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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1375号 2020年3月1日
【一面トップ】資本主義の理解を正せ――幻影の「消費不況」叫ぶ共産党
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】五輪に夢中な安倍御大――危機拡大する新型肺炎
【二面トップ】日本製鉄、業績悪化で高炉閉鎖――労働者の闘いはまず仕事と生活の防衛から
【お知らせ】中央『資本論』学習会再延期のお知らせ

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【1面トップ】

資本主義の理解を正せ
幻影の「消費不況」叫ぶ共産党

 資本主義の根底的な矛盾の表出は生産の過剰ではなく、労働者・働く者への搾取と彼らの貧困にある、従ってその解消は労働者・働く者の、貧しい人々の生活の改善であり、福祉であるという幻想が、ドグマが19世紀の古典派経済学の全盛の時代から始まり、現代にまで受け継がれてきた。かつてマルサスやシスモンディらは、資本主義の矛盾の根底は、労働者・働く者への搾取による「過少消費」にある、従って、それを福祉や所得の再配分によって解消するなら、資本主義は永遠の命を持つと説いてきた。そしてその観念は、資本主義の独占段階――1930年代以降の後期独占段階――において、ケインズによって継承復活させられ、現代ブルジョアの公認のイデオロギーとして、疑問余地のない理論として公認されている。そればかりではなく、そんな卑俗な理論が今や、反政府諸党つまり国・民や山本新党やスターリン主義の共産党等々においても共有され、喧伝されているのである。

資本主義の根本矛盾は何か

 資本主義は労働者・働く者に対する搾取社会であるがゆえに、資本主義が「過少消費」の社会になり、従って〝均衡〟を失い、絶えず循環的な過剰生産や停滞社会に落ち込んでいくという理屈はもっともらしく、俗耳に入りやすいのだが、しかし資本主義的生産の本性と根本的な特徴を正しく理解しておらず、間違っている、というのは、商品生産社会(いわゆる〝市場経済〟)と資本主義は、ますます増大して行く資本と利潤と競争のために生産力を絶えず高めながら、それまでの限界を超えて膨張し、周期的な過剰生産や恐慌や、停滞する不況をもたらし、またそれらの矛盾に悩まされるのだが、それは「過少消費」とは全く違い、むしろ正反対の傾向を持つ生産様式である。

 だからこそ、資本主義的生産は、その意味でも次の生産様式を、資本主義よりもより高度の生産様式を準備すると言えるのである。

 結果として「過少消費」と「過剰生産」とは、〝需要〟を〝供給〟が、〝消費〟を〝生産〟が上回るという点では、そして結局は社会的生産が均衡を見失い、崩壊の危機に直面して行くという意味では同じではないかと、「過少消費」説を信奉する俗人は言うかもしれないが、後者は資本主義の発展の未来に、その矛盾の深化に、労働者・働く者と人類の解放を展望し、見るのだが、前者はむしろ資本主義の矛盾にただ恐怖と不幸しか見ず、資本主義から後退して、それ以前の社会の〝安定〟や〝保守〟に救いを求め、見出すプチブルや反動らの観点であり、資本主義観である。

 だから後者が前を見て、歴史の未来のために闘うのに対し、不可避的に、前者は反動的であり、歴史の過去のために闘うのであり、闘うようになる。

消費増税が諸悪の根源か

 共産党は昨年10から12月期のGDPが7月から9月期に比べて、年率にして6・3%だけ落ち込んだことから、「消費増税が経済を壊している」(赤旗1・24)、「消費増税大不況招く」(同2・18)と大騒ぎし、「賃上げ・減税で、経済を立て直そう」(同2・24)とピント外れな発言をあげ続けている。

 「安倍政権が昨年10月に強行した消費増税が日本経済を大不況に突き落とそうとしています」。

 「消費税10%の増税は、国民の暮らしと中小業者の経営に深刻なダメージを与え、各種経済指標は軒並みに悪化しています」。

 要するに、彼らは昨年秋の2%の消費増税によって、日本社会は、資本主義は「大不況によって崩壊して行く」というのだが、現実を正しく評価し、見ることができないプチブル階級の単なる被害妄想であり、枯れ尾花(ススキ)を幽霊と見誤るような臆病な諸君の恐怖心、世迷い言である。

 そして彼らは大いに焦って、ありとあらゆる要求を並べ立てるのだが――それらの要求が消費を拡大して、大不況に陥りつつある現実の社会を救うと半デマをふりまきながら――、しかしそんなものはただいたずらに多いだけで、どれが本気なのか、焦点なのか、緊急なのかも考え抜かれ、整理されてもおらず、したがってまた実際に勝ち取られ得る客観的な条件も手段も具体的な闘いの道も、何も示されないのである。

 要するにすべてにおいて、無責任で、雑で、でたらめである。彼らの混沌とした〝諸要求〟を見てみよう。

 「消費税の5%への減税、年金・医療・社会保障の拡充、2万5000円の大幅賃上げ、最低賃金の全国一律1500円の引き上げ、長時間労働の解消などで、『8時間働けば、普通に暮らせる社会』を築くことは、個人消費を活発にして日本経済を立て直す上でも喫緊な国民的課題です」。

 一体、このごった煮の混沌とした観念の雑炊は何だろうか。何の原則もなく、あれこれの異なった階級、階層の、あれこれの異なった性格の、目先の要求を羅列し、並べただけのもので、しかも本気で実際に勝ち取ろうという意思も熱意もない、党官僚の頭の中で捏ね上げられただけの、死んだ決まり文句にすぎない。

 本当に消費税の5%への引き下げが、復帰が可能なのか、なぜ5%であって、8%ではないのか、つまり今回の消費増税の粉砕ではないのか(なかったのか)、あるいはなぜ3%への復帰でないのか、なぜ消費税の撤廃ではないのか、ついでになぜ所得税(所得税を負担しているのも、もっぱら労働者・働く者である、その点では消費税も所得税も同じである)も廃止しないのか。

 消費税を12年前の民主党政権に自公が協力して――ほら、まさに野党共闘ならぬ、〝与野党共闘〟であり、協力だ、とはいえ、この時は現在の野党が与党であり、現在与党である自公が野党であり、逆立ちしていたのだが――引き上げた水準に、あるいはゼロだった平成の最初の30年前に戻すことに、そんな要求に、どんな合理性が、まともな根拠が、客観性があるというだろうか。

 共産党はこうした疑問や質問の一切に答えることができるのか、答えるつもりで、消費税5%への引き下げや、ゼロ%の消費税などを提起しているのか。

 そうでないとするなら、全く不誠実、不真面目で、いい加減なポピュリズム政党、スターリン主義の陰険な陰謀政党であって、労働者・働く者の全体をバカにし、愚弄しているというしかない。

どんな実際の証拠もなく 

 そもそも「消費増税は経済を壊している」といっても、どんな具体的な証拠も事実も示してはいない。今回の消費増税では、増税前の「駆け込み需要」もほとんどなく、「増税後の落ち込みは極めて大きい」などと言うが、それは果たして真実か、そしてまた共産党はこんな批判をして何が言いたいのか。駆け込み需要はともかく、増税後の落ち込みを小さくせよと言いたいのか。

 しかしそんなことは安倍政権がやろうとしたことであり、また実際にもやったことである。

 安倍政権は増税前には駆け込み需要はともかく、とりわけ増税後の落ち込みを小さくするために、まさに至れり尽くせりの努力を払い――消費増税前に、資本に散々儲けさせておいて、今度は増税後にはまた増税後の対策としてまた補助金など湯水のように支出して資本などをたっぷり儲けさせた――、そのカネはまさに1年分の消費増税に匹敵するほどだったが、なぜ共産党はそんな安倍の奮闘努力に賛嘆の言葉をかけないで、難癖つけるのか、つける必要があるのか。

 共産党が勧めるような政策も安倍がやれば間違いで、共産党がやれば正しいのか。おかしな正誤の判断基準ではある。正しい言葉は誰が語っても正しく、間違った主張は誰がやっても間違った主張ではないのか。

 とにかく安倍の奮闘はどうあれ、駆け込み需要もいくらでもあって、企業は十分うまい汁を吸ったし、増税後も巨額の需要喚起策や、キャッシュレス決済のポイントン還元策など安倍政権の至れり尽くせりの増税対策によって、ブルジョアはしっかり儲け、プチブルたちもホッと安どのため息をついたのであって――単に一時の気休めであれ――、消費増税による需要縮小に苦しむようなこともほとんどなかったのである。

 共産党やリフレ派は――安倍すらも――過去2回の消費増税の後には、深刻な不況が来たと騒ぎ立て、また思い込んでいる。小心者の安倍は半ばそんな神話を信じて、8%の消費増税を2%上げることを2回も躊躇し、怯えて延期した。

 ありもしない、リーマンショック並みの深刻な不況が襲おうとしているなどと半デマの扇動までして、世界の中で大恥をかきながら、である。

 さらに昨年の消費増税ではその使い道を変えて、財政再建のためのカネを、全世代型社会保障とか乳幼児教育無償化とかのバラまきに転用して、つまり財政再建のために支出したら、少しも需要拡大にならないカネを、参院選を意識しつつ、国民をたぶらかせ、見事に需要拡大のためのバラまきに利用(悪用)してしまった。

 野党共闘派とりわけ共産党は、なぜ共産党にとって、羨望措く能わざるような安倍の手品のような政策をほめたたえ、追随しないのか。

消費増税は「大不況の原因」になったか 

 しかし1997年の消費増税や、安倍によるは14年の3%の消費増税はリフレ派や共産党等によって、景気後退を呼び込んだかに批判されてきたが、本当だったのかを点検しなくてはならない。もちろんそれは直接には、あるいは一時的な影響を経済にもたらすことはいくらでもあり得るだろう。問題はその程度であり、深刻さである。

 リフレ派や共産党は自らの〝悪しき〟動機から――リフレ派は〝異次元の〟金融緩和こそが資本主義経済を救うというドグマから、共産党もまた彼らの政治の根底であるバラまき政策のためという〝悪しき〟動機から、そんな歪んだ立場から、現実を一面的に誇張したり、歪めて描くことしかできないのである。

 1997年の消費増税後の景気後退は、消費増税のためというよりも、夏のアジア通貨危機や、秋の山一証券や北海道拓殖銀行の破綻などの金融危機の方が、景気後退や長引く不況の、はるかに重要な原因になったのであり、また14年の消費増税も、リフレ派はせっかくのアベノミクスの腰折れをもたらしたとやかましく攻撃するのが常であるが、安倍の3%の消費増税によるショックもその年の終わるころにはほぼ終息していた。

 消費増税によって仮にいくらか景気が悪化したとしても、消費増税のためというより、他のもっとはるかに重要な要因もまたいくらでもあったといえるのである。

 そもそも増税をしても、そのカネを政府が消費のために支出するなら、需要の増減という点では、したがってまた景気に対しても、基本的に中立であるとどうして言えないのか。彼等にとって重要な〝需要〟の担い手が、国民から国家に移っただけではないのか。

共産党政治の犯罪的役割

 しかし今深刻な景気後退が日本を、世界を襲おうとしているとするなら、その契機は、2%ほどの消費増税――安倍のその前後の壮大なバラまきによって、とっくに相殺されているような――よりも、循環的な景気後退や、米中の貿易摩擦や、アベノミクスのマイナス効果等々の方が、よほど重要で、問題ではないのか。

 何もかも消費増税が原因だなどと言うのは、共産党の諸君の現状分析能力や洞察力の完璧な欠如であり、偏狭なドグマに侵されて、明き盲の人々にはるかに劣る、情けない連中というしかない。

 一体なぜ共産党はこんな非現実的なドグマに固執し、目をしっかり開いて、正しく事実と現実と真実を見ないのか、見られないのか。

 彼らがプチブルであって、経済停滞や不況は消費不足からくる、従って消費を拡大すれば、景気が回復し、経済成長も戻ってきて、ブルジョアもプチブルも、労働者・働く者も、国民の全ても幸せになるといった、トンチンカンなユートピアを、珍奇な全階級を包含する、あり得ない〝協調主義〟と、超日和見主義を信じ込み、労働者・働く者を堕落させ、国民全体をペテンにかけ、誑(たら)し込もうとしているからではないのか、そうすることで、ブルジョアや安倍政権に奉仕しようとしているからではないのか。

 そんなスターリン主義の空っぽで、有害な政党は、日本の、世界の政治の舞台から一日も早く消えてなくなるべきである、否、日本の労働者・働く者は近い将来、きっとその課題を達成し、解決するであろう。

     林 紘義

   

   

【飛耳長目】

★米国の大統領選挙もたけなわである。民主党は候補者が乱立、誰がトランプと争う候補者になるか、トランプに勝てそうな候補者がいるのか。〝左派〟を装うサンダースがトップに立っているが、トップを守り切れるかは疑問である。〝左〟過ぎて、民主党支持層さえまとめ切れなさそうだから★しかも彼の政策は大学教育無償化とか、カネをバラまけば働く者の生活が改善するといった、日本の野党共闘派と同程度の財政膨張のバラまき政治であって、トランプに勝つよりもむしろトランプに名を成さしめかねない★今やアマゾンの城下町としてアマゾンの恩恵に与り、潤うシアトル市における、サンダース支持派の活動家の紹介が新聞にあったが、彼女は米国ではわりと多い、トロツキー派の〝極左〟といわれ、アマゾンのために家を追われた万を超える多くのホームレスのために、アマゾンに5億ドル課税して公営住宅を建てよと訴えて支持を拡大を集めている★彼らは自らの立場を〝民主的な社会主義〟だと呼びたいらしいが、もちろんそれは資本主義の止揚としての社会主義とは全く別の、階級的にはプチブル的で幼稚な急進主義にすぎない★共産党はサンダースを持ち上げ、盛んに応援しているが、米国ではこうした急進派はブルジョア党派だけによる政治闘争の添え物、余興であるが、日本では極めて反動的な役割を果たすのである。(鵬)

   

【主張】

五輪に夢中な安倍御大
危機拡大する新型肺炎

安倍政権はなぜか新型肺炎が問題になって以来、この問題に一貫して無関心で、緊張感を欠いて来た。 

 ようやく最近になって色々の対策を取り始めたかであるが、それでも、〝国民〟や民間が自主的に注意し、健康を管理して拡大しないように努力せよというだけで、国がカネを出そうというわけでもないし、まるで他人事のようによそよそしい。

 初動が大事と言いながら、新型肺炎の感染の拡大が考慮されてしかるべき豪華船に何千人もの人々を閉じ込めた後、今度は急きょ下船させ、挙句の果てに下船した人々を公共交通機関で帰宅させるといった、ちぐはぐな無神経をやっている。

 やっていることは、一言でいって、新型肺炎は大したことはない、大げさに騒ぐべきようなことは何もないという独りよがり、思い込みのように見える。

 あるいは安倍政権がそうであってほしいという願望によって対応し、動いているようにしかみえない。

 しかし今にわかに見かけだけは派手にあれこれ言い始めているが、安倍政権が大事な初期対応をサボり、これまでの無為に過ごしてきた結果、もし新型肺炎のパンデミック(爆発的な大流行)といったことになったら、誰が責任を取ってくれるのか。

 思うに安倍政権の新型肺炎に対する対応の遅れは、オリンピックのために、新型肺炎のことで大騒ぎしてオリンピックが中止になったら元も子もないという、安倍政権の立場のもたらしたものと考えざるを得ない。安倍政権は事実を正確に把握し、正しく対処するよりも、オリンピックのことばかり気にしていたのである。

 現在においても、本当に感染している人数は全く分からないままである、というのは、安倍政権の方針は発症していなければ、感染していないと見なすという立場、そして重症でなければ「自宅待機」で様子を見るといった、あなた任せの、自らの責任を回避した立場を一歩も出ていないからである。

 要するに、日本は「安全」であるという印象が揺らぎ、消えて行って、オリンピック中止というような雰囲気が出てきたら大変なことになる、という意識だけで動いているのである。国民の健康や生命は二の次で、オリンピックの方がはるかに重要だという転倒した意識で安倍は生きている、というのは、オリンピックは今や支持率が下がり、信頼が急速に失われつつある安倍にとって、政権への求心力を維持し、あわよくばさらに自民党総裁の再選や、近づきつつある衆院選で勝利して、トランプやプーチンや習近平と共に、政権の延命を勝ち取っていくために欠くことのできないものだからである。

 我々はオリンピック開催が日本に決まるときに、安倍が日本の原発事故汚染について、「大丈夫だ、〝アンダーコントロール〟にあるから」と世界を偽ってオリンピックを招致したことを思い出す。

 そして今また安倍は新型肺炎についても、「アンダーコントロール」を装いたいのだろうか。そんな事実と違う印象を作り出し、国民の健康や生命を犠牲にしても、オリンピックをやりたいのだろうか、やらなくてはならないのだろうか。

 虚偽から始まったオリンピック、そして虚偽によってのみ開催されるようなオリンピック、最初の予定された予算の何倍ものカネがなくてはできないような、無駄なカネ食い虫のようなオリンピック、要するに嘘で固まったような、安倍一人がどうしてもやりたいと思っているような、不潔なオリンピックは、新型肺炎がどうあろうとも、直ちに開催を返上をすべきであり、それこそ安倍が国民のためになし得る、最後の義務であり、最善の奉仕である。


【2面トップ】

日本製鉄、業績悪化で高炉閉鎖
   労働者の闘いはまず仕事と生活の防衛から

日本を代表する大企業、日本製鉄は7日、2基の高炉がある呉の製鉄所を23年9月までに閉鎖するなど大規模なリストラ計画を発表した。高炉を止めるだけではなく、加工、出荷までを含めた製鉄所のすべてを止める。高炉を備えた生産拠点の閉鎖は2012年、旧住友金属工業と合併し、日本製鉄になってから初めてのことである。鉄鋼資本は利潤の確保・増大をめざして国の内外で生き残りを賭けた競争を行っているが、そのしわ寄せは首切り、労働強化、生活苦等々として労働者に押し付けられようとしている。

背景には中国など新興国の台頭

 リストラは呉だけではなく、全国に及ぶ。和歌山では2基ある高炉のうち1基を22年9月までに止める。八幡製鉄所は九州八幡区の八幡製鉄所と小倉地区の小倉製鉄所にそれぞれ1つずつ2つの高炉を持っているが、小倉製鉄所の高炉は閉鎖され、1つとなる。さらに、4月からは全国16の生産拠点を6の製鉄所に再編、八幡と大分の2製鉄所が九州製鉄所として束ねられる。リストラによってグルーブ全体の粗鋼生産5000万トンの約1割、500万トンが切り捨てられることになる。

 このため日本製鉄は20年3月期決算の業績予想を下方修正し、純損益が4400億円の赤字になる見通しだと発表した(前年実績は、2511億円の赤字)。赤字額は過去最悪である。

 日本製鉄は国内では粗鋼の約半分を生産する独占的地位にあるが、競争の激しい世界市場では中国や韓国の低価格の製品に劣勢に立たされ、地位を後退させてきた。中国は世界の粗鋼生産の約半分を占める粗鋼生産大国であるが、近年には競争力を高めるために中国企業の大型再編、統合が活発化している。昨年6月には世界2位の宝武鋼鉄集団と16位の馬鉄集団が経営統合を発表、粗鋼生産量で世界首位であるアルセロール・ミッタルに迫る勢いを示している。鉄鋼業においては生産規模の大きさが競争力の強さに影響するが、国内では断トツのトップである日本製鉄は生産規模からすればミッタルの約半分にすぎない。日本製鉄は、中国企業、韓国ポスコにも追い抜かれ、世界のトップ5の圏外に転落した。

 日本全体の粗鋼生産を見ても、世界で日本は中国に次いで2位の座を占めてきたが、18年にはインドに抜かれ3位に後退した。

 こうして07年には過去最高の1・2億トンの生産を記録したが、08年に世界的不況を契機に生産は減少に転じ、以降1億トン程度で推移、遂に昨年は0・99億トンと1億トンを下回った。

 過去を振り返れば、敗戦直後、高炉は僅か3基、粗鋼生産は56万トンでしかなかったが、1953年には戦時中のピークを越え、56年には初めて1000万トンを突破した。その後の経済の〝高度成長〟の時代には、大型高炉の建設が相次ぎ、粗鋼生産は5年ごとに倍増、73年には敗戦直後の2000倍と飛躍的発展を遂げた。粗鋼の生産性を従来の6倍に向上させる新技術「転炉」を世界に先駆け普及させ、低価格を武器に市場を席捲、80年には米国を抜き世界のトップの座に就いた。

 現在、最早過去の勢いはない。バブル崩壊以降の日本経済の停滞による国内需要の減少のもとで低迷を続けている。

労働者はいかに闘うべきか

 高炉休止、製鉄所の縮小によって、大量の労働者が削減される。閉鎖される呉製鉄所では、呉製鉄所は社員1000人で、協力会社を含めて3000人以上が働いているが、今回のリストラに関係する労働者は1600人、半数以上の労働者が削減対象となっている。石田副社長は記者会見で「希望退職(の募集)は全く考えてはいない。当社グループのそれぞれの製鉄所の配置転換が基本。配置転換が難しい場合にも、技能が活用できるところでの勤務を検討する。人手不足のなか、協力会社の皆さんにもぜひ当社グループの中でご活躍いただきたい。採用数を考えると、現実的に対応可能な規模なのではないかと考えている」と雇用維持を強調した。

 会社は配置転換を基本として雇用を維持すると約束するが、しかしそれが実行される確かな保証などない。石田は「(設備削減は)500万トンで十分かどうかはわからない」とも言っているように、今後の状況によっては、さらなるリストラも行う可能性を否定はしてはいないのである。

 労働者は資本のリストラに対していかなる態度をとるべきだろうか。

 雇用確保のために会社に協力するというのは論外である。リストラは業績の上がらない不採算部門、過剰設備、不要になった労働者を切り捨てて資本の利益を確保するためであって、リストラに協力すれば、現在の生活を維持できるなどというのは幻想でしかない。「配置転換」による雇用維持といっても、不慣れな職場や仕事のない部署に追いやって、退職に追い込む「配置転換」は資本の常套手段だ。

 労働者は、職場の保障と賃金をはじめとする待遇維持を資本に突きつけて闘っていかなくては、労働者への約束のことなど反故にするだろう。

 鉄鋼は「産業のコメ」と言われ自動車、鉄道、電機、土木、建築等々に鋼材を供給する基幹産業である。鉄鋼資本は、世界的な経済停滞のもとで市場めぐって競争は一層激化し、激動の時代を迎えている。日本製鉄のリストラはその表れである。

 日本製鉄のリストラは、鉄鋼所の労働者ばかりではなく、協力会社はじめ下請け会社などの労働者にも雇用不安など生活を脅かしている。

 日本製鉄のリストラは、大資本だから生活は安泰という時代ではなくなってきていることを教えている。資本の支配する社会の下では、労働者は、いずれの産業で働こうとも、決して安定した生活などありえないことを示している。資本の支配こそ労働者にとって災厄の根源である。資本の支配を克服し、搾取のない社会をめざして団結し、闘い抜くことこそ、労働者の生きる道である。

    田口 騏一郎


【お知らせ】

中央『資本論』学習会再延期のお知らせ

 3月8日(日)に予定した中央『資本論』学習会はとりあえず3月22日に再延期します。詳細は後日

   

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