労働の解放をめざす労働者党トップヘージ E-メール

労働の解放をめざす労働者党ホームページ
巻頭言



【2021.8.14】
横暴極める入管行政
 ──死亡させても、訓告、厳重注意で幕引き

【2021.8.1】
税収過去最高のアダ花
 ──実態隠す見かけの数字

【2021.7.23】
防衛白書の意味するもの
 ──緊迫する台湾情勢を利用し軍拡企む

【2021.7.10】
都議選結果・菅政権への強い不信、反発
 ──自・公過半数獲得の思惑も消し飛ぶ

【2021.6.24】
金権政治の温存ではないのか?
 ――河井元法相への地裁判決

【2021.5.22】
軍事費を「聖域」化する防衛省
 ――対中国を錦の御旗に膨張する軍事費

【2021.5.16】
荒唐無稽な「コロナ債務帳消し」論
 ――赤字財政解消策の戯言

【2021.4.17】
バイデンの「人権外交」
 ――米国の国際的覇権維持が目的

【2021.4.5】
武田総務相不信任決議案否決の茶番
 ――志位らは解散の脅しに腰を引く

【2021.2.18】
林紘義さんへの哀悼
 ――理論家としての優れた功績


前のメッセージへ          過去のメッセージへ


横暴極める入管行政
死亡させても、訓告、厳重注意で幕引き
2021年8月14日


        
 名古屋出入国在留管理局の施設で3月、スリランカ国籍のウィシュマさんが死亡した問題で、出入国在留管理庁は、調査の最終報告を公表した。
        
 ウィッシュマさんは、2017年、留学のため来日したが、19年初めから所在不明になり、20年8月には自ら出頭して入管施設に収容された。収容後年明け頃から体調が悪化し、施設内で亡くなった。報告は、収容所内の医療施設、収容所職員の対応などについて管理庁の調査結果である。
        
 報告は、ウィシュマさんの体調不調の訴えに対して、病状を誇張している、仮釈放許可に向けたアピールで誇張しているとして無視したり、苦しむ本人をからかったり、当人の外部への訴え(不当な収容から救済するための)を5週間以上も放置していたりするなど、入管当局の被収容者に対する〝人権〟を無視した酷い実態を指摘している。
        
 入管当局の待遇をチェックする制度として、学識経験者らによる視察委員会が設けられているにもかかわらず、手紙が開封されたのは本人が亡くなった後であった。外部からのチェック組織があるといってもこれでは役立たずのお飾り的なものにしかすぎない。
        
 報告は、死因は病死と認められるとしながらも、「(身体的 な 疾患や使用した医薬品など の )複数の要因が影響した可能性がある」とし、「各要因が影響した可能性があり、各要因が死亡に及ぼした影響の有無や死亡に至った経過の特定は困難である」と結論している。
        
 そして、入管庁は、報告書と同時に、当時の局長、次長を訓告、幹部2人を厳重注意の処分とした。訓告、厳重注意は法律上の処分ではなく、実務上の処分であり、叱責ぐらいのほとんど影響のないものであり、体裁を取り繕うようなものだ。入管庁は不当な 処遇で留学生の生命を奪っておきながら、基本的には何の反省も行っていないのである。
        
 そもそも、死因について原因を確かめると言いながら、死に至らしめたのと同じ組織が調査することがおかしいのであり、ごまかしなのである。これでは泥棒に対して自分を捕まえる縄をなえというのと同じである。
        
 ウィシュマさんの遺族は、真相を知るために処遇を映したビデオ映像のすべての提出を求めているにもかかわらず、原因の究明は果たされたとして入管庁は一部の映像で済ませるなど、これで一件落着として幕引きを図ろうとしている。
        
 2007年以降、これまでの収容者の死亡は、入管の不当な長期拘留に抗議してハンガーストを行い 餓死したナイジェリア人、頭痛を訴え、くも膜下出血で亡くなったベトナム人、自ら命を絶った5人等々、ウィシュマさんを除いて17人を数える。
        
 自国の迫害を逃れ、助けを求める難民やその他の事情で日本にきた人々を犯罪者同様に捕まえ、非人間的な処遇のもとで監禁し、しかも収容期間の定めもなく、裁量で無期限というのが、日本の入管行政である。
        
 日本は難民の受け入れや途上国の労働者移民に対して厳しい政策をとってきた。受け入れを認めた 難民は数えるほど(昨年、3936人の申請に対して認定47人)であるし、移民については認めていない。しかし、労働力不足を補うために「技能実習生制度」(旧研修生制度)なるもの設けて、低賃金、無権利で働かせている。家族を呼び寄せることもできず、転職も限られ、一定期間の後、帰国が義務付けられているなど 、奴隷に等しい状況で働かせている。あまりに酷い待遇に職場から逃げ出し、違う職場で働いていたり、期限が切れた後も帰国しない場合には入管法違反で収監される。
        
 日本の進んだ技能を学んでもらう「海外への貢献」という看板の下に途上国の労働者に奴隷的労働を押し付けるという日本の政府・資本の政策は、人権無視の入管行政とつながっている。
        
 菅政権は、ウイグル族への弾圧を挙げて 、中国を自由・民主主義のない国家と批判し、米国などと「自由と民主主義擁護」のために連携を強化していくと訴えている。だが、入管の収監者虐待を放置してきた責任を自覚せず、改めようともしない菅に「民主主義の擁護」者を名乗る資格はない。
        

税収過去最高のアダ花
実態隠す見かけの数字
2021年8月1日


        
 コロナ不況と言われながらも、20年度の国の税収が60.8兆円と過去最高になった。法人税は11.2兆円と増え、消費税も20.9兆円と増えた。所得税については想定を0.7兆円上回ったとの報道だが、前年度(19年度)並みの19.2兆円であった。
        
 法人税収が増えたのは、電機、通信、ゲームなどの部門が「巣ごもり」増益となり、前期比でプラスになったことが大きく影響したとあり、消費税が増えたのは、「巣ごもり」の影響もあったが、税率10%が年度の通年で適用されたからだと報道されている。
        
 法人税増収は「巣ごもり」だけではない
        
 法人税収が上がった理由は、単に「巣ごもり」によるのではない。
        
 法人企業統計を見れば分かるように、設備投資が前期比でマイナスとなり支出が抑えられたことの反映でもある。要するに、「巣ごもり」景気などの報道とは違って、総資本の拡大再生産という観点から見れば、明らかに停滞していることが分かる。
        
 さらに、黒田日銀による大手企業への金融支援がある。
        
 予想されていたことであるが、日銀は20年度3月時点で国内株式の最大保有者になった。日銀の持つ上場投資信託(ETF)の時価総額は実に51.5兆円となり、年金積立金を管理運営する行政法人(GPIF)を逆転し4兆円以上も上回ったのである。
        
 この両者だけで、日本株を約100兆円(時価総額)持つ。19年度ではこの両者が持つ株総額は約65兆円であったから、いかに株価暴落を防ぎ、維持し、押し上げたかが分かる。
        
 日銀は大量の株を持ったはいいが、株価が暴落した場合には、大損をくらい、日銀収支が悪化することになるが、一向に気にしていない素振りだ。
        
 ともかくも、日銀は日本企業を高株価で支え、企業の保有株の低落による財務悪化を防ぎ、また、企業が金融機関からの借入を少なくし、株式増資による新たな運転資金を手にできるようにと汗をかいているようだが、企業全般の開発投資の動きは弱く、米国や中国の動きから遅れる一方に見える。
        
 経営参加論をぶつマル経学者たち
        
 こうした行き詰まった状況を見て、労働者は欧米に見られるように、企業の経営に参加し、企業体質を変えるべきだとか、ジョブ型雇用を広げ資本と労働者の有効な関係を作るべきだとか、学者たちは色々おしゃべりしている。
        
 しかし、EUの労働組合のように、賃上げなどの交渉とは別に、経営権者の一員として経営に参加し企業方針に影響力を行使していることを学べと言うのは、一見労働者の闘いのように見えるが実はそうならない。
        
 経営者の会議は企業運営の具体的な戦略を論じていく場であり、従って、いかに生産と販売を効率的に循環させ利潤を拡大して行くかの方針を決定する場である。
        
 つまり、経営者の会議に参加していくならば、労働組合の幹部が経営者然として振る舞うようになるのは必然であるし、実際そうなっている。
        
 例えば、EUで進めている脱炭素について、域内の有力な労働組合の幹部たちは経営的な立場で原発の維持や延長を主張し、また、それを欧州委員会委員長あてに書簡を出すほどに堕落している。
        
 「経営参加」や同じことだが「労使協調」がろくなことにならないのは、EUを見るまでもない。自国防衛という名目で帝国主義戦争に協力した古い例は別にしても、アメリカの自動車労組がトランプの貿易保護主義の支持に走った例や日本の右翼的労組の長年の労使協調ぶりを見れば明らかなことである。
        
 労働者はこうした資本への「経営参加」によってではなく、労働者の立場にたち、労働者の要求を労働組合にまず集約していくべきである。さらに、労働者は自らの政党(労働者党)を組織し、ブルジョア・半ブルジョア政党の資本主義擁護・修正の政策を暴露し、労働者全体の諸政策を掲げて闘っていく時である。焦眉の課題である脱炭素問題も、資本主義的生産による排ガス、排水、産廃の垂れ流しに抗議しつつ、断固として労働者の立場を突き出していくのである。  (W)
        

防衛白書の意味するもの
緊迫する台湾情勢を利用し軍拡企む
2021年7月23日


        
 13日に公表された2021年版防衛白書は、中国の「一方的な現状変更の試み」への警戒を強調し、新設した「米中関係」の節で、台湾周辺での中国の軍事活動の活発化と米国の台湾支援(令和 2 年版白書でも書かれていたが、最新式戦闘機の供給など)をあげ、「台湾情勢の安定は、わが国の安全保障や国際社会の安定にとって重要」と書かれている。
        
 そして台頭する中国に対して、「わが国自身の防衛力を強化」するとともに「揺るぎない日米同盟の絆をさらに確固たるものとするべく、同盟の抑止力・対処力の一層の強化に努める」として、軍事的な対抗の強化こそが日本の安定に不可欠、バイデン米政権が台湾情勢への関与を強める中での日本の役割を強調している。
        
 しかし台湾情勢の緊張をもたらしているのは、米中の帝国主義的な対立がもたらしているものであり、軍事的な防衛力強化で「安定」がもたらされるというのはまやかしであって、反動たちが「台湾の危機はわが国自身の危機」とわめくのは、日本の軍備拡大を推し進めるためであって、国際的な緊張を解消するためではまったくない。
        
 リベラルの諸君は「力による対決ではなく、協調による共存をめざす」(7/14 朝日社説)ことが望ましいかに主張しているが、そうした〝 期待 〟 は、現状の「力による対決」構造を固定化するだけでしかなく、帝国主義の存続による人類の危機に無頓着な立場であって、労働者が支持できるものではない。
        
 菅政権を支えるブルジョアが台湾情勢に強い危機感をもっているのは、「経済発展と民主主義を実現した地域で、半導体産業の中心地とシーレーン(海上交通路)の要衝だ。尖閣諸島に近く、日本の利害と結びつく」( 7/14 日経社説)と考えているからだが、「経済発展」が政治的・軍事的緊張をもたらすのは、資本による支配が国家的に分立していて、資本の利害が国家的な対立(と協調、もあるのだが)として現れるのである。
        
 「核兵器と攻撃的兵器を持たない以上、日本の安全保障上、国際情勢に大きな変更のない限り、日米安全保障体制は必要である」という日本の支配階級の意識は冷戦時から変わっていないが、日本資本主義の海外進出・依存が深まる中で、そしてアメリカの軍事戦略の見直しの中で、日本の軍備拡大強化が進んでいる。
        
 岸防衛相は白書を提出した閣議後の会見で、「中台の軍事バランスは全体として中国側に有利な方向に変化し、その差は年々大きくなっている」と語った( 7/14 朝日デジタル)が、中国の国防費が日本の防衛費の約4倍で、潜水艦や艦船、戦闘機など近代的な装備の数でも自衛隊を大きく上回っていることなど、白書はグラフや写真を織り交ぜて紹介し、中国への危機感を煽っているのは、日本の軍備増強への下慣らしである。
        
 菅政権に対して反軍拡の闘いを強めなければならない情勢にある中で共産党は、「中国が台湾に対し軍事的圧力・威嚇を強化していることは厳しく批判されなければなりません。しかし、日米が台湾問題に軍事的に関与する方向に進むことも決して許されません。台湾問題の解決のため非平和的な手段は排除されるべきであり、あくまでも平和的な話し合いで行われるべき」といった認識で、「今、何より重要なのは、中国の覇権主義を国際法に基づいて冷静に批判し、外交的に包囲することです。いたずらに軍事緊張をあおり、軍事対応の強化に突き進むことではありません」(7/14赤旗主張)と、説教じみたことを言っている。
        
 中国の覇権主義への表面的な批判しかできず、「冷静に」とか「いたずらに突き進むな」といった忠告を支配階級が聞き入れてくれると思っているのであろうか。労働者の闘いには役立たずであるばかりか、あらぬ幻想を振りまくだけの犯罪的な存在である。労働者の国際的な連帯した闘いを信頼できずに、支配階級に依存していて、どうして困難な歴史を切り開いていけるであろうか。我々は労働者の階級的な団結の広がりの必然性に確信を持つがゆえに未来を楽観する。  (岩)
        

都議選結果・菅政権への強い不信、反発
自・公過半数獲得の思惑も消し飛ぶ
2021年7月10日


        
 秋に行われる衆院選の前哨戦としての都議会議員選挙が行われた。
        
 前回17年の選挙では「小池旋風」で大敗を喫し、第一党から転落した自民の最大の目標は、自・公合わせて議会の過半数を獲得することであった。そのために自民は60人の候補者を立て、都知事選では独自候補擁立を見送り、前回都民ファーストと連携した公明党と選挙協定を結ぶ一方、連日のように党幹部や閣僚が応援に入り、国政選挙並みの選挙戦を行い、巻き返しを図った。
        
 しかし、結果は現有の25議席を僅か8上回る33議席に終わった。これは、政権交代に向けて民主党が躍進した09年の都議選で惨敗した38議席をも下回る過去2番目の低さであり、公明党の23議席(現有維持)と合計しても56議席と過半数(64)に届かず、彼らにとって「大敗北」(閣僚の一人)ともいえる結果となった。
        
 これは、無為無策のコロナ対応、五輪の強行、自民議員の相次ぐ企業との談合など、菅政権に対する都民の強い反発・不信の表れである。実際、菅は公示日、官邸前で自民への支持を訴えただけで、街頭で応援することもできなかったのである。またコロナ禍の下での五輪への不信の拡大に、自民候補者は五輪への言及を避け、子どもの教育無償化とか高齢者などへの福祉問題を取り上げ、中央政府との連携を訴えた。
        
 一方、野党は、立・民と共産が1人区、2人区、3人区で候補者の一本化など共闘を行った。立・民は枝野代表が前面に立ち、「次の総選挙で政権を代えて、この危機を乗り切る」と訴え、8議席から倍近くの15議席へと前進した。共産は1議席増やして19議席を獲得した。(れいわの3人の候補者は緊急措置として都民一人10万円支給などを公約しが全員落選。)
        
 共産党志位委員長は、野党第1党を維持したことを「大きな勝利」とし、「野党の選挙協力は、相互の議席を増やしていくことにつながり、自民党を追い詰める大きな力を発揮しました。互いに支援し合う取り組みのなかで信頼関係が広がった」「この成果を総選挙での市民と野党の共闘の発展の力にし、成功に生かしていきたい」と述べた。
        
 しかし、「大きな勝利」と言っても、共産と立・民を合わせて34議席、これまでに比べて127議席中僅か8議席の増にすぎない。自民とほとんど変わらない小池の都民ファーストは14減らしたものの31と第2党にとどまり、これまでの議会の勢力構成はわずかな変動でしかない。とても「大きな勝利」とよべるものではない。
        
 志位は五輪「中止」(共産)や「延期」(立・民)を訴える立場が、都民の支持を得たと言ったが、彼らはコロナ禍だから「コロナより生命を」というだけで、3兆円もの巨額の血税を注ぎこみ、五輪を「景気振興」とか〝国威発揚〟に利用しようとする政府の反動的な意図を徹底的に暴露しようとはしなかった。投票率は、過去最低から2番目の42・9%で、選挙戦は盛り上がりに欠けた。歴史的低投票率は、都民が共産、立・民にも期待していないことを示したのである。 (T)
        

金権政治の温存ではないのか?
河井元法相への地裁判決
2021年6月24日


        
 6月19日東京地裁は、河井克行元法相の19年参院選広島選挙区での巨額買収を認め、懲役3年、追徴金130万円の実刑判決を出した。
        
 判決は、「民主主義の根幹である選挙の公正を害する極めて悪質な犯行。刑事責任は同種の選挙買収事案のなかでも際立って重い」と河井を断罪した。大物県議を取り逃がしたとも言われているから全体はさらに大きいだろうが、裁判で公表されただけでも、県内の首長2名に170万円、県議14名に680万円、市町村議24名に800万円、後援会員や陣営スタッフ60人に1221万円(亀井静香の元公設秘書への300万円を含む)と、河井は総計100名に総額2871万円という未曽有の規模と額でカネをばらまいて妻・案里を当選させたのだ。
        
 今回の判決では、地方議員への「当選祝い」や「餅代」などを政治資金規正法に従って収支報告書へ記載していても、買収の意図が認められれば選挙買収であるとして、すべての現金授受を買収と認めた。しかし、このことをもって「画期的」で「金権選挙の抑止になる」(地元紙の識者評)などと評価するのはとんでもないことであろう。
        
 地方議員や国会議員への現金授受を“慣行”として認めたり、収支報告書に記載さえすれば政治団体の名目での寄付=買収を認めるなどというのは、そもそも摘発をしない司法の怠慢であって、「選挙の公正を害し」てきた点では司法も河井と同罪なのだ。あからさまな金権選挙に対する大きな反発に、司法もかつてない危機感をもって今回の判決に臨んだのであろうが、この判決を見ていくと「金権選挙の抑止になる」といったものではけっしてない。
        
 まずは落選した自民党前職の溝手の問題をとり上げよう。溝手は河井と同時期に、元県議会議長だった同一の県議に対して党支部を通じて50万円を提供したことを認めており、元議長も「選挙応援の趣旨を感じた」と公言している。この溝手の行為は200万円を提供した河井と同じなのだから、司法は溝手も同時に起訴し断罪しなければ片手落ちであろう。そうでなければ、金額が50万円なら買収しても罪に問われないと裁判所が公言するようなものではないのか。
        
 さらに100人にも上る被買収者も公選法上被買収罪に問われなければならないが、しかしいまだ誰一人として起訴された者はいない。それどころか、被買収者は事情聴取の際に、買収を認めれば自身の起訴を猶予されるかもしれないなどと検察から言われたという。判決では被買収者が起訴されていない点について、わざわざ「検察官の訴追裁量権を逸脱するものとは到底言えない」などと触れている。
        
 オイオイ、一人二人の例外ならばともかく、100人もの全員を被買収者として認定しながら見逃がそうというのは、裁量権の逸脱どころか検察官としての職務の放棄ではないのか。これだからこそ、40人もの首長、地方議員のうち、わずか8人しかこの間に辞職せず、今なお30人もの議員が「任期まで職責を果たす」などと言って居座り続けているのである。まこと司法が金権腐敗に手を貸すことではないか。
        
 さらには買収資金の出どころの問題だ。今回、陣営スタッフ3人へ提供された221万円だけが、自民党本部から提供された1億5千万円(うち、1億2千万円は公金である政党交付金)の中から支出されたことが明らかになったが、全体は司法によって闇に捨て置かれたままだ。
        
 買収資金が別の裏金から支出され、党本部からの資金提供総額は2億円に上る(選挙前に県内120万の全世帯に地域郵送されたチラシの費用だけで億のカネになる)という話も出ているが、スタッフへの221万円の買収費用だけでも、税金を使った支出となれば党本部への強制捜査は不可避のはずだ。しかも選挙は当時首相であった安倍の秘書団までも動員してのまさに安倍・菅との三者共闘で行なわれたのだから、なおさらであろう。この件に口をふさぐ今回の判決は、巨悪の隠蔽としか言いようがない。
        
 以上どれをとっても、この判決は自民党による組織的な金権選挙の問題を克行個人の問題にすり換え、金権選挙をむしろ温存するものだと言わねばならない。
        
 最後に、河井の口から出た買収の動機を紹介しておこう。「広島政界で孤独だったので、若い仲間を作りたかった」「広島県連会長になるための後ろ盾になってほしかった」。要するに、自民党においてはカネを配ることが仲間を作り、地位を得る近道だと言うのだが、そのカネを得るためにはなにより企業とのコネづくりが不可欠となる。こうして金権選挙と金権政治は不可分なのである。しかし金権選挙は金権政治の一部分であって、その逆ではない。
        
 金権政治の根がはびこる限り金権選挙はなくならないのだ。そして金権政治の根底はブルジョアジーによる政治支配であり、搾取と働かざる者の働く者への寄生の永遠化である。だからこそ金権選挙に対する労働者の闘いは、政治資金規正法や歳費法の改正などへの矮小化ではなく、ブルジョアジーによる政治支配の打破であり、そのための労働者階級の政治進出の拡大でなければならない。われわれ労働者は、まずは検察に対して自民党本部への強制捜索と被買収者への立件を要求するが、それとともに政党交付金や供託金制度をはじめとする不平等な選挙制度をただちに廃止せよと要求する。(広島 IZ)
        

軍事費を「聖域」化する防衛省
対中国を錦の御旗に膨張する軍事費
2021年5月22日


        
 最近、防衛省の独走が目立つ。
        
 岸防衛相は、「日経」新聞とのインタビューで、「近年の安全保障環境をみると、非常に中国側に(軍事バランスが)傾き、毎年広がっている状況だ。防衛力強化は台湾海峡だけでなく、我が国自体の問題として考えなくてはいけない。自ら守る体制を強化していく」「宇宙・サイバー・電磁波といった新たな領域を含め、すべての領域においる能力を有機的に融合し、多次元の統合防衛力を強化する」、そのためには軍事費は「対GDPで考えることはない。あくまでも我が国を守るための必要経費をしっかり手当てする。そのためにいくら必要かという考え方でやっていかなくてはならない」(「日経」5・20)と語った。
        
 日本の軍事費は対GDP1%とする」というのは、1976年三木政権の下で決められた枠であった。これは軍事費が経済発展の妨げとならないようにという戦後の日本ブルジョアジーの意志を反映したものであった。その後、この1%枠は、東西冷戦が激化した1987年、米レーガン政権との「日米新時代」を謳った中曽根政権のもとで取り払われ、軍事費は1%を上回ることはあったが、おおむね1%程度に収まってきた。
        
 しかし、今後はそれにとらわれることなく、「必要な経費」を予算化する必要があるというのだ。実際、昨年6月にコストがかかりすぎるとして陸上配備型要撃ミサイルシステム「イージス・アショア」に代わって「イージス・システム搭載艦」2隻建造が閣議決定されたが、その経費は予定の4500億円の2倍9000億円もかかることが政府や国会に報告されずに、秘密裏に防衛省で試算されていたことが分かった(「朝日」5・21)。しかもさらに、どれくらいかかるか積算不可能ともいえる維持費が付け加わるという。
        
 〝防衛〟に「必要な経費」は予算化される必要があるという岸防衛相の発言は、こうした防衛省の傲慢な態度を反映するものに他ならない。彼らは、新型コロナで職を失い日々の生活さえままならない状態で置かれ、苦しんでいる多くの労働者・働く者ことなど省みることなく、彼らは、中国への対応、尖閣防衛を錦の御旗に、イージス搭載艦に1兆円近くものカネをつぎ込むなど軍備を増強につき進もうとしている。
        
 菅政権は日米首脳会談で日米軍事同盟の強化、日本の軍備拡張を謳った。こうした菅政権の姿勢こそ「イケイケどんどん」と防衛省をつけあがらせているのだ。日本はますます反動化し、退廃化しつつある。
        

荒唐無稽な「コロナ債務帳消し」論
赤字財政解消策の戯言
2021年5月16日


        
 新型コロナウイルス感染拡大に伴う経済対策で各国の財政赤字は膨張する一方である。IMFによれば、先進国の政府の債務残高は、対名目GDP比で2019年103・8%から2020年には120・8%、2021年には122・5%と約20%増える。
        
 こうした中、欧州(EU)では、昨年11月にはイタリアのカロッサ政務次官から、新型コロナパンデミック下で発行されたソブリン債の帳消し、満期の無期限化延長(いわゆる借金の棒引き)を望むという声が上がり、今年2月には貧富の「格差論」で知られ、斉藤幸平が社会主義に転向したと賛美するピケティら独、仏、伊、スペインなど経済学者、政府関係者100人超によって、「コロナ債務帳消し」の意見書が出されている。
        
 欧州中央銀行(ECB)が大規模な金融緩和で購入したユーロ圏各国の国債2・5兆ユーロ(約325兆円)に関し、帳消しにするか、金利をゼロとして償還期限のないものに転換する、帳消しにした分を経済復興に活用する、というのがその内容である。
        
 ECBがユーロ圏各国政府の債務の25%を保有しているという事実は、中央銀行も国家の一機関であり、自分で自分に借金をしているのと同じで、債務を帳消しにしても問題はないという考えだ。
        
 日本でも政府が資金調達のために国債を発行し、その国債を中央銀行(日銀)が購入しており、政府の債務膨張と並行して中央銀行の国債購入が増大してきたのは欧州と同じだ。日銀の総資産は20年度末の時点で前年度末比109兆円増の714兆円に上り、その7割は国債で532兆円にも達する。
        
 しかし、ピケティらの言うように中央銀行の保有する政府の債務を帳消ししても問題ないと言えるか。
        
 一般的に政府が資金を調達するために国債を発行する時には、債権者(国債の買手)に対して、元金と利子の支払いをする約束をしている。その条件を変更することは、債務不履行(デフォルト)に該当する。デフォルトともなれば、国債の保有者は損害をまぬがれない。国債の引き受け手が銀行であっても同じである。
        
 デフォルトによる損失は銀行の資本を毀損させる。損失が大きな場合には、その銀行の経営を危うくするだけではなく、連鎖的に他の銀行にも波及して信用不安を引き起こすことになる。
        
 そこで、コロナ対策として政府が発行した国債の引き受けを民間銀行ではなく中央銀行の場合はどうなるか。(これは、民間銀行の保有している国債を日銀が買い取っている現在の日本の場合と事実上同じである)。
        
 この場合は民間銀行には損失は生じない。政府が満期を無期限に延期し、無利子とした国債を日銀に引き受けさせるのと同じことになる。政府は日銀から得た資金でコロナ対策として発行した国債を償却する。政府には事実上債務はなくなるが、日銀には無期限、無利子の国債(無利子の永久国債)は残る。これは、ピケティなどが提案している政府の債務帳消しと同じことだ。
        
 日銀が〝価値〟を持たないに等しい国債を資産として保有することになるとすれば、日銀の資産は劣化し、信用を失うことになる。一方、日本の国債も信用を失う。日本の国債の買手は国内だけではなく、海外からも買手がある(昨年末、保有率7・2%)。
        
 日本の国債残高が、対GNP2倍以上にもなっているにもかかわらず購入され、政府が資金を調達することができるのは、政府が約束通り利子を支払い、元金返済を履行するという前提があるからである。
        
 しかし、それが出来なくなりデフォルトになれば、日本の国債の信用度は低下し(米フイッチ・レーディングス社の格付けによると日本は安定以下の「ネガティブ(弱含み)」で「A」、額面通りの価格では買手もなくなり、価格は低下、国債発行による資金調達は困難になる。
        
 今流行りのMMT論者によれば、日銀が紙幣印刷機を回して紙幣を増発すれば問題は生じないという意見もある。だが、思いのまま紙幣を増加させても大丈夫など言うのは戯言である。
        
 紙幣の流通量は、商品の価値総量と紙幣の流通速度によって決まるのであって、それ以上の紙幣が流通に投入されれば、インフレーションになる。例えばこれまで1万円であったものはそれ以上の例えば2万円にも、10万円にもなり得るのである。
        
 通貨の〝価値〟が不安定になり、信用を失えば、それは国内のみならず対外的な取引にも深刻な影響をもたらし、生産・流通は混乱に陥る。日銀が自由に通貨を発行できるなどというのは戯言でしかない。
        
 政府の借金を棒引きするという姑息な手段で、行き詰まる国家財政を解決しようなど言うのは幻想でしかない。 (T)
        

バイデンの「人権外交」
米国の国際的覇権維持が目的
2021年4月17日



 米国バイデン大統領は「人権や自由の尊重」を掲げ、人権外交推進を謳っている。その標的は中国であり、習政府が香港や新疆ウイグル自治区で人民を抑圧しているとして中国に対して制裁を強化している。
        
 バイデンが英国やEU、日本などと連携して「人権、自由を擁護する」行動を呼び掛けていることに対して、中国は、「アメリカにはアメリカの民主主義があり、中国には中国の民主主義がある。アメリカは自らの民主主義を押し広めるべきではない」、「内政干渉」であると反論、そして中国は、米国が黒人、有色人を差別してきたことを挙げ、バイデンの言い分は自分の国内のことを棚上げして、他国のことを非難するダブルスタンダードだと非難している。
        
 中国が言うまでもなく、米国内では黒人やアジア人、ヒスパニックなど有色人に対する白人の差別が行われているし、中東地域ではサウジアラビアなどの王政国家を支援したり、イラクやリビアに軍事介入するなどして、これまで多くの人民の生命を奪い、財産を焼き払ってきたことは事実である。
        
 だからといって、習政権による香港や新彊ウイグル地区における人民弾圧、そして共産党の専制支配の下で労働大衆が発言し、行動する自由もなく監視・抑圧され、国家の言うがままに従わされていることが正当化されるわけではない。我々は、中国政府の香港、新彊ウイグル地区での人民弾圧に断固反対する。
        
 バイデンの人権外交が中国の「内政干渉」だとの主張に対して、ドナヒュー国連人権理事会元米国大使は言う。         
 「人権を重んじる民主主義国家は、世界に岐路に立っていることを認識しなければいけない。強権の度合いを増す中国のとの競争の核心をなすためだ。21世紀のデジタル社会において、私たちは民主的で人権を尊ぶ統治形態が優れたモデルであると示す必要がある。そうしなければ、中国式の『デジタル専制主義』が世界中にひろがることになる」(「日経」4・8オピニオン欄)。
        
 国連憲章にも「人権及び基本的自由の普遍的な尊重」が謳われているが、これは国際社会が護るべき普遍の原理だというのである。しかし、労働者はバイデンや国連憲章が掲げる「人権、自由」を人類が護るべき至高の原理として無条件に支持することが出来るだろうか。
        
 バイデン、国連憲章がいう「人権」の前提となっている第二次大戦直後の1948年、参加国一致で採択された「世界人権宣言」を見てみよう。
 「宣言」は、「全ての人間は、生まれながら自由で、尊厳と権利について平等」であることを謳い、具体的には、「法の前での平等」、「移動の自由」、「思想、良心及び宗教の自由」、「意見及び発表の自由]「集会及び結社の自由」「財産を所有する権利」などを、侵されることのない権利として掲げている。
        
 しかし、「宣言」で人間は生まれながらにして平等だと謳われたとしても、現実には人種や女性にたいする差別があり、金持ち階級と労働者の生活には大きな差異がある。また、「意見・発表の自由」といっても、それを実現する資力に欠ける労働者にとっては絵にかいた餅である。
        
 「宣言」が約束することと現実との間に大きな乖離があるのは、「宣言」が私的所有、資本による労働の搾取を前提としているからである。「宣言」は「財産を所有する権利」をなにものによっても侵すことのできない「人権」として謳っている。「宣言」は資本が支配する社会のもとでの社会規範を述べたものである。
        
 私的利益追求を至上の目的とする資本の支配する下では、人種や女性差別をはじめとする様々な差別はなくならないで、資本の支配に適合する形に編成され、温存されている。
        
 したがって、バイデンが中国政府の香港や新彊ウイグルに対する専制的振る舞いを批判しながら、米国も独裁的国家を支援したりするなど「ダブルスタンダード」となるのは必然なのである。
        
 バイデンが中国を非難しだしたのは、中国が経済的軍事的強国に成長し、米国の国際的覇権を脅かしているためである。中国のウイグルへの抑圧は最近始まったことではない。米国は以前からこうした事実を知りながら、これを問題にはしてこなかった。
        
 しかし、少数民族ウイグル人への中国政府の抑圧を取り上げ、「自由、人権」のための米国、西欧、日本の連携を呼び掛けているのは、米国単独では中国に対抗しえなくなっているからである。
        
 西欧や日本の連携で、国家資本主義中国を抑え込み、米国の国際的覇権を維持しようとしているのである。ここにバイデンの「人権外交」の本質がある。したがって、労働者はバイデンが中国政府の香港や新彊ウイグル抑圧反対を唱えているからと言って、バイデンの「人権外交」を支持することは出来ない。
        
 労働者は中国政府による香港や新彊ウイグル抑圧に反対し、〝民主主義〟を求める闘いを支持する。それは米国をはじめ〝自由主義〟諸国の政府がいうように「国連憲章」に違反しているからではない。 (T)

武田総務相不信任決議案否決の茶番
志位らは解散の脅しに腰を引く
2021年4月5日



 4野党共同で31日に提出した武田総務相不信任決議案が1日否決されました。4野党の決議案は、「(接待問題で)放送・通信行政がゆがめられた疑惑は極めて重大」、「武田総務大臣は真相究明に及び腰の姿勢に終始するなど、総務省を指揮監督する資格はない」といった内容ですが、そんな決議案をいまさら提出する姿勢には、菅自公政権を追い詰めていく真剣さがなかったと言わなければなりません。
        
 高額接待問題で官僚と業者の癒着はすでに明らかであり、官僚はブルジョア政治家の手先として働いたのです。そして菅政権全体として腐敗官僚を守ろうとし、武田はその先兵でした。武田の不信任などさっさと提出すればよかったのです。野党は接待問題について、「真相究明」に闘いを狭め長引かせ、政党間の駆け引きに明け暮れただけでした。
        
 予算案の国会通過にあたって、内閣不信任案提出を検討しながら、二階や竹下元総務会長らから、内閣不信任案提出に対して「解散を覚悟しろ」とけん制され、共産党の志位委員長に見られるように、「内閣不信任案の提出は、野党として解散・総選挙を求めることになり、いまはその時期ではない」(4月2日院内記者会見)と及び腰だったのです。立・憲の枝野代表もまた、「政治空白を作るべきでない」(4月2日記者会見)と同様です。内閣不信任は菅内閣の不信任であって、解散要求でないことは明らかであるにも関わらず、志位らは自民党の脅しに腰を抜かしたと言われてもしかたありません。
        
 不信任が採択されたからといって、解散せず菅が総辞職するという可能性もあり(内閣不信任決議案が可決された場合、憲法第69条 は「10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と謳っています)、そもそも解散は総理大臣の専権事項ですから解散の責任が菅にあるのは明らかです。
        
 志位が「今は内閣不信任案提出の時期でない」というのは、菅政権を追い詰める自信がない言い訳であり、志位や枝野の日和見は菅政権との慣れ合いをごまかし政権延命に手を貸すものです。毎日新聞の社説では「(武田の不信任案が)否決されるのを承知で提出したのは、今月25日の衆参3補選・再選挙を前に菅義偉政権との対決姿勢をアピールする政治的な狙い」(4月2日)という、対決姿勢の「ポーズ」で点数を稼ごうという姑息さの指摘もあります。
        
 共産党は「ゆがんだ政治を根本からただすには、政権交代しかありません」(31日赤旗主張)と口先では言いつつ、菅自公政権打倒の闘いを本気で前進させようとしていません。同様に、枝野も「もはや菅内閣は信任に値しない。一刻も早く退陣すべきだ」と言いつつ、内閣不信任案の提出については、「自らが政治判断するあらゆる選択肢を否定しない」と述べているだけです。
        
 これまでの内閣不信任案提出が〝年中行事〟化していることもあり、野党に菅政権と闘う気迫を感じない労働者・働く者が大半でしょう。しかし、菅政権の継続はコロナ対策のみならず、野放図な借金財政の膨張予算に見られるように、労働者・働く者の生活困難や不安定さを深刻にするだけです。菅政権打倒に向けて階級的な闘いを前進させていきましょう。 (岩)

林紘義さんへの哀悼
理論家としての優れた功績
2021年2月18日


 「労働の解放をめざす労働者党」の党代表であった林紘義さんが去る2月10日、82歳で生涯の幕を閉じました。15日にはコロナ禍のために人数制限があり家族中心の「お別れ会」も行われました。労働者の解放の事業に一生を捧げてきた林紘義さんに心より哀悼の意を表します。

 林紘義さんは、労働者党が2019年の参議院選挙に確認団体として参加することを決め(比例区4名選挙区6名の10名の候補者を確定し林さんは比例区候補者)、多忙な日々を送っていた時に一度脳梗塞で入院しました。その後、熱心にリハビリに励み、ランニングや街頭演説ができるまでに驚異的に回復し、参院選挙の先頭に立ち、選挙中には3時間のロングランの演説をこなすなど強靭さを見せていました。
 しかし、昨年(2020年)4月に団地の集会で発言している時に急変し、再入院しました。脳内出血でした。その後いくらか回復が見られましたが、次第に体力が衰え永眠したのです。脳内出血がなければもっと活動ができたのにと思うと(林さん自身もそうでしょうが)、残念でたまりません。

 林紘義さんは、長野県出身で伊那北高校から東京大学に入学(卒業は大学院)し、当時の学生運動の影響を受け、その後、勤評反対闘争や60年安保条約改定反対闘争に参加しました。共産党を見限った学生たちが結成した「ブント」にも参加し、全学連の都学連執行委員を務めるなど活動に身を投じたのです。この時、同学年であった樺美智子さんと知り合うことになります。
 しかし、学生中心の安保闘争の挫折後、林紘義さんは試行錯誤しますが新左翼急進派には向かわず、独自に「全国社会科学研究会」を立ち上げ、労働者の革命的な政党を目指して精力的に活動していきました。機関紙や理論誌や単行本を発行し、集会やデモだけでなく、その後、全国的な政治闘争の舞台である選挙闘争にも闘いを広げていくことになります。

 林紘義さんの功績は数限りなく、労働者党をリーダーとして引っ張ってきただけでなく、優れた社会経済学の理論家でした。林さんは独自の政治活動を開始した全国社研から今の労働者党まで、精力的に機関紙の論文を執筆しましたし、単行本の発行数は30にものぼっている程です(労働者党のHP参照)。
 既に二十代後半には、ソ連や中国は「国家資本主義」体制であるとの論文を発表し、その概念を基に、1972年に「現代『社会主義』体制論 スターリン体制から『自由化』へ――国家資本主義の内的『進化』のあとづけ――」(全国社会科学研究会編・4人の共著)という単行本を発売しました。

 1960年代からソ連や中国の社会経済体制をどのように見るかの多くの論争がありました。共産党や社会党(現社民党)は、ソ連や中国を「社会主義国」と規定し、新左翼(トロツキー派)も「労働者国家」と考え、あたかも労働者・農民の解放に向かって進みうる社会かに論じていました。官僚は権力的・独裁的であり腐敗している「スターリン体制」だが、生産手段は国有化され計画経済が施行されているからというのが彼らの理由であり根底でした。

 しかし、林紘義さんは、農民が多数を占め、封建的体制から脱皮したばかりの生産力に乏しく技術的革新も進んでいなかった国家では、たとえ生産手段の協同組合化、国有化が行われても資本主義を飛び越え「社会主義」に進むことは不可能であると明確に語ったのです。つまり、革命後のソ連や中国は一種の資本主義である「国家資本主義」として進むことになるということでした。

 林紘義さんの「国家資本主義」論に近い人も確かにいました(「官僚制国家資本主義」の対馬忠行など)が、世界は広くても林紘義さんのようにソ連経済(中国経済も)の生産は私的性格をもつことを明らかにした人は他におりませんでした。

 彼は本書で次のように書いています(貴重な歴史的な文章です)。
 「私的所有がなければ、私的労働がなければ、商品はない。商品は私的所有と分業という社会的歴史的条件の下でのみ必然的なものとなる。従って、何千万という小所有を農業で作り出したロシア革命が商品生産を、従って何らかの形での資本主義を克服できなかったのは当然であった。そして農業の集団化すなわちコルホーズも商品生産を止揚することはできなかった、というのはそれは生産手段の社会的所有ではなく集団的所有を意味するにすぎず、私的所有の止揚ではなくその変形にすぎなかったからである」(25~26頁)。

 また本書では、共産党や新左翼がソ連や中国の指導部を道徳的に非難した「スターリン体制」に対して、次のように書かれています。  
 「われわれはスターリン体制に対して道義的、人間主義的非難の声をあげたり、ソ連・中国の現状を、スターリン個人(もしくはスターリンの政策)の責任にすべて転化したりする見解とは無関係である。必要なものは道義的批判ではなく、歴史的批判であり、ここにこそマルクス主義の神髄がある。スターリン体制がどんなに『非文化』的で、野蛮で、はずかしげのないものであったにしても、それは商品経済を基礎に、経済外的手段によって国民的資本の形成を強行的に達成する国家資本主義に最もふさわしいものであり、その必然的な上部構造であったのだ」(序の4頁)。

 当時は日本だけでなく世界の共産党や新左翼もロシア革命からの「後退」や「反革命」として「スターリン体制」を理解していましたが、林紘義さんは歴史の「後退」や「逆行」としてではなくロシア革命の歴史的に必然的な結果であったことを見抜いていたのです。

 林紘義さんの功績の2つ目は、社会主義(共同体社会)における「消費財の分配法則」を世界で初めて発見したことです。

 マルクスは既に、社会主義社会における労働時間による消費財の分配について述べていますが、それは「個々の生産者は、彼が社会にあたえたのと正確に同じだけのものを――控除をおこなったうえで――かえしてもらう」、「彼は自分が一つの形で社会にあたえたのと同じ労働量を別の形でかえしてもらう」(「ゴーダ綱領批判」・国民文庫=15、43頁)というものです。  
 確かに生産者の総労働は消費財生産の総労働に等しい(生産財部門の生産手段が消費財部門の消費財と交換されることを含む)というのであれば、マルクスの言うとおりです。またアダム・スミスも「国富論」の中で、国民の総労働は消費財を生産する労働の総和であると言いました。

 しかしアダム・スミスのドグマと言われる問題の真の解決には、生産財部門で機械や原材料を生産するための生産手段を考慮することが必要です。これは過去年に作られることが多いですが、これらの生産財部門の生産手段もまた消費されるなら消えてなくなります。社会的再生産を続けるなら、消失したこの生産手段は新品として再生産されなければなりません。
 従って、生産財部門の生産手段を作る生産者もまた、年々(月々)消費財の分配がされることになるし、現にどんな社会でも行われて来たことです。

 つまり、林紘義さんは、マルクスが『ゴーダ綱領』や『資本論』で記述したことの歴史的な背景や資本主義の現象と法則を区別しその関連をしっかり分析することによって、マルクスの言辞を超えて進んでいったのです。このことは、マルクスの言辞を鵜呑みにするか便宜的に利用する人(共産党系学者など)には難しいですが、「消費財の分配法則」を解く鍵は、経済に現れる現象と現象の背後で貫かれる法則を区別し、関連を明らかにするところにあったのです。これは林紘義さんの多くの著作でも明らかにされました。

 林紘義さんが「消費財の分配法則」について述べていたもう一つの重要なことは、消費財各品目を生産する労働時間の把握です。しかし、これは技術的に簡単なことではありません。現在、例えばスマホなどが何千何百万人もの生産者による世界規模での社会的分業によって作られているからです。さらにまた、日々技術革新が行われ生産力が上がり製品を作る労働時間が小さくなり、違った材料や部品が使われることも普通にあるからです。
 従って、例えばスマホを生産するのに要した労働時間を確定するためには、情報通信技術やコンピューターを高度に利用することなしにはできない相談ですが、概念は簡単で明瞭でした。

 以上、林紘義さんの功績のほんの2例を紹介しました。
 林紘義さんが若くして労働の解放の道に身を投じたのは、彼が強い信念の持ち主であったということもありますが、紹介したような優れた理論家であり、未来を見通す力があったからでしょう。
 しかし、現代の高度な生産が真に人々の福祉のために利用されるためには、また環境問題を真に解決するためには、生産手段の私的所有や搾取労働が無くなり、一切の差別が消え失せ、生産の社会化が行われることが必要です。林紘義さんはこうした理想(必然性)を常に念頭に置き闘ってきた人でした。

 我々は林紘義さんの意志を継ぎ、労働者の歴史的な大事業として、労働の解放をめざし闘って行く覚悟です。         
 林同志どうぞ安らかに。

 党ブログに林紘義さんの経歴と著書を紹介しています。こちらからどうぞ