セミナー案内
第13,14回働く者の首都圏セミナー(2)
安倍の同一労働同一賃金労働は看板だけ
差別労働、搾取労働を一掃しよう!
日本の労働の現実は、長時間労働に代表される搾取労働にしても非正規労働者の差別労働にしても、極めて深刻な様相を呈しており、根本からの変革が求められています。
電通の女性新入社員が過労自殺したことは、長時間労働の一端を教えてくれました。彼女は、月100時間を超す残業を強要されていましたが、それは電通に限らず日本の多くの企業に共通するものです。昨年厚労省が出した「過労死等防止白書」では、過労死の危険ラインとされる月80時間以上の残業をした社員のいる企業が23%という調査も出されました。
労働基準法では、一日8時間、週40時間と決めているのに、それを骨抜きにする36協定があり、企業=資本は〝合法的に〟労働者を長時間労働、殺人労働に駆り立てて来たし、今も駆り立てています。
長時間労働が蔓延するのは偶然ではありません。資本にとっては労働者を搾取し、より多くの利潤を上げることこそ「正義」であるからです。しかし、もうこうした労働者を苦しめ、死に追いやるような搾取労働(長時間労働、殺人労働に代表される)は、直ちに一掃、廃絶すべきです。
長時間労働とともに、〝身分差別〟ともいえる差別労働が急速に広がっています。すでに勤労者の4割に達する非正規労働者は、賃金差別、福利厚生や社会保障など、様々な処遇差別に苦しめられています。
安倍政権も同一労働同一賃金を口にしていますが、肝心の基準となるべき「同一労働」についての内容はあいまいです。昨年12月に発表された同一労働同一賃金についてのガイドラインでは、労働時間による単純な基準ではなく、勤続年数、能力、業績、成果、貢献度などを勘案するといったもので、資本の利益や思惑に十分に配慮したものでした。日経連の榊原会長が、ガイドラインは日本の賃金制度、雇用慣行に「留意しており、妥当なものだ」と語っていることから、その本質(限界)がわかります。
2千万人もの非正規労働者が、生きていくのも困難な低賃金で苦しむのは、資本による労働の搾取が行われているからです。資本は低賃金で解雇が容易な大量の非正規労働者を利用して、利潤拡大を目指し、競争に勝ち抜くために策動を強めるからです。
だから、差別労働を一掃するには搾取労働を一掃しなければならないし、搾取労働を一掃するには差別労働を一掃しなければなりません。
今こそ賃金制度の廃止、「労働の解放」という旗を高く掲げて闘いに立ち上がる時です。それは正規、非正規を問わず、全労働者の共通の緊急課題です。共産党のように「民主的改良」を施して長時間労働を是正すればいいとか、非正規社員を正社員に〝昇格〟させれば済むといった矮小な問題ではありません。
セミナーに参加し、ともに議論し、労働者の闘いの道について考えましょう!
第13,14回働く者の首都圏セミナー(1)
≪テーマ≫
安倍の同一労働同一賃金は看板だけ
――差別労働、搾取労働を一掃しよう!
日本の労働者の労働は、過酷で悲惨な状況になっています。2千万人に達する非正規労働者の賃金は正規の6割、ひどい差別賃金です。また、過労死に代表されるように長時間・過密労働がひろがっています。セミナーでは、こうした差別労働、搾取労働の一掃について議論し、闘いの道を探ります。
★チューターはどちらも 林 紘義氏
【関西】
★日時 2月26日(日)午後1時半から
★会場 会場 国労会館(JR環状線 天満駅下車3分)
★参加費 300円
主催・働く者のセミナー実行委員会(関西)
【首都圏】
★ 日時 3月5日(日) 午後1時半から
★ 会場 北とぴあ ペガサスホール(15階)
(JR京浜東北線、地下鉄南北線王子駅徒歩3分)
★参加費 500円
主催・働く者のセミナー実行委員会(首都圏)
第14回働く者の首都圏セミナー
≪テーマ≫
安倍の同一労働同一賃金は看板だけ
――差別労働(〝非正規〟低賃金労働)や搾取労働(長時間労働)の一掃をいかに勝ち取るか
チューター 林 紘義
日時 3月5日(日) 午後1時半からから
会場 北とぴあ(JR京浜東北線、地下鉄南北線王子駅徒歩3分)
主催 働く者のセミナー実行委員会(首都圏)
第13回働く者の関西セミナー
≪テーマ≫
安倍の同一労働同一賃金は看板だけ
――差別労働(〝非正規〟低賃金労働)や搾取労働(長時間労働)の一掃をいかに勝ち取るか
チューター 林 紘義
日時 2月26日(日)午後1時半から
会場 国労会館(JR環状線 天満駅下車3分)
主催 働く者のセミナー実行委員会(関西)
第12回働く者の中央セミナー、開催
過少消費説や再生産表式論めぐり議論
12月25日、東京で第12回働く者の中央セミナーが開かれました。
チューターの林紘義氏から、共産党の過少消費説と『資本論』をテーマに報告を受けた後、討論という形で進みました。
出された質問や意見としては、共産党の過少消費説の元祖として山田盛太郎が紹介されたが、具体的にもう少し説明してほしい、再生産表式とローザとの関係は、宇野の「恐慌論」とは、共産党の「賃上げで景気回復」という主張をどう評価するか、などでした。
今回は、一般紙でも案内が紹介され、新しい参加者が目立ち、新たな闘いへの期待を抱かせるものでした。「過少消費説と『資本論』」といういささか難しいテーマでしたが、初めて参加した人から「分かりやすくて良かった」という評価もありました。
全体として意義あるものとなったといえます。
報告要旨(『共産党の過少消費説と拡大再生産表式』)はこちら
第12回働く者の中央セミナーのお知らせ(2)
テーマ 崩壊する資本主義と『資本論』
――共産党の「民主的改良」路線を問う
トランプが勝利し、世界の強国、大国が「自国利益第一主義」を掲げて、対立、抗争する時代が始まろうとしています。いよいよ、資本主義の崩壊と激動の時代の到来であり、労働者がいかに闘うかが歴史の中で試される時代です。
こうした中、共産党は「民主的改良」路線を掲げていますが、それを支えるのが「過少消費説」です。彼らのこのドグマは、『資本論』――とりわけ2巻21章――の恣意的な、間違った理解や解釈による〝拡大再生産〟論や〝恐慌論〟と結びつき、それに支えられています。資本の本質を確認し、労働者の闘いの道を切り開いていきましょう。
★チューター 林 紘義
★日時 12月25日(日)午後1時半~
★会場 目黒区田道ふれあい館(JR・地下鉄目黒駅徒歩10分)
主催・働く者のセミナー実行委員会
第12回働く者の中央セミナーのお知らせ(1)
資本主義の危機が深まる中、労働者はどう闘うべきでしょうか。共産党は需要の拡大等「民主的改良」を追求しています。そしてそのために「資本論」の間違った解釈、曲解にふけっています。徹底的に議論して闘いの道を明らかにして行きましょう。
★日時 12月25日(日)午後1時半~
★場所目黒区田道ふれあい館(JR・地下鉄目黒駅徒歩10分)
★テーマ 崩壊する資本主義と『資本論』
――共産党の「民主的改良」路線を問う
主催・セミナー実行委員会
第11回中央セミナー、開催される
参議院選挙の総括を巡り活発な議論
8月21日(日)、東京で第11回働く者の中央セミナーが開かれました。
チューターの林紘義さんが「参院選の敗北の責任を問う――民共、市民派は労働者、働く者を代表しなかった」と題して、1時間余り報告したあと、活発な議論が行われました。 議論は共産党の選挙結果とその総括が中心でした。問題提起した人は、チューターの報告では野党共闘を批判的に総括しているが、共闘によって改憲派が3分の2の獲得にとどまった、野党共闘をしなかったら4分の3取られていた、といいうものでした。
これには岡田が政党ポスターなどでも3分の2を阻止する、それが争点だといっており、共産党もそれに同調していた、結果が出てから3分の2でなく4分の3などという数字を出すのはおかしい、共闘の中身も大切で共産党は自分たちの基本的な立場(社会主義を目指すことはもちろん、安保、自衛隊、天皇制など)をすべて棚上げしていた、安倍と断固戦う姿勢を欠いていたから比例区での得票も伸びなかった等の意見がありました。
また、千葉での選挙結果についても議論になりました。
「海つばめ」1283号に記事が掲載されていますので参照して下さい。
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中央セミナーに参加し徹底的に議論しよう――労働者派議員を勝ちとるために
我々マルクス主義同志会は、3月から5月の第12回大会において、遅くとも3年のちには国政選挙闘争に復帰し、労働者の利益と権利を守り、その未来を切り開くべく闘う、本当の労働者派の議員を生み出すことと、そのために、今この瞬間から、あらゆる面における準備を行っていくことを決定、確認しました。
もちろん我々の力は今の時点では決して強大でも強力でもありません。ありとあらゆる困難や障害が我々の前に立ちはだかっており、選挙闘争を闘い抜くためになすべきこと、なさなくてはならない実際的なことも山とあり、我々の手に負えるのかという危惧と恐れの念に圧倒されそうです。
しかし我々は現在の世界と日本の政治経済情勢に深刻な危機意識を持たざるを得ないのです。
国家主義、軍国主義の路線に邁進し、その突破口として憲法改悪を企む安倍政権が居座っています。そしてそうした現実や、危険な状況に対して何ら抵抗することも、闘うこともできず、むしろますます堕落、頽廃して安倍一派の暴虐な政治や好き勝手を許している、野党=民共の日和見主義や、ブルジョア支配に対する思想的、実践的な屈服や追随を目の当たりにしています。
労働者、勤労者の闘いが萎縮し、あるいは敗北し、階級として解体していると言えるような現状が存在しているのも偶然ではありません。長年にわたる、共産党の日和見主義やブルジョア的堕落や、闘いの放棄や裏切りの悪影響は歴然です。
我々は、今こそ決然として立ち上がり、こうした階級闘争と政治闘争の状況を根底から変えて行くべきであると決意したのです。
そして我々は13年にわたる、サークル的闘いや組織を止揚し、労働者党を再建し、断固として、公然たる闘いに移っていくことにしたのです。
労働者の立場と利益を、その根底を真実に代表する代議士が議会に一人といわず、何名も公然と登場し、その演壇から真実の労働者、勤労者の声を発し、また闘っていくことは、全体としての労働者、勤労者の立場や地位を高め、また強め、その闘いを発展させ、深めるために巨大な意義と影響力を持つし、持ち得ると確信します。
今こそ、選挙闘争を通じ、さらに議会の演壇を活用して、全国の数百万の極貧の労働者に、2千万の差別労働に苦しんでいる非正規労働者に、そして資本によって搾取され、苦悩している数千万の賃金労働者の全てに、勇気をもって資本とその支配に反対する闘いに立ち上がるように呼びかけるために、我々もまた決起すべき時です。
今回のセミナーでは、我々は我々の新しい路線と、その意義と、そしてまたいかにして闘い、その路線を現実のものとしていくべきかについて、徹底的に議論し、考えたいと思います。
心ある全ての労働者、青年の結集を呼びかけます。(「海つばめ」1282号より)
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第11回 働く者の中央セミナーのご案内
参議院選挙は、野党(民進、共産など)の無力、政治的頽廃と堕落を暴露しました。とりわけ、「唯一の革新」「自共対決」を叫んできた共産党は、民進党に追随するばかり。かつては「諸悪の根源」と批判してきた日米同盟や自衛隊、さらには天皇制も容認すると言い出す始末です。これでは安倍政権が“勝利”するはずです。
新しい国会議員、本当に闘う国会議員がどんどん登場すべきです。これは、労働者、働く者の緊急の課題です。同志会は、5月の大会で、「労働者党の再建」と「国政への復帰」を決め、次の参院選には候補者を擁立して闘うことしました。
次のテーマで、中央セミナーを開きます。これからの労働者、働く者の闘いについて、その未来についてともに議論し、闘いの道を探りましょう。
テーマ
参院選敗北の責任を問う
―― 民共と市民派は、労働者・働く者を代表しなかった
●日時 8月21日(日)午後1時半から
●場所 豊島区民センター(池袋駅東口徒歩8分)
●参加費 300円
●主催 働く者のセミナー実行委員会
連絡先 全国社研社 メールアドレス semina@mcg-j.org
セミナー案内チラシは下記
よりご覧下さい。
・表面
・中面
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第10回『働く者のセミナー』
憲法改悪改憲狙う安倍一派の野望 労働者・働く者はどう闘うか考えよう
ーー市民派と野党の統一戦線で闘えるか 2016年3月13日
鮮明になった労働者の闘う道
3月13日、大阪で開かれた「第10回働く者のセミナー」では、セミナーに初参加や2度目の参加という人たちが積極に発言し、「労働者・働く者はどう闘うか考えよう」というテーマにふさわしい議論が交わされました。ここでは議論の中から特徴的なものを取り上げ、紹介します。
◆市民主義者の運動や共産党の運動をどう評価するか
最初に問題になったのは、SEALDsや共産党の運動をどう評価するかということでした。
枚方市から参加したKさん(67歳)は「憲法が変われば世の中が非常に変わってしまうと思うので、そうならないように何かやりたい、行動を起こしたいと考えているが、どうすればよいのかということがわからない。チューターの報告を聞いても若い人はなかなか理解できないと思う、若い人が聞いても判るような話をしないといけないのではないか」と発言。
また、今回初参加のHさん(松原市)は「共産党は原理原則を捨てて民主党にすり寄ったというのはそのとおりだが、彼らは政治に悪いものとものすごく悪いものがある、悪いものを当選させてものすごく悪いものを落選させよう、つまり自公が3分の2を超してしまったら改憲に留まらず戦争をはじめてしまう、それを防ぐには民主党がいくら悪いといっても戦争までははじめないだろうから、その力を借りて野党統一して、とにかく自公を止めたいということではないか。政治的な割り切りだと思う」と発言しました。
チューターは、こうした意見に対し、次のように述べました。
「平和、平和と言っても、国会へ行って戦争反対と言えば良いという、そんな問題ではない。戦争と平和といった問題も、もっといろんな社会的な経済的な原因とか、階級闘争の問題とか、いろいろ絡まって問題となる。そういったことを考え、自覚して行動した方がいい。そういうことをはっきりしないと、これは根なし草のようなものであって、例えば尖閣列島で日中の戦争が起こったというとき、どういう立場を取るか、安倍が排外主義をがなりたてれば、さっと流れて行くような形ならどうなるか、そういった問題が出てくるわけである。
共産党は、解釈改憲は悪いという立場で問題を立てている。しかし、いまは解釈改憲ではなく明文改憲の問題として出てきている。解釈改憲というような、過去のことを取り戻すとかいった問題ではなく、明文改憲というところまで来ているのだから、そこで闘わないといけない。
共産党は民主党との統一戦線の第一の課題として、安保法廃棄だとか、集団的自衛権容認の閣議決定の無効化とか、解釈改憲でやってきた問題を持ち出している。しかし明文改憲されれば安保法が合法ということになるわけだから、もはや解釈の問題ではない。解釈改憲で闘えと言ってもそんな闘いは最初から破綻しており、共産党がこうした間違った闘いを提議していることこそ非常に問題である。
◆「裏で操っている大きな力」とは何か
また、Hさんは「民主党政権ができた時は、自民党に替わるものをやると言っていたが、だんだん後になるほど自民党と変わらないようになってきた。選挙で政権を交代させても結果同じようになるのは、政治を裏から実質的に動かしているもの、それは官僚なのかアメリカなのか知らないが、それに手をつけなければ何も変わらないのではないか」とし、「特にアメリカの影響が大きいのではないか」と発言しました。
これに対してチューターは「裏の力と言ってもわけのわからない化け物のようなものではなく、結局は大資本の力以外ない。大資本は民主党政権ではやりにくいから、介入したり、自民党政権に戻そうという策動が当然出てくる。民主党は、こうした大資本の抵抗や介入などに対して、どう対応するかといったことを予め言ってこなかった。政権を担うにはこうした大資本の動きに対する備えとか覚悟とかが必要だが、それが無かったことが一つ。もう一つは辺野古の問題でも、社会保障の問題でも、財政の問題などでも、民主党自身が一貫していなかったということがあった。Hさんは民主党が変わってきたとおっしゃるが、民主党自身が持っていた矛盾が拡大していったというふうにしか言えない。民主党は自民党と比べてよりまし政権であったかどうかということさえ必ずしも簡単に言えないと思う。民主党があまりひどいから安倍が出てきたとも言えるわけで、どっちが良いとか悪いとかいう問題ではない」と答え、またアメリカの影響ということについては「共産党は宮本綱領において、日本はアメリカの半植民地であるという規定をしたが、こんな規定ではどう闘うかということははっきりしない。日本は、自国の防衛は安保条約で基本的にアメリカに依存するという形でやってきたが、現在の時点でどうかと言うと、アメリカが世界の警察官の地位を降りると言っているのに対して、安倍はそれならおれが担おうかといった雰囲気になってきている。共産党の言ってきたことが間違っていたことははっきりしてしまった。日米はいま、経済的にも、政治的にも、軍事的にも、非常に密接な関係にあるが、日本がアメリカの植民地だとか半植民地だといった問題ではない。民族独立といった形で問題を立てると、安倍などが民族主義ということで攻撃をかけてきている時に絡み取られてしまう、これは第二インターの歴史からも明らかだ」と述べました。さらに労働者の国際主義ということにも触れ、「自国の資本と闘うという、具体的な形で取り組まれなければならない」ことも語られました。
◆
市民運動の“うねり”に依拠しないと自民党と闘えないか
こうした議論を踏まえ、後半では「労働者・働く者はどう闘うか」というメインの問題をめぐって論争が起こりました。それは労働組合の活動家としてやってきたNさんと我々の立場の違いという形で現れ、労働者は政治闘争を如何なる観点で闘わなければならないかを考える契機になったと思います。
Nさんは、「圧倒的に自民党が強い中で我々はどう闘うかということが問われている。林さんは原理原則論まで突き詰めて物を見て行かないといけないと言うが、それでは一緒にやるということは出来ない。今や多くの問題、原発、慰安婦、沖縄など、あちこちで闘いの火が燃えている。この大衆のうねりに依拠しないと、今の自民党の圧倒的な力に逆らえないのではないか。一人区の選挙区で野党が複数の候補者を立てれば、自民党が勝つだけで、自民党を減らしていくということはまた遠のくことになる。(例えば京都3区補選の民主党候補のように)慰安婦問題で過去に肯定的な言動をした人物であったとしても、ここで原理原則を持ち出すのではなく、政治だから妥協もして、その中で敵を包囲していくというのが統一戦線だと思う。党の原理原則と大衆のうねりが一致するときもあれば一致しない時もある。それをどう結合させるかというのが政治の力学だと思う」として、政治組織がその階級的立場に固執せず、妥協して統一戦線を組まなければ自民党に勝てないと主張しました。
これに対してチューターからは、「私たちは民主党や共産党と連合してやろうという気はない。安倍政権に反対する場合、あるいは改憲策動に反対する場合でも、それぞれの立場で別個に進むべきであるということを基本に言っている。思想も考え方も違う、アッピールする内容も違う、具体的にどのように闘っていくかという戦術さえも違うのだから、それぞれの闘いは別にやるしかなく、安倍政権反対の闘いを、民主党の枠でやれとか、共産党の枠でやれとか、市民運動の枠でやれとか、そういったことを言うのはおかしい。反対する人はみんなそれぞれの運動を一所懸命やればいい。そのうえで、結果として安倍政権が倒れればいいわけだ。それを何か独自の闘いをするのが悪いように言う、その雰囲気がおかしい」とし、いま国会前で行われている運動についても「若者が目覚めるからいいじゃないかといった評価もあるが、歌や踊りのデモで憲法改悪が阻止できるとは考えていない」という発言がありました。
Nさんは納得せず「敵は何かと言えば、民衆を痛め、弱め、利益を収奪し、我々の生きる権利を奪って行こうというものであり、それに対して、違うんだということで運動を起こすわけだ。それを政治指導するのが党派であるのに、勝手にやりたい奴はやって良い、私たちは私たちでやるというのは民衆の声、民衆の根底的なエネルギーを見ていない。私は70年代の運動で、実力闘争で目の前の機動隊を突破すれば新しい道が開けると思ってやったが、敗北し、その後運動は解体していった。これに対し、最近起こった保育所に入れなかった母親のインターネットを利用した抗議がその後の国会への抗議運動を呼び、小人数ではあるが大きな影響を与えている。誰かが声をあげれば、『それは私だ』ということでみんなが引き受けてくれる運動は、ある意味政党を超えた形になっている。そういうエネルギーを吸収した運動を、あるいはそれを論理化して指導していくという政党がなければ、林のように、『やりたいものがやりたいようにやればよい』とし、新しい芽を見ないのはダメで、時代遅れの少数政党に終ってしまうのではないか」と反論。
また、Hさんは「自公の明文改憲を阻止するということが目標であって、そのためにはどうしたら良いのかという逆転の発想で考えて行けばいいのではないか。改憲を許せば終わりだ」と発言し、Nさんを擁護するかでした。
こうした意見に対しチューターは、「今までは解釈改憲を許さない、大変なことになるということが言われてきた。そして今度は明文改憲で、それが通れば自衛隊や安保法が合憲だということになるが、しかしそれで終わりですか、それですぐに戦争ですか、ということになる。世界中の国家は200ほどあるが、そのほとんどが軍隊を持っているが、すぐに戦争しているかとか、もう終わりかとか、そういう簡単な問題ではない。憲法で自衛隊が合法化されても、それと戦争が実際に始まるという問題は別の問題。なんでも単純化して問題を立てて、危険だ危険だと言う前に、現実のことを考えるべきであろう。本当に戦争をやらさないというなら、安倍政権を倒すぐらいのゼネストで闘わなければならないという現実をもっと見るべきである」と述べ、労働者はこうした闘いを組織できるほど力をつけなければならないと訴えました。
セミナーの時間内では、全員が納得するというところまで行きませんでしたが、しかし労働者はどうした闘いを展開していかなければならないか、それは労働者階級の独自性をしまいこみ、民主党といった半ブルジョア勢力に迎合したり、共産党や市民主義者というプチブル的勢力に迎合したりして、数だけの多数を求める道なのか、それとも、彼らとは一線を画し、労働者の階級的闘いを発展させる道なのか、その違いが鮮明になったという点で、セミナーは意義があったと言えよう。
(関西実行委員会・平岡)。
案内リーフレットは・・こちら
セミナー報告
第9回『働く者のセミナー』
憲法改悪改憲狙う安倍一派の野望
労働者・働く者はどう闘うか考えよう
ーー市民派と野党の統一戦線で闘えるか 2016年2月28日
広い視野で考えさせられた
「安保法制だけで怒っていたが」/セミナー参加女性
2月28日に第9回セミナーが東京で開かれた。週刊金曜日の案内を見て埼玉から参加したTさんは、安倍政権の動きに激しい怒りを持った、何かしなければいけないということで違憲訴訟を準備している、安倍に憲法を守らせなくてはならない、勝手な方向に暴走されては困る、いろんな集会に参加して意見を聞いている、どう闘っていったらいいだろうかと問題提起した。
ここでは、安倍の改憲策動と安保法との闘い、9条問題を中心に紹介したい。
憲法違反という安保法との闘いについて、チューターは、Tさんは違憲訴訟などやっていいのかというが、9条を変えられたら意味がなくなる、9条そのものが変えられたらそれが憲法になってしまうから。憲法違反よりも憲法改悪そのものとの闘いを積極的にやった方がいいと発言した。
こうした指摘は重要である。夏の参議院選挙を控えて安倍が「明文改憲」を言い出している中で、それと正面から対決するのではなく、たかが一内閣の閣議決定をどうするかとか憲法解釈などに固執するのは、ピントがずれていると言わざる得ないからである。必要なのは現実の政治闘争に具体的に対応していくことであり、過去のことにこだわってばかりいては安倍の改憲策動とまともに闘えないからである。
また、9条が改悪されたら戦争になる、絶対に許してはならない、という発言に対し、チューターは次のように答えた。
9条だけにこだわるべきではない。選挙をやればひっくり返るという単純なことではない。選挙をやって、自公を破って野党が勝ったからといって、民主党などにはいろいろな議員がいるからだ。現状では憲法は変えられるかもしれない。戦前でも、いろんな法律があった。治安維持法など闘いにとって決定的な弾圧法もあった。労働者の闘いもあり、勝つのもあれば負けたのもあった。経済や歴史の動きなどいろいろある。
9条が改悪されたとしてもすぐ戦争ということでもない。普通の国家は大体軍隊を持っていて、民主的な国家もあるし帝国主義的な国家もある。そういう中で未来を切り開く闘いはどういうものかが問われてくる、9条だけですべてが決まるといった問題ではないと応えた。
こうした説明は、ある意味で本質的な問題提起であった。市民派や共産党は9条が改悪されたら、すべてが終わってしまうかの危機意識を煽っているが、労働者の闘いはそれで終わるわけではない。
市民派や共産党が、9条を絶対化し、無責任に平和、平和を絶叫してきた中では、こうした闘いの提示はTさんにとって初めて聞くものであったかもしれない。しかし、安保法制をきっかけに活動を始めたばかりという彼女は、我々の主張に素直に耳を傾け、どう闘ったらいいかを模索していたかである。
最後になされたTさんの発言を紹介しておきたい。
「最近の若い人たち、貧しい人たちの政治意識がないこと(埼玉でもそうなのですが)が言われていますが、今日いろいろ話を聞く機会があって、国際性、国際的な視野、国際的な連帯をもってやるべき、長期的な展望でやれる闘いかなあと思いました。階級闘争であるというのはかなり前に聞いたことであるけれども、1%の資本家とその他多数の労働者の対立がある、アメリカほど極端でないとしても格差社会が日本でも起こりつつある。やはり労働者の連携をもって自己主張していかないといけない。いいようにやられてしまう、それぞれが分断されて働いていたら絶対にダメだから、そういう活動が根底には必要なんだと思った。私は安保法制だけで怒っていたが、いろいろ教えていただいて有難うございました」
(首都圏実行委・山田)
案内リーフレットは・・こちら
セミナー報告
第8回『働く者のセミナー』
国民連合政府を考える 2015年12月13日
共産党の堕落を暴く
12月13日、東京で第8回働く者のセミナーが開かれ、「国民連合政府を考える」をテーマに2本の報告(Ⅰ「その歴史とスターリン主義」、Ⅱ「闘いにとってプラスかマイナスか」)とそれに対する活発な議論が展開されました。志位提案を支持する意見、批判する意見が出されましたが、全体としてこの提案の欺瞞性を浮かび上がらせるセミナーになったと思います。
討論の中で、立憲主義を擁護するかの意見があり、それに反対する意見が参加者の賛同を得ましたので、それを紹介しておきます。
「法治国家にしても憲法にしても本質はブルジョア法だ、ブルジョア階級がそれ以前に支配していた階級と闘うためにつくった法体系だ、その中味はブルジョア社会が未来永劫に渡って普遍的に人類が目指す社会だという考えが満ち満ちている、だけど労働者階級はそれと真っ向から対立する関係にある、だからその枠内で憲法をたてにして安保法制と闘うなどというのは根本的に間違っている」
今年度は、「働く者のセミナー」は7回開催しましたが、来年もさらに内容を充実しつつ、頻繁にやって行くつもりですので、ご協力をお願いします。
報告 「国民連合政府」を考える――ついに破綻と転向のときに・・志位の「入閣主義」と「与党主義」の宣言
案内リーフレットは・・こちら
【報告要旨】
1. その歴史とスターリン主義(チューター:田口)
2. 闘いにとってプラスかマイナスか(チューター:林)
第6回・第7回『働く者のセミナー』
「商品」とは何か――商品の“価値”と社会主義の分配法則 2015年10月18日・11月1日
案内リーフレットは・・・こちら
報告要旨(林 紘義)は・・・・・・ こちら
チューターからの呼びかけ・・・・・・ 最高に楽しく、最高に興味深いセミナーのために
討論に関する論文(その1)(林 紘義)・・・・・・ 「移転論」は社会主義の分配法則に無用--「喜びをもって自由に働き、必要に応じて取る」社会のために
討論に関する論文(その2)(林 紘義)・・・・・・ 所謂(いわゆる)「価値移転論」について・・・資本による「搾取理論」の再検討
【参考文献】 社会主義における「分配」はいかになされるか――消費手段の「価値規定」問題――「価値移転」ドグマとの訣別が“解決”の鍵
セミナーでの議論の紹介
社会主義の分配法則――価値規定の概念をもとに明らかに
「商品の“価値”と社会主義の分配法則」をテーマに、働く者のセミナーが首都圏(10月18日)と関西(11月1日)で開催されました。このセミナーでは、資本主義社会においては人間の労働の社会的な関係が「商品」というモノの交換を通して取り結ばれますが、その秘密を『資本論』冒頭の商品論から学ぶとともに、そこで明らかにされた“価値”について徹底的に検討を進めるなら、それは社会主義社会における分配法則の解明にまで至るし、またそうでなければならないという壮大なテーマが検討されました。ここでは、主だった議論の紹介を通してこのセミナーが明らかにしたものについて報告します。
◆抽象的人間労働は超歴史的カテゴリー(概念)か?
首都圏では、抽象的人間労働というカテゴリーは歴史的なものか超歴史的なものかということが議論となりました。
超歴史的カテゴリーだと主張する人々は、分業ということから見た場合、資本主義社会だけでなく、それ以前の社会においても分業が行なわれており、それぞれの仕事にどれだけの時間を配分するかということからすれば抽象的人間労働という概念が必要となるから超歴史的なものではないか、という意見です。
しかし全体としては、マルクスも『資本論』において、アリストテレスが価値の本質に迫ることができなかったのは奴隷労働を基礎とする社会しか知らなかったためであり、価値の本質は抽象的人間労働であることが明らかになるには、「商品形態が労働生産物の一般的な形態であり、したがってまた商品所有者としての人間の相互の関係が支配的な社会的関係であるような社会において、はじめて可能」になると述べているように、こうした意味では、歴史的なカテゴリーであるという意見で集約されたと思います。
◆労働の量の問題だけでなく、質の問題も重要
関西では、『資本論』の次の文章をどう理解するかということをめぐって議論となりました。
「一定の商品、1クォーターの小麦は例えばx量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値を持っている。しかしながら、x量靴墨、同じくy量絹、同じくz量金等々は、1クォーターの小麦の交換価値であるから、x量靴墨、y量絹、z量金等々は、相互に置き換えることができる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一物を言い表わしている。だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別されるべき内在物の表現方式、すなわち、『現象形態』であるにすぎない」(岩波文庫①70~71頁)。
問題となったのは引用の最後の一文の「第一」と「第二」についてでした。チューターが準備した報告要旨では「第一」は価値の実体について述べていることであり、「第二」は価値形態の問題、価値の表現の問題であると分けて論じているのに対し、「第一」も「第二」もどちらも同じこと、つまり価値とは何かという価値の実体、本質について述べている、その枠内での見解ではないかという意見が出されました。
これに対しチューターからは、「第一」は「価値」とその量とは何かということを言っているのに対し、「第二」は労働の質の問題、価値形態の問題を述べており、この引用文そのものは第一節からの引用であるが、後の第三節で展開する問題もあるのだということを、ここで一旦述べている、つまり「第一」は第一節のことを、「第二」は第三節のことを指していると理解した方が良い、と発言がありました。
またこれと関連して、マルクスはリカードに対して量の面しか見ておらず質の問題を理解していないと批判しているが、そこまで理解しないと労働価値説を理解したことにはならないということだ、価値形態をとるということがなぜ質の問題かと言うと、価値形態は単に二商品の関係に止まらず貨幣形態にまで発展していく、価値形態の発展というのは商品を生産する労働の性格を明らかにしている、と質の面の理解の重要性が強調されました。
◆労働価値説と矛盾する「価値移転論」
首都圏、関西とも、「価値移転」の問題が議論になりました。首都圏での議論は前号で少し紹介されていますが、関西では社会主義における分配問題との関連で「価値移転論」の立場から異論が出されました。
消費手段の生産の前に生産手段の生産が必要だとか、時系列的に考えないといけないという価値移転論者からの発言は首都圏、関西ともに見られましたが、これに対する批判は前号の『海つばめ』で論じられているので省略します。ただ言えることは、生産手段の生産もある一定期間内の生産の中で分業によって再生産されているということ、つまり使用価値も価値も消費されると同時に新しく産み出されているということです。
◆社会主義における分配はいかになされるか
では社会主義における分配はどうなるのでしょうか。
資本主義社会では生産手段は資本家の資本としてつまり過去の労働として出現しますが、社会主義社会においては生産手段は社会の共有となり、分配の対象となるのは消費手段のみでしかありません。先の価値移転論での議論に関連して言うなら、生産手段の120は社会の共有物として社会全体で受け取っているのであり、個々人への分配が問題となるのは消費手段の60だけだということです。そしてこれは、生産手段生産部門であろうと消費手段生産部門であろうと、そこに支出された労働のうち3分の1が「消費手段分」として、消費手段に対する権利を有する部分となり(自然的、技術的有機的構成を生産手段2に対し、消費手段1と前提しているから、「消費手段分」は3分の1)、それによって分配されるというのがチューターの説明です。
価値移転論に捕らわれている人々は、新たな労働は60しかないのだから、それで消費手段60を分配すればよいのだとしましたが、それでは生産手段の再生産はどうなったのかという問題は解決しません。
また関西のセミナーでは、消費手段に支出した労働だけでなく生産手段に支出した労働も含めて分配を検討すべきだとして、総支出の180にこだわって分配を考える意見が出されました。総支出が180であるのだから分配も180であるべきだとか、といった意見です。
しかしこれらはいずれも、自然的、技術的有機的構成を部門間でも産業間でも一様に、生産手段2に対し消費手段1と前提したことの意義が確認されていないことからの意見でした。つまり、出来あがった生産物のうち120は生産手段ですから社会の共有物であり分配の対象とはならないことは先ほどから述べているとおりです。ということはその生産に要した120、つまり総支出労働のうちの3分の2の労働もまた消費手段の分配には何の関係も持たないことは自明だからです。従って、分配の対象となるのは消費財の60であり、その分配を受けるのは総支出労働の残りの3分の1、つまり60で考えればよいということになるのです。個々人について言えば、今回の例示では4人ですから、支出した労働が45ならば、その3分の1の15について消費手段の分配を受け取るということです。
個々人(W、X、Y、Z)が個々の消費手段(A、B、C)を分配する表については首都圏で産業連関表を利用すべきとの立場から発言がありましたが、産業連関表の評価については本紙前号で触れているので省略します。
共産党は社会主義における分配は価値規定によってはなされないとし、市場経済によって分配される市場経済型社会主義でなければならないといったブルジョア経済擁護の立場に陥ったのですが、我々は社会主義の分配にまで価値規定が適用されることを明らかにし、ブルジョア“共産主義”に断固反対することができました。
そして今回のセミナーでは社会主義から先の高度の共産主義について、これまで言われていた「能力に応じて働き、必要に応じて取る」といったスローガンではなく、生産的労働そのものが喜びを持って自由に行われるような社会であるのだから、スローガンもまた「喜びを持って自由に働き、必要に応じて取る」とした方がより適切ではないかということも語られ、労働者が未来の社会に大きな“夢”をふくらませることもできました。
(働く者のセミナー実行委員会・平岡)
第5回『働く者のセミナー』(首都圏)
『派遣法』改悪を考える――非正規労働そのものを問う 2015年7月26日
第4回『働く者のセミナー』(関西)
「安保法制は実質改憲――1930年代のドイツの経験に学ぶ」 “革新”を越える闘いを議論 2015年7月11日
7月11日、第4回セミナーは「安保法制は実質改憲――1930年代のドイツの経験に学ぶ」と題して開かれました。
世界一民主的と言われたワイマール憲法下でのナチの台頭という、労働者の階級闘争の歴史から見れば「負の遺産」であるドイツの経験を学び、安倍政権が安保法制を強行しようとしている現在、日本の労働者は如何なる闘いを担っていかなければならないかを議論し、確認することがこのセミナーの課題でした。
ここでは当日出された特徴的な意見を元に、会場で議論されたことを紹介していくこととします。
まず出された意見は、「労働者の階級闘争が発展させられなかったからナチの台頭を許したというが、具体的にどういった闘いが言われているのか。30年代初頭の選挙でナチは議席を伸ばし、社会民主党や共産党の運動は衰退していったが、この時期においても各政党が熾烈な階級闘争を闘ったと思う。そういう闘争とは違う何が必要だったのか」というものでした。
これに対して、チューターや他の参加者からは、社会民主党は資本との闘いを放棄しており、「社会主義」を掲げた共産党も、実際上の運動はスターリン主義によるセクト的なものであって、到底、労働者の信頼を勝ち取ることができるようなものではなかったことが述べられました。
これに関連して、「ワイマール体制はドイツ革命の敗北の結果誕生し、ナチの台頭はワイマール体制下での労働者の敗北の結果もたらされたものである。つまり労働者の敗北に次ぐ敗北を積み重ねた結果、ナチ政権が誕生したのであり、“体制の選択”ということはこの時点で具体的な課題と言えるのか」といった意見が出され、若干議論となりました。
他の参加者からは、「ナチの台頭してきた時期は、経済が破綻し、資本主義体制の危機の時代であったから当然体制の選択が問われなければならない時であった」と反論があり、チューターからは「ワイマール期を通して、社会主義を勝ち取るということは現実的課題であって、それに向けて闘いを発展させて行くことが必要であった」と発言がありました。
また、安保法制を強行しようとする安倍政権といかに闘うかという議論では、「1930年代のドイツと、安保法制を強行しようとする安倍政権が登場してきている日本の現状の内的な背景の違いは何か」といった質問も出されました。
さらにチューターは「安倍の安保法制や憲法改悪に反対するのがいけないと言っているのではなく、そこに留まっていいのかということだ。共産党は戦争反対で共通しているなら共に闘えば良いと言っているが、これで労働者の闘いが発展する訳がない。もっと意識的なものに転化して行く必要があるということがいま問われている。安倍がなぜ安保法制を必要としているかを突き詰めて行けば、米国の戦争に巻き込まれるといったことではないことが判る」と発言しました。
司会からも「共産党は改憲論者の小林節が安倍の法案は違憲だと言っているからと、『同志』とまで持ち上げている。こんな運動がどれほど広がっても労働者の階級的闘いが発展する訳はなく、むしろ労働者に誤った幻想を振りまくものでしかない」といった発言がありました。
また、初めてセミナーに参加した人からは「闘う相手は“戦争”自体であって、戦争の根本的な原因である暴力が暴露されていないのは資本主義が暴かれていないからだ」、「競争社会で年間三万人もの自殺者が出ているがこれも戦争だ」、「人間の思考が各国別や各イデオロギーや各宗教等々に分割されていることが問題だ」といった意見が出されました。
これに対しては他の参加者やチューターから「“暴力”と言っても抽象的には論じられない。どの階級のどの階級に対するものかを区別する必要がある」とか、「資本は社会的関係を表わしており、その社会関係、利害関係から戦争が引き起こされるのであり、単に思考の問題ではない。安倍が安保法制を強行しようとするのも、台頭してくる中国の資本と対抗関係にある日本の資本の利害から生じていることを確認する必要がある。労働者は国に関係なく、それぞれ資本に搾取されているという点では共通している。最終的な目標は他人を搾取して利益をむさぼるような社会を根本から変革することであり、そういう運動に向けて労働者は団結し、国際的な連帯を強めて行かなければならない。日本の労働者は、民主党はもちろん、自衛権を主張するような共産党に運動を任せておくことは出来ない。働く者は自分たちの政党を作り、自分たちの運動を押し進めて行かなければならない。」と訴えました。初参加者もこの回答に、いまの言葉が一番よく理解できたと共感を示していました。
予定していた時間では議論がつきなかったのですが、最後に司会は「安保法制そのものに反対していくのは当然であるが、それは日本の資本主義の帝国主義化というものと深くかかわっており、資本主義の社会そのものを問う闘いとして発展させなければならないこと、そして同時に労働者の国際主義の立場から民族主義や愛国主義に反対して闘っていかなければならない」ことを訴えてセミナーを終了しました。
(セミナー実行委員会・平岡)
7/11報告関連論文(田口騏一郎))―――ワイマール共和国の経験に学ぶ・・・強大な階級的闘いを発展させえず
第3回『働く者のセミナー』(首都圏)
2015年5月17日改憲なき改憲後の世界―「憲法を守れ」では闘えない
色々な議論,意見の紹介
機関紙『海つばめ』1252号より転載
5月17日の第三回「働く者のセミナー」おいては、3回目ともなると、色々な媒体を経て様々な立場の人の結集も増え、2時間ほどの議論では問題点を明らかにし、議論を深めるのはかなり困難であり、発言の多くは「言い放し」といった形で終わるものも多々あったし、またかなり突っ込んだ議論ができた論点もあった。色々な見解が必ずしもかみ合って議論されたとも、必ずしも言えなかったし、提起された重要な意味を持つ発言も、司会も他の参加者も関心を払わなかったために議論にならないままに終わったものもあった。ここでは主として、そんなあれこれの傾向の発言を紹介し、それらの見解について考えて、労働者、勤労者がこうした見解を乗り越えていくためのきっかけとも、手がかりともするように期待する。セミナーで出された見解は、ちまたに充ち満ちている、ある意味で典型的な、そして卑俗な見解であり、我々が十分にこうした見解に対してあらかじめしっかり“武装”してかかることが要請されているのである。そのことなくしては、労働者、勤労者の中で彼らと有効に闘い、彼らを圧倒して労働者、勤労者の支持を集め、結集していくことは決してできないのである。
◆まずセミナーの根本的な前提が確認されるべきだった
大衆的なセミナーという性格上、セミナーであらゆる傾向の、ありとあらゆる見解が提出され、議論され、評価されることは免れ得ない。そしてそれはある意味で、セミナーという形式の持つ利点であり、積極面でもある。
しかしだからといって、あれこれの見解がただ無秩序に提出され、焦点も問題点も明らかにされないまま語られ、散漫な議論のままに何の結論も出されず終わっていいはずもない。我々はここでセミナーで提出され、ある程度議論された見解や、部分的にのみ議論された問題、さらには全く議論されなかった問題を取り上げ、紹介するのも、読者の皆さんも、それらの見解の特徴や欠陥を明確に認識し、それに対するしっかりした批判的な観点を身につけてほしいと願うからである。
残念なことではあったが、今回のセミナーでは、セミナーの大前提であった、「改憲なき改憲後の世界」とは何を意味するのか――つまり安倍政権の集団的自衛権の「行使」や安保法制等々によって、日本のブルジョア帝国主義が現実のものとなった――という点での議論や確認が全くされなかったことは、セミナーの失敗とさえ言えることであったと言える。
だから議論はもっぱら、「憲法を守れでは闘えない」という“戦術論”に集中して意見が出され、議論も進んだが、そうした“戦術論”の前提でもあり、それを規定する、現在の資本主義の発展、展開過程の、その段階の議論の深まりが全くなかったことが、セミナーの議論全体の深まりの欠如を決定したと言える。
チューターからまず、安倍の政治の全体、したがってまた外交・防衛政策に表現され、象徴されるように、日本のブルジョアの、帝国主義的ブルジョアへの転化こそが、現在の政治経済の根底を規定する最も重要で、基本的な要因であるという問題提起があったのだから、まずその点での議論の深化が図られ、確認されるべきであった。
この確認のないままに、セミナーの議論が進んだ結果、いかに闘うかということが、単なる“戦術論”――戦術のための戦術の議論に―に矮小化され、またその限界内で、あれこれの恣意的な議論がはびこってしまったと言えなくもない。
◆「憲法擁護では闘えない」という問題提起に反対する様々な見解が出された
討論では、主としてサブタイトルにある「憲法守れでは闘えない」を巡って、活発で様々な議論が繰り広げられた。「憲法守れ」は安倍の帝国主義的策動の「歯止め」になると主張する人(Y氏)、「9条の会」の立場からと断って憲法の意義を説く人(T氏)、“運動論的に”考えるべきという人(K氏)、我々のまわりにいる人の多くの仲間は、「憲法を守れ」という立場だ、彼らは進歩的で、彼らを突き放したらとっかかりがなくなるという人(N氏)等々、あれこれの議論が展開された。
まずチューターの報告(「憲法擁護では闘えない」)に対する異議は、当然のことだが、9条の会に参加し、9条を世界遺産にする署名活動をやっているというT氏から出された。彼女は週刊金曜日を見て参加したが、「憲法守れ」で闘っていくべきと自己紹介をかねて発言した。
「9条の会は幅広い会、呼びかけ人には共産党員はいない、私の周りの宗教関係の人(浄土真宗の人や牧師さんなど)もみんないいよと賛同してくれている。駅で署名しても年配の人は賛同してくれるが、とにかく若い人が応じてくれない。
世界では軍隊や武器を持たない国が増えている。今28カ国、核兵器はもちろん軍隊や武器を持たない国を増やしていくべきだ。今の時代に核をもつ勢力がいる、アメリカなどに対抗するためには核も軍隊ももたない国を増やしていく以外にない。日本は原爆で何十万人も死んだ、そういう国がなぜ核武装をしなければならないのか。
憲法99条は大臣はじめ『公務員は憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』となっており、安倍は憲法違反だ、憲法を守らせる必要がある」
9条の会とはいくらか違った形ではあるが、K氏は“運動論”の立場から発言して、「憲法擁護では闘えない」というスローガンに反対して発言した。
「帝国主義への進化を見るべきといわれるが、それまではどうするのか。待機主義に聞こえる。階級意識の深化が重要なのは分かるが、運動を具体的に考えるべき。私は9条の会の集会にも参加したが、憲法守れでなく、『9条を生かす』、『9条を1条にすげ替える』(1条から8条を削除し9条を1条とする)というのはどうか。
日和見主義からのと分離と言うことが強調されたが、戦前の福本・山川の議論、結合の前の分離の主張を思い出す。理論的・思想的には鋭くなるが、運動体としては分裂し先細りになる。運動論として考えれば1人が100歩進むよりも、10人が1歩或いは10歩進む方が、幅広く進んだ方が歴史を動かす力になると思う。大衆運動を支え、つくっていく意識が大切ではないか」
「まだ十分でないとしても、9条の会は幅広いものだ。もっと運動体を大きくする、その運動に手を貸す、その流れに参加すべきである」
◆“中間派的な”見解も語られた
前の2人とはいくらか違って、「憲法擁護では闘えない」という立場にあいまいに疑問を提起したのがY氏だった。氏のいわゆる「歯止め」論は分かりにくいものであったので丁寧に紹介しよう。
「9条を守れでは闘えないということは分かるが、私は最低限9条を守れといいたい。9条の会や共産党にしても9条を守ればすべてよくなるということではないと思う。たしかに『憲法守れ』というスローガンにはそれでこと足れりという誘惑もあるが、最低限9条ぐらい守れよというスローガンとして訴えかけ、安倍政権に迫っていくという点で意味があると思う。案内パンフに、9条はすでに有名無実化している、安倍がやりたい放題だと書いてあるが、私はそうは思わない。安倍がなぜ必死になって憲法第9条を改悪しようとしているのか。安倍が回りくどく二段階で憲法改正をやろうとしているが、それは9条があるからでもある。ほんの皮一枚の部分で9条が生きているからであり、それは人民の闘いによって支えられているからだ。人民の闘いが堕落すれば9条も有名無実化すると思うが、守れというスローガンはそれだけではダメだが、最低限守れという意味で言うなら意味がある」
Y氏の発言をほとんどそのまま紹介したが、もちろん、こうした見解は、我々の立場に対する特徴的なものではない、しかしそこには、一つの典型的な立場が示されているように思う。Y氏は共産党や9条の会に批判的であるようだが、しかし結局は同じ立場に帰着し、行き着くしかないように見える。Y氏はまた、次のようにも言っている。
「平和、平和といっていればいいとは思わない。一国平和主義にも賛成できない。ただ、新たな世界平和の拠点としての9条、世界平和に導く武器としての9条の意味はある。日本が核武装したら、世界の核廃絶は永遠の夢となる。大国といわれる日本で――資本主義国家だから難しいが――何とか9条を武器にして政府に迫るべき、それを守らせて、世界の核兵器を廃絶するような政権を打ち立てていかなければダメだ。世界平和の拠点としての9条の読み直しが必要だ。
現行憲法は、歯止めとしての意味を持つ。『憲法守れでは闘えない』でなく、『守れだけでは闘えない』ならいい、それなら賛成だ」
最後に、地方からわざわざ参加したN氏は、チューターの「憲法擁護では闘えない」という見解に理解を示しつつも、それに懐疑という小虫を差し挟んだ。
「憲法は歴史的意義を持つ、原則はブルジョア憲法であることも押さえる必要があるが、ただ私の周囲には憲法守れという仲間がいる。わずかな仲間だが、憲法に関心がある人、進歩的な人がいる。彼等と敵対したら、とっかかりがなくなってしまう。そうした人に働きかけ、根源的な部分へどう持って行くかが課題となっている。
また、戦争はいやだと素朴に9条の会に入る人に対して、「憲法守れ」ではダメだと突き放すのではなく、粘り強く働きかけるべきである」
◆天皇制についての議論
テーマが「憲法擁護では闘えない」であったため、このテーマと関連して、天皇制の評価が議論になった。チューターが、憲法を擁護すると言うが、憲法には天皇制も謳われているし――憲法の冒頭に、旧憲法と同様堂々と――、また「財産権」(私有財産)も擁護されている、そんな憲法を「擁護」するのか、できるのかと“挑発”したこともあった。
9条の会のT氏は、当然のこととして、天皇制擁護に傾いた発言をして、我々を唖然とさせた。
「天皇は、沖縄や被災地などを訪れ、平和祈念している。天皇は安倍のやろうとしていることに賛成していないはずだ。……戦争に関わったのは、昭和天皇。息子は戦争を反省し、沖縄などへ慰霊に行って平和を祈っている。今の天皇は象徴天皇で国籍をもっていない、祈るだけだ。
天皇は辞めて普通の国民になるのがいい、個人的には天皇制はなくしていいと思うが、当面は(天皇制に付いても)憲法守れで行きたい」
Y氏も、天皇制について、あいまいな擁護論、宥和論を展開した。
「天皇条項の評判は悪いが、この際余り気にしない方がいい。私は天皇制には反対だが、アメリカやフランスで天皇・皇帝がいないのにさんざん悪いことをやってきた。天皇が宗教的な役割などを担って反動的なことをやってきた場合には闘って行かなくてはならないが、天皇制があるから反対なんだというのも行き過ぎだ。とりあえずは、象徴天皇制はそのままにして『憲法守れ』で闘っていけばいい」
Y氏はさらに、ドイツの経験について言及し、ワイマールの民主憲法があったから、ヒトラーが権力を取るのが遅れたと言った後、次のような奇妙な見解も展開した。
「明治憲法も、伊藤博文が天皇条項を作ったが、そのもとで大正デモクラシーも実現した。天皇制に一定の縛りがあったといえる。民主的部分を最大限生かしながら闘っていくことが大切だ」
◆いくつかの注目されるべき意見
三多摩から参加した女性から次のような原則的で注目すべき発言もあったことも付け加えておきたい。
「『憲法守れでは闘えない』のスローガンに『憲法擁護』を掲げる人はアレルギーがあるようだ。だが、『憲法守れでは闘えない』ということは実際に起きて来たことだ。9条の下で自衛隊が成長し、世界に出て行っている。日本は世界でも有数の軍隊をもっており、現実が『憲法守れでは闘えない』こと、闘えなかったことを教えている。『憲法守れ』を擁護する人の現状認識は違う、間違っていると思う。財政危機は深刻であり、10年したらハイパーインフレとか週刊誌にも書いてある。イラク戦争等を見ても世界各地で戦争が起きている。現状は平和ではない。アメリカに従って日本も活動しており、日本も平和じゃない。現状認識が違っている(甘い)。第二インターの敗北について議論されたが、正しい認識を持ち、正しいスローガンを掲げるべきで、『憲法守れでは闘えない』というのは正しいスローガンだと考える」
最後にチューターは、誤解があるといけないとして、次のように発言した。
「憲法は歴史的に、そして階級的な観点から評価されなくてはならない。権利といった問題を含めて歴史的には憲法はブルジョアジーの登場とともにある。自由や権利の歴史的意味を確認すべきである。階級のない社会においては権利や自由を憲法で謳う必要はなく、自然のものとなってくる。階級社会の中で働く者の自由や権利が重要になる。個人の自由や権利と理解されるが、本質的には、歴史的に生産階級の権利や自由としてこそ認められてきている。商品生産と資本主義的生産の発展とともに権利や自由ということが言われるようになったが、これは生産者の人格的な解放という意味内容であって、資本主義以前の社会ではなかったことだ。それは歴史的に言えば直接生産者の階級としての自覚である。ただ、そうしたことは資本主義が搾取社会であることを否定はしない。だから、私たちは憲法改悪には反対するが、しかしそれはブルジョア憲法を擁護するということとは全く別である。労働者は憲法改悪と闘うということと憲法擁護のスローガンを掲げるということを区別しなければならない。
戦後の資本主義を支えたのは民主憲法であり、それは資本の民主的支配にマッチし対応していた。帝国主義段階になってくると、安倍は9条だけと言っているが、権利条項とか民主主義的条項にも手を付けてくる可能性はいくらでもある。そうなった場合には徹底的に闘わなければならないが、それと今の憲法の本質を明らかにして闘うことは何ら矛盾しない。
『運動を作る』と言われたが、“上から目線”で感心しない。帝国主義と闘うことが課題となってきたが、労働者の闘いが盛り上がらなければ本当の闘いはない。私が言っているのは、帝国主義の発展は労働者をさらに搾取し、抑圧することなくてしてはあり得ず、それは労働者の反発や反撃を呼び覚まし、また労働者の意識の大量的な変化ももたらすと言うことだ。主観で、あるいは主体の術策や観念的な計画で等々で、世の中が変わるということはない。K氏がどういう形で、どんな『運動』をやろうとしているか分からないが、『9条を1条に据え替える』というのでは運動にならないであろう。客観的な情勢というものがある、客観的情勢を見ないで運動と言われても困る」
関連資料
5.17首都圏セミナーリーフレット
5/17報告関連論文(林 紘義)
)―――『安保法制』の意味するものは・・―――
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第2回『働く者のセミナー』(関西)
2015年3月22日憲法改憲策動といかに闘うか―憲法について議論を深め、反撃へ
労働者の階級闘争の発展こそがカギであることを確認
「憲法改悪策動といかに闘うか――憲法について議論を深め、反撃へ」をテーマに、3月22日、大阪市内で第2回働く者のセミナーが開催され、10代から70代の幅広い年齢層の40名近い人々が集まりました。
最初にチューターの林氏から、安倍政権の下での憲法改悪策動の状況と、労働者はそれに対しいかに闘うかについて報告がありました。
林氏は、安倍は第一次政権時から憲法改悪を狙っており、3月の自民党大会でも「憲法改正を党是」だとしているが、問題は憲法改悪ではなく、それは象徴的な問題であること、実際上安倍は憲法を改悪せずとも、憲法で決めていないことをどんどんやっていること、それは許しているのは階級闘争における労働者の力関係が弱いこと、したがって安倍の改憲策動と闘うには憲法を守れということではなく、労働者の階級闘争を発展させる以外に道はないということを力説しました。
こうした報告を受け、その後2時間強に及んで会場の参加者による討論が行われました。
主に議論となったのは、次の3点でした。
最初に問題となったのは、若者たちに広がる国家主義的な意識に対してどう対応するのかということです。
会場の参加者からの「最近の調査によると中学生の半分ぐらいが集団的自衛権に賛成しているらしい、中国や北朝鮮、イスラム国から攻められたらどうするのかということがあるようだ」といった発言や、「自衛隊への体験学習をしている高校もあり、『日の丸・君が代』反対のビラをまきに行った人たちに異を唱える生徒が出てきている」といった発言があり、若者たちに広がる国家主義的な意識にどう対応していくのかということが議論となりました。
安倍政権が現実性のない外国からの脅威を煽って軍事大国化を狙っていることや、マスコミもこうした政権の動向を受けて脅威を煽っているのが原因ではないかといった意見を受け、ある参加者は、国家主義的な意識の広がりに対抗するには教育しかない、教育が重要と発言しました。
これに対して、教育が大事なのはある意味そうだが、その中身が問題であり、平和主義的な教育では反動思想と闘っていけないという意見が出され、チューターからは「国家主義的な教育が10年も20年も続けば戦前のようになるが、しかし戦争に行った人ほど国家主義、軍国主義に反対し、憎んでいる。軍国主義の教育は大正デモクラシーに反対するもの、それを抑え込むものとしてやられたのだが、大衆は現実の中で学んでいく。労働者の闘いが高まってくれば労働者の意識も大きく変わる」といった発言があり、単に教育の問題だということではなく労働者の階級闘争の発展こそが人々の意識を変えていくことが確認されました。これは教育の反動化と闘う場合も、単に教育の民主化を求めるといったことではなく、労働者の階級闘争と結びつけて闘われなければならないことを示すものでした。
これと関連して、他国などから攻撃された場合、防衛ということが問題になるのではないか、それはどう考えるのかということも議論となりました。
ある参加者は、不当に攻撃を受けたらそれに反撃しようというのは正当なことだと思うが、それが国を守ろうということにつながる、その場合、国ということについての反省が必要だと述べました。また、チューターからは「日本国憲法、前文の第2パラグラフでは、軍備によってではなく『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう』となっているが、これが、中国が台頭し、イスラム国の脅威があるなかでは現実的でないとして、軍備の必要が言われている。しかし労働者の国際的連帯の立場からすれば互いの信頼関係で平和を築くことは可能なわけで、先の現憲法の『諸国民』を『労働者・働く者』と置き換えればいい。また、現実にどうするのかということは具体的状況に応じて考えていく必要がある。ファシズムとブルジョア民主主義が闘っている場合、どちらが労働者にとって有利かという問題になるが、労働者階級の国際主義の立場を保持したうえで考えていくことが必要だ」と発言がありました。外国からの攻撃と闘う場合も、国家防衛といった立場からではなく、労働者の国際的な階級的連帯を訴えて独自の闘いを展開する必要があるということです。
最後に、改憲策動といかに闘うかという問題が議論されました。
ここでは、「天皇制や私有財産制擁護の憲法に幻想を持つなということは理解できたが、ではその先、労働者の闘いをどう発展させていくのかということが判らない。その具体策は何か」といった意見が出されました。別の参加者からは、「現状を見れば労働者の闘いは発展していない。闘いが後退し、意識も後退している。今は、勝つ闘いをするのではなく、負けない闘いをすることだと思う」と発言がありました。チューターは「個々の闘いは、その時々の力関係で決まる。私の経験からすれば勤評闘争は敗北したし、警職法反対闘争は法案を粉砕したし、安保闘争では岸を退陣まで追い込んだ。個々の闘いで勝たなければ全敗北だということになるとダメだ」と発言し、個々の闘いでの具体的な勝敗に一喜一憂するのではなく、最終的な階級闘争の勝利まで、労働者の階級意識を高め、闘いを発展させて行くことが重要だと訴えました。
また、別の発言者は、「今の日本の憲法はベストではないが世界の中では良い方だと思うから、それを改悪しようという動きに対して守ろうということが出てくる」発言。これに対してチューターは、「憲法の問題点は天皇制や私有財産制擁護だけに止まらない、形式的な『法の下での平等』ということが何を意味しているのかを考える必要がある。また、憲法を守れという意見があるが、安倍はすでに憲法を何ひとつ変えることなく、日本の軍隊が世界中で武力行使できることを可能にしようとしている。そんな時に、憲法を守れと言ってもナンセンスである」と発言し、会場からは「異議なし」の声も発せられるなど熱気を帯びたものとなりました。
予定していた時間をオーバーする熱心な討議を経て、参加者はそれぞれの持ち場で、安倍政権の改憲策動に反撃を強めることを確認し、3時間に及ぶセミナーは成功裡に終了しました。
(働く者のセミナー実行委員会・平岡)
関連資料
3.22関西セミナーリーフレット・・・・・こちら
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第1回『働く者のセミナー』(首都圏) 2014年12月20日 ”安倍の憲法秩序”破壊策動ー我々はいかに闘うか
憲法問題でセミナー開催
安倍の策動との闘いスタート
機関紙『海つばめ』1242号より転載
昨年暮、「働く者のセミナー実行委員会」主催で、憲法問題についてのセミナーが開催され、林紘義氏から問題提起を受け、活発な議論が繰り広げられました。
憲法や法治主義とは何か、その歴史的な意味や法の支配と、今一部でもてはやされている「立憲主義」との関係はどうか、憲法を絶対視していいのか、至上視するなら、その憲法が天皇制や私有財産制を謳っていることをどう評価するのか、憲法の言う「権利」とか「義務」とは何か、など重要な議論が沢山ありました。
もちろんセミナーにおける議論や確認は、憲法改悪を着々と準備する安倍政権との決然たる闘いの準備であり、そのスタートでもありました。
セミナーはまた、憲法改悪攻撃には断固として反対しつつも、同時に、その闘いと、憲法のブルジョア的、天皇制的本性も暴露し、それを克服する闘いを結合していく必要があること、憲法の反動的側面に目をつむり、無条件にその擁護と防衛を叫ぶ、共産党や9条の会などのプチブル勢力と一線を画して前進していく重要性も確認しました。
我々は今後もこうしたセミナー活動を全国で展開し、安倍政権に対する断固たる闘いを準備し、貫徹して行こうと考えています。ともに闘いましょう。
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