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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1367号 2019年12月15日
【一面トップ】鳴り響く共産党の弔鈴――また綱領の基礎の改定だって!?
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】日米貿易協定――共産党の保護主義は無力
【二面トップ】ソ連、中国の資本主義を暴く――林紘義著『幻想の”社会主義”』

※『海つばめ』PDF版見本

【1面トップ】

鳴り響く共産党の弔鈴
また綱領の基礎の改定だって!?

 共産党はまたまた綱領の改定の大騒ぎを演じ、自らの日和見主義と改良主義を、資本主義と資本の支配に対する奴隷的屈従を正当化するために、新しい、大騒ぎの策動を開始している。さらに共産党主導の『資本論』の改訂版を出版するのを契機に、マルクス主義や『資本論』までも、実際の歴史や、世界の現実までも、自分たちの日和見主義路線に適合するように勝手に解釈し、歪んだ観点から修正し、書き直し、安倍政権(反動勢力、国家主義勢力)と手を組んだ、もう一つの〝歴史修正主義〟という悪事にふけっている。

 彼らは、自分たちのこうした卑しい試みを、ありとあらゆるもっともらしい理屈やおしゃべりに包んで持ち出し、振りまいていて、いくらかでも事実に基づいて点検すれば、どんなにひどいごまかしや詭弁やすり替えの論理に満ち満ちたペテンであることが明らかになる。

 まず安倍政権にも劣らぬ、卑劣な歴史修正主義についていえば、スターリン主義とその悪事についての共産党の態度が過去も現在も一貫して正しく評価し、批判して、対応してきたかという、途方もない嘘がある。

 しかし実際には、日本の共産党は世界中の共産党と同様に、スターリン主義を少なくとも1950年代までは批判を許さない〝絶対神〟として持ち上げ、称揚し、宣伝し、労働者・働く者に売りつけてきたのではなかったか。

 そんな証拠を上げれば切りがないほどである。

 そもそもスターリンがソ連国家の権力を手中にしたのは、レーニンが1924年に亡くなるのとほぼ時を同じくしてだったのだから、〝スターリン主義〟――もちろんこの言葉は多義であって、それを概念規定するのも容易ではないが、さしあたりは我が労働者党の綱領を参照されたい――と手を切り、一線を画してきたのはそのころからだと言えばいくらかつじつまが合うのだが、実際に今頃になってスターリン主義と手を切るなどと言えないし、言っても誰も信じることはできない。

 今頃スターリン主義と決別するというなら、1924年ごろから、つまり日本共産党の結党は1921年だというならまだしも、その直後から、つまりほぼ1世紀つまり100年ほどもの間、戦前、戦後を通じて、日本共産党はスターリン主義の精神的奴隷となり、それを信奉し、その影響下にあっただけではない、現在もなお野党共闘路線など――1930年代のスターリン主義の「人民戦線戦術」のヴァリエーション(変異形、変種)、修正版、焼き直しでしかない――を持ち出し、固執するなら、今もってスターリン主義そのものを信奉するドグマ政党であるというしかない。

 不破や志位らは、今ようやくスターリン主義やスターリン主義国家――かつてのスターリンのソ連や現在のプーチンのロシアや習近平の中国や、金王朝の北朝鮮等――の醜悪さや反動性に気が付いた、綱領で中国が「社会主義をめざす新しい試みが開始」された国と規定してきたのは〝間違い〟だったから削除するというのである、つまりこれまでは、そんなにもひどい〝間違い〟、単なる〝間違い〟で済む問題ではなく、〝敵を利する〟死刑にさえ値するような反革命的重罪を犯してきたと白状するに等しいのだが、余りに遅すぎ、余りに無責任で、余りに犯罪的であろう。

 これまでの中国の共産党や習近平らの行ってきた中国の労働者・働く者や、中国内外の周辺民族に対する野蛮で狂暴な専制政治、独裁武断政治、志位のいうところの、どう見ても「社会主義の原則や理念と両立できない行動」と今さらのように言いはやし、非難するが――労働者・働く者への過酷な抑圧や搾取に始まり、天安門デモに対する狂暴な弾圧や、共産党が1956年に擁護したソ連のハンガリーの民衆の闘いへの武力介入や弾圧や、チベットやウイグルなどへの強権的、半植民地的支配や収奪等々の中国共産党国家の行為は、社会主義の名に反する云々と言うことさえ不要な犯罪的行為だ――、そんな犯罪を事実上容認し、擁護し、美化さえして来た事実こそ、宮本や不破や志位らの許しがたい世界と日本の労働者・働く者に対する裏切りであると結論するしかない。

 スターリン主義ソ連や中国の「大国主義・覇権主義、人権侵害」は21世紀になって初めて出てきたものではなく、すでに1930年代において、スペイン内乱におけるソ連の介入や、独ソ不可侵条約(ポーランドの分割)等々として現われ、第二次大戦とその後においては東欧支配という形ですでに決定的に暴露されたのであって、志位のいうことは90年ほども時期がずれている、つまり共産党は極端な時代遅れ、時代錯誤の愚鈍で、常識外れの無知蒙昧政党というしかない。

 さらに1960年代頃から、宮本や不破らがソ連や中国(スターリンや毛沢東等々)を「大国主義」とか「覇権主義」とか口やかましく非難し、自慢し始めたのは、ソ連共産党や中国共産党の現実の、実際の帝国主義を指してのことではなく、単に毛沢東らが〝中ソ対立〟の中で、宮本路線などへの批判を強めたから、そんな他国の共産党のいうがままになりたくなかったから、つまり世界の共産党間の覇権争い、ヘゲモニー争い、指導権争いに巻き込まれて、日本における共産党の指導権を国内のソ連派=〝構造改良派〟や中国派=〝急進派〟――当時の中国共産党などは宮本路線を「修正主義」であり、ブルジョア支配に屈服して行く道だと〝激しく〟批判し、糾弾していた――に奪われたくなかったから、ソ連派や中国派と闘い、しかも共産党をスターリン主義の罪で告発していた急進派の学生党員――共産主義者同盟に結集し、〝別党コース〟を歩み始めた活動家――と共に、党から追放しなくてはならなかったからであって、彼らの〝自主独立路線〟とは、事実上、彼らが労働者の〝国際主義〟を投げ捨てて、ますますケチな〝内弁慶の〟プチブル民族主義者に純化して行ったということでしかなく、少しも自慢できるようなことは全くなかったのである。

 今では彼らはソ連=ロシアや、中国を〝社会主義〟を呼ぶこともできず――〝生成期〟の社会主義だから、ありとあらゆる欠陥や〝マイナス〟の現実があってもやむを得ない、今は〝未熟〟であり、スターリンらのように「覇権主義」等々の間違いを犯しても、今後社会経済が発展して行くなら〝真の〟社会主義へと移っていく――等々の幻想や願望によって、散々に擁護し、美化してきたのを忘れたかに、今や「社会主義とは呼べない」と言うのだが、ではどんな歴史的な社会経済構成体であるかについては一言も語ることができないのである。〝否定語〟で語るだけなら誰でもできるが、しかしそんな矮小な精神からはアナーキズムを除いて、歴史的で、客観的な評価や批判は何も生まれてこないのである。

 一つの社会経済構成体を、歴史上のある特定の人物の〝間違い〟等々から論じるのは、完全な観念史観であって、マルクス主義の唯物史観とは何の関係もない。そのくせ不破や志位らは今さらのように、唯物史観の発見者としてマルクスは、イギリスなどの先進資本主義から社会主義革命がおこり、社会主義の建設が始まると想定していた、だから我々もそんな歴史観に戻る必要があるなどと、もったいぶって言うのである。「マルクスらは、社会主義は、当時の世界で、資本主義が最も進んだ国――英、独、仏から始まると予想し、中でも、英の革命が決定的な意義を持つと強調した。

 21世紀における社会主義的変革〔なぜ「革命」ではないのか〕もマルクスらが描いた世界史の発展の法則的展望の中に見出すことが重要だ」(「日本共産党綱領一部改定案)。

 こうしたもったいぶった饒舌の「その心は?」と問うと、日本を含めた先進資本主義国家の方が資本主義の〝民主的改良〟が容易であり、可能だからというだけの話でしかない。

 今や資本主義世界が現実的に〝グローバルな〟世界となり、先進国、後進国の観念さえ増々相対的になっている時に、つい2、30年前には代表的な〝後進国〟だった中国やアジア等の多くの国が資本主義的先進国としてさえ登場し、登場しようとしている時に、今さら〝先進国革命論〟をマルクスの観念だったなどと云って持ち出すのは、単なる日本共産党の思い上がった、安倍自民党安倍政権と同等の、醜い民族主義、大国主義の時代遅れの優越感、エリート意識でしかないようにしか見えない(最近、〝植民地〟だった韓国の指導者に対して〝宗主国〟の高慢で、威張り腐った高官よろしく、「無礼な!」と居丈高に叫んだ、河野家の恥さらしの鬼っ子、安倍の使い走り役の河野大臣様に象徴されているように)。

 志位共産党の綱領改定という新しい策動は、今やこの党が実践的に、思想的に、論理的に完全に破綻してしまい、末期症状の泥沼に落ち込んでいることを暴露しているように見える。今後彼らはますます自己矛盾し、実践的、思想的、理論的な破綻を暴露して行くしかないだろう。今こそわが党の躍進によって、労働者・働く者とその闘いにとって、完全に余計者、否、有害な障害物として存在してきた――否、既にそんなものに転化してしまった――、骨の髄まで腐敗したこの醜悪な党の解体を勝ち取っていくべき時である。

   林紘義

   

       

【飛耳長目】

★ 共産党は何を血迷ったのか、2 % の消費増税が行われた1 0 月1日から〝れいわ〟と組んで消費税の5%への引き下げを主張し始めた。こうした要求で野党共闘を成功させて衆院選を闘い、安倍政権を倒すという。我々は断言するが、こうした要求で安倍政権と闘うことはできないばかりか、野党共闘さえおぼつかない★まず5%の消費税の引き下げには〝れいわ〟以外の野党が賛成しないだろうし、まして共産党が野党共闘政府の実行すべき政策として15年秋に成立した安保関連法の廃止を持ち出すならなおさらだ★共産党は消費税を5%に戻す理由として、今年の秋の2%の消費増税によって消費税が10%になったのが日本経済の不振と後退の原因であって、だからそれを5%に引き下げるなら、日本経済はすべてうまく行くなどと言うが、錯誤である★野党共闘政権は決して消費税を5%に戻すことはできないだろう。共産党が当てにする法人増税が簡単にできそうになく、そうなれば国家予算を準備することができず、巨額の借金をするしかなくなるだけだからである。そもそも「消費税を5%に戻す」などといった闘いは、闘いにならない★そして仮に戻せたとしても、不振と不況に苦しむ日本経済はほとんど変化なしか、より悪化さえしかねない、というのは日本経済の不振の原因が消費税にあると言うのは一面化にすぎないからである。(鵬)

   

【主張】

日米貿易協定
共産党の保護主義は無力

 日米貿易協定が、来年1月1日から発行することが確定した。

 今回は〝物品〟のみ、デジタル貿易協定は1年後、日本が輸入する牛肉や豚肉の関税をTPP並みの内容でやり、他方、もう一つの懸案だった自動車関連品目の課税撤廃は今後の話し合いでやるということで合意に達した。

 その結果、例えば牛肉の38・5%の高関税は、順次引き下げられて最終的には9%になる。労働者・働く者にとっては、国民全体にとっては朗報であり、牛肉を口にできる機会も増えようというものである。

 しかしこうした自由貿易の深化に対して、頑強に反対する反動政党がいるから驚きである。農業団体や自民党の農業族の話ではない、社会主義、共産主義の党、労働者の党を自認する共産党である。

 もっとも自認することと、客観的にそうであることが一致しないのは、政治の世界だけの話ではないのだが、特に政治の世界では顕著である。誰が見ても、共産党が弁護するのは小農民、共産党の言葉で言えば、〝家族経営〟の農家の立場や利益であるのは余りに明らかである。

 しかし戦後の農業の歴史を簡単に反省してみても明らかだが、その歴史の語るのは、敗戦後の「農地改革」で生まれた数百万を数えた農民は〝経済の高度成長期〟は言うまでもなく、一貫して解体し、後退し、衰退してきたのが事実ではないのか。

 最近の1980年からの40年くらいとっても、耕地面積は550万ヘクタールから330万ヘクタールほどに200万ヘクタールも縮小し、「基幹的農業従事者」も400万人から150万人に激減してしまった。

 米価でも牛肉でも日米に大きな格差があるとき、農業保護政策で小規模の農業を延命させるなど、国民全体にとって、日本の経済にとって、日本資本主義とブルジョアにとってさえ何の利益もないのである。それどころか〝大損〟、大浪費である。

 戦後日本の農業は与野党共闘による保護主義によって、世界でも最も遅れた、最も効率の悪い、最も〝生産性〟の低い農業になってしまった。

 その結果は悪循環であり、ますます保護主義がなければ生き延びて行けないような産業になってしまった。

 今日本資本主義が世界に増々後れを取るような資本主義に堕したのは、こうした保護主義に――そんな政治経済の体質に――原因があると言っていいすぎではないほどである。

 そもそも安倍政権が世界の自由貿易主義のチャンピオン顔をしてのさばっていることがおかしいのである。そして共産党自体は今や安倍と自民党の保護主義の反動議員とともに、安倍政権は「一方的にトランプに譲歩しすぎている」、「米農産品に大幅に市場開放している」、「売国的協定だ」、「日本農業(小経営の家族農業)を破壊する」、「日本農業の危機が迫っている」とプチブル的嬌声でアカハタなどの紙面を埋めつくしている。

 日本の小農的農業は破滅に瀕しているのではなく、事実上すでに保護主義にもかかわらず――否、むしろ保護主義のゆえに――没落してきたし、没落してしまったのである。ブルジョアや共産党らの政治の反動性は余りに明白である。

 今さらそんなものに望みや願望を託しても、無駄ごとに終わるだけである。世界の農業に対抗し、競争力のある、〝生産性〟の高い農業を望むなら、ブルジョア自身すでに60年も昔、高度成長の時代、農業の「構造改善」を謳い、農業経営規模拡大を強調して、生産力の向上を目的にしていたのである。


【2面トップ】(書評)

ソ連、中国の資本主義を暴く
   林紘義著『幻想の”社会主義”』

 共産党は、これまで旧ソ連、中国について「社会主義」国家と呼んで美化してきたが、来年の党大会で綱領改定を行いこの規定を取り下げるという。しかし、スターリン体制下のソ連や中国の実態を見るなら、ソ連、中国が「社会主義」だとすることが全くの幻想でしかないこと、彼らの主張が労働者の階級闘争に混乱を持ち込み、その発展を妨害してきたことは明らかである。これに対して、われわれは既に1960年代(労働者党の前身である「全国社会科学研究会」の時代)、ソ連・中国が社会主義ではなく、一種の資本主義=国家資本主義の体制であることを明らかにした。本書は、70年代から80年代にかけて、著者が社会主義と言われてきたソ連、中国の社会実態、東欧の労働者の階級闘争も含めて分析した論評を集めて、一冊の本にまとめたものである。 

歴史的、社会的規定としての国家資本主義

 スターリニスト共産党は、ソ連・中国では生産手段が国有化され、計画経済が行われていることを根拠として「社会主義」だと言ってきた。しかし、生産手段の国有化は社会主義へのための一契機であると言えるとしても、それが社会主義であることを証明するものではない。生産手段の国有化そのものは先進資本主義国あるいは後進資本主義国でも多かれ少なかれみられることである。それは国家の援助によって資本を救済したり、あるいは資本の発展を助けるために行われている。

 ソ連、中国では、生産手段の国有化は、「資本の国家資本としての定在であり、社会主義の実現の出発点ではなく、帝国主義の包囲の中、後進的大国が国民的資本の蓄積をヨリ有効に、ヨリ速やかに、がむしゃらに成し遂げるための手段であった」( 1 4 頁) 、そして「計画経済」についてはロシアの場合には「ブルジョア的生産の矛盾を一時的に調整するための」手段だったと著者は述べている。(同)

 ソ連を国家資本主義として把握することによってこそ、スターリンの独裁、労働者、農民に対する苛酷な搾取、野蛮な国家テロが行われ、そしてスターリン後「自由化」が進展したかの理由を理解することが可能になる。共産党は、スターリン死後、ソ連のスターリン批判にならって強制的集団化政策、労働者に対する苛酷な搾取などをスターリンの誤った政策と批判した。しかし、これはスターリンの個人の問題にすり替える議論であって、社会主義と言われた社会でなぜこうしたことが行われたのかを明らかにするものではない。本書は、スターリンの独裁政治が誕生し、労働者、農民にたいする抑圧が行われたのは、後進国ロシアが急速に国民的資本蓄積を成し遂げていくためであったことを解明している。

 スターリンは、ソ連における商品の生産・流通を認めたが、それは国家が価値法則を「統制」しているために、資本主義における商品とは異なった「特殊の商品」であり、「価値法則も作用しない」と言った。しかし、国家が統制するということは、商品経済の法則の貫徹が規制されるということであり、商品経済法則の作用そのものをなくすということは異なる。商品生産の発展は、商品経済法則の貫徹を制限している国家の規制と衝突するようになる。スターリン死後の「自由化」の進展は、商品経済の浸透、ブルジョア的生産関係の発展の結果であったことを本書は明らかにしている。

 また国家資本主義の規定こそ、共産党が言ってきた「生成期社会主義論」の幻想を鋭く告発している。「生成期社会主義論」とは、「本格的な社会主義」ではなく「幼年期の社会主義」であり、社会主義からの逸脱や誤りがあるというもので、77年共産党14回大会で規定された。当時、不破書記長が「誤り」として挙げたのは、スターリンの反対派や労働者、農民に対するテロ、虐殺そして、東欧諸国の併合や79年のソ連によるアフガン侵略であった。ソ連は、ソ連の〝衛星国〟として東欧諸国を囲い込み、支配した。アフガンに対しては、米帝国主義の侵略からアフガンを守るという名目で大量の軍隊を送り込み、支配したのである。

 共産党=不破は、当時、これらについて「社会主義」から逸脱した誤った政策として批判した。共産党によれば、虐殺やテロは、猜疑心が強く、粗暴なスターリンの「性格」から引き起こされたのであり、そしてまだ「成熟した」社会主義ではなく、幼年期の「社会主義国」であったから、間違った政策がとられたのだと説明した。しかし、個人的な性格や政策の誤りが原因だとすることは誰も納得させることは出来ない。なぜ、社会主義なのに、国家テロを行なう人物が国家の指導者になったり、他国に侵略し、支配する帝国主義的政策が行われるのか、それでも社会主義だというならこんな体制は御免被るということになる。

 国家権力で労働者を抑圧し、苛酷な労働をおしつけ、搾取を強化したり、他国に軍隊を送り、支配し、ソ連の属国扱いをして収奪したりする帝国主義的行為は、ソ連国家のブルジョア的本性の表れであった。

 しかし、こうした真実から目をそらし、スターリンら個人の政策の誤りに還元する、共産党の「生成期社会主義」論は、社会主義を卑しめ、労働者の階級的闘いに混乱を持ち込み、解体させる以外のなにものでもなかったのである。

新左翼急進主義者への批判

 ソ連=国家資本主義という概念に対して、トロツキストや新左翼急進主義からの批判が行われた。その典型として共産主義者同盟(〝榎原〟派)の批判が取り上げられている(第五部)。彼らは、ソ連や中国では国家による統制によって、「社会主義の全面的展開も資本主義の全面的展開も双方とも抑えられている」「過渡期社会」であるとして、我々の国家資本主義という規定は資本主義的要素を一方的に強調するものとしてこれに反対した。

 マルクスは資本の支配が打倒されたが、物質的・精神的に社会主義とよべるまでには至らない段階の社会、国家は残るが、もはや国家とはよべない死滅しつつある国家である段階の社会について語ってはいる。しかし、榎原らのいう「過渡期社会」なるものとは全く異なっている。かれらのいう「過渡期社会」とは、スターリニストによって「歪曲された社会主義」というトロツキーからの借り物であって、ソ連・中国の社会の分析から結論されたものではなく、頭の中でひねり出された観念的なものであって、将来社会主義にも資本主義にもいずれにも行く可能性を持った社会といった訳の分からない社会であった。

 著者は、榎原派について次のようにその主張の反動的性格を喝破している。「共産党がソ連・中国等のブルジョア的関係の発展に目を閉ざしてソ連、中国等を『社会主義』と美化するのに対し、急進派もやはりブルジョア的関係を見てみぬふりをしつつ、それらを『過渡期現象』とよんで、共産党の立場を補っている。過渡期も又、広い意味で社会主義社会であって資本主義社会ではない。そうでなければ、一体、プロレタリア革命の本質的意義はどこにあるというのか? 結局は、共産党の見解も急進派の見解もお互いに接近し、一致するのである。彼らはともに、ソ連、中国のブルジョア大国としての登場を認めず、かくしてこれらのブルジョア大国を社会主義国家とか『過渡期国家』とかよぶことで、その反動性と帝国主義に対してあいまいな立場をとり、それを免罪にしたり美化したりして、(意図して、或いは意図せずして)世界中のブルジョアジ―を助け、労働者大衆を裏切っているのである」(177頁)。

中国のブルジョア的発展

 本書最後の「幻想の〝中国社会主義〟」では、1960年代半ばの毛沢東派の〝文革〟(〝文化大革命〟)時代の中国から、70年代半ばの鄧小平ら〝実権派〟による勝利の時期の中国社会の分析が行われている。

 スターリンの支配が解体し、ソ連・東欧諸国で〝自由化〟が進展するなかで、中国ではこれに反発した毛沢東らの文化大革命派が台頭した。彼らは、中国社会を牛耳ってきた共産党官僚層や党インテリ階級を糾弾し、プロレタリア独裁と階級闘争の継続を叫び、対外的にはブルジョア帝国主義諸国には対決を叫んだ。彼らの急進的思想と行動は日本においてもプチプル急進的学生に少なからぬ影響を及ぼした。

 しかし、毛沢東ら〝文革〟派は、国家資本主義の発展に対して労働者の社会主義的な立場から反発したのではなく、農民的な立場から反発したのである。著者は次のように述べている。

 「(国家資本主義的発展が中国社会主義を変質させ、堕落させると考えたのは)『社会主義』を基本的に農民的な形で、すなわち農村における協同組合と自給自足の経済として考えていたからであり、中国の現状を〝社会主義〟と考えていたからである。まさにそれ故に、毛沢東は国家資本主義の発展─すなわち大工業の発展、〝専門的〟技術者や管理者の成長、ブルジョア的文化やイデオロギーの登場─に深い危機意識を抱き、〝階級闘争〟を強調したのである」(235頁)。

 著者は毛沢東の思想は労働者階級の社会主義ではなく、農民の共同体思想であることを指摘している。毛沢東は、植民地からの民族の解放を勝ち取り、人民国家建設に大きな役割を果たした。しかし、毛沢東の役割はここで終わり、毛沢東派の闘いは、歴史を前進させるのではなく、生産現場からの技術者の追放や学校など教育現場からの追放、つるし上げといった観念的な方向に走った。

 結局毛沢東派は「大躍進」の失敗で国家資本主義の発展を謳う〝実権派〟に敗北する結果となったが、当時日本共産党は、毛沢東の思想、運動は社会主義とは無関係であり、彼は悪しき精神、権力への野心を持っていたと非難した。だがこうした見解こそ、科学的なものではない、毛沢東派の〝文革〟運動が興ったのは、国家資本主義の進展によってブルジョア的要素が広がったことに対する危機意識、反発だと著者は述べている。こうした批判こそ、著者の一貫した態度である。

 中国の国家資本主義の発展は、中国を米国に次ぐ世界第二のブルジョア大国にまで押し上げ、世界の覇権を求めて米国と争っている。こうした中国の現状を60年代に誰が予想できただろうか。中国は社会主義の国家だとは今ではだれも言わなくなったし、資本主義の国家であることは誰も疑わない。

 共産党は、ごく最近まで中国は社会主義の国家だと言い張ってきたが、そんなでたらめは通用しなくなり、共産党の「社会主義」は完全に破綻した。

 我々のみが、すでに50年以上も前に中国、ソ連は社会主義ではなく、一種の資本主義であることを明らかにした。本書の発行は、98年であるが、内容は決して古くさくなってはいない。

 今日の中国をはじめとするいわゆる〝社会主義〟と言われてきた国々、そして世界の状況を理解するために、さらに労働者がいかに闘うべきか、労働者が目指す社会主義とはいかなる社会かを考えるために欠かせない一冊である。

 労働者、働く皆さんが是非、読まれ、知人や仲間の皆さんにも広げてくださるようお願いします。

  田口騏一郎

林紘義著作集第二巻
定価二千円 申し込みは全国社研社まで

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