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●1385号 2020年8月23日 【一面トップ】労働者の解雇が横行――原因はコロナか、それとも資本か 【1面サブ】立憲民主と国民民主らの危うい合流――労働者性皆無の新党に希望無し 【コラム】飛耳長目 【二面トップ】ベーシックインカムは貧困を解決するか――本田浩邦のベーシックインカム論批判 【二面サブ】実態ない特別買収目的会社(SPAC)――資本主義の頽廃きわまれり 【お知らせ】 【校正】 ※『海つばめ』PDF版見本 ※注文フォームはこちら 【1面トップ】 労働者の解雇が横行 「コロナ禍決算最悪」とか「コロナ失職4万人超え」とかのマスコミ報道が躍る。コロナの蔓延によって、つまりコロナが原因で日本経済は強烈な打撃を受け、さらに雇用も深刻な影響を受けているというのだ。しかし、労働者の失職がたったの「4万人超え」で済んでいるのか、大いに疑問に感じ、統計をひも解いてみた。さらに、経済や労働者に甚大な被害をもたらしているのは、果たしてコロナなのか、それとも資本主義そのものであるのか、それを改めて考えて見たい。 ◆非正規労働者が激減 「新型コロナウイルスの影響で解雇や雇止め(見込みを含む)にあった人が4万人を超えたことが厚生労働省の集計でわかった。緊急事態宣言が開けた後の6月以降も、約4週間に1万人のペースで増え続けており、雇用への打撃は収まる気配がない」(「朝日」7月31日)と。 しかし、この「朝日」の数字は、「都道府県労働局の聞き取りや公共職業安定所に寄せられた相談・報告等を基に把握」(厚労省)した集計であり、実態を反映しているか疑わしい。しかも、月々の雇用の推移を示していなく、正規労働者と非正規労働者の区別もなく、不親切で分かりにくい。 それでは、同じ政府統計でも、統計局の「労働力調査」見てみよう。但し、7月分はまだ発表されていない。 今年に入って3月まで「人手不足」が続き、就業者数は、前年同月比で87カ月連続の増加を示していた(3月の就業者数は6千700万人、労働者数は5千656万人)。安倍らはこの数字をもって、「戦後最長の景気回復」と自慢してきたのだが、4月になると、就業者数、労働者数は一転減少に転じた(就業者数6千628万人、労働者数5千582万人)。 その後、5月(就業者数は6千656万人、労働者数は5千580万人)、6月(就業者数6千670万人、労働者数5千605万人)ともに、ほぼ同数を推移している。 3月の労働者数5千656万人の内訳を見ると、正規は3千506万人であり、非正規は2千150万人であったが、6月の労働者数5千605万人の内訳は、正規は3千561万人になり55万人ほど増え、非正規は2千44万人に100万人以上減っている。7月分の発表があれば、非正規はもっと減っているのではないのか。 厚労省発表を鵜呑みにした「コロナ失職4万人超え」とは、一体何か。実際は、3月と6月の雇用状況を比較しただけでも分かるように、非正規労働者は100万人以上が削減されていたのである。 しかし、これをマスコミのように(政府はもちろん、野党全てもだが)、コロナのせいにすることはできない。資本の存続と利益確保のために、真っ先に、非正規が雇用の調整弁として利用されたのだから。マスコミ諸君よ、このことをまず強調すべきではなかったか。 ◆「黒字リストラ」の横行 この間、正規労働者が減っていないのは、大手では既に数年前から、否、日常茶飯事に中高年を中心に「早期・希望退職」を募集してきたことが一因だ。13年には、電機を中心に54社で1万782人を整理し、以降も最近までに10万人近くの労働者が同じ手口で解雇されている。 01年のITバブル崩壊や08年のリーマンショックの時は、「人件費削減」の為に、各々数万人にも及ぶ「早期・希望退職」が強行されたが、今回はやや違っている。 ここ数年間の一連の退職強要は、いずれも、賃金が高い中高年を狙い撃ちにしたものであり、デジタル化など高度技術への投資に伴う「若い人材」への切り替えを図ったと言われる。 それは、韓国や中国にも後れをとる中、巻き返しを図るために、抜本的な新技術導入(AIなど)による生産に舵を切り、古くなった過剰設備や技術を廃棄するためであった。 デジタル化やロボット化などによる技術革新は、直接的には、生産性の向上につながり、労働者の過重労働からの〝解放〟となり、価格の低下や労働時間の短縮にも繋がるが、資本による改革は、常に人員削減を伴い、常に労働者犠牲の上に立っている。 しかし、資本にとっては、資本の若返りのために、常に正規労働者もまた首切りの対象にするし、今後もするのである。 ◆資本主義を終わらせよう コロナ禍は、サービス業(観光、飲食、小売りなど)だけではなく、自動車産業などにも大きな影響をもたらしている。他方、IT、医療機器、創薬、ロボットなどの分野では、逆に仕事量が増えている。 コロナがもたらす影響は産業分野によって異なり、一方は打撃を受け、他方は漁夫の利を得ている。しかし、どの資本にとっても、たとえコロナ禍でも儲けを出さなければならないのであって、他資本に勝ち抜かなければならないのである。要するに、資本主義は常に、個別にまた国家間で激しい競争を繰り広げる。生産設備の革新は至上命令となり、どこが一番早く最新の製品を大量に売り出すかを競っているし、それがコロナ禍では普段とは勝手が違ったということでしかない。 資本主義は、好況期(政府による好況の演出もあるが)には拡大再生産を求めて突き進み、過剰資本(債務も)と過剰生産を準備するが、その結果が今度は恐慌や不況となるのであり、「大恐慌」や「バブル崩壊」などは、こうした資本主義の循環運動の端的な現れであった。 しかし、資本はこれに懲りるどころか、次の破綻を準備するのである。「バブル崩壊」後、新規の設備投資は停滞したが、13年から始まった「アベノミクス」により刺激を受け、バブル期には及ばないものの再び設備投資の拡大が進んだ。 その結果、保険業・金融業を除く「法人企業」の18年「営業利益」は、68兆円にも膨らみ(12年には40兆円だったが1990年の50兆円を超えた)、「総資本営業利益率」(一般的利潤率に近似する)もリーマンショック前の4%を回復するに至っている。 この様に、資本主義は、幾度となく経済危機を自ら招きながらも、繰り返して資本を無制限に増大させ続けるのだ、今回のコロナを引き金とした経済危機もまた、資本主義の循環運動の一過程である。先に労働者の解雇の状況を紹介したが、資本は、労働者へ犠牲を押付け生き延びようとしているのは明らかだ。今後、経済がいくらか回復したとしても、財政を含むさらに大きな危機が待っているのは確実だ。労働者は資本主義を終わらせるまで資本と闘うしかない。さっさと終わらせよう。 (W) 【1面サブ】 立憲民主と国民民主らの危うい合流 労働者性皆無の新党に希望無し 両院議員総会を19日に開いた国・民は、「新党をつくることを承認」し、「全員での新党への参加の努力を続け、全員参加が叶わない場合には、さらなる『大きな塊』に向け、円満かつ友好的に諸手続が進むよう、代表・幹事長に一任する」と結論した。玉木代表が言っていた「分党」は議題にされず、立・民への合流が主流だ。「新党に加速」とか言っても、国・民議員の大多数と野田や岡田らのグループと立・民による「新党結成」に労働者は冷ややかである。 今回の新党は元民進党(元民主党)議員たちの再結集でしかなく、どんな新鮮味も(新党名すら、「民主党」や「立・民」が候補?)なく、政策的にもたいした新機軸を打ち出しているわけでもなく、「野合」に辟易して冷淡なのは当然である。 今回の合同は、秋に国会解散が想定される中で、政権交代の闘いを前進させたい立・民の多数派工作として進められてきた。国・民は安倍政権に「是々非々」の立場であり、民進党分裂の経緯もあって、立・民との合同に乗り気ではなかった。 しかし、コロナ禍対応の酷さや野党要求の臨時国会を開くことすらできない醜態の安倍政権への批判が高まり、自民との対決姿勢を押し出すことが野党に求められる状況の中で、国・民の与党寄りの立場では選挙に勝てないのではないか、立・民と合流すれば「反安倍」の恰好がつくという思惑が国・民議員や連合幹部らに強く働いたのであろう。一方の立・民も支持率低迷から抜け出すには野党第1党の存在感を増すためにも、選挙で勝ち抜くためにも党勢拡大を求めていたので、敷居はあまり高くせず、元々の「同志」の再結集を〝歓迎〟したのである(合同協議が密室で行われ、新党代表や新党名を決める選挙は国会議員だけで行うというのだから、全党的に新党が〝歓迎〟されているかは不明だ)。 今回の野党再編を、立・民が増えるから反自民=左翼が増加すると歓迎する人がいるとしたら、その人は全くの政治音痴であろう。国・民も「野党共闘」の一角を占めていたのだ。空疎非力な「野党共闘」の実態を見誤っているとしか思えない。 新党の綱領案を検討して、その性格を考えてみよう。そこでは、「国民が主役の党」ということを「基本理念」とし、民主党以来の「『生活者』『納税者』『消費者』『働く者』の立場」は消え、資本追随の階級協調の立場を明確にしている。かつて社会党が労働者性を希薄にして市民主義を強め社民党に移行したことを繰り返していて、その〝失敗〟からなにも学んでいない。今回の「再結集」は元民進(元民主)議員たちの自己保身のためのものでしかなく、労働者の闘いを一歩も前進させるものではないのだ。 ベラルーシの労働者たちはルカシェンコ不正政権に対してストライキで果敢に闘っているが、安倍政権を追い詰めるために労働者の自主的・大衆的な闘いこそ重要である。そうした闘いを意識的・階級的な闘いとして発展させる労働者党の強化・拡大は急務だ。(岩) 【飛耳長目】 ★四つ切りの一枚の遺影写真がある。変色しているが軍服姿の写真で、亡き祖母から亡き母へ、そして私へと引き継がれている。彼は一枚の「赤紙」で、幼子を故郷へ残して南方の戦場へ送られ、虫けらのように死んだ★玉砕命令で敵陣へ突撃するとき、何に思いを巡らせたであろうか。幼子も歳をとり既に亡くなり、遺骨も無く、この写真と墓に刻まれた戒名以外、生きた証は寂しい★敗戦からちょうど75年目の夏を迎えた。連日の猛暑の中で、各地で戦没者慰霊式が行われた。戦争の悲惨さと「平和」を求める声は、戦後生まれが85%に達し年々小さくなっているが、戦争統帥者の昭和天皇や軍国主義・戦争ファシズムを推し進めた時の政府や政党、軍部指導者、財閥等への責任を問う声や批判は皆無だ★昭和天皇の孫の「深い悲しみ、深い反省」という上っ面の言葉には、戦争犯罪人一族としての真の反省はない★A級戦犯の孫であり、あの戦争を「聖戦」と考える安倍は、式典で初めて「積極的平和主義」という言葉を使い、敵基地攻撃能力の推進と9条改正を印象づけた。コロナ禍でうろたえ続け、その先の展望もない安倍政権と未曾有の資本主義の危機の後に、「再び来た道」が訪れるか! 労働者の団結した力こそがそれを粉砕できる。 (是) 【2面トップ】 ベーシックインカムは貧困を解決するか コロナ対策として日本では国民に一律10万円の支給が行われたが、欧米など国際的に「ベーシックインカム」の議論が活発化している。その一つとして慶応大教授・本田浩邦の『可視化されたベーシックインカムの可能性』(『世界』9月号)を取り上げ、検討しよう。 ◆ベーシックインカムの実験 これまでの社会給付、公的な扶助が労働能力、所得・資産の欠如を条件としていたのに対して、ベーシックインカムとは、すべての人々に、個人単位で、就労、資産、婚姻の有無などを問わずに給付される現金給付と定義されている。まず、筆者がベーシックインカムの実験として挙げている事例を見ておこう。 米国カルフォルニア州ストックストン市。月額500ドルを支給する実験を1年半行い、これを基礎に、他州の市にも呼びかけ全米11の市で「ベーシックインカム市長会」を作り、全米レベルでの実験を行う計画を進めている。 欧州では、スペインの中道左派・社会労働党と急進左派・ポデモス党との連立政権は低所得者を対象として恒久的な給付制度を5月に決定した。月額230ユーロを下回る貧困家庭55万世帯、約250万人(人口の5%)に月額462ユーロ(1家族あたり1015ユーロを上限とする)を支給。筆者はこれについて、実際には所得制限を課した生活保護給付を拡充したものにすぎないとしつつも、政府が「ベーシックインカム」と呼んでいるとして、その実例としてあげている。 そして筆者は、現在はまだ本格的なベーシックインカムの導入に至ってはいないが、これが実現すれば「労働者、国民の生活の安定、交渉力の向上、経済的選択肢の広がり」が期待されるというのである。 ◆資本主義の脆弱性と不安定性 ベーシックインカム導入は、一時的な政策ではなく、現在の経済体制の改革のための政策として提起されている。 筆者は資本主義の現状について次のように述べている。 戦後の資本主義は「働くすべての人々に十分な雇用の機会を」「失業のない社会を」(「完全雇用」)が共通の目標となってきた。しかし、この「完全雇用体制」は、みんなが生産することによって所得を得るということであり、すべての就労可能な人々に雇用を保障するためにはさらに生産・サービスを拡大しなくてはならず、そのために経済の規模は大きくなる。 「こうして生産の領域は無尽蔵に拡大して、緊要性のない商品セグメントが膨大に広がる。 消費者としては生活の利便性は極限まで高められるが、他方で、生産者、労働者としては競争の過程で報酬が抑制され、生産現場での労働強化が進む。これが、高度な技術を備えた先進諸国で大多数があくせく暮らし、かなりの層が食うや食わずという状況の根底にある」。つまり、「完全雇用政策の経済的帰結は、慢性的・潜在的な供給過剰を抱えた経済が、その完全雇用の事態のためにつねに新たな雇用創出と市場開拓を強いられるという悪循環」に陥っている。 慢性的な過剰生産の下で、発達した生産力がありながら、労働が軽減され、生活が向上するのではなく、労働者は労働強化を強いられ、貧しい生活を強いられている、というのが現在の資本主義の現状だというのが筆者の意見である。 労働者救済のための社会保障制度があるが、それは例えば、年金や失業保険に見られるように、大企業の正規労働者を対象とするものであって、非正規や小、零細企業の労働者はほとんどその恩恵を受けていないか、あるいはそれから除外されて、一層みじめな状況に陥っていうのである。 ◆ベーシックインカムの役割 米国の経済学者ガルブレイスは、著書『ゆたかな社会』で、生産が発展すると、さらに新たな欲望が生まれ、そのために生産が行われる(生産の「依存効果」)ために過剰生産になるといったが、筆者はガルブレイスに依拠し、過剰生産の原因は雇用によって所得を得る体制=「完全雇用」政策にあるかに言い、労働とは切り離してすべての人々に国家が生活を保障するカネを給付するベーシックインカム策をとれば「過渡に肥大化した生産と消費から就労圧力を下げ、労働時間を短縮しつつ人々の生存権を保障する」ことが可能になるというのである。 「生産が新たな欲望を生み出し、生産を拡大する」契機になるというのは事実である。資本主義は自然に対する科学的な洞察を発展させ、社会にとって有用なものを作り出すことを飛躍的に増大させた。生産力の発展は新たな欲望を拡大させ、生産の多様性をもたらした。マルクスはこれを「資本の偉大な文明化作用」と呼んだが、このことが直接過剰生産になるわけではない。直接労働者の生活のために生産が行われるのではなく、労働の搾取に基づく利潤獲得を目的とも動機ともする資本による無政府的生産こそ過剰生産をもたらす原因である。 この根本的な原因から目を背けて、筆者は労働者の雇用を確保する政策が生産を拡大し、その結果過剰生産になるかのように主張し、ベーシックインカムによって過剰生産の問題が解決するかのような幻想を振りまいているのだ。 またベーシックインカムによって、労働者が望まない労働も避けることが出来るともいう。現代では、日本をはじめ先進諸国では鉄鋼、電機、自動車など生産的な産業が縮小する一方、いわゆる飲食業、観光業、娯楽産業などいわゆる「サービス」産業が拡大している。中には、人々の射幸心をかき立て堕落させるカジノなどの賭け事産業、バー・クラブなどの接客業、パチンコなども含まれる。そして戦争を目的とした軍需産業もますます肥大化している。 これら「サービス」産業や軍需産業の肥大化は、筆者が言うような「依存効果」によるものではなく、利潤目的の資本主義が生み出した結果である。それまで自由主義的な時代、資本は手工業から機械産業へと生産を発展させ、まだ利用されていなかった自然領域を利用可能にし、人類にとって有益な新たな使用価値を生み出すなど次々に新産業を生み出していった時代には進歩的であったが、独占資本主義の時代に入ると軍備を増大させるなど不生産的な分野が拡大してきた。現在では生産的な部門が相対的に縮小し、ますます不生産的な部門が肥大化しているということは、資本主義が歴史的に進歩的な役割を失い、退廃、寄生化が深化したこと、私的所有を基礎とし、労働の搾取を原理とする利潤目的の資本主義が、私的所有を廃止し、生産の目的が直接労働者の生活をより豊かにするために行われる新たな体制(=社会主義)に変わらなくてはならないことの必要性、必然性を表しているのである。 ところが、筆者は不生産的部門の拡大が資本主義の退廃、寄生化の深化であることを見ることが出来ず、生産が生産を生み出す「生産の優位性」(ガルブレイス)といったことで済ませているのである。 ベーシックインカムの果たす第二の役割について、筆者はこれまでの社会保障制度は、「男性正社員中心の完全雇用を典型モデルとし、それから逸脱し溺れた場合の選別的な救命ボートであった」のに対し、ベーシックインカムは非正規などこれまでの社会保障制度が対象としていない労働者を対象とするものであり、既存の制度を補完するという。現在の社会保障制度は、労働者に生活の安定・向上のためではなく、資本主義が生み出す失業や貧困などわずかな改良で労働者の苦しみを取り繕い、労働者の資本に対する怒りや不満をそらせ、労働者を資本の支配のもとにつなぎとめようとするものであるが、筆者のいうベーシックインムもそれと何ら変わることはないのである。 ◆コロナ後社会とベーシックインカム コロナ感染によって、生産・流通網の多くがストップし、生産、サービスの多くが減少した。これについて、筆者は次のように言う。 「これまでの不必要に肥大化し低迷した大量生産消費の土台のうえにバブルを載せたような社会経済をそのまま復活させるのではなく、経済をもっと『断捨離』してスリムにし、消費の規模も自然環境に相応しい程度まで削減し、労働時間を短縮し合理的な経済システムに向かう」ことが大切であることが問われている。 筆者は、コロナは経済が肥大化していることを反省すべきことを示している、経済の低迷、労働者の生活困難は、大量生産、大量消費の結果であり、経済をスリム化すれば労働時間短縮することも出来ると言うのである。過剰生産による経済の低迷は、大量生産・大量消費のためではなく、利潤目当てのための無政府的な生産の結果である。過剰生産と言っても、消費しきれないと言う意味ではなく、資本にとって利益を伴って商品を売るには「過剰」という事であって、「過剰生産」は労働者の貧困と矛盾することではない。この不条理は資本主義が労働者の生活の充足、向上のための生産ではなく、資本の利潤獲得のための生産のためであることを筆者は分かっていないのである。 だから、生活保障として就労、資産にかかわらず国民一律に国がカネを給付すれば、労働者は お互いに競争しあってあくせく働く必要もなくなり、もっと短い労働で安定した生活が出来るようになるといったたわごとをいうのである。 そもそも、働く能力を持ちながら、働かない者に対して、生活保障のために国家がカネを支給するなどいうことは、社会が生産的労働によって支えられていることを否定する思想である。 ベーシックインカムはさまざまに論じられているが、需要不足に不況の原因を求め、国家がカネをばら撒けば経済が好転するという点で共通している。そのためには、先のことも考えず財政を無視して、国家が膨大な借金をしてカネをばら撒いて省みない。社会の富が労働者の生産的労働に依存しているという根本的なことを理解していないベーシックインカム論は空理空論である。 (T) 【二面サブ】 実態ない特別買収目的会社(SPAC) 8月8日の日本経済新聞に特別買収目的会社(SPAC)について報道されている。 「別の会社を買収することだけを約束した会社が、米国で相次ぎ上場している。投資家はいずれ有望な未公開企業を買収する夢を見て巨額の資金を投じる」「箱だけの会社は『特別買収目的会社(SPAC)』と呼ばれる。上場時には事業の実態を持たず、有望な会社を将来見つけて買収することだけが目的だ。投資家の側はSPACの買収の選別眼だけを信じて資金を託す」「今年は7月30日までに51件のSPACが上場。190億ドル(約2兆円)の資金を集めた」 なんの事業もせず、実態もまったくなく、ベンチャー企業などを買収することだけを目的とした会社に巨額の資金が投じられているのである。かってのソフトバンクの孫正義のように買収の選別眼だけを信じて、孫正義に投資しようとするのである。孫正義の選別眼はことごとく間違っていて、巨額の損失を出したことは周知の事実である。ソフトバンクには、まだ、携帯事業などの実態があった。だが、SPACには、こうした事業実態は全くなく、単にマネーゲームだけの会社である。 この背景には、実際の事業を超えて、はるかに多くの金が世界中をかけまわっている現実がある。今でも、世界的にも、未曽有の金融緩和と財政支出により、大規模なマネーが生み出されている。その金の一部が、何の事業実態もないSPACに投入されているのである。SPACが社会的に何の生産的富ももたらさないのは明らかである。日本でも08年にSPAC解禁が検討されている。SPACはバブルをもたらすだけであろう。 マネーゲームにうつつを抜かすSPACが、現代資本主義の底知れない頽廃を示しているのは明らかである。 (M) 【お知らせ】 次号の『海つばめ』は9月第2日曜日の13日発行です。 【校正】 1、前々号1383号 二面下から4段7行目 2018年→2008年 2、前号1384号 一面サブ記事 下から2段7行 超音速→極音速 |
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