2004年10月24日『海つばめ』第965号
労働者セミナーの一総括
エンゲルス評価への展望を開く
“全”否定論は退けられる
『資本論』修正の方は擁護する声なく
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「エンゲルスの再検討」をテーマにした、今年の労働者セミナーは、台風の直撃によって若干の日程の変更を余儀なくされたが、五十名近い参加者を結集し、無事終わった。四つのテーマについて、報告を受けて熱心な議論が行われ、エンゲルスの評価について、ようやくその姿が見えてきたというところであろうか。労働者セミナーの簡単な報告を行い、エンゲルス評価の問題、そして今後の課題や展望について考えてみよう。今年のセミナーの特徴は、四つの報告のすべてに対して、決定的で、その根底にかかわるような批判が提出され、報告者、批判者の見地をめぐって激論が闘わされたことであり、そのことによって、より実りあるセミナーになったことである。今年のセミナーについて言えば、まさに“弁証”(dialectic)の意義は大であった、と言えるだろう。
◆批判された報告者の見解
今年のセミナーにおいて、エンゲルスの評価について、しっかりした、いくらかでも“結論的な”評価に到達し、明確な、参加者が納得できる結論が出たとは到底言えないだろう、というのは、四つの報告――いずれも、エンゲルスの観点を批判し、厳しく問うものであったが――について、それぞれ厳しい批判が提出され、そのうちの三つについては、事実上、報告者のエンゲルス批判が必ずしも正しくなく、また正当でもない、という結論が出されてしまったからである。
エンゲルス批判の観点や内容が正しくないというなら、それをもって、エンゲルスの評価とすることはできないのは明白であった。
各報告者のエンゲルス批判の基本的な内容をまとめて言ってみれば、
最初に「エンゲルスの哲学」について報告した杉原氏は、『ドイツ・イデオロギー』や『反デューリング論』などを取上げ、エンゲルスの唯物史観には「私的所有」への批判的観点が弱く、また「生産関係」の概念がない、と批判し、さらに論理学の理解もなく、時間観念でも間違っていたかに主張した。
「エンゲルスの家族理論」について報告した田口氏は、エンゲルスが唯物史観を一貫して人類史に適用せず、せいぜい“有史”の段階に留めていることを非難し、(極端に言えば)数百万年ほど前に、人類がチンパンジーなどの共通の祖先から分かれて、人類として登場したときからずっとそれを適用していないことを、クノーら(そしてまたセミョーノフ?)の理論に依拠して主張したのであった。
三番目に報告した林は、エンゲルスが『資本論』の編集に当って、マルクスの文章に多くの介入、修正を行ったが、その多くが承服し難いものであると主張し、その代表的な一例として、商業信用の説明に「商品による」貸し付けである、とつけ加えたことを非難し、それがこれまで多くの概念的混乱と、“いらざる”議論を触発してきた、と強調したが、これについては、亀崎氏などから、エンゲルスのようにつけ加えても、特に問題があるわけではない(エンゲルス挿入を「支持するわけではないとしても」)、林の議論はすり替えであり、「恥ずべきものである」といった激しい批判が出された。
最後に登場した亀崎氏は、エンゲルスが冒頭の商品を“歴史的な”意味での商品としていることを批判し、それが資本主義的商品であることを強調したが、しかしその意味は、資本主義的生産の流通の直接の表面に現われている商品であると主張し、また宇野学派的な“商品経済史観”批判を持ち出し、商品生産・流通の発展から資本主義的生産は出て来るのではない(封建社会の解体、原始的蓄積から出てくるのだ)、とエンゲルスを批判したので、大きな批判と議論をまきおこしたのであった。
◆唯物史観と「生産関係」
杉原氏のエンゲルス批判は多くの問題にわたっていたので、議論もまたそれを反映し、唯物史観の問題から、経済理論、論理学、時間概念等々の物理学の問題、などにまで広がった。
杉原氏は、『ドイツ・イデオロギー』の歴史的な部分はエンゲルスが書いたものであるが、しかしそこには「生産関係」という概念がない、それはエンゲルスの根本的な限界を教えていないかと主張した。生産関係という概念の代わりに「交通関係」という概念があるが、しかしそれはエンゲルスの限界を示しているというのである。
しかしこうしたエンゲルス批判に対しては、果たして「生産関係」という概念がなかったと言えるのか、歴史的な部分の最後の「共産主義」のところでも事実上、生産力と生産関係の矛盾ということが説かれているのではないか、という批判が出された。
実際、仮に生産関係でなく「交通関係」という言葉を用いているとしても、それが生産関係と同じ意味で用いられているのなら、これは単なる用語問題であって、イデオロギー問題ではなく、エンゲルスが唯物史観を歪めているということにはならない。
そしてまた、商品の生産・交換関係について言うなら(特に、歴史的な商品生産・流通について言うなら)、「交通関係」と呼んで悪いということはない。
杉原氏のエンゲルス批判は、すでに安保闘争の時代に(一九六〇年前後に)、新左翼のイデオローグであった黒田寛一等によって繰り返されたエンゲルス批判と全く同じ旋律で奏でられている、つまり「スターリン主義は客観主義である、そしてスターリン主義はレーニン主義から来ており、レーニンの哲学はエンゲルスの“客観主義”に源流がある」云々というわけである。
黒田はすでに当時から、『ドイツ・イデオロギー』のくだんの個所を取り上げて、そこには「労働者の階級的な」立場や主体性が出てこない、と強調し、エンゲルスを非難してきたのであって、杉原氏のエンゲルス批判はこうしたレベルと同じではなかったのか。主体性哲学者がエンゲルスの唯物史観には「労働者が出て来ない」、主体性がないと叫ぶのと、杉原氏が「ドイツ・イデオロギーでは、生産関係が言われていない」と強調するのと、どれだけへだたっていたのであろうか。
もしエンゲルスが、原始共産主義、アジア的生産様式(古代的生産様式)、古典・古代(奴隷制)、封建主義、そして資本主義という生産様式の発展と交代について述べたとするなら、ここに「生産関係」が、すなわち搾取者と被搾取者の階級関係が出て来ないと言えるであろうか。
黒田のようなエンゲルス批判は、マルクス批判でもあり、だからこそ、彼らはマルクス主義とは全く無関係な、矮小な党派に堕落して行ったのではないのか。
杉原氏はまたエンゲルスの自然科学の概念を批判したが、しかし現代のより高い段階に到達した科学の内容を持ってきて、エンゲルスの見地を「裁断した」にとどまり(それはある意味で、容易なことではあるが)、しかもエンゲルスの提出した概念があたかも間違ったものであるかに主張したのである。
例えば氏は、エンゲルスの時間概念(“物質”の運動と関連し、そこから抽象された時間概念)を取りだして、「一本の永遠に長いロープが空間とは無関係に、前にも後にも伸びているという時間のイメージはもう通用しない」とエンゲルスを批判し、その観念を事実上否定したが、エンゲルスの概念のどこが問題なのか、報告者の時間概念は何なのか、という強い反撃を受けることになった。
杉原氏は、「アインシュタインの特殊相対性理論はあくまで、古い時間の概念を否定したのであって、時間の客観性まで否定したのではない」と主張したが、しかし「時間の客観性」とは何か、「時間」といったものが、客観的に存在するというなら、それはどんなものなのか、エンゲルスの概念とどう違うというのかという問いに、杉原氏はほとんど答えなかった。
◆唯物史観の“適用範囲”
田口氏のエンゲルス批判は、エンゲルスの「家族論」は私有財産制の発展とともに個別家族が生まれ、形成されるという形で、私有財産制以降は正しく、経済的関係の基礎から「家族」が位置づけられているが、しかしそれ以前においては、「家族」が経済的、物質的な過程から独立に、何か「血統論」のような形で語られ、それが経済的、歴史的な過程を規定するかに展開されている、そしてこの「家族制度」の進化は「自然淘汰」説によって説明されている、つまりエンゲルスは一貫した史的唯物論者ではなく、ただ私有財産以降の歴史分析において、そうであったにすぎない、といったものであった。
そして田口氏はクノーに追随して、女権制の説明においても、エンゲルスは性的な関係の発展を持ち出すが、クノーのように、人類が農業生産に移行するとともに、女性が農業を担うようになり、経済権力を獲得したという契機から説明すべきである、と主張したのであった。
田口氏がエンゲルス批判に利用した「唯物史観」の観念は、それがはたしてマルクス主義であるかどうか、厳しく問われた。田口氏自身、『経済学批判序説』の次のようなマルクスの文章を引いてきて、唯物史観の概念を説いたのだから、田口氏の立場はますます矛盾したものとなった。
「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産関係に入る。これらは生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識的形態が照応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである」
田口氏は、これを唯物史観の概念であるとしながら、事実上、数百万年にもわたる人類の全歴史にこれを適用しないという“罪”でエンゲルスを告発したのであるが、しかし果たしてこの唯物史観の概念は、人類史の全過程について言っているものであろうか、そう読めるであろうか。
田口氏は道具、つまり石器などもまた生産手段であるとして、石器時代(旧石器時代も含めて)、唯物史観を適用せよという立場、事実上、セミョーノフらと同様の立場を説いたのであるが、こうした立場は支持を得ることはできなかった、したがって、こうした唯物史観の概念からするエンゲルス批判は、このことだけからも疑問視されたし、されざるをえなかったのである。
マルクスは『資本主義的生産に先行する諸形態』の中で、石器などを人間が利用するようになろうとも、それが採取活動、狩猟活動などに限定されているなら、まだ人間が「自然的な人間の延長」である自然的なものに限定され、それを直接に取得し、利用するにすぎず、人間が生産手段をテコにして労働し、生産するということとは決定的に区別されると論じているが、こうした観点は、まさに田口理論の「急所(痛いところ)を突いている」ように思われる。
田口氏は一般に、人類の生活が唯物論的に説明されるということと、唯物史観から説明されるということを混同しているように思われる。人類数百万年の歴史の全体が“唯物論的に”、つまり現実の諸条件との関連において説明されなくてはならない、というならそれに異議をさしはさむ人は、我々の中には一人もいないであろう。
しかし初期人類の群れが、ある群れが狩りの対象となる動物が豊かな地域に進出する場合と、生活が困難な寒冷地や砂漠地帯に進出する場合、あるいは海岸に出て行く場合、等々を唯物史観の公式から、つまり「生産力と生産関係」の関連によって、あるいはその矛盾から基礎づけ・説明せよ、などと言ってもあまり意味があるようには思われない。
ある地域に進出した人類の人口は増えるかもしれないが、砂漠に進出した人類はただその条件だけからも人口の増大は制約されるであろう。こうしたことまで、唯物史観の公式で説明せよ、と田口氏は言うのであろうか。
「家族形態」と言っても、法制的、制度的な意味での家族はまさに“近代”の発明であって、それを唯物史観から基礎づけよというのなら理解できるが、しかし人類が群れ的存在でしかなかったころの「家族」といっても、群れ自体が多かれ少なかれ“血縁的な”、自然発生的な集団だったのだから、そんなところに、どんな“唯物史観”を適用するというのか、血縁的関係などでなく、生産力と生産関係からこの群れとその内部の“関係”を規定せよと言うのか(というのは、血縁的関係は「家族形態」であって、“経済的な”関係によって規定され、それに従属するから?)。
群れ的な集団から、氏族なり、部族なりに人類が進化していく段階で、この血縁的な関係がいかに影響を持ち、作用したかを考察するのは決してどうでもいいことではない。それがどれほどの重要性をもったのかどうかということは、余り明白ではないかもしれない、しかしエンゲルスが「性的な関係からのみ」人類の氏族なり、部族なりへの進化を論じているというのは極度の一面的であり、マルクス主義批判家のこれまで繰り返してきた歪曲した攻撃に手を貸すことにならないであろうか。
田口氏が強調した、「家族形態」の発展もまた、唯物史観に基づいて一貫して展開されるべきだ、エンゲルスはそれをやっていないという批判(田口氏が奇妙な形で持ち出した、クノーやミハイロフスキーらと同様な非難――奇妙だというのは、田口氏はクノーを持ち上げ、自分と同じだとする一方、クノーと事実上同じ主張をするミハイロフスキーを退け、レーニンの言葉を引用して否定しているからである)も、田口氏が積極的にそれを展開していないので、どういう理論であるかは全く理解できないのである。
田口氏は、それを積極的に展開する代わりに、マルクスの言葉などを引いているが、しかしそのマルクスの言葉は、実際、エンゲルスの観点とそれほど違ったものに見えないので、田口氏の主張はますます宙に浮いたものになってしまった。
田口氏が積極的に、唯一、自らの“方法”を適用して主張したのは、女権制の問題であるが、それもまた、クノーの見解に基づいて、女権制は人類が農業にたずさわるようになるとともに、女性がそれを担い、経済権力を握ったからであり、その結果である、といった“機械的な”唯物史観であった。
田口氏のこうした“クノー的な”見解については、会場から、女権制の時期をいつに見るのか、歴史的にそれが現われてきた時期と一致しないのではないのかという意見や、農業なら女権制というなら、それ以前の牧畜社会では男権制というのが矛盾しないか、田口氏は男権制から女権制へ人類は移って行ったと主張したいのか、それは田口氏自身の主張とも矛盾してしまうのではないか、という批判が出されるなど、田口氏=クノー的見解の妥当性は根底から疑問視されたのであった。
「エンゲルスは“有史”時代にしか唯物史観を適用していない」という田口氏の非難は、唯物史観の概念自身が、基本的に“有史”時代の歴史観として提出されていたとするなら、全くナンセンスなものにならないのか。田口氏は、ただエンゲルスの“功績”を、唯物史観を“有史”の段階に適用したかぎりで、つまり「個別家族」を私有財産制に基礎づけて説明したかぎりで認め、他の一切の理論を否定し、非難するのである。かくしてエンゲルスは唯物史観を理解しなかったということになり、マルクス主義者として失格の烙印をおされるのだが、はたしてこんな形でエンゲルスを批判していいのかどうかはきわめて疑問であろう。
◆商業信用の本質をめぐって
林はエンゲルスの『資本論』修正のおかしな点を多くの例を引いて批判したが、その中心に取り上げられたのは、エンゲルスが商業信用は「商品をもってする(あるいは「商品の形式でする)」貸し付けである、という内容のフレーズを付け加えたことであった。
林は、このエンゲルスの追加によって、商業信用についての概念的混乱が生じたと主張し、最近では大谷禎之介の例が、また戦争直後の時代には飯田繁の例があると主張した。
大谷は商業信用の基礎は「商品信用」であるとし、また商品信用と貨幣信用を対置して信用論の全体系を打ち立てており、理解しがたいものがある。また、飯田繁が、エンゲルスの挿入語句から出発して、商業信用とは「商品を貸し付ける」ことであり、したがってそこでは商品の所有権は移らない(他方、「価値」は移る)と主張しており、概念的混乱のもとになっていると報告した。
こうした報告に対しては、亀崎氏が文書で「すり替えであり」、「恥ずべき論理」だと激しく批判したが、それは林が、商品の貸し付けだとするなら、商品で返済することなのか、そういうことにならないのか、と言う論理を展開したからであった。
亀崎氏は、林が古代の出挙(すいこ)――古代豪族が農民に稲の現物で貸し付け、現物で返済させた制度。例えば、稲十束を貸し付け、十五束を取り立てた、等々――などを持ち出したので反発したのだろうが(亀崎氏は、マルクスは「古代的信用」などという概念を否定していると強調したが意味不明であろう。それも、信用の形態によりけりで、“古代”にも私有財産制や商品経済がいくらかでも発展するなら、それに対応した信用もまた生まれ、発展するのではないのか)、しかし「商品形態でもってする」貸し付けということを強調して行けば、まさに「現物形態」での貸し付けということになり、それが主要な契機にならないのか、と林は主張した。
もちろん、林は「恥ずべき」動機から、こうした主張を展開したのではなく、商業信用を基本的に掛け売り、掛け買いと理解し、そこに債権、債務の関係が生じる、つまり商品の実現が前提とされていると考えてのことであった。
林は、飯田の「商業信用とは商品を貸すことであり、したがってその商品の所有権は貸し手の方に残り、他方、価値の方は譲渡される」という見解はおかしい、むしろ反対であると主張した。
実際、商業信用によって「所有権が移らない」と言うことは奇妙に思われるが、しかしこうした観念は、商業信用を「商品〈を〉貸し付ける」ことと規定した飯田にとっては必然的であった。もちろん、こうしたことは、商業信用は「商品〈を〉貸し付ける」のではなく、「商品〈で〉貸し付ける」と言い換えてみても変わらないだろう。
飯田を批判した三宅義夫は、「商品〈を〉貸し付ける」と言うのはおかしいが、「商品〈で〉貸し付ける」というのならいい、またこのことによって所有権は移動する(価値は移らない、というのは、価値への権利=証書という形で残っているから)と主張しているが、何か中途半端で、矛盾していないであろうか。
「商品での貸し付け」が本質だとするなら、なぜ所有権が移るというのか、貸し付けは一般に所有権が移らないからこそ貸し付けであって、さもなければ(所有権が移ると言うなら)、それは商品の変態(売買関係)でなくては、つじつまが合わないのではないのか。また貸し付けなら、価値が移転するからこそ貸し付けではないのか。
これに対して、亀崎氏は、商業信用はそもそも「商品をもってする」貸付である、しかしその返済は価値(貨幣)によってなされるのであって、商品の貸付だからといって、商品で返済されなくてはならないということはない、と主張したのであった。貸し付けだから、当然、所有権は貸し手に残り、また価値は移転されるというのであり、この点では、亀崎氏は三宅のような中途半端さからは解放されている。
事実亀崎氏は、商品の所有権は貸し手に方に残るのであって、それは手形が不渡りになった時にはっきり示される、と主張した。そして商品での貸し付けだから、商品の変態はまだ行われておらず、支払いが実際に行われたときに、それは完了するのである。
したがって見解の違いは、商業信用はそれ自体「貸し付け」なのか、それとも商品の変態(売買、すなわちここでは掛け売り、掛け買い)を前提にして生じる信用関係なのか、ということに帰着したのであった。
林は、商業信用であるから、当然「商品でもってする」貸付という現象は取り得るかもしれないが、しかし商業信用の本質は商品の変態である、つまり商品の売買(掛け売り、掛け買い)が出発点であると主張し、だからこそ「商品での」貸し付けという概念に異議を申し立てたのである。
亀崎氏は、自分はエンゲルスの書き込み(商業信用とは、「商品の形態でする」貸し付けである)を支持するものではないと断ったが、しかしそれは内容としてよくないからというのではなく、一般的にマルクスの文章に介入したり、書き替えたりするのはよくないから、という意味であったように思われる。亀崎氏の出発点は、商業信用とは「商品による」貸し付け、ということであった。
もちろん、亀崎氏が引用するように、そして飯田や三宅も紹介するように、マルクスの「一千ポンドという価値が製造業者に綿花のかたちで前貸される」といった文章があるのは承知している、しかし他方では、マルクスは商業信用を掛け売り、掛け買いという言葉でも語り、経済的困難が深まれば深まるほど、掛け買いは困難になり、現金での支払いしかなくなると説明している。
エンゲルスはまた、別のところで、マルクスの文章に、「実際、〈商業信用の基礎の上では〉、一方の人が他方の人に、彼が再生産過程で必要とする貨幣を貸すのである」(三巻三二章、全集二五巻b六四七頁、原五二二頁、岩波文庫七分冊二八三頁)とつけ加えて、さらに“罪作りな”ことをしている、というのはエンゲルスが〈商業信用の基礎の上では〉という文章を加えたため、この言葉をめぐって、ありとあらゆる解釈が飛び出してきたからである(エンゲルスの挿入が正当であるとするなら、商業信用では資本家たちは「商品で貸す」だけでなく、「貨幣を貸す」ことになる。つまりエンゲルスは商業信用では、一方では、資本家は商品で貸すと言い、他方では、貨幣で貸す、と事実上言っている? つまりこれは、どちらでもいい、解釈次第だということか? 解釈次第だということは、商業信用の出発点は商品の変態であり、それにともなって生じる債権、債務の関係だから、ということか?)。
マルクスはまた、商業信用において、「貸し付けられるのは遊休資本ではなく、資本(商品資本)、貨幣に転化されなくてはならない資本である」と言っており、さらにつけ加えて、「この信用によって媒介されるのは、商品の変態である」(同三〇章、全集六一六頁、原四九九頁、岩波文庫二四六頁)と明白に述べているのであって、商業信用が商品自体を(あるいは、商品で)貸し付けることであるなどとはどこでも言っていないのである。問題になっているのは、資本の諸変態であり、資本の変態過程における一形態としての商品資本である。資本(商品資本)を貸し付ける(その実態は商品の変態である)と言うことと、エンゲルスのように「商品として貸し付ける」と言うことの間には、一つの決定的な違いがあるように思われる。
単純な商品流通における掛け売り、掛け買いの関係と、資本主義的商品流通――そこで流通するのは、単純な商品でなく「商品資本」である――における、その違いが述べられているように思われるのだ。
亀崎氏は、『資本論』の一巻の支払手段のところでマルクスが述べている掛け売り、掛け買いは信用ではなく、一巻では信用は論じられていない、それは三巻になって始めて論じられるのであり、したがって一巻の論理を持ち出すことはできないといった主張を行い、「商品による貸し付け」というエンゲルス的概念を擁護しようとしたが――つまり、三巻で出てくるこの概念こそ商業信用の本質である、ということであろうか――、しかし、一巻で掛け売り等々を信用の問題として論じていないのは当然である、というのは、そこで問題になっているのは「貨幣」の問題であり、その諸機能(つまり支払手段としての貨幣)の問題だからである。
しかしマルクスはここで貸し手と借り手という関係が形成されると言って、事実上それが信用の問題であることを明らかにし、またその本格的な議論はもっと後でやると断っている。
三巻の商業信用についての議論が、一巻で論じられている貨幣の支払手段機能についての議論と全く別であり、切り離されたものである、と考えることはできない。実際には、それを受けて、商業信用の議論は展開されているのであり、いわば前提されていると言えるだろう。『資本論』の議論はすべてそのようにして展開されている、つまり「上向の」過程であり、「旅」なのである。
商業信用で商品と引き換えに支払われる手形は、当然に支払手形つまり一定の期間の後に一定の貨幣を支払うという証書であり、したがってこの証書に基づいて支払われる貨幣は支払手段としての貨幣である。証書が支払証書であって債務証書(例えば、債券等々)でないことは、ここでの取引が商品の売買にともなって生じた債権、債務の関係であることを語っているのである(商品は売られたのであり、したがってその価格が「支払われる」のであり、一定の期間の後に「支払われなくてはならない」のである)。もし直接に「商品が貸し付けられた」とするなら、そこに発行されるのは債務証書であって、支払約束である手形等々ではないであろう(もちろん、債務証書も支払約束をしている、と言えるのではあるが、しかしそれでも支払証書と債務証書は概念として区別されるであろう)。
手形が、債務証書(私的な、そして公的な債券つまり国債等々)でなく、商品の売買に伴って発行される単純な支払証書であからこそ、それは信用貨幣として機能し、また流通するのであり、流通することができるのである。他方、債務証書は一般に「貨幣」として流通しないのである。マルクスはすでに『資本論』一巻の最初の「貨幣の支払手段機能」のところで、このこと(信用貨幣)について言及し、「しかし、この展開は後で(つまり三巻の「信用論」で、ということ)行われる」と付記している。
商業信用で問題になるのは、いかなる意味でも、直接的な貨幣(価値)の貸し付けではない、だから、それを(エンゲルスのように)「商品で(商品を――飯田繁)貸す」とか、「貨幣を貸し付ける」と規定するのは(宇野学派のように「個々の産業資本家が、遊休資本を相互に融通する」などと言うのは余りにばかげており、論外としても)間違いであって、商業信用の概念を危うくするものなのだ。商業信用とは、商品の変態にかかわって生じる信用、その売買に伴って生じる信用であり、支払いの繰り延べとその連鎖であり、したがって資本家同士が「相互に与え合う」信用である(その限りで貸し借りの信用関係であり、不可避的にそこに銀行〔貨幣〕信用が絡み合ってくる)。商業信用は銀行(貨幣)信用と違うからこそ、商業信用であるという反省が必要であろう。
もしそれを、直接に「貨幣を貸す」とか、「商品で(つまり、価値として)貸す」(亀崎氏は、商品で貸すと言っても、使用価値を貸すわけではない、価値として貸すのだから、貨幣で返済されると主張し、私が商品で貸し付けるというなら、商品で返すことかと問いを発したことをもって、「巧妙にすり替えている」、「でっちあげ」、「恥すべき理論を用いている」等々と激しく非難したが)と理解するなら、それはすでに商業信用の概念ではなく、むしろ「貨幣信用」ということになりかねない。
しかし、商業信用の本質にかかわる、この議論は平行線をたどり、必ずしもセミナーでは結論が出なかったかもしれないが――多数決で解決する問題ではない――、しかしエンゲルスの『資本論』修正ということ自体、つまり『資本論』の編集の仕方そのものについては、「よくない」という、参加者全員の合意が形成されていたように思われる、というのは、エンゲルス修正を弁護したり、それに同情するような発言は、今回は全くなかったからである。
エンゲルスの「商業信用とは商品でもってする貸付」という書き込みに対して、それを擁護した人々も、決して全体としてのエンゲルスの『資本論』修正の弁護を買って出たわけではない。
◆冒頭商品は資本主義の表面の直接的商品か
最後は、「冒頭の商品は資本主義の表面に現われた商品であり、マルクスはそれを取り上げ、分析した」という観点からする、亀崎氏のエンゲルス批判である。要するに、冒頭の商品は直接的に資本主義的商品である、というのである。
したがって、亀崎氏のエンゲルス批判の要点は、エンゲルスが冒頭の商品を「歴史的な」単純商品として理解したということであり、またその結果、資本主義の誕生を、単純商品生産・流通の自己発展、自己運動として描いた、というものである。
そしてこうした見解と関連して、「いわゆる『領有法則の転回』」の理論を、歴史的な過程の問題ではなく、“理論問題”であると主張し、「資本主義的生産の表面の単純流通に依拠した『自己労働にもとづく』仮象性を暴露すること」が課題であると述べたために、大きな議論を招くことになった。
我々はすでに数カ月ほど前、兵庫の仁田氏が、亀崎氏と同様な観念を持ち出したとき、それは正しくないと警告を発したし、また宇野学派批判ということで、これまで一貫して(大げさにいえば、「数十年にわたって」)亀崎氏的な見地に反対してきたのだが、ここに来ていまさらエンゲルス批判に名を借りて、どうして亀崎氏はこうした古くさい観念を持ち出したのであろうか。いまいち、理解しがたいのである。
亀崎氏は単純に、エンゲルスは冒頭の商品を「歴史的な商品」としてのみ理解していると非難したが、ことはそんなに簡単ではなく、亀崎氏の引用するエンゲルスの文章からさえも、エンゲルスが決して単純に「冒頭の商品は歴史的な単純商品である」と言っていないことがうかがわれるのである。亀崎氏が紹介する、エンゲルスの文章は以下のようなものである。
「諸物やそれらの相互関係が固定したものとしてではなく可変的なものとしてとらえられるところでは、それらの思想的模写である諸概念もやはり変化や変形を受け取るものだということ、それらは硬直した定義のなかにはめこまれるのではなく、それらの歴史的または論理的な形成過程のなかで展開されるのだということ、これらは全く自明なことである。したがってまた、なぜマルクスが第一部の冒頭では、すなわち彼が彼の歴史的前提としての単純な商品生産から出発して次にさらにこの基礎から資本に到達しようとしているところでは、――そこではなぜ彼はまさにこの単純な商品から出発して、概念的にも歴史的にも二次的な形態、すなわちすでに資本主義的に変化した商品から出発しないかということも、おそらく明らかであろう」
この文章からも分かるように、エンゲルスは問題を資本主義的生産という対象を、「概念的に、そして歴史的に」扱うことが必要であることをよく知っていたように思われる。亀崎氏はエンゲルスが一個所、「歴史的前提としての単純な商品生産から出発して」と述べているところを、ただそこだけを引いて来ているが、しかしこれはいわば「言葉尻をとらえる」、というやつではないだろうか。エンゲルスは繰り返して、「歴史的または論理的な形成過程」のなかで展開されるべきと強調しているのだから、冒頭の商品をもっぱら「歴史的な単純商品」として理解し、または評価していたと“断言”することはできないように思われる。
冒頭の商品をある場合に、歴史的な単純商品と言って悪いということはない、それを何か大罪であるかにいいはやすのは、単なる“衒学趣味”というものであって、労働者にとってはどうでもいいことであろう。ある場合に論理的な単純商品であるといい、ある場合に歴史的な商品として理解して、決しておかしいということはない、あるいはむしろその方が正しい場合も、理解が容易になる場合もあるだろう。いずれにせよ実践的に大して障害の出ることではない。マルクス自身、“単純商品”は論理的に、そしてまた歴史的に、資本の前提であり、出発点であると強調しているのである。
しかし亀崎氏はエンゲルスは冒頭の商品をもっぱら「歴史的な意味での単純商品」としてのみ理解していたと糾弾し、その“裏返し”としてか、奇妙な“論理至上主義”といったようなものを持ち出している。資本主義的商品であることを“論理的に”説明するために、亀崎氏は、冒頭の商品は、資本主義の「最も表面的な現象である『単純な商品流通』と、そのもとにある商品そのものであり、それをありのままに観察し、分析しようとするものである」、「実際、資本主義社会の現実を見ても、流通に現われる商品をただそれだけ取りだして見るなら、それは単なる商品としてわれわれの前に現われる」、「『資本論』の冒頭で分析している商品は、ブルジョア社会の表面に現われている」商品である、と主張するのである。しかしこの理屈は、大方の反発を招くことになった。
資本主義の表面に直接に現われた商品が、どうして“単純商品”であるわけがあろうか。それは具体的な現実として、最も複雑で、多様な規定性を受け取る商品である。
資本家的商品が「生産価格」(費用価格+平均利潤)を基準に変動する――すなわち、資本による生産物であることを端的に暴露する――ということはさておくとしても、例えば、資本主義的な流通に直接現われる“商品”としては「労働力」もあるし、価値対象物でもない土地”も価格を持って商品化するし、さらには「貨幣」さえも“商品”になるが、これらもみな「単純商品」であると言うのであろうか。
もちろん、こうした亀崎氏の理論的な立場は、ほとんどすべての発言者から批判され、否定された。
亀崎氏の主張は矛盾したものであった、というのは、冒頭の商品は、資本主義的な現実に直接に与えられた商品であると断言しながらも、他方では、それは分析の視点によって抽象されなくてはならない、とも主張したからである。
しかし直接に与えられたものを、そこで抽象し、分析するとはどういうことであろうか。また一方で、直接に与えられたままで「単純商品」であると言い、他方で、何らかの形で(一定の視点に従って)抽象するというのは奇妙な主張であるように見える。
ここで言われた、分析の視点といったものがどんなものであるかは、亀崎氏が展開も説明もしなかったので分からないが、しかし資本主義的現実に直接に現われた商品である、マルクスの『資本論』は(冒頭の商品の部分は)それを分析の対象としている、という亀崎氏の主張はすでに修正されたのである。
亀崎氏はフィリッピンで売られるバナナと日本で売られるバナナという例を持ち出して説明したが(両方とも、生産されるのはフィリッピン?)、何を言いたいのか、よく分からなかった。両方ともフィリッピンで生産されたなら、それは同じ性格の商品であって、一方が単純商品であり、他方が資本主義的商品であると、どうして言えるのだろうか。間に商業資本(輸入商社等々)が介在するといったことは、バナナを生んだ生産関係を変えるものではないだろう。
亀崎氏は、資本主義の直接な“流通”の表面では、労働者も自らを切り売りしているが、「労働力商品」は単純商品かどうかと聞かれて、単純商品ではないと(苦渋に満ちて)答えたが、しかしこのように答えることで宇野学派と同じだという非難から逃れることはできるかもしれないが(というのは、宇野学派も黒田寛一も、みな冒頭の商品は労働力商品でもあると強調しているからである)、だからといって、亀崎氏の立場が好転するわけではない、というのは、亀崎氏は資本主義の直接的な流通表面に現われるのは単純商品であると主張しているからである。労働力を単純商品ではないと言うことによって、亀崎氏は自らの立論の根底を自ら否定してしまわなかったであろうか。
また、「『領有法則の転回』について」の理論も、理解しがたいものであって、亀崎氏は「論理主義」を徹底させて、この理論はまさに純粋理論の問題、資本主義の「仮象」を暴露するためのものであって、歴史的過程の説明ではない、と強調したのである。
しかしマルクスはそれをまさに理論的な問題としてばかりでなく、すぐれて歴史的な発展過程の理論としても提出しているのは明らかであった。例えば、亀崎氏は、マルクスの文章をエンゲルスが次のように修正したと言って非難した。
「商品生産が〔それ自身の内在的諸法則に従って〕資本主義的生産に成長してゆくのにつれて、それらと同じ度合いで商品生産の所有法則は資本主義的取得の諸法則に一変する」(〔 〕内がエンゲルスがつけ加えた文章)
亀崎氏はエンゲルスの書き加えを非難し、マルクスの文章の意味を全く変えてしまったと主張したのだが、しかし、仮にエンゲルスの付加した文章を差し引いても、マルクスが(亀崎氏の見解に反して)、商品生産は資本主義的生産に「成長」し、商品生産の所有法則は資本主義的な取得の諸法則に「一変する」と言っているのだから、マルクスの文章は亀崎氏の理論的な立場そのもののを否定しているのである。この場合、エンゲルスの挿入がある、なしは関係ないのだから、亀崎氏のエンゲルス非難は奇妙なものであろう。
亀崎氏は自分の理屈を推し進めるなら、エンゲルスのみならず、マルクスをも批判し、その理屈を否定しなければ、決して首尾一貫しないのである、しかるに亀崎氏は、マルクスを擁護して(マルクスの言葉に隠れて)エンゲルスを否定しようとするのである。亀崎氏の立場を推し進めれば、それはマルクス主義の否定にまで行かないのか(かつての“新左翼”のイデオローグや活動家たちの多くは、まさにエンゲルス批判を“媒介にして”、つまりそれを踏み台にしてマルクス主義攻撃をこととする悪党にまで、つまり“ブルジョア”にまで堕落して行ったのだが)。
また亀崎氏は、エンゲルスが(“商品経済史観”に立っていたがゆえに?)、資本主義への歴史的過程を、商品生産からの漸次的移行の過程として描いた、と強く非難した。
「確かに商品生産の発展は資本主義的生産の歴史的前提であり、だから商品生産が一定の発展段階で資本主義的生産に歴史的に移行するといっても、それ自体が直ちに間違いではない。しかし資本主義的生産様式は歴史的にそれに先行する封建的生産様式の崩壊によって生まれてくるのであり、商品生産そのものが『それ自身の内在的諸法則に従って』資本主義的生産様式に歴史的に移行するのではない。こうしたエンゲルスの間違った解釈は資本主義的生産様式の歴史的生成をただ経済的な漸次的変化の一結果として描くという間違いへとつながっている」
亀崎氏は、商品経済から資本主義が生まれ、発展するのではないとか、資本主義以前の社会では、商品生産は決して社会の支配的な生産関係ではなかったとか主張したが、まさに、宇野学派がエンゲルス批判として(さらにはマルクス主義一般の批判として)持ち出してきた、「商品経済史観」攻撃がそのままよみがえった観があった。
亀崎氏は商品生産は資本主義に「移行する」だろうが、しかしそれは「内在的」にではなく、封建的社会の崩壊や原始的蓄積によってである、とでも言いたいのだろうか。しかし、こんな対置ほど無意味なものはない、というのは、それは別に相互に対置されなくてはならない契機ではないからである。
亀崎氏は、マルクス自身が、商品生産は資本主義的生産に「成長していく」と言っている言葉の意味を一切考えない、そしてそんな言葉などないかに振る舞うことができる。亀崎氏がどんなにエンゲルスの「それ自身の内在的諸法則に従って」という言葉を非難したとしても、マルクス自身が(「それ自身の内在的諸法則に従って」とまでは言わないにしても)、商品生産が資本主義的生産に「成長」し、転化すると強調していることは否定できないではないか。
もちろん、エンゲルスの言い方には、マルクスの表現にあった“ゆとり”というか、”幅”というか、そんなものが消えて、若干狭い、何か教条的な雰囲気が出ている、しかしだからといって、エンゲルスの言い方が間違っている、といったことではないだろう。問題は、商品生産が資本主義的生産に「成長する」ということであって、それが頑固な“法則的な”ものであるか、どうかではないからである。亀崎氏は、この「成長する」という観念自体を否定しかねないのである、それを“漸進主義だ”と非難し、攻撃することによって。
一般に、亀崎氏は「マルクスがこうこう言っている」という理屈を多用したが、しかし、その反対も述べている文章は棄ててかえりみない。例えば、マルクスが資本の前提、その出発点として(論理的に、そして現実的、歴史的に)、冒頭の商品つまり単純商品を評価し、また位置付けている多くの文章や発言は全く無視し、自分の理屈に都合のいいマルクスの文章だけを持ち出し、見つけだしてくるのである。しかし問題は概念であって、マルクスの個々の言葉、あれこれの言葉ではないのだ。
もちろん、我々もマルクスの主張を重視する、しかしそれは概念に合致するからこそ重視するのであって、マルクスの言葉があって、概念があとからくるのではない。少なくともマルクスを引用するなら、亀崎氏はマルクスが資本主義的生産の前提としての「単純商品」について語っている文章を、したがってその商品が決して「資本主義のもっとも表面に現われている」商品、すなわち資本主義的商品ではないことを教えている多くの文章も引いてくるべきではないのか、それが「公平」というものではないのか。
また他方で、平岡氏から、問題が概念であるということから、『資本論』の展開は「論理的な」展開であって、現実的、歴史的な展開ではないといった主張も出されだが、それもまた一面的であろう。対象の概念的把握ということは、対象の“純粋”論理的把握ということとはちがうのである。
平岡氏は、宇野学派的な「純粋資本主義」といったものが、マルクスの理論の“対象”であったとでも考えるのであろうか。実際、“純粋”理論といったものは、ただ観念論的哲学者の頭以外のどこにも存在しないであろう。資本主義はあくまで歴史的な存在であって、それ以外ではない。そして労働者にとって重要なことは、その革命的変革であって、“純粋”理論を、つまり資本主義の“純粋な”運動――それがどんなものかを我々は知らないのだが――を理解することではない。
◆「挑戦された」四つの報告
今年の労働者セミナーの特徴は、エンゲルスを基本的に批判し、非難した四つの報告に対して、いずれに対しても強力な反対論が提出されたことである、とすでに述べた。
つまり、表面的に見るなら、エンゲルスは報告者以外によっては“擁護”されたのであり、あるいは報告者のような批判の内容や仕方では、エンゲルスに仮に“根本的な”欠陥があるとしても、決してそれを明らかにすることができない、と反撃されたということであろう。
実際いずれの報告も、突き詰めれば、エンゲルスの“根底的な”欠陥を主張したのだから――杉原氏はエンゲルスの唯物論と唯物史観の理解がおかしいと言い、田口氏はエンゲルスの唯物史観は(したがって“家族論”は)極めて一面的であって、本質的な欠陥があると非難し、林はエンゲルスの『資本論』修正はその多くが不当であり、間違っていると告発し(商業信用の概念がおかしい、したがってまた信用理論全体もあやしい)、亀崎氏はエンゲルスの「経済理論」(とりわけ「冒頭の商品」の概念)は“歴史主義的”であり、また“商品経済史観”であって、全く非マルクス主義的であると糾弾したのだから――、それらに対して、いずれも決定的な異議と反論が提出されたということはいかに評価したらいいのであろうか。
『資本論』の修正問題については、それが不当であり、エンゲルスの“やりすぎ”である、という点では、全体としての合意があったようなので、その問題は除外しよう。
とするなら、エンゲルスの哲学や経済理論や科学理論の告発は失敗したということ、基本的にはエンゲルスの理論は正当であり、擁護された、ということであろうか。
労働者セミナーで杉原、田口、亀崎氏のエンゲルス糾弾は批判され、事実上退けられたが、しかしそのことはエンゲルスのあれこれの見解に欠陥があるということを否定するものではないだろう。
例えば、亀崎氏が引用したエンゲルスの文章(「価値法則は資本主義的生産が登場するまで、つまり単純商品生産の全期間の数千年にわたって妥当した」といった言い方)が、厳密に言えば「おかしなところだらけ」であるのは明白であり、我々もまたそれをすでに指摘してきた。
しかし他方では、この文章もエンゲルスが、「冒頭の商品の分析で言われるような狭い意味での価値法則について言っている」と限定すれば、理解できないことではない(それでもあれこれの齟齬は出るだろうが)。エンゲルスが全体としての価値法則の意味を知らなかった、などと“大胆に”断言できる人は誰もいないだろう。
労働者セミナーでは、エンゲルスは「果たして第二バイオリンをうまく引いたかどうか」、ということも議論されたが、それを否定する意見は基本的に出されなかったように思う。
議論の中では、エンゲルスは青年期を除いて「経済学」を勉強しなかったと言う人もいたが、しかしそれはまた「第二バイオリンをひく」という立場と矛盾するものではないだろう。エンゲルスの立場は、初期のものを除けば、「反デューリング論」とか「自然弁証法」とか「家族・私有財産および国家の起源」などの重要な著作によって代表されているが、それらの著作の持った、マルクス主義の発展と深化における意義を否定できるであろうか。
少なくとも、今年の労働者セミナーでの諸報告と、その議論を見るかぎりでは、答えはノーであるように思われる。エンゲルスに果敢に挑戦した杉原、田口、亀崎氏らは“勝利”することができず、参加者を納得させることができなかったばかりか、反対に自らの批判の根拠薄弱さを暴露してしまったからである。
(林 紘義)
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