●1488号 2024年12月8日
【一面トップ】 ポピュリズムに翻弄される地方政治 国政でも増殖中 ――背景と労働者はいかに闘うべきか!
【コラム】 飛耳長目
【二面トップ】 「年収の壁」問題を考える(補足) ――「収入の壁など無くせ」という意味について
【二面サブ】 高失業率に低賃金、生活悪化が進む中国 ――国家統制の強化で言論も封じられ
※『海つばめ』PDF版見本
【1面トップ】
ポピュリズムに翻弄される 地方政治 国政でも増殖中
背景と労働者はいかに闘うべきか!
今年相次いで行われた自治体選挙(そして衆院選)において大衆迎合、目先の利益に埋没するポピュリズム政治が横行した。首都東京の首長を選ぶ都知事選は、元安芸高田市長の石丸が小池に次ぐ165・8万票を獲得し、その後に続くポピュリズムが横行する選挙の幕開けとなった。
内部告発した職員捜しを執拗に行い県職員をパワハラで自死に追い込んだ斎藤兵庫県知事は、県議会で不信任を満場一致で突きつけられ失職した。斎藤は県知事選に立候補し、再選は不可能との当初の予想を覆し再選され、都知事選同様の衝撃を与えた(斎藤111万票、次点の稲村97・6万票)。
名古屋市長選では、日本保守党共同代表の河村の後継として広沢が、当初優位を伝えられた大塚に大差をつけて当選した(広沢39・2万票、大塚26・1万票)。これらの選挙に共通するのは、いずれも彼らが改革を掲げ、既得権を擁護する既成政党に反対する立場を押し出したことである。もちろん東京、兵庫、名古屋で闘われた争点や課題は違う。
◇1回限りと酷評された不真面目石丸
東京では小池が三選を果たし蓮舫が敗北したが、その分析は本紙1478号において次のように基本的な観点は論じられている。「国政選挙と異なる都知事選挙という限界のある闘いであっても、たとえ敗北したとしても、現職知事の小池らブルジョア勢力の支配を暴露し、労働者の階級的団結と闘いを発展させる契機となれば意義を持つだろう。だが、立民や共産党などが支援した蓮舫は、無力で反動的な無党派主義を振りまき、小池とバラ撒きを競い合うなどして大敗した。これが今回の都知事選の教訓である」。
石丸は安芸高田市(26,800人)の市長を辞任後、ドトールコーヒー創業者鳥羽が所有する東京銀座のビルにある〝サロン〟に招待され、話し合いを持ち、鳥羽の紹介で「選挙参謀」に「選挙の神様」藤川が就任、鳥羽から人とカネの支援を受けた。
ネット上に石丸応援の〝勝手連〟が動画を投稿拡散し、一大ブームを引き起こし大量得票を獲得。石丸は自らを「変革の象徴」と位置づけ、歴代の都知事に経済の専門家はいなかった、自分は経済の専門家(京大経済学部卒業後、三菱UFJに07年から20年まで在職したことのうぬぼれか?)と、街宣で誇っていた。
石丸選挙の選対事務局長を務めた藤川は、「冷めた目で石丸の演説を聞いても『また同じことを』と思うだけ」と、「この手法は一回限り」と酷評した。石丸の不真面さは選挙政策に表れている。
都政の課題に向き合うことなく、選挙政策の「都市開発」「産業創生」「政治再建」は4年前の安芸高田市長選と全く同じ。「経済強国」が都知事選の為に付け加えられた。石丸は来年の都議会選挙に地域政党を結成し参加する事を11月24日の第12回地域政党サミットで発表した。12月には地域政党の詳細を発表するという。
◇冷酷な実務官僚斎藤の政治的幼稚さ
兵庫の斎藤は大方の予想に反して衝撃の再選を果たしたが、勝因の一つは、石丸選挙で再生回数を増やして楽に稼げると味を占めたユーチューバーらが、議会や各政党を斎藤の改革に反対する既得権益者に仕立てあげ、斎藤への投票を呼び掛けたことにある。また、斎藤を追及する百条委員会委員長や委員に対する卑劣な個人攻撃をN党の立花が行い、委員の立・民県議を辞職に追い込んだ。
斎藤は再選を果たし、「議会側と対話をしながらやっていく」と述べたが、再選後に口の軽い広告会社社長が自分の会社が知事選の計画立案を行ったと漏らし、選挙違反の可能性を指摘されると、広告会社社長はブログを削除し雲隠れした。
斎藤は東大卒、総務省と石丸同様にエリートの道を歩んできた。失敗のないエリートコースを歩んできた日本における「エスタブリッシュメント」(支配階級)と言える連中である。自らの非を認めず、職員、議員やアナウンサーに対して〝マウントを取る〟(自分が優位であることを威圧的に話す)話し方は、彼らの政治的幼稚さを明らかにしている。団結した労働者の闘いとそれを背景にした労働者政党が議会に不在な状況が、彼らに「変革の象徴」を名乗ることを許している。
◇国家主義を隠し河村継承の反動広沢
衆院選に立候補するために、市長のイスを投げ出した保守党共同代表河村の後を決める名古屋市長選が11月24日に7人立候補して行われ、河村の政策を「丸ごと引き継ぐ」(11月25日中日)と訴えた広沢が対立候補の大塚(国・民、参院4期23年)に13万票の差をつけて圧勝した。投票率は39・63%と40%を割り込こんだ。広沢は10年の1期目の河村市長の市議会リコール運動をきっかけに、河村を師と仰ぎ11年に河村の〝私党〟「減税日本」公認で県議に当選、副市長に17年から21年まで就任。
広沢は市民に絶大な人気を誇る河村市政の継承(市民税減税5%から10%へ、市長給与800万、名古屋城木造復元など)を掲げ、〝本人〟のタスキで顔を売った河村をまね、自転車に〝本人〟のノボリを立てての、街宣など、河村を前面に立てた選挙戦を行った。選挙戦略も、大塚を推薦する自・公・立・国、連合愛知、河村許さずの大村知事、そして名古屋財界、医師会、弁護士会などを含む「既成勢力」の包囲網に立ち向かう戦士・広沢を演出した。対立軸を単純化し白か黒かの選択を迫る手法はポピュリスト河村の常とう手段である。世代別で80代以上で大塚が上回った以外はすべての世代で広沢が勝利した(11月25日中日)。
国会議員としての実績、知名度ともに抜群の大塚は、「給食のオーガニック化」、「スタートアップエコシステム創造」、「ファクト(事実)とデータ(計数)とビジョン(目標)の市政運営」、「15年の催眠術から市民を解放」など、上から目線の言葉が躍り、動画で政策チェックとSNSの活用を呼び掛け、劣勢が伝えられた選挙戦中盤には「三つの負担金ゼロ」(給食費、敬老パス、がん検診)のバラ撒きを訴えたポスターに張り替えたが、追い詰められた末の泥縄式対応であった。
大塚はブルジョア政治家であり、広沢や河村のブルジョア的な政治的立場を暴露することなどできるはずもなかった。
◇保守党の国家主義と闘わない共産党
前回の市長選(21年)で共産党は、自・公・立・国が推薦する元自民党市議の候補者を〝支援〟し、闘いを放棄した。今回の市長選で共産党は、緑の党・東海の候補者を推薦し、「市民税減税」の恩恵が金持ち優遇でしかないと反対を掲げて戦ったが、得票は5万3千票。
共産党は、独自候補者を立てることなく、河村や広沢ら日本保守党の策動を許した。日本保守党は、綱領で「日本の国体を守り、伝統文化を継承しながら、日本独自の叡智を現代に活かして協和社会をつくる」と、国家主義的立場を謳う生粋の右翼反動政党であり、その共同代表や事務局長が河村であり広沢である。名古屋弁と馴れ馴れしい振舞の仮面の後ろには、危険な国家主義政治家の顔が隠されていることを執拗に暴露しなければならなかった。
◇ポピュリズムを生み出した背景
最近の日本の政治において、ポピュリズム政治が大きく注目されてきたのは、05年に小泉が「改革の本丸」郵政民営化法案が参院自民党議員の造反で否決されたことに対して、民営化に反対する勢力を〝抵抗勢力〟と切り捨てるポピュリズム政治で圧勝してからである。小泉が掲げた、「民営化」「構造改革」「規制緩和」などの政策(新自由主義)は、80年代後半の「バブル崩壊」で長期停滞に突入した日本経済の回復を要求する資本に応えるものであった。
ポピュリズム政治は、長期の経済停滞の中で生み出された貧困、将来に対する不安、拡大する経済格差に手をこまねく既成政党や広がる政治不信などを背景に深く広範囲に広がろうとしている。
◇ポピュリズム政治に踏み込む共産党
共産党田村委員長は11月15日に衆院選の総括を「全国都道府県委員長会議」で報告。自公連立政権が過半数を失ったことについて、「国民は自民党に代わる新しい政治プロセス」を「模索、探求し」それに「しんぶん赤旗」が大きな貢献を行った、「新しい政治」の中身を選択する「過渡的段階」だ、共産党は「国民が主人公」の政治の実現に向け「国民とともに前に進む」と発言した。
彼らが言う「新しい政治のプロセス」の始まりは、07年参院選挙で自民党が大敗し「衆参ねじれ」となったことである。09年に民主党政権誕生、12年には自民が政権を奪還。13年の参院選、14年衆院選で共産党は議席を伸長(14年は8から21議席)。共産党はこれを「国民の気持ちに寄り添い政治を前に動かす立場を貫いてきた」結果で、市民団体や野党共闘で「大きなムーブメント」を作りだし、「わが党にとっても、また国民的にも重要な歴史的経験となった」と手放しで評価するのである。
14年の共産党の議席増は12年衆院選で政権を奪還した安倍政権の国家主義的政治やバラ撒きのアベノミクスに対する反発、反対が共産党を押し上げたに過ぎなかったことは、その前後の選挙で共産党が一貫して議席、得票率とも減らしていることからも明らかである。
共産党は、「国民と共に進む国民政党」を標榜すればするほど、ブルジョア政治に絡めとられ身動きが取れなくなっている。「国民の切実な要求を実現しようとすれば、その財源をどうするかにぶつかる」と共産党は考え、バラ撒き政治への批判を恐れ、改良政策の財源に「国債発行」を約束し、バラ撒きを正当化する。「手取りを増やす」で躍進した国・民や「消費税廃止」のれいわなどのポピュリズム政治に踏みこんだ共産党は、資本の支配と闘うのではなく、支配を補完する立場に移行した。
労働者の階級的立場を守って闘う労働者党に結集し共に闘おう。 (古)
【飛耳長目】
★新聞・テレビはマスメディアではなくなった。日本新聞協会調査で23年の世帯当たり新聞発行部数は0・49部と初めて0・5部を割り、若い世代のテレビ視聴時間は2時間未満となった★代わってネット上のコミュニティサイトであるラインやフェイスブック、X(ツイッター)などのユーザーが情報発信して繋がるSNSにその座を明け渡しつつある(『毎日』11・24)★これは兵庫県知事選での斎藤元彦再選を受けた大学教授との対談記事である。新聞・テレビには公平性が求められ、有権者の関心の高まりに応えられなかった。一方SNSでは偽情報や細切れ情報が拡散された影響からも、かなりバイアスのかかった記事である★斎藤の得票111万は、投票率が前回より15%近く増えたせいで25万余増えたが、得票率は45・2%から1・7ポイント減った。全会一致で斎藤不信任を議決したのに斎藤支援に回った県議が出たり、N党の立花はSNSや街頭演説で斎藤支援の田舎芝居を披露したりするカオス状態の選挙だった★Xには140字の制限やフェイク乱用もあるが、資本の支配が日々露呈する矛盾や腐敗を即座に鋭く告発することでより深い全面的な暴露に至る入口として活用することは十分可能だ。労働者党のXの公式アカウントは、ほぼ毎日発信している。 (Y)
【2面トップ】
「年収の壁」問題を考える (補足)
「収入の壁など無くせ」という意味について
前号の『海つばめ』(1487号)2面、「『年収の壁』問題を考える」という記事の結論の部分で、「収入の壁など無くせ」と書いたが、紙面の都合もあり、すっきりしない内容になっているので、改めて書かせていただきたいと思います。
◇何故税金のことを取り上げたか
国・民が問題としたのは、「年収103万円の壁」、つまり課税される最低限の引上げである。扶養されている家族の年収が103万円を超えれば、収入を得た本人に課税される他、扶養している家族にたいしては扶養控除(所得税と住民税)がなくなるためにより多くの税金を納入しなければならなくなる。このため、課税最低限を引き上げよというのである。
資本主義の自由主義の段階では、租税の納入者は大工業・商業などのブルジョア及び地主などの金持ち階級であった。しかし、租税(直接税)が本格的に労働者をはじめ広範な大衆に課せられるようになったのは、20世紀、資本主義が独占資本主義の段階に達してからである。軍事目的や労働者階級の階級闘争の激化に備えた軍隊をはじめ、警察、官僚機構をはじめとする国家機構の巨大化、労働者階級を犠牲にした寄生的階級の膨張は租税の課税を一般労働者に広げた。そしてさらに、道路・鉄道・航空などの交通機関の整備、上・下水道の整備、医療・年金などの社会保障、教育などの分野にまで国家が深く関わるようになった。これらの財源は租税に求められることによって、課税の対象は労働大衆をはじめ全国民に広がった。
国家財政の膨張は、労働者までも租税の納入者とした。労働者は、生産過程で資本によって搾取されるだけでなく、生産過程の外でも搾取される存在となった。租税は労働者にとっては追加搾取であり、労働者の生活を圧迫している。国・民の要求の欺瞞は、被扶養者をもつ労働者の「手取り収入」を増やすことを問題にしているだけであって、賃金制度の下での労働者の生活苦の問題を資本主義体制の矛盾にみていないことである。
◇「第3号被保険者が前提」の立・民
国・民が最低課税額の引きあげを要求しているのに対して、立・民は、年金、医療保険の適用を問題にしている。「106万円の壁」(会社の従業員50人未満)、「130万円の壁」(従業員50人超)がそれである。
50人未満の会社では例えば、夫の被扶養者である妻がパート、アルバイトで年収が106万円を超えると、夫の国民年金、国民保険から抜けて自分の独立した社会保険に加入することになっている。それまでは夫の被扶養者として保険料を支払わないでも国保や国民年金を受ける資格を持っていたがその資格を失うことになる。このため収入が106万円をこえないように労働を手控えることになる。
日本では、1958年には国民皆保険法が、翌59年には国民年金法があいついで成立、国民はすべて医療、年金に入ることになった。自営業者については夫婦共働きという理由でそれぞれ国民年金に加入した。これに対して、当時はまだ労働者家族の共働き世帯は少なく、政府は一挙に皆保険制度をつくるために保険料を負担しないでも国民年金を給付される制度(=第3号被保険者制度)を導入した。
しかし、労働者の共働き世帯が増えるなかで、第3号被保険者制度(700万人)の矛盾はますます深まってきた。
その第一は、財政の負担である。現在、保険料だけでは基礎年金の支払いが不足するため、半分は国家負担となっている。女性が〝専業主婦〟という形で、男性に経済的に依存することは、男女平等に反している。女性が経済的に男性に依存しているかぎり、生活は男性に影響されるのであって女性の自立はありえない。
現在の医療保険とか年金制度は、ブルジョア国家に取り込まれ、労働者を資本の支配の下につなぎ留めておくための制度となっているが、歴史をたどれば、老齢とか障害、病気・ケガなどで仕事から離脱せざるを得なくなった時に備えた労働者の自主的な相互扶助である、友愛会、協働組合、労働組合などが始まりであった。労働者は収入の一部を出し合って仲間の生活を支えた。
現在の年金、医療の保険料は基本的には労働者の収入から支払う(年金保険料は労資折半)ことを原則としている。労働する能力がありながら、〝専業主婦〟として社会的労働に参加せず支援を受けることは、社会的労働への参加が困難な条件があるとはいえ、働く者の相互扶助の原則には相応しくない。働く能力のある労働者は、社会的労働を通じて相互に支え合い、協同しあっているのであり、他人の労働に一方的に依存して生活することを望んではいない。
ところが、立・民の要求は、他人に依存する〝専業主婦〟の存在を前提にしながら、社会保険の支払いが必要となる収入額の限度額を引き上げるべきだというのである。これは労働者のめざすべきとは違う方向である。
◇「収入の壁を無くす」とは
学生アルバイトの親の「手取り収入を増やす」、目先の利益を狙い、あわよくば政治上の有利な地位を得ようとする国・民のポピュリズム的要求も、立・民の〝専業主婦〟の存在を前提とする「改革」も、労働者の階級意識を混乱させるものである。
生活に困らない金持ち階級が一般労働者の何倍もの年金を受ける現在の年金制度は改革されるべきであり、軍隊や警察機構など反動的な寄生的な階級は縮小されるべきである。また労働者の生活改善のためには、労働を回避するということではなく、アルバイト、パートなど差別されている労働者の賃金など待遇の改善がめざされるべきである。労働者の闘いは、特権的地位を擁護することではなく、全ての労働者が団結し、資本の支配に反対していくことである。
労働者の理想は、社会を支えている労働者の生活の犠牲の上に、資本家や金持ち階級および不生産的階級が社会の〝富〟を貪っている資本主義の体制を根本的に変革して、労働者が社会の主人公となり、協同する社会を実現することである。 (T)
【2面サブ】
高失業率に低賃金 生活悪化が進む中国
国家統制の強化で言論も封じられ
22年に中国新疆ウイグル自治区で火災が発生し、コロナ感染対策で現場は封鎖されていた、そのために救助が遅れ犠牲者が増えた。これに抗議して、上海や北京などの各地で若者が〝無言の〟「白紙運動」を行った。また最近、学生による深夜の集団自転車サイクリングがはやり、政府はデモに発展することを恐れて規制に乗り出した。若者の失業率が高止まりし、大学を出ても就職先が決まらない学生が溢れ、他方、国家による言論統制が強化され、学生も労働者も将来に希望を見出せずに鬱積し、悲観している。背景に何があるのか?
◇過剰生産からいまだに脱出できず
21年に不動産バブルが崩壊し、不動産会社ばかりか土地売買の手数料を得ていた地方政府も痛手を負い、共に巨額の債務を残した。これに端を発して、建材や家具や家電などの産業で連鎖的に過剰生産が顕在化し、設備稼働率は悪化している。
そのために企業は解雇に走り、新規雇用を制限し、従って若者層(16歳~24歳)だけでなく、全体的に失業率が高まっている。同時に、労働者の賃金伸び率も大幅に低下している。不動産バブル崩壊前までは、個人消費は旺盛であったが、今では労働者は生活防衛に走り、倹約して食いつなぐ日々を送っている。
ここで、企業の「工業設備稼働率」を見てみよう。どれだけの設備過剰が発生しているかが分かるからだ。
製造、製薬、非金属鉱業、自動車、電機機械および機器(ソーラーパネルと電池を含む)、IT・電子機器の6分野のデータが国家統計局から公表されている。17年~19年の平均値を見ると、非金属鉱業の70%を除く他産業では76%~80%と高い稼働率を誇っていた。
ところが、20年~22年の平均値を見ると、非金属鉱業は66%に下がり、自動車も70%になり、その他も軒並みに74%~77%に下がった。さらに、23年には、非金属鉱業は64%に落ち、その他も72%~76%に下落。今年になっても、IT・電子機器は上向きだと報道されているが、その他の稼働率は下がりそうだ。政府は余剰不動産の買い支えを行い、不動産や建設市況を安定させ、加えてインフラ投資を進めて景気上昇を図ろうとしているが芳しくない。
政府は「一帯一路」や「中国製造強国」などを掲げ、対外直接投資を急速に増やし、M&Aで海外のハイテク企業の支配を進めてきた。これは、習近平国家の中国現代化、つまり米国と並ぶ帝国主義国家を目指すものであった。
だが、国内事情から見れば、11年以降の「工業設備稼働率」の低迷(過剰生産力の顕在化)を打破するために、対外直接投資と商品輸出を急増させてきたのである。この〝刺激策〟は一定の効果を生み、稼働率は17年~19年に上昇した。しかし、不動産バブル破裂以降、「中国包囲網」も加わり、先端技術を誇るITや環境分野も苦境に陥った。国内企業は製品過剰を解消しようと低価格競争を行っており、軒並みに利潤を低下させている。
◇高い失業率と上がらない賃金、そして国家統制の強化に喘ぐ
昨年夏、中国の全国都市部の4~6月の若者の失業率(16歳~24歳)が20%と発表され、世界を驚かせた。政府は公表を中止し、算出方法を修正して再開した。しかし、新たな方法によっても、12月の全体の失業率は5・1%、全国都市部の若者の失業率は14・9%と高い数字だ。しかも、今年(24年)8月の統計によれば、全体の失業率は5・3%に増え、全国都市部の若者の失業率の方も18・8%へとかなり増加している。鉄鋼に見られるように、依然として中国の過剰生産力は解消されず、均衡した生産と消費には程遠い状態が続いている。そのため、企業は利潤を確保しようとして、労働者に多大な犠牲を転嫁し続けている。
中国は、欧米や日本と同様に、利潤を追い求める「生産のための生産」を基礎とする社会だ。それゆえ、資本の過剰は避けられず、やがて過剰になった生産力で自分の首を締め出し、後からそれに気が付き、恐れおののくのである。「国家計画」が出されるなら、補助金目当てに飛びつき、無秩序に生産に走るのは他の国と何ら変わらない。
こうして、資本の過剰を生みだし、「工業設備稼働率」を低迷させ、労働者には失業と低賃金(差別賃金も)を押しつけるのだ。労働者とりわけ若者層にとっては、住宅や自動車は高値の花となり、就職もままならず不満を募らせている。政府は不満が政府に向かうのを阻止するために、労働者や学生の行動を監視し言論を封じ込めている。いわば中国は、戦前の日本=天皇制軍国主義国家と同様に、何も言えない監獄社会と化している。
しかし、労働者は中国の経済的矛盾の根源が資本主義そのものにあることに気づき、同時に、国家資本主義という体制の固有の矛盾もまた知り、必ずや断固とした意識的な闘いを組織していくであろう。 (W)
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