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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1406号 2021年7月11日
【一面トップ】 <中国共産党100年・習近平演説>
     帝国主義大国としての中国を誇示――だが、「隠すより露わるるはなし」
【1面サブ】 三菱電機の検査偽装の真相――三菱と鉄道会社の横断的組織的犯罪
【コラム】飛耳長目
【二面トップ】 まるで第二「保守党」宣言――自民と闘う気概さえない『枝野ビジョン』
【二面サブ】 ワクチン配分めぐる“騒動”――政府の場当たりな計画が仇

※『海つばめ』PDF版見本

【1面トップ】

中国共産党100年・習近平演説
帝国主義大国としての中国を誇示
だが、「隠すより露わるるはなし」

 7月1日、習近平は天安門広場を埋め尽くした7万人超の動員者を前に大演説をぶった。我々は、その演説内容を分析することによって中国の現段階とその矛盾を解明しなければならない。

◇人民服を着て登場

 習近平は背広姿の他の幹部たちを尻目に唯一人、人民服を着て登場した。自らを毛沢東になぞらえ、毛沢東の後継者であることを印象づける演出である。だが、こんな見えすいた演出で権威を高めようとすること自体が習近平の立場の危うさを象徴している。

 他にどんなことがあったとしても、習近平は、自らの本性を毛沢東になぞらえることはできない。何故なら、我々が50年近く前に明らかにしたように、毛沢東は資本主義的発展が遅れた中国において農民に依拠して一気に共産主義社会に移行できるかに主張し実践した(それ故に破綻した)農民的〝共産主義〟――そこでは「平等」が本質的な構成要素だった――の体現者であったのに対し(『科学的共産主義研究』31号参照)、習近平は国家資本主義、それも帝国主義化したブルジョア的体制の代表だからである。

 習近平は、演説の冒頭、中国は「小康社会」(大衆の生活がややゆとりある社会)を達成し、「社会主義現代化強国の全面的な実現」という次の(建国100年への)目標に向かって進んでいると宣言した(演説全文は、日本経済新聞デジタル版7月10日付参照)。

◇経済発展と強国化を誇示

 さらに、新中国と党の歴史を振り返り、現段階を次のように規定した――「揺るぎなく改革開放を推進し、各方面からのリスクや挑戦に打ち勝ち、中国の特色ある社会主義を創り、堅持し、守り、発展させ、高度に集中した計画経済体制から活力に満ちた社会主義市場経済体制への歴史的転換を実現した」。

 ここには、中国が1978年末、鄧小平の提唱により改革開放路線に転じ、外国資本の導入や民営企業の設立など〝自由化〟――国家資本主義の枠内での――に踏み切ったことが経済発展をもたらした歴史的現実が反映されている。

 習近平が決して語らないのは、メダルの裏側、即ち農村出身の何億人もの「農民工」を劣悪な環境で徹底的に搾取し教育や医療・福祉の機会を奪い排除してきた露骨な差別と圧迫の体制、都市と農村、都市住民と農民間の貧富の格差の絶望的な拡大、地方政府が農民の土地を奪い取り、私腹を肥やし農民の抗議行動を弾圧してきた事実、少数民族に対する容赦ない抑圧・弾圧・搾取(新疆ウイグル地区に象徴される)等々である。

 労働者、農民に対する激烈な搾取と抑圧こそが中国の経済発展を可能にしたというこの現実を習近平は決して認めることができないのである。

 習近平はなんとしてでもこの〝断絶〟を、階級分裂と対立を覆い隠さなければならない。如何にしてか。

◇「中華民族の偉大な復興」を鼓吹

 習近平の演説に頻出するのは「中華民族の偉大な復興」というスローガンで、主要な段落は、このフレーズで始まり、あるいは締めくくられる――ざっと数えて20回。

 冒頭の呼びかけ部分は、これから「中華民族の偉大な復興の明るい未来を展望する」で締めくくられ、1840年のアヘン戦争以来の中国の歴史を振り返る段落では、「それ以来、中華民族の偉大な復興を実現することは、中国人民と中華民族の最も偉大な夢となった」で終わる。

 さらに「この100年来、中国共産党が人民を束ね率いて行った全ての奮闘、全ての犠牲、全ての創造はひとつのテーマに集結する。それは中華民族の偉大な復興を実現するということだ」。

 他にも「中華民族の偉大な栄光」、「中華民族は世界における偉大な民族」なども頻出する。

 その延長上に「我々をいじめ、服従させ、奴隷にしようとする外国勢力を中国人民は決して許さない。妄想した者は14億の中国人民が血と肉で築いた鋼の長城にぶつかり血を流すことになる」という〝刺激的な〟恫喝が来る。

 つまりは、愛国主義、民族主義を鼓吹し、そうすることによって体制の矛盾を隠蔽し、人々の目をそらし、権力を――共産党の特権と権益を――維持しようというのだ。その悪しき意図を補強するために「マルクス主義」や「社会主義」が所々にちりばめられるといった具合である。

◇「人民」連発の意味

 習近平演説のもう一つのキーワードは「人民」である。中国研究者の興梠一郎氏(神田外語大学教授)は、「人民」は今回の演説で約80回登場と指摘している(日経ビジネス電子版、7月5日)。 愛国主義、民族主義の鼓吹は〝諸刃の剣〟である。共産党が経済成長を維持できず、国民の生活を向上させることができなければ、あるいは他国との帝国主義的対立で後れを取れば、共産党は国民の利益に反し、〝国賊〟に転じるのだ。また、愛国主義が暴走し不買運動や打ち壊しとなって爆発して共産党政権を窮地に追い込むだろう(これまでも何度かあったように)。習近平が「人民」を〝乱発〟したのは、共産党と「人民」の乖離、敵対を覆い隠すためである。

 習近平の前任者(胡錦濤)時代には、しばしば中国全土で農民の抗議行動があったことが報じられていたが、習近平はこうした行動を徹底した弾圧によって封じ込めてきた。そのために、「人民」の不満の声や叫びが中央に届かず、逆に習近平は絶えず人民の不満や怒りを気にせざるをえない。

 〝臭いものに蓋〟をすれば、表面は平穏のように見えても、蓋の下では諸々の要素が渦巻き、絡まり合い、発酵し、爆発するだろう。習近平が「人民」を恐れる理由は有り余るほどあるのだ。

 習近平が中国共産党は、「自らのいかなる特殊な利益もなく、いかなる利害集団、いかなる利権団体、いかなる特権階級の利益も代表しない」と言ったのは、逆に「人民」が共産党を「特権階級」と見なしていると感じていること、民心が共産党を離れつつあることを意識せざるをえないからであろう。

 我々は、中国の体制とその内的矛盾の深化に細心の注意を払い、中国の労働者階級との連帯の道を模索していかなければならない。
  (鈴木)

※『海つばめ』本紙では紙面の都合で省略しましたが、党ブログに省略した「日本共産党の”批判”」も含めて全文が掲載されています。そちらも是非ご参照下さい。

   

【1面サブ】

三菱電機の検査偽装の真相

三菱と鉄道会社の横断的組織的犯罪

 三菱グループの一角を占める三菱電機で、鉄道車両用の空調設備とブレーキ作動やドア開閉に使われる空気圧縮機の性能検査が偽装されていたことが発覚。しかも空調設備の検査偽装については、驚くことに30年以上も行われて来たとのことだ。

 三菱電機の不正はここ数年間だけでも、ゴム部品、鋳鉄部品、パワー半導体そして今回の2件が加わる。三菱は不正の常習犯であり「不祥事のデパート」と化している。

 一般的に、製品が完成し、性能検査を実施して合格すれば出荷できることが性能検査仕様書で謳われ、この検査仕様書はユーザーの購入仕様書(性能要求書)に基づき作成され、ユーザーによって承認されている。

 だから、性能検査仕様書の検査方法と合格基準によって取られたデータは、性能検査成績書に記録され、検査担当員及び部署上司の承認印が押されて、10年間は保存される。しかも、社内検査が終了し出荷準備ができた段階で、ユーザー受入検査員の立会試験が行われる。

 ところが、三菱は鉄道会社(JRや私鉄)からの購入仕様書とは異なる試験や検査を行い、また手抜きし、さらに空調設備については、わざわざ、架空データ作成用の「専用プログラム」まで作っていたのだ。

 こうしたことを考えるならば、三菱電機の架空データ作成が検査担当員や部署だけの勝手な判断で行われたものでないのは明白だ。ユーザーも普通に立会検査を実施していれば、不正を見つけることが出来たはずであるが、無検査状態であった。

 従って、三菱の検査偽装は、単に三菱の問題だけでなく、ユーザー企業による受入検査の意図的な〝飛ばし〟(マスコミは何故か一切触れていない)も問題にされなければならない。

 要するに、双方の協議によるのか、暗黙の了解によるのかは不明だが、確かなことは、双方による確信的な共犯が成立していたという事である。

 それでは、彼らはなぜ長年にわたって大胆不敵なデータ偽装をやってきたのか。

 想像がつくのは、三菱側は設備機器の製造・検査・出荷に至るまでの総労働時間短縮と単位時間当たりの出荷台数増大を謀り、「製造原価」縮小と「利潤」増大を狙ったのであり、それをJRなどは公然と手を貸したということである。

 三菱電機はマスコミの取材に対して、不適切な検査を認めたが、「製品の性能や安全性には問題ない」としらを切っている。

 本来、こうした不正が発覚すれば、直ちに社長が陣頭指揮をとり、最低限全数の再検査を行うべきであるが、そうした反省点に立たないのは、再検査したのでは元の木阿弥になってしまうからである。どこまでも、傲慢不遜な資本であることよ。

 今回の三菱電機によるデータ偽装は、日本の産業全体から見れば氷山の一角であるに過ぎない。ここ十数年の間に、三菱自動車、トヨタ、日産、タカタ、神戸製鋼、トーヨータイヤ、日軽形材(日本軽金属の子会社)、日立金属、原発各社など挙げればきりがない程の名だたる企業によって、製品データの偽装や隠匿が行われてきている。

 それは何よりも成果や能率や出来高を優先させ、労働者を競わせる資本主義的生産にこそ真の原因を求めなければならないが、品質問題で言えば、製造企業側はもちろん製品の購入企業側にも品質保証の概念がなく、何か品質に問題があれば直ぐに設計に戻って見直すような品質管理体制も崩壊しているということである。  (W)


       

【飛耳長目】

★西村宮内庁長官が、五輪開催に天皇は「コロナ感染拡大を懸念」と発言して官邸に激震が走った。開催是非での「天皇の見解」となれば憲法違反になり、天皇制廃止論に火が付きかねないからだ★丸川五輪相は「長官個人の発言」で天皇の意思ではないと火消しに回る。開催意義さえ語れない菅は面目丸つぶれで、沈黙するしかなかった★日本国憲法は、戦後一年余という早さで公布された。そこに天皇制が残ったのには、米国の占領支配と極東戦略の思惑があった★象徴天皇制は、実権がないことで民主化と辻褄を合わせた、明確な概念もない形だけのものだった。だが、それがブルジョア支配を正当化し、権力者にとって利用価値の高い道具となった★歴代政権は皇族を多額の税金で養ってきた(21年度の皇室費と宮内庁費は250億円)。憲法に明記された国事行為と国際親善や戦地慰霊、被災地慰問に五輪名誉総裁などの公的活動は、どんな反動政権でも飾り立て、その腐敗や反動性も、醜聞多い皇族の私生活も覆い隠す。政権と象徴天皇制は持ちつ持たれつの関係なのだ★「懸念」が「天皇の見解」かどうかは、反動派や憲法絶対化の自由主義者には重要かも知れないが、時代遅れの差別制度の廃止を掲げる我々にはどうでもいいことだ。  (Y)

   

【2面トップ】

まるで第二「保守党」宣言
   自民と闘う気概さえない『枝野ビジョン』

 秋に予定されている衆院選に向けて、立・民代表の枝野が『枝野ビジョン─支え合う日本』(文春文庫)を出版した。党の代表として基本的な立場、政策について論じられているが、野党として反動自民政権と本気で闘う気概さえまったく見られないあきれた代物である。

◇「つくる会」とそっくりの「日本の伝統」論

 枝野は自分の基本的な立場について、「立憲民主党こそ保守の政党だ」という。彼に言わせれば現在の自民党は「本来の保守」とはかけ離れており、「真の保守」の姿を「取り戻すべきだ」(24頁)というのだ。

 では「真の保守」とは何か。それは「歴史的に伝統などを大事にして、急激な改革を否定する」(25頁)ことであるとして、枝野は「大事」にするべき「伝統」として「寛容と多様性」、「助け合い」「平和主義」の3つ挙げて、それぞれについて次のように述べている。

 「寛容と多様性」を示しているのは、キリスト教やイスラム教を信仰する西洋やイスラム諸国とは異なり、日本は多神教で、多様な価値の存在を許容する多様性のある社会であった、また文字でも中国伝来の漢字に依存するのではなく、仮名を作り出し、さらに英語をカタカナで表すなど3種の文字を使いこなす日本独特の表記を生み出したことにも表れている。

 「助け合い」については、日本は村落住民の助け合いを必要とする定着した農耕社会であったことが、「助け合い」の精神が日本の伝統なった。

 「平和主義」については、聖徳太子の「17条憲法」で「和をもって貴しとする」と謳っていることは争いを好まず合意を大切にし、他者に寛容であったことの証である。

 しかし、これらは反動派、「新しい歴史教科書をつくる会」が世界に誇るべき日本の優れた「文化的伝統」として挙げてきたこととほとんど同じである。「つくる会」は恣意的で観念的な日本の「伝統」を吹聴し、国家主義、愛国主義を振りまいているが、これに追随するような枝野は全く信用できない。

◇「支え合い、分かち合い」政治の空文句

 枝野の「伝統」を「大事」にする具体的な政策を見れば、それがいかに労働者、働く者の立場からかけ離れたものであるかは明らかになる。

 枝野によれば日本では少子高齢化によって、人口が減少、それに伴って国内消費も縮小してきた、こうした状況の下で「支え合い、分かち合う」といった日本の「伝統」に基づく経済政策が求められるという。

 その具体的政策の一つが、高齢者への支援である。枝野は言う。高齢者への支援を充実すれば、老後のために蓄えている貯蓄を消費に回すようになる。「金融資産を仮に1000兆円とすると、老後30年で取り崩し、半分を預金すると、年16兆円を超える消費につながる。これだけでGDPを3%以上に拡大させる」(164頁)。

 一般の高齢者が蓄えている貯蓄は、老後の生活(日常的な及び病気になった時)のためであって、それを公的な支援に置き換えることによって、仮に個人消費が増えたとしても、国家支援のために税が増え、消費が縮小されるので、全体の消費額は変わらないだろう。高齢者の老後の生活を問題にするとしたら、そのものとして純粋に社会的な支援として問題にすべきだ。高齢者が老後のために蓄えた貯蓄を「経済を活性化し、成長のために」利用するというのはまっとうな考えとは言えない。枝野の政策は、かつての消費需要を増やすために高齢者の貯蓄を吐き出させるという国家官僚の発想と同じである。

 さらに枝野は、現在深刻な社会的問題である介護、医療、子育て支援などいわゆる〝社会保障〟政策の充実を「支え合い」社会づくりとして訴える。枝野は言う。

 「(公共事業より)社会保障的サービスの方が経済的波及効果は大きい。これは社会保障関連支出の方が、全体として雇用を生み出し賃金に回る割合が高いために、それが消費に回ることが一つの要因であるためである」(202頁)。

 「社会保障的サービス」が推奨されるのは、個人消費を拡大し、経済成長に導くという理由からである。しかし、この議論は、個人消費不足が経済の低迷の原因だとする〝過少消費〟論を根拠としていること、さらにサービス分野への投資が経済成長をもたらすと見做している点で、まったく間違っている。消費が減少して不振に陥っているのではなく、過剰に生産されているために不振に陥っているのである。

 社会的に必要としても介護や医療などサービス労働は、生活の糧である富を生みだす生産的労働ではなく、不生産的労働である。介護や医療などサービスは生産的な労働に依存しているのであって、サービス労働が増えるなら、社会の負担は増加する。老齢や障碍・疾病のために働くことが出来なくなった人々への社会的な十分な支援を行うためには、それを可能にする富が生産されなくてはならない。

 高齢者、障碍者などへの十分な支援のための生産力がありながら、支援がおろそかにされている資本の下では利潤目的の生産が行われているからである。

 「支え合い」の社会というなら、私的利益追求の資本主義の克服を目指す闘いを訴えるべきである。ところが枝野は、少子高齢化によって消費が減少し、経済が低迷しているとして、社会保障への国家財政の投入によって消費を回復し、「社会を活性化させ、成長させる」というのだ。

 また、所得制限なしの民主党政権の「子ども手当」支給や安倍政権の保育・幼稚園児の保育料無料化政策は、次世代を担う子育ては社会が行うという「普遍的な理念」に基づく政策であり、コロナ禍での10万円支給など一連の所得制限なしのバラまき政治については「公平で効率的な行政」であり、「助け合い」政治であると述べている。

だが、金持ちを支給対象とするのは、政権維持のために財政を私物化し、カネをバラまく税金の無駄遣いである。

 しかし、枝野は言う。例えば、10万円支給については、支給対象を調査し、実際に支給する手続きにコストがかさむし、支給に時間がかかり、迅速な対応が出来ないので所得制限なしに一律支給する方式の方が安上がりであるし、金持ちに対しては後で「税の徴収によって是正を図ればよい」と。だが、こんなことはごまかしの言い訳にすぎない。対象を調査することはさほど困難ではないし、もともと課税強化で回収する気などなかった。

 「子ども手当」や保育・幼稚園児の無料化については、金持ちに支給するカネがあるのなら、子育てに困っている人々への支援や環境対策(保育所の整備・充実、保育士らの劣悪な待遇の改善等)を行うべきだ。

◇外交は「国益」追求のためか

 枝野は外交政策についてこう述べている。「短期的な外交、安全保障政策については、政権を競い合う政党間における中心的な対立軸にすべきではない」(238頁)、というのは「どこの国も短期的に限られた選択の中で自国に有利な国際環境を作り上げていく。これが外交である」からだ(239頁)。

 枝野にはいかなる国家の「国益」かという階級的な視点はない。枝野は抽象的に「国益」を問題にし、そのために国民は団結して外国に対応するべきだというのだ。こうした枝野の立場は、自民党のブルジョア外交への追随以外のなにものでもない。実際立・民の綱領は外交の基本方針としてして「健全な日米同盟を軸」とすることを掲げ、枝野は「米軍の抑止力、影響力は重要な意味を持つ」(245頁)と言っているのだ。そして尖閣諸島の領有について「真の領土防衛のために」「主体的に尖閣防衛」に当たらなくてはならない、と訴えている。

 こうした枝野の立場は、米・中の帝国主義的な対立が深まる中で、自民党の軍備増強など軍国主義、帝国主義の反動政治を助けることになる。

 枝野ビジョンは、野党第一党を名乗る立・民がいかに大資本の勢力・自民党に対して無力であるかを明らかにしている。立・民は労働組合を有力な支持組織としている。しかし、枝野立・民党は労働者・働く者のために資本の勢力と闘う意思など全くない。

 労働者・働く者は枝野立・民党にどんな期待を持つことも出来ない。労働者は自らの政党=労働者党に結集し、階級的闘いを推し進めるのが資本からの解放への道である。 (T)


【2面サブ】

ワクチン配分めぐる“騒動”
政府の場当たりな計画が仇

 菅政権の場当たりなコロナ対策を象徴するワクチン配分をめぐる〝騒動〟をマスコミが色々と報じている。6月30日付朝日新聞系サイトAERAdotでは、「明石市長が激白『ワクチン寄こせ』と西村大臣に直談判もゼロ回答――『利権化し、官邸が恣意的に運用』」と伝えた。

 兵庫県明石市の泉市長が国からのワクチン供給が不足したことに、「菅義偉首相や官邸はめちゃくちゃや」と非難し、ワクチンの配分について、「国のワクチン接種記録システム『VRS』と関係がある」と指摘。利権がらみかと注目された。

 指摘に対する政府関係者の声として、「ワクチンの差配は正直、利権化されていて、実質的にそれを仕切る官邸は〝ワクチンマフィア〟と裏で呼ばれています。各県からの要望数量を認めたり、割り落としたり、どのように差配しているかは正直、ブラックボックス。VRSのボロタブレット(使い物にならない端末のことー筆者)で文句を言った自治体を含め、菅政権に従順でない自治体、更にリアルな話をすると、首長が自民党以外の自治体への配布を減らしたりといった恣意的な運用はあると聞こえてきます」と紹介している。

 そして、職域接種を予定していた会社の担当者の「医師や看護師をなんとかお願いし、場所もめどをつけた。やっと申請できると思ったら、申請中止という。これまで頑張ってきたのは何のためだったのか」という〝怒りの声〟がある一方で、「新型コロナウイルスワクチンの職域接種を開始/ワクチン接種に伴う特別有給休暇安心のワクチン接種」という〝安心の声〟があるという。ワクチンを充分過ぎるほど確保し職域接種をはじめた企業があるというのだ。

 その企業の社員は数百人だが、会社のトップは6月21日にSNSで、「今週と来週の2週間で5000本のワクチンを確保」と発信したという。記事では、「この企業の関連先のホームページをみると、河野大臣が講演していたり、小林補佐官(岸田派三回生議員。3月に「接種会場を選ぶことでワクチンの種類を選べる」などと発言し、河野から「勇み足」として注意された人物ー筆者)は、企業が関連するシンクタンクのメンバーになったりしていた」と暴露している。河野は「ワクチンは十分にあります」などと大見えを切っていたが、その裏ではワクチン配分を政治的に利用していたのではないかと疑われている始末だ。

 「国民の安心と安全のため」という綺麗ごとで進められているワクチン接種だが、五輪開催による感染拡大への広がる不安を抑えようという狙いがあったであろう。しかし、五輪の「1万人観客開催」実現のために「接種加速」のアクセルを吹かしていた矢先のワクチン不足による急ブレーキによって混乱が広がっている。自治体へのワクチン供給を減らしたり、職域接種は8月にならないと見通し無しとかで、見切り発車した計画は見直ししなければならなくなった。

 五輪の観客についても「無観客」が検討され始めたという報道もあるが、これは都議選で自公過半数を楽観していたのに、感染拡大懸念で〝五輪隠し〟をしながらも過半数割れの結果に終わった危機感――総選挙大敗の予感?――がある。菅は都議選の結果について「謙虚に受け止める」と言ったが、潔く五輪を中止にするわけでなく、煮え切らない「無観客」方針で醜態を晒している。

 菅は「ワクチンがゲームチェンジャー(試合の流れを一気に変えてしまう選手のことで、ワクチンでコロナ禍収束を期待)」「1日百万人接種」「6末までに1億回」と、ワクチンへの期待を煽ったが、頓挫し不信を買った。検査・医療体制の充実や治療薬(イベルメクチンなど)の開発・検証などはおろそかにしていてもワクチン接種さえ順調にいけばボロは出ないと高を括っていた菅らの自業自得である。 (岩)

   

   
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