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マルクス主義同志会機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1299号 2017年4月16日
【一面トップ】「雌伏」の時を経て「雄飛」へ――「労働の解放をめざす労働者党」として再出発
「潮も適いぬ今は漕ぎ出でな」――5年後に労働者党議員の実現を!
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】安倍と国家主義派全体の権力犯罪だ――森友を巡る巨悪を許してはならない
【二面トップ】新綱領や、党の歴史、特性――俯して地に恥じず、仰ぎて天に愧ずる無し
【二面サブ】「労働の解放」について―― 綱領・前文より

※『海つばめ』PDF版見本

「雌伏」の時を経て「雄飛」へ
「労働の解放をめざす労働者党」として再出発

「潮も適いぬ今は漕ぎ出でな」
5年後に労働者党議員の実現を!

 全国の読者の皆さん、労働者、勤労者の皆さん、我々はそのもとで14年間を闘ってきたサークル的な組織、「マルクス主義同志会」を解散、新しく組織される「労働の解放をめざす労働者党」に団結して、新しい闘いの段階に進むことを決意し、大会で圧倒的多数で決議しました。つまり「労働の解放をめざす労働者党」が新しい党の名称であり、目標です。この党名の意味するところは、我々が大会で採択した我が党の綱領の前文の部分に明らかですので、それを参照してください(『海つばめ』本号二面に、その部分のみを掲載します)。我々は新しい党の名称として、これまでの「社会主義」の党とかの伝統的に℃g用されてきた名称を避け、新鮮で、我が党の目標に相応しい「労働の解放」という言葉を採用しました。これまでも機関紙『海つばめ』でも、題字左横のスローガンの一部として、高々と、そして長らく掲げられてきたものです。

 大会は労働者党の再建と共に、国政選挙・議会闘争への復帰も決議し、5年後、つまり今後2回目の参院選において比例区で闘い、最低1名の労働者議員をかちとり、我々の議会闘争の突破口を切り開くという、具体的で、鮮明な目標と課題を明らかにし、そのためにこの5年間を闘うことを決議しました。

 「復帰」という言葉を使うのは、我々はかつて「社会主義労働者党」(社労党)等として、十数年間、国政選挙を中心に選挙・議会闘争に挑戦し、闘い抜いた歴史と伝統を持っているからです。

 「労働の解放をめざす労働者党」は「社労党」の延長であり、復帰であると共に、それとは区別される政党、一そう階級的であり、一そう根源的な形で闘う政党、甘さを残していた社労党を越える政党であり、またそうして行かなくてはならないと決意しています。

 我々は今後の5年間の我々の闘い、つまり労働者党の代議士を誕生させ、自民党や公明党、民進党、共産党などの腐敗した資本の政党やプチブル党による議会独占に風穴を開け、突破口を切り開く闘いの5年間の展望を、三段跳びの「ホップ、ステップ、ジャンプ」という言葉とイメージで表現し、議論しました。

 ジャンプが最終的に跳躍のカギを握ることは確かですが、2年後の参院選を含めてのホップ、ステップの闘い――衆院選の小選挙区の闘いと、参院選の選挙区の闘い――も重要であり、それを闘い抜き、大きな成果を勝ち取り、我々の闘いが労働者、勤労者の大きな支持を得るものであることを証明し、実証しなくてはなりません。ホップ、ステップなくして、成功するジャンプもないし、あり得ません。

 だから我々は2年間のホップ、ステップの闘いを成功裡に闘い抜く展望やイメージを明らかにし、そのために準備を直ちに始めることを大会で確認しました。

 言うまでもなく、ホップの闘いとは次の衆院選への参加であり(当然、小選挙区制ということになります、政党要件を満たしていないから比例区参加はないからです)、ステップの闘いとは次の参院選への参加です、つまり2年後の参院選に参加するということです。

 後者の場合も当然、都道府県を選挙単位とする選挙区選挙です、というのは、ここでも政党要件を満たすことができず、当選を現実的に目指せる、比例区選挙からは排除されているからです。

 ただし今年中に衆院選が行われる場合は、それをパスすることもあり得る――というのは、それまでの準備は今の段階では、実際的に困難ですから――、ということも確認されました。

 衆院選も参院選も、小数派政党、労働者政党にとっては、ひどい差別的で、不公正な制約(小選挙区制、供託金制度、政党要件、政党助成金制度等々)がはびこり、そんな反民主的でインチキな、名ばかりの民主$ァ度のもとでは、公正で、正義の精神に合致した形での闘いは最初から存在していないのです、我々はスタートで大きなハンディキャップ――かつての我々の挑戦を挫折させたような――を背負いながら闘いを開始する以外ないのです。

 偉そうに選挙で勝って、過半数の議席を獲得したという安倍自民党も、絶対得票数でいえばせいぜい2割、3割くらいの選挙で、少数党を犠牲にし、多くの死票の山の上に、偽りの議席の6割、7割を得ているのですから、威張ることなど何もないのですが、田中角栄にしろ、安倍にしろ、橋下にせよ、現在のインチキ民主主義(不公正で、差別的で、事実上反民主的な選挙)であろうと何であろうと、議会の多数はすべてである、文句があるかと開き直っています。

 彼らは現在の選挙制度やエセ民主主義なら反対でないばかりか、むしろ大賛成で、それを利用しつつ、その味方であるかに装うのですから、現代の民主主義≠ニは安倍派や橋下派の権力独占を、横暴で、横着で、厚顔無恥の半独裁政治を保障する制度でしかないとさえ言わざるを得ません。

 しかしこの厚い壁を前に泣き言や御託を並べていても無意味で、労働者は力を結集して、そんなものを断固粉砕、打破し、彼らの鼻を明かしてやらなくてはなりません。

 我々は、ホップ、ステップの闘いを1選挙区ずつ、連続的に%ャうことも決定しました。つまりある都道府県の小選挙区で闘ったら、次の参院選の選挙区でも、同じ都道府県で闘うということです。

 そして5年後の参院選のジャンプでは、比例区選挙に確認団体として参加し、全国的な闘いとして、また労働者党の議員を勝ち取る闘いを貫徹するという展望を持つのです。それが我々の戦術≠ニいえば戦術≠ナす。

 ホップ、ステップの段階で、3〜5%の得票率は不可能、代表委員会は空想的な数字を揚げていると言う批判も大会で出されましたが、決してそんなことはありません。

 小選挙区制の票は比べる基準がありませんが、――というのは、かつて我々が国政選挙に参加した時には、衆院選は小選挙区制でなく中選挙区制でしたから――、しかし中選挙区制でも1%を越えるような票を獲得した例はいくらでもありますし、参院選の選挙区――これは現在とほぼ同じです――で、例えば現在の4人の代表委員はたまたま全員、これに立候補していますが、少ない方からいって、神奈川で0・8%、愛知で0・99%、千葉で1・4%、埼玉で2%でした。つまり3%から5%は十分に可能だと思います。

 参院選では、我々にとっての最後の参院選参加であった1989年の全国区得票率は、0・25%、当選がほぼ1%、100万が最低必要でしたから、当選にはあと4倍得票すればよかったわけです。

 このときは、社会党の委員長のおたかさん(土井たか子)が「やるっきゃない!」と叫んで、社会党の最後のあだ花のような大勝を博した参院選でした。

 数年のちには、そんな社会党も労働者、勤労者を裏切って自民党と組んだ末、解体し、なくなってしまったのですから、もう1、2回頑張ってやれたら、1%の壁を突破でき、我々の国会議員を持てたかもしれず、惜しいことをしました。

 供託金の収奪により、カネの面で限界に来ていましたから、我々は闘いをやめざるを得ませんでしたが、その後、解体した社会党の票は行き場を失い、左派系の無党派層が一気に増えました。

 我々は選挙資金としては、ホップの段階とステップの段階までの資金は、忌々しい供託金として、300万円ずつ二つで、600万円、各選挙区の選挙を闘い抜く費用として最低数百万円ずつで1000万円、合計2000万円にも達するカネを準備しなくてはなりません。

 新しい我々の党は、代表委員会を中心に可能なあらゆる手段を追求し、資金を準備し、こうした面でも闘いを貫徹することも確認し、決意しました。党内外のカンパやクラウド・ファンディング等々、可能な、ありとあらゆる道を追求します。

 「長者の万灯より貧者の一灯」という言葉もありますが、インターネットのクラウド・ファンディングなどを利用したカネの準備は、我々のような貧乏党にとってはうってつけであり、重視していくつもりです。労働者、勤労者の一人一人のカンパであっても、そんな心のこもった、労働者党への真実の支援は重要であり、また労働者、勤労者の数は圧倒的に多いのですから、そんな人たちからのカンパを重視していくべきは当然のことです。

 読者の皆さんのご支援もまた、切にお願いします。

 幸いなことに、新しい党の一般財政は、今会計報告では10年、20年ぶりに黒字に転換し、この面での負担はなくなり、余剰のカネを選挙にすべて活用できる状態は作りました。

 しかし代表委員も含めての党員の活動は、ごく基礎的な活動費を除いては、基本的にすべて無給のボランティア的活動に依存するという、マルクス主義同志会の状況を継続するしかありません。党といっても、名ばかりの極小<~ニ政党の困難な状況は続くということです。

 しかし我々の闘う意思は旺盛で、当面2年間のホップ、ステップの段階の闘いを勝ち抜くための準備は、選挙区の決定や、候補者問題の解決も踏まえて、早急に開始する予定です。

 もちろん14年間ものサークル的時代の中で、我々の中にも、闘う意識の後退や萎縮やサークル根性がないとはいえません、しかし大会を契機に、一切の怯懦(きょうだ)や逡巡(しゅんじゅん)を捨て、前を向いてたくましく前進していくという意思の一致を勝ち取ることができたと信じます。

少なくとも2年後までの、ホップ、ステップの段階までは、たかが2つの選挙区の闘い(衆院選の1小選挙区、参院選の1選挙区)ですが、我々は、それらをまさに全国的な闘いとして、また労働者党の議員を生み出す闘いの出発点として、さらには全国の労働者、勤労者の注目する、労働者党の果敢な闘いの象徴として、とことん闘い抜くつもりです。

 多くの労働者、勤労者の皆さんの、とりわけ『海つばめ』読者の皆さんの絶大な応援をお願いします。

   


【飛耳長目】

★大会二日目、新しい綱領と規約が採択された日の夜半に目が覚めたまま、なかなか寝付かれなかった。新しい政党としての闘いの日々が再び始まり、選挙闘争にも再挑戦するという、密やかな興奮や気持ちの高ぶりがあった★そんなとき、不意に「熱田津(にきたつ)に船乗りせんと月待てば 潮(しお)も適(かな)いぬ 今は漕(こ)ぎ出でな」という万葉集冒頭辺りの額田王(ぬかたのおおきみ)の歌が頭に浮かび、心の中でそらんじていた。熱田津は当時の伊予の国、現在の愛媛県の松山市近辺にあったという古代の港である★当時、大和朝廷の盟友国百済(くだら)は、新羅(しらぎ)と唐の連合軍に制圧されようとしており、朝廷は自らの命運も賭け、百済救済の大軍を朝鮮に送り込もうとしていた。その軍隊を指揮するべく、斉明(さいめい)天皇は661年、九州の地に赴こうとしており、額田王は女帝に随行していたのである★瀬戸内海を西行していた女帝の一行が、船泊していた港から、出港の諸条件が整って、まさに勇んで旅立とうとするときの、高揚し、はやり立つ気分を詠んだ歌である。一行が「船に乗ろうと月の出を待っていると、まどかな月が出、潮も満ちて丁度よくなってきた。さあ漕ぎ出そう」というところである★新たな出立を謳った、華やかな高揚感を漂わせる古代の名歌は、まさに我々の現在の気持ちにぴったりではないか。(鵬)

   


   

【主張】

安倍と国家主義派全体の権力犯罪だ
森友を巡る巨悪を許してはならない

 森友学園への国有財産不正販売に関する、安倍とその政権に対する疑惑は、安倍らが知らぬ存ぜずで押し通し、財務省も貝のように沈黙し、安倍政権も自民党もカギを握る人物の国会証人喚問を拒否し、司法権力も動かない中で、まるで迷宮入りのような雰囲気で、マスコミがまともに取りあげることもますます少ない。

 野党には、国会の審議をボイコットしてでも徹底的に闘うという強い意思も戦略もなく、安倍政権の国会運営に流されるだけである。せめて森友事件の真相が明らかになるまで、国会でストライキ≠貫徹しようという覇気すらない。

 そして籠池いじめが続き、権力側は森友の補助金不正などを摘発し、何とか籠池が悪人であり、ウソを常習とする信用できない人間であり、したがって安倍夫妻について口にすることも、みなでたらめだといった、印象作りに懸命である。

 そして安倍を「侮辱した」といって、籠池を証人喚問することに突然賛成しておいて、事件のカギ握る財務官僚などの、真相解明にとって最重要な連中の、国会証人喚問には全く応じようとしない。

 安倍政権がどんなに真実が明らかになることを恐れており、真実が明らかになれば、自らが首相はおろか、議員さえ辞めなくてならなくなることを確実に知っているからである。

 籠池の罪など安倍の巨悪に比べればゴミみたいなものだが、安倍政権のもとでは、政府と国家ぐるみの巨悪は隠され、まかり通るが、極小悪は厳しく追及され、罰せられるというわけだ。

 そもそも籠池の巨悪は、補助金不正といったところにあるのではなく、学校教育で、憲法や教育基本法違反の、露骨な国家主義教育、偏向教育≠行い、教育勅語を子供たちに暗唱させるやら、ヘイトスピーチやら、公教育を否定する合い言葉を叫ばせるやら、安保法などの安倍政治の賛美を合唱させるやら、金王朝にも似た、安倍天皇≠ヨの個人崇拝を絶叫させるやら、まさに安倍一派の理想≠サのものの教育をやっていたことにこそある(安倍との共謀罪だ!)。

 そしてそんな憲法と教育基本法違反そのものの、まさに文字通りの偏向教育=A天皇制国家主義一派の理想の偏向教育≠ナあったからこそ、安倍夫婦や自民党の政治家や財務省の役人たちや、大阪維新の半ファシストのような政治家たち(橋下や松井ら)が、こぞって森友学園を散々に持ち上げ、肩入れし、9億円の国有財産をタダのような値段で、全く不正に払い下げたのではなかったのか。

 だから森友学園事件とは、安倍夫妻や安倍政権、自民党の政治家や財務省、そして大阪維新の悪党たちや、国家主義派の全体が共謀して行った、国家的広がりを持つ巨大な権力犯罪であり、それがそのものとして暴かれるなら、安倍政権が吹っ飛ぶような巨悪である。

 破産した巨大企業は巨大企業故につぶせないといわれ、また事実国家が乗り出して救済する例がいくらでもあると同様に、安倍政権や国家や、安倍の盟友の維新まで絡んだ権力犯罪は、まさに政権と国家の根底を揺がせ、その崩壊までもたらしかねない恐るべき犯罪であるからこそ、安倍一派は、怯えた亀のように振る舞うしかないのである。

 こんな権力犯罪が公然とまかり通り、許されるなら、日本は確実に政治的犯罪者集団の、ファシストばりの連中の支配する、最低最悪の腐敗国家、恐怖国家に転落して行くだろう、否、すでに半分そうなっている。

 今こそ、安倍政権を力をためて粉砕し、一掃すべきときである。

   


新綱領や、党の歴史、特性
俯して地に恥じず、仰ぎて天に愧ずる無し

 我々は今大会で新綱領を採択したが、それは社労党時代の綱領を根底とし、それを一部修正し、また旧綱領のカバーした時代を超える時期――1990年代以降――についての評価と記述を加え、さらにはマルクス主義同志会の時代に特に深めた、我々の理論的な発展、深化の成果も含めたものとなっている。新綱領も含めて、我々の新しい党と、その歴史や内容について大略を明らかにしておきたい。

 我々の新綱領は、「東西冷戦」時代(事実を歪めて「資本主義と社会主義の対決」等々と呼ばれ、半世紀にも及んだ世界体制)の時代の終焉や、いわゆる社会主義≠ニ間違って言われてきたソ連の解体や、中国のブルジョア的、帝国主義的な国家としての登場と急速な発展や、グローバルな(地球規模、人類的規模)とも評価できる、文字通りの世界資本主義の出現等々の、この4半世紀の人類史とその現実の深刻な総括を含んでいる。

 さらにまた、賃労働と市場経済によってしか解決できないと共産党がいってきた、「社会主義における分配」という困難な問題の解決を、「法則」の名に相応しい、明瞭で単純な形で規定し得ているのも、我々の新綱領の大きな、そして重要な特徴である。

 さらには実践的課題として、「長時間労働、殺人労働、非人間的労働に象徴される搾取労働、大量の非正規労働に代表される差別労働の無条件、即時の廃止と一掃」等々に代表される闘いのスローガンや、原発問題での我々の原則的で、基本的な立場等々(綱領の最後、7章参照)、我々の綱領は、それ自体、労働者、勤労者の全体が検討し、学び、生き方と実践と闘いのかてとも指針ともできる内容に満ち満ちている。

 そればかりではなく、この問題の理論的な解決は、『資本論』の冒頭において論証されている「労働価値説」の真実の理解までも妨げ、混乱させるような、「有用労働による価値移転」説とか、「過去の労働」が価値法則で――したがって、資本主義の理解で――何か決定的な重要な意義を持ち得るかの、スターリン主義経済学≠フ一つの俗流主義的ドグマを、最終的かつ徹底的に粉砕し、一掃する意義さえ持っている。

 「有用労働による価値移転」説を真実の概念として持ち出すなら、『資本論』の労働価値説は、「過去の労働」と「生きた労働」の足し算として示されるしかないのだが、これは、ブルジョアやその御用学者たちの間違った、卑俗価値論≠フ一つである「費用学説」=「価値構成説」――商品の価値は、資本価値(機械や原材料のコスト=費用)、プラス賃金、プラス剰余価値(利潤)の合計であるという理論――そのものであるのは、一見して明らかだからである。

 共産党は100年、共産主義の党つまり共産党≠フ名のもとに闘ってきたと自慢している。つまらないうぬぼれと独りよがりというものである。長い党歴を誇っても何の意味もない、というのは、この党は一貫して頽廃と腐敗を深め、自らの掲げる理想を卑しめ、裏切り続ける歴史しか有していないからであり、最近の天皇生前退位問題では、民進党を飛び越えて、安倍自民党と「共闘」するまでに腐りきってしまったからである。

 我々は60年安保闘争の直後に、社会党や共産党はもちろん、一切の新左翼¥粕hから手を切り、独自の闘いを始めてからすでに55年になんなんとする党派であり、確かに一貫して一つの名で闘うことなく、「全国社会科学研究会(全国社研)」、「マルクス主義労働者同盟(マル労同)」、「社会主義労働者党(社労党)」、「マルクス主義同志会」等々と、そのときどきの客観的、主体的な状況の中で、また我々の闘いの課題や性質に応じていくつかの名のもとに闘ってきた組織である、しかし名前は一貫しているが、内容では一貫しておらず、まさに堕落の一途をたどった共産党とは違って、闘いの原則や基本的な内容では終始一貫、変わったり、ゆらいだりすることはなく活動してきた党派である。

 共産党は2年ほど前には、唯一の♀v新政党を謳い、民進党(当時、民主党)を日和見主義であり、保守分子まで多く含む堕落した党だと攻撃し、自共対決≠呼号していたのである、ところが最近の大会では、民進党との連携を絶対視し、野党共闘≠アそ自民党と対決し、それを打倒する唯一の道であると叫び、あまつさえ、そんなものが「政治闘争の新しい段階」であり、その偉大な進化であるといった、大層な「政治哲学」か何かは知らないが振りまいていい気になっているような党である、つまりプチブル党、日和見主義党という以前に、ドグマに取りつかれた単なる愚劣な党である。

 我々は新左翼のテロ党派、内ゲバ党派とは全く違った議会主義§H線を採用し、またその闘いを通して労働者、勤労者に訴え、組織し、闘いの道を切り開くことを課題にも目的にもしてきた党派であって、我々ほどに合法的であった党派はなく、我々に比べれば、自民党ほどに、安倍政権ほどに非合法≠サのもので、超法規的′セ動をこととする、下劣で卑しい党派はない。

 我々の内部でも激しい論争や路線対立もしょっちゅうだったが、しかしそれが暴力的な対立に至ったことは一度としてなく、まして新左翼諸派のような、野蛮で愚劣な「内ゲバ」といったものに関係したことも一度としてない。

 長い活動の中で、一度として幹部等々の金銭腐敗が問題になったこともなく、予算、決算等々で不正や疑惑が問題になったこともない。

 今回の結成大会では、10年ぶり、20年ぶりの赤字のない、前年度一般財政の決算報告がなされ、党にそれが引き継がれることになったが、それは収入が増えたということではなく、支出を大幅に切り詰めた結果に過ぎない。

 だから我が党は、まさに河上肇の晩年の詩にあるように、河上肇の人生そのもののように、「俯(ふ)して地に 恥(は)ぢず, 仰(あふ)ぎて天に 愧(は)づる無し」の党である。

 期待と信頼を寄せられることを!

   


   

「労働の解放」について

綱領・前文より

 我々は綱領で従来の「社会主義」という言葉に代わって「労働の解放」という言葉を押し出し、また党名にも用いているが、もちろん両者は基本的に同じ概念である。しかし社会主義という言葉が、歴史的に社会民主派、改良派やスターリン主義派(共産党)らによって卑しめられ、汚されており、またブルジョア的観念にさえ堕している現在、労働者階級の解放やその夢を託す言葉として余りに陳腐であると考え、より深い労働者解放の理念として、「労働の解放」の概念を高く掲げることにする。

 もちろん、「労働の解放」の概念は搾取の廃絶や、賃労働の廃止(労働能力の商品化≠フ廃止)と言い変えられるが、しかしそれよりも深いものである。それは労働者、勤労者の社会的な労働が直接にそうしたものとして現れないで、商品の「価値」、つまり対象的な′`、物化≠ニいう形で現れ、したがってまた貨幣、資本という形で(貨幣資本に止まらず、生産資本、商品資本等々としても)現れ、逆に労働者、勤労者に対立し、抑圧し、非人間化するモノに転化することと深く関連している。だから労働者、勤労者が本当に解放されるには、単に資本主義に止まらず、市場経済≠サのものが廃絶されなくてはならない。そもそもスターリン主義者たち(共産党など)が言いはやす、「市場経済的社会主義」など幻想であり、あり得ない。


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