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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

◆第2第4日曜日発行/A3版2ページ
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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
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  または各支部・会員まで。
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1451号 2023年5月28日
【一面トップ】 偽りの「核軍縮」の訴え
        ――G7首脳「広島ビジョン」
【一面サブ】  「身を切る改革」は権力基盤強化の方便
        ――維新の大阪市議会定数削減案
【コラム】   飛耳長目
【二面トップ】 デフォルト騒ぎの米国
         ――利上げも債務が急増する原因に
【二面サブ】  『経済学・哲学草稿』
         ――マルクス主義生成途上の著作として
※『海つばめ』PDF版見本

【1面トップ】

偽りの「核軍縮」の訴え

G7首脳「広島ビジョン」

 人類初の原爆被災地・広島で開かれた主要7カ国(G7)首脳は、核軍縮に焦点をあてた「広島ビジョン」(以下ビジョン)を発表した。これについて岸田首相は、「核兵器のない世界という理想に向けた基礎を確保し、核軍縮に向けた国際社会の機運をいま一度高めることが出来た」と自画自賛している。しかし、これは本当か、それが問題だ。

◇「核抑止力」の正当化

 「ビジョン」は、まず広島・長崎への原爆投下以来、77年間核兵器が使われなかったことの重要性を強調したうえで、ウクライナへの軍事侵攻を続ける「ロシアの核兵器の使用の威嚇、ましてやロシアによる核兵器のいかなる使用も許さない」と非難している。そして核戦争に勝者はなく、決して核戦争は行われてはならないという2022年の米、露、中、英、仏5か国首脳による共同声明に立ち返るよう求め、「我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を防止し、並びに戦争及び威圧を防止するべき」ものであると述べている。

 戦争の防止、防衛の手段であるべき核兵器をロシアは、ウクライナに対して威嚇のために使っているから許せないと非難しているのである。

 軍事大国ロシアが自国への併合のためにウクライナに一方的に軍事侵攻し、これに抵抗するウクライナに対して核兵器の使用もあり得ると恫喝、屈服させようとしてることは断固糾弾されなくてはならない。しかし、だからといって欧米、日本など7か国の主張が正しいことにはならない。

 米国は、その圧倒的軍事力を背景に、イラク、リビア、アフガニスタンなど軍事介入を行ってきた。核兵器を使用しなかったとしても、核兵器を保有していることで米国に異を唱える国々を威嚇し、自国に有利な政策を押し付けてきた。

 「ビジョン」は、核兵器は戦争を防止する役割を果たすと言う。しかし、第二次大戦後の米国の数々の軍事介入は、核保有が戦争を防止するのではなく、戦争を行う力となったことを証明している。

 また、欧米・NATOが支援しているウクライナ戦争では、プーチンはしばしば核兵器の使用をほのめかしているが、これは全くの脅しだと言い切れない情勢になっている。以上の事実は、核兵器の保有が戦争を防止する役割を果たしているという「核抑止力」の欺瞞を暴露している。

 「核抑止力」論は、結局は米国をはじめとする核兵器を保有する帝国主義国家の核保有特権を正当化するものでしかない。

◇核独占のための核兵器不拡散条約

 「ビジョン」は、「核兵器不拡散条約(NPT)は、国際的な核不拡散体制の礎石であり、核軍縮及び原子力の平和的利用を追求するための礎石として堅持されなくてはならない」として、北朝鮮の核実験や弾道ミサイル発射、イランの核開発を決して行ってはならないと、厳しく非難している。

 核兵器不拡散条約は1963年、5つの核保有国(米、英、仏、ソ、中)以外に核兵器を保有することを禁止する一方、核保有国は核軍縮交渉を進め、原子力の平和的な利用のための協力を促進していくことを謳い文句として、国連で採択された。核拡散禁止は核兵器をなくしていくことが目標とされた。しかし、核保有国以外の国の核兵器の開発・保有を禁止することによって、核保有国の軍事的優位を確保していこうという、軍事大国の思惑に基づく条約であった。

 実際に、核兵器は減少に向かうどころか米、ソを中心とする東西冷戦体制のもとで核拡大競争が激化、核弾頭数は1986年のピーク時には約7万発となった。その後、中距離核戦力全廃条約(87年)や戦略兵器削減条約(START、91年)などの核弾頭削減条約で核の数は減少し、現在は米国の核保有数は5425、ソ連の核を引き継いだロシアは5975と2カ国で1・1万余(核保有国全体では約1・3万)まで減少した。

 しかし、米、ソが核削減を行ったのは、平和のためというよりも、膨大な核を保有することが財政的に大きな負担となったからであり、さらに強力な新たな核兵器が開発されたからである。数は減っても米、ロ2カ国だけでも、人類を何回も滅亡して余りある核弾頭を今なお持ち続けているのである。

◇核兵器だけが「非人道的」か

 自らは「核抑止力」論を振りかざして核保有を正当化しながら、北朝鮮やイラン、中国など対立する国に対しては平和を脅かしていると非難しているのが、米国を先頭とするG7の「ビジョン」である。

 共産党は「ビジョン」に対して、「核に固執する宣言は許しがたい」とする志位談話(「赤旗」5・21)を発表した。

 「『広島ビジョン』は、広島・長崎が『非人間的な苦難』を経験したという歴史的な事実には触れているが、核兵器そのものが非人道的な兵器であるという批判や告発は一言ものべていない。/NPT第6条に基づく『自国の核兵器の完全廃絶への明確な約束』(2000年NPT、再検討会議の最終文書)など、核兵器国の核廃絶への義務を果たすことについても、一言ものベていない。/核兵器禁止条約について、一言も言及もない」

 共産党は「非人道的な惨禍」をもたらす核兵器の禁止について触れていないとして、G7の声明を非難する。核兵器が「非人道的」であるのは事実だが、「非人道的」であるのは通常兵器も同じである。

 このことはこれまでの2つの世界戦争や現在のウクライナとロシアの戦争を見れば明らかである。ウクライナではロシアの攻撃で、いくつもの都市全体が破壊しつくされ、何十万、何百万の人々が生命を奪われ、傷ついているし、ロシアでも多くの人々が戦争に駆り出され、その犠牲となっている。

 戦争を行ってきたのは欧米やロシアをはじめとする帝国主義国家や反動的独裁的な国家(例えばイラク)である。こうした国家が存在している限り戦争はなくならないし、核兵器はなくならない。

 「非人道的」だという理由で核兵器禁止を叫ぶ共産党は、帝国主義国家が国際社会を支配していても、平和な世界の実現が可能であるような幻想をふりまき、ブルジョアや小ブルジョアにおもねっている。労働者はこうした幻想ときっぱり手を切り、帝国主義に反対し、労働者の国際的な連帯の立場に立って闘っていかなくてはならない。 (T)


【1面サブ】

「身を切る改革」は
権力基盤強化の方便

維新の大阪市議会定数削減案

 4月の統一地方選で躍進した維新は、衆院和歌山1区補選でも公認候補が当選。今回大阪市議会で過半数を制した維新は、市議会の定数を削減し、大阪での権力基盤を固めようとしている。

◇大阪市議会の定数削減案

 今回の統一地方選で、維新は大阪市議会では、定数81(前回83)の内46(前回40)と議席を伸ばし過半数を得た。維新はこの機会に乗じ、市議会の定数を70に削減する条例改正案を、5月18日開会の市議会定例会に提出しようとしている。

 維新吉村大阪府政は、府議会の定数を今回の選挙から88から79に削減した。これによって「1人区」が前回の31から36に増え、1人区では35の選挙区で維新が勝った。定数が9削減される中で、維新は4議席を増やし、維新の府議会での議席占有率は6割から7割に上がった。維新は、「身を切る改革」を錦の御旗に、維新に有利な定数削減を行ったのである。

 それを今大阪市議会でもやろうとしている。大阪市は定数が2~6の24選挙区に分かれているが、今回の改正案では2人区が6から9に、3人区が9から10に増え、6人区がなくなり、5人区が4から2に減少することになる。

 前回4から2となった共産は、「議席に結びつかない死票は、18万票から27万票に5割も増加する」と、少数党に不利な削減案を批判している。維新は大阪市議会の定数削減で大阪府と同様に議席占有率を高め、大阪での権力基盤を高めようとしている。

◇維新の「身を切る改革」の実際

 今回新たに市長となった横山は施政方針演説で、万博の準備を進めIRカジノの誘致を推進させることを表明した。しかし、IRカジノは、当初万博と同時期の2025年の開業計画であったが、地盤状況の把握ができていなかったなど計画の杜撰さから、現時点で5年も遅れる見通しである。

 また、万博も世界的な物価高や円安によって建設費が膨らんで、予定していた工事の入札が不調になるなど大きな問題を抱えており、「波及効果2兆円」は過大であることが暴露されている。

 このように維新が関西経済の起爆剤という、万博やIRカジノの経済効果や工事費増大などの問題に対して、維新は何ら対応策を見出すことができず、ただやみくもに計画を進めている。

 「身を切る改革」と言いながら、建設費の高騰などで、万博・IRカジノに膨大な税金がさらにつぎ込まれることになるのである。

 既に自民党政治はアベノミクスの失敗で破綻をきたし、岸田は「新しい資本主義」などで労働者の幻想をつなぎとめるしかないが、労働者の生活はますます苦しくなり、自民党政治への怨嗟の声が高まっている。

 維新は「既得権打破」や「身を切る改革」などの聞こえのよいスローガンで、そんな自民党に代わるという改革を謳い、労働者大衆の支持を得ようとしている。維新は不甲斐ない野党に助けられ、自民党への批判票を受け勢力を拡大したのである。

 しかし維新の足元は、万博・IRカジノが建設される、汚染された超軟弱地盤の夢洲と同様に、非常に危うい土台の上に立っているのである。

 維新は次期衆院選でさらに勢力を伸ばそうとしている。しかし維新は雇用の流動化や労働者の非正規化などで労働者を犠牲にし、「教育無償化」や「ベーシックインカム」などで飴を与え、万博・IRカジノなどのサービス産業で資本の活性化を図ろうとするだけの空虚な「改革」で期待を煽るに過ぎない。 (佐)


   

【飛耳長目】

★平均株価が一時3万円台になったと投資家たちがぬか喜びしている。各社の3月期決算が高収益となり、中には最高収益を挙げた企業も。それを受けて買い注文が殺到し株価を押し上げた★一方で物価は上昇を続け、大企業を中心とした僅かばかしの賃上げは、あっという間に目減りし、中小零細企業や非正規労働者の上がらぬ賃金と高齢者の年金は大幅に目減り★電気代の請求書を見てはその額に驚き、夕食の買い物に出かけては、あっというまに財布から現金がなくなる。ポストに入ってくるのは住民税や固定資産税、社会保険料の請求書ばかり。その総額は馬鹿にならず、少しは節約できたかなというカネがその支払いで消える。所得税を合わせれば、これぞ重税だ★頼りの通帳は引き出しの項目だけが一方的に増えていく。そもそも企業の高収益は、海外の労働者を含む労働者から強搾取した剰余価値から成る。本来は我々が働いて付け加えた価値だ。なのに資本は高笑いで独り占め★フランスでは、年金受給年齢を62歳から64歳に引き上げる政府改革案に反対する労働者の大規模な闘争が起きて、とうとうマクロン政権退陣要求にまで発展。背景にあるのは異常な物価高だ。日本の労働者も、彼らに負けずに「もう我慢ならぬ!」と立ち上がるべき時が来た。 (義)


【2面トップ】

デフォルト騒ぎの米国

利上げも債務が急増する原因に

 世界一の大国にて、政府債務の不履行(デフォルト)騒ぎがまた始まっている。米国の政府債務が法定上限に迫り、バイデン政権は共和党に上限引上げの協力を求めているが、共和党は頑なに拒んでいる。バイデンは特別措置を発動して債務不履行を回避した。しかしこれは時限措置でしかない。

◇債務上限引き上げと裏交渉

 米国の政府債務の法定上限は、21年12月に引き上げられたばかりで、31・4兆ドルである。

 政府債務が法定上限に達したのは今年1月であり、バイデン政権は各種支払い(公務員の退職金や障害者基金などの)を繰り延べる特別措置を発動し、債務不履行を回避している。しかし、この措置の期限は6月5日にやってくる。

 バイデンは、共和党との協議が進展しない場合にはG7に参加しないと言っていたが、共和党が折れると見込んで参加を強行した。米のマスコミも共和党が屈すると発信しているが、共和党は妥協するにしても大きな見返りを求めている。共和党が要求しているのは、「メディケア」(高齢者向け公的医療保険)を含む「歳出削減」である。共和党は、これを勝ち取って支持者向けに手柄をアピールしようとしている。

 しかも、共和党は数に勝る下院で4兆ドルもの「歳出削減」法案を通過させた。バイデンと共和党の対立は激化している。

◇急増する政府債務と利払い

 米国の政府債務は、①政府発行の国債などの債務、②社会保障基金など、他の公的機関の債務である。だが、この数字は国内での債務に過ぎず、実際にはその他に、③外国に対する債務が別途存在している。

 トランプ政権は19年8月に超党派予算法を成立させ、既に21・99兆ドルになっていた債務残高について、債務上限法の適用を21年7月まで停止することを決めた。

 その後、バイデン政権は復活した債務上限について、この時点での債務残高が28兆ドルであったことを踏まえ、31・4兆ドルにした。しかし、バイデン政権による財務予測では、債務残高が債務上限に至るのは23年に入ってからのはずであった。

 ところが債務残高はより速いペースで増え、31兆ドルに達したのは22年10月の初めであった。

 しかも債務上限が迫っているのに債務が増え続けている。そして、今年5月初めの政府債務は31・47兆ドルまで進んだ。

 バイデン政権になって政府債務が予測より増えたのは、コロナ不況対策やウクライナへの兵器援助などに加えて、新政権発足当初に計画していた法人税率や所得税率の引上げを途中で削除し、その分が新たな債務になり、さらに、物価高騰を抑えるために政策金利を引上げたことによる(0・25%から5・25%に上昇)。

 政策金利の引上げによって、これに連動する短期国債のみならず、中長期の国債利回りも上昇し、新規発行の国債金利上昇に繋がった――日本でも、短期金利に連動して長期国債利回りが大きく変動したことがある。

 そして、中長期国債の金利が上がっていくなら、政府の利払いが増え、利払いが増えればさらに債務が膨らみ悪循環になる。

 政府債務は、2008年のリーマンショック以降、加速してきた。それでもコロナ前の19年末の債務残高は23・08兆ドル、対GDP比は107・2%であった。ところが、その後のトランプとバイデンによる財政バラ撒きで一気に増え、22年末には31・42兆ドルへと、わずか3年間で8兆ドル超も増加し、対GDP比も129%になった。しかも、政府と議会は債務上限を引上げ、債務を押さえる機能を形骸化させてきた。

◇不履行になれば労働者が犠牲に

 今回の債務不履行騒ぎもブルジョアの〝茶番劇〟に見えるが、実際に不履行となれば米国内のみならず世界に波及する。

 米国政府が抱える約31兆ドルもの債務は、「中国、日本、ドイツ、英国の4カ国経済規模の合計に等しく、米国1世帯当たり23万6千ドル、1人当たり9万3千ドルの債務を負っている計算になる」(JETRO短信、22・10・7)。

 これだけの巨額の債務が一時的であれ不履行になれば、公務労働者の賃金支払いが止まるのみならず、債務支払いも止まり、それゆえに国債は暴落し金利は上昇する。そうなれば、ドル安が急進し、輸入物価が上がり消費者物価はさらに上昇し、政府債務は膨らむ。

 その結果、労働者の生活は破壊され、企業の停滞は真っ先に労働者の解雇に繋がる。イエレン財務長官はもし債務不履行になれば「800万人が職を失う」と警告したが、労働者は不履行を避けよと要求するのではなく、総資本のために、政府の権力維持のために行われている財政バラ撒き策に対してこそ闘わなければならない。なぜなら、バラ撒きのツケは財政と信用破綻を招き、必ずや労働者の生活破壊をもたらすからである。 (W)


【二面サブ】

『経済学・哲学草稿』

マルクス主義生成途上の著作として

◇初期マルクスの重要な著作

 『経哲草稿』はマルクスの25~26歳のときのノートです。マルクスの20歳代、特にその後半は彼の思想が驚異的な発展を遂げた時代です。

 初期の『ユダヤ人問題』や『ヘーゲル法哲学批判序説』から1847年の『共産党宣言』に至るまでの著作は、みなこの後半の時代の著作です。この『経哲草稿』は、マルクスがヘーゲル左派からの影響を脱し、フォイエルバッハの影響のもとに自己の思想を築き上げていく過程のノートです。

 『経哲草稿』を考えるうえで重要な思想家はフォイエルバッハとヘーゲルです。特にフォイエルバッハは、マルクスがヘーゲルの観念論哲学から唯物論へ移行するのに決定的な影響を与えました(『哲学改革のための暫定的命題』『キリスト教の本質』など)。

 ヘーゲル、フォイエルバッハとマルクスの思想の違いは、人間についての見方に典型的に現れています。

 ヘーゲルにとっては人間そのものは大して意味を持っていません。彼にとっては人間は絶対精神のための道具であり、人間の歴史は絶対精神を実現する過程でしかありません。フォイエルバッハは、そうしたヘーゲルの人間の見方に反対し、人間こそ世界の中心であり主体でなければならないと主張したのです。そして人間の本質は人間の共同性、類としての人間性の中にあるとしました。

 この観点からフォイエルバッハは、現実の社会では人間の類としての本質は疎外され、人間の本質はキリスト教の神として現れている、宗教の本質は人間の類としての本質が疎外されたものだ、としてキリスト教を批判したのでした。

◇「人間」についての考え方の違い

 マルクスはこのフォイエルバッハのヘーゲル批判やキリスト教批判を全面的に受け入れるのですが、ただ人間のとらえ方についてフォイエルバッハとは違っていました。

 フォイエルバッハの人間は、たしかにヘーゲルの絶対精神の〝影〟のような人間とは違って、飲み食い、愛する普通の人間なのですが、時代や社会の痕跡を残していない一般的な、抽象的な人間なのです。

 マルクスは『フォイエルバッハのテーゼ』で、フォイエルバッハは「人間の本質は、ただ『類』として、すなわち、多くの個人を単に自然的に結びつける、内的な、無限の一般性としてしかとらえられない」と批判しています。

 そこへいくとヘーゲルは、絶対精神の実現の過程として人間の歴史や社会を措定しているとはいえ、市民社会を家族(人倫がまだあった)の反定立として、その欲望の世界を徹底的に描写しているのです。

 マルクスはこのヘーゲルの市民社会論から大いに学びました。

 ただマルクスがヘーゲルと大いに違っていたのは、ヘーゲルがその克服(止揚)を国家に求めた(ヘーゲルのプロシャ国家に対する幻想)のに対し、マルクスは市民社会つまりブルジョア社会の克服を市民社会そのものの中に求めたことにあります。

 市民社会克服の契機、動因を、市民社会のどこに求めたらいいのか、ここからマルクスの市民社会の研究が始まり、『資本論』に結実する資本主義社会の本格的な分析が開始されるわけです。ブルジョア社会の分析は、すでに発達した資本主義経済を持つイギリスで開始されていました。

 ヘーゲルの市民社会の分析も、アダム・スミスやジェイムス・スチュアートらの古典派の分析を借用したものです。マルクスもまた『経哲草稿』においてこれらの古典派の口を通じてブルジョア社会の現実を語らせることによってブルジョア社会の矛盾(それは古典派の矛盾でもある)を明らかにし、その克服の方向を示そうとしたのです。

◇「疎外」のいろいろな解釈

 ここでマルクスの理論的武器となったのが「疎外」の観念です。疎外はもともとはヘーゲルから出たものですが、ヘーゲルにおいて疎外は、絶対精神の自己疎外として自然界や人間界があり、それらの展開を通して疎外が克服され絶対精神に回帰するものとして設定されました。

 フォイエルバッハは、この疎外を人間の類としての本質の疎外と考えました。類としての人間は、本来、共同性、相互性、無限性を持つものであるが、疎外された人間は、それらを剥奪され、類的本質は、神として人間を支配することになる、これがキリスト教(宗教)の本質だ、と主張したのです。

 残された人間は孤立した利己的な有限な人間でしかありません。類としての本来の人間性を回復するにはこの事実(神とは人間が作り出したものだ)を認識する必要がある、これがフォイエルバッハの疎外からの回復です。

 「神は愛である」、その神の愛は、実はこの世では満たされない人間の愛、家族愛、隣人愛、同胞愛が神の愛として実現したものにすぎない、というわけです。

 このことを認識し理解するところに疎外からの克服があるというのですからフォイエルバッハの疎外からの回復は、人間の認識、意識の問題でしかない(観念論)のです。

◇「労働の疎外」の決定的な役割

 マルクスにとって疎外は「労働」と切り離せません。マルクスにとって労働は、人間の本質であり、人間の外部世界への働きかけを意味します。労働によって対象的世界を変化させること、変化した対象世界によって人間が変化させられること、歴史はこの積み重ねであり、自然も労働によって歴史的社会の一部を構成するのです。マルクスは第1草稿の「疎外された労働」の中で労働の疎外の実態や意義を縦横に語っています。そして『資本論』の中では「疎外された労働」などという言葉を使用しないで資本主義社会の労働の疎外の実態とその原因を徹底的に暴露しています。

 市民社会、ブルジョア社会の中で、人間の本質である労働によって社会を支えているにもかかわらず、この社会から徹底的に疎外されているものは何か? それはプロレタリアートである。

 このプロレタリアートは、自己の疎外のみならず、あらゆる人間の疎外を回復するためには、ブルジョア社会を根本的に変革するしかない(『ヘーゲル法哲学批判序説』)、これがマルクスの到達した結論でした。

 そしてそれは労働の成果であり、ブルジョア社会存立の基礎である私有財産の否定にまでマルクスを導くのです。共産主義思想の誕生です。

◇マルクスを単なる人間主義者にしてはならない

 このように見てくると、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクスにおいて決定的に重要なのは、人間の見方です。

 精神や理性の実現の道具と化したへーゲルの人間はともかく、それを批判したフォイエルバッハの人間観もなお抽象的であり、現実の歴史的特殊な社会で生活する具体的人間ではないのです。

 『経哲草稿』が1932年に公にされて以来、「これこそマルクスがめざした本来の人間だ」などと一部のインテリたち(ルフェーブル、マルクーゼ、実存主義者、主体性論者など)にもてはやされてきました。また疎外という言葉は、いち時期、人間疎外、自己疎外、そして自己否定にまで拡大しました。『経哲草稿』の段階、「疎外」の段階は、『資本論』においてマルクスの思想が完成する初期の段階です。

 そこではフォイエルバッハの人間の「類的本質」の影響が大きく、市民社会の分析もその多くはアダム・スミスなどの古典派に負っており、資本主義社会の本格的分析もようやく始まったばかりです。この時代のマルクスこそ「本来のマルクス」だとする人たちは、マルクスをフォイエルバッハのレベルに引き戻し、彼を単なる人間主義者にしてしまっていると言っていいでしょう。 (K)

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