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●1415号 2021年11月28日 【一面トップ】 空虚な経済対策を演出――壮大なバラまきを閣議決定 【1面サブ】 立憲民主党はどこへ――開始された代表選挙 【コラム】飛耳長目 【二面トップ】 パリ・コミューンとは?――150周年にあたって ※『海つばめ』PDF版見本 【1面トップ】 空虚な経済対策を演出 去る19日(11月)、政府はコロナ不況脱出のためと、過去最大となる56兆円の財政支出(補正事業)を閣議決定した。昨年度の3回の補正予算で、国と地方の財政支出は合計で100兆円を超え、事業規模(投融資も加えたもの)は総額200兆円にもなっていた。ところが、GDPは大して増えず、今年第3四半期(7~9月)のGDP対前年比がマイナスになった。これに慌てた岸田は衆院選挙で財政の大盤振る舞いを公約したというわけである。 ◇総選挙のバラまき競演のあげく 衆院選で自民党と公明党は、個人事業主や中小事業者に対する大規模支援や住民税非課税世帯への10万円給付、18才以下の子供への10万円給付策を公約し、さらに岸田が「新しい資本主義」や「分配と成長」を叫んできた手前、これらの分野に新経済対策として給付金や補助金がふんだんに盛り込まれた。 今回の閣議決定によれば、中小事業者に2段階の条件付きで最大250万円を支給し、個人事業主に対しては同じ条件で50万円を支給する。住民税非課税世帯への10万円給付に加えて、公明党の主張を入れた18才以下の子供への給付も決めた。 この子供への給付は、児童手当の仕組み(子供がいる世帯の場合、主な世帯収入者の年収が960万円未満)に沿ったもので、世帯年収が夫婦で900万円と900万円なら支給対象になるが、夫婦のうち年収が多い方が960万円以上で他方が300万円の場合や片親で960万円以上の年収者は支給対象から外れる。算出基準だけを見ても公平ではなく、不満を巻き起こす愚策である。 しかし、主たる世帯年収者の収入が959万円(960万円未満の最高として)は、世帯総収入の平均層よりずっと多く、決して貧困とは言えない。この部類に入る共稼ぎ夫婦の年収は1千数百万円にもなり、かなり裕福な世帯なのである。 政府は住民税非課税世帯への10万円給付が別途あると言うが、なぜそれだけで済まさず、裕福層も給付対象にするのか。裕福層にとっては、子供への給付といっても、カネに使い先が示されているわけではなく、学習塾などの習い事か家族旅行か親の遊興費になるのがオチであり、このような給付は正真正銘のバラまきを意味する。 この給付によって、個人消費拡大と景気の好循環への一押しになると、自民党や公明党は本気に考えているわけではない。今回の衆院選と来年の参院選を見据えた政治的バラまき(=賄賂)以外の何物でもない。それは、個人及び中小事業主への給付も同様の性格を持つのである。 ◇単なる思い付きだった「新しい資本主義」 岸田のもう一つの目玉が「新しい資本主義への起動」という「分配と成長の戦略」だ。安倍や菅の「成長戦略」と比べて、何が新しいのか分からないような、思いつきを書いた官僚の作文もどきを掲げている。 若手の人材育成として10兆円規模の大学ファンド、蓄電池の先端生産技術の導入や開発の促進、先端半導体の国内生産拠点の確保、保育士、幼稚園教諭、介護・障害などの福祉職員収入の約3%引上げなどだ。 若手人材育成については、既に歴代の自民党政権で、また安倍政権でも、大学における人材教育への支援、先端技術開発を行う大学(東大や京大など)や研究機関への支援などが謳われ、多額の補助金が配布されてきた。 今回、EV自動車や太陽光パネル用の蓄電池開発と先端半導体の国内生産拠点の確保が謳われたが、既にどちらも民間企業が進めてきたことであり、単に国際競争から落ちこぼれないために、関連する企業や企業グループに対して「基金」を作り、国家が税金を注入するだけのものである。 かつて半導体製造で世界を席巻した日本資本主義は、半導体も蓄電池の開発も国家のカネ無しにはやっていけない退廃した資本主義、しかも国家は借金まみれ(糞まみれ)の資本主義に成り下がったことを与党もオール野党も自覚していないか無視している。 さらに、福祉職員の賃金引上げを行うと政府は言う。 確かに大学で幼保の資格や看護の資格を取得しながら、福祉関連施設に就職する学生はめっきり減っている。その大きな理由は大手企業の事務、営業職の方が高給であり、一見楽そうに見えるからだ。3%の賃金引き上げ分を政府が福祉事業主に配布して、賃上げに使うことになるらしい。今までも、安倍の幼保無償化で大枚が施設事業主に配布されてきたが、少しも賃金には回らず、事業主の懐を満たし、子供を呼ぶための見栄えにカネを注ぎこむのみであった。 今回は賃金として色を付け特別支給にするから大丈夫だと、果たして言えるのか。福祉施設も利潤確保が第一であり、全額が賃金として支給されるかは定かではないのだ。 しかも、今後、この3%賃上げを国家が毎年保証するというなら、社会保障費はさらに膨れ上がる。その結果は、労働者の保険料引き上げか、それとも増税か、はたまた国家の借金か、とならざるを得ない。自分の足を食う蛸の姿が眼に浮かぶ。バカな政治屋共によって、労働者が犠牲を背負い続けることになるのだ。 ◇防衛費も経済対策と 昨年の補正予算では、緊急性の無い事業に対してカネが注ぎ込まれたが、今回の追加経済対策でも、どさくさに紛れて防災費や防衛費として4兆円が追加された。 本来、これらは一般会計予算に計上するものであるが、国会審議も短時間で行われるのをいいことに、抜け駆けして提出されたもので、補〝正〟ならぬ補〝悪〟である。このうち、防衛費は7000億円であり、補正予算案では過去最大となる。哨戒機や機雷などの防衛装備品の新規購入に充てるという(この補正予算と当初予算の5兆3千億円を合計すると、21年度の防衛費はおよそ6兆円となる)。しかし、これがなぜ経済対策か。 岸田内閣の新経済対策をざっと見て来たが、岸田内閣の補正予算は何もかもがバラまきに堕している。岸田はこの補正で「GDPを5・6%押し上げる」とうそぶいたらしいが、それが成ったとしても一時的であり、どんなにカネを注ぎこんでも〝ドブ〟に捨てたなら社会的総再生産にとって無意味であることに気づいていない。これが持続的になった時には、一層の円安による国内物価の上昇か、インフレが始まった時であろうし、日本資本主義がさらに腐敗していく段階であろう。 (W) 【1面サブ】 立憲民主党はどこへ 開始された代表選挙 衆院選敗北で枝野立・民代表が辞任したのを受けて、来年夏の参院選に向けて〝党再建〟を目指し、新たな代表を決める選挙戦が行われている。候補者としては、主流派赤松らのグループが支援する逢坂誠二、菅直人等が支援する西村智奈美、これに対して党内の右派からは旧国・民からの合流組である泉健太、希望からの合流組である小川淳也の4人が立候補している。しかし、論戦から見えてくるのはいずれの候補も、なぜ敗北したのかその真の理由について無自覚なことだ。 ◇敗北の原因はなにか 枝野は代表辞任を決めた12日の常任幹事会で、敗北の原因について、共闘相手である「他党との距離感」、とりわけ共産との関係が明確に伝えられなかったことが「最大の反省点」だと述べた。 自民や公明は、共産と共闘したことに対して「立憲共産党」などと揶揄し、小ブルジョア、保守層の〝不安〟や反感を煽り、連合幹部も共産と共闘する立・民への選挙支援を拒否したが、枝野は「共産との協力は限定的」であることを明確に伝えることができずに、「実態以上に近い関係」であるかにとられたことで敗北したというのだ。 だが、敗北の原因はそんなところにはない。その最大の理由は岸田自民党とバラまきを競い合ったことだ。 立・民の「分配なくして成長なし」、「『1億総中流社会』の復活」、「個人の所得増を通じた消費喚起で経済成長をもたらす」というスローガンは、岸田自民の「成長と分配の好循環」、「分厚い中間層の創造」のコピーと思わせるものでしかなかった。 実際、立・民の具体的経済政策も岸田自民と同じバラまきそのものであった。 自民は、コロナウイルスの経済対策として、打撃を受けた企業や個人を支援するための数十兆円規模の対策を掲げ、低所得者向けに10万円支給、子育て支援のための支援金給付、民間企業労働者の賃上げした企業への優遇税制、介護士、看護婦、保育士の賃上げ等々を謳った。 これに対して、立・民も、低所得者に12万円の現金給付など30兆円超の補正予算の編成ほか、消費税を半分の5%に、1年限りという限定付き年収1000万円以下の給与所得者の所得税免除などを選挙公約とした。そしてこれらの財源は自民と同じく借金であった。 これらはその場しのぎの一時的なものでしかなく、労働者の窮状を解決していく展望をあたえる施策ではない。 現在の国家財政は、借金1200兆円超、国民一人当たり借金約1000万円という破滅的な状況にあるにもかかわらず、さらに借金頼みのバラまきを重ねることは、そのツケは将来の世代に増税やインフレとして降りかかってくるのは必至である。 将来に不安を抱えている若者や労働者・働く者がこんなバラまきを疑い、積極的に支持する気持ちになれなくても当然である。 立・民は1年間の限定付きでの1000万円以下の所得者を対象とした所得税の免税の策が高収入者優遇でというあきれたものということはさておくとしても、そして労働者・働く者にとって災厄の原因である。 資本による搾取、非正規をはじめとする差別に反対して闘うのではなく、「一億中流化」とか「分配なくして成長なし」などと自民党と同じ土俵のなかでバラまきを競い合うといった体たらくこそ立・民が敗北した最大の原因である。 ◇理念よりも「政策立案能力」か ブルジョア評論家や自民は共産との共闘を組んだから敗北したと言いはやしている。 これに対して候補たちは、「選挙区では1対1の構図が作れたところは、それなりの成果があった」(逢坂)、「1人区においては、一本化を目指していくことは明確にしたい」(泉)、「小選挙区で候補者調整が行われた成果は大きかった。1人区では、与野党1対1の構図にしなければならない」(西村)など、候補者「一本化」のための共闘には肯定的である。 しかし、小川は「国民民主党は元々同じ党で長年やってきた方々で、非常に近いとの思いを持っている。連合のいろいろな意向もあり、関係改善に努めたい」、泉も「国民民主とのやり取りが増えていくと思う」と、国・民との共闘重視を訴えたのをはじめ、西村も「国民民主党は一緒に活動した仲間が多く、働きかけをしていきたい」と同調、枝野路線の継承を謳う逢坂も「政権選択選挙という現実感があったか。国民はそう思っていなかった」として連合政権が出来た場合、共産の閣外協力を認めた合意を「リセットする」と述べ、共産との共闘の「限定性」を強調している。 4人のうち誰が代表になろうとも、今後国・民への接近を進めるだろう。 4人の候補者が強調しているのは、「政策の立案能力」の欠如ということである。泉は「政策を立案し、反対ばかりでないという情報発信をしていかなくてはならない」「立案型政党として国民にイメージを持っていただけるようにする」と言い、他の候補者も「理念や政策を単に並べるだけでなく、具体的な地域課題の解決を積み重ねることで党の信頼を、役に立つ政党であることを高めていきたい」(逢坂)、「野党の仕事は、政権を厳しく検証することと、政権の受け皿として認知されることだが、後者が十分でなかった」、「政権の受け皿たりうる政権に昇華させていきたい」(小川))と訴えている。 しかし、「野党だからといって反対ばかり叫んでいるのは建設的な政党とはいえない」というのは、ブルジョア評論家や自民党である。それは自分達の政治を正当化するためであるか、反対する政党を同じ土俵に引きずり込んで、妥協を押し付けるためである。 また、公明、国・民、維新なども「是々非々」を叫んで、自民党に同調して反動的な政策を押し通してきた。公明党は「政策」を実現するといって自民と連立政権を組み、反動政治を助けてきたのである。 理念ばかり先走って、具体的な政策がなかったから国民の信頼を受けられない、という泉らの主張は、自民と協調している国・民等の立場に近づくことである。 労働者の革命政党にとっての政策とは、労働者の資本からの解放という目的に向かって、労働者の階級的な意識を高め、発展させるものである。 立・民は、資本の体制の下でも、労働者・働く者が安定した、豊かな生活があり得るかのようなことを言っているが、各候補者のいう「政策」とはその実現のためのあれこれの処方箋のことだ。 「理念ばかり先走った」のではなくて、理念そのものが労働者にとって信頼に値するものでなかったのである。資本主義の改良という立・民の〝理念〟こそが、岸田自民とバラまきを競うという政策を生み出し、衆院選で大敗したのである。 敗北の原因を「具体的な政策がなかった」、「なんでも反対ではなく、変わるべき政策を」などと総括することは、ますます労働者・働く者の信頼を失うこととなるだろう。 (T) 【飛耳長目】 ★昨年度の大学、高専の中退者は約5・5万人で、今年4~8月の中退者は1・2万人を数える。その主たる理由は「(コロナ禍等による)経済的困窮」「(オンライン授業等による)不適応や就学意欲低下」だ。いずれにしても親の経済的困窮や学生のバイト減による生活苦が根底にある★親が生活費を切り詰めてまで子に仕送りをしているというのに、日大の理事らによる一連の横領、詐欺、背任には大いなる怒りをもつ親も多いことだろう。日大事業部の井ノ口や医療法人の藪本らは数億円を懐にし、理事長田中への上納金も1億円を超える。その田中への家宅捜査で、1億円超の現金が見つかり、一部は大阪の銀行の帯封が付いていたという★昨年度の日大の収入総額は約2千億円で、そのうち学生6・8万人の納付金が約1千70億円、国援助金(税金)が90億円といずれも全国トップだ。ドン田中らはその中の一部をピンハネし、涼しい顔をして「現金の受領はない」と言うのだ★かつて1968年の日大闘争は、20億円の使途不明金や授業料値上げに端を発した学生達の抗議行動だったが、甘い汁を吸う寄生虫たちは今日も残存し、資本主義の退廃は大学の腐敗にまで及び、こうした連中をのさばらせている。日大の学生及び教職員の諸君、共に立ち上がらん! (是) 【2面トップ】 パリ・コミューンとは? 今年は、1871年にパリ・コミューンが成立・崩壊してから150年に当たる。マスコミ各紙は、そのことをひと言も報じていないが、横浜港を見下ろす丘にある大佛次郎記念館の『パリ燃ゆ』展がわずかにそれを思い出させてくれた。しかし我われ労働者にとってパリ・コミューンは、決して忘れてはならない歴史的大事件である。わずか72日間の短い生命ではあったが、コミューンは史上初の労働者政府として社会主義的政治の土台をつくり、労働者階級の進むべき道をさし示した。現代のように労働者の階級闘争が沈滞しているときにあって、パリ・コミューンの歴史をふり返り、そこから学ばなければならないことは無限にある。 ◇パリ・コミューンの成立 コミューンの出発点は、1870年の普仏戦争による第二帝政の崩壊であった。9月4日に共和制が宣言され、臨時国防政府が成立するが、このブルジョア政府は、口先だけの〝防衛〟声明を出すだけで裏では降伏を取引した。 当初、祖国防衛に燃えていたパリの民衆は、国防政府を支持したが、その裏切りが明らかになるにつれて、次第に国防から社会変革をめざすコミュ ーン樹立へと向かっていった。 その間プロイセン軍のパリ包囲網は縮まり、1月5日にはパリそのものに砲撃が始まった。2月8日に成立したボルドーのティエール政府は、ドイツ(1月ドイツ帝国成立)と交渉し、徹底的なパリの制圧に踏み切る。ティエールは3月18日、パリの武装解除を策し、夜陰に乗じて国民軍の大砲を郊外に移動しようとするが、それがきっかけとなって、民衆の蜂起が始まる。ティエール政府はヴェルサイユに逃亡し、3月28日にコミューンの成立が宣言された。 ◇労働者階級の政府 3月26日のコミューン評議員(議員)選挙の結果、90名の当選が決まったが、重複当選者や議員を辞退したブルジョア派を除いた残り64名の構成を見てみると、26名が労働者、30人以上が勤労者で、残りは小企業主や知識人(教師、ジャーナリスト、弁護士)である。しかしこの労働者26名を近代的プロレタリアートと考えてはならない。 フランスは、第二帝政下の60年代半ばに産業革命を一応達成したとはいえ、多くの小工業や家内工業を残存させた。労働者の多くは植字工、彫金工、裁縫師と言った伝統的な手工業労働者であり、大工業の労働者は全体の一割にも満たなかった。 しかし彼らの少なからずが20年前の2月革命や6月蜂起を経験し、フランス革命以来の革命的伝統を共有している独立自尊の労働者であった。 コミューンは、近代的プロレタリアートの権力とは言えないまでも生産階級、労働者階級の政府であったのである。 ◇執行し立法する行動的機関 選挙された議員の大半が政治の未経験者であったから、彼らの政治は暗中模索であった。政府は、執行委員会をはじめ10の委員会(財務、軍事、司法、食糧、公共業務、労働・工業・交換、教育、保安、外交)から成り、各委員会は数人の委員による集団指導体制を取った。コミューンは議会主義を否定し、「議会風の機関ではなく、同時に執行し立法する行動的機関」(マルクス)であった。 すべての官吏にはリコール制(いつでも解任でき、直接人民に責任を負う代表制)が実施され、その俸給は、労働者の通常の賃金を超えないことに定められた。 常備軍(正規軍)は廃止され、コミューンの国民軍がパリの防衛と治安に当たった。家賃や手形の延期措置が取られ、労働者に対する罰金制や賃金カットは禁止された。 また経営者が逃亡したあとの工場は労働者に自主管理された。教育では、宗教と国家の分離や無料義務教育、職業教育が目指された。 しかしながらこれらの政策は、わずか72日間の、しかもティエール政府とドイツ軍の包囲の中で、その緒に就いただけに終わった。 ◇労働の解放に向けた宣言 にわか作りの、そして政治的に素人の集まりであったコミューン政府には、様々な問題点が指摘されている。一つは、3月18日の武装蜂起において、ヴェルサイユに逃亡する政府軍と政府機関をなぜ追撃し、壊滅させなかったかということ、またエンゲルスも指摘しているようにブルジョア経済の心臓であるフランス銀行をなぜ強制的に接収しなかったかである。その上コミューン内の党派間の対立がある。コミューンは、さまざまな党派の寄り合い世帯であったから、ことあるごとに対立が表面化した。ヴェルサイユへの進撃もフランス銀行の接収問題も意見の対立によって実行されなかった。 これらの対立の底流にあるのは、コミューンを独裁政権にしようとするブランキ派やジャコバン派の多数派とプルードン的な分権主義のインターナショナル派を中心とする少数派との対立であった。特にコミューンの末期、公安委員会の設置を巡って両者は分裂した。 こうした問題点を抱えていたにもかかわらず、コミューンの本質は、立派に労働者権力であった。国民軍中央委員会の宣言の一部を紹介しよう。 「労働者諸君、決してそれを間違えないように! それは偉大な闘争である、寄生と労働とが、搾取と生産とが、格闘しつつあるのだ。…労働者諸君、奮起せよ!」(岩波文庫p268) ここにあるのは紛う方なき労働の解放に向けた宣言である。マルクスも次のように述べている、「コミューンは、多数者の労働を少数者の富とするところの階級的所有権を廃止しようとしたのである」(前掲p102)。 ◇パリ・コミューンから何を学ぶか エンゲルスは次のように述べている、「革命とは政治の最高の行為である。革命を欲するものは、その手段をも欲しなければならない。すなわち、革命を準備し、革命のために労働者を教育する政治活動をも欲しなければならない。…労働者党は、何らかのブルジョア政党の尻尾としてではなく、独自の目標と政策を持つ独自の政党として建設されねばならない」(全集17巻p390)。 またレーニンもパリ・コミューンを総括して次のように述べている。 「社会革命の勝利のためには、少なくとも二つの条件のあることが必要である。すなわち生産力の高度の発展と、プロレタリアートの準備ができていることである。しかし1871年(コミューンの年)には、この条件は二つとも欠けていた。フランスの資本主義はまだ大して発展していなかったし、フランスは当時、主として小ブルジョアジー(手工業者、農民、小商人など)の国であった。他方、労働者党はなかった。労働者階級の準備と長い期間の訓練とはなかった。労働者階級の大部分はまだ、自分の任務とその実現の方法とについて十分に明らかな認識をもっていなかった。プロレタリアートの本格的な政治組織も、広範な労働組合も、協同組合もなかった」(「パリ・コミューンの思い出」全集17巻p131)。 このレーニンの言葉に全てが言い尽くされている。 今ほどマルクス主義で武装された労働者党が求められているときはない。労働者党による労働者の組織化、そして教育や宣伝によって労働者の階級意識を高め、労働の解放という大事業に向けて階級的な闘いを進めていかねばならない。 これは息の長い困難な闘いであるが、日本の労働者特に二千万にも及ぶ非正規労働者が苦しい生活を強いられているとき、彼らの心をつかめば、必ずや労働者を労働の解放を目指す闘いに結集することができる。 立憲民主党や共産党が先の総選挙で大敗したのも当然だ。 彼らは資本主義の根本的な矛盾も理解せずに(従ってその根本的な変革も目指さずに)、労働者の困難をよそに自民党と同じ人気取りのバラまき政治にうつつを抜かしているのである。 こんな政党をどうして労働者が支持できるというのか? 労働者党に結集し労働の解放のための闘いを開始しよう! (菊池) |
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