済なのか
水野和夫法政大教授(民主党政権では内閣官房内閣審議官だった)は、今日の日本では反グローバル=ブロック化の代表的な論者であるが、たまたま朝日新聞に水野教授のコメントが掲載された(20年5月9日)ので、これを手掛かりに論じてみたい。水野は、かつてグローバル資本主義に警鐘を鳴らしたジョージ・ソロス(金融資本の覇権を重視した)と似た議論をしている。しかし、ソロスはグローバル資本主義に対する世界の統制を訴えたが、水野は統制ではなく分離を選ぶのである。
水野はまず、「このシステムは21世紀を迎えたころから、限界が見え始めていました。地球上にフロンティアはなくなり、電子金融空間でしか利益を出せなくなり、富は一握りの人達に集中し、格差はどんどん拡大していました」と言い、グローバル化によりウイルスの移動も活発になり、以前なら武漢で封じ込められたかもしれない新型コロナは「一帯一路」で欧州から米国に広がり、グローバル資本主義の中心ニューヨークが最大の被害を受ける結果になったと重ねる。
つまり、グローバルな資本主義は既に利潤を生むことができなくなり、ただ金融商品売買や株式投資や貸金の利ざや稼ぎ等の金融(これらは電子取引で行われている、水野は「電子金融空間」で何を言いたいのか?)でしか儲け口がなくなった、その結果一握りの金融資本や投資家に富が集中し、反対に貧困層が形成され、この貧困層がコロナ禍の最大の犠牲者になったと。
ニューヨークの黒人にコロナ感染致死が集中したのは、黒人層の多くが低賃金の非正規労働者であり、重労働や不安定な労働を強いられ、日常生活もままならない劣悪な状態にあり、しかも国民皆保険制度が整備されていないために病院にも行けなかったなど、社会体制(水野はグローバル資本主義のシステムのせいだとする)の矛盾の皺寄せをもろに受けたものである。
水野は、こうした現実を認識するが、その格差や貧困層を生み出し再生産するのは、「電子金融空間でしか利益を生み出せない」資本主義=グローバル資本主義にあるとしている。水野にとっては、金融資本しか利潤を生み出せない資本主義こそが悪の根源だというのである。
たしかに、欧米や日本の資本主義は、過剰資本、過剰生産を抱えてアップアップしてきた、中央銀行や政府の金融、財政支援を受けつつ、かろうじて生きながらえている資本主義ではある。しかし、金融資本だけが利益を上げていると見るのは、おかしいではないか。むしろ、貸付先が縮小し利ザヤを稼ぐことができなくなり、まして「財政ファイナンス」のための低金利によって、青色吐息なのは金融資本の方である。日銀や政府はその金融資本を救済することも実行してきたのだが(自由放任ではなく支援という介入・規制をして来た)。
他方、過剰生産を抱えた産業資本は、一層労働搾取度を強め(長時間労働、過重労働を強制し反対の運動があっても手を緩めず、正規労働者から非正規労働者の置き換えを次々と進め、実質賃金は20年間も低下し続けている)、莫大な「内部留保」を貯め込み、近年、自動車などの大企業は戦後最高額を更新してきたのではなかったか。
水野は、現代の資本主義は「電子金融空間」でしか利益が生み出せていないと断言しているが、金融部門による投資も労働の搾取の結果である利潤が元手であり、利潤の一部が金融投資財源に転化したものであって、これと切り離されて「電子空間」で自由に投資財源が創造され、運動し、増殖するなどは、一時の架空資本の形成にすぎず、いずれ破裂する類のものであったし、今もそうである。
現代資本主義が貧困層と格差を生み出した原因は、賃金労働を搾取する体制にこそある。グローバルになることが貧困や格差を生み出したわけではない。水野は原因と結果を転倒させ、本人の本意ではないのだろうが、真の原因を隠蔽する役割を演じている。
さらに言えば、私たちが入手する消費財も、機械や原材料などの生産財も社会的労働(社会的分業のもとで行われる)の生産物である。かつての封建的時代とは違って、あらゆる商品は世界の労働者の労働生産物としての商品であり、グローバルなものである。労働のグローバル化は歴史的に必然であって、グローバル化を悪の根源であるかに言う水野は、歴史の歯車を逆回転させる役割も果たすが、それでいいのだろうか。
2、ブロック経済を推奨する水野
次に水野は、今回のコロナショックによって、各国は大打撃をうけた。各国のGDPは軒並にマイナス成長になるとして次のように提言する。
「これを機に世界経済の構造を大転換させるべきです。・・・狭い地域で完結できる構造へと変えていくのです。日本は、韓国・台湾・豪州・ニュージーランドと経済的連携を強め、ブロック化していくべきです。韓国と台湾から工業製品を、豪州やニュージ―ランドから農産物を調達し、サプライチェーンを縮小する。つまり、人・モノ・カネの流れを限定した地域内で経済を回していくのです。・・・ともかくグローバル資本主義に戻ろうとするのは愚の骨頂です。」
グローバル資本主義がもたらす危機に対して、IMFや「国際信用保険会社」などの世界機関による強力な介入と規制を呼びかけたソロスとは違って、そんなソロスのような規制はもはや通用しないと考えたのか、地域ブロック資本主義こそ日本の生き延びる道だと言う。
水野は、グローバル化によって、世界の国々との間で「人・モノ・カネ」が行き来することが促進された、しかし、コロナ後の低成長時代にあっては、もはやグローバル資本主義に戻すことは不可能であり、そんな努力をするのではなく、地域限定で完結する経済を、つまりブロック経済を作っていくべきだと強調する。
水野構想によれば、日本のブロック地域には、韓国との輸出入(9兆円、2018年)より数倍も多い中国(36兆円)、アメリカ(24兆円)は含まれない。アジアの地域にこだわるなら中国が入りそうだが、そうではないようだ。工業製品は韓国と台湾から輸入するというが、日本からの輸出はどうするのか。韓国、台湾と日本の輸出入品目は似通っていて競合するが、それでも上手くいく見通しがあるのか。原油や鉄鉱石などの原料はどうするのかもはっきりしない。ただ思い付きでブロック地域を描いているとしか思えない。
かつて、1929年の大恐慌後、植民地を持つイギリスやフランスやアメリカは、植民地を囲い込みブロック体制を敷き、域外からの輸入品には高関税をかけて域内製品の保護を行った。他方のドイツやイタリアや日本などは猛反発し、対立が深まった。
これと同様に、水野の地域ブロックは、中国をはじめブロック外の国々から反発を受け、日本のブロックに対抗する新たな巨大なブロックが生まれかねない。そうなれば、ブロック間の対立は深刻になり、労働者の国際的な交流も無くなり、孤立と経済衰退と労働者の生活の低下をもたらすだけである。グローバル資本主義の克服をブロック経済に求めても、解決どころか世界の対立を煽り、混乱と混迷をもたらすだけである。水野は歴史にも学んで発言した方がいい。
水野らが言うグローバル資本主義(市場原理主義や新自由主義や金融市場のグローバリゼーションとかの別名でもある)は、基本的に〝自由〟な資本の運動の新たな発展段階を指すのであるが、それは「管理通貨制」のもとでの資本主義の一段階である、あるいは〝政治的表現〟にすぎない。既に述べたように、グローバル資本主義は、資本主義とは別物ではない。資本の支配する体制を変革することこそが労働者・働く者の課題であることを確認すべきである。 (W)
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黒川が辞めて済む話ではない
安倍政権の「閣議決定」事後正当化策動
2020年5月23日
東京高検検事長の黒川が産経や朝日の記者らと〝自粛〟期間中に賭けマージャンしたことが週刊誌によって発覚し、辞表を出し受理された。黒川は「司法的機能を強く持つ機関」の官僚でありながら、安倍内閣の「閣議決定」によって、定年が〝特例〟で延長になり、政権維持にその〝手腕〟――それは安倍のお友達である内閣府特命担当大臣(経済財政政策)だった甘利がURからの贈収賄事件を検察が「不起訴処分」にした時の検察庁官房長が黒川だったことでも〝評価〟されている――が期待されていた。しかし「臭いものに蓋をする」能力を買われた黒川自身の腐臭は隠し通せなかったということであり、安倍政権にとっても黒川が不要になり〝退出〟――〝上級国民〟ならぬ〝上級公務員〟として高額の退職金付きで――させたというわけである。
黒川が賭けマージャンの〝微罪〟――森法相による処分は「訓告」という軽いものである――でありながら辞表を提出したのは、公正や正義のためなどではなく、安倍政権への〝忖度〟であって、「検察は政権に〝忖度〟などしない」などというのが見えすいたウソであることを事実が証明している。
安倍はいつものように「任命責任は私にある」と繰り返しているが、森法相が黒川の不祥事で辞表を提出したのと同じようにポーズだけであり、安倍一派にとっての最優先事項は政権維持であり、その存続を画策するだけである。
黒川の辞職によって明らかになったのは、今回の「検察庁法」改定策動が単に黒川がどうだこうだという問題ではないということである。「黒川のような人物を検察トップにするなど許されない」、「検察が政権の意向を『忖度』しかねなくなる」、といったことが叫ばれたが、問題は安倍による政治の私物化、安倍の汚れた政治をごまかすためならなんでもしようとするやり方であり、安倍の専制政治が続いていることであり、続けようとしていることである。厚かましい安倍らは法案を廃案にせず、黒川が辞職しても検察庁トップへの人事介入の「閣議決定」を正当化するために、改定策動を断念したわけでもない。綻びはできるだけ小さく抑えようというわけだが、はたして思惑通りにいくか、国民を甘く見て、そして野党の腰砕けの闘いを見越して、〝賭け〟にでているのかしらないが、かえって傷口は大きくなる可能性も高いし、致命傷にさえなるであろうし、そうするべく闘いを強めていく時である。
安倍弾劾の動向が注目される中、検察庁法改定に反対する中で言われた、「民主主義を守るためには三権分立が重要だ」という理屈では、形式的な、表層が全てという認識でしかなく、深層の真実――政治の本質が階級社会における階級支配であること――を見ようとしないものでしかない。コロナ禍での政権維持最優先によっても国民の苦悩の増大をもたらしている安倍政治一掃のために、階級的な立場を鮮明にして、さらに追撃していこう。 (岩)
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検察庁法案改正見送りを論ず
「三権分立」幻想を乗り越えよう
2020年5月18日
コロナ禍で多くの労働者・働く者が感染し苦しんでいる中、安倍政権は検察庁幹部の定年延長を画策した法案を国会に提出するや、ハッシュタグを付けた法案反対のツイッターが900万に達するなど、全国民的な抗議を受け、支持率は急落した。
安倍政権はしかたなく、この法案の採決を延期することを決めた。もちろん、この法案を廃案にしたわけではなく、今国会での採決を見送るだけであるが、安倍政権にとって相当な打撃である。
そもそも、黒川東京高検検事長の定年延長を「閣議決定」したのは1月だ。検察幹部の定年退官制を勝手に「解釈変更」し、黒川を次期総長に抜擢するために恣意的に定年延長を「決定」したのだった。だが、国会での森雅子法相らの政府答弁の撤回や修正が相次いで行き詰まり、安倍らは、公務員の定年延長と抱き合わせで、検察庁法に定年延長特例規定を追加するという法改定を出して来たのだ。
これに従えば、黒川は検事総長になった後65歳の定年になっても、国家公務員法の規定を準用した場合は、68歳まで検事総長を務めることが可能だと言う(法務省の国会答弁)。
しかし、安倍らにとってなぜ黒川なのか。なぜこの時期にそそくさと改定しなければならないのかである。それは、黒川と安倍との腐れ縁や今年に入って強まってきた安倍告発の動きと関係する。
黒川は、民主党政権でも「能吏」ぶりを発揮したようだが、安倍政権との関係は濃密だ。黒川は、2016年9月から19年1月まで法務事務次官として安倍政権を支え、森友・加計問題に対応し、安倍夫妻や佐川らを守り切り、東京高検検事長に〝栄転〟した。佐川 が国税庁に〝栄転〟したのと同じく、論功行賞人事であったのだ。さらに、黒川の検事長就任は、安倍らの「政治私物化」を告発する動きを見据えた人事でもあったのだ。18年に開催した安倍の「桜を見る会」が選挙資金規正法などに違反していると追及する動きが既に始まっていたからだ。
その後、「桜を見る会」を告発するための会が宮城県で1月に結成され、同様の動きが全国に広がり(この5月末には、東京地検に500人以上の名で告発状を提出する段取りに発展)、河井克行元法相と妻・安里の19参院選挙買収問題(原資は自民党本部が出した1億5千万円)では、検察が告発する動きを強め、さらには、森友問題が再燃し出したのだ(自殺した元近畿財務局職員・赤木さんの妻が国と佐川に損害賠償を求める準備を始めていた)。
安倍らは危機感を抱き、「官邸の門番」であった黒川を直接に検事総長に据えようと策動したがうまく行かず、次善の策として繰り出してきたのが黒川の定年延長問題だった。安倍らは、黒川の定年延長を何としてもやり、黒川を検事総長に押し上げ、検察に睨みをきかせ、安倍に火の粉が及ぶのを防ぎ、安倍政権の延命に繋げたいと考えたというわけなのだ。
安倍がこうした策動を繰り返しているのに、野党は安倍を具体的に徹底して追及するのではなく、「三権分立」や「法治国家」が土台から崩れると大騒ぎしている。
例えば共産党の志位委員長は、「黒川氏の定年延長を後追い的に合法化し、それが制度化されてしまえば、検察機能そのものが損なわれ、三権分立、法治国家が土台から危うくなります」と強調(5月12日のオンライン「緊急記者会見」)。立憲の枝野も「検察の中立性・公正さが明らかにゆがめられる」(同上)と。
志位や枝野らは、「三権分立」こそ、民主的な〝理想的な〟法秩序・法体系であり、検察の中立や公平さを保障するかに言うのだが、こんなものを批判の根拠に押し出して、どうして黒川を総長に据えようと策動し、権力の延命を図る安倍政権と対決し闘うことができるのか。
もちろん労働者・働く者は、時の権力が裁判所や検察に介入することには断固反対するが、裁判所や検察もまた、資本の国家を支える国家機構であることを一時も忘れてはならないのだ。
例えば、第5次吉田内閣の時に(1954年)起きた造船疑獄事件では、犬養健法相による指揮権発動に対して検察が手を緩め、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕方針を変更した。1986年、リクルート社が自民党の議員などに子会社の未公開株を大量にバラ撒いた贈収賄事件では、官僚やNTT経営者や自民党の藤波孝生などが逮捕されただけで、竹下登や中曽根康弘や宮沢喜一などの大物議員は、逮捕もされず見逃されているのだ。
こうした歴史的事実を見ただけでも、検察(裁判所も)が「中立・公平」であることは無かったし、今も無いのである。と同時に、労働者・働く者は、「三権分立」が検察の機能を保障しているなどと、間違った評価を下すことはできないのだ。
今度の検察庁改定法案に見られるように、安倍は自分の数々の犯罪が明るみに出ることを恐れている。労働者・働く者の課題は、はっきりしている。安倍を具体的に追求し、闘いを発展させ、安倍政権を打倒することなのだ。 (w)
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慢性的ストレスの労働者が罹患
労働者は新型コロナといかに闘うか
2020年5月10日
新型ウイルスは、慢性的にストレスを受けている労働者が罹患
資本主義との闘いの一契機にしよう
新型コロナが世界を席巻し、多くの人命を奪い、経済を混乱させ、恐慌状態さえ作り出しているかである。国によってコロナ対策は千差万別である。
台湾は、昨年12月には中国からの入境者をチェックするなど、いち早く対応し感染の拡大を防ぎ、韓国は、「ドライブ・ウオーキングスルー方式」で徹底したPCR検査体制を採用し、陽性者判定と軽度重度の〝隔離〟で乗り切った。
欧米での感染は爆発的であり、多くの都市で「ロックダウン」が行われた。その理由は生活習慣とかコロナの種類の違い(変異?)とか、入境者の出入りが頻繁である等が言われているが、ドイツでは、感染者に対する死亡率はアメリカやイタリアなどに比べてかなり低い。それはドイツの充実した医療設備(一定人口当たりの集中治療床数は日本の6倍あり、1万床以上が感染者用に確保されている)にあるようだ。
こうした各国の功罪の報道は頻繁に流されているが、さらに踏み込んだ分析は非常に少なく、知りたくても知ることができない状況にある。
もちろん、コロナが世界に爆発的に広がり慢性化したのは、感染症医療体制が整備されていなかったことが大きな要因であろう。利潤獲得競争に明け暮れる資本主義では、カネのかかる感染症医療への備えは軽視されてきたからである。しかし、本稿では、この問題については考慮の外において論じる。本稿では、労働者及びその家族が多く感染し死亡した事実から、それは何故なのかという疑問を解く問題として、論じさせていただく。
しかし、悔しいことに、コロナ感染者・死亡者と労働者との関係、労働者の労働条件や生活環境との関係を分析するためのデータがほとんどない(政府はお構いなしだ)。その中でも、いくつかのデータを紹介し、労働ストレスと労働者の罹患の関係を取り上げ、次いで、コロナも労働者を襲ったこと、コロナを単に「人類の敵」と言うなら間違いであることを論じてみたい。
「基礎疾患」は労働ストレスに起因する
ウイルスや細菌は、近代に入ってもスペイン風邪や結核やインフルエンザなど、多くの人命を奪ったが、いわばストレスを受け続けてきた「免疫力」の低い人達(その多くは賃金労働者とその家族)に襲い掛かったことは良く知られている。
労働者は産業革命の時代から今日まで、ストレス過剰の中で労働し生活してきた。資本主義社会において、賃金労働者は雇われる間だけ働くことができる、という極めて不安定な地位に甘んじている。それ故に、本質的には労働者に安息日はなく、職場の中で、家庭に帰っても何らかのストレスを受け続けている(さらに、低所得の労働者は貧困生活ゆえに、栄養状態や衛生状態が良くない生活を強いられている)。
そこで、労働者が日常的に受けているストレスとストレスを受けることにより身体の変調を来たし、病が潜行・発現していく関係を最初に見ていく。
もちろん労働者の受けるストレスは一様ではない。労働の作業形態や過重度によって、身体が受けるストレスは異なり、その差異が病の違いとして現れる。例えば、第一次産業の農・林・魚業や第二次産業の鉱・製造・建設業の肉体を駆使する労働者には、脳卒中や心疾患や癌が多い。
では、昨今問題になってきた長時間労働を強いられる場合はどうか。
長時間労働により、睡眠時間を削られることによって、脳や循環器がダメージを受けることは、明らかにされている。そのダメージによって「過労死」に至るケースも多い。さらに、深夜に及ぶような長時間労働の場合は、それ自体で「精神的負荷」を受けることになり、精神障害(うつ病等)を準備してしまうことも分かっている。(※1)
時間外労働時間と「メタボリックシンドローム」(高血圧、高血糖、脂質異常のうち2つ以上の持ち主)の関係を調査した研究報告によれば、時間外労働が年間150時間を超え始めると「メタボ」数値が高まり、500時間を超えると2倍の「メタボ」数値になり、しかも、40歳代の比較的若年労働者で「メタボ」のリスクが高まったという。(※2)
つまり、責任を負った「働き盛り」と言われる労働者がストレスを貯め込んでいるということであろう。
非正規労働者に見られる貧困やストレスとの関係も見ておこう。
非正規労働者は、衣食住を十分に満たすことができないばかりか、常に雇用契約期限の不安を抱え、貯蓄はもちろん結婚さえできない賃金で、非人間的な生活を余儀なくされ、明日の労働を得るのに神経を擦り減らし、将来の希望も失せるほど大きなストレスを抱え込んでいる。こうした労働者は、「心血管疾患、肥満、糖尿病、および統合失調症や双極性障害といった精神疾患にかかりやすい」ことが海外の調査から見ることができる。
日本の非正規労働者の場合、定期健康診断が正規より少なく、派遣では3割以下であることから、ストレス状態や罹患の具合はデータ化されにくい。
※1は『長時間労働と健康問題』労働安全衛生総合研究所よる。
※2は『若年勤労者における長時間労働とメタボリックシンドロームの密接な関係』東北労災病院勤労者予防医療センターと労災病院などとの共同研究による。
賃労働ストレスによる発症メカニズム
これらの過度または長期ストレスによって、賃金労働者は、心筋梗塞、高血圧、不整脈、糖尿病、肥満、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、うつ病などの様々な病を患い、同時に免疫力の低下を被っているのである。
それでは、ストレスによってなぜ様々な疾患を発症するのか。
それは、ストレスがホルモン分泌や神経系に大きな影響を与えることから説明がつく。最近の分子生物学の研究によって、これらは解明され始めている。
例えば、副腎皮質ホルモンの1種である俗名ストレスホルモンは、身体にストレスがかかった時に分泌され、これが過剰に分泌されるとクッシング症候群と呼ばれる肥満、ムーンフェイス、高血圧、糖尿病、免疫不全をきたすのである。過剰なストレスホルモンの分泌がなくとも、長期のストレスにさらされると、隠れた免疫不全が続くのだという。
また、このストレスホルモンの分泌によって、脳の中心にある海馬(常に神経細胞が新生され、新しい記憶を作れるように働いている)において、脳神経細胞の新生が抑制され、海馬の体積も減少しているという。そうであるなら、うつ病はこの発症形態と言えるのだ。うつ病発症で自死に至る労働者は、今でも後を絶たない。過負荷労働により、うつ病を発症し、自死に至ったのは、まさに資本による殺人だったと言うことは明らかだ。
ストレスを余り感じないで頑張る労働者にとっても、ストレスが交感神経緊張を高め、高血圧を引き起こし、脳心疾患のベースになるというのだから、元気な労働者も決して油断はできないのである。また脳卒中が肉体労働者に多いことを既に述べたが、それは「頑張るストレス」でアドレナリン分泌過剰から来ることも既に指摘されている。
賃労働下の「労働環境」に起因する様々な疾患と、免疫力の低下について、政府は個々人の生活習慣に根本的な原因があるかに言い、真の原因追求を放棄してきた。だが、分子生物学の発展や産業医たちの研究によって、今や生活習慣病は限定的であり、むしろ「労働環境病」に起因することが明らかになって来たのである。
※元産業医の細川勝紀氏の遺作となった『労働環境病の提唱――「生活習慣病」批判』第三書館発行を参照。
ウイルス感染もまた、 労働ストレスを受け続けた結果だ
人類の歴史は、病原菌やウイルスと常に闘ってきた歴史でもあるが、現代のように医科学が高度に発達した時代にあっては、今回の感染力が強いと言われるコロナでも、適切に対処すれば、健康な人が簡単に大量に死ぬことはないということなのだ。それは、コロナ感染で死に至った人は、ほとんどが「基礎疾患」保有者だったという韓国からの報告で証明されている。
また、今回のコロナ感染は、基本的に労働者が受けたと言える。厚労省は感染者と感染致死者の労働環境などを調べるつもりは毛頭なく、この詳細を知ることはできないが、NHKや地方自治体(※3)が公表している統計で糸口にはたどり着ける。つまり、感染者の多くが20代~60代の現役労働者と一部の退役した労働者及びその家族であり(70~80%)、労働者のうちでも「会社員」が2割以上をしめていることが分かっている。
※3は、NHKの全国調査、所沢市、埼玉県の調査。いずれもHPから。
つまり、コロナ感染の被害を被ったのは、多くが現役労働者、退役労働者であり、その家族であったということが大まかには言えるのである(人口構成からしてもそうなのだが)。
このことは、細川氏の考察を踏まえて考えるならば、コロナ感染もまた労働環境病と同じく、労働ストレスを受け続けて体力のない労働者(基礎疾患労働者、自覚が無くとも免疫力が低下している労働者)や退役労働者が罹患したと言えるであろう。
コロナ禍もまた、 労働環境病と同じく賃金労働制ゆえの禍
現代社会は、商品を基礎におく資本主義社会であり、それゆえに労働者の労働は労働力商品として売買される社会になっている。労働者は独立した生産者ではなく、労働力を売る賃金労働者であり、労働者は労働力を切売りして生きていく存在に貶められている(賃金奴隷化しているということ)。
労働者の労働の生産物は、労働者のものではなく、資本(家)のものであり、労働の果実は、賃金部分(現代では全労働の3割程度)以外、資本(家)の取り分(剰余価値)となる。労働者は自分の労働にやりがいや誇りや楽しみを感じることがあっても、賃金にいくらか満足することがあっても、それらは労働者の労働の一部分に対してであり、大部分は資本(家)を満足させ、喜ばせることに帰結する。
そして、不況ともなれば、常に解雇や労働条件の切り下げが労働者を待ち受けている。不況は自然現象ではないのだ。資本にとって、利潤追求と資本蓄積は資本が生きていく上での必須条件である。その為に、労働者の労働を搾取し(生き血を吸い)、女性差別を温存し利用し、また非正規雇用を増やして雇用調整弁にし、ますます資本を増大させる。しかし、やがて過剰資本と過剰生産力を生み出し、不況を生み出すのだ。決して「個人消費不足」が原因で不況になるのではない。
このようにして、労働者は、賃金労働制ゆえの独特のストレス社会の中で生きているのだ。解放された安息日は一時も無いということだ。
コロナ問題は「人類共通の敵」という問題ではない。コロナ禍もまた、労働環境病と同じく賃金労働制ゆえの禍であると捉えて、資本と闘っていく時である。 (W)
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