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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1366号 2019年12月1日
【一面トップ】風前の灯の野党共闘――高知地方選の教える真実
【1面サブ】「党友」制度を発足させます――物心両面のご支援を
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】香港の闘い一歩前進――権力なお中国共産党の下に
【二面トップ】トリエンナーレの少女像展示問題を考える――自由を封殺する危険なファシズムの徴候
【二面サブ1】新年から週刊化に――『海つばめ』は紙面も一新、読みやすく
【二面サブ2】世代間格差が問題か――75歳以上の医療費2割負担く
   
※『海つばめ』PDF版見本

【1面トップ】

風前の灯の野党共闘
高知地方選の教える真実

 野党共闘の成果を明らかにしようと野党共闘派の諸党が結束し、共産党員を候補者として闘った高知知事選と、高知市長選は対照的な結果をもって終わり、高知なら共産党にとって一番有望な選挙区と期待していた彼らにとっては手痛い敗北となった、というのは野党共闘派の全ての党が結束して闘った知事選は、自公候補に17万対11万で敗北し、立・民と国・民だけで自公候補と対峙した高知市長選では、野党側が5・5万対3・1万で快勝したからである。野党二党が支持した市長選候補は現役で、無党派であり、県知事選の場合は、二人とも新人であったことは考慮するにしても、元民主党=民進党の2党なら勝てて、共産党まで加えた野党共闘派は敗北したという、共産党にとっては非常に具合の悪い結果が、つまり共産党が加わった、もしくは共産党員を候補者とした野党共闘は勝てないという結果が出てしまったのである。

 もちろん共産党員の候補者は一応は〝無所属〟で立候補したが、しかし共産党員であることは最初から明らかにし、また他の野党も、それを承知で野党共闘派の候補者として推したのだから、共産党員として立候補しようと、無所属で立候補しようと実際には変わりない。しかし共産党は地方自治体の選挙だから当然とばかり、〝無党派〟を装うというのだが、無原則そのものである。地方自治体の政治もまた、国政とは違うとはいえ階級闘争、政治闘争の場であることには変わりない。別であるといっても、地方政治では階級闘争、政治闘争の性格が狭く、ぼかされるといった、程度問題であるにすぎない。

 そもそも県会議員や市町村議員の場合には、いくらでも党員名で立候補しているのだから、市長選でも、そうしてまずいといった理由などあるはずもないのである。

 隠す理由は何か。市民派や無党派を引きつけるためというのか、しかし彼らは松本候補が共産党員だとみんな知っているのだから、表面だけ隠しても実質的な意味はない。

 名前を隠すというのは、自分は首長になっても、共産党の政治は行わない、〝全県民的な〟政治を行うというのか、そんな政治は自公さえも、国家主義の反動さえも受け入れるような政治、つまり安倍政権や自公と同じ政治を行うということか。

 実際そうなのである。

 松本が掲げた中心のスローガンは、「ここで(高知県で)一緒に生きよう」、「誰一人取り残さない県政を作ろう」、「高知のことは、高知で決める」といったものであった。

 松本が〝こまごまとした〟、県政や地方政治に関する多くの具体策や改良策もいくらでも並べたのは言うまでもないが、しかし「ここで(高知県で)一緒に生きよう」、「誰一人取り残さない県政を作ろう」、「高知のことは、高知で決める」といった、基本的な選挙のベースとなった主張が、狭い県民主義――つまりゆがめられた民族主義、国民主義の変形、矮小版――であり、またブルジョア協調主義あることは一見して明らかである。

 例えば、共産党は沖縄県では、公然と沖縄〝県民主義〟、民族主義を擁護し、煽り立てて、沖縄県民に媚び、またその自然発生的な運動に追随して、資本の支配に対する全国的な階級的闘いの原則を投げ捨てるのだが――そのことなくして、〝軍事基地〟の島としての沖縄の苦痛や困難の一掃もまたあり得ないことを悟らないのだが――、高知においても、全国においても、地方政治において、そんな間違った、日和見的、民族主義的、ブルジョア的堕落の道を歩み、労働者・働く者を裏切るのである。

 いずれにせよ、共産党が先頭に立つ野党共闘は決して勝利し得ないことが、高知においても、実際の経験によって証明されたのである。

 それにしても奇妙なことではある。共産党がすっかりブルジョア的に堕落してしまった今では、共産党であろうと、国・民はさておくとしても、共産党と立・民との違いはますますなくなってきており、〝れいわ新選組〟についてはウリ二つの政党に転落しているからである。

 とするなら、なぜ自民党や国・民らはことさら共産党をあげつらい、攻撃するのだろうか、実際には今では共産党など少しも〝危険〟なものと信じていないにもかかわらず、である。

 危険な〝左翼〟だと思わせ、共産党への幻想を広げることが彼らにとって有利だからであり――16衆院選において、そんな幻想のために、野党共闘が空中分解し、小池新党が〝突っ走った〟なら自民党が大敗しかねなかった選挙で、結局、小池や、前原つまり立・民の連中や、志位や、市民派らの有象無象(うぞうむぞう)に助けられて大勝し、命拾いした歴史的経験を思い出せ――、さらには、反動派をありもしない共産党の虚妄の〝危険性〟を煽り立てて安倍政権のもとに結束させるためでしかないのである。

 立・民やれいわなども、共産党など少しも左翼政党として恐れてもおらず、まともな政党として、〝友党〟として敬意も尊敬も持っていないのだが――むしろスターリン主義のしっぽを引きずる、嫌味なドグマ政党として嫌ってさえいるのだが、さもしい議会主義者の彼らは共産党の空虚な票欲しさに、媚びを売ったり、いちゃつくのだが、他方では共産党とべたつくと票を減らしかねないと恐れるのであり、付かず離れずの曖昧な立場が利益だと考えるのである。

 志位も志位なら枝野も枝野であり、お似合いのコンビというわけである。

 志位や小池は、前原や今の国・民の連中は小池新党に走って裏切って、安倍を助けたと告発した、とするら、そんな連中と共に野党共闘でやって安倍に勝てるなどと言った、志位らも共謀して裏切ったということではないのか。野党共闘を言う前に、志位らは反省することがたくさんあるのではないのか。

 志位はれいわと組むことで、れいわの山本との協調をテコに、野党共闘路線の実現を図ろうと、今なおあくせくと策動にふけっている。そして山本に追随して、消費税5%の引き下げを、つまり5%への復帰を掲げて、野党共闘として衆院選で安倍政権を闘い、勝つことを願望している。

 そんなことを空想するしかない志位や山本といったレベルで、安倍政権と闘い、安倍政権にとって代わることができないことは、100%の確率であろう。

 いずれにせよ、志位路線の野党共闘やそれを基盤とする政府は、今や風前の灯火といえるほどに実現の可能性さえない路線となり、実現させるためには、志位はさらに党のブルジョア的純化に励み、れいわや立・民や国・民、さらには市民派に妥協し、屈従して行く以外ないのであり、ますますブルジョア的に転落し、西欧の共産党――ブルジョアと協調して政府まで組織し、挙句の果てに消滅してしまった――や、自民党と協調して内閣(村山内閣)まで組織した結果、これも消滅してしまった社会党などの後を追って、消えてしまう寸前の党にまで頽廃し、内容も内実もない抜け殻のような党になっている。

   

【1面サブ】

「党友」制度を発足させます

物心両面のご支援を

 参院選で思いもよらぬ敗北を喫した我々は、捲土重来を期し、不死鳥の如く再起を目指して闘いを継続することを決議しました。

 我々が敗北したのは、我々の闘いの弱さとか欠陥のためという以上に、あるいは客観的に労働者・働く者の党が受け入れられない状況にあったとかではなく、我々がいわば自滅したから、とりわけ指導部の解体と無力にこそ原因があったと厳しく総括し、指導部体制の再建を始めとする、あらゆる面からの党改革を遂行することにしました。

 我々の改革は、指導部体制を、これまでのような活動可能な党員による、有志のボランテア的機関から、党内の最も優秀、有能な人の選出による体制、つまり党からの正式の選挙によって選ばれ、全面的に党活動に従事し、実際的に党の闘いを先頭に立って指導性を発揮できる党員による体制に変えることから始まり、海つばめの改革――紙面改革のみならず、2週1回ではなく毎週発行の機関紙に昇格し、発信力を強めること――、また組織活動の改革――宣伝活動は言うまでもなく、とりわけ全党上げて取り組んできた『資本論』学習会の抜本的な改革――や、インターネット・プロパガンダ活動の活性化や、その発信力の飛躍的増進や、さらには、街宣活動やセミナーや小集会の組織等々も組織して行く等々、全面的な、多くの面による改革を推進して行くことを決定し、確認しました。

 そうしてこうした改革は、我々のような弱小で、〝金欠〟の組織ではよくなし得ません(参院選に勝利し、一人でも議員を獲得できれば、我々のような〝金欠組織〟も一挙に〝金満組織〟に180度転換できたのですが、敗北したために、借金なしで闘うという当初の意図もかなわず、最後の供託金を収めるときに、背に腹を変えられず千万単位の借金を余儀なくされ、泣くに泣かれないといった状態にまで追い込まれました)。

 海つばめの読者の皆さんや、これまで我々の闘いを支え、助けて下さった皆さんの支援や応援なくしては、我々の改革もまた成功裏に実行し、具体化し、前進して行くことは困難な面もあります。

 再起を目指し、再挑戦の意気に燃える我々は、多くの心ある方々の支援や応援をお願いし、力を貸していただくために――とりわけカネの面で――、「党友」制度を創設し、皆さんのご参加、ご協力をお願いすることにしました。志と、善き意図のある方々にぜひとも「党友」となっていただき、色々な面でご協力とご支援を頂ければ幸いに思います。会費は年間月当たり3000円から1万円をお願いしたく存じます。主として党の指導体制の確立の費用ということになります。

 7年も続いて来た安倍政権がこれ以上続くなら、日本はさらに悪くなり、どんな国家に行きつくか分かったものではありません。1945年までの天皇制軍国主義国家、侵略戦争、覇権主義戦争に明け暮れ、死者だけで日本の、アジアの、世界の何百万、何千万もの人々が犠牲なり、無意味に死んでいったような国家の再現――否、すでに半ばそうなっていないでしょうか――さえあり得る現状です。

 それにしても、共産党を始めとする腰抜け野党は無力であり、反動的であって、いつまでたっても安倍政権を粉砕し、一掃することはできそうにありません。

 労働者・働く者の希望の星である、闘う労働者の政党に、どうか物心両面の大きなご支援、ご支持をお願います。

 「党友」への呼びかけ文を同封します。宜しく。

 2019年12月1日  労働者党 代表委員会


       

【飛耳長目】

★テレビで検察庁の元幹部が恐ろしいことを言っていた。安倍の桜を見る会の件でやってきたことは刑事犯罪に値すると思うが、検察は起訴するのかと聞かれて、「私はしないと思う」ときっぱり答えていた★理由は検察は安倍どころか、その取り巻き連中さえも、どんなに犯罪の疑いが明らかでも、小指一本動かす意思はなく、知らん顔をするつもりだろうからである★それは〝忖度〟云々ではなく、安倍のもとに権力が集中した結果、むしろ安倍と検察がすでに一心同体の関係だから、検察が〝法の番人〟といった、結構なものでは全くなく、7年をかけて、事実上の専制君主に成り上がった安倍の直接な手先みたいなものに堕しているからだ★我々はこれまでコソ泥や小悪党のケチな犯罪は厳しく罰せられるが、権力者の巨大犯罪は罰せられるどころか称賛され、堂々とまかり通っていると告発してきたが、それは現在のトランプや習近平やプーチンやサウジの皇太子や、そして安倍についてもみな同じである(かつてのヒトラーや東条や昭和天皇らの超悪党も同様だった)★くだんの元検察幹部さえ、こんな状態が続けば、日本の近未来は暗澹たるものがあり、ファシズムのような社会になったとしても不思議ないと憂えざるを得ないような安倍政権下の現実である★今や最悪の専制体制に堕した安倍権力の打倒は、労働者にとって焦眉の課題である。(鵬)

   

【主張】

香港の闘い一歩前進
権力なお中国共産党の下に

 24日行われた香港の区議会選挙は、香港〝自立化〟のための労働者人民の闘いが事実上、一時〝休戦〟する中で行われたが、自主性の維持、強化(将来は必然的に「香港独立」)を目指す人民の圧勝に終わった。

 これはある意味では些細な勝利であり、形式的、法的にさえ勝利とはいえないつかの間の勝利、つまり香港〝区議会〟の実際的勝利ではなく、中国の〝出先機関〟であり、ますますそうなっている香港行政部の実際的権力を弱めるものにさえ――廃絶でないのはもちろん――なっていない。

 我々は海つばめ(1363号)で、中国の国家資本主義官僚の専制支配、スターリン主義者の独裁体制を批判し、香港や台湾の自立や民主的改革を目指して闘う香港や台湾の人民の勇気ある闘いは、かつて西欧の「憲兵」の役割を果たしていたロシア・ツァーリズム体制の崩壊につながった、西欧やロシアの民主化運動や社会主義運動のような役割を果たすと高く評価し、彼らの果敢な「運動に幸あれと願い、支持し、連帯する」と呼びかけた。

 そして問うのだが、安倍政権や日本の反動派、国家主義派は、香港や、あるいは台湾でもいいのだが、民衆の専制中国の闘いをいかに評価し、支持するのか、しないのか、どっちつかずの態度でいいのかということである。

 そしてまた、我々は反動派からしばしば、日本の軍隊の評価と関連し、自衛隊に反対なのか、もし外国とりわけ中国や北鮮やロシア等々の反動独裁の専制国家が攻めてきたら日本を防衛するのか、防衛するために立つのかと問われ、批判されている。

 我々の答えは明白で、我々が香港の民衆の闘いを支持し、擁護し、連帯することはとりもなおさず、我々は中国の〝国家資本主義〟の社会経済体制と〝スターリン主義〟の中国共産党とその凶悪な専制に反対であり、断固としてそれと闘うということであり、専制主義中国に反対して労働者の自由と〝民主主義〟のために闘うということである。

 それは、かつてのフランスの民衆が第二次世界大戦期、ナチスドイツの軍事侵攻やファシズム流の占領体制やペタン傀儡強権政権と生命をかけて闘ったことや、中国の民衆が日本の軍事的侵略や半植民地化や奴隷化の企みと果敢に、最後まで闘ったのと同様である。

 反動派は我々のことを心配する前に、自らの裏切りについ心配すべきである、というのはフランスの反動派はヒトラーとそのファシズム体制と闘う代わり、ヒトラーに迎合し、融合し、フランスの労働者を、国民を見事に裏切って、労働者に敵対したからである。

 そして今安倍は、天安門の大虐殺や、国内の少数民族を虐げ、半奴隷的地位に追いやり、何千、何万の人々を逮捕し、虐待していることからも明らかなように、野蛮と専制の代名詞のような習近平と仲良くやり、〝交流〟を深めているが、そんなことをしつつ、もし習近平の中国が侵攻してきたら、日本の労働者はどうするのかなどと聞く資格や権利があると思っているのか。

 そんなことを言う前に、世界のあらゆる帝国主義国家主義、自国ファーストの国家エゴイズムの凝り固まったような習近平らの悪党と、原則的に毅然として闘ってから、偉そうな口を利くべきではないのか。

 安倍政権と闘う決意の日本の労働者は、どんな国家の労働者と対立も戦争もしないし、する必要もない。またファシズムや専制政治の反動国家に反対し、自国の軍事力や軍拡主義と闘い抜くという労働者の国際主義的で原則的な立場は、ファシズム国家や専制主義国家の侵略も支配も許さないという立場と、実践的に、どんな矛盾も困難もないし、あり得ないと宣言する。


【2面トップ】

トリエンナーレの少女像展示問題を考える
   自由を封殺する危険なファシズムの徴候

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」が、この8月から10月まで開催されましたが、企画展「表現の不自由展・その後」の慰安婦を象徴する少女像と昭和天皇の写真を焼く映像作品に対して、河村名古屋市長や松井大阪市長が非難、市民からも抗議が殺到し、一時中止される事件がありました。そして、河村市長が「公金の不正使用」だとして企画展の中止を求めたことや、文化庁が芸術祭への補助金7800万円を不交付としたことについて、憲法が定めた表現の自由に違反するという批判が、大村愛知県知事や芸術祭の津田監督、その他多くの文化人らから出されました。「表現の自由」、「検閲」、「公的な助成金の交付」、「芸術と政治的プロパガンダ」等様々な議論を呼び起こしています。これらについて労働者・働く者の立場から考えたいと思います。

 展示抗議派の非難は、戦前の日本および日本軍が行った戦争という事実を隠蔽し、芸術分野における表現の自由を抑圧するものです。彼等は、作品の展示が「日本国民の心を踏みにじる」、「陛下への侮辱を許すのか」、「慰安婦問題というのは完全なデマ」などといって、一般市民の素朴な愛国心をくすぐり抗議を煽りました。維新の会やそれに同調する勢力が音頭を取りましたが、補助金不交付を決定したのは萩生田大臣であり、安倍政権および自民党右派勢力が加担しています。

 第一次世界大戦後、世界的な大恐慌の中で資本主義経済がますます行き詰まり、各国が自国を守る自国本位になって帝国主義的な軋轢を深めていきました。

 第二次世界大戦も日本だけが戦争を起こしたものではありませんが、日本が中国やアジア諸国に侵略をすることで引き起こした戦争です。

 従軍慰安婦は日本がこの戦争を遂行するために設けたものです。宮沢政権の1993年の河野談話で、日本軍による慰安婦を認め謝罪した明確な事実です。展示抗議派はこの慰安婦をデマといい、少女像の展示を「日本国民の心を踏みにじる」と言うのです。非道な従軍慰安婦制度の事実を隠蔽する展示抗議派こそ、私たちの良識を踏みにじっています。

 展示抗議派に対する表現自由派の批判は、大村知事の「憲法21条が禁止する『検閲』と取られても仕方がない」や、また朝日新聞の「公権力は文化に金を出しても、芸術表現の自由と独立性を維持するために、ほどよい距離を取るべき」のように、表現の自由を認め、検閲を許さないという、自由主義的なものです。

 しかし私たちは、表現の自由を無条件に認めるものではありません。虚偽、デマなど、卑近な例ではヘイトスピーチなどは許すことはできません。検閲を一般に反対するのではなく、それが真実を基準に行われることを求めます。私たちが展示抗議派を容認することができないのは、国家の立場から行うウソや偽りにもとづく、表現の自由の侵害であり検閲を彼等が求めるからです。

 芸術表現は政治的主張となってはならないというような主張は、今回、展示抗議派のみならず彼等に対抗する表現自由派の中からも出ています。しかし芸術は、自然、人間および社会の現実と個人との交感から生まれるものです。

 その芸術表現には、人間および社会にかかわる政治性が反映されます。芸術が、時の政治を批判したものになることは、ピカソのゲルニカ、杜甫の兵車行、スイフトのガリバー旅行記など枚挙の暇がないぐらいですし、音楽でもブルジョア革命に触発されたベートーベンのように、社会的政治的環境の影響を受けて生まれる作品がいくらでもあります。現実に対する正確な観察とそれに基づく批判的精神こそが、感動的で優れた作品を生む原動力です。

 芸術表現は、政治的宣伝(プロパガンダ)を直接に目的とはしませんが、作者の表現・主張を人々に受け入れてもらいたいという動機から生まれる作品は、政治宣伝になります。

 むしろ芸術表現の背後に潜む政治性の内容が問われます。レーニンは「文筆活動…この分野では私的創意と個人的嗜好に対する大きな自由が保障され、思考と想像力、形式と内容に大きな自由が保障されることが絶対必要である」が「全プロレタリア活動の事業の一部」にならなければならないといっています。

 労働者・働く者は、芸術表現に対して、公的援助を無条件に求めるものではなく、私たちがそれぞれの負担で、芸術を楽しむことこそが大切です。

 私たちは、まず働いて自らの生活を維持しなければなりません。資本の厳しい体制の下で仕事をするという制約がありますが、その制約との闘いのなかから真の芸術が生まれ、制約を解放した新しい芸術が生まれます。資本の体制を支える支配の道具である自由や民主主義を単に守る闘いではなく、すでに行き詰まっている資本の体制を変える闘いが必要です。

 表現の自由を求め、政府の助成金を引き出す運動ではなく、資本に対する闘いが重要であり、それを反映してこそ、新しい芸術が力強く生れ出てきます。

 時あたかも安倍政権が即位式など利用し、天皇の神格化を図ろうとしているときです。労働者・働く者を抑圧するしかない資本の勢力が、デマによって大衆を巻き込んで自由を抑圧しようとするのが、展示抗議派が示すファシズムの徴候です。

 戦前のような政治を復活させ、資本の安定を図ろうとするもの、労働者・働く者を物言わぬ民にして再び戦争に導きかねないものです。資本の体制の維持を図る、安倍政権そして同調する維新の政治を一掃する闘いを進めていかなければなりません。(大阪・佐々木)


【2面サブ1】

新年から週刊化に
『海つばめ』は紙面も一新、読みやすく

 私たちはこれまで月2回の『海つばめ』を発行してきました。しかし、内外の政治、経済、社会情勢は日々変動しています。現在のような隔週刊では、日々変動する内外の情勢に立ち遅れ気味となり、労働者の革命政党の建設を進め、労働者・働く者の階級的闘いの発展をはかるという革命政党の機関紙としての使命をまっとうしていくことはできません。政治機関紙は全国に存在する意識的労働者やそのグループを革命政党に結集していく一つの主要な主段であり、また労働者・働く者の階級的成長を助ける手段だからです。

 このため、『海つばめ』を来年1月より週刊化することにしました。

 新聞の大きさはこれまでと同じ2頁建てですが、紙面の構成など新たにして、また従来の文字をやや大きめにするなどし、一層読みやすくしていきます。

 週刊化のための準備もありますので、『海つばめ』の1月の発行は19日となります。週刊化に伴い、年間の購読料(開封・送料共)は現在の2000円から4000円になります。

 読者の皆さんが『海つばめ』週刊化についてご理解され、さらに働く仲間や友人、知人などに『海つばめ』を広めてくださるようお願いします。

   

【2面サブ2】

世代間格差が問題か
75歳以上の医療費2割負担

 安倍政権は、75歳以上の後期高齢者制度に関して、2022年度から外来診療の窓口負担を原則1割から2割に引き上げる計画だという。22年度からというのは、団塊の世代と言われる人が75歳になりはじめ、社会保障費が急増するためである。

 現在43兆円の医療費の内の37%、16・1兆円が後期高齢者によるものであり、うち4割は現役世代からの保険料が負担し国も費用の半分を負担することになっている。そこで、後期高齢者の負担を1割から2割に引き上げれば、国の負担を抑制することができるというのが政府の狙いである。

 政府は、75歳以上の一人当りの医療費は65歳未満に比べて5倍にもなっており、世代間格差はあまりにも大きすぎ是正しなくてはならないという。だが75歳以上ともなれば、一般的にいっても身体が弱り、どこかが故障するのはごく当たり前のことであり、高齢者に医療費がかかるのは当然であり、医療費の「世代間格差」を持ち出し、それを理由に現役から引退し、収入の当てのない労働者の高齢者の負担増で緩和しようとする政府のやり方は、現役世代と高齢者の対立を煽り、高齢者に犠牲を押し付けることで、解決にもならない。

 政府は、社会保障制度は現役世代に支えられていたが、急速に進む少子高齢化によって維持が困難になり、

「少子高齢化社会の克服」を掲げる。だが実際には、社会保障が高齢者に重点を置きすぎ、バランスを失したものとなっているとして、社会保障とは関係もない、幼児教育・保育の無償化などを持ち出し、税金を私物化し、政権維持のためにバラまき政治を行っている。少子化問題を解決しようというなら、金持ちや保育企業優遇の幼児教育・保育無償化ではなく、労働者が安心して子どもを預けられるような保育所の整備とか、労働者家族が子どもを持てるような低賃金で差別された非正規労働を撤廃すべきである。しかし、こうしたことは、これまでまともに何一つ取り組まれてこなかった。今回の高齢者に犠牲を押し付ける75歳を対象とした医療制度計画も、安倍の欺瞞を暴露している。   (T)

   

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