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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

◆第2第4日曜日発行/A3版2ページ
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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1446号 2023年3月12日
【一面トップ】 軍事大国化予算が衆院通過
         ――立憲や共産らの主張は労働者と無縁
【一面サブ】  少子化は「静かなる有事」か?
【コラム】   飛耳長目
【二面トップ】 的場昭弘の「プルードン擁護」に反対する
【二面サブ】  暴走する岸田政権・防衛省
※『海つばめ』PDF版見本

【1面トップ】

軍事大国化予算が衆院通過

立憲や共産らの主張は労働者と無縁

 先月(2月)28日、政府は衆院本会議で23年度当初予算案を可決させた。総額は閣議決定と同じ114・4兆円であり、前年度当初予算より6・8兆円増え、11年連続で過去最大となった。増えた6・8兆円は丸ごと軍事費分に相当する。しかし、岸田は軍事費の財源をどのように具体化するのかについて、何も明らかにしていない(できない)。

◇軍事費増額を可決

岸田政権の軍事費2倍化について、『海つばめ』紙上で何回か批判してきたが、今年度予算案が衆院を通過したことを踏まえ、再度論じたい。

 岸田は21年秋に行われた自民党総裁選当時から「中期防の前倒し」など軍事力強化を主張し、バイデンが来日した時には(22年5月)「相当な軍事費増額」を約束し、「安保3文書」には、財務省の不安をよそに、23~27年度の5年間の軍事費総額を43兆円にすると記した(兵器ローンを除いた数字)。

 そして、岸田は国会審議中、野党の甘い追及をのらりくらりとかわし、予算案を通過させたのである。

 軍事力の抜本的強化を目指す岸田は、22年度歳出予算の5・4兆円(沖縄米軍基地問題対策費、米軍支援費を含む)から1・4兆円増やして、23年度同予算を6・8兆円(同上)にし、さらに3・4兆円を別枠の「防衛力強化基金」にて積み立てることも決めた。今年度予算には建設国債も発行され、自衛隊の建造物のみならず艦船購入にも充てられる。

 そして、来年度以降も毎年予算を増やして行き、22年度の5・4兆円から5年後の27年度には11兆円程度に引き上げる。

 だが、その引上げ額の内訳について、政府は筋道を付けて説明できず、ただ誤魔化すだけであり、適当に野党をあしらうことに終始した。

 政府は財源確保の方法について、表向きは、赤字国債発行を避けたい意向から、次の①から④の項目を上げている。

 ①増税、②防衛力強化基金、③決算剰余金、④歳出改革の4項目合計で約4兆円を増やし、これに沖縄米軍基地問題対策費(SACO)や米軍支援費及び海上保安庁等の費用を加えて合計で5兆円程を積み増す。そうすれば基準となる5・4兆円から2倍化を達成できると根拠の無い数字をあげつらう。

◇軍事費の財源を説明せず

 年々確保しなければならない4つの項目について、政府の対応は次のようなものである。

 ①増税については、法人税・所得税・たばこ税の3税の増税で計1兆円強を毎年確保する。所得税増税については「復興特別所得税」の転用を検討する。だが、与野党が増税に反対したことから実施時期の決定を見送り、24年度以降のどこかのタイミングで実施する。

 ②防衛力強化基金は、「税外収入」を用いて、財源確保を行う。「税外収入」とは外為特会の剰余金、財投特会からの繰入れ、国有財産の売却などであり、継続性の保証は全く無い。それらの見込みが狂った場合はどうするのかの回答を持ち合わせていないのだ。

 ③決算剰余金を使うと言うのも、予算が余ることを前提にした話である。政府は年0・7兆円程を考えているようだが、これは過去10年間の平均値であり何の根拠もない数字である。

 20年度決算で予想外に税収が増え、4兆円もの剰余金が出たことで平均値を押し上げたことを利用した作文でしかないのだ。しかも、予算を恣意的に増やしておけば、決算で〝余剰を創造できる〟のである。こんな誤魔化しが公然とまかり通るなら、どんな捏造も捏造で無くなる。

 ④また、歳出改革で1兆円程を確保すると言う。しかし、本当に毎年1兆円を弾き出すことができるのか? 岸田は何一つ国会で説明できなかったのだ。今年度のみであれば、何とか上手く行くかも知れないが、継続できる保証はどこにもない。岸田は「様々に検討する」と言うのみであった。

◇「数字ありき」で、さらなる増税や借金は必至

 岸田は軍事費増額について、確たる根拠を示すことができず、持続性も実現性も曖昧にしたまま衆院の国会審議を終えた。こんなデタラメな答弁が国会の中で堂々とまかり通っているのだから呆れる。ブルジョア議会の成れの果てがここにあった。

 「数字ありき」で出した軍事費増額は早晩破綻するのは必至であり、継続性が無いことが分かれば、直ぐにも国債で賄う主張が出て来るであろうし、国債返済ルール見直しの動きも強まるであろう。まして27年度末には、兵器ローン残高が16兆円以上になろうとしており、そのツケは毎年のローン支払い(歳出化経費)を増やすことに繋がり、軍事費の維持を困難にする。

 その結果がどうなるかは明らかであろう。さらなる増税と借金漬けである。

◇今の野党では自民党と闘えない

 予算案採決に際し、野党の多くは反対したが、それは政府の軍拡に根本的に反対だからではなかった。

 立憲、共産、れいわでさえ、政府が進める軍事大国化に条件付きで賛成し、日本の帝国主義と闘う労働者の国際主義を放棄した。

 立憲民主は先制攻撃や軍事費増額の進め方に批判的であったのみで、「メリハリのある防衛予算で防衛力の質的向上を図る」(読売オンライン参院選特集22・6・22)と、今国会でも政府の軍拡に基本的に賛成した。

 共産党も憲法9条は個別的自衛権を放棄していないと言い、「急迫不正の侵害を受けた時には、自衛隊を活用する」(同上)と、事実上、国際環境の緊張に〝対処する必要〟を認めたのである。

 共産党は民族主義の政党である。それゆえ彼らは日本について、未だに「対米従属」の国家であり、大企業は米国の「対日支配」の道具であると評価し、日本が自立した資本主義、れっきとした帝国主義国家になっている現実を認めようとしない。こんな民族主義の立場では、〝いざ鎌倉〟となれば、直ぐにブルジョアと共闘するのがオチだ。そうした動きが志位の発言などによく表れている。

 れいわは平和主義の政党であるが、「専守防衛」(同上)や対米従属論の立場(「岸田は米国の犬だ」等の発言)をとる点では、共産党と似通った政党である。

 れいわは、一見、弱者の味方かに振る舞う、しかしそれは、大資本に反発した小ブルジョアの意識の反映であり、少しも労働者的でない。

 労働者の政党なら、帝国主義は資本主義そのものから生まれること、帝国主義同士の戦争は資本主義世界では避けられないことを知っている。現在の日中の対立はまさに、帝国主義国家同士(資本主義国家同士)の対立なのである。

だからこそ、労働者の政党は資本主義とその頭目である自国資本の政府と闘い、私的労働を排した搾取のない自由な共同体社会へ向かって、つまり、労働の解放を掲げて闘うのである。そのために労働者党への参加と階級的な団結を呼びかけるのである。 (W)


【1面サブ】

少子化は「静かなる有事」か?

 岸田は防衛費増額と同様に、規模ありきで「異次元の少子化対策」を言い出した。ブルジョア世論も、ウクライナ危機や北朝鮮のミサイル挑発は、台湾軍事侵攻を起点とする極東有事の予兆と捉え、出生率1・30となった日本の少子化も、労働力不足に加えて、年金・医療・介護など社会保障制度の安定性を損なう「静かなる有事」だと、これに同調している。

 規模ありきだった増額は、6月に閣議決定される「骨太方針2023」で、具体的な項目と規模、財源についても決定されることになる。軍拡路線は、「産めよ育てよ国のため」の少子化対策とセットで推進されようとしているのだ。軍拡は、ブルジョア世論とカネさえ積めば進むだろうが(財源問題は置くとして)、少子化対策はどうだろうか?

 岸田政権は、①児童手当を中心とした経済的支援②幼児教育・保育の強化や全ての子育て家庭を対象にした支援③働き方改革とそれを支える制度の充実――の3つの方向に沿って検討するとしている。①②は経済的支援で、③も産休・育休制度と手当、男性取得といったことで、若者の非婚化や非正規労働者の増大といった現実を改善するものではない。

 韓国の出生率は、2000年までは1・5以上で日本を上回っていたが、以降逆転して急激に下がり21年には0・81、昨年は0・78というOECD38カ国最下位となった。原因は、日本以上に厳しい学歴社会、格差社会と住宅取得の困難(都市部のマンション価格が1億円超)にあるとされる。大企業エリートや高級公務員となる試験には学歴や競争率で数十倍の壁があり、一般労働者との格差は生涯そのままとなるという。

 こうした隣国の経験からも、少子化には資本の厳しい支配と搾取、階級社会があり、その結果であることは明らかだ。日本では、1989年の非正規労働者は全体の15%(8百万人)だったが、現在は2・5倍の38%(2千万人)にまで増えている。資本の求める「労働市場の規制緩和」こそ、低賃金と差別待遇で就労する若い労働力を毎年百万人近く生み出し、資本の利潤の源泉としてきた。同時期にはさらに劣悪な労働条件の外国人労働者も3倍の180万人になった。

 こうした就労構造の激変こそ、若い世代の非婚の大きな要因になり、この30年の少子化を結果したと言わなければならないだろう。

 資本にとって労働力の枯渇は致命的であるが、資本の飽くなき搾取欲は、目先の利潤こそ優先される。少子化対策にカネをバラ撒いてツギハギを当てるが、解決にはならず、増税やインフレとなって、労働者に苦難を押しつけ、少子化を一層厳しいものにするしかないのだ。

 少子化が資本の過酷な搾取と支配の結果であるとするなら、労働者はブルジョア世論のようにそれを恐れたりする必要はない!それは資本に責任があるのであって、労働者階級によって資本の支配と階級社会が止揚されれば、簡単に一掃され、解決されるだけのことである!(YS)


   

【飛耳長目】

★石原慎太郎は「五輪は商業的、魑魅魍魎が跋扈」と言いながら「国民の国家意識が希薄だ」と16年五輪招致に名乗り。リオに負けた屈辱を晴らす役目は猪瀬直樹に★猪瀬は招致プレゼンで「東京には開催基金4千億円がキャッシュである」と語り失笑を買うが、電通・高橋治之がIOC委員に鼻薬を嗅がせて招致成功。高橋はスポンサー選定汚職で昨年逮捕★JOC会長・森喜朗は「女性が多い会議は時間がかかる」の女性蔑視発言騒動で辞任。元サッカー協会会長・川淵三郎を後任指名したが越権と頓挫★大会日程は、IOCに多額の放映権料を払った米TV局NBCの意向で競泳決勝などが異例の午前実施に。スタジアム建設費は過去最高の2倍の1千6百億円。「コンパクト五輪」構想は霧消★「復興五輪」も五輪施設建設優先で、復興の資材も人材も奪った。球技の一部が仙台市で開催されたが、記憶に残らない。記憶鮮明なのは、大会要員の弁当13万食の廃棄処分★今年度都予算の税収が10%以上増えて6・2兆円に。増収分だけで五輪費用都負担分がチャラに!? 先月28日、公正取引委は五輪運営業務談合事件で電通など6社と7人を独禁法違反容疑で刑事告発★五輪開催は国威発揚の一大イベントとなるからこそ、政治的野心やカネの力によって左右され、汚染されていくのだ。 (Y)


【2面トップ】

的場昭弘の「プルードン擁護」
 に反対する

 神奈川でマルクス主義の学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」の発行している「労働者くらぶ」第26号で、マルクス著『哲学の貧困』学習会に関連し、マルクスの翻訳や紹介で有名な神奈川大の的場昭弘教授の「プルードン擁護」を批判しています。プルードン批判の意義を確認し、紹介します。

◇経済こそ人間社会を解明するカギである

 的場はマルクスの唯物史観や経済理論を評価しながらも、「マルクスは、経済学の延長線上で、プルードンの論理の矛盾を指摘し、(プルードンの)経済学への無理解がプルードンによる貧困の経済的解決を不可能にしていると(マルクスは)批判する。マルクスのその点の指摘は、けっしてまちがっているわけではない。むしろマルクスは、きわめてシャープであり、論理の一貫性もある。そしてそれは『資本論』にまでつながっている側面を持っている」と、論じている。

 しかし、的場の論じ方(評価の仕方)では、経済学が他の学問と同列になり、人間や社会にとって経済がもつ本質的な重要性が見失われてしまう。

 的場は、マルクスが「経済学の延長線上」でプルードンを批判するのは、「けっしてまちがっていない」と述べている。私は、的場が、マルクス研究者として唯物史観つまり人間にとって経済のもつ意義を十分に理解していると思うが、マルクスが間違っていないというのなら、プルードンの方が間違っていることにならないだろうか。

 的場は、「プルードンは、価値や、競争、分業といった経済的カテゴリーは、歴史的に廃棄されるものではなく、ただ調節されるものである」と主張した、と述べている。しかしこれこそ、マルクスがプルードンを批判する、その小ブル性、非歴史性ではないか。

 マルクスは、商品経済の基礎である価値、競争、分業といった概念が、永遠のものではなく歴史的なものであること、そんなものが長く存在しなかった時代があったこと等を述べて、プルードンを批判しているのである。

◇「人間の意志」は社会の生産関係から
             独立したものではない

 さらに的場は、「プルードンが見つけた新たな視点」として「資本主義の矛盾が生産力の発展と生産関係の矛盾によってたとえ起こるとしても、それを乗り越えるために、人間の意志と社会に対する組織化の問題を解決できない限り、新しい社会の展望はないという視点」を挙げている。

 「資本主義の矛盾」(その必然性を的場は「たとえ」などと言ってごまかしているが)を「人間の意志と社会の組織化によって乗り越える」と言う。しかし、これこそマルクスがあまたの空想的社会主義者たちを批判してきた点である。

 人間の意志はその人間が属する社会、その生産関係から独立したものではない。その社会の矛盾の中から矛盾を解決する人間の意志も方便も成長してくるのだ。「社会の組織化」も同様である。

 社会の組織化も、自由にその社会を組織できるのではなく、その社会の矛盾の中から新しい社会の組織化の方向や手段も成長してくるのである。

 的場は「マルクスとプルードンのこのすれ違いのなかに、新たなる未来社会の可能性があるように思える」と言うが、これは、すれ違い(すれ違いではなく対立である)と言ったものではなく、マルクスとプルードンのどっちも否定したくない、評価したいという的場の折衷主義的立場が表れているのである。

 そんな折衷主義は、この両者の論争では通用しない。マルクスが正しいか、プルードンが正しいか、どちらかである。的場ともあろうものが、「人間の意志」を「新しい視点」などと評価するのは驚きである。彼は唯物史観を本当に理解しているのであろうか。

◇プルードンの小ブル性―人間主義、その他

 以前、私はプルードンを読まないでプルードンを批判するのはよくないということで、彼の思想をよく表しているという『19世紀における革命思想の一般的理念』(「世界の名著」53)を読んでみたが、その中でプルードンは革命と反動について次のように述べている。

 「反動の本能がすべての社会制度にとって固有のものであるように、革命の必要もまた同様に不可抗的である。これら二つの事態、つまり反動と革命は、両者間の対立関係にもかかわらず、人類にとって必要不可欠であること、したがって、社会を左右から脅威する暗礁を回避するための唯一の手段は、…反動を革命と永久に妥協せしむることである」(82頁)。

 見られるように、プルードンの立場は、革命と反動との妥協主義、協調主義である。また同書の中でプルードンは、「私は、人間の意図の善良性を常に信じていることを誇りにしている。この善良性がなければ、政治家の無罪はどうゆうことになるだろうか?」(95頁)などと述べている。ここにはプルードンの人間観―性善説や小ブル的な人間主義が表れている。

 またプルードンは、所有(財産)権に対する攻撃で有名だが、その財産に対する攻撃(「所有とはなにか」「それは窃盗である」)自体が、私的な所有権に対する全面否定ではなく、大きな所有、巨額な財産に対する攻撃であって、小さな所有、生産手段の小所有はむしろ人間にとって不可欠であり、自立した人間にとって必要であるとして擁護し、むしろ社会改革の目標としているのである。

 このような小ブル的思想家のプルードンとマルクスが決裂するのは、当然すぎるほど当然と言わねばならないであろう。

◇マルクスとプルードンの決裂は必然

 プルードンは、ヘーゲルや経済学者たち(アダム・スミスをはじめとする古典派経済学者)を批判し、あたかも自分を彼らに比肩する思想家を気取っているが、ヘーゲルのような壮大な観念弁証法の体系も作れず、またブルジョア社会の経済を徹底的に解剖することもできなかったプルードンのやったことと言えば、両者の成果の切れ切れをとってきて、折衷的、空想的な体系(?)を作ったにすぎないのである。

 また的場は、プルードンは、「当時は明確に存在していなかった社会学という分野を切りひらきつつあったのに対し、マルクスは、従来の経済学という土俵の上から批判していた」として、社会学を経済学の上におき、プルードンを社会学の先駆者として、マルクスより優れていたと評価する。

 しかし社会学は、社会現象を深く掘り下げもせず、その表面を〝這いずり回る〟だけのブルジョア的学問であり、マルクスの経済学に代わるような学問ではないのである。このような学問を評価するところに的場のブルジョア性が表れている。

◇唯物史観に立ち、労働者の階級的な闘いを発展させよう

 最後に、的場は、大方の学者やマスコミ同様、旧ソ連邦などを社会主義国家と規定していること、また最近はやりの〝アソシアシオン〟論などについても言及しているが、ここでは省略する。

 マルクスは、プルードンの様々な側面を徹底的に批判し、プルードンが、資本主義的生産様式をそのままにして、平等社会を実現しようという空想的試みを嘲笑している。

 しかし現代の資本主義社会には、さまざまに形を変えて第二、第三のプルードンが次々と登場し、また的場のようにその擁護を買ってでるインテリも少なくない。

 彼らに共通するのは、資本主義を廃絶することではなく、資本主義の様々な改良を提案していることである。唯物史観を基礎に剰余価値説を中心にしたマルクスの経済理論を武器に、労働者の階級闘争を発展させ、労働の解放を勝ち取ること、これこそ労働者派、社会主義派の使命ではないだろうか。 (K)


【二面サブ】

暴走する岸田政権・防衛省

自公政権は、沖縄・奄美に中国を仮想敵国としたミサイル関連軍事基地の建設を推し進めてきたが、ここにきてさらに急ピッチで危機を煽りながら琉球諸島の軍事要塞化を進め戦争準備にまい進している。 敵基地攻撃能力の保有は「攻撃は最大の防御なり」が起きる可能性を生じさせた。「戦争をする国」への転換である。

◇再び沖縄の戦場化を策す岸田政権

 防衛省は陸自第15旅団の「師団」化に向けて23年度以降も手厚い予算を盛り込み各基地の拡大強化を進めている。

 昨年11月には、与那国島にわざわざ自衛隊機動戦闘車を空輸して、公道を走らせる事で脅迫的に住民に戦争を身近なものとして馴致させようとしたり、弾道ミサイル飛来を想定して避難訓練を実施することで、戦争がそこまで来ているかの恐怖心を煽りたてた。

 今月には地対空・地対艦ミサイル部隊と警備部隊の陸上自衛隊石垣駐屯地が開設される予定だ。

 また、台湾や琉球諸島での有事を想定し、先島諸島などで戦場化を前提に住民用の避難シェルターを造るという。

 沖縄戦では自然壕に避難したが、日本兵に持ち込んだ食料を奪われ壕を追い出されるということも起きた。壕の外ではすべてが破壊され焼け野原となったのだ。

◇台湾有事をけしかける自民党タカ派

 沖縄を再び戦場にする事を平然と実行する岸田政権はどういう神経をしているのであろうか!このような政権はいらないし、打ち倒すほかないではないか!

 21年末、元首相の安倍は台湾側に「台湾有事それは日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と語っている。

 安倍に繋がる自民党政調会長の萩生田も22年12月に台湾に出かけ、祭英文総統と会談し、安倍の発言の再確認をしている。

 「台湾の世論調査で、台湾有事が起きたら『自衛隊が参戦する』と信じる人が43%いた。米軍の参戦を信じる35%を上回った」という。萩生田らは事実上中国との対立をけしかけたのである。

 そして愚かなマスコミは台湾有事をシュミレーションし、日本の参戦は当然であるかの如く垂れ流している。

◇「復帰」前から自衛隊配備に向け宣撫工作

 防衛庁(当時)は自衛隊配備に向けて、反対運動の情報収集や米軍などとの交渉を行うために、「復帰」前からひそかに自衛官を外務省の職員と偽って沖縄に送り込んでいた。当時は沖縄戦を生き延びた人達が過半数を占めていたので軍隊への反感も相当に強かった。

 そうした中で自衛隊は戦略的な宣撫工作を開始した。それが「緊急患者空輸」と「不発弾処理」活動である。そしてそれは徐々に効果を上げてきたといえるだろう。

 ところで玉城県政は災害時救助活動に必要な県消防防災ヘリの‘25年度の導入に向けて予算を計上するという。沖縄は全都道府県で唯一消防防災ヘリが未配備になっていたのだ。そのため離島から急患輸送が必要な際は主に自衛隊に依頼するほかなかったのである。

 島嶼県であるにもかかわらず、何故「復帰」後50年余も導入がされなかったのか?ということだが、言わずもがなであろう。

 また、沖縄を不発弾だらけにしたのは旧日本軍と米軍であり沖縄人ではない!それに不発弾処理組織は自衛隊である必要もないのだ。それにも関わらず自衛隊は恩着せがましく振舞ってきたのだ。

◇戦争を知らない沖縄の若者も

 近年、自衛隊に入る沖縄出身の若者は毎年200人余もいるという。その動機は「災害派遣の現場で活躍する自衛官を見て、人を助ける仕事がしたくて」、「小学校のころ自宅近くで不発弾が見つかり、自衛隊が速やかに処理してくださり、そのかっこいい姿を見て自分も人助けがしたい」などを挙げている。

 だが、自衛隊の教官は「自衛隊の本来の仕事は国防(戦争)」であることを明言して、戦争訓練の片手間でする災害派遣などが任務ではなく、戦場で「敵を殺す」こともできるかと問い詰めるのである。体で覚える訓練で命令に従うことに慣れさせ、自民党政権が考える、憲法・法律・日本をとりまく国際情勢などを刷り込まれる。

 そして、毎訓練終了後には教官の訓示があり、「沖縄県出身の人たちが沖縄を守ること、沖縄をとりまく安全保障環境の厳しさや日本の防衛上重要な場所にある沖縄を守る必要」を繰り返し叩き込まれるのだ。ここに日本民族主義に立つ兵士が出来上がるのである。

 かくして人助けをしたかった若者は、自民党政権(資本家階級)の兵士として「敵」国の兵士と殺し合いをさせられることになるのである。

◇労働者階級は国際主義を掲げる

 労働力以外失うものがない労働者階級は国境の内外を問わず仲間である。万国の労働者は団結せよ!こそが世界の労働者階級のスローガンだ! 

 それぞれの国の労働者階級は戦争政策に引きずり込もうとする自国の資本家階級の政府を倒すためにこそ闘わなければならない!これが戦争の悲劇を阻止していくことに繋がるのである。 (沖縄・S)

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