WPLLトップページ E-メール


労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

定期購読料(送料込み)1年分
  開封 2000円
  密封 2500円

ご希望の方には、見本紙を1ヶ月間無料送付いたします。

◆電子版(テキストファイル)
メールに添付して送付します

定期購読料1年分
 電子版のみ 300円

A3版とのセット購読
  開封 2200円
  密封 2700円

●お申し込みは、全国社研社または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。



郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
  または各支部・会員まで。
  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1353号 2019年6月2日
【一面トップ】伊藤恵子を比例候補(特定枠)に――差別され苦悩する女性労働者のため闘う
【1面サブ】Uチューブにご注目を――街宣活動のビビッドな再現
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】安倍政治の行く末――後は野となれ山となれ
【二面トップ】比例区候補菊池氏の著書――大革命期の教育論を余す所なく描く
【二面サブ】パンフ紹介 『野党共闘の幻想』――小パンフ活用して共産党を解体へ

※『海つばめ』PDF版見本

【1面トップ】

伊藤恵子を比例候補(特定枠)に
差別され苦悩する女性労働者のため闘う

 5月18日、19日の二日間にわたって開催された労働者党の大会は、2カ月後に迫った投票日に向けて、如何なる政治方針でもって、いかなる陣容で参院選を闘うかで最終的な意思の一致を勝ち取りました。

 政治方針としては、基本的にはこれまでの路線や立場を維持すると共に、具体的には消費増税反対、憲法改定反対の立場を貫きつつ、共産党や諸野党とは違って、安倍の具体的な攻撃に正しく対処し、反撃する必要を確認しました。

 つまり憲法改定問題では、単に「改定反対、9条を守れ。9条を守って平和を」では闘えないこと、あるいは単に「消費増税反対、消費税をなくせ」でも闘えないこと、したがってまた安倍政権の具体的な政策に即した闘いや、消費増税の実質的内容を暴露して、実際的な政治闘争として闘うことを確認しました。

 一層具体的にいうなら、安倍政権の憲法改定案は憲法9条の2つの項目を残しつつ、それに機械的に自衛隊の名を入れるといった、いわば平和主義に軍国主義をくっつけるといったふざけたものであり、自民党がこれまで憲法改定の中心的課題としてきた、平和主義の9条を廃棄して、自国の防衛とそのための軍隊を必要とすることを明記した基本的な立場さえ曖昧にした、憲法改正のための憲法改正を自己目的としたような安倍改正案を持ち出して、憲法改定をもてあそび、政争に利用するようなものであることを告発して、闘い抜くということです。

 そしてまた消費増税とその〝転用〟については、消費税や消費増税に反対しようという諸野党の闘いではなく、消費増税とその転用――乳幼児教育の無償化や全世代型社会保障の費用への転用――という安倍の参院選闘争の一つの主要戦略に反対する闘いとして、反撃するということです。

 そして乳幼児教育の無償化や全世代型社会保障などという観念は全くわけの分からない、安倍政権の新規のバラ撒き政策の口実であって、若い労働者のペアや女性労働者の要求とは何の関係もありません。

 確かに若い労働者のペアや女性労働者の最優先の要求は保育の充実ではありますが、それは安倍のいうような乳幼児教育の無償化や社会保障の問題とは全く別物です。

 若いペアや女性労働者が望むものは社会保障ではなくて、乳幼児保育の重荷を軽減して、自分と家族のために働き、また社会のためにも働くためであって、それは生産的な、社会に有用な労働をするためです。

 だから保育の充実は、彼らにとっての社会保障ではなく、反対に、経済の成長や社会保障の原資を増やすための労働に従事するということです。

 他方、安倍は乳幼児保育の問題を社会保障の問題と間違って理解するために、保育の問題の本質も理解できず、保育の充実よりも乳幼児へのバラ撒きを優先させ、結局若いペアや女性労働者の緊急の課題である保育の充実を軽視して、参院選挙のためのバラ撒き政策にセイを出すのです。

 我々は安倍政権の政治闘争を、野党のように、抽象的な闘いにするのではなく、また安倍政権と同様なバラ撒き政策で競い合うのでもなく、消費増税の転用とか、乳幼児教育の無償化とか、全世代型社会保障等々の具体的な安倍政権の政策やイデオロギーに対する具体的で有効な反撃として、闘い抜こうと考えています。

 また戦術的には、すでに破産を暴露し、安倍政権を助け、その延命を許してきた野党共闘路線ではなく、安倍政権と闘い、その一掃を目指すすべての政党、諸勢力は、それぞれ独自に、それぞれの立場と政綱を掲げて闘い、それぞれの闘い方で、それぞれ全力を挙げて安倍に反撃し――必要ならお互いに必要な妥協や配慮をしつつも――、そうすることで野党の力を最大にして安倍政権を倒すべきであり、従って我ら労働者党は自らの政治的立場や闘い方を低め、あいまいにすることことなく、自らの原則的な、独自の闘いを貫徹し、参院選においても安倍政権打倒の闘いの先頭に立つことを決定しました。

 また比例区4名――「特定枠」の伊藤恵子を先頭に、吉村ふみお、林紘義、菊池里志と、選挙区6名――神奈川のあくつ孝行、愛知の古川ひとし、大阪の佐々木一郎、広島の泉安政、長野の斎藤よしあき、北海道の岩瀬せいじ(立候補順)のそれぞれ特色と個性のある、一騎当千のそうそうたるメンバー、計10名を確定し、比例区を始めとして複数の議席を追求することも確認しました。

 比例区では、まず当選する「特定枠」に女性を決定したのは、今、労働者の中でもとりわけ差別され、苦境に置かれている女性労働者――安倍政権のもと、実際2000万にも膨れ上がった非正規の労働者の7割は女性である――のために、わが党が特に闘うことを重視したからであって、伊藤さんは高校卒後、一貫して普通の労働者として、しかも労働者党の一員として、労働者の利益と未来のために真剣に、粘り強く闘い、生きて来た人であり、労働者党の「特定枠」の候補者として最良、最適の人だと信じます。伊藤さんはかつて壮年期、兵庫県で2回国政選挙を闘っており、今回3回目の挑戦になります。

 また今回東京で闘う予定であった岩瀬氏は北海道で闘うことになりましたが、それは、首都であり、資本の勢力の中心であり、牙城であって、全国に寄生し、ブルジョア的であり、保守的な東京よりも、今や労働者・働く者が日本の経済的な矛盾や困難を集約し、背負っている地方で闘うべきだという判断もあり、北海道は我々の組織もあり、闘いやすいということと、北海道選挙区は自分の性にあっているという岩瀬氏の希望もあって決まりました。

 こうして我が党は参院選にむけて、最後の2ヵ月を全力を挙げて闘い抜き、勝利の展望を切り開く最終的な意思の一致を勝ち取りました。

 全国の読者の皆さん。

 本当に労働者・働く者の権利や利益や、そして未来のために一貫して闘う労働者党が公然と出現し、堂々と闘うのは稀有のことであって、事実上日本の歴史上初めてのことです。

 明治の社会主義運動も、昭和の〝共産党の運動〟もそんなレベルに達しませんでした。偉大な壮挙を実現し、新しい歴史を切り開くために、共に闘いましょう。

   

【1面サブ】

Uチューブにご注目を――街宣活動のビビッドな再現

 代表委員会はほぼ毎週、東京JR中野駅北口で、夕刻、2時間ほど街頭演説会を行い、林代表を始め、代表委員や「応援する会」の諸氏が熱弁を振るっています。

2時間の全ては無理ですが、演説会の様子や雰囲気や内容等々は、全国の読者も、生き生きとした、生の形で、直接にUチューブで見て、また聞くことが出来ます。

 労働者党のホームページから、簡単にUチューブに行けます。どうか閲覧して、我々の活気にあふれ、生き生きとした参院選挙に向けた闘いを感得してください。

 その他にも、また労働者党のHP(ホームページ)では、魅力的な企画をそろえています。トップページでは、代表委員会のメッセージを始め、『海つばめ』の案内、党大会の紹介をはじめ、10名の予定候補者の街頭演説会の写真、お知らせ欄での各種案内などを見ることができます。

 ページ右側には、党のブログやツイッターにリンクが貼られています。

 最近では、10人の候補者の一覧表、各候補者の個人パンフなどへのリンクが付けられ、この5月には、労働者と比例区予定候補の林弘義さんを「応援する会」のブログも開設されました。 党HPのURLは、『海つばめ』題字の右側にあります。是非、ご覧ください。また、友人・知人にも紹介し広めてください。


【飛耳長目】

★ようやく32ある参院選一人区の野党共闘候補者11人が決まった。まだ約3分の1。ほとんどが無所属である。新潟や岩手では一応決まりかけたが、もめていてまだ確定してない。そんなところが増えている★共産は「相互推薦、相互支援」を謳い、24名の予定候補をずらっと並べて示威に余念がなく、今回は「一方的に候補者を降ろさない」と自党ファーストの立場を露骨に示している。首尾よく福井で一人立候補の資格を得たが、16参院選の時と同じく、捨て扶持のように一人で妥協するのか、さらに複数の候補を得るためにゴネるのかは不明だ★2、3、4、6人の複数区では、立・民は独自の候補者を立てるという〝原則〟を謳い、特殊事情だとして譲った2人区の京都を除いて、複数区のすべてで候補者を擁立し、6人区の東京では2人を立てている。共倒れしない実力があるとうぬぼれているようだが、野党共闘派が共倒れする可能性は大きい★前回の参院選でも、千葉、神奈川、大阪,兵庫、福岡、東京などで野党候補者が〝乱立〟し、その結果、数議席は損したが、「本気の野党共闘」を大声で叫ぶ野党は共産党を先頭に結局みな自党第一で、「1足す1は2でなく3」などと謳いなが、野党共闘が機能しない選挙区はいくらでもあった★こんな有様では、近づく参院選でそもそも野党共闘が仮に成立しても効果を上げ得るか疑問だ。(鵬)

   

【主張】

安倍政治の行く末
後は野となれ山となれ

 アメリカの極端なケインズ学派の徒、ステファニ・ケルトンが、いくら財政赤字を膨張させても何の心配もないと公言し、その例証として、日本の安倍政権とアベノミクスをあげたので、安倍と黒田は困惑し、急いでそんな理論を実行しようとしているわけではないとか、日銀の異次元の金融緩和政策は全く無関係と釈明に追われているが、誰が見ても安倍や黒田の政策は極端なケインズ主義の理論の実行でしかなく、これまで安倍を支えてきたリフレ派のごくつぶしたちが大喜びで支持と応援を買って出たことからも明らかである。

 なぜ安倍や黒田は自らの経済政策がアメリカの高名な学者から正当だというお墨付きをもらったことに誇りを持ち、自信を持つ代わりに、当惑し、釈明に走るのか。彼ら自身、自分の政策になんの自信も持ちえず、近い将来の破綻を予感するからか。

 確かに彼らの経済政策が近い将来破綻し、経済膨張への人為的刺激策が、その反対物に転化するのは一つの必然であり、歴史的に数限りなく生じてきたことであるが、しかし安倍政権は自らの政権を安定させ、長続きさせるために、そんな安易で、場あたりの、しかも即効性のある政策を思いつくことしかできなかったのである。結果や、明日のことなどどうでもよく、今さえよければ安倍は満足できたのである、後は野となれ山となれで、安倍の知ったことではなかったのである。

 現在国家予算の3割以上、数十兆円は国債発行つまり借金で埋められている。国民は税金を払わないで、破綻しつつある社会保障や財政破綻も知らぬかに楽隠居を決め込んでいるも同然で、深刻な危機意識は皆無であり、安倍政権に任せていれば安心で、アベノミクスが何とかしてくれると信じているかである。

 年々数十兆円もの国家の借金が増え続け、累積債務が1千兆円を超えるような国家は破綻国家であり、そんな国家のもとで、今後、安倍政権や同種の「あとは野となれ、山となれ」式の無責任政府が続くなら、そしてわずか数%のインフレが襲ってくるとか、利子率が高騰していくなら、財政も金融もたちまち破綻し、経済関係も動揺し、正常な生産活動もマヒし、国家財政への依存を高めてきた社会保障制度もにっちもさっちもいかなくなり、音を立てて崩壊して労働者・働く者の生活もたちまち破綻し、困窮に陥っていくのである。

 実際、利子率がほとんどゼロだから、国家の利子支払いが年々8兆円ほどで済んでいるのだが、それから5%に上がっただけで、利払いは年々数十兆円に跳ね上がり、国家の年金や介護や医療の負担(すでに年々30兆円ほどに膨張している)も担えなくなり、社会保障の根源が揺るぎ、解体して行くのである。

 そんなときに野党は危機意識皆無で、安倍政権に同調して、消費を増やせ、そうすれば需要が増えて景気回復も経済成長も戻ってくる、などと能天気なばか話にふけるだけである。

 あるいは共産党は防衛費5兆円を削れば何とかなるとか、資本家や金融所得に寄生する金持ち連中に重税を課せとか、頭の中だけの数学に没頭していれば困難がたちまち消えるかのたわいもないおしゃべりに、幻想にふけっているだけである。

 こうした観念だけに遊ぶ空論家たちは、資本の勢力や金持たちにそんな重税を強要するには、労働者・働く者が政権を握るとか、階級的な闘いを大きく発展させるしかないということを知らないのである。口先だけなら、頭の中で簡単な算数をすることだけなら、小学生でもできる。

 無力な野党を圧倒し、安倍政権を打倒するのは焦眉の課題である。


【2面トップ】

比例区候補菊池氏の著書
   

大革命期の教育論を余す所なく描く

 わが党の比例区候補の菊池里志氏には、一冊の興味ある、しかも大きな意義のある著作がある。高校の教師を30余年勤め、高教組の運動に一貫して携わってきた菊池氏が、丁寧な研究と考察をしてまとめた「国民教育の成立とその歴史的意義――フランス革命期における公教育」である。林は出版されたとき、以下のような不十分で、いささかまと外れの紹介の文章を書かせてもらった。

 「菊池氏の本は、フランス革命期に現れた、いくつかの基本的な教育思想の分析、研究である。実にこの時期、(諸階級や諸政治勢力の立場や利害を反映して)『教育』についてのその本質や目的についての多くの、そして相対立する根底的な理論やイデオロギーが一挙に現れ、対立したのであり――大まかにいえば自由主義的、ジロンド派的見解と、急進主義的、ジャコバン派的見解だったが――、したがってまた現代にまでつらなるすべての教育理論の源流はみなここに姿を現したといって決して言い過ぎではない。資本主義の誕生する時期に、現代的な教育理論の原型もまたほとんど登場し、激しく対立さえしたことほどに、我々の興味をそそるテーマはないだろう。

 我々は当時の教育理論や「政策」(実践)を研究し、点検することによって「教育」とは何か、その本質、その目的とは何かを反省し、また現在における我々の実践的立場を確定するうえで、非常に多くのものを学ぶことができるであろう。多くの労働者が、とりわけ教育労働者が、この有意義な著書を真剣に検討されるように期待して止まない」。

 もちろん「現代的な教育理論の原型もまたほとんど登場し、激しく対立さえした」というのは正確ではない。マルクス主義的な立場からの「教育理論」といったものは当然「登場する」条件などなかったからであり、現代のますます頽廃していくブルジョアや反動派の教育理論――露骨な国家主義、帝国主義やファシズム流の教育理論を〝理論〟と呼ぶとしての話だが――も出現していなかったからである。

 にもかかわらず、ある意味ではすべての教育理論が、もちろん基本的な意味で、あるいは〝原型〟としてであれ現れたのであり、それゆえに我々がそれらを検討して見ることが大きな意義を持つのである。

 しかし菊池氏の本は決して読みやすいものではない。というのは、菊池氏は良心的に様々な傾向の教育理論や立場をまさに歴史に現れたままで紹介し、その歴史的現実と政治とその中でまず明らかにし、位置づけようとし、現在の労働者やマルクス主義的立場から解説し、位置づけることに重点を置いていないからである。

 だから菊池氏の書は一読して、複雑で、錯綜しているかに見えるが、それは、フランス大革命期と当時の政治闘争や思想闘争の、従ってまた〝教育〟をめぐる思想的、実践的闘争の複雑さや未成熟の反映であるにすぎない。

 菊池氏はフランス革命期における、様々な〝教育〟をめぐるイデオロギー的、実践的な対立や闘争を歴史的な条件と当時の諸階級の政治闘争の中で位置づけ、明らかにしつつ、現代における多くの、しかも有意義な教訓をくみ出し、引き出すという、困難にして重大な課題に挑戦し、取り組んでいるのである。

 菊池氏はまとめの部分で自由主義派のコンドルセ(ジロンド派系)と、独立した農民らの小生産者の立場に立つルペルチエ(ジャコバン派系)に触れ、「ブルジョア社会の中では、貧困家庭における『学ぶ自由』は、子どもの受教育権の否定となり、教育の不平等、エリート養成教育につながる。彼の公教育論がめざしたのは、共和国市民の理想像、つまり『頑健で、勤勉で、几帳面で、規律正しい、変革された人間』であり、『新しい民族の創造』であった」と論じ、コンドルセが小学校の修業年限を4年間にしたのを批判して、「12才にならなければ自立した人間としての基礎が形成されない」というルペルチエの文章を引き、さらに我々の実践的関心を呼ぶ,次のような彼の文章を紹介している。

「12才になれば、それらの職業それぞれの、修業を始めるときがきたのだ。あまりに早すぎると、その徒弟修業は早熟となるだろう。余りに遅すぎると、児童期の幸せな贈物たる、あの順応性、あの柔軟性が十分残っていないだろう。12才までは、共通の教育がいい、というのも、12才までは、農夫とか、職人とか、学者とかを作るのが問題なのではなく、あらゆる職業のために人間を形成するのが問題だ。」(103頁)

 菊池氏は資本主義と〝公教育〟との関係、公教育の意義と限界について、次のように書いている。

「資本主義が発展すればするほど、公教育の比重は高まって行く。資本主義が必要とする高度の知識や技術は、もはや家庭の手には負えなくなるからである。しかし、公教育がいくら拡大発展したからといって、市民社会における教育の私事性という本質がなくなるわけではない。確かに学校教育は公共的性格を備え、社会公共の立場で教育が実施されているかであるが、私利私欲の追求の場である市民社会における公教育である限り、教育の公共性と私事性の対立は止揚されないのだ。

 もし市民社会の個人が自己保存の欲求や利己心のみで行動すれば、市民社会は結局解体することになる。ここに市民社会のジレンマが生まれる。国民としての連帯意識や道徳を個人に植え付ける役割、つまり訓(徳)育を実施する役割が市民国家に期待されるようになるのだ。そもそも市民社会は個人相互の連帯性や社会性を前提にしていない。人間の本質を自己保存の欲求や自愛心に求める人間観のなかには、人間の類的本質としての共同性といったものは存在しないからである。せいぜいアダム・スミスのように、各人がおもいおもいに自己利益追求をした結果、『見えざる手』によって全体の調和が生まれるというのが精一杯のところである。十八世紀の思想家のなかでは、わずかに、人間の類的本質としての共同性を直感的に感じ取ったルソーその他が、『哀れみの情』や『同情心』を利己心と並べて人間の自然的本質として主張しているにすぎない。人間どうしの相互依存、社会性の原理をみずからもたない市民社会は結局、国家への依存を高めざるをえないのだ。」(123~4頁)

 現在ブルジョアや金持やエリートの中で、〝幼児教育〟の決定的な重要性とか、〝教育〟は早ければ早い方がいいといった、妄言じみた〝天才教育〟論までもがもてはやされ、安倍政権まで〝いかれている〟現在、こうした〝理性〟の言葉に触れてみるのもまんざら悪いことではないだろう。

 労働者の立場からの発言ではないにしても、我々に〝教育〟なるものに対する、根底的な反省を迫ってやまない。     (林)

   

【2面サブ】

パンフ紹介 『野党共闘の幻想』
小パンフ活用して共産党を解体へ

 2015年の秋、いわゆる「戦争法」を、安倍が集団自衛権は合憲であるという〝閣議決定〟を根拠に成立させたとき、市民派の運動が高揚し、共産党や野党もそれに同調して、野党共闘が成ったかに見えたのに、志位はいたく感激して国民連合政府構想を打ち出し、それと共に野党協調路線を唱えた。

 そして全ては、志位はこうした路線を、翌16年の参院選に適用し、32の1人区で野党共闘を何とか成立させ、闘いを開始し、それに対して我が党が間違った方針として異議を唱え、断固たる批判を開始したことから始まった。

 我々の批判は、このパンフの一章(2頁)に全文掲載されているが、簡明直裁に、野党共闘で押している候補者に労働者が真に信頼する人は1人としていないと暴露し、「そこで志位に問うのだが、諸君は本当に桜井充のような、事実上、自民党の政治家と大差ないようなろくでもない人間を、労働者の代表であるかに偽って国会に送り込んで責任が持てるのか、恥ずかしくないのか。例えば、桜井は安保法(戦争法)廃棄の法案が仮に国会に提出されても、それに賛成することは百%ないのだが、それでも共産党はいいのか、そんな結果に帰着する『野党共闘』に一体どんな意義があるのか。共産党の立場からしてさえ矛盾した、愚劣な〝戦術〟にならないのか」と主張した。

 こうした我々の批判と評価が正当であり、志位が正しかったかは、前回の参院選から3年間の政治闘争の結果、全く明白な結論が下されるのであり、理論の正しさは実践によって検証されるというのが一定の意味で正しいというなら、我々はこの3年間の野党共闘の実践的経験とその結果を検討してみなくてはならない。

 まず16参院選で野党共闘が11の1人区で勝ったから大勝利だという志位の話は本当であろうか。というのは、13年の参院選の時は、野党は2議席だから勝ったと言うが、13年の時に負けすぎた(2対29)反動でもあったということを勘定に入れれば大した勝利でもない。07年の参院選では、民主党は1人区の大部分で自公を負かしていたのである(23対6)。

 野党共闘路線が本当に問われたのは、16衆院選挙においてであった。

 選挙直前、志位が野党共闘の信用できるパートナーに数え入れていた民進党(民主党)の半分の右派議員達、ブルジョア議員達は、共産党と組むよりは保守新党の小池新党と組むことを選び、雪崩を打って、前原を先頭に野党共闘陣営から逃走してしまった。かくして野党共闘はあえなく空中分解、霧散し、やすやすと安倍政権派の圧勝を許してしまった。

 志位は敗北したのは「前原が裏切った」からだと前原に責任を転嫁し、なすりつけたが、前原一派のようなブルジョア分子を信用し、一緒に野党共闘で闘おうとした、自分の浅慮と間違いを反省し、敗北の責任を自覚することはなかった。

 まさに衆院選における〝野党勢力〟の完敗は、我々が予告し、警告した通り、前原一派のような連中を信用して一緒にやれといった、志位の路線の破産と挫折そのものであった。

 さらに驚いたのは、共産党の小池が、2018年になって、突如、16参院選の1人区で当選した11人のうち、野党共闘のみこしにのってめでたく当選した宮城選挙区の桜井充(当時民進党)を始めとする8人は「裏切者」だという断定をして、彼らを告発したことである(パンフ18ページ以下)。

 彼らが当時の小池の希望の党(後の国民民主党)に走ろうとしたからだが、しかし彼らが「裏切者」だというなら、彼らを美化し、担いで国会に送り込んだ共産党の行為は何なのか、それもまた〝裏切り的〟ではなかったのか。

 そして今また、共産党は19参院選で――今後の衆院選でも――、そんな連中つまり国・民党も含めた野党共闘によって安倍政権と闘う、闘い得るというのである。

 これ以上ないバカげた、愚劣な闘い方が、そして労働者・働く者を裏切る闘い方がどこにあるというのか。自からが「裏切った」と告発した連中、そして自らの階級的な本性と立場に従って、実際に公然と裏切った連中をまたまた美化し、腕を組んで闘うというのだ。

 17年の衆院選の時と同様に、彼らが「裏切らない」という保証がどこにあるというのか、しかも17衆院選よりもはるかに重大な、決定的な闘いや決戦の時に、である。

 我々の小パンフは、実際の現実の政治闘争に基づいて、志位路線の完璧な破綻と、その〝裏切り的な〟日和見主義と愚劣さを明らかにしている。

 今こそ、こうしたパンフも活用して、労働者・働く者の闘いを掘り崩し、敗北と挫折に導こうとする、そして卑しいプチブル党からブルジョア党にまで堕落して行く共産党の死命を制すべき時である。

   

ページTOP