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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音

 
 


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望

 
 

本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

 

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判

 

 
 
 

 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

 
●1388号 2020年10月11日
【一面トップ】一段と国家統制強める菅政権――「学術会議」6名を任命拒否
【コラム】飛耳長目
【二面トップ】大村リコールは愛国主義運動――右翼反動の神輿に担がれる河村市長
【二面サブ】維新がやっていることは資本の救済と労働者の弾圧だ――都構想を「改革」と偽り住民投票

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【1面トップ】

一段と国家統制強める菅政権
「学術会議」6名を任命拒否

 菅が「日本学術会議」の新会員6名の任命を拒否したとして問題となっている。それは、安倍、菅と続く政権がどんなものであるかを象徴している。菅は中央官庁の官僚の有り様について、次のように述べている。「私たちがやろうとしていることに反対したり、違う動きをしたら、私は一切許さない」、「政権として打ち出した方向に反対な人、消極的な人、『余計なこと』を言う官僚は評価しない。即刻異動してもらう」(インタビュー)。安倍政権は「内閣人事局」(当時の局長は現官房長官の加藤)を創設し、官僚幹部の人事権を一手に握った。それを推し進めたのが当時官房長官であった菅である。これにより、官僚たちは安倍政権のより従順な下僕となり、森友・加計や桜を見る会等で公文書偽造や文書隠匿、度重なる嘘発言、忖度などを繰り返したことは周知の通りである。「日本学術会議」(以下、学術会議)の6名の任命拒否も、まさにその延長線上にある。

任命拒否を正当化する菅政権

 菅は6人を任命しなかった問題について、5日の内閣記者会インタビューで、6人が安全保障法制や「共謀罪」創設など、安倍前政権の重要法案について批判的な立場だったことは「一切関係ない」と白を切り、任命拒否の理由については、「個別の人事に関することはコメントを控える」と、菅の政治判断を「個別の人事」にすり替えてごまかしている。「学問の自由の侵害」という批判には「学問の自由とは全く関係ない」と断言して、任命拒否が政治的な判断だったことを図らずも明言したようなものだ。

 菅は、「法に基づいて、内閣法制局にも確認の上で推薦者の中から首相として任命した」などと言って、内閣法制局の忖度官僚に責任を転嫁しながら、学術会議の会員は公務員の立場で、国の予算を年間約10億円投じているとした上で、「任命する責任は首相にあり、推薦された方をそのまま任命する前例を踏襲して良いのか」と開き直っている。いまさら学術会議のありかたを問題にして恫喝する姿勢は破廉恥だが、「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から、今回の任命についても判断した」と、任命拒否を正当化している意味は何であろうか。

 菅が任命拒否したと思われる理由を見てみよう。岡田正則氏(早大教授、行政法)は、沖縄辺野古基地埋め立てに抗議する声明を発表していた。小沢隆一氏(東京慈恵医大教授、憲法)は、衆院特別委公聴会で、安保関連法は「歯止めのない集団的自衛権の行使になる」として違憲性を主張し、廃案を求めていた。松宮孝明氏(立命館教授、刑事法)は、参院法務委で参考人として出席し、共謀罪を「戦後最悪の治安立法だ」と批判していた。加藤陽子氏(東大教授、歴史学)は、改憲や特定機密保護法に反対し、「それでも日本は『戦争』を選んだ」を出版、芦名定道氏(京大教授、キリスト教学)は、安保法に反対して活動、宇野重規氏(東大教授、政治学)は、特定機密保護法に反対して活動。いずれも政府の方針に反対した故に、「総合的、俯瞰的な活動を確保する」必要のあった菅は、「私は一切許さない」の言葉通り任命を拒否したのである。

 しかし、こうした動きは昨日今日に始まったことではない。2016年には補充会員の候補者2名に難色を示し、結局欠員となったことや、2018年には内閣法制局との間で、学術会議からの推薦を拒めるように、「任命は義務でない」と学術会議法の解釈変更をしていたのである。

なぜ突拍子もなく(そう見える)慣例を破ったのか

 学術会議は、210名の会員(学者)からなる組織で、6年任期、3年ごとに半数改選され、定年は70歳で再任はない。選出は会員と2000名弱からなる連携会員の推薦を元に、選考委員会が候補者を選び、総会で承認後、総理大臣が任命する(学術会議法第7、17条)。現行制度になった2004年以降、推薦候補者が任命を拒否されたことはなく、1983年の改正に際し、時の中曽根内閣の総理府総務長官は答弁で、「首相が任命を左右することはない」「推薦していただいた者は拒否しない」「形式的な任命行為だ」と述べ、これが長らく慣例となってきた。これを安倍と菅らが覆したのである。

 菅らによる任命拒否の転機は2017年に遡る。学術会議は1950年と67年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」とする声明を発表していたが、2015年に政府は武器輸出を禁じてきた「武器輸出三原則」を解禁する方針を打ち出し、防衛装備庁を新設したり、政府自ら各国に売り込む計画を推し進めた。

 そこで学術会議は2017年に「過去二度の声明を継承する」旨の声明を出し、また同年、防衛省が大学の科学者らに対し軍事応用も可能な基礎研究への助成の公募を募ると、「(科学者への)政府介入が著しい」と批判した。安倍や菅はこれを大いに怒り問題視し、推薦候補者をそのまま任命する「悪しき習慣」の変更に乗り出したという訳である。

日本学術会議とは何か

 「日本学術会議」は、戦前に多くの科学者、研究者が戦争に協力してきたという反省(戦前は「学術研究会議」1920年創設)のもとに、1949年に科学者の内外に対する代表機関として設立された。目的は、①科学の向上発展を図り、行政、産業および国民生活に科学を反映浸透させること②目的実現のために政府への勧告、答申、声明の発表行うこと③国際的会議への参加や学術交流を行うことなどで、総理大臣の所轄の下、政府から独立した「特別の機関」として位置づけられ、本年度の予算は10億円余である。当初210名の会員は、広範な科学者、研究者の直接選挙で選ばれていたが、2005年に自民党政府により選挙が廃止され学術会議の推薦に切り替えられた。

 1970年頃までは、前述した声明をはじめ、「我が国の平和的復興、人類史社会の福祉への貢献をめざす」(学術会議憲章1949年)などと、曲りなりにも日本を平和な科学技術立国とするという意気込みや戦争政策への非協力、「非核三原則や原発開発」への政府方針に批判的な発言が見られた。しかし今日では、候補者105名の内、政府に楯を突いた者がたったの6名しかいないという事実が示すとおり、他の99名をはじめ多くの会員たちは「研究のための研究」、資本の利益のための産学協同への参加、政府要請研究への積極的加担、また会員であるという地位や名誉や箔に汲々としている。

 元会員であったある研究者は、「一時期学術会議の末席を汚させてもらったが、任命されない方が学問の自由を享受できるというのが普通の学者の本音だと思う」、「87万人の学者の代表という言い方はやめて欲しい、会員でない大多数の学者は全く関与できない、選挙権もない」と指摘する。

 学術会議がいかに「政府からの独立」を謳おうと、政府直下の諮問機関であり、年間10億4800万円もの予算をもらっていることからしても、特別公務員として政府の統制や「政治の介入」から逃れることはできないであろう。

各界からの批判は正当なものか

 梶田新会長は早速、任命拒否の理由の説明と6人の再任命を要求する要望書を菅政権に提出した。立憲や共産党など野党も一斉に批判し、SNSでも23万件を超える批判のツイートが寄せられている。それらの主な批判は、「政府による言論弾圧である」、「憲法23条の学問の自由を犯すもの」、また「学術会議の独立性を犯す」、「(法的にも)首相には会員を選考、罷免する権限はない」、「前代未聞の政治介入だ」といったもので、一見すると正当であるように見えるが、果たしてこれらの批判は妥当なものであろうか。

 この階級社会の中で、「学問の独立や中立性」などといったものはそもそも無い。あるのはその時々の社会の支配者に都合の良い「学問」―江戸時代には儒学とりわけ朱子学が重用され、戦前には皇国史観や軍事学が優先された―が重んじられたのであり、現代ではブルジョアの利害こそが貫徹し、支配的である。

 「学問の自由」は絶対的なものではなくその時々の支配を覆さない限りでのことであって、一旦「危険なもの」とされると度々弾圧や言論統制を受けたのである。その例を我々は戦前に多く知っている―大逆事件や京大滝川事件、横浜事件、マルクス主義への弾圧等々。

 学術会議やその法がどんなに理想を謳っていようが、政府の紐付である限り、時の政府によって「政治介入」されることは十分あり得るし、安倍と菅の内閣によってそうされたのである。むしろいままでの任命慣習が幸運であり、学術会議はそのことに安住してきたとも言える。

菅政権の打倒こそ急務だ

 問題は、その任命の慣例が何故に〝安倍と菅内閣によって〟破られたかである。安倍一派が政権に就いてからというもの、日の丸・君が代の法定や教育基本法の改悪から始まって、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派遣、特定秘密保護法、共謀罪などを次々と成立させ、また従軍慰安婦や徴用工を否定し、国家主義、軍国主義への道を推し進めてきた。アベノミクスの〝バラまき効果〟もあり、野党の無力もあって法案成立率は97・5%、選挙は連戦連勝という、まさに「安倍一強」であった。

 こうした体制を許してきたからこそ、彼らは図に乗って教育やマスメディア、そして学者の組織をも有無を言わせず手中にしようと企んでいるのである。これらを黙って許せば、さらに増長し、彼らの下に権力は集中し、国家的統制は一段と強まるであろう。全国の科学者、学者も菅政権打倒のために、資本の危機を国家統制強化で乗り切ろうという動きと闘う労働者階級の隊列に加わるよう呼びかける! (是)


   

【飛耳長目】

★テロの標的になった「シャルリー・エブド」のムハマンド風刺画を見た。イスラム的価値観の非合理と前近代への嘲笑が全てで、かつての十字軍の征服戦争と同じ不毛な宗教戦争の挑発でしかない。米国の黒人差別には敏感だが、宗教差別の風刺画に「表現の自由」を盾にする矛盾には鈍感である★確かに「自由と平等」の西洋的価値観は、宗教的絶対主義よりはるかに進歩的だが、そこには宗教を相対化して政教分離に進む数世紀の歴史と、フランス革命に象徴されるブルジョア的発展の歩みがある★対するイスラム世界は、欧米帝国主義の支配と抑圧の中で、そうした契機を欠いたままブルジョア大国と対峙している。欧州最大の移民国家フランスは、移民の労働力なくして戦後復興もなかった★とりわけ旧植民地のイスラム系は、今では人口の9%6百万人にも達し、底辺で支えてきた。彼らはその後の世界的不況で多くが職を失い、ルペンらの排外主義の攻撃にさらされ、社会から分断されてきた。イスラム的価値観は彼らの救済思想となり、過激思想に触発される者もいた★十字軍は勝利することはなかったけれど、対立解消の道は、搾取・抑圧の資本の体制の克服と階級的解放のための共同がベストであり、困難でもそこに進むしかない。 (Y)

   

【2面トップ】

大村リコールは愛国主義運動
   右翼反動の神輿に担がれる河村市長

 右翼反動の神輿に担がれリコール運動の旗を振る愚かな名古屋市長河村。大村愛知県知事リコール運動とはなんなのか?表現の自由や検閲、戦争美化が問題なのか?違う!知事リコールを利用した、右翼反動派による愛国主義運動だ。

高まるリコール派への反発

 「ネットワーク河村市長」から知事リコールへの賛同を呼びかける文書が送られてきた。リコールを呼びかけるのは、表現の自由に異議を唱えるためではない、公金を使って大村知事が、独断独裁で「反日プロパガンダ」を行ったから、「あいちトリエンナーレ2019表現の不自由展」の負担金の支払いを拒否したのだ、コロナ禍の3月にトリエンナーレの名古屋市負担金3380万円不払い訴訟を一方的に行ったからリコール運動を立ち上げたと、河村は言う。

 大村知事リコール運動は10月25日まで、86万6千人分の署名が必要。リコールを呼びかけた団体(愛知100万人リコールの会)は、25日に記者会見を行いこの一ヶ月間の成果を語ると同時に、残された一ヶ月の運動について発表した。「会う人は皆リコール署名に協力してくれる」と強がったが、団体の代表者である高須(整形病院の経営者でCM等に登場する有名人)は、集まった署名は数万人、HPが「サイバー攻撃されたおかげで出遅れている」、地元のメディア(絶大な影響力を持つ中日や朝日新聞、テレビが報道しないからだと)に悪態をついた。

 リコール派にとってみれば思うように運動が進まず、広がりに欠けることに対する焦りが見て取れる。リコール運動が広がりに欠ける事に恐れをなしたのか、出席予定と発表されていた櫻井よしこやリコール運動の発起人の作家の竹田(皇族の末裔を売りする)、有本は欠席した。

 彼らの誤算はコロナ禍による緊急事態宣言によって、リコール運動の開始時期が先延ばしされ、しかも、当初は大村知事のコロナ対応が批判され「大村寝てろ」、河村よくやっている、の雰囲気が作られていたが、10万円給付が開始されると名古屋の給付が遅れ、しかも河村のコロナ対策に対する認識がお粗末で、実態を満足に把握もせずに役人に丸投げしていることが明らかになるに応じて、河村に対する批判や反発が高まってきた。

 庶民派を装い、スーツを着ることなく名古屋弁丸出しで記者会見に登場する河村を、市民は当初の親しみから、「腹黒き意図を持つ無責任な市長」に評価を変えつつある。

 河村は先頭に立ってリコール運動を仕掛けたが、大村知事からは「・・注目してほしいという事だけ・・本当に悲しい人だな哀れな人だなと思う」と蔑まれ、名古屋市議からは「コロナ禍で市長のやることではない。選挙で選ばれた者が選挙で選ばれた者にやる話でない」「・・よほど重大な覚悟、決意をもって行動に出たのだろう」(朝日新聞)と引導を渡された。

表現の自由や戦争美化反対では反動派と闘えない

 共産党はリコール運動に反対する全県的な運動を組織すると7月21日に県委員会声明を発表したが、その立場は、憲法21条・表現の自由や検閲反対、旧日本軍の侵略行為や戦争美化に反対するという無力な自由主義やプチブル平和主義にとどまっている。

 河村らは少女像展示や天皇ガスバーナー写真の展示を「反日プロパガンダ」として展示に反対するのは検閲ではないと主張する。それらを私的なスペースに私費で展示する事には自分は反対していない。公金を支出し公共のスペースに展示することは、展示物に不快感を抱く人がいる以上、公共の福祉、公共の秩序に反する。したがって名古屋市は「トリエンナーレ2019」の分担金は支払わないし、公共施設を「反日プロパガンダ」の場に変えた大村をリコールし追放しろと言うのだ。

 9月25日のリコール運動開始一ヵ月で開いた記者会見には、今やすっかりお笑い芸人と化したデヴィ夫人も参戦し、「大村知事あなたは日本人ですか?」と、このリコール運動に賛成するか反対かで、「日本人」か「反日」か、切り分ける基準になるかにヒステリックに叫んだ。

 リコール推進派の立場は、表現の自由は私的な権利であり、公共の福祉や公共の秩序に従わなければならない。したがって少女像や天皇の写真の様に「日本人の心を踏みにじる」「反日プロパガンダ」の展示に反対し公金の支出を差し止めたことは検閲ではない。「憲法12条には、表現の自由は、公共の福祉の制約を受けると書いてある」(TVでおなじみ弁護士の北村)。

 彼らが執拗に「日本人」にこだわるのは、少女像や天皇の写真が、公共に抗う事=資本の支配する社会体制を切り崩す運動に道を開きかねないと恐怖するからである。リコール運動の背後にある当時の自民党政権の動きを思い起こせば、そのことは明らかになる。

 当時の安倍政権は一度決定した「トリエンナーレ2019」への文科省からの助成金の交付を取り消す(その後減額して交付)と脅し、当時官房長官の菅は「トリエンナーレ2019」会場に対するテロ予告(このため企画展は3日間一時中断)があるにもかかわらず、「一般論として、暴力や脅迫はあってはならない」と曖昧な発言を行い、「個別的には」暴力も脅迫も容認するような姿勢で、テロ予告で妨害した右翼や天皇制国粋主義の連中を勇気付け増長させて来た。

 安倍政権の下で、戦前の日本帝国主義による韓国や中国に対する侵略や略奪を否定する歴史修正主義の立場が正当化され、安保法や共謀罪などの法体系が確立され、米国をはじめとする各国軍隊と自衛隊との共同した軍事演習が繰り返されてきた。

 このような動きは、軍事大国として急速に存在感を高め、米国と世界支配を争うまでになった中国に対する日本ブルジョアジーの危機感の表れである。大村知事リコール運動と闘うためには、表現の自由や太平洋戦争中の日本軍の野蛮な侵略行為の美化に反対するなどという、後ろ向きの平和主義的な立場では戦う事は出来ない。

 表現の自由を守れというが、表現の自由も絶対的、超歴史的なものではなく階級的立場によっておのずと違ってくる。

 生産手段を含め社会的富の全てが共有化され、搾取や他人の労働に寄生する階級が廃絶され、労働の解放が勝ち取られた社会では芸術そのもののあり方が変わってくるだろうし、表現の自由を法的に保証する必要もなくなる。法において表現の自由を保障しなければならないのは、社会が利害を根本的に異にする階級に分断されているからであり、芸術もまた階級性を帯びざるを得ないからである。

 したがって、階級対立を前提とする憲法21条「表現の自由」に依拠してリコール派を批判することは無力である。憲法21条は「公共の福祉」を謳う憲法12条や13条によって制約されるのであり所詮、憲法はブルジョア支配に合法性を与え正当化するものでしかないからである。

 右翼反動派の連中は、有名人、著名人を動員し、ごろつき大衆紙やネットを活用し、「反日プロパガンダ」などというデマゴギーを振りまきながら運動を盛り上げ、さらに名古屋市の文化振興事業団は、県が不許可にした在特会の桜井が党首を務める、日本第一党が開催する「あいちトリカエナハーレ2020『表現の自由展・その後』」(9月26、27)の排外主義の展示会開催を許可し、河村は名古屋市を巻き込んで排外主義的な運動への大衆的動員を図ろうとしている。

 共産党よ!戦前戦中に小林多喜二をはじめ多くの共産党員が天皇制軍部ファシズムの弾圧で虐殺されたではないか、再びファシズムの軍靴が迫りつつあるがそれが聞こえないのか!闘うべきは、リコール運動を右翼反動派の運動だと暴露する事であり、自民党政権・ブルジョア支配の腐朽、腐敗がファシズム的な運動を生みだしていることを訴え、闘う事である。(愛知 古川)


【二面サブ】

維新がやっていることは資本の救済と労働者の弾圧だ
都構想を「改革」と偽り住民投票

 維新が進める大阪都構想が、住民投票に付されることになった。維新は、大阪府と市の長年の二重行政の弊害が都構想によって解消し、大阪の成長を実現すると宣伝するが、大阪の停滞は日本社会の行き詰まりの一環であり、単に地方の制度改革で解決する話ではない。しかし維新は、都構想を「改革」といって人々の期待感を煽り、住民投票を成功させ、維新の勢力を拡大させて菅政権への更なる接近をもくろんでいる。

二重行政と批判しバブル経済の責任追及放棄の維新

 維新は大阪府と市の二重行政を解消し、広域機能を府に一元化し大規模都市としてのインフラを整備し、大阪の成長を実現すると公約している。維新が二重行政の象徴とするのが、府の「りんくうゲートタワービル」と市の「WTCビル」である。府と市がビルの高さを競い合ったことを、二重行政が生んだと維新は問題にしているが、府と市はバブル経済の波に乗って、ともに関空そして湾岸区域の開発を資本の利益ために公共事業として進めたのであり、それがバブル崩壊で脆くも崩れ去り破綻したのが実態なのである。しかし維新は万博とIRカジノを軸に地下鉄などの周辺整備を資本のために公共事業として行うと言い、同じような公共事業で今度はそれで成長するというのである。

 松井市長は、「成長して税収が伸び稼げる都市」(NHK かんさい熱視線9・18)と言っているが、万博後の成長振興策としてIRカジノのような賭博場を設けることほど、維新および安倍・菅政権の腐敗腐朽を如実に示すものはない。そうした政策は過剰生産による経済停滞の下では、もはや生産的産業による成長を画することができないことの反映であり、他人の懐に手を突っ込んでカネをとるような退廃極まるIRカジノで、維新は観光客を呼びこめると算段するのである。しかし維新の成長策はコロナ禍ですでに破綻を現し始めている。

維新のファシズム的政治の一掃を

 維新は公務員をスケープゴートにして、既得権益を打破すると言って、公務員労働者が獲得した権利を剥奪し、有無を言わせない絶対服従化を強い、一方で教育無償化などの人気取り政策を行い、大衆を籠絡するファシズム的政治を駆馳している。

 2018年に大阪市営地下鉄を民営「大阪メトロ」とし、収益があがるようになったと維新は自画自賛するが、民営化によって組合運動を解体し、現業職員の賃金引き下げや労働強化を受け入れさせた。維新は「国旗国歌条例」を制定し、君が代斉唱時に職員の起立を義務付け、このような国家主義的な教育に反対する教育労働者を職場から追い出し弾圧している。また日本軍による従軍慰安婦制度を巡っては、その歴史的真実を認めず、サンフランシスコ市との姉妹都市解消や、あいちトリエンナーレ2019での少女像展示への非難など、真実を捻じ曲げ自国の利益を優先する狭隘な愛国主義的言動を行っているのである。

 一方維新は、コロナ対策として小中学校の給食無償化を前倒して4月から実施し、8月には未就学児に5万円給付を決めているが、市幹部がいうように「住民投票を意識した大盤振る舞いのばらまき」(朝日8・21)である。このような財政私物化は赤字財政を膨らませ、次世代に借金を負わせるのである。

 「いい話も悪い話も情報公開する」(『大阪から日本は変わる』吉村・松井・上山 朝日新書187頁)と維新は言うが、住民説明会では、都構想のデメリットは説明せず、都構想反対の資料を配布しないなど、市政私物化がめだっている。

 資本の支配を守るための強権的政治と大衆に迎合する人気取り政治である維新のファシズム的政治は、労働者の闘いで一掃しなければならない。

 維新は安倍政治と軌を一にし、あるいは先駆けとして安倍政権を支え、菅政権成立後その関係を密にし、自民党を補完する改憲勢力として存在感を増そうとしている。強権的政治に傾く菅政権と維新政治の一掃は労働者の重要な課題である。 (大阪 佐々木)


       
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