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マルクス主義同志会機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1288号 2016年10月23日
【一面トップ】始まった生前退位の策動――安倍政権の野望と都合のためだけに
【1面サブ】11月の働く者のセミナー
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】常態化する長時間労働――搾取労働の空恐ろしい現実
【二面トップ】国会で始まったTPP論議――自由貿易を装いブロック経済を策動

※『海つばめ』PDF版見本

始まった生前退位の策動
安倍政権の野望と都合のためだけに

 安倍政権は、天皇が憲法に反して、自らの意思を、生前退位という、極めて政治的な意味を持つ意思を断固として表明したのに、当初当惑しつつも、天皇と、また同時に、“伝統的な”天皇制護持にする固執する国家主義派、国粋主義派の反動らと、さらには「国民」の――というより、自由主義的世論の――すべてをなだめ、納得させてうまく納めるための策動に乗り出している。かくして安倍一派は天皇の意思を尊重するかに見せかけつつ、他方では反動派をも納得させる解決策を見つけ出さなくてはならないのである。

 安倍は、現行の天皇制の根底には指一本触れず、明仁(現天皇)にのみ生前退位は認める「特例法」で、昭仁を納得させ、世論をなだめ、反動を抑えて乗り切ろうとしている、要するに天皇制について真剣な議論を始めたら、つまりパンドラの箱を開けたら、どんなに多くの災厄のもとが飛び出してくるか分からない、天皇制の制度の問題は棚上げし、明仁個人の問題にすれば、面倒なことが起こる前にあっというまにケリが付くだろう、「触らぬ神に祟りなし」だ、明仁の要求は急を要することだと言いはやせば、国民もリベラルも納得せざるをえないだろう、国家主義派、天皇制主義派も騒ぐ暇もないだろうというわけである。

 安倍は「有識者会議」などをでっち上げて、慎重に「検討」し、結論を出すかに装うが、すでに結論は最初から決まっている。つまり現天皇は2018年に生前退位させるが、それは皇室典範を改定することによってではなく、つまり憲法にそった、合法的なやり方ではなく、憲法に反した「特例法」をでっち上げるといった、いつものやり方で押し通すと、事実上、公言するのである。

 時間をかけて、まるで「やぶをつついて蛇を出す」様な状況に陥らないために、問題が、議論が、対立がますます本質的なものに、つまり天皇制のいくらかでも根底的な改革――例えば女帝の容認等々――や、その廃絶といったところにまで深まらないように、しかも国家主義派の激しい反発も呼ばないように、手早く結論を出し、天皇の意思を曲がりなりにも実現しなくてはならない。

 困惑する安倍にできることは、天皇の生前退位という意思を尊重するかに見せかけ、それを中途半端なものに矮小化しつつ、他方では、反動に対しては、皇室典範には手を付けない、つまり天皇制の根源は守るといって何とかなだめることだけである。

 天皇制の「根源」とは、「国体」の真髄、神の子孫としての「万世一系」の神聖な血筋ということであり、それを守り、永遠に継続させ、国の基(もとい)としていくということである。ついでに言えば、天皇は「神聖にして侵してはならない」という、旧憲法の精神は、今の憲法にも隠然として貫かれていることを、憲法擁護の愚者たちは知らないのである、知らないふりをしてごまかしているのである。何という反動どもであることか。

 安倍一派や国家主義派は、事実上天皇を「神」とあがめながら、国民の誰よりも天皇の意思を決して尊重しないのであり、常に自分らの意思に天皇の意思を従属させようとするのだが、これはまさに天皇制の本性から出てくる矛盾であり、パラドクスである。

 天皇を至上の存在とする反動派や権力についた安倍一派は、また天皇の上に立つ存在というわけだが、それは天皇をお敬いになる安倍とか石原(愼)らが、天皇を自分たちの政治のための道具のようなものと見なし、天皇をいくらでも利用しようとすることはあっても、本当に信頼も尊敬も払っていないことからも明らかであろう。

 もし安倍一派が天皇の本当の意思通りにしようとするなら、堂々と「憲法の大道」に立って政治を行うべきである、つまり皇室典範を改定することで、天皇の意思に答えるべきだが、安倍にはそれを実行する勇気も意思もないのである、というのは、自分が本当に頼れる唯一の勢力、頑固な国家主義派、国粋派の支持を失なったことが、第一次安倍政権の崩壊につながったという、あの悪夢が蘇ってくるからである。ここでも安倍は、至尊の存在であらせられる天皇の意思よりも自分の野望や利益を優先させるのである。

 安倍はだから、天皇の意思はいくらでも歪め、無視しても気にかけず、自分たちの政治のために天皇の意思さえ矮小化し、歪め、自分の権力固めのために悪用しようと策動することができるのである。臣∴タ倍はそんな畏れ多いことをしていいのか、まさに典型的な不忠の臣≠ナはないのか。

 安倍は、自分の意思通りになる、肝いりの「有識者会議」を組織し、そこで公平で、真摯な議論をやり、天皇の意思にそった解決を検討するというのだが、しかし驚くべきことに、安倍はすでに、その結論を出し、公然と披露している。

 その場限りの、便宜的な特例法でやるということはもちろん天皇の意思ではない、というのは、天皇は自分個人のこととしてではなく、象徴天皇制の問題として生前退位を持ちだしていることは明らかだが、それは憲法の規定に従えば、皇室典範を変えることなくしては不可能だからである。

 中国の「海洋進出」に対しては、あれほど法的秩序≠突きつけ、わめく安倍は、自分の場合となると、集団的自衛権や安保法の時にも、あるいは天皇制の問題でも少しも法的秩序≠ネど尊重しないし、する必要を感じないで、超法規的に=Aつまり専制主義者やファシスト≠ニして行動するのである。

 「天皇の公務負担軽減等」の有識者会議とは、安倍政権のための政治や策動を「国民的合意」を装い、また真剣な議論や十分の検討をへたという外見を得るための形式、道具立て以外ではなく、何の実質的な意義を持っていない。

 とにかく、安倍は女帝問題とか、天皇制廃絶とかいった、厄介で、根源的で、危険な議論が沸騰してくる前に、この問題をさっさと解決しなくてはならないのである。

 だから有識者会議の6名は、有識者≠ニ言うより、安倍の取り巻き連中か、安倍と意思を通じる連中ばかりであり(今井敬とか御厨貴等々)、また十何人の学者などからのヒアリングをするというが、その人選は安倍政権が行うのだから、間違っても安倍政権の意思と違った結論が、そこから出てくることはないのである。最初からできレースであり、茶番である。

 そして呆れたことに、念には念を入れてか、今の宮内庁の役人は信用できない――天皇の意思通りに動きすぎる、皇室を代表し、皇室側にたって発言する云々――と、長官を変えた上に、安倍政権の意のままに動く、内閣危機管理官の西村泰彦を強引に送り込んだのである。安倍政権にとって目の上のたんこぶになりかねない日銀を乗っ取り、また都合の悪かった内閣法制局やNHKを占領したのと同様のえげつないやり方、安倍政権の卑しい権力主義的本性を暴露するやり方である。

 天皇の「生前退位」の意思表明はただ天皇一家の天皇制維持の野心から出たものであって、それは、憲法が象徴天皇≠ノ唯一認めた「国事行為」を超えていく「公的行為」――戦没者の慰霊のための、あるいは震災地への行脚等々、半ばあるいは徹頭徹尾政治的な意味を持つ、天皇がいわば勝手にやっている行為、天皇の負担となっているという多くの行為――を正当化、合法化を意味するものでるあるが、そんなものは天皇が「国民と共にある」という装いをこらすために、やっていることでしかない。あってもなくても大して違いのないもの、多くの人にはありがた迷惑のこと、あるいは不愉快なこと、ある場合には怒りさえおぼえる、「いい気なものだ」というしかないような行為に過ぎない。

 天皇等はそんなことをもって、「国民と共にある天皇制」といった虚構を演出し、自らの特権的な、そして反動的な存在を誇示し、延命を図ろうということにすぎないが、かつて国民と共にではなく、軍部と共にあって、何百万、何千万の国民に地獄の苦しみと、不幸と、死さえももたらし、事実上「戦争犯罪人」として告発されたことをごまかし、なかったことにしようと策動するのである。

 明仁は「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」を期待するのだが、つまりそれこそ天皇制の存在意義であり、天皇制を永遠に続けていくという明仁の野望の表現である。国民のために、国民とともにあるという虚像を何としても作り上げることなくして、明仁にとって天皇制存続の道が見つからないのだが、それはかつて昭和天皇が軍部と共にあることによって、天皇制の存続と延命を図ったのと同様である。

 明仁は昭和天皇と比べても、国事行為以外の「公務」を何倍にも肥大化させてきた。産経新聞は、どういう意図からかは分からないが、天皇の仕事の多さを、大変さを強調している。義務的な「国事行為」である、書類の決裁は年に1060件、首相や閣僚136人の任命式、文化勲章の授与式など73件もあった。さらにそれ以外の余計な「公務」、つまり天皇と天皇制の露出のための、多くの仕事がある。

「(昭和天皇と比べて)現在の天皇の着任、帰任の大使との拝謁数は4・6倍に、地方への訪問は2・3倍に増えている。昨年は15県40市町を訪ね、福祉施設などの関係者を激励されている。床に膝をついて見舞う被災地ご訪問も即位以来、55回を数えた」(10月18日)

 また海外にも、親善のためとか、激戦地≠ノおける慰霊のためとか、何回も出かけている。

 天皇一家もまた、自分たちの地位が決して安泰でもないし、安定しているとも思っていないのである、無用で、寄生的で、有害でさえある天皇制を廃絶せよという、労働者、勤労者の歴史的にも、現実的にも全く正当で、必然の要求を恐れ、それに絶えず怯えるし、怯えざるを得ないのである。

 つまり生前退位を言い出した明仁の真意は、その最奥の動機は、すでに歴史的に無用で有害なものになった天皇制――アジア・太平洋戦争における犯罪的役割を想起せよ――の正当化であり、永続である。

彼は天皇が単なる憲法で定められた「国事行為」だけを行う「国家の機関」、飾りものの内裏雛であっては満足できないのである、そんな地位に甘んじているかぎり、あたかも江戸時代の天皇制がそうであったように、ますます存在感や存在意義を希薄化させ、結局のたれ死にし、滅びるのを恐れるのである。明仁は天皇の地位を継いでから、単なる「国事行為」だけではなく、天皇一家などが言いはやすところの「公務」にもますます積極性を発揮し、懸命に務めてきたのだが、年を重ねるとともに、その任務が重荷になり、次代の後続に託し、同じように――或いはそれ以上に――「公務」に励み、新しい天皇像――国民と共にある天皇、国民によって支持され、愛されて確かに存在する天皇像――を、従ってまた天皇制を確かなものにし、永続させたいと野望をたくましくし、熱望するのである。

 しかし天皇が「公務」と称して、あれこれの社会的な行事にかかわるのは危険なことではないのか。そしてそんな社会的な行事は、いくらでも政治的な意味を持つものもあり、また天皇が関与することによっていくらでも、政治的な意味を持ってくるのである。石原はオリンピックを日本に誘導しようとして天皇制を悪用しようとしたし、また民主党政権当時、小沢は中国の習近平(まだ権力につく前)が来日したとき、天皇を引き出そうとして策動した等々の例がある。また天皇が自分から言い出したかどうかは知らないが、「慰霊の旅」といったものは、直接に政治的な意味を持つ行為であって、明仁らが手に染めていいことではない(単に政治的な意味を持つだけではない、天皇一家がそんなことを行うほどに破廉恥なことはない)。

   

11月の働く者のセミナ

★広島 日時:11月5日(土)午後1時半から 会場:広島市・ 己斐公民館(JR西広島駅)

 テーマ:どうなるの? 国の借金1千兆円!

★京都 日時:11月6日(日)午後1時半から 会場:京都市下京区いきいき市民活動センター(JR京都駅)

 テーマ:アベノミクスと金融破綻、財政破綻、経済破綻 

★大阪堺 日時:11月6日(日)午後2時から 会場:堺市総合福祉会館(南海高野線 堺東駅)

 テーマ:実質賃金が20年間下がりっぱなし――なぜこんなことが起こるのか? 現実を知り、闘いに立ち上がろう!

   

【飛耳長目】

★天皇と天皇制に対する最近のマスコミ報道は、何の批判意識もないばかりか、必要もないのに一面的に、誇大に書き立てるばかりである。まるで天皇制を悪用する反動派や安倍政権の御用新聞と見間違がえるほどである★朝日新聞など始めとするリベラル・マスコミも含めて、マスコミは45年の敗戦のときまで、天皇制軍国主義とその戦争に全面的に協力し、軍部や天皇一家が国民の全体を反動戦争に駆り立て、数百万の労働者、勤労者を死に追いやる悪事に手を貸した★マスコミが軍部の道具、手先になって、国民を「天皇のために死ね」と扇動し、無意味な死に追いやった罪は、いくら弁解しても仕切れるものではない。朝日らは今、それを忘れたかに振る舞っているが、それは天皇一家が自らの罪を、まるでなかったことのように振る舞っている厚顔無恥と同様である★マスコミは過ちを認め、二度と繰り返さないと誓ったのであり、だから自らの罪と責任を認めもせず、反省の言葉もなく、国民に謝罪さえしていない天皇一家とは違うと言うか。しかし今また天皇の神聖化、神格化に手を貸すなら、軍国主義的専制に道を開きかねないのであり、その点では、再び同じ過ちの道に足を踏みいれるのと同様である★一度ならず二度、三度とそんな「過ち」を繰り返すなら、それはもはや「過ち」では終わらないことをマスコミは悟るべきであろう。(鵬 )

   
   

【主張】

常態化する長時間労働
搾取労働の空恐ろしい現実

 昨年12月、電通に入社して一年の24才の女性が過労自殺した。厚生労働省が実態調査に乗り出しているが、彼女の労働条件は超過勤務が月105時間にも達したとか、連続53時間の拘束労働があったとか、常識外れの悲惨なものだった。まさに資本による殺人でしかない。

 彼女は母子家庭で、親に楽をさせようと猛勉強して大学に入学、卒業して働き始めたばかりであったが、搾取企業の狂暴な仕打ちに会い、半ば正常ならざる精神状態や鬱病に追い込まれ、自ら命を絶ったのである。

 電通は同じような過激労働を新入社員に強要し、自殺に追い込んだ事件が25年前にもあった。電通の労働強制の体質は、否、資本の本質は全く変わらなかったのである。

 電通の社員は5万名もいる。とするなら、少なくとも、そんな多数の賃労働者が多かれ少なかれ同じ経験をした、あるいはする可能性があったわけである。そして日本には数千もの大企業があることを想起するなら、労働者の被っている労働強制の空恐ろしさを確認できるだろう。

 こうした激烈な長時間労働、残業の強要が労働者にとって持つ意味は広汎な労働者にとって重大である。

 最近も問題になったワタミの若い女性の自殺の例や、日本マクドナルドや富士通でも似たようなことが明らかにされている。

 「厚生労働省によると、過重労働の撲滅に重点的に取り組み始めた2015年4月から12月までに立ち入り検査調査をした6530事業場のうち、半数を超える3790事業場に対し、違法な時間外労働があったとして是正勧告書を交付した。電通は是正勧告後、『長時間勤務の抑制などの取り組みをしてきた』という」(日経新聞19日)

 しかし電通の入社早々の女性労働者が過酷労働に耐えきれず自殺したのは、この勧告後のことであって、企業は事実上、勧告など全く意に介さなかったことが暴露されている。

 事業場の58%が、違法な長時間労働を行っている事実は深刻であり、重大であって、労働者の全体が死にまで追いやるような搾取労働にさらされている事実を教えている。

 反動の、つまりごくつぶしの産経新聞でさえ、次のように書かざるを得ないのである。

「厚生労働省がまとめた『過労死等防止対策白書』によると、昨年度に過労自殺(未遂も含む)で労災認定されたのは93件だったが、勤務問題を原因の一つとする自殺は2159件にのぼった。労災認定は氷山の一角ともいえる。

 同省の企業アンケートでは、残業時間が月80時間を超えた社員がいる会社は2割を超えた。今回の問題は電通だけでなく、長時間労働が広がっている産業界への警鐘と受け止めるべきである」(15日)

 まさに資本主義の下、日本は残業列島、長時間列島、搾取列島そのものである。これは何か偶然の、部分的の、あるいは一時的の現象といったものではない。

 非正規労働者の大群、差別労働の跳梁跋扈と共に、正規労働者の、否、労働者全体の上に重くのしかかる長時間労働は直ちに一掃されるべきである、さもなければ日本の労働者階級は滅びるしかない。

 我々は「労働の解放」こそ労働者全体の緊急の課題であると主張し、搾取労働と差別労働の即時一掃を呼びかける。

 そして長時間労働、搾取労働の一掃なくして差別労働の廃絶はなく、また差別労働の廃絶と結びつけられることなくして搾取労働の一掃もないと強調する。

   

国会で始まったTPP論議
自由貿易を装いブロック経済を策動

 国会でTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の質疑応答が始った。民主党政権のもとで始まり、当初は「聖域なき自由化」を唱えるなら参加しないと強弁していた安倍政権も、オタワ宣言の原則に固執しないなら、つまり日本のわがままが仮に形だけでも通用するならとオバマから一札を取って、ようやく遅ればせにTPPに参加した。

そして安倍政権は、今では、全ての参加国に先だって、国会批准を成し遂げ、迷い、逡巡する米国の尻を叩いてでもTPP批准を実現させようと執念を燃やしている。TPPでもつまずくなら、今や落ち目にさしかかった安倍政権の命運にも関係してくるからである。

もちろん安倍政権が、TPPは世界でも最大の自由貿易圏の出現であり、そのバスに乗り遅れることは日本にとって決定的損害だというのは詐欺みたいなものであって、それは、EU(欧州連合)をそんな風に呼ぶのが間違いであるのと同様である。

TPPが、仮に参加国全体で世界経済の4割の比重を占める巨大なものであれ、一つのブロック経済圏――EUやAIIB(中国を中心に組織された、アジア 投資銀行)と同様な、あるいはそれらに対抗する――であるのもまた一つの真実である。

だからこそ、アジアへの、あるいはすでに世界への覇権を追求する中国への対抗意識に燃える安倍政権には、米国以上にTPPにこだわるのであり、こだわらなくてはならない理由があるのである。

だから安倍が自由貿易のチャンピオンであるかに装うのは偽りであって、日本は農業保護主義等々に固執することによって、むしろ本当の自由貿易主義つまりGAT(関税及び貿易に関する一般協定、グローバルな自由貿易主義を追求した)やWTO(世界貿易機関。95年、ガットの後を継ぐ)の足を引っ張り続け、それを機能麻痺に追い込んできた張本人の一つである。

例えば、日本の農業の自由化率は、今回のTPPの実行後にもまだ81%と、TPP参加国の中でも最低のレベルであり、日本以外の参加国の平均自由化率、98・5%に対して圧倒的に低くなっている。日本においては、「聖域なき自由化」というTPPの原則はないも同然で、すでに骨抜きになっているのである。

安倍一派や国家主義派はトランプや欧州の民族主義派や反動派と同様に、伝統的に「聖域なき自由化」つまり自由貿易主義の敵でさえあったし、今も「棚田は日本文化の象徴」だなどとたわいもない国粋主義をふりまくのを見ても分かるように、その本性は変わっていない。自由化に向けて、農業の競争力を強化するというが、その意味は補助金漬けにし、支えるといったこだから、実際には農業の衰退と解体、その消滅の危機にさえ手を貸しているのである。

安倍は「攻めの農業が必要だ、TPPは日本農業が世界に打って出るチャンスだ」と呼号するが、しかし競争力を高めることなくして掛け声だけで、農業が海外市場に進出できるはずもない。

そしてTPPを前にして、農業保護しか提起できないとするなら、日本の農業がますます世界の農業に太刀打ちできないものに転落していくことは、1960年代からの日本農業の歴史をちょっと振り替えるだけでも明らかであろう。安倍一派は日本の歴史から何ものも学ばなかったのであろうか。安倍は、「地方創生を進める中で、地方にとってもTPPをチャンスにしていきたい」と、つまらない願望を並べるが、真剣な農業の「構造改革」や「規制緩和」に背を向ける安倍政権のもとでは全て幻想に終わるしかないであろう。

太平洋の彼方では、ヒラリーは、TPPに当選後も反対だと強調し、「雇用を減らし、賃金を下げる全ての貿易協定を止める」と叫んでいる。それは、トランプと同然だが、欧州においても国家主義派が、そして日本においてさえも安倍一派が言っていることと、基本的に同じ傾向である。

 そもそも「聖域なき自由化」というTPPの原則に例外が認められたからTPP参加だなどという安倍に、自由貿易の本当の意味も意義も分かっていないのである。TPP参加において、「しっかりしたルールがしかれた」と言うが、それは安倍にとっては、「国益」を掲げて、ホノルル宣言の「聖域(例外)なき自由化」という原則をねじ曲げたことにすぎないのだから、「しっかりしたルール」を守るも何もないのである。

安倍にとってTPPは、一方では自由貿易主義、他方では保護貿易主義を都合よく使い分けて、国益、国益を叫んでいるだけのご都合主義、権力保持のための方便でしかない。

そもそも自由貿易における「国益」とは、保護主義とは全く別のもの、その対極に立つものであり、保護主義によって決して実現され得ないものだという原則さえ分かっていないのだから、安倍の経済学オンチは窮まっている。

そして国内農業を保護せよ、小経営と米作を何が何でも守れ、棚田は日本の歴史であり、文化だ、保護することで(補助金漬けで)競争力を保障する、と大騒ぎするのだから、安倍は、八方美人と権力保持の野心しかない、単なるろくでなしでしかないのである。

我々は、TPPが単純な自由貿易主義の実現ではないこと、現代のブルジョアたちはすでにそれを実現できる進歩的な存在ではないばかりか、自由貿易のスローガンの陰で経済のブロック化や保護主義にいくらでも走ること、また事実そうしていることを確認し、TPPの反動的で、帝国主義的さえある本性や、それに“賭ける”安倍政権の野望を明らかにして闘って行かなくてはならないのである。

 自由貿易主義は歴史的には進歩的であり、仮にそれがブルジョアたちにとっての利益であっても、労働者、勤労者は原則としてそれに反対することはしなかったのだが、しかしTPPといったものは、今では日米の帝国主義的策動の一手段にさえ堕しており、反動的であると、我々は告発する。

現代のブルジョアたちは、経済的困難や矛盾の深化や長期的な停滞や衰退の中で、つまり資本主義の利得のではなく、その損失の分け前を争うときに至って、自由競争や自由貿易やグローバリズムにますます背を向け、規制、統制の強化や保護主義に走りつつある。

TPPだけではなく、日本とEUとの経済連携協定(EPA)も雲行きが怪しくなり、EUと米国の環大西洋貿易投資協定(TTIP)は、ごく最近、双方でその実現を断念してしまった。TPPが、その後を追うことがないと決して断言できないのである。

反動派は、オバマのTPPは単に経済的な∴モ義を持つものではなく、それ以上に、アジアでも覇権主義を強める中国を意識し、中東に「ピボット(軸足)」をおいて来た米国の防衛・外交政策をアジアに置き換える、重要なカギを握っているものであって、その挫折は「米国のアジア・太平洋政策を対象とした大政策」を台無しにすると叫んでいる(産経新聞9月20日、田久保忠衛)。

またフィナンシャル・タイムズで、アジア・エディターのジヤミル・アンデリーニも、「TPPはアジアや世界における米国の指導力を示す最も重要な試金石の一つ」であり、米国の国益そのものであるとして、「もし批准されなければ、中国がアジア地域の覇権国家として米国にとって代わろうと動いている時だけに、米国の失態の影響はアジア全域に及ぶであろう」と主張している(日経新聞9日)。

 だからこそ、安倍はTPPの参加国の先頭に立って、その批准を何が何でも実行し、動揺する米国の尻を叩いてでも、米国に批准してもらわなくてはならないのである。

 世界的に資本主義の矛盾が深化し、その歴史的な停滞や衰退、寄生化や腐朽が深化するなかで、世界的な諸国家の対立や勢力の再編が現実のものとなりつつある。日本資本主義は、そして安倍政権はどこへ向かうのであろうか、そしてその中で、労働者、勤労者はいかなる立場や戦略で、いかに闘い、いかに自らの未来を切り開いていくべきであろうか。

   
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