労働の解放をめざす労働者党トップヘージ E-メール

労働の解放をめざす労働者党ホームページ
巻頭言



【2021.12.17】
共産・志位、外交的ボイコットを訴える
 ──バイデンや安倍ら反動派と一緒になって

【2021.12.10】
「政策立案型政党」へ
 ──堕落深める立憲民主党

【2021.12.3】
共産党志位の泣き言
 ──「共闘」が全てで、労働者に依拠せず

【2021.11.3】
労働者の闘いの後退を招いた野党共闘
 ──衆院選で岸田政権延命ばかりか維新躍進

【2021.10.24】
共産党は誰とシンクロしているのか
 ──ブルジョア社会政策に追随する志位

【2021.10.15】
自民党とバラまきを競う立・民
 ──年収1000万円以下の所得税免税提案

【2021.10.2】
自浄できぬ姿示す自民党
 ──悪習断ち切れない岸田総裁

【2021.9.17】
総裁選で暴露される自民党政治の腐敗
 ──階級的な闘いとして前進することが大事

【2021.9.10】
自民党総裁選の茶番
 ──岸田、高市、河野らの主張は笑止千万

【2021.8.25】
横浜市長選、野党の圧勝
 ──浮かれる野党に期待できず


前のメッセージへ           過去のメッセージへ

共産・志位、外交的ボイコットを訴える
バイデンや安倍ら反動派と一緒になって
2021年12月17日


        
 共産党の志位委員長は13日、来年2月の北京冬季五輪について、外交的ボイコットを政府に求める声明を発表した。
        
 声明は、中国政府による人種抑圧・人権侵害を挙げ、「五輪の開会・閉会式に政府代表を派遣することは、中国での人権抑圧の黙認となりかねない。日本政府は、政府代表を送るべきではない」と主張。「日本政府は、中国政府に対して、従来の及び腰の態度をあらため、国際法にもとづく冷静な外交的批判によって、人種侵害の是正とオリンピック憲章の順守を求めるべきである」とも訴えている。
        
 北京五輪を巡っては、中国との対立を深めつつある米バイデン政権は、新彊ウイグルでの抑圧や香港での〝自由・民主的権利〟剥奪などの問題を挙げ、それに対する抗議として各国に政府代表不参加=外交的ボイコットを呼びかけてきた。
        
 これに対して、日本では与党自民党でも安倍、高市ら反動派はバイデンの呼びかけに同調する動きがあるが、岸田は「適切な時期にオリンピック・パラリンピックの趣旨・精神などを諸般の事情を総合的に勘案し、国益に照らして自ら判断する」といまだどうするかの態度を保留している。
        
 日本にとって最大の貿易相手国である中国の反発を考慮すれば、簡単にバイデンに同調するという訳にはいかないからである。
        
 北京五輪の外交的ボイコットは、中国政府の人種差別、人権抑圧に反対するためだというが、米国に中国を非難する資格があるだろうか。
        
 米国は国内では黒人をはじめヒスパニック、アジア系など有色人に対する差別が横行しているし、海外でもパレスチナ人民に対する軍事的弾圧、占領地域の植民化などを行っているイスラエルやキリスト教徒弾圧を強めているインドやパキスタンなどと友好関係を結んでいるのであって、中国政府の人種差別、人権抑圧を非難する資格はない。
        
 北京五輪の外交的ボイコットの本当の狙いは、米国の世界覇権を脅かす存在になっている中国を孤立化させ、国際社会で優位を維持することである。
        
 共産党声明は、こうしたバイデンの帝国主義的な野望について一言の批判もなく、「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進」を謳ったオリンピック憲章を持ち出して、中国で開催される五輪に政府代表を派遣することはオリンピック憲章に違反し、中国の人種差別、人権侵害を「黙認」することだとして、日本も断固外交的ボイコットを行えと叫んでいるのである。
        
 五輪が世界平和と友好のための「祭典」というのはブルジ ョア 国家が振まいてきた幻想であって、実際的には国家にとっては何兆円もの莫大なカネ(国民の税金)を投じて、国威発揚、 愛国主義、国家主義の宣伝の場であり、資本にとっては報道、関連施設建設など金儲けのための一大イベントなのである。それゆえに労働者は五輪そのものに反対である。
        
 労働者は、中国習政権の独裁政治、人民の抑圧、新彊ウイグルなどに対する弾圧に断固反対する。だがそれは世界から一切の抑圧、差別を一掃し、平等で搾取のない社会を目指す労働者の国際的な連帯の立場からであって、五輪とは関係ない。
        
 ところが共産党は、五輪憲章をもちだして、オリンピックを有意義で神聖な国際的な行事であるかに言って、憲章の精神を汚す中国に政府代表を派遣するのはけしからん、日本政府もためらうことなく政府代表の派遣を取りやめるべきだと訴えているのである。
        
 こうした共産党の立場は、バイデンや安倍らの反動的なキャンペーンを脇から支えることである。ここにも志位労働者の国際主義を捨て去った志位共産党の ブルジョア的腐敗堕落が暴露されている。    (T)
        

「政策立案型政党」へ
堕落深める立憲民主党
2021年12月10日


        
 泉新代表は、今後の立・民の方向について「『批判ばかり、追及ばかり、反対ばかり』と言われがちだが、政策論戦で、改革を進める 政党をというイメージを持っていける努力をしたい」と「政策立案型政党」への転換を掲げた。
        
 泉は代表就任後初の国会代表質問で、立・民について「『国民に寄り添う』『地域に寄り添う』『公助が発揮される政府』さらに『分権・分散型』『自由』『多様性』を掲げる政党である」ことを宣言。その立場から国会では、行政、政治を監視、是正していくとともに、課題解決の具体策を提案していく「政策立案政党」であると表明、17項目の政策提言を行った。
        
 例えばコロナ経済対策では、18歳以下への10万円の給付について、クーポン付きではなく全額現 金給付にしたらどうか、事業復活支援金にいて「店舗ごとに支給」にしたらどうか、経済対策として、中小企業の正社員を増やすためには企業の社会保険料負担を軽減したらどうか、金融課税引上げについて、一挙に引き上げが無理なら段階的にすべき等々。
        
 泉の提案は、10万円支給のバラまきや富裕階級が労働者・働く者の窮状をよそに税負担でも優遇されてきたこと、不安定・低賃金の非正規労働者が放置されていることに対する批判はなく、ただあれこれの「是正策」を並べ立てているだけである。
        
 その一方では「桜を見る会」、公文書書き換え、学術会議会 員拒否などについて一言の追及もなかった。こんな論戦は自民政府にとってもなんの打撃ではない。早くも、「政策立案政党」への転換は馬脚を現した。
        
 また泉は、「常に自民党と闘っている政党とみられた。国民に何を届けるかが大事だが、ともすれば自民党の方ばっかり見て対抗し、国民に対する説明、発信が弱くなっていた」として「野党合同ヒアリング」を見直すという。
        
 「合同ヒアリング」が始まったのは18 年、立・民、民進、希望、共産、社民など野党6党が集まって「働き方改革の虚偽データ疑惑」などについて「ヒアリング」を行ったのがはじまりである。その後もイラク日報隠匿問題、加計学園をはじめ、桜を見る会、公文書書き換え、学術会議会員拒否などなど続出、そのたびに「ヒアリング」が行われてきた。
        
 「ヒアリング」は政府・自民は言を左右してごまかしたり、虚偽の答弁をしたり、国会の会期期限切れを理由に国会審議を拒否するなど本来国会で審議されるべき問題を拒否し、闇に葬ろうとする自民・政府への対 抗策であり、──野党の「ヒアリング」が多分にパフォーマンス的なものであったとしても──止める理由にはならない。ここにも、「反対党」から「問題解決政党」(=「政策立案型政党」)への転換の本当の意味が暴露されている。
        
 野党だからと言って、政府に対して「反対」ばかり言っていればいいということにはならない、反対ならそれに代わる政策を提案するのが野党の在り方だ、ということは、政府への批判を封じたり、政府との協調政治を正当化するためにこれまで自民や国・民によってさんざん言い古されてきたことだ。
        
 国・民は、衆院選が終わった後の11月4日、役員会で「立・民、共産・社民らと一緒に行ってきた国会対策から離脱し、引き続き「野党合同ヒアリング」に参加しないことも決めた。
        
 玉木代表は、「合同ヒア リング」への不参加について次のように言う。「最近はどちらかというと、役所の皆さんを公の場でつるし上げるような印象を持たれることもあったので、それよりもむしろ、聞くべきところはクローズな場でしっかり聞いて、引き出すものを引き出した方が、政策の実現や、政府のおかしな点を是正していくことにより効果があるのではないか」(111・1・55)。
        
 国・民は公開「ヒアリング」は官僚つるし上げで建設的ではない、それよりも個別に「クローズドな場」(密室)で政府と話しあった方が効果があるからやめることにしたというのだ。なぜ「ヒアング」を止めるというのか、語るに落ちたというべきだ。
        
 資本の体制の根本的な変革を目指す労働者の階級政党にとって、「反対政党」であることは当然であって、なんら言い訳は必要ない。
        
 労働者の革命政党は、労働者・働く者の生活防衛・改善のための「改良」の要求を否定しない。しかし、資本の体制の下での改良は一時的であり、労働者の・働く者の窮状の根本的解決ではないことを明らかにして、それにとどまることなく、労働者・働く者が資本の体制の克服のために団結して闘い抜くことをよびかけるのである。
        
 ところが立・民泉は、反対ばかりいって、政策を提起してこなかったことが、衆院選敗北の理由であったとして、「政策立案型政党」に転換していかなくてはならないと言うのだ。だが、反省すべきは、「反対」の姿勢を貫こうせず、岸田と同じような「『一億総中流』社会の実現」などのスローガンを掲げ、自民とバラまきを競ったということだ。
        
 (ついでに言えば、共産の志位は「『野党は批判ばかり』というのは事実まったく異なる」として1人10万円の特別給付金の支給などをあげ、「どれも野党が提案し、実現したものだ」と弁解している。問題は共産も含めて野党の運動が生活給付金支給を「生活安定」策として美化し、政府とバラまきを競っているということである。口先では「社会主義・共産主義」の党を語りながら、自民や国・民らによる「反対政党」という批判に恐れをなし、恥知らずにもあれこれの改良策を並べ立て言い訳する志位の発言は、共産党のブルジョア的腐敗を暴露している。)
        
 立・民の「政策立案型」への転換は、党の「再生」ではなく、国・民や維新、自民をつけあがらせ、党の衰退を進めることになるだろう。  (T)
        

共産党志位の泣き言
「共闘」が全てで、労働者に依拠せず
2021年12月3日


        
 共産党志位は、衆院選を総括して、「野党共闘で政権交代をはじよう」と訴えた衆院選の闘いは「歴史的意義を持つもの」と自画自賛している。
        
 しかし、共闘の相手である立・民は枝野代表が衆院選の敗北の責任を取って辞任、替わって泉が新代表となった。泉といえば、17年に小池の希望の党に参加、翌年民進党と希望の合流で国・民党員となり、国対委員長を務め、20年に新たに結党された立・民に合流した人物。そしてその前の民主党や民進党時代には、代表選では後に自民党に鞍替えした前原や細野を候補者として推す推薦人に名を連ねた、生粋の右派の人物である。
        
 その泉新代表は、立・民のこれからの運動について、これまで「反対ばかり言っていて、具体的政策を国民に示さなかった」、「反 対型政党」から「政策立案型政党」に転換する、また共産党の閣外協力を取り決めた「共闘」についても、衆院選だけのことと、今後継続する意思のないことをにおわせている。
        
 これに対して志位は、共闘は公党同士の「合意」で、共産党は「合意」を守っていくと古証文を持ち出して立・民に縋(すが)り付いている。
        
 というのは、志位共産党にとって、閣外協力を決めた「合意」を止めることは、志位共産党の「共闘」路線の破綻を意味するからだ。
        
 志位は、「いまの選挙制度(小選挙区制のこと)のもとで政治を変えるには共闘路線しかありません」(第4回中央委 報告)と言っているように、自公政権を倒すには自分たちの闘いだけではどうしようもできず、立・民など野党の共闘がなければ不可能だと考えているからだ。
        
 自公候補者を追い落とすためには共闘は一定の効果を発揮したというのは事実である。しかし、例え、共闘によって「野党連合政権」が出来たとしても、それが泉のような政治的立場の政党の連合であったとしたら、労働者の未来の展望を切り開く政府とはなりえない。
        
 そんな連合政権は、これまでフランスの1936年の人民戦線政府をはじめいくつもあるし、日本でも1973年の細川の8党連合政府がある。これらの政権は、労働者の階級闘争を発展させる契機とはならず、反対に内部の利害対立や政策の行き詰まりで自ら崩壊し、ブルジョア政権の復帰をもたらした。
        
 小選挙区制の下では共闘しか政治を変えることは出来ないという志位の共闘路線は、階級闘争を議会で多数をとるための数合わせ、連合政権のための闘いに矮小化する日和見主義、議会主義である。
        
 志位は、枝野立・民との「合意」を持ち出して、その約束を守れと哀願している。しかし、自ら「保守主義者」という枝野にしても、共産党との共闘を自党の候補者を当選させるための一手段程度に しか考えていなかった(実際、選挙では共産党とならんで訴えることを嫌い、自分の演説が終わるとさっさと宣伝カーから降りるとか、政権樹立後の共産党との協力関係についても曖昧にした等々)。
        
 立・民の議員の中には立・民だけでは勝てないから「共産党が勝手に候補者を降ろしてくれればいい」と思っている議員も少なくない。志位だけが閣外協力の「合意」を持ち出して、共闘の「歴史的意義」とか「大儀」といって騒いでいたのである。
        
 小選挙区だから共闘でしか自民党に勝つことが出来ない、闘いを発展させることが出来ないというのは日和見主義者の泣き言である。共産党は労働者に依拠するのではなく、頼みとするのは平和主義的市民主義派や小ブルジョアである。
        
 労働者の革命政党にとって、労働者の独自の階級的闘いが根本であって、ある場合には他党派と「共闘」する時があったとしても、それは階級闘争を進め、発展させるためであって「共闘」との「共闘」する時があったとしても、それは階級闘争を進め、発展させるためであって「共闘」が全てではない。ところが志位にとっては「共闘」が全てである。
        
 泉立・民に「共闘」継続を哀願する志位の「共闘」路線は、労働者の階級意識を曇らせ、闘いを解体している。  (T)
        

労働者の闘いの後退を招いた野党共闘
衆院選で岸田政権延命ばかりか維新躍進
2021年11月3日


        
 衆院選結果は大方の事前予想を裏切って、岸田自公政権のほぼ現状維持、野党共闘派の敗北となった。政権交代はできないまでも、自公政権によって痛めつけられてきた人々が自民や公明に鉄槌を食わせるだろうと思われていた。
        
 実際、自民党の選挙責任者だった幹事長の甘利は選挙区で敗退し、比例で復活したものの幹事長辞任に追い込まれたし、石原派首領の伸晃は比例復活もなく議員の地位を失ったり、現職閣僚の選挙区敗退もあった。しかし自民惨敗は部分的なものに終わり、自民は15議席減らしたとはいえ単独安定過半数の261議席を収め、コバンザメ政党の公明も微増の32議席で済んだのだった。
        
 だが、「政権交代で命を守る」と叫んでいた野党共闘派の敗北は広範であり総体的であった。比例での得票総数で見るなら、自民が前回衆院選から136万票増やしたのに対して、前回の立・民と希望合計と今回の立・民と国・民合計の差は667万票(立・民が再編されていることもあり、国・民は野党共闘に加わっていないが立・民と政策協定を結んでおり、元民進党の傾向を評価するために加算した)、共産も24万票減らした。野党共闘派は大言壮語していただけに無様であり、立・民も共産も議席を増やすどころか立民が14議席、共産が2議席減らす始末であった。
        
 れいわが2議席増やしたといっても、MMTによる財政膨張政策を振れ回り、デマゴギッシュなポピュリズムで困窮した人たちをたぶらかしたに過ぎず、労働者階級の解体状況が示されたのであって、野党共闘派の選挙戦は労働者の階級的な闘いを前進させるどころか、資本の支配への批判的意識を麻痺させ、自公や維新といった反動的な勢力がのさばることを助けたのである。
        
 維新の躍進について、与野党で唯一「改革」(維新流の行財政改革のことであり、大阪で行われたように公務労働者や医療労働者の削減であり、また社会保障費の削減に帰着する)を押し出したことや、自民らと一緒になって、野党共闘派の日米安保同盟に対する立場の違いを批判し、保守層の取り込みが出来たからだというマスコミや評論家のお喋りは、自民が「看板」を替えたから持ちこたえたといった類と同じであり、真実は野党共闘派が自公政権を徹底的に追い詰められなかったことの結果であるに過ぎない。
        
 経済政策に顕著だったバラまき政策で与党と競うような、目先のカネで人気取りしようという、労働者がまともには支持できないような野党共闘派の政策への反発があったことを確認するべきである。野党共闘の共通政策で、「格差と貧困を是正する」ということについて、「低所得層や中間層への再分配を強化する」ことが謳われ、消費税減税や給付金といった分配政策を競ったが、岸田自民の「分配政策で分厚い中間層を再構築」と重なり、財源を巡って具体的な突っ込んだ論戦はみられず(「国債依存」がまかり通った)、対立軸は鮮明にならなかった。こうした主要な争点において野党共闘派には軍配が上がらなかったということである。
        
 外交政策については、野党共闘の共通政策では日米安保体制についての立場は不問とされ、「アジアにおける平和の創出のためにあらゆる外交努力を行う」というあいまいなものであり、米中対立の深化が帝国主義同士の争いであることなどまったく問題にされず、軍国主義一掃すら打ち出せず、ブルジョア外交の追随でしかなく、争点にすらならなかった。
        
 開票結果について枝野は臆面もなく、「野党共闘は一定の成果を上げた」と強がっていたが、党内から惨敗の責任を問う声に辞意表明せざるを得なくなった。一方、共産志位は「広い国民に伝えきるという点で、十分とは言えなかった」と反省の弁を述べたが、「わが党の力不足」だとか、「声が届いたところでは共感を広げた」などと、中央指導部の野党共闘路線の破綻を認めず党員を叱咤し、立・民などとの共闘によって組織的闘いが後退したことを隠し、共産の無責任な官僚主義を暴露した。
        
 今回の衆院選では、野党共闘がもてはやされたものの、蓋を開けたら自公政権を追い詰めるようなものではないばかりか、反動派を勢いづかせる結果であった。野党共闘が自公政権を追い詰めるためだと、自民党とバラまきを競うような闘いをしたことの罪を自覚するべきである。労働者の階級的な闘いなくして労働者の歴史的な勝利、すなわち労働からの解放を勝ち取ることはできないのだ。 (岩)
        

共産党は誰とシンクロしているのか
ブルジョア社会政策に追随する志位
2021年10月24日


        
 共産党志位委員長は、21日に開かれた衆議院選の千葉県党決起集会の演説で、「政治論戦の圧倒的リードに自信と確信を持ってたたかい抜こう」と訴え、次のように述べている。
        
 「岸田首相が『成長と分配の好循環』を言い出した。この議論にどう切り込んでいくのか。『分配が先か、成長が先か』─ニワトリが先か卵が先かというような抽象的な議論は何の意味もありません。分配の中身がゆがんでいる。大金持ちと大企業が分配を独り占めしてしまい、庶民の暮らに分配が回らない。『トリクルダウン』は起こらない。これが問題なのです。そこをズバッと指摘しているのが共産党です」。
        
 「私たちは『新自由主義からの転換』を訴えています。この流れは日本共産党だけじゃなくてヨーロッパでも、アメリカでも起こっているのです。……(バイデン大統領は)「1%の富裕層と米財界に公正な負担を」と言いました。……私は、党首討論で、この問題を紹介して、岸田首相に『良いことは学んだらどうですか、ぐずぐずしないで』と言いましたが、そういう変化が起こっている。」「私たちこそ世界の本流に立った選挙戦をやっている。世界と共鳴してあってたたかっているという誇りを持って頑張ろう」。
        
 新型コロナの世界的な流行の中で、生活困窮者への「分配」は日本だけでなく世界的な流れではある。しかし、米帝国主義の頭目であるバイデンを持ち上げて、「バイデンに学べ」などと言っていいのか。
        
 バイデンの子育て支援や失業者救済などの「所得再配分」政策は、貧富の格差の拡大、貧困層の増大など「社会的な分断」と言われるような資本主義の矛盾の深まりに対して、貧しい人々に対して国家の施しをばら撒くことによって、資本の支配に対する不満や怒りをそらせようとするブルジョア政策でしかない。
        
 「分配の是正」とか「小さな政府から大きな政府への転換」などは、世界のブルジョアの共通のスローガンとなっており、「それとシンクロしてたたかっていることに誇りを持って頑張ろう」となど言うことは、ブルジョア追随でしかない。
        
 そもそも「分配」が問題だとして、労働者に「分配」を是正することで生活の抜本的な改善があるかにいうことは、労働者の闘いを資本主義の改良に歪め、解体することである。
        
 分配は生産諸条件から独立したものではなくて、生産諸条件の結果である。資本主義の下では生産手段を所有しているのは資本であり、これに対して労働者は労働の担い手として労働力の所有者であるにすぎない。労働者の労働は富を生み出し、社会を支えているにもかかわらず、労働者の受け取るものは労働者とその家族が生きていくだけの価値にすぎず、あとは資本の利益として配分されているのである。
        
 労働者への「配分」が多くなったとしても、それは恒久的ではなく一時的であり、不況(恐慌)になれば吹っ飛んでしまう。資本は利潤のために、非正規労働や女性労働者などを差別している。「平等」を謳いながら労働者からの搾取で生きている資本は差別をなくすことは出来ないのだ。
        
 資本主義の下では労働者の生活の安定はない。労働の搾取を基礎とし、利潤獲得を目的とした資本による無政府的な生産こそが、労働者の生活の不安定、困窮の根本的な原因である。
        
 生活困難や失業、差別に対して、労働者は賃金や待遇の改善、生活支援を求めて闘う。しかしそれは生活の防衛のためであって、「(資本主義を)経済をよくする」(志位)ためではない。
        
 一切の差別の撤廃、搾取の廃絶こそ労働者の根本的要求である。この労働者の根本的な要求をないがしろにし、自民党と「分配」を競い、「分配の是正」によって、資本主義経済を「よくする」とか「経済発展をもたらす」などということは、労働者の闘いを腐らせ、解体させることである。 (T)
        

自民党とバラまきを競う立・民
年収1000万円以下の所得税免税提案
2021年10月15日


        
 立・民は衆院選に向けて、新型コロナ禍で打撃を受けた人への生活支援策として、年収1000万円以下の世帯に対して、1年間の期間限定付きで所得税免除を選挙公約として掲げている。これは本当に生活支援に役立つのか。
        
 立・民は生活支援であるとともに、生活不安を軽減する一方、消費支出への手控えを防ぎ、景気浮揚にも役立つとアピールしている。だがこれは本当か。
        
 まず、年収1000万円以下の人はどのくらの数なのかをみよう。
        
 国税庁の調査によると2019年度の給与所得者は5200万人、そのうち年収1000万円を超えるのは僅かに4・8%である。そして、給与をもらっている所得税を年収別に見ると、合計10兆7737億円のうち、この階層の人が負担した割合は全体の53・4%となっている。したがって、年収1000万円以下の給与所得者約4950万人が5兆205億円を負担したことになる。
        
 所得税の計算は控除する分があって複雑だが、年収が300万では約5・3万円(扶養者なし)、400万円では8・4万円(同)で、1000万円だと約80万円である。つまり、年収の低い3、4百万円の労働者は所得税が免除されても5万余円とか、8万円程度の負担軽減にしかならないが、高額の1000万の収入のあるものは80万円もの軽減になる。
        
 昨年の民間給与実態統計によれば、新型コロナによって年収はさらに悪化し、昨年の正規雇用者の平均給与は男性で550万円、女性で384万円であった。一方、非正規では男性228万円、女性は153万円である。最も生活苦に陥っているのは、新型コロナによって解雇され収入を得られなくなったり、収入が大幅に減少した人々である。こうした人たちに対して「経済支援」だといって所得税を免除(しかも1年限りで)するといっても助けにならない。
        
 生活を支援するというのなら、まず年収300万円にもならない非正規の労働者や500万円程度の労働者である。ところが立・民の所得税免税方式によれば、年収の低いものは税の免除額は小さく、高い者ほど免除額が大きくなる仕組みである。
        
 いったい、収入1000万円の人の所得税80万円を免除する必要があるだろうか。1000万円の収入があれば、社会保険料や住民税を差し引いて手取りは約720万円度にはなる。5~8万円程度の税負担軽減にしかならない低収入の労働者に比べてあまりにも差がある。
        
 枝野は所得税の免除方式について、「給付よりも圧倒的に行政事務費が少なく、迅速に行える」と強調しているが、収入の多い者ほど恩恵を受ける所得税免除方式を正当化する理由にはならない。
        
 所得税免除によって5・5兆円の税収が少なくなるが、立・民の計画によれば全額国債(借金)で賄う計画だという。これも巨額の赤字を抱えている国家財政を省みないあまりにも安易で杜撰なやり方だ。これは問題の解決策ではなく、結局は増税として労働者・働く者に負担がかかってくることにしかならないだろう。
        
 減税による税収不足分を借金で埋めて、消費税を半額の5%にするという提案も同じだ。もともと、消費税5%を10%にすることを言い出したのはかつての民主党である。膨張する社会保障費と借金のために窮地に陥った民主党は、消費税引き上げ反対の公約を反故にした。消費税増税は安倍政権によって行われたが、状況は当時と変わらず、むしろ一層悪化しているにもかかわらず、何の反省もなしに5%に戻すのは無責任、無定見極まりない。
        
 岸田は、数十兆円予算増額による景気振興とか賃上げ企業に対する政府援助など再分配による経済発展を叫んでいるが、結局は借金頼みのバラまき策でしかない。立・民も「分配なくして成長なし」とか「消費の拡大による経済成長を実現して」「一億総中流社会」の復活などと自民党と同じようなスローガンを掲げ、岸田とバラまきを競っているのだ。
        
 困窮する労働者・働く者が政府に生活支援を要求するのは、生活の防衛のためであり、低迷する経済の建て直しとか資本主義経済の発展のためではない。労働者・働く者の困窮の原因は資本の搾取であり、資本の支配が続く限り、それから解放されることはない。資本主義経済の再建、発展のためにどちらの政策が相応しいかを自民党と競う立・民に未来はない。 (T)
        

自浄できぬ姿示す自民党
悪習断ち切れない岸田総裁
2021年10月2日


        
 自民党総裁選において、岸田は早々と安倍の腐敗政治との決別に後ろ向きな姿勢を明らかにしたし、改革派気取りであった河野も、原発安全神話の分厚い壁の前にたじろぎ、原発ゼロを押し通すことができなかったし、反動の高市は敵基地能力無力化という先制攻撃準備や首相の靖国参拝実行など恥ずかしげもなく触れ回った。
        
 総裁選における論争を通じて、様々な論点があったが、河野は年金問題で基礎年金を税金でまかなう提案を押し出したことが非現実的として支持を落としたり、原発政策における核燃料サイクルを否定して原発への否定的な姿勢を示したりして、党内で河野を押し上げようとした動きは弱まった。
        
 一方のトップ争いの対抗として岸田は「新自由主義からの脱却」や「あたらしい日本型資本主義」など野党でも喜ぶような(つまり選挙で野党が無力化するように)言葉を並べ、「令和版所得倍増計画」というような絵空事の経済政策で、安倍がトリクルダウン(上層からのおこぼれで下層にも富がしたたるという戯言)でまやかししたことを焼き直しして支持拡大を狙った。
        
 岸田は安倍や菅の政策を批判することなく自分らしさを押し出そうとしたが、行き詰まり問題が噴出していることの責任を語らないことで、党内の支持をかき集めたにすぎない。
        
 結果は2回目の決選投票で岸田が選出されたわけだが、1回目の投票から岸田がトップに立ち、事前に言われていた党員票を多く獲得して〝改革派〟の河野がトップになって選挙の顔になるのではという大方の〝読み〟は外れた。
        
 1回目の党員票が過半数に達しなかった(381票中169票で44%)ばかりか、議員票においては安倍傀儡の高市にさえ後れを取り、岸田が146、高市114、河野86であった。決選投票結果は岸田257に対し河野170で、「勝ち馬」に乗ろうというさもしい議員たちによって岸田が勝利を手にした(決選投票での党員票では39対8で河野票が圧倒していた)。
        
 今回の総裁選は、菅政権への支持率低下に見られたように、このままでは選挙に勝てないという危機感からの〝菅外し〟であり、9年に及ぶ安倍・菅政治を総括して、その路線を改めることができるかどうかが問われていた。
        
 しかし、〝キングメーカー〟としての安倍や麻生の存在感や派閥の思惑によって、岸田が選出される結果になったことは、自民党に〝自浄能力〟がなく、資本の支配による矛盾の深化に対して、労働者、働く者を苦しめる政治を強めることで延命しようとするだけであることを示した。
        
 総裁になった岸田の役員人事は、幹事長にUR汚職の甘利を据えたことに見られるように、腐敗政治の継続であり、反動的な自民党が権力を専横することであり、資本の利益を最重視することであり、一刻も早く歴史の舞台から降りてもらいたいという気持ちを、多くの労働者、働く者は強めたのではないだろうか。そうした健全な労働者、働く者の意志を一つの大きな力に、労働の解放をめざす旗の下に結集していくことこそ、先進的な労働者の課題である。 (岩)
        

総裁選で暴露される自民党政治の腐敗
階級的な闘いとして前進することが大事
2021年9月17日


        
 自民党総裁選は野田幹事長代行も立候補することになり、国会議員票と党員・党友票の合計766票で争われる1回目の投票で河野が過半数を獲得できるかどうか、決選投票になった場合、河野と岸田で国会議員票と47都道府県連1票ずつの合計430票でどんな結果になるか混とんとしています。
        
 自民党は菅の不人気を挽回して、総選挙に勝てる総裁を選出しようというのですが、菅のやってきた政治は自民党政治そのものであり、自民党に対する根本からの批判的総括が必要です。自民党にそんなものは望めませんが(自己否定に繋がる?)、既成野党にしろマスコミにしろ、まったく表面的な論評しかできていません。
        
 コロナ対策で顕著に見られた後手後手対応や経済優先(五輪優先には名誉欲もあったでしょうが)というのは、自民党政治がブルジョアの利益(観光資本といった狭いものでなく、医療資本や産業資本全体の利益)を最優先にするために、目先の利害で政策判断をして来たからです。総裁選での対立の背景には、感染症対策の基本を蔑ろにした菅自公政権へのブルジョアからの批判もあります。
        
 「命を軽視した」という批判をよく聞きますが、「命」を抽象的に語っているだけで、資本家の命と労働者の命の違いを踏まえれば、「資本家の命は重視してきた」とも言えるのです(実際、菅でさえ「命を守るため」の政治が大事と言っています。菅を「うそつき」と非難するのはいいですが、階級的闘いを前進させることが重要です)。
        
 資本家にとって利潤の源泉である労働者の命も欠かせないものであり、そうした利害から労働者の命を重視しているだけであって、資本家は賃金奴隷なしでは生きていけない支配者という存在でしかありません(賃金制度は〝等価交換〟に基づいていますが、本質は剰余価値を搾取する〝不等価交換〟です)。
        
 自民党内の権力闘争に堕した総裁選に、賢明な労働者はうんざりしていますが、総裁選は総選挙に向けた前哨戦でもあります。総裁選候補者の公約は選挙公約に繋がるものとして押し出されており、そうした意味からも総裁選で誰がどのように勝利するかで、今後の闘い方は基本的には変わらないとはいえ、具体的に検討しなくてはなりません。
        
 アベノミクスでさえ、未だに持て囃されており(黒田日銀も存続しており、なにより帝国主義国としての腐朽化という基盤があります)、日本資本主義の行き詰まりをいかに脱却するか展望のないブルジョア的論調ばかりですが、総裁選告示で候補者の論戦が行われ、特徴が鮮明になっていく状況です。押し出されてくる政策に対して、労働者の立場からの鋭い批判を突きつけ、ブルジョアジーの支配が今や歴史的に変革されるべきであることを示していきましょう。
        
 最後に総裁候補に名乗りを上げ、9月10日付け党HP巻頭言や9月17日付け党ブログで論及していない野田は、「小さき者、弱き者、その人たちを奮い立たせるような政策がなかなか見つけ出すことができなかった」、「次の日本を作るためにこれまで主役になれなかった女性、子ども、高齢者、障害者、しっかりとこの社会のなかで生きていける、生きる価値があるんだというそういう保守の政治を自民党の中でつくりあげていきたい」と述べています。
        
 選択的夫婦別姓制度導入について、2002 年に「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」を主導し、自民党法務部会に議員提案として「民法の一部改正に関する法律案」を提出したり、不妊治療体験から国会議員として、生殖医療に取り組み、少子化問題にも目を向け、2002 年秋ごろ、少子化対策を「特に力を入れたい政策課題」と表明。小泉政権の少子化対策について、「百点満点で十点」と酷評した (ウィキペディアより)ということです。
        
 反動派から見れば野田は「改革派」なのかも知れませんが、「小さき者、弱き者」が生きづらい社会であることの科学的な認識を深めることなく、弱者を〝拡大再生産〟する資本の体制維持をモットーとする自民党政治で要職を重ねて来ており、「保守の政治を自民党の中でつくりあげていきたい」という意思表明を見るならば、権力政治に芯まで染まったブルジョア政治家であると断ずるしかありません。
        
 総裁各候補のブルジョア性を暴露し、労働者の自公政権との闘いをさらに発展させましょう。   (岩)
        

自民党総裁選の茶番
岸田、高市、河野らの主張は笑止千万
2021年9月10日


        
 自民党総裁選を前に、無為無策の新型コロナ対応への国民の不満、怒りが集中して、総裁選への出馬断念に追い込まれた菅首相の後釜(自民党総裁になれば首相になれると計算している)をめぐって、候補者たちの争いが始まっています。候補者の受付締め切りは17日ですが、すでに立候補を明らかにしているのは岸田、高市、河野の3人です。
        
 岸田は8日の記者会見で、「所得倍増」を謳うと共に、中間層の拡大、子育て世代の支援などをまとめた経済政策を発表しました。
        
 岸田は「格差拡大」が広まっているとして、「小泉構造改革以降の新自由主義政策を転換」し、「中間層の拡大」のために、「所得倍増」を謳っています。
        
 「所得倍増」というと、1960年、岸内閣が60年安保の強行採決で倒れたのちの池田内閣が、「所得倍増」計画を打ち上げ、安保でぐらついた当時の自民党政権がたちなおったことを思い起こさせます。
        
 岸田がこの顰(ひそみ)に倣ったのかどうかはわかりませんが、当時と現在とは決定的に状況は違います。当時は、日本資本主義が敗戦の打撃から回復し、これから経済の「高度成長」の時代を迎える時期でした。
        
 しかし、現在は、1990年代初頭のバブル崩壊以降、30年もの長い間、経済停滞が続いてきたことに示されているように、日本資本主義が退廃、停滞し、その矛盾が深刻となっている時代です。岸田にとっては「夢よ、もう一度」ということかも知りませんが、時代錯誤も甚だしい限りです。
        
 実際、「所得倍増」をどうやって実現するというのでしょうか。岸田は安倍政権による大規模な金融緩和、巨額の財政支出、成長戦略の3本柱を維持し、「新しい日本をつくる」とアベノミクスの継承を謳っています。
        
 「アベノミクスによって企業収益は上がり 、経済は間違いなく上がった」などと言っていますが、アベノミクスの恩恵を受けたのは大企業や金持ち階級であって、労働者の生活は一層困難にこそなれ、よくなったということはありません。
        
 安倍は実質経済成長2%を約束しましたが、2013年1~3月から2020年1~3月(コロナの影響が現れる前)の6年間の国民総生産の成長率は僅か1・8%にとどまりました。そして消費増税などによって、労働者の実質賃金は1・5%も低下しました。
        
 安倍は金融緩和、財政支出の増加によって経済成長を促すと言いましたが、その結果政府支出が国民総生産 の約4割を占めるようになりました。
        
 日本経済は国家の財政支出だのみになり、政府の借金は積もりに積もって、2020年までの基礎的財政収支(国債費を除いた予算の全体)をゼロにするという、国民との約束は反故にされたのです。
        
 破綻したアベノミクスを継承して「所得倍増」とか「新しい日本をつくる」などというのはまったくの空約束、ペテンでしかありません。
        
 岸田は、安倍の国家財政を私物化し、官邸ぐるみの文書改竄を行った森友学園問題について、2日の記者会見では「調査が十分かどうかは国民側が判断する話。国民は足りないと言っている」と発言しましたが、総裁選に出馬を決定した7日の記者会見では、「すでに行政において調査が行われ、報告が出されている。司法において今、裁判が行われている」ことを理由に「再調査は考えていない」と前言を翻しました。
        
 党内の安倍派の支持をとりつけ、総裁選を有利にしようとする魂胆が見え見えです。岸田にとっては総裁の地位を獲得することが第一なのです。
        
 安倍の支援で出馬した高市は、「アベノミクス」まがいの経済政策を掲げ自分の名をつけて「サナエノミクス」と称しています。そして全く意味もなく、すでに破綻が明白な「2%の物価上昇」が達成するまで、「アベノミクス」の3本柱の経済政策を推進していくと言っています。
        
 その一方で、「新たな戦争への対応」が必要だとして、「迅速に敵基地を無力化することができた国が自分の国を守ることが出来る。安倍内閣の時は、敵基地先制攻撃と呼ばれたが、私は敵基地無力化と申し上げたい」と発言、サイバー反撃などを含め、法整備や軍事研究費の増額に取り組んでいきたいなどと、一層軍備増強を推進していくことを訴えています。
        
 公共部門の縮小・民営化、社会保障の縮減など「新自由主義」政策で多くの労働者の職を奪い、労働運動を弾圧した英国のサッチャーを「信念の人」と信奉し、「日本のサッチャー」となることを気どる高市は、集団自衛権の〝合法〟化を認める安保法制の実現など、日本の軍事大国化を推し進めた安倍の反動政治の継承を最も強く打ち出しています。
        
 河野は、これまで「脱原発」を掲げていましたが、「再生可能エネルギーを最優先に取り入れるのが基本だが、足らない所は安全が確認された原発を当面使っていくことはある」と見解を変えました。
        
 また女性天皇についてもこれまでの「ありうる」という、それを認める見解から「男系で続いているというのが日本の天皇の一つのあり方」と軌道修正しました。
        
 これは、総理になるために安倍ら党内に根強い原発存続派や男系天皇制を主張する保守派の票をかき集めるためだとするなら、河野もまた信念のない権力亡者であると評価されるでしょう。
        
 今問われているのはたんに新型コロナ対策だけではありません。安倍・菅政権の下で、国家財政への経済依存が進んだことに見られるように、経済の寄生化は一層深まり、その矛盾は格差拡大、貧困の増加などとして現れています。
        
 そして森友・加計学園問題のような国家財政の私物化、汚職など政治腐敗が広まっています。その責任は安倍・菅にとどまりません。総裁選に出馬する岸田、河野、高市もまた同罪です。彼らは安倍・菅政権の閣僚あるいは役員として、反動政治を推進してきたのです。自民党の総裁選は党の顔をすげ替え、政権の延命を図るための茶番にすぎません。
        
 腐敗し、反動化する自公政権に対する労働者の怒りを結集し、労働者の階級的闘いを発展させていきましょう。  (T)
        

横浜市長選、野党の圧勝
浮かれる野党に期待できず
2021年8月25日


        
 横浜市長選は、野党候補の圧勝に終わった。序盤の焦点はIR(カジノ)で、自民の小此木がやや有利と見られていたが、後半ではコロナが焦点となりコロナの専門家を自称する山中の圧勝となった。山中は横浜市18区のうち17区で勝利したが、小此木は自己の衆院選選挙区3区の一部の鶴見区で勝利したに過ぎなかった。
        
 
★市長選に賭けた菅
        
 菅はまさにこの市長選に賭けていた。これまでの重要選挙でことごとく敗北していた菅にとって、地元横浜の市長選で“義兄弟”でもある小此木を、メンツにかけても野党に勝たせるわけにはいかなかった。
        
 彼は総裁の立場も顧みずに、IR誘致を裏切った小此木(自民党は小此木をどう処分するのか?)を当選させるために、恥も外聞もなく電話をかけまくり、また人気者の河野や小泉を宣伝カーに乗せた。その結果の大敗である。
        
 今の自民党は、”菅で衆院選を闘えるか“と大揺れである。打ち続く選挙の連敗でも、菅は厚顔にも総裁選の出馬をあきらめていないが、必ずしも菅の総裁選勝利は楽観できるわけではない。菅に代わり得る立候補者がいるかと言えば、いずれも菅に劣らぬ無能で最低の人物ばかりなのだ。
        
 ★無力の野党
        
 一方野党は、予想外の大勝で、衆院選もこの調子だと浮かれているが、その見通しはそんなに甘くはない。というのも野党連合も“ガラスの連合”で、例の、連合、国・民と共産党とが水と油なのだ。その仲を取り持つ“最大野党”の立・民も支持率6%と、自民党の40%に遠く及ばないのである。自民敗北後の政権の受け皿には、到底なりえないのだ。
        
 野党の諸君は、菅政権のコロナ対応を批判したが、菅らが経済優先(資本の儲けのため)・五輪優先で、医療・保健体制の整備が出来なかった原因を切開せず、表面的な批判や事業者への支援問題などに切り縮め、菅政権を追い詰めることが出来なかった。労働者に依拠して情勢を打開しようとしなかった野党には、政府・自治体の無能無策を許した責任があるのだ。
        
 ★労働者党に結集して闘おう
        
 与党の大敗も、野党連合の頼りなさも、現在の日本政治の頽廃を映し出している。働く者が信頼できる政党が存在しないのだ。菅政権の悪政を止められず、労働者の立場を見失った野党に現在も未来も託すことはできない。
        
 労働者党は、19年の参議院選挙で10人の候補者を立て確認団体として闘ったが、その後の傷は大きく、残念ながら今度の衆議院選挙は見送らざるを得なくなった。一日も早く働く者が信頼できる労働者の代表を国会に送り出し、労働者の闘いを大きく前進させねばならない。労働者の政党に結集して、ともに闘おう!
        
   (神奈川 k)